日本の学校ではそうじが非常に大切な教育活動のひとつと考えられているのに対して、アメリカでは生徒がそうじをすることはそれほど大切だと思われていないような印象があるのだけど、どうなんだろうか?僕が1976年から一年通ったアイオワ州の高校(田舎町の普通の公立高校)では生徒はまったく掃除なんてしなかった。ジャニターと呼ばれる掃除担当の人たちがいた。それに対して、愛媛県の公立高校ではさんざん掃除をやった記憶がある。
ある知り合いのメルマガのおススメで『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』(ダイヤモンド社刊)という本を読んだ。そうじを無心におこなっていると、予想もしなかったような結果になることがあるというお話。
確かにそうじは大切だと思う。心の乱れを防ぐためにも、整理整頓、日頃のそうじは大切だと思う。遅刻の多い職場や整理整頓ができていない汚い職場は、だめな職場だと想像できる。
日本は教育現場や職場で非常にそうじを重視する傾向があると思う。ある意味、修行というか、人間修養の意味さえもそうじに持たせている。お寺などでの修行から派生しているのだろうか。それに対してアメリカでは、そうじと人間修養を関連させる見方はあるのだろうか?アイオワではホストファミリーといっしょに教会に通ったけど、そうじをやった記憶はない。
今、仏教はアメリカで急速に広まっていると聞く。100年後には、アメリカ人が仏教に則った学校を作り、そこではそうじをすることが大切な科目とされるかも。そんなことになったら面白いと思う。
アメリカで感心するのは、広義での「オーガナイザー」の存在の大きさ。スケジュール管理、名刺管理、行動管理、顧客管理に関して、ものすごく関心を持っていて、合理的、効率的な管理方法を、これでもかというくらい、多くの人たちが提唱、提案しているなと思う。パソコンのソフトでもさまざまなものがでている。
この10年くらい、日本でもいろいろな人が手帳を公開したり、提案したりしている。僕の思い過ごしかもしれないけど、日本社会の中でそうじをうるさく言う人が減って、なんとなく「オーガナイザー」が頭をもたげているような気もする。
僕としては、そうじもオーガナイザーも両方きちんとやりたいと思っているけど、自慢できるほどできていない。