西麻布でお話をさせていただきました。そばの中国大使館前では大規模デモ。

 ある方が主催されている学生と社会人向けの勉強会でお話させていただきました。東大、早稲田、慶応などの学生と、幅広い年齢の社会人の方々の集まりでした。皆さん、問題意識の高い、真剣に仕事のことを考えている方々でした。
1時半に始まり、途中の休憩を交えて5時までお話と質疑応答。その後、テレビ朝日通りにあるピザ屋さんで懇親会。

 テレビ朝日通りにはなにがあるか? 中国大使館です。
 日本のマスコミでは一切、取り上げられていませんが、尖閣列島をめぐり東京でも大規模なデモが行われています。懇親会があったレストランから中国大使館まで200メートルほどの距離で、レストランの前の歩道には、1時間以上たっても切れないほどの人の列が続いていました。警察の警備がしっかりしていてかなり統制のとれた行進でした。家に帰ってネットでチェックすると、5800名程度のデモだという話があります。

 ボクは懇親会を途中で失礼しました。帰りの車で聴いたNHKラジオの7時のニュースでは、中国各地で行われた大規模デモのことを報道していましたが、中国大使館前で行われていた日本側の大規模デモについては一切報道がなされていません。
 ただし、海外メディアはこの東京でのデモのことを報道しています。
 日本のメディアの自制、政府からのコントロールもあるのかと想像します。今、中国問題において感情的になることは決して得策だとは思いませんので、メディアが自重あるいは自己規制することもわからなくはないのですが、海外では東京におけるデモのことが、かなり報道されているということくらいは、知っておいたほうがいいかと思います。

政治に不満があるのなら。

 政治に不満があるのなら、自分がすこしでも共感を持てる政治家を見つけ出し、1000円でいいので寄付してみてはどうでしょうか?きっと彼らはあなたにすごく感謝をすると思います。たとえ1000円であったとしても、ものすごく感謝してくれて、やる気になってくれると思います。だって、おカネを配れという人は多いみたいですが、見返りをもとめるわけでもなく、たとえ1000円であったとしても、サポートしてくれるひとは少ないみたいですから。
 別に政治家の味方をしたいわけではありませんが、ある意味、政治家ほど割にあわない仕事もないのではないかと思います。マスコミはすぐに「政治とカネ」のことを言いますが、「マスコミとカネ」だって、たたけばホコリはでてくるでしょう。
 確かに、それでも立候補したい人はいるので、やりがいというか、魅力というか、もしかして、うまみもあるのかもしれません。でも政治は大切だと思います。だからしっかり仕事をやってくれる人を選び、応援したいです。政治は三流でも経済は一流だなんて言ってたのは、90年代始めまで。今では経済だって三流だと海外では見られているような気がします。
 ケネディ大統領は、「国がなにをやってくれるかを求めるのではなく、自分自身が国のためになにができるかを問いなさい」と言いました。ケネディのファンは日本にも多いけど、この言葉を実行している人は少ないと思います。それが日本の現実かもしれないし、それだから日本は三等国家に落ちていっているのかもしれないです。
 クロイヌはそんな日本にはなってほしくないと思っています。ケネディの言葉は、クロイヌにも発せられていると思っています。

クーデター

 非常に不安定な世界経済、無為無策の政治。1930年代の日本のような状況にあるのではないかと思う事があります。ただ、1930年代と現在の日本の大きな違いのひとつは、軍部の突き上げの有無です。自衛隊には知り合いがいませんし、リーダー的存在がいるのか、血気盛んな中堅、若手たちがいるのかどうか、まったく知識はありません。ただ、れっきとした軍である自衛隊からは、当然と言えば当然ですが、いっさい、政治に対する声が聞こえてきません。誤解のないように書きますが、それを期待しているわけではありません。
 政治が今のような状況にあると、国によっては、軍部がなんらかの動きをとることがあります。欧米先進国ではありませんが、途上国の多くでは見られる現象です。そういう意味では、日本は先進国というべきか。
 多くの政治家は自らの損得勘定、特にポスト、選挙での当選、それらには本当に必死に見えます。落選の恐怖はものすごいものがあるのだと想像します。ですが、軍のクーデターやテロリストの襲撃を心配する必要がない日本の政治家は、ラッキーかもしれないです。

今回の口蹄疫の感染源の特定化はどうなったのか?

 櫻井よしこ著『日本が犯した七つの大罪』(新潮文庫)のなかの「狂牛病対策はなぜ遅れたか」という章の中に、いかのような文章を見つけました。ちなみにこの文章が書かれたのは、2002年1月。
 「だがこんな日本政府の後ろ向きの対応(注:BSEの感染源を特定しようとはしない後ろ向きの姿勢のこと)は初めてではない。2000年に、92年ぶりの発生をみた口蹄疫の時も、同じあやまちの構造の中で事は推移した。2000年3月に宮崎市東部の富吉地区で、珍しい症状の牛を獣医師がみつけた。約10日ほどの観察ののち、彼は口蹄疫を疑い家畜保健衛生所(家保)に報告した。」(中略)
 「正確に診断した獣医師の早い動きによって、このときの口蹄疫は、その後、北海道の牧場で発生しただけで終わった。本来なら、口蹄疫を見つけた獣医師の舛田利弘氏は大いに感謝されて然るできだ。しかし、家保はなんと舛田氏を事実上封じ込めたのだ。家畜の診療をやめて平たくいえば自宅蟄居せよということだ。彼に対しては『余計なことをした』『黙っていればよいものを』という類いの非難が集中し、診療も制限され収入も激減した。」
 「また、口蹄疫のウィルスの感染経路も調査されなかった。複数の普及員は中国産のワラが原因としか思えないと指摘する。このままでは、再び必ず日本に口蹄疫ウィルスが入ってくると彼らは警告するが、農水省も厚生労働省も、『感染源が特定されないことは大きな問題か』と述べた武部農水大臣と同じメンタリティで、感染源の特定も結果としてできず、また、しなかった。全てが同じ精神構造なのだ。」
 この文章を読んでいると、10年後、宮崎で口蹄疫被害がでたことは、決して不思議なことではないと思えます。今回も口蹄疫の感染源は特定化されずに終わり、また同じ悲劇が繰り返されるのか。科学的精神の欠如、世の中の空気で動く行政。櫻井さんに言わせると、「アマチュアのなせる無責任の極致であるといえる。」

すごいところまで来ている高齢化社会。

 ずっと「振り込め詐欺」が不思議だったけど、今回、全国各地で発覚している高齢者の所在不明の話、これも不思議。この前NHKでやっていた「無縁社会」とつながる話だし、長寿社会の基礎になっている統計が信頼できるかどうかにも発展しかねない話だ。
 100歳を超える老人の行方を、80歳になろうとしている「子ども」たちに聞いて回る自治体の人たちの話がニュースになっているけど、日本の高齢化社会って、もうすごい段階にまで行ってしまっているよね。これからどんどん「奇譚」があふれでてきそう。
 戦後の日本社会は、ずっと「死」を見えないところに押し込んできたけど、死後20年、30年、ミイラ化した死人たちが、戦後の日本社会の在り方を考えなと静かに叫んでいるかのよう。

追記
8月4日現在、100歳以上で所在不明の高齢者が全国で56人。

新入社員と総理大臣

昨日ご紹介した河合薫さんの「切りたい社員を生む、大人の勝手と新人の甘さ」を読んでいて、浮かんだこと。
新入社員を見る目で総理大臣を見ないといけないんだ、ということ。新入社員を粘り強く育てることと同じで、僕ら国民が総理大臣も育てないといけないのかも。最初から理想的な新入社員なんているはずがないのと同じで、理想的な総理大臣だっていないみたいだし、見つかりそうな気配もない。アメリカ国民が、あれだけ熱狂的に迎えたオバマをある意味バッシングしているのを聞くと、現代の民主主義って、なんて我慢強さがないのか、って思えてもくるし。
だから、新入社員を育てるように、総理大臣も育てないといけないのかもしれない。
ちょっと情けないというか、寂しい感じもするけども。

国家のリーダーの給与水準。

一億円以上の給与をもらっている上場企業の役員たちの氏名と金額が公表されるようになり、話題になっていますが、雑誌Economist におもしろい記事がでています。
首相や大統領たちの年収が、その国の一人当たりGDPの何倍あるかをグラフにしたものです。ケニヤのリーダーは別にして、一番に来たのがシンガポールの首相で、一人あたりGDPの40倍を越える、218万ドル、約2億円(!)の年収です。
日本の首相は、27万ドルで一人あたりGDPの10倍以下。
ボクは、日本の首相の給料は低いかなと思っています。日経平均2万円達成なんてことを実現してくれたなら、特別ボーナス20億円でも日本全体の経済と福祉から見ると、安いものです。夢ある社会の実現は、まず経済を良くすること。バブルの時期は、それがはかない、底の浅い夢だったとしても、いまよりかは夢があったかもしれません。

Economist 記事

あいまいさ、おおらかさ、コンプライアンス

 日本って、西洋諸国と比べると「あいまいさ」が強いとよく聞くのですが、実際はどうなんでしょうか?意思決定のプロセスが「あいまい」、判断基準が「あいまい」、自分の意志表明が「あいまい」。そんなふうに日本のあいまいさは使われるような気がします。往々にして、否定的な意味合いで。
 あいまいさと社会のおおらかさとは関係ないのでしょうか?生きていく上で、白黒はっきりさせることが難しいことが多いのも確かで、第一、自分の気持ちや考えをはっきりさせることも時には難しい。自分の気持ちがわからないということもあれば、はっきりさせることがいろいろな事情で難しいこともある。付き合いたくない人とも、いろいろな事情でつきあわないといけないこともあるかもしれない。
 こんな言葉もありました。「清濁合わせ飲む」。人物の大きさやおおらかさを形容する意味で使われることがあります。
 相撲の世界の賭博の記事を読んでいると、清濁合わせ飲むことは、相撲界においては難しくなって来たようです。「相撲界にもコンプライアンスが入って来たね!」。
 このコンプライアンスというカタカナ言葉も、日本語でちゃんと定義されているんだろうかと思います。ひどくあいまいに使っていない?!基本的に、カタカナ言葉を意味なく(あるいは元々の言葉の意味を知らないで使うことに)反対です。このコンプライアンスというのも、わかったようでわからない。
 企業社会はこの「コンプライアンス」のおかげで窮屈さを感じている人が多いのではないかと思います。日本社会はアメリカが言い出したことを表面的には素直に聞く傾向があるので、このコンプライアンスについても、実は面従腹背のくせして優等生ぶっているような気もします。「本場のアメリカ」以上に時には自分自身をがんじがらめにしたりして。そのくせ、あるところではおおざっぱさやずさんさは残っているんですけど。木ばかりに気をとられて、森の全体は見る余裕も意識もなかったり。
 相撲界も興行の世界にどっぷり浸かっている訳で、歴史的に見て、その筋の方達とのおつきあいには非常に深いものがあるはずです。熱烈なファンが多い関西発の女性だけのレビューだって、興行の世界が持つ歴史からは自由でないと聞いたことがあります。
 どちらにしろ、社会の中でいろいろなことに白黒つけないといけない(少なくとも表面的には)、建前を通さないと行けないということが増え、だんだん、おおらかさは減って来ているような気がします。ただでさせ相撲界に入る日本の若者が減っているなか、ますます減っていくのかな?

 この文章も、あいまいな、だらだらしたものになってしまいましたが、そこはおおらかさをもってお読みください。内容に関しては、特にコンプライアンスに引っかかることはないと思いますし。

政治家は四半期ごとに評価されているみたい。

小泉さん以降、日本の総理のいすは暖まることがない。海外のメディアからも、日本の総理は回転ドアのように落ち着かないというようなことを書かれています。最新のイギリスのエコノミスト誌の特集は、"Leaderless Japan"。

かつて日本企業の評価が高かった頃、日本の企業経営者や評論家たちは、「アメリカ企業がうまく行かないのは、短期的な視野しか持たないからだ。彼らは四半期ごとに株式市場で評価されるので、長期的な観点に立った意思決定ができない。」みたいなことを言っていました。
でも、今の日本って、そんな感じになっていませんか?すくなくても政治においては。各種メディアはこれでもかというほど世論調査を行い、支持率の上り下がりを大げさに教えてくれます。なんか株価の変動みたい。それがなんとなく国民意識にも影響を与えていると思うし、山本七平じゃないけど、世の中の「空気」がそうやって決まって行くみたいな感じもします。
あれだけ長期的視野に立った経営や意思決定を自慢していた日本なのに、四半期ごとに世論調査の形で業績評価を受けているのが政治家のような気もします。

この前塩野七生さんの「日本人へ_リーダー編」のことを書いたけど、その中に、日本人やメディアはもっと政治家を育てようという気持ちを持った方がいいという主旨のことを書かれていました。人間は期待されていることを知るとしばしば成長すると思うし、それは政治家の先生方だって同じだと思います。もしかして、政治家は普通人以上に、期待に応えたいという気持ちを持っているかもしれない。

中国女工哀史

中国の下請け工場で自殺が頻発したり、ストライキが発生したりしていると聞きます。背景には以下のような状況。

今日のFinancial Times 社説で紹介されていた話。

China Daily紙が報じたところによると、「中国の国内総生産GDPで、賃金への分配率は、この22年間連続して低下している。1983年の57%から、2005年には37%までその比率は低下した。」

中国国内で、地域的にも、また階級的にも富の分散があまりにもバランスを欠いているということはよく聞きます。

日本は世界でももっとも社会主義的な国で、中国はもっとも資本主義的な「人民共和国」。