立場を代えてみる訓練。

 アメリカの高校で学んだ事の一つに、立場を代えてみる訓練の有効性があります。アメリカのアイオワ州にある、本当に片田舎の高校ですが、社会科の授業で「国連ごっこ」をやったことがあり、非常にいい経験だったと思います。あなたはアメリカ、あなたはソ連、あなたは中国、あなたは日本というように、それぞれの国の立場に立って、あるテーマについて、自分たちが正しいと思う事を主張して議論するということをやってみましょう、というような授業でした。
 
 日本の学校に通ったときには、大学においてさえも、このような「訓練」「体験」はなかったように記憶しています。
 
 なんでこんなことを書くかというと、たとえば今、中国と係争になっている尖閣諸島のことひとつとっても、われわれ日本人の間で、日本の立場と中国の立場にたつ二つのチームを作り、自分の立場を主張するための調査をし、一旦主張をまとめ、そして二つのチームが議論し合ってみる、ということがいい訓練になると思うからです。自分を客観的に見つめ、また相手がどういう背景、理由から主張しているのかを理解する(必ずしも受け入れる、同意するとは異なる)ということは問題解決の第一歩になります。
 その際、目的はなにか、なには避けたいのか、そういうこともチーム間で議論することが、一定のルールの中で、建設的に議論を進めていくという意味で重要かと思います。対立し合う二つのチームが、たとえ目的では一致できなかったとしても、共通して避けたいこと(例:核戦争)があるのであれば、それは建設的な結果への一里塚となるはずです。

 思えば、日本の教育においては、このような訓練が非常に不足しているのではないでしょうか。「相手の立場に立って考えなさい」という道徳的なメッセージはよく聞きますが、ディベートとしての訓練はまったく足りていないでしょう。

 今回の中国との問題に関して言えば、マスコミ各社の報道姿勢や意見には、それほど大差がないようにも見えました。それはもしかして、(日露戦争の戦勝の成果への不満から起こった)日比谷焼き討ち事件につながるマスコミの感情的報道、太平洋戦争につながる新聞各紙の御用新聞化など、意見の多様性に乏しい日本を表しています。
 だからこそ、立場を代えてみる訓練は、個々人(個別の国家)の利益というだけでなく、個々人がその上に立っている全体の利益を守るという意味からも、非常に重要な事だと思います。