「グローバル化」の風景

今日の日経新聞朝刊に出ていると思うのですが(まだ目を通していません。明日会社にでる予定なので、そのときチェックします)、先日、日経新聞の方にインタビューいただき、グローバル化について、すこしだけ意見を言わせていただきました。さまざまな意見が出ているこのテーマに、ボクのような浅学なものが加わる資格があるのかどうか、あまり自信があるわけではないのですが。

ちなみに、Giftという文科省と外務省が協力しているプロジェクトに、以下のような応援メッセージを出しています。ボクの「グローバル化」についての考え方の一部は、こんな感じです。http://j-gift.org/message/

大阪市長が、刺青をしている職員に対して、非常に厳しい態度で望むということを表明して以来、日本国内では刺青に関して、新たな関心が高まっているのかもしれません。海外では、ファッション、あるいは一つの自己主張として、刺青をしている人が増えたなと思います。それらは「刺青」というとちょっと違っていて、「タトゥー」というのかもしれませんが。

先日、あるホテルで、「タトゥー」をしたアジア系の人がいました。プールのジャクージで見かけたのですが、この人が日本人であったら、ホテル側はどのような対応をしたのだろうかと、ふと思いました。よく温泉や銭湯では、刺青をした人はお断りと、はり紙が貼ってあります。日本語が読めない外国人には、日本語だけでは意味をなさないわけですが、このメッセージを英語にしているところには、滅多にお目にかかったことはありません。海外の客を中心としたホテルでは、このようなはり紙を出すことは、最初からないのでしょうか。

上得意の外国人が、「タトゥー」をしていた場合、ホテルや温泉旅館などは、見てみぬ振りをしているのかなと想像するのですが、どうなんでしょうか?これも「グルーバル化」のひとつの現象で、今後、日本国内における「刺青」議論への影響も含めて、どうなるのか、興味があります。

『デフレの正体』(藻谷浩介著)

 本屋に山積みになっている昨年からのベストセラー。マスコミの有名人たちが大推薦という帯の宣伝文句のせいで、当初は逆に読む気はなかったのですが、先月だったでしょうか、日経新聞の夕刊に数日連続ででていた著者のインタビュー記事を読んでおもしろい方だと思ったので読んでみました。その記事で僕がおもしろいと思ったのは、「地方の幹線道路や新幹線などが無駄なのではなく、田んぼの間に網の目のようにはりめぐらせた道路こそが、無駄な投資になっている」という趣旨のご指摘。
 
 この本の中身は、副題に「経済は『人口の波』で動く」とあるように、日本のデフレは根本的に国内の人口動態に基づいていて、好況、不況の波によって起こされているものではないということで、それに関してはまったく反論の余地はないです。同じような指摘は、1980年代終わりか、1990年代の始めだと記憶していますが、人口減少にともなって今後地価は下がっていくと指摘していたある証券会社の創業者の発言と根本的にはまったく同じ指摘だと思います。20年たち、その証券会社の創業者(立花証券の石井久さん)の予言の正しさに感嘆するばかりです。石井さんは1993年9月日経新聞に連載された「私の履歴書」最終回に日本の人口の動向に着目していることを書かれています。

 本質的なことは時にあまりにもシンプルすぎて、それを認めたくない陣営には受け入れがたいのか。あるいは受け入れてしまうと現在の仕組みを根本的に変えていかないといけない。その結果、今持っている既得権は手放さざるを得ない。ならば、見ない、聞かないの姿勢を貫き通す?

 『デフレの正体』の著者が持っている柔らかい精神というか、押し付けられた「先入観」や「正解」ではなく自分が見て考えたことから自分の意見を組み立てていく姿勢に感心しました。

 また、民間企業は政府の景気対策に頼ることなく、自分たちで経営努力をしていくべきだというご意見にも大賛成です。

 先日、現役経産省キャリア官僚による『日本中枢の崩壊』のことを書きました。この2冊には共通する指摘が多々あります。お二人とも優秀な方々だと思いますが、同じように優秀な人たちが霞ヶ関にはたくさんいらっしゃるはずです。このお二人がかれらとなぜ違うのか。それはお二人が「王様は裸だ」と言える率直さをお持ちだからなのではないかと思います。もっと多くの霞ヶ関や永田町の若手エリートたちが、「王様は裸だ」と叫ぶことができれば、日本のどん詰まり感にもすこしは穴があくのではないかと期待しています。

石井久「私の履歴書」

北陸電力の場合

以下の北陸電力のホームページをどれだけの方がご覧になったことがあるでしょうか?僕は先日初めて知りました。
(以下、同社HPより引用)

事実関係

平成11年6月18日、志賀1号機は、第5回定期検査(平成11年4月29日停止~7月23日起動)のため停止中でした。
同日未明、原子炉停止機能強化工事の機能確認試験の準備として、制御棒関連の弁を操作していた時、
2:17 想定外に制御棒3本が引き抜け、原子炉が臨界状態となりました。
2:18 原子炉自動停止信号が発生しましたが、引き抜けた制御棒3本はすぐに全挿入されませんでした。
2:33 弁の操作により制御棒が全挿入となり、臨界状態が収束しました。
事故後に、所長以下関係者が発電所へ集まって対応を協議しましたが、約2ヵ月後に控えていた2号機着工などに影響があると考え、最終的に所長が外部へ報告しないことを決断しました。
事故に関するデータを改ざんして必要な記録を残していませんでした。

(引用、以上)

最後の文章「データを改ざんして必要な記録を残していませんでした」は、すべての電力会社の体質を表しているのか?

北陸電力HP

60代で若造と言われる国に未来はない。

今日もまた日本の政界は茶番劇。シニアのみなさんもいい加減にしていただきたい。
財界もそうだけど、日本の各界はお年寄りの皆さんがお元気すぎて、60代だとまだまだ「若造」なんて言われるんだから、狂っている。日本ではほぼすべての業界で、50代、60代はまだ若造だなんて言われているのではないか。芸術、建築、学問など、一般には実力の世界だと思われている分野でさえも、「長老」支配が見られるんだから。そんな国には未来はないし、大物はでてこないよ。だから本当に力がある人たちは、日本から出て行く。

戦後日本では成功の結果、世界でも有数の長寿国が実現した。でもいまではこの長寿が日本の最大の弱点になっている。年金、医療費問題もこの長寿の結果の一つ。政界、財界、メディア業界、長老たちが若い世代の成長を抑えていく。引き際を知らず、仕事以外の付き合いや時間の過ごし方を知らない年配者たちが、日本をダメにしていく。

誤解してもらいたいくないけど、70代、80代でも、「個人として」現役で働いている人たちを尊敬している。僕の会社でずっと仕事をお願いしているニューヨークの弁護士は80才でまだ働いている。でも彼は秘書一人の個人事務所。僕はフリーランスや個人事務所で、70になろうと、80になろうと、現役で働いている人たちは尊敬している。かれらはすべての責任を自分で受け止めながら仕事をしているのだから。

こりゃあ、日本は戦時下にあると認識した方がいい。

うちの会社が入っているビルの管理会社(三菱地所ビルマネジメント)から、節電に関する「依頼」が来た。でも実際は、「依頼」ではない。政府からものすごく強烈な要請が三菱地所はじめとするビル会社、ビル管理会社に来ているのだろう。

今年の夏の電力不足に対応していくため、首都圏は戦時下にあることを、改めて認識した。政府が率先してここまで省エネ(節電)に取り組むのは、1970年代に2度あった石油危機の時以来じゃないだろうか。

具体的には、まず事務所内のすべての照明を3割以上は節電する、個別空調は25%くらいは運転停止にする、勤務時間のシフトを変えるなどなど、かなり細かい節電依頼が来ている。これは半端な話しではなくなってきている。

もう首都圏は平時ではない。少なくとも電力に関しては、戦争状況にあると思っていた方がいい。自動販売機やパチンコ屋はなくしてしまえというようなことを、石原さんが言ったことに反発があると聞いているけども、本当にその通りかもしれないよ。これだけコンビニがあり、夜遅くまで空いているのに、本当に自動販売機が必要なのか。多数のギャンブル中毒を生み出してきたパチンコ業界だけど、これをリハビリのチャンスにしては?

まあ、自販機、パチンコ以外にも電力をバカスカ消費しているものはあるだろうから、節電のための検定試験でも始めようか?!節電するために、まずなにをやめるべきか、次になにをやるべきか?それを検定試験で学んでいくっていうのはどうでしょうか?

ネットではなく個人の力による革命。

 北アフリカ、中近東の石油産出国で凄まじいことが起こっている。原油価格は100ドルを越え、一部では220ドル説まで飛び出している。そうなると世界経済に対する影響は計り知れない。しばらく忘れられていた感のある世界経済二番底の可能性も高まってくる。
 チュニジア、エジプトで起こった「革命」が、フェースブックをはじめとするネット上のSNSによってもたらされたという言い方をする人が多い。でも僕は、「ネットの力がこの革命を起こした」というのは違っていると思うし、革命の中心にいる人たちに対して失礼な言い方だと思っている。
 インターネットが主役なんかじゃない。主役は一人ひとりの人間たちだ。現実の社会の中で長年にわたってひどい扱いを受けてきた個々人の情念が起爆剤となって起こしていることであり、やむにやまれぬ状況に置かれたひとたちの死を覚悟した行動が起こしていることだ。インターネットは彼らにとって強力な武器であり、その貢献は非常に大きなものだけど、でも、主役は一人ひとりの人間たちだと思っている。
 永田町の政治家たちは、北アフリカや中近東で起こっていることは知っているけども、自分たちの足下で起こるなんて、絶対に思っていない。でも、名古屋で起こっていることはなんだ?!保守性で知られる愛知県民、名古屋市民が河村さんたちを強力に支持している。愛知県民や名古屋市民は多くの日本国民の感情を代弁していないだろうか?!

 社会を変えていくのは、名もなき人間たちだ。Power to the people!

Revenge of success: the longevity creates problems.

These days, in almost all the meetings I attend, the subject is this: why Japan is in such a mess with no political leadership and how we can change the situation. Tonight, I was at a dinner speech by Koichi Hori (former president of BCG Japan, and HBS graduate) and Professor Emeritus M. Yoshino at HBS (Harvard Business School). Once again the subject was "what's wrong with us"!

Frankly speaking, I am getting tired of this subject.

Tonight I concluded as following. This is the revenge of the success achieved in the post-war period Japan. What's the success? Very specifically, the longevity of the Japanese. The average life expectancy of Japanese is about 80. It is now clear to all of us that it does not mean that the longer we live the happier we become, at least not socially and politically. The longevity has created many problems, or should I say "challenges" to be politically correct. The social welfare is the biggest expense item in the government budget. The government is trying to create all kinds of arguments to increase the sales tax to support the current pension system. This system is so favorable for the elderly people. They get much more than they have paid. Our generation? We are supposed to be close to even, but I do not trust that it will be the case. I pay the pension premium not for myself but for my parents. That's how I persuade myself on this subject.

The generation battle is won by the old. More votes by the old than by the young.

The revenge of success will not be over until the top heavy population pyramid will go back to the "normal" pyramid structure. How long will it take? 30 years? 50 years? Only if Japan can continue as is. Maybe the system will break down much earlier than that.

I wish to see how our country will be in future.

羽田からアメリカに飛ぶのは1976年以来。

 初めてアメリカに行った1976年にはまだ成田空港ができていなかった。飛行機が成田から飛び始めたのは1979年だったと記憶している。昨年、JALを辞めたいとこが勤務を始めたのも1979年だったはず。
 羽田からアメリカに飛ぶのは1976年以来。だからと言って深い感慨でもあるわけではないのだけど。乗る側としては日曜日の真夜中、飛行機に乗るのもしんどい話。もちろん、サービスする側の人たちはもっとしんどいのかもしれないけど。夜中に飛行機に乗る回数が増えてくると、別段大仰なことでもなくなるのかもしれないけど、家族(うちの場合には犬たちを含むのだけど)に「おやすみ」と言って、ひとり空港に向かうのもさびしい話。カイさん(♀の甲斐犬。今月20日が12回目の誕生日)は僕が荷造りをしていると「普段とちょっと違う行動をしている」と警戒モードになる。彼女の第六感の良さにはいつも感心する。
 
 ところで日本相撲協会が春場所をキャンセルすることを発表した。解体して出直しだという声が多くの人たちから聞こえてくるけど、相撲の八百長なんてもう10年も20年も前から噂があった。お互い、持ちつ持たれつの要素があるだろうから、一部でそんなことがあってもまったく驚かない。十両以下の待遇は本当にひどいみたいで、関取(十両以上)になると急に良くなる。J1からJ2に落ちないように必死になるのと同じように、十両から落ちないように、お互い8勝7敗でぎりぎり現状維持で丸く収めようということになるのだろう。でもそんな「談合」って、相撲の世界だけの話しなんだろうか?

 別の意味でも関取たちはたいへんだ。一場所15日間、年間6場所で合計90日、ガチンコでやっていて体はぼろぼろにならないのだろうか?彼らはけがをして万が一引退なんて話しになったら、どんな待遇が待っているのだろうか?

 これだけ世の中の多くの声が彼らに「完璧さ」というか「潔癖さ」を求めていると、あなたたちはどうなの?って聞いてみたくなる。

 チュニジアやエジプトの「革命」はツイッターやフェイスブックなどのネットを使ったコミュニケーションが大きな役割を果たしているということだけど、今回の相撲界の八百長もケータイのメッセージが証拠になっている。ITのおかげでいろいろなことを隠したり、抑えつけたりすることはできなくなっている。相撲界もIT化の大きな流れの中で変化していかざるを得ないということか。

 ラウンジではもう真夜中近くだというのに一生懸命食事をしている人たちがいる。それでも太らない人たちは羨ましい。これからの数日、アメリカで食べないわけにはいかないけど、食べ過ぎないように気をつけようっと。

月額200円の躊躇

 他人の気持ちが、あまりにも透けて見えてしまうことも、時には困ったことだなあと思う。会社の経営者だったら、「今日もいやいや会社に出てきました。早く一日終わらないかな。」なんてぼやいている社員の気持ちが透けて見えると堪らない気持ちになるだろう。夫婦の場合だったら、「この人と何十年も我慢してきた。別の人と結婚した方がよかったのかもしれない。」そんな相手の気持ちは気づかない方が幸せかもしれない。
 ところが日本の総理大臣の気持ちの弱さが、われわれ国民によく見えてしまう。困ったことだなあと思う。こんなことじゃ、外国からなめられるのも当然だ。
 最近で言うと、菅
総理のぐらぐら揺れる気持ちがあまりにも透けて見えてしまう。月200円の公的年金の減額(法律では物価が一定水準を下回れば減額されることが決まっている)でさえも、高齢者の選挙での反発を恐れてなかなか決められなかった。毎年一兆円ずつ増え続ける社会保障費を背景に、菅さんは今月の10日、社会保障と税制の改革は「一刻の猶予も許されない」と言ったばかりなのに。
 月額200円の減額(基礎年金の満額受給者の場合)でさえもこんなに躊躇する人に、一体、どんな改革ができるというのだろうか。
 政治家の方々は、選挙に落ちてしまうと「ただの人」。なかには借金を抱えてしまっている人もいるから、「ただの人」ではなく、「マイナスの人」になってしまう。日本の政治家をやっても、それほどお金が貯まるわけではなさそうだから、経済的に余裕のある人でないと、たいへんだろうなと思う。どうやって次の選挙に勝つか、それが多くの政治家の頭の中にあることだ。ある政治家の方から聞いたことによると、国会議員が考えること、やることの8割が次の選挙のことじゃないだろうか、って。
 僕は基本的にノンポリなので、特定の政党を応援しているわけでもない。政治も、国というひとつの組織の経営という面から考えることが多い。経営対象となる組織はできるだけ小さい方がいいと思っている(政府は小さければ小さいほどいい!)。あれもこれもと高望みしないで、シンプルに、できるだけそれぞれのメンバーに自分で体を動かしてもらった方がいい。既得権は作らない。毎年ゼロベースで考えてみる。
 オーナー企業の経営者の立場と、たとえ日本の総理とは言え、「雇われ総理」みたいな人の立場が違うのはわかる。「雇われ」の立場では、たとえ必要なことが分かっていても、反対が強い改革は難しい。きっと月額200円程度のことで躊躇する政治家には大した改革はできないだろう。
 そして国民についてはこんなことが言えると思っている。月額200円を恨んで改革に反対するようでは、きっと近い将来に、その1000倍、あるいは1万倍くらいのしっぺ返しを食らうことだろう、と。
 

ショッキングなこと。

 最近、ちょっとショッキングなことがあった。2年くらい行っていなかった都内のレストランとカフェが、どちらも通常営業を止めていたこと。レストランは前日まで予約をしないと食事ができず、予約がないと閉店状況。店員の数も大幅に減らし、結婚式の2次会やパーティなどに会場を貸すことを中心にしているとか。カフェは僕が大好きな映画(「バベル」!)でも使われたところなんだけど、ここもイベントやパーティなどへの貸出しの場所に変わってしまっていた。どちらも人件費や在庫などの固定費を抱えてやっていけなくなったということだろう。

 街を歩くと、「すべての商品270円」「飲み放題500円」なんて居酒屋の看板や、やたら駐車場が目立ったりする。クルマに乗る若い人は少なくなっているというのに。

 これがデフレということかと、恐ろしい気持ちになった。
 
 今朝の朝日新聞に、天野祐吉さんがケータイゲームのCMがやたら多いと書いていた。「ぼくもゲームは好きだ。ゲーム歴も長いし腕も立つ。だからケータイゲームにも、よくできたものがあることは知っている。が、CMがこんなに多いのは、やはり異常だと思う」と。

 ケータイゲーム、パチンコ・パチスロ、そして低料金の居酒屋しかはやらないなんて、異常だ。まだ経済がまわっているように見える東京でさえもそうなっているとしたら、恐ろしい状況だ。いや、もしかしたら、お金を持っている中高年やシニアには関係ない話なのかもしれない。だって、丸の内や銀座を歩いていると、日本は本当に不況なのかと聞きたくなるから。

 天野さんのコラムはこんな言葉で終わっていた。「もちろんケータイゲームにも、ゲーム仲間の連帯感を生む効用はあるだろう。が、ケータイそのものが持っている人間的な可能性を、もっと面白く感じさせてくれるようなゲームやCMはできないのか。ケータイが泣いているよ」

 カネがないと言っている若い人たちに話を聞いてみても、ケータイにはそれなりのカネを毎月払っている。ケータイないと友達を確保できないし、就活もできないということなのかもしれないけど。「なにが生きていく上で大切なのか、もう一回出発点に帰って考えようよ?!」なんて言ってると親父のお説教になってしまうかもしれないけど、日本で一人であったとしてもそれは言い続けたい気持ち。

 レストランの話から始まってケータイの話になってしまったけど、いまの日本って、かなりショッキングな状況にあるかも。それに鈍感になっているとしたら、それもまたショッキング。