Revenge of success: the longevity creates problems.

These days, in almost all the meetings I attend, the subject is this: why Japan is in such a mess with no political leadership and how we can change the situation. Tonight, I was at a dinner speech by Koichi Hori (former president of BCG Japan, and HBS graduate) and Professor Emeritus M. Yoshino at HBS (Harvard Business School). Once again the subject was "what's wrong with us"!

Frankly speaking, I am getting tired of this subject.

Tonight I concluded as following. This is the revenge of the success achieved in the post-war period Japan. What's the success? Very specifically, the longevity of the Japanese. The average life expectancy of Japanese is about 80. It is now clear to all of us that it does not mean that the longer we live the happier we become, at least not socially and politically. The longevity has created many problems, or should I say "challenges" to be politically correct. The social welfare is the biggest expense item in the government budget. The government is trying to create all kinds of arguments to increase the sales tax to support the current pension system. This system is so favorable for the elderly people. They get much more than they have paid. Our generation? We are supposed to be close to even, but I do not trust that it will be the case. I pay the pension premium not for myself but for my parents. That's how I persuade myself on this subject.

The generation battle is won by the old. More votes by the old than by the young.

The revenge of success will not be over until the top heavy population pyramid will go back to the "normal" pyramid structure. How long will it take? 30 years? 50 years? Only if Japan can continue as is. Maybe the system will break down much earlier than that.

I wish to see how our country will be in future.

羽田からアメリカに飛ぶのは1976年以来。

 初めてアメリカに行った1976年にはまだ成田空港ができていなかった。飛行機が成田から飛び始めたのは1979年だったと記憶している。昨年、JALを辞めたいとこが勤務を始めたのも1979年だったはず。
 羽田からアメリカに飛ぶのは1976年以来。だからと言って深い感慨でもあるわけではないのだけど。乗る側としては日曜日の真夜中、飛行機に乗るのもしんどい話。もちろん、サービスする側の人たちはもっとしんどいのかもしれないけど。夜中に飛行機に乗る回数が増えてくると、別段大仰なことでもなくなるのかもしれないけど、家族(うちの場合には犬たちを含むのだけど)に「おやすみ」と言って、ひとり空港に向かうのもさびしい話。カイさん(♀の甲斐犬。今月20日が12回目の誕生日)は僕が荷造りをしていると「普段とちょっと違う行動をしている」と警戒モードになる。彼女の第六感の良さにはいつも感心する。
 
 ところで日本相撲協会が春場所をキャンセルすることを発表した。解体して出直しだという声が多くの人たちから聞こえてくるけど、相撲の八百長なんてもう10年も20年も前から噂があった。お互い、持ちつ持たれつの要素があるだろうから、一部でそんなことがあってもまったく驚かない。十両以下の待遇は本当にひどいみたいで、関取(十両以上)になると急に良くなる。J1からJ2に落ちないように必死になるのと同じように、十両から落ちないように、お互い8勝7敗でぎりぎり現状維持で丸く収めようということになるのだろう。でもそんな「談合」って、相撲の世界だけの話しなんだろうか?

 別の意味でも関取たちはたいへんだ。一場所15日間、年間6場所で合計90日、ガチンコでやっていて体はぼろぼろにならないのだろうか?彼らはけがをして万が一引退なんて話しになったら、どんな待遇が待っているのだろうか?

 これだけ世の中の多くの声が彼らに「完璧さ」というか「潔癖さ」を求めていると、あなたたちはどうなの?って聞いてみたくなる。

 チュニジアやエジプトの「革命」はツイッターやフェイスブックなどのネットを使ったコミュニケーションが大きな役割を果たしているということだけど、今回の相撲界の八百長もケータイのメッセージが証拠になっている。ITのおかげでいろいろなことを隠したり、抑えつけたりすることはできなくなっている。相撲界もIT化の大きな流れの中で変化していかざるを得ないということか。

 ラウンジではもう真夜中近くだというのに一生懸命食事をしている人たちがいる。それでも太らない人たちは羨ましい。これからの数日、アメリカで食べないわけにはいかないけど、食べ過ぎないように気をつけようっと。

月額200円の躊躇

 他人の気持ちが、あまりにも透けて見えてしまうことも、時には困ったことだなあと思う。会社の経営者だったら、「今日もいやいや会社に出てきました。早く一日終わらないかな。」なんてぼやいている社員の気持ちが透けて見えると堪らない気持ちになるだろう。夫婦の場合だったら、「この人と何十年も我慢してきた。別の人と結婚した方がよかったのかもしれない。」そんな相手の気持ちは気づかない方が幸せかもしれない。
 ところが日本の総理大臣の気持ちの弱さが、われわれ国民によく見えてしまう。困ったことだなあと思う。こんなことじゃ、外国からなめられるのも当然だ。
 最近で言うと、菅
総理のぐらぐら揺れる気持ちがあまりにも透けて見えてしまう。月200円の公的年金の減額(法律では物価が一定水準を下回れば減額されることが決まっている)でさえも、高齢者の選挙での反発を恐れてなかなか決められなかった。毎年一兆円ずつ増え続ける社会保障費を背景に、菅さんは今月の10日、社会保障と税制の改革は「一刻の猶予も許されない」と言ったばかりなのに。
 月額200円の減額(基礎年金の満額受給者の場合)でさえもこんなに躊躇する人に、一体、どんな改革ができるというのだろうか。
 政治家の方々は、選挙に落ちてしまうと「ただの人」。なかには借金を抱えてしまっている人もいるから、「ただの人」ではなく、「マイナスの人」になってしまう。日本の政治家をやっても、それほどお金が貯まるわけではなさそうだから、経済的に余裕のある人でないと、たいへんだろうなと思う。どうやって次の選挙に勝つか、それが多くの政治家の頭の中にあることだ。ある政治家の方から聞いたことによると、国会議員が考えること、やることの8割が次の選挙のことじゃないだろうか、って。
 僕は基本的にノンポリなので、特定の政党を応援しているわけでもない。政治も、国というひとつの組織の経営という面から考えることが多い。経営対象となる組織はできるだけ小さい方がいいと思っている(政府は小さければ小さいほどいい!)。あれもこれもと高望みしないで、シンプルに、できるだけそれぞれのメンバーに自分で体を動かしてもらった方がいい。既得権は作らない。毎年ゼロベースで考えてみる。
 オーナー企業の経営者の立場と、たとえ日本の総理とは言え、「雇われ総理」みたいな人の立場が違うのはわかる。「雇われ」の立場では、たとえ必要なことが分かっていても、反対が強い改革は難しい。きっと月額200円程度のことで躊躇する政治家には大した改革はできないだろう。
 そして国民についてはこんなことが言えると思っている。月額200円を恨んで改革に反対するようでは、きっと近い将来に、その1000倍、あるいは1万倍くらいのしっぺ返しを食らうことだろう、と。
 

ショッキングなこと。

 最近、ちょっとショッキングなことがあった。2年くらい行っていなかった都内のレストランとカフェが、どちらも通常営業を止めていたこと。レストランは前日まで予約をしないと食事ができず、予約がないと閉店状況。店員の数も大幅に減らし、結婚式の2次会やパーティなどに会場を貸すことを中心にしているとか。カフェは僕が大好きな映画(「バベル」!)でも使われたところなんだけど、ここもイベントやパーティなどへの貸出しの場所に変わってしまっていた。どちらも人件費や在庫などの固定費を抱えてやっていけなくなったということだろう。

 街を歩くと、「すべての商品270円」「飲み放題500円」なんて居酒屋の看板や、やたら駐車場が目立ったりする。クルマに乗る若い人は少なくなっているというのに。

 これがデフレということかと、恐ろしい気持ちになった。
 
 今朝の朝日新聞に、天野祐吉さんがケータイゲームのCMがやたら多いと書いていた。「ぼくもゲームは好きだ。ゲーム歴も長いし腕も立つ。だからケータイゲームにも、よくできたものがあることは知っている。が、CMがこんなに多いのは、やはり異常だと思う」と。

 ケータイゲーム、パチンコ・パチスロ、そして低料金の居酒屋しかはやらないなんて、異常だ。まだ経済がまわっているように見える東京でさえもそうなっているとしたら、恐ろしい状況だ。いや、もしかしたら、お金を持っている中高年やシニアには関係ない話なのかもしれない。だって、丸の内や銀座を歩いていると、日本は本当に不況なのかと聞きたくなるから。

 天野さんのコラムはこんな言葉で終わっていた。「もちろんケータイゲームにも、ゲーム仲間の連帯感を生む効用はあるだろう。が、ケータイそのものが持っている人間的な可能性を、もっと面白く感じさせてくれるようなゲームやCMはできないのか。ケータイが泣いているよ」

 カネがないと言っている若い人たちに話を聞いてみても、ケータイにはそれなりのカネを毎月払っている。ケータイないと友達を確保できないし、就活もできないということなのかもしれないけど。「なにが生きていく上で大切なのか、もう一回出発点に帰って考えようよ?!」なんて言ってると親父のお説教になってしまうかもしれないけど、日本で一人であったとしてもそれは言い続けたい気持ち。

 レストランの話から始まってケータイの話になってしまったけど、いまの日本って、かなりショッキングな状況にあるかも。それに鈍感になっているとしたら、それもまたショッキング。

西麻布でお話をさせていただきました。そばの中国大使館前では大規模デモ。

 ある方が主催されている学生と社会人向けの勉強会でお話させていただきました。東大、早稲田、慶応などの学生と、幅広い年齢の社会人の方々の集まりでした。皆さん、問題意識の高い、真剣に仕事のことを考えている方々でした。
1時半に始まり、途中の休憩を交えて5時までお話と質疑応答。その後、テレビ朝日通りにあるピザ屋さんで懇親会。

 テレビ朝日通りにはなにがあるか? 中国大使館です。
 日本のマスコミでは一切、取り上げられていませんが、尖閣列島をめぐり東京でも大規模なデモが行われています。懇親会があったレストランから中国大使館まで200メートルほどの距離で、レストランの前の歩道には、1時間以上たっても切れないほどの人の列が続いていました。警察の警備がしっかりしていてかなり統制のとれた行進でした。家に帰ってネットでチェックすると、5800名程度のデモだという話があります。

 ボクは懇親会を途中で失礼しました。帰りの車で聴いたNHKラジオの7時のニュースでは、中国各地で行われた大規模デモのことを報道していましたが、中国大使館前で行われていた日本側の大規模デモについては一切報道がなされていません。
 ただし、海外メディアはこの東京でのデモのことを報道しています。
 日本のメディアの自制、政府からのコントロールもあるのかと想像します。今、中国問題において感情的になることは決して得策だとは思いませんので、メディアが自重あるいは自己規制することもわからなくはないのですが、海外では東京におけるデモのことが、かなり報道されているということくらいは、知っておいたほうがいいかと思います。

政治に不満があるのなら。

 政治に不満があるのなら、自分がすこしでも共感を持てる政治家を見つけ出し、1000円でいいので寄付してみてはどうでしょうか?きっと彼らはあなたにすごく感謝をすると思います。たとえ1000円であったとしても、ものすごく感謝してくれて、やる気になってくれると思います。だって、おカネを配れという人は多いみたいですが、見返りをもとめるわけでもなく、たとえ1000円であったとしても、サポートしてくれるひとは少ないみたいですから。
 別に政治家の味方をしたいわけではありませんが、ある意味、政治家ほど割にあわない仕事もないのではないかと思います。マスコミはすぐに「政治とカネ」のことを言いますが、「マスコミとカネ」だって、たたけばホコリはでてくるでしょう。
 確かに、それでも立候補したい人はいるので、やりがいというか、魅力というか、もしかして、うまみもあるのかもしれません。でも政治は大切だと思います。だからしっかり仕事をやってくれる人を選び、応援したいです。政治は三流でも経済は一流だなんて言ってたのは、90年代始めまで。今では経済だって三流だと海外では見られているような気がします。
 ケネディ大統領は、「国がなにをやってくれるかを求めるのではなく、自分自身が国のためになにができるかを問いなさい」と言いました。ケネディのファンは日本にも多いけど、この言葉を実行している人は少ないと思います。それが日本の現実かもしれないし、それだから日本は三等国家に落ちていっているのかもしれないです。
 クロイヌはそんな日本にはなってほしくないと思っています。ケネディの言葉は、クロイヌにも発せられていると思っています。

クーデター

 非常に不安定な世界経済、無為無策の政治。1930年代の日本のような状況にあるのではないかと思う事があります。ただ、1930年代と現在の日本の大きな違いのひとつは、軍部の突き上げの有無です。自衛隊には知り合いがいませんし、リーダー的存在がいるのか、血気盛んな中堅、若手たちがいるのかどうか、まったく知識はありません。ただ、れっきとした軍である自衛隊からは、当然と言えば当然ですが、いっさい、政治に対する声が聞こえてきません。誤解のないように書きますが、それを期待しているわけではありません。
 政治が今のような状況にあると、国によっては、軍部がなんらかの動きをとることがあります。欧米先進国ではありませんが、途上国の多くでは見られる現象です。そういう意味では、日本は先進国というべきか。
 多くの政治家は自らの損得勘定、特にポスト、選挙での当選、それらには本当に必死に見えます。落選の恐怖はものすごいものがあるのだと想像します。ですが、軍のクーデターやテロリストの襲撃を心配する必要がない日本の政治家は、ラッキーかもしれないです。

今回の口蹄疫の感染源の特定化はどうなったのか?

 櫻井よしこ著『日本が犯した七つの大罪』(新潮文庫)のなかの「狂牛病対策はなぜ遅れたか」という章の中に、いかのような文章を見つけました。ちなみにこの文章が書かれたのは、2002年1月。
 「だがこんな日本政府の後ろ向きの対応(注:BSEの感染源を特定しようとはしない後ろ向きの姿勢のこと)は初めてではない。2000年に、92年ぶりの発生をみた口蹄疫の時も、同じあやまちの構造の中で事は推移した。2000年3月に宮崎市東部の富吉地区で、珍しい症状の牛を獣医師がみつけた。約10日ほどの観察ののち、彼は口蹄疫を疑い家畜保健衛生所(家保)に報告した。」(中略)
 「正確に診断した獣医師の早い動きによって、このときの口蹄疫は、その後、北海道の牧場で発生しただけで終わった。本来なら、口蹄疫を見つけた獣医師の舛田利弘氏は大いに感謝されて然るできだ。しかし、家保はなんと舛田氏を事実上封じ込めたのだ。家畜の診療をやめて平たくいえば自宅蟄居せよということだ。彼に対しては『余計なことをした』『黙っていればよいものを』という類いの非難が集中し、診療も制限され収入も激減した。」
 「また、口蹄疫のウィルスの感染経路も調査されなかった。複数の普及員は中国産のワラが原因としか思えないと指摘する。このままでは、再び必ず日本に口蹄疫ウィルスが入ってくると彼らは警告するが、農水省も厚生労働省も、『感染源が特定されないことは大きな問題か』と述べた武部農水大臣と同じメンタリティで、感染源の特定も結果としてできず、また、しなかった。全てが同じ精神構造なのだ。」
 この文章を読んでいると、10年後、宮崎で口蹄疫被害がでたことは、決して不思議なことではないと思えます。今回も口蹄疫の感染源は特定化されずに終わり、また同じ悲劇が繰り返されるのか。科学的精神の欠如、世の中の空気で動く行政。櫻井さんに言わせると、「アマチュアのなせる無責任の極致であるといえる。」

すごいところまで来ている高齢化社会。

 ずっと「振り込め詐欺」が不思議だったけど、今回、全国各地で発覚している高齢者の所在不明の話、これも不思議。この前NHKでやっていた「無縁社会」とつながる話だし、長寿社会の基礎になっている統計が信頼できるかどうかにも発展しかねない話だ。
 100歳を超える老人の行方を、80歳になろうとしている「子ども」たちに聞いて回る自治体の人たちの話がニュースになっているけど、日本の高齢化社会って、もうすごい段階にまで行ってしまっているよね。これからどんどん「奇譚」があふれでてきそう。
 戦後の日本社会は、ずっと「死」を見えないところに押し込んできたけど、死後20年、30年、ミイラ化した死人たちが、戦後の日本社会の在り方を考えなと静かに叫んでいるかのよう。

追記
8月4日現在、100歳以上で所在不明の高齢者が全国で56人。

新入社員と総理大臣

昨日ご紹介した河合薫さんの「切りたい社員を生む、大人の勝手と新人の甘さ」を読んでいて、浮かんだこと。
新入社員を見る目で総理大臣を見ないといけないんだ、ということ。新入社員を粘り強く育てることと同じで、僕ら国民が総理大臣も育てないといけないのかも。最初から理想的な新入社員なんているはずがないのと同じで、理想的な総理大臣だっていないみたいだし、見つかりそうな気配もない。アメリカ国民が、あれだけ熱狂的に迎えたオバマをある意味バッシングしているのを聞くと、現代の民主主義って、なんて我慢強さがないのか、って思えてもくるし。
だから、新入社員を育てるように、総理大臣も育てないといけないのかもしれない。
ちょっと情けないというか、寂しい感じもするけども。