雑誌"Economist "(エコノミスト)のスタイルガイド
posted at 2009.03.07
雑誌「エコノミスト」のHPで、記者が文章を書くときの「スタイルガイド」(文章の書く際の注意点を集めたもの)が掲載されていることに気づきました。英語の文法など、われわれにも参考になる内容です。
→「エコノミスト」のスタイルガイド
posted at 2009.03.07
雑誌「エコノミスト」のHPで、記者が文章を書くときの「スタイルガイド」(文章の書く際の注意点を集めたもの)が掲載されていることに気づきました。英語の文法など、われわれにも参考になる内容です。
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posted at 2009.02.24
今晩、お取引先の方達と夕食をしながらでた話題です。
少子化の影響で、大学や専門学校だけでなく高校レベルにおいてさえも、完全に供給過剰の状態になっています。つまり子供の数以上の学校があって、どこの学校も「お客さん」が足りないという状況です。その結果、「ここまで基準を下げるのか!?」と、問いたくなるほどの (Almost) Free Admission の状況になっているとお聞きします。
こんな時代ですから、浪人なんてしなくても必ずどこかの大学に入ることができるようになりました。だからこそ逆に、一年くらい浪人してでも、ちょっと将来が見えない状況に自分自身を置いて、どうやって生きていくのかを考えながら勉強する期間が価値を持つのではないか、というような話になりました。きっと若いうちのそんな経験がその人間を鍛えてくれるだろう、と。
ボク自身は絶対に浪人なんてしたくなかったのですが、それは高校2年の時、アメリカに行ったせいで一年遅れたからでした。確かに高校卒業前後までの段階では、一年遅れることはそれはそれは大きなことですが、長い目で見た時、それほどたいしたことではないことがわかります。最近の大学生などを見ていて、AO入試や推薦校制度の弊害が非常に大きいと感じます。こんな時代だからこそ、一浪くらいしてでも自分の志望校を目指しましたなんて大学生も悪くないように思います。
posted at 2009.02.09
日本中、物わかりのいいオトナが増えているようなので、こんなことを書くとご批判を受けそうです。このごろ、経済的事情で東京の大学に行かせてやれない子供がかわいそうだという話を聞きます。でも、そんなこと、20年前も、30年前もありました。大学に行かせてもらえるだけでもまだいいと思うのです。
運動会で競争をさせず、みんな仲良くゴールインなんてアホなことをやっていると、すべての高校生に、東京にある大学に進む「権利」があるみたいに考えるようになるのでしょうか?地元の大学でしっかり勉強すれば、きっと東京に来るよりも、ずっといい結果になると思います。もし自分の希望がかなわなかったなら、その悔しさをばねに必死に勉強すればいいだけ。
ボクが尊敬している人たちの多くは、東大卒でもないし、松本清張や安藤忠雄みたいに学歴と言えるようなものさえ持っていない人たちもいます。
大学で成功が約束されるほど、世の中甘くないよ! 不確実性にあふれていることだけが確かなこの世の中で、入った大学や就職時の試験の順位で一生が決まるなんてことは、幸か不幸か、もう通じないのに、世の中が一見平和だからそう思い込んでいるだけ。現実は、不確定さと偶然性に溢れているというのに。
ボクは四国から東京の大学に出てきましたが、もう一度、人生やりなおしができるなら今の東京には来ないかもしれません。東京には若い人たちに対する誘惑があまりにも多すぎて怖いくらいです。
posted at 2008.12.07
金曜日は午後から秋田の国際教養大学へ。丸の内起業塾をいっしょにやっている須賀さんが、起業について、11回にわたって英語で授業を行っていて、その最後にはビジネスプランの発表会があります。今回で2回目ですが、ボクも審査委員のひとりとして参加。あと、AIUで教えているマイクさんと、ハーバードビジネススクールでドクターコースにいるマイクさんの友人。
3組の学生チームのプレゼンテーションは、みんな、限られた経験の中から、いろいろとプロジェクトを考えていて感心。ただ、マイクさんの希望は、授業の一環として、ビジネスを考えるだけでなく、実際に誰か、実行にうつす「蛮勇」を持った学生が出てくること。
AIUは授業を英語で行っていて、英語で授業をできる日本人教師は日本に少ないようで、須賀さんは来年からは、慶応と京都大学でも授業を持つとか。
AIUは行くたびによくなっているような気がします。立派な図書館(秋田杉をふんだんに使ったもの)もでき、学校には建物も非常に重要だと実感します。
土曜日朝一番の飛行機で帰ってきましたが、もっといたかった秋田です。
posted at 2008.12.02
昨晩、大学の先輩方との集まりは、「学校経営を考える会」という集まりでしたが、昨日の日経新聞をめくっていたら、朝刊教育ページには、静岡産業大学学長(大坪檀氏)の大学経営論がでていて、参考になりました。昨晩の会では、東大の大学院(学校経営論)を卒業された方のお話もありましたが、日本の学校経営の研究も、まだ緒についたばかりかなという印象を受けました。
大学の経営環境は相当厳しくなっているにもかかわらず、そこで教える(働く)先生方の多くは、その現実を認識していないのか、あるいは直視しようとしない方が多いようにお聞きします。研究したいから大学に残ったという方が、多いのかもしれません。でも、これからは学校法人の倒産やM&Aが増えていくでしょうから、先生方もご自分の好きなことを研究するだけでいいという時代は、もう完全に終わっています。
今年、全国各地を訪問して、これからの学校法人、専門学校、各種スクール(PCスクールを含む)は、非常に厳しいなと感じています。その反面、環境の変化を直視し、教員を含む学校の職員が一丸となって、新しい価値を社会に提供していく組織が、サバイブしていくだろうという予想もしています。それら「勝ち組」、「サバイバル組」には、これまで以上の利益や評価が付いてくるのではないかとも。
posted at 2008.10.31
営業で東京農業大学を訪問。この大学、農学部が中心の学校にも関わらず、世田谷に本部があって、さらに厚木と北海道(オホーツクキャンパス!)にもあります。学校関係者からお話を伺っていても、とてもユニークな学校で、なんとなく、おおらかさを感じました。創立117年、なんといっても、設立者が、榎本武揚だからね。これはすごい!
ボクの知人にも、この大学の卒業生がいるのですが、某醤油屋さんで、家業を継いで社長をされています。この大学の入学者には、地方の農業、食料関係の会社の子弟も結構いるとお聞きしたことがあります。このようなユニークな学校は、好きです。
で、お土産に、写真のトートバックをいただきました。愛用させていただきます。(トートバック、大好きです!)
posted at 2008.08.27
とある、こじんまりとした集まりで、品川女子学院の漆紫穂子さん(校長先生)のお話をお聞きしまた。家族経営の6代目として、いつつぶれてもおかしくないような状況にあった学校を、20年近くかけて、都内でも人気の高い、中高一貫校として変身させた成功の裏話でした。(「裏話」とはいえ、いろいろなところでお話になられていると思いますが)。お父様が校長の時、副校長として「家業」に入り、20年近く、途中で校長となって、奮闘されてきたとか。この20年近くの期間を、3つのステージに分けていらっしゃいましたが、この一期目が、きつかったのではないかと思いました。
参加者の皆さん、誰も質問されないので、学力面での成果について、ちょっと質問されていただきました。特に進学校を目指しているわけではないということでしたが、現実の社会と学校教育を結びつけ、生徒の勉強への動機付けを強化することによって、いわゆる一流校へも進学する生徒が出てきたとか。
豊かで平和な時代、有名校に進学することを目標に受験勉強だけさせることが、難しくなっています。子供たち(企業風に言えば、お客さんたち)が少なくなり、受験勉強することが豊かさにつながるという前提が、かつてほどの力を持たない今(同じく企業で言えば、過去のサービスの人気が落ちていく)、これまでの常識にそっていては、学校経営を維持すること、さらには発展させていくことは難しいだろうと思います。そのような中、立派なお話だとお聞きした次第です。
お話のあと、弊社で作っている、マイクロソフトオフィス(MOS、MCAS)のプロモーションDVDを差し上げました。ご一緒にお仕事できると、楽しいかなと思いながら、帰宅しました。
posted at 2008.08.24
フィナンシャルタイムスを読んでいたら、"Teaching demands a warm heart and a cold eye." (教育には、暖かい心と、冷たい目を)というエッセイがありました。戦後のイギリス教育のレベルが落ちてきていること、教師は学生たちにあまり厳しい成績をつけたくないのであまい評価をしがちであること、しかし、本当に必要なのは、(タイトルにあるように)熱心な教師が教え、しかし、「冷血な」コンピュータが結果をはかり、評価には主観を挟まないようにすることが大切なのではないか、というような趣旨でした。(8月20日付け)
仕事がら、大学関係者からのお話をよくお聞きしますが、多くの大学が、たいへんな状況になっているなと思います。希望する高校生は、お金さえ払えば、すべて、どこかの大学に入ることができます。多くの私立大学では、大学入試もないような状況です。大学側は、完全な供給過剰になっていますので(つまり、学生数を、定員数が上回っている)、学生たちは「お客様」扱いです。日本の多くの産業にあるのが、この供給過剰という状況で、その結果、過剰サービスが発生したり、働く人たちに過大な負担があったりと、マイナス面が多く見られます。
本来ならば、入学すべきではない学生たちが、大量に大学生になってしまっています。かなりの数の大学では、「リメディアル教育」という言葉を使って、高校レベル、時には中学レベルの勉強を、行っています。以前、大学の先生方は、「教授」と呼ばれ、ご自分たちの研究と教育を、どのようにバランスをとっていくのかが、お悩みだったような記憶がありますが、多くの大学の「教授」たちにとっては、授業について行けない学生たちの面倒をどうやってみていくのかが、課題になっているようにお聞きします(特に、理科系)。
供給過剰の状況が続く限り、学歴のインフレは続くことでしょうが、いつかの時点では、需要と供給のバランスがとれること、本当に大学生の名に値する学生(この定義はここではおくとして)を排出する学校が増えることを希望しています。小なりとはいえ、会社を経営し、できるだけ優秀な人材を採用したいと希望している人間からすると、大学の関係者の方々には、少々古い言葉を使えば、「学士」という名称にふさわしい人材を、時には厳しさをもって、育てていただきたいです。これは相当に難しい話だということは、よーく、わかっています、が。
追伸 教育の問題は、アメリカでも常に言われています。問題を抱えていない国はないように思います。あるいは、どこの国も、改善しないと行けないと思っているのでしょう。
posted at 2008.07.26
仕事で大学キャンパスを訪問することがあります。生協の売店に立ち寄るのが好き。どんな本がおいてあるのか、その生協オリジナルの商品をチェックしたりするのもおもしろい。で、この前、京都の京都橘大学に訪問した際に生協で見つけたチラシで、「大学生のための100人100冊ー海外文学編」(製作:大学生協文系委員会/東京事業連合)というのがあったので、もらってきました。必読の23人と、おすすめの77人にわかれていて、必読作品は以下のようになっています。
1 ダンテ(神曲)
2 ボッカッチョ(デカメロン)
3 ラブレー(ガルガンチュア)
4 セルバンテス(ドンキホーテ)
5 シェークスピア(マクベス)
6 ゲーテ(ファウスト)
7 バルザック(ゴリオ爺さん)
8 ポー(黒猫)
9 ドストエフスキー(カラマーゾフ)
10 トルストイ(アンナカレーニナ)
11 ランボー(ランボウ詩集)
12 プルースト(失われた時を求めて)
13 トーマスマン(魔の山)
14 ジョイス(ユリシーズ)
15 カフカ(城)
16 フィッツジェラルド(グレートギャッツビー)
17 フォークナー(八月の光)
18 ヘミングウェー(老人と海)
19 ナボコフ(ロリータ)
20 ボルヘス(伝奇集)
21 サンテグジュペリ(星の王子さま)
22 カミュ(ペスト)
23 サリンジャー(ナインストーリーズ)
僕が大学生だった頃にも、こんなリストが出回っていたように思うし(特に、岩波文庫を中心として)、これらの本は20年、30年前にも、必読リストにあがっていたと思います。でもこれらの本を読んだ方がいいのは、大学生でなく、われわれ大人たちじゃないかな?今でこそ言えるけど、僕なんて凡人だから、学生の頃はこれらの本の中身の10分の1くらいしか、理解できなかったと思う。恋愛や人間関係、食っていくことのたいへんさを経験して、ようやく、古典の良さがわかり始めてきたと思う。
今時の大学生の話を聞いていると、これからの日本ってヤバいなと思うのですが、彼らは実は親の世代の鏡でしょう。高齢化社会になって、古典の時代以上に生きられる時間が長くなっているわけですが、学生たちに読めという前に、まず、大人であるわれわれが古典をしっかり読んだ方がいいのでは?と思っています。