昨日の話(「本末転倒」)に関連する話です。
人間は、個人レベル、企業レベル、あるいは国家レベルであっても、現在の利益と未来の利益のバランスをとりつつ投資行動を決めています。現在の楽しみや利害だけにお金と時間を使っていると、未来は先細りになります。未来の利益を決める最大の投資方法が何かといえば、きっと教育はその中のトップにあるのではないかと思います。
90年代、日本経済が混迷のさなかにあったとき、「日本はきっと回復するよ、だって、君たちは教育熱心だから」と、海外の知人たちからよく言われました。でも現在の日本は決して教育熱心とは言えないのではないかと思います。OECD加盟国の中で、日本政府の公的教育支出は、対GDP比率3.5%前後で、最低水準です。この話を聞いたとき、僕は愕然としました。一体、日本の国家予算はどのように使われているのか?(年金問題では、われわれ国民をだましてきたくせに!)
教育への投資はすぐに成果がでてきませんし、モノのように、手にとって触ることができるものでもありません。でも、国力、あるいは企業レベルでもそうですが、将来の力(国力)を決定付けるのは、教育だと思います。軍事力も、経済力も、頭のいいやつたちと、水準の高い労働力なくして、強くなりません。頭のいいやつ、質の高い労働力を、教育なくして、どうやって育てるというのか?
アメリカがなぜ強いのか?エリート層は本当に教育熱心です。IT教育においても、熱心だと思います。それはオライリー・メディアが開いているweb2.0 関連のイベントなどに参加していてもそう思います。(今年も、web2.0 expoには参加します)
うちの親たちもふくめて、かつて、「子どもに残してあげられるのは、教育しかない」というセリフをよく聞きました。そのとき親たちが言っていた教育というのは、学歴ということでもありました。今、学歴の意味も変ってきて、どの学校に行ったのかという「学歴」だけでなく、「なにを、誰といっしょに勉強したのか」という、中味をより深く吟味した上での「学歴」が問われるようになっています。
PCスクールから大学・大学院教育まで、「なにを、誰と机を並べて学んだのか」ということが、すべての学校で大切なことだと思います。
どちらにしろ、格差の問題が深刻になるにつれ、これまで子どもには学歴しか残してあげられないと言っていた親御さんたちが、学歴さえも残してあげられないほど、余裕がなくなっているのかもしれません。これまで日本の教育を支えてきたのは、実は、教育熱心な親たちで、公的な教育支出ではなかった。その親たちに余裕がなくなっているのだとしたら、日本の未来にとって、たいへんなことが起こっていると思います。
ゴヤの絵に、「我が子を食らうサトゥルヌス 」という作品があります。ゴヤ晩年の、「黒い絵」シリーズのひとつです。今の日本そのものだと思います。