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「真実という鏡」

今日の朝日新聞「ニュースの本棚」のコーナーに、言語学者の田中克彦先生が文章をお書きになっていた。大学時代の好きだった先生の一人。「大学と人文学の伝統」というテーマの文章。人類学の鳥居龍蔵(1870ー1953)と東洋史学の前嶋信次(1903−83)の紹介をされたあと、J.S.ミルが講演(「大学教育について」)でおこなった以下のような趣旨の警告を紹介されている。

「自分自身と自分の家族が裕福になることあるいは出世すること」を「人生最高の目的」とする人たちに大学が占領されないよう、絶えざる警戒が必要である。

そして田中先生は、以下のようなメッセージで文章を終えられている。

「今の日本の政治を担う人たちは、かつて大学生であったとしても、大学が学生に与えるべき最も大切な経験ー真実という鏡の前で自らの精神のくもりに気づくという知的・心的経験を一度として味わわなかったのであろう。だからこそ、もうからない人文学を大学から追放しようという、先人の築いた日本の伝統を破壊へと導きかねない発想が表れるのであろう。」

時として「真実という鏡」の前に立つことを必要とするのは大学生だけじゃない。

エルンスト・エンゲル

久しぶりの札幌。そして7、8年ぶりの帯広。
昨日、7時半の羽田発で札幌へ。今朝、8時1分発のJR北海道で札幌から帯広へ移動、16時帯広発の便で羽田へ。
札幌、帯広ではともに取引先の方々と食事会を行い、札幌ではお客さんである北海学園大学の先生を訪問。
北海学園大学で偶然手にした経済学部の論文集(北海学園大学経済論集大63巻第1号、2015年6月)が面白かった。その中に含まれる『エルンスト・エンゲル,もしくは「脂ぎった下僕」にならない生き方について』太田 和宏著。この論文で、エンゲル係数でのみ馴染んでいたエンゲルが、ビスマルク時代のプロイセン王国の統計局長官で、官庁統計を整備し、統計教育に努めたことを初めて知った。

エンゲルに関する、以下のような著者の評価にとても関心を持った。

「エンゲルが死んだ数字を扱う技術者なのではなく、統計家、教育者、啓蒙主義者などこれまでみてきた諸側面を一人の人格においてみごとに融合した人であり、ヒューマニズムを根底にすえつつ、時の問題に果敢に立ち向かう人だということである」。

エンゲル係数を生んだ人はそういう人だったのかと、この人物へ強い関心を持つことになった。
著者は、この論文以外でもエンゲルのことをお書きになられているようなので、そちらも読んでみたい。

「社会人」って、なに人?

卒業する学生に向かってしばしば発せられる「これからは君も社会人だね」という表現。「お前も、これからは社会人の自覚を持て」なんて言い方もある。社会人って、いったい、なに人なの? a man (or woman) of society?

そもそもすべての人間って、社会的存在のはずなんだけど。一番小さな「社会」である家族から始まって、ほとんどの人間は、学校(すくなくとも義務教育の中学校までは)という「社会」で存在を持つわけだし。

一方学校という空間は、小学校から大学まで、社会に対して閉ざされている印象がある。学内には外部の人間は許可なく立ち入れない。学問的にも、社会の課題を解決していこうという姿勢をもって学問を行っている先生たちは、分野を問わず、少数派だ。(日本人ノーベル化学賞受賞者が、学者たちは、象牙の塔に安住するのではなく、もっと現実社会の課題解決に取組むべきだという趣旨のエッセイを書いていた)

学校は社会から隔離された存在である限り、学生たちはまだ「社会人」ではなく、学校外にでて初めて「社会人」という存在で呼ばれるのも、理屈に合っているのかもしれない。

「イチゴ離れ」と「地育地就」

去年の2月、イチゴ離れという言葉を初めて知ったということを書きました。(「野イチゴの季節(7月初め)、子グマが夢中で野イチゴを食べているうちに親グマがそっと姿を消す。子グマがふとわれに返って周りを見回しても、そこには親グマの姿はない。いつか必ず来る親離れ、子離れ。そんな熊の親子の別れを東北の人たちは、イチゴ離れと呼ぶそうです。親子の切ない別れを、なんて素敵な言葉で表現しているのかと思いました。(「ゆずりはの詩」田中陽子著)」→2010年2月24日の黒犬通信

最近、ある県の専門学校が出している広告の中で、「地育地就」という言葉を知りました。「地元で教育を受け、地元で就職する」というような意味でしょうか。

少子化の時代、子供を手元に置いておきたい、いつまでも子供と友達みたいな関係でいたい、ずっと同じ家でいっしょにいたい。そんな親が増えていると聞きます。また地元で就職したいという大学生が増えているとも聞くのですが、それって、本音なのでしょうか?田舎から脱出したかった自分にはちょっと理解できないのですが。

イチゴ離れを経験していくクマの親子たちが、とてもせつなく、またいとおしく思えてきます。

そうじとオーガナイザー

 日本の学校ではそうじが非常に大切な教育活動のひとつと考えられているのに対して、アメリカでは生徒がそうじをすることはそれほど大切だと思われていないような印象があるのだけど、どうなんだろうか?僕が1976年から一年通ったアイオワ州の高校(田舎町の普通の公立高校)では生徒はまったく掃除なんてしなかった。ジャニターと呼ばれる掃除担当の人たちがいた。それに対して、愛媛県の公立高校ではさんざん掃除をやった記憶がある。

 ある知り合いのメルマガのおススメで『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』(ダイヤモンド社刊)という本を読んだ。そうじを無心におこなっていると、予想もしなかったような結果になることがあるというお話。

 確かにそうじは大切だと思う。心の乱れを防ぐためにも、整理整頓、日頃のそうじは大切だと思う。遅刻の多い職場や整理整頓ができていない汚い職場は、だめな職場だと想像できる。

 日本は教育現場や職場で非常にそうじを重視する傾向があると思う。ある意味、修行というか、人間修養の意味さえもそうじに持たせている。お寺などでの修行から派生しているのだろうか。それに対してアメリカでは、そうじと人間修養を関連させる見方はあるのだろうか?アイオワではホストファミリーといっしょに教会に通ったけど、そうじをやった記憶はない。

 今、仏教はアメリカで急速に広まっていると聞く。100年後には、アメリカ人が仏教に則った学校を作り、そこではそうじをすることが大切な科目とされるかも。そんなことになったら面白いと思う。

 アメリカで感心するのは、広義での「オーガナイザー」の存在の大きさ。スケジュール管理、名刺管理、行動管理、顧客管理に関して、ものすごく関心を持っていて、合理的、効率的な管理方法を、これでもかというくらい、多くの人たちが提唱、提案しているなと思う。パソコンのソフトでもさまざまなものがでている。

 この10年くらい、日本でもいろいろな人が手帳を公開したり、提案したりしている。僕の思い過ごしかもしれないけど、日本社会の中でそうじをうるさく言う人が減って、なんとなく「オーガナイザー」が頭をもたげているような気もする。

 僕としては、そうじもオーガナイザーも両方きちんとやりたいと思っているけど、自慢できるほどできていない。

教科書は難しくあるべき?!Learning difficulties

The Economist誌におもしろい記事があった。それは読んで簡単にわからない文章こそ、記憶に残りやすいという話。「教育のパラドックスは、情報を学びやすいように提供することによって逆の結果になることだ。多くの研究によると、人は一生懸命考えさせられることによって、しっかりと覚えるようになる」。

日本の教育はまさにこれと逆の方向に行っているかもしれない。多くの大学は「サービス業」と自己定義し、お客さんである「学生さん」たちに、どうやって「ご理解」いただくかに、心を砕いているからだ。

かつて小林秀雄が、「自分の文章は難しく書かれている。読者は行ったり来たりしながら同じ文章を読まないといけない。だから読者は一冊の本をくり返し読むことになり、得をするのだ」というようなことを書いていたことを記憶している。

Read an interesting article in the Economist magazine. The article says: "A pradadox of education is that presenting information in a way that looks easy to learn often has the opposite effect.  Numerous studies have demonstrated that when people are forcexd to think hard about what they are shown they remember it better." 

The article reminded me of what a well-known japanese author said about his writings. Hideo Kobayashi wrote (somewhere I do not remember, because I read it maybe 30 years ago!) that his readers get more "benefits" from his books because his sentences are hard to understand and the readers end up reading the same sentences repeatedly.

Learning difficulties

立場を代えてみる訓練。

 アメリカの高校で学んだ事の一つに、立場を代えてみる訓練の有効性があります。アメリカのアイオワ州にある、本当に片田舎の高校ですが、社会科の授業で「国連ごっこ」をやったことがあり、非常にいい経験だったと思います。あなたはアメリカ、あなたはソ連、あなたは中国、あなたは日本というように、それぞれの国の立場に立って、あるテーマについて、自分たちが正しいと思う事を主張して議論するということをやってみましょう、というような授業でした。
 
 日本の学校に通ったときには、大学においてさえも、このような「訓練」「体験」はなかったように記憶しています。
 
 なんでこんなことを書くかというと、たとえば今、中国と係争になっている尖閣諸島のことひとつとっても、われわれ日本人の間で、日本の立場と中国の立場にたつ二つのチームを作り、自分の立場を主張するための調査をし、一旦主張をまとめ、そして二つのチームが議論し合ってみる、ということがいい訓練になると思うからです。自分を客観的に見つめ、また相手がどういう背景、理由から主張しているのかを理解する(必ずしも受け入れる、同意するとは異なる)ということは問題解決の第一歩になります。
 その際、目的はなにか、なには避けたいのか、そういうこともチーム間で議論することが、一定のルールの中で、建設的に議論を進めていくという意味で重要かと思います。対立し合う二つのチームが、たとえ目的では一致できなかったとしても、共通して避けたいこと(例:核戦争)があるのであれば、それは建設的な結果への一里塚となるはずです。

 思えば、日本の教育においては、このような訓練が非常に不足しているのではないでしょうか。「相手の立場に立って考えなさい」という道徳的なメッセージはよく聞きますが、ディベートとしての訓練はまったく足りていないでしょう。

 今回の中国との問題に関して言えば、マスコミ各社の報道姿勢や意見には、それほど大差がないようにも見えました。それはもしかして、(日露戦争の戦勝の成果への不満から起こった)日比谷焼き討ち事件につながるマスコミの感情的報道、太平洋戦争につながる新聞各紙の御用新聞化など、意見の多様性に乏しい日本を表しています。
 だからこそ、立場を代えてみる訓練は、個々人(個別の国家)の利益というだけでなく、個々人がその上に立っている全体の利益を守るという意味からも、非常に重要な事だと思います。

PCの枠から人間を解放する。

「デジタル時代の教育を考える」(9月4日)に出席した方が、国立情報学研究所の新井紀子さんの発言として、以下のようなことを記されていた。

 「PCを作ったのは人間なのに、PCで学ぶことで人間がPCの枠を超えられなくなるのは問題。PCの枠の中で子どもを学ばせないことが重要」「PCでできないことが何なのかを認識させることも重要」

(「出版月報・2010年9月号」のコラムより)

 まったく同感。教育ということに限らず、人間の活動という意味では、PCにケータイも付け加えたほうがいい。PCやケータイを作ったのは人間なのに、PCやケータイの枠の中だけで生きようとするのは大間違い。もっとも問題だと思うのは、子どもたちをケータイ中毒にして、気がつかないうちに毎月1万も2万も払わせている大人たち。彼らの罪が一番大きい。

桑田真澄の「野球を好きになる七つの道」(朝日新聞から)

半年ほど前だったでしょうか、とある昼食会で桑田さんのお話を拝聴する機会があり、その際、「試練」と書かれた色紙をいただきました。非常に真摯な内容のお話で感心しました。
昨日の朝日新聞朝刊のオピニオンページに、「球児たちへ_野球を好きになる七つの道」というたいへんすばらしい内容のインタビュー記事がありました。桑田さんの合理的な考えと科学的なアプローチに基づいた非常に共感できる提案でした。以下、簡単に七つの道をリストアップしておきます。

1練習時間を減らそう
2ダッシュは全力10本(体力と集中力には限界がある)
3どんどんミスしよう(ミスした選手を怒鳴りつける指導者はだめだ)
4勝利ばかり追わない 
5勉強や遊びを大切に(練習時間を短縮して、勉強や遊びにあてる)
6米国を手本にしない(野球に関しては、アメリカの野球は拝金主義がはびこっている)
7その大声、無駄では?(ヤジは日本野球の欠点)

最後にこのようにご自身の希望を話されています。「ぼくは新しい野球道の根幹にスポーツマンシップを置きたい。野球を通じて人間性を磨き、技術だけでなく精神的にも自分自身を成長させていく。そういった考え方を持ちながら、みなさんには野球を長く続けて欲しいと思っています。」

繰り返しになりますが、桑田さんの合理的精神と科学的なアプローチに、僕は非常に共感を持っています。

『2020年_10年後の世界新秩序を予測する』(ロバート・シャピロ著)

第5章「ヨーロッパと日本はこのまま衰退するのか」ページ301から。

「ITから得られる利益は、企業や国がどれだけそこに資金を投入するかによって決まるのではなく、いかにITを活用するかにかかっているということだ。」

「さまざまな補助金や保護政策が市場からの圧力を鈍化させ、競争と変革を阻んでいる。これと対照的に、米国では、市場の圧力が企業にビジネス手法の革新を迫り、ITへの投資からも最大限の効果を引き出すよう迫っているのだ。」

「いかにITを活用するか」。この点で貢献していかないと、お取引いただいているIT教育、ITトレーニングで生業をたてている皆さん同様、われわれも存在することはできないと思っています。

また、高齢化、少子化が進み、変化への姿勢が守りばかりになり、また子どもたちに厳しさを教えることを避けていては、「課題先進国」日本の将来は赤信号かなとも思います。

大学に期待するもの

日経新聞朝刊に、東京経済大学が半7段の広告を出している。広告には以下のようなメッセージがあった。

「この春、東経大に入学した新入生に、アンケート調査を実施しました(n=747)。教育品質に関わる項目が、1位から4位までを占めました。」とあって、なにを聞いたかと言うと、「東京経済大学を受験する際、『魅力を感じたもの』のランキング。

1位 資格取得への支援(88.1%)

2位 就職への支援(84.8%)

3位 就職率(77.3%)

4位 教育の内容(74.3%)

僕らのように資格試験を生業としている会社にとっては、どちらかというと、ありがたいお話。でも、このアンケート結果をどのように考えるのか、きっと意見が分かれるのではないか?

少子化の影響で学校経営はもう後戻りのない変化を迎えている。(後戻りのないというのは、具体的には、勝者と敗者が明確に分かれ、倒産あるいは統合されていくということ)。少子化の影響を一番早く、もっとも強烈に受けているのが学校だと思う。

「自ら決められない」ってどういうこと?

 3月20日の日経新聞「経済教室」を読んでいたら、東大前総長で、現在三菱総研理事長の小宮山先生が、以下のようなことを書かれていた。「日本の強いものづくりの弱点は、何をつくるか、ものづくりの対象を自ら決められないことだ。」
 自分で決められないという話は新しい発見でも、指摘でもなく、いろいろの人が同様のことを言っている。これって、日本人、日本社会の最大の弱点じゃない?
 個人(企業)も、自分の生き方はこうだ、やりたいこと(商品)はこれだということを決められない、誰かに決めてもらいたいということか?その意思や意志を持っていたとしても、必ずそうできるというわけではないけども、どれだけ必死にもがいているのか? 優等生は先生の言う通り動いてくれるような子だという話をよく聞くけど、ずっと優等生であればあるほど、自ら決められないのかな?

『20歳のときに知っておきたかったこと_スタンフォード大学集中講義』

もう僕が年を取りすぎたのか、それともこの本が楽観主義のアメリカのエリート大学に通っている、恵まれた学生たち相手の講義をもとに出来上がった本でなんとなく深みを感じられなかったからなのか、期待したほどこの本には引かれませんでした。自画自賛になるかもしれませんが、僕の最初の出版プロジェクトになった、『グラデュエーションデイ』の方が、ずっといい本だと思います。→『グラデュエーションデイ』
今振り返ってみても、20歳のときに知っておきたかったことは、その時点においても、かなりのことを「知っていた」ように思います。問題は、それらのことが肚に落ちていたのか、行動を起こしたのか?答えはノーということが多いかもしれません。裏を返すと、実のところは「知っていなかった」ということなのかもしれません。あるいは自分は十分勇気を持っていなかった、ということか。
もう20歳の頃のことなんて言っていられません。50歳にもなれば、人生の終わり方を考えて行かないといけない年齢ですから。

Drop testing edutech

このブログを読むと、北米の学校でもPCを教育に使っていくことにはまだまだ課題が多いということがわかります。教員のPCリテラシーをあげていくことがハードルのひとつでしょうか。

Drop testing edutech

慶応ビジネススクール訪問

慶応ビジネススクールで須賀さんが行っている授業の最終日。チームに分かれてビジネスプランの発表会。僕は審査員の一人として6つのチームの発表をお聞きしました。慶応の日吉キャンパスにはいったのは、1979年2月法学部の入試を受けたとき以来初めてなのでは?日吉の駅に降りたのも30年ぶりではないかと思います。
写真は発表会終了後、須賀さんを囲んで学生の皆さんと。
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試験でのカンニング

昨日、小社に2週間の予定で研修(インターンシップ)できている男子2名、女子1名の大学生たちに、社内の会議室でサンドウィッチをごちそうしながら、昨今の大学生のことを勉強させてもらった。そしたら、ある男の子がいっている某大学では、学内の試験のカンニング対策として監視役の職員さんが数名、試験中の教室を回っている、と聞いた。

 その男の子には一橋大学に通っている高校時代の友人がいて、「一橋ではカンニングなんてしないぞ。先生が教壇にひとり座って試験が終わるのを待っているだけだ。」と言っていた、とか。その男の子は、クロイヌが一橋大学を卒業したことを知っているのでその話を持ち出してくれたみたいで、サービス精神が旺盛な子なのかもしれない。

 クロイヌが在学中、カンニングがなかったかどうか記憶は定かではないけど(クロイヌの卒論は目も当てられないようなものだけどカンニングはしなかった)、すくなくとも一橋大学の学生の悪口を聞かされなかったのは良かった。

 ちなみに、その男の子には、「安定、安定といって公務員になろうなんて思わないこと。税金を使うよりも、税金を稼ぐことで貢献することを考えなよ」と、いうのがクロイヌのアドバイス。どれだけ聞いてくれるかは、わからないけど。大学生の間に、親離れして、肉食男子に変身してくださいよ!

 

親の遊興費や外食費に消えていくのか?

買い物は安いにこしたことはない。多くの人が値段をウェブで調べ、チラシを見比べ、すこしでも安いところに行く。(ガソリン代や時間のコストは案外忘れたりするが)

公共モラルはもともと低かったのかもしれないけど、ごみを捨てても誰も見ていなければいい、町指定のごみ袋にお金を払いたくないので、コンビニや公園のごみ捨てに自宅のごみを捨てるという輩もいる。いろいろなところで「楽しみは自分。費用は税金(あるいは他人)。」という人が増えているような話を聞く。ごみにきちんと対面しているかどうかは、その人の姿勢を示す大切な指標だと僕は思っている。

日経ビジネス(2010.3.3号)の読者コーナーに、子供手当を現金支給すると、「その一部が親の遊興費や外食費に消えるのは目に見えている。」という意見があった。その方は、小学校のPTA役員をしていた時、給食費未納の家庭を訪ねると、玄関に誇らしげにゴルフバッグが置いてあって違和感を感じたと書かれてあった。

本当に困っていらっしゃる方たちも多いことだろうと想像する。だって、日本は世界でも有数の自殺大国になっている。その多くは経済的な理由で追い込まれている方たちだろうから。

でも、一方では「ただ乗り」論の人たちも結構多いような印象がある。一体、日本の状況はどうなっているのか?ほんの一部のひとたちだけが、「楽しみは自分。費用は他人。」を実践しているのだと思いたい。

British Library

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飛行機に乗る日の朝(ロンドン時間で水曜日の朝)、ほんのすこし時間があったのでホテルのすぐ横にあったBritish Library を見学。これだけの施設を作るイギリスはさすが知的水準が高い国だと思いました。

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British Library Business & IP Centre

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British Museum から独立したBritish Libraryの中に、Business & IP Centreという部門があり、起業家向けの情報を提供しています。HPのコーナーをチェックしてみました。どのくらい成功しているのかはわかりませんが、日本の国会図書館が起業家支援のコーナーを持つようなものでしょうか?(国会図書館がそんな活動をしているかどうか、知りません。)
 昨日から実質2日間の滞在スケジュールでロンドンに来ています。こちらで会うビジネスマンが予約を取ってくれたホテルが偶然、British Library の横にあります。マグナカルタ(大憲章)、サミュエル・ジョンソン博士、シェイクスピアはもちろん、ビートルズの手書きの歌詞なども展示されている立派な博物館でもあるようです。
BL Business & IP Centre

英検マンと英検犬

英検のHPに英語でラジオ体操のコーナーがあります。ちょっと奇妙な顔の英検マンと英検犬、英検羽、そしてイングリスがでてきます。ビジネス英語もいいけど、案外日常の行動の表現を知らない人が多いので、英語を勉強するためのこんな工夫もいいなと思います。

英検ラジオ体操

生産性の向上のみ

さっきちょっと「感傷」にひたった文章を書いたので、別のトーンの話を。
John Taylor (スタンフォードの経済学教授)のブログによると(池田信夫さんのブログからのリンクで読みました)、過去50年間、アメリカで3倍になった実質賃金を説明してくれる要因は、生産性の向上であって、法定最低賃金の増加、組合活動、差別を禁止する法律、賃金格差の是正でもないということです。
(→
John Taylor "The Answer is productivity.")

結局、個人の教育レベル、組織の経営力、創造力を育てていく努力からしか、賃金の上昇、雇用の安定はないということでしょう。政府の施策ではなく、ましてや自分たちの既得権を守ることしか考えていないような談合組織やグループでもなく、企業のもつ経営力や個人の努力にしか答えはないということで、根本的には「天は自ら助くる者を助くる」ということかと思っています。
これは日頃社内でも社員の皆さんに話し、自分自身も信じていることです。

初めてのインド

YPO Asia Forumに参加するためにインド・ニューデリーにやってきました。インドは初めてです。成田を12時半にでてこちらの時間で6時過ぎに到着。観光目的ではないので、用事が終わるとすぐに東京に帰ります。(家でクロイヌたちとゴロゴロしているのが一番!)
好き嫌いがはっきり分かれるインド。3日間で、さてどんな印象になるのか、われながら楽しみです。巨大なIT産業を抱えるようになったインドですが、空港からの道路はまったく整備されておらず、写真のような農耕機具みたいな乗り物が走っていました。ここでは車を運転する自信は持てないです。

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「インド式ダイエット」(食あたり、あるいは下痢)でげっそりなることだけは避けたいです。歯磨きのあと口の中をきれいにするのにも、念のため、ミネラルウォーターを使うようにアドバイスされました。

そういえば、M商事に勤めている大学の同級生が、以前、インド北部の発電事業に関連してこの国に何年か駐在していたことを思い出しました。10年以上も前のように記憶していますが、さぞかし大変だったろうなと想像します。
成田を出発した後しばらくして見えてきた富士山がきれいでした。

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そろばん

 小学生の頃、母親の影響でそろばん教室に通っていました。「読み書きそろばん」の代わりに、今の時代は、「読み書きパソコン」だと言われますが、そろばんとパソコンはまったく異なるものなので、「読み書きそろばん+パソコン」と考えておいた方がいいのでは?
 時差のため眠れず、あるメルマガで知ったそろばんメーカーのサイトを見ていました。おもしろい活動をされているなと思いました。
トモエそろばん

教職員向けセミナーのご案内

 小社オデッセイコミュニケーションズでは、10月29日午後2時より、明海大学経済学部長兼キャリアサポートセンター長の下田直樹先生に、ご講演(「大学におけるキャリア教育と資格」)をお願いしています。キャリア教育、情報教育にご関心のある教職員の皆様のご参加をお待ちしています。

申し込みサイト

MOSを取って早稲田に入学

MOS取得が評価されて早稲田大学法学部に入った学生さんのお話を拝見しました。

アビバキッズHP

桐朋高校からハーバードへ

昨晩、Harvard Club of Japan主催のセミナーがあって、日本を訪れている二人の教授の話を聞く機会がありました。ひとりの先生は、脳の発達を研究している先生(Takao Hensch)、もう一人は科学史を研究している先生(Shigehisa Kuriyama)。

脳の研究者によると、言語の習得能力は11歳前後でほとんどが決まってしまうとかで、諸外国の第二外国語教育開始年齢をみると、10歳以下で第二外国語の勉強を始めている国が多いようです。

もう一人のKuriyama先生は、針治療の修行を3年やって自分には合わないということで学校に帰って行ったユニークな経歴の方。ハーバードの学部の授業で、iMovieを使って生徒に発表させているようですが、教師との力関係、生徒たちの学習方法、動機づけに大きな変化が見られるという話で、とてもおもしろい内容でした。

ところで、雑誌などで、日本の高校からハーバードやスタンフォード大学の学部に入学する生徒がでてきているという話を読んだことがありましたが、昨晩はそのような生徒が一人来ていました。今年の9月ハーバードの学部に入学するという日本人学生で、国立の桐朋高校の卒業生だそうです。今年、日本からは一人だけのようですが、健闘を期待しています。

Shigehisa Kuriyama

Books by Shigehisa Kuriyama

Takao Hensch

職業教育特化型「新大学」

 中央教育審議会が、職業教育に絞った「新しい大学」を創設する方針を打ち出したという記事が、朝日新聞朝刊の一面に出ています。これって、実態を追認しようとするものかとも言えます。現実、多くの大学が、中途半端に職業教育に重点を置いた教育に傾いているように見えるからです。現在ある大学の多くは、学力的に見ても、高校の延長、あるいは高校のやり直しと言った方がいい学校が増えているようです。あまり勉強が好きではない学生で、高校のあと、すぐに働きたくない子供たちには、「新しい大学」の方がいいのかもしれないです。
 もしこの「新しい大学」のカテゴリーができると、現在ある専門学校との棲み分けは、どうなるのか?「新しい大学」の中身は?
 
 

教科書が消える日

Financial Timesの記事で、カリフォルニア州知事のシュワルツネッカーが、紙の教科書をなくして、教科書の中身をデジタル化することを言いだしていることを知りました。背景には、カリフォルニア州が財政赤字を抱えていることがあります(約2兆4千億円)。紙の教科書は、年間350億円くらいかかっているそうです。

FT記事

まだ買っただけで読んでいないのですが、『イノベーターのジレンマ』で有名なクレイトン・クリステンセンが、『教育X破壊的イノベーション』という本を出しています。元気回復したら、読もうと思っています。

日本の教育界は、少子化でお客さんがいなくなって学校が潰れてしまうという話ばかり聞こえてきますが、教育界におけるイノベーションはおもしろいテーマだと思います。

「教育費をタダにせよ」と、友人が日経ビジネスオンラインに。

 今朝、仕事で小社に来ていた友人の西野さんが、「日経ビジネスオンラインに、『教育費をタダにせよ』というエッセイを書いたんだよ」、と。

 特に、この文章の終りの方を読んで欲しいと言われました。(こういうこともあって、大分県の話のように、自分の子供にも後を継がせたくなる職業なのでしょうか。) 

→「教育費をタダにせよ」

 

雑誌"Economist "(エコノミスト)のスタイルガイド

雑誌「エコノミスト」のHPで、記者が文章を書くときの「スタイルガイド」(文章の書く際の注意点を集めたもの)が掲載されていることに気づきました。英語の文法など、われわれにも参考になる内容です。
「エコノミスト」のスタイルガイド

浪人のすすめ

 今晩、お取引先の方達と夕食をしながらでた話題です。
少子化の影響で、大学や専門学校だけでなく高校レベルにおいてさえも、完全に供給過剰の状態になっています。つまり子供の数以上の学校があって、どこの学校も「お客さん」が足りないという状況です。その結果、「ここまで基準を下げるのか!?」と、問いたくなるほどの (Almost) Free Admission の状況になっているとお聞きします。
 こんな時代ですから、浪人なんてしなくても必ずどこかの大学に入ることができるようになりました。だからこそ逆に、一年くらい浪人してでも、ちょっと将来が見えない状況に自分自身を置いて、どうやって生きていくのかを考えながら勉強する期間が価値を持つのではないか、というような話になりました。きっと若いうちのそんな経験がその人間を鍛えてくれるだろう、と。
 ボク自身は絶対に浪人なんてしたくなかったのですが、それは高校2年の時、アメリカに行ったせいで一年遅れたからでした。確かに高校卒業前後までの段階では、一年遅れることはそれはそれは大きなことですが、長い目で見た時、それほどたいしたことではないことがわかります。最近の大学生などを見ていて、AO入試や推薦校制度の弊害が非常に大きいと感じます。こんな時代だからこそ、一浪くらいしてでも自分の志望校を目指しましたなんて大学生も悪くないように思います。

地元の大学で一生懸命勉強すればいい。

 日本中、物わかりのいいオトナが増えているようなので、こんなことを書くとご批判を受けそうです。このごろ、経済的事情で東京の大学に行かせてやれない子供がかわいそうだという話を聞きます。でも、そんなこと、20年前も、30年前もありました。大学に行かせてもらえるだけでもまだいいと思うのです。
 運動会で競争をさせず、みんな仲良くゴールインなんてアホなことをやっていると、すべての高校生に、東京にある大学に進む「権利」があるみたいに考えるようになるのでしょうか?地元の大学でしっかり勉強すれば、きっと東京に来るよりも、ずっといい結果になると思います。もし自分の希望がかなわなかったなら、その悔しさをばねに必死に勉強すればいいだけ。
 ボクが尊敬している人たちの多くは、東大卒でもないし、松本清張や安藤忠雄みたいに学歴と言えるようなものさえ持っていない人たちもいます。
 大学で成功が約束されるほど、世の中甘くないよ! 不確実性にあふれていることだけが確かなこの世の中で、入った大学や就職時の試験の順位で一生が決まるなんてことは、幸か不幸か、もう通じないのに、世の中が一見平和だからそう思い込んでいるだけ。現実は、不確定さと偶然性に溢れているというのに。
 ボクは四国から東京の大学に出てきましたが、もう一度、人生やりなおしができるなら今の東京には来ないかもしれません。東京には若い人たちに対する誘惑があまりにも多すぎて怖いくらいです。

ビジネスプラン発表会_国際教養大学(AIU)

 金曜日は午後から秋田の国際教養大学へ。丸の内起業塾をいっしょにやっている須賀さんが、起業について、11回にわたって英語で授業を行っていて、その最後にはビジネスプランの発表会があります。今回で2回目ですが、ボクも審査委員のひとりとして参加。あと、AIUで教えているマイクさんと、ハーバードビジネススクールでドクターコースにいるマイクさんの友人。

 3組の学生チームのプレゼンテーションは、みんな、限られた経験の中から、いろいろとプロジェクトを考えていて感心。ただ、マイクさんの希望は、授業の一環として、ビジネスを考えるだけでなく、実際に誰か、実行にうつす「蛮勇」を持った学生が出てくること。 
 AIUは授業を英語で行っていて、英語で授業をできる日本人教師は日本に少ないようで、須賀さんは来年からは、慶応と京都大学でも授業を持つとか。
 AIUは行くたびによくなっているような気がします。立派な図書館(秋田杉をふんだんに使ったもの)もでき、学校には建物も非常に重要だと実感します。
 土曜日朝一番の飛行機で帰ってきましたが、もっといたかった秋田です。

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日経新聞記事(静岡産業大学の経営戦略)を読んで

 昨晩、大学の先輩方との集まりは、「学校経営を考える会」という集まりでしたが、昨日の日経新聞をめくっていたら、朝刊教育ページには、静岡産業大学学長(大坪檀氏)の大学経営論がでていて、参考になりました。昨晩の会では、東大の大学院(学校経営論)を卒業された方のお話もありましたが、日本の学校経営の研究も、まだ緒についたばかりかなという印象を受けました。

 大学の経営環境は相当厳しくなっているにもかかわらず、そこで教える(働く)先生方の多くは、その現実を認識していないのか、あるいは直視しようとしない方が多いようにお聞きします。研究したいから大学に残ったという方が、多いのかもしれません。でも、これからは学校法人の倒産やM&Aが増えていくでしょうから、先生方もご自分の好きなことを研究するだけでいいという時代は、もう完全に終わっています。

 今年、全国各地を訪問して、これからの学校法人、専門学校、各種スクール(PCスクールを含む)は、非常に厳しいなと感じています。その反面、環境の変化を直視し、教員を含む学校の職員が一丸となって、新しい価値を社会に提供していく組織が、サバイブしていくだろうという予想もしています。それら「勝ち組」、「サバイバル組」には、これまで以上の利益や評価が付いてくるのではないかとも。

東京農大のトートバッグ

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 営業で東京農業大学を訪問。この大学、農学部が中心の学校にも関わらず、世田谷に本部があって、さらに厚木と北海道(オホーツクキャンパス!)にもあります。学校関係者からお話を伺っていても、とてもユニークな学校で、なんとなく、おおらかさを感じました。創立117年、なんといっても、設立者が、榎本武揚だからね。これはすごい!
 ボクの知人にも、この大学の卒業生がいるのですが、某醤油屋さんで、家業を継いで社長をされています。この大学の入学者には、地方の農業、食料関係の会社の子弟も結構いるとお聞きしたことがあります。このようなユニークな学校は、好きです。
 で、お土産に、写真のトートバックをいただきました。愛用させていただきます。(トートバック、大好きです!)

20年がかりでの学校改革ー品川女子学院の漆さんのお話

 とある、こじんまりとした集まりで、品川女子学院の漆紫穂子さん(校長先生)のお話をお聞きしまた。家族経営の6代目として、いつつぶれてもおかしくないような状況にあった学校を、20年近くかけて、都内でも人気の高い、中高一貫校として変身させた成功の裏話でした。(「裏話」とはいえ、いろいろなところでお話になられていると思いますが)。お父様が校長の時、副校長として「家業」に入り、20年近く、途中で校長となって、奮闘されてきたとか。この20年近くの期間を、3つのステージに分けていらっしゃいましたが、この一期目が、きつかったのではないかと思いました。
 参加者の皆さん、誰も質問されないので、学力面での成果について、ちょっと質問されていただきました。特に進学校を目指しているわけではないということでしたが、現実の社会と学校教育を結びつけ、生徒の勉強への動機付けを強化することによって、いわゆる一流校へも進学する生徒が出てきたとか。
 豊かで平和な時代、有名校に進学することを目標に受験勉強だけさせることが、難しくなっています。子供たち(企業風に言えば、お客さんたち)が少なくなり、受験勉強することが豊かさにつながるという前提が、かつてほどの力を持たない今(同じく企業で言えば、過去のサービスの人気が落ちていく)、これまでの常識にそっていては、学校経営を維持すること、さらには発展させていくことは難しいだろうと思います。そのような中、立派なお話だとお聞きした次第です。
 お話のあと、弊社で作っている、マイクロソフトオフィス(MOS、MCAS)のプロモーションDVDを差し上げました。ご一緒にお仕事できると、楽しいかなと思いながら、帰宅しました。
 

京大生も学力低下?!

日経BPのHPから。
「京大工学生はゆとり世代から学力低下」〜さらば工学部(7)
京都大学・大嶌幸一郎工学部長に聞く

学位のインフレーション

 フィナンシャルタイムスを読んでいたら、"Teaching demands a warm heart and a cold eye." (教育には、暖かい心と、冷たい目を)というエッセイがありました。戦後のイギリス教育のレベルが落ちてきていること、教師は学生たちにあまり厳しい成績をつけたくないのであまい評価をしがちであること、しかし、本当に必要なのは、(タイトルにあるように)熱心な教師が教え、しかし、「冷血な」コンピュータが結果をはかり、評価には主観を挟まないようにすることが大切なのではないか、というような趣旨でした。(8月20日付け)

 仕事がら、大学関係者からのお話をよくお聞きしますが、多くの大学が、たいへんな状況になっているなと思います。希望する高校生は、お金さえ払えば、すべて、どこかの大学に入ることができます。多くの私立大学では、大学入試もないような状況です。大学側は、完全な供給過剰になっていますので(つまり、学生数を、定員数が上回っている)、学生たちは「お客様」扱いです。日本の多くの産業にあるのが、この供給過剰という状況で、その結果、過剰サービスが発生したり、働く人たちに過大な負担があったりと、マイナス面が多く見られます。
 本来ならば、入学すべきではない学生たちが、大量に大学生になってしまっています。かなりの数の大学では、「リメディアル教育」という言葉を使って、高校レベル、時には中学レベルの勉強を、行っています。以前、大学の先生方は、「教授」と呼ばれ、ご自分たちの研究と教育を、どのようにバランスをとっていくのかが、お悩みだったような記憶がありますが、多くの大学の「教授」たちにとっては、授業について行けない学生たちの面倒をどうやってみていくのかが、課題になっているようにお聞きします(特に、理科系)。

 供給過剰の状況が続く限り、学歴のインフレは続くことでしょうが、いつかの時点では、需要と供給のバランスがとれること、本当に大学生の名に値する学生(この定義はここではおくとして)を排出する学校が増えることを希望しています。小なりとはいえ、会社を経営し、できるだけ優秀な人材を採用したいと希望している人間からすると、大学の関係者の方々には、少々古い言葉を使えば、「学士」という名称にふさわしい人材を、時には厳しさをもって、育てていただきたいです。これは相当に難しい話だということは、よーく、わかっています、が。

 追伸 教育の問題は、アメリカでも常に言われています。問題を抱えていない国はないように思います。あるいは、どこの国も、改善しないと行けないと思っているのでしょう。

大学生協おすすめの海外文学

  仕事で大学キャンパスを訪問することがあります。生協の売店に立ち寄るのが好き。どんな本がおいてあるのか、その生協オリジナルの商品をチェックしたりするのもおもしろい。で、この前、京都の京都橘大学に訪問した際に生協で見つけたチラシで、「大学生のための100人100冊ー海外文学編」(製作:大学生協文系委員会/東京事業連合)というのがあったので、もらってきました。必読の23人と、おすすめの77人にわかれていて、必読作品は以下のようになっています。
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1 ダンテ(神曲)
2 ボッカッチョ(デカメロン)
3 ラブレー(ガルガンチュア)
4 セルバンテス(ドンキホーテ)
5 シェークスピア(マクベス)
6 ゲーテ(ファウスト)
7 バルザック(ゴリオ爺さん)
8 ポー(黒猫)
9 ドストエフスキー(カラマーゾフ)
10 トルストイ(アンナカレーニナ)
11 ランボー(ランボウ詩集)
12 プルースト(失われた時を求めて)
13 トーマスマン(魔の山)
14 ジョイス(ユリシーズ)
15 カフカ(城)
16 フィッツジェラルド(グレートギャッツビー)
17 フォークナー(八月の光)
18 ヘミングウェー(老人と海)
19 ナボコフ(ロリータ)
20 ボルヘス(伝奇集)
21 サンテグジュペリ(星の王子さま)
22 カミュ(ペスト)
23 サリンジャー(ナインストーリーズ)

 僕が大学生だった頃にも、こんなリストが出回っていたように思うし(特に、岩波文庫を中心として)、これらの本は20年、30年前にも、必読リストにあがっていたと思います。でもこれらの本を読んだ方がいいのは、大学生でなく、われわれ大人たちじゃないかな?今でこそ言えるけど、僕なんて凡人だから、学生の頃はこれらの本の中身の10分の1くらいしか、理解できなかったと思う。恋愛や人間関係、食っていくことのたいへんさを経験して、ようやく、古典の良さがわかり始めてきたと思う。
 今時の大学生の話を聞いていると、これからの日本ってヤバいなと思うのですが、彼らは実は親の世代の鏡でしょう。高齢化社会になって、古典の時代以上に生きられる時間が長くなっているわけですが、学生たちに読めという前に、まず、大人であるわれわれが古典をしっかり読んだ方がいいのでは?と思っています。
 

モーニングコールをする教師

 少子化で、日本の人口が減ることは問題だと思っていないのですが、その副産物として、教育現場でこんなことが実際に進行していると聞いて、驚いています。

 どういうことかというと、一部の専門学校や大学で、先生が生徒に「モーニングコール」をしているというのです。遅刻しないように、欠席しないように、先生がここまで面倒を見ているという話です。一体、どうなっているのかと思います。それくらい生徒を「お客さん扱い」しないといけないほど、生徒集めが厳しくなっているという話です。少子化に加え、豊かな時代、ハングリーさがなくなった社会における学校経営の厳しさでしょうか。

 一人や二人から聞いた話ではありません。(現場の先生からも何度かお聞きしましたし、今日昼食をしたリクルート出身の某人材コンサルティング会社社長からもお聞きしました。)

 うちの会社も新卒の募集や第二新卒の採用はしますが、数合わせのために、無理に採用することはありません。でも、大手企業などで、どうしても頭数をそろえないといけない人事部の方たちは、先生から「モーニングコール」をしてもらっていたような学生たちも、採用しないといけないのでしょうか。

すごい時代になったものだと思います。

バウハウス・デッサウ展

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東京芸大の美術館で展示されているバウハウス展を見てきました。上野は久しぶり。20世紀、バウハウスのような総合造形学校が存在したこと自体、ひとつの奇跡のように思えます。

寺脇研著『官僚批判』(講談社刊)

 生涯教育とゆとり教育で有名だった元文部省官僚が、役人時代を振り返った本。以前、ご紹介した高橋洋一さんの『さらば財務省』もそうですが、キャリア官僚として、組織の中でかなりのポジションにまでのぼりつつも、ユニークなキャラクターが故に、組織からはじかれていった元官僚が、部分的とは言え、今の官僚制度を批判する本を書き始めたことを、僕は歓迎しています。
 寺脇さんがマスコミによく出ていたとき、このかたは「ゆとり教育」を積極的に広報されていたように記憶しています。ゆとり教育は、このごろではさんざん批判されています。でも、学力低下も含めた子供を巡るさまざまな問題に関しては、学校教育に頼り切っている親、子供を金儲けとセックスの対象にしてしまっている一部のビジネスと大人たちの自制心のなさが、もっと大きな根本問題としてあるのではないかと思っています。(ケータイ業者は、フィルタリングの問題に関して、イノベーションを阻害するだとか、言論の自由だとか、表現の自由なんて、言っていますが、僕はふざけた戯言だと思います。どうやって株価に影響を与えないようにしようかという下心が、衣の下から、透けてみえます。)

 寺脇さんも、役人時代には言えなかったことを、退官されてからは発言できるようになったのでしょう、次のような文章を書かれています。
「安倍前首相は、『私の内閣』という言葉をしばしば口にしていた。私は、あの言葉を耳にするたび、憤りを禁じ得なかった。総理大臣といえども公務員である以上は国民全体の奉仕者であり、その立場にある人が『私の内閣』などと言っていいはずがない。」
 他省庁との仕事を通じて感じた省によるカルチャーの違い、福岡県、広島県への出向の経験談、率直に語られるご自身の欠点など、おもしろく読ませていただきました。役人時代には、抑えないといけなかった、お持ちの多才さを、自由奔放に、存分に発揮されますように。

アオテンストアby amazon

「ゆとり教育」が問題の原因ではない、と思う

 「ゆとり教育」の弊害が言われてきました。でも、ゆとり教育になったから、子供たちの「劣化」が起こるような仕組み、そのものが問題なのでは? つまり、学校での授業時間が何割か減少しただけで、教育が崩壊するようなシステムになっていること、親ごさんたちが、学校に頼り切っていること、そこに問題があると思うのです。学校教育に少々の変化があったとしても、自分の子供の教育には、大きな影響にならないようにしておくこと。学校に全幅の信頼と期待を置くこと自体が、そもそも間違っているのかもしれないということです。

 戦争中、敵国の言葉だから英語は教えないという、本当に愚かで、狭い心持の権力者たちの政策に、国民の多くが影響を受けました。それを見てもわかるとおり、政府の教育政策が、いつも正しいとは到底思えません。政府の政策には、大きな間違いがありうるという想定のもと、自分たちを守っていかないといけないというのが僕の考えです。(教育以外でも、年金問題一つ見ても、あきらかでしょう!)

 戦争中、静かに英語を勉強していた人たちは多数いたのではないかと想像します。その人たちは、自分の信念や希望を信じて、英語を身につけようとしていたはずです。(そして、それは愛国心があるないとは、別のことです)

 今朝の産経新聞朝刊に、曽野綾子さんが書かれているように、「自分で自分を教育しないで誰がしてくれるというのか」。職場でもそう。自分が自分を育てなかったら、一体、誰がやってくれるというのか?!

IT人材育成に関する意見

大学の大先輩で、IT教育に関してのご意見をお持ちの、有賀貞一さんの文章です。高校レベルにおける情報教育に関しても、言及されています。
IT業界の進路

一橋大学×Google

グーグルが、僕の出身大学に Google Apps Education Edition を提供するそうです。→記事

地下資源文明と地上資源文明

日経新聞の「やさしい経済学-21世紀と文明」で池内了先生(総合研究大学院大学)が書かれている『未来世代への責任』がおもしろい。有限の地下資源に頼る文明から、太陽がもたらす地上資源に依存する文明に転換することが、人類が生き延びる鍵となるという考え方。

それを実現していくためにも、教育が重要になる。特に、「科学の考え方や方法を系統的に学び、それが実生活に生きていることを知る教育」。

「タックス・リテラシー」を子どものときから

昨日、金融リテラシーのこととならんで、「タックス・リテラシー」のことをちょっと書いたら、今朝の朝日新聞朝刊の読書コーナーで、元・税調会長、一橋大学の学長もなさった石弘光先生の本(「税制改革の渦中にあって」、「現代税制改革史」)が紹介されています。

 増税は「国民が決めるべき問題」であり、その眼力を子どもの頃から養う租税教育の重要性を、石先生は再三強調されているとか。まさに、「タックス・リテラシー」のこと。

 

理論を知ろうとする努力

 僕自身はどちらかと言うと、感覚的、直感的な傾向の強い人間ですが、そのような僕でさえも、今の日本でしばしば見られる、手間隙のかかる議論や勉強を避け、見てすぐ分かることのみを求める傾向が心配になります。

 われわれが日本で運営している試験で言うと、アプリケーションソフト(たとえば、エクセル)の使い方に関わる試験と、ちょっと理論的な知識を試す試験のふたつに大きく分かれます。ソフトの操作スキルを身につけることは、もちろん、大切なのですが、理論を知ろうとする努力が、一般ユーザーレベルはもちろんのこと、パソコンスクールなどで教えているインストラクターレベルでも、弱いことが気になります。パソコンはいくら使いやすくなったといっても、ある程度仕組みを知っておかないといけない機械ですし、また知る努力をすれば、一般ユーザーでもある程度はわかるもの。PCの組み立てを趣味で行なっている人たちも結構います。(アメリカでは自動車の点検を自分でやる人が結構多く、他人(専門家)任せにしないで、自分で自動車の基礎を知ろうとする人が日本よりも、比率的にかなり高いように思います。僕がアメリカ人に感心することのひとつです。)

 ところが、パソコンスクールで教えていたり、普通の学校で情報教育に関わっている先生方の間で、「操作スキルしか」教えられないという方々の多いことが気になります。さらに言うと、理論的なことを教えることができないので、一般ユーザーに操作スキル以外のPCのおもしろさを伝えられず、結局、一般ユーザーのハードウェアやインターネットの仕組みに関する知識などもなかなか底上げできない。

 親御さんでも、自分の子どもがケータイやPCでなにをやっているのか、よく分かっていない方々が多いと聞きます。そのような親御さんたちには、オデッセイで運営しているIC3などを目指して勉強していただけると、理論的なことの基礎と、操作スキルの両方が身につきますよと、ちょっと宣伝したくなります。

教育は未来への投資

昨日の話(「本末転倒」)に関連する話です。

人間は、個人レベル、企業レベル、あるいは国家レベルであっても、現在の利益と未来の利益のバランスをとりつつ投資行動を決めています。現在の楽しみや利害だけにお金と時間を使っていると、未来は先細りになります。未来の利益を決める最大の投資方法が何かといえば、きっと教育はその中のトップにあるのではないかと思います。 

 90年代、日本経済が混迷のさなかにあったとき、「日本はきっと回復するよ、だって、君たちは教育熱心だから」と、海外の知人たちからよく言われました。でも現在の日本は決して教育熱心とは言えないのではないかと思います。OECD加盟国の中で、日本政府の公的教育支出は、対GDP比率3.5%前後で、最低水準です。この話を聞いたとき、僕は愕然としました。一体、日本の国家予算はどのように使われているのか?(年金問題では、われわれ国民をだましてきたくせに!)

 教育への投資はすぐに成果がでてきませんし、モノのように、手にとって触ることができるものでもありません。でも、国力、あるいは企業レベルでもそうですが、将来の力(国力)を決定付けるのは、教育だと思います。軍事力も、経済力も、頭のいいやつたちと、水準の高い労働力なくして、強くなりません。頭のいいやつ、質の高い労働力を、教育なくして、どうやって育てるというのか?

 アメリカがなぜ強いのか?エリート層は本当に教育熱心です。IT教育においても、熱心だと思います。それはオライリー・メディアが開いているweb2.0 関連のイベントなどに参加していてもそう思います。(今年も、web2.0 expoには参加します)

 うちの親たちもふくめて、かつて、「子どもに残してあげられるのは、教育しかない」というセリフをよく聞きました。そのとき親たちが言っていた教育というのは、学歴ということでもありました。今、学歴の意味も変ってきて、どの学校に行ったのかという「学歴」だけでなく、「なにを、誰といっしょに勉強したのか」という、中味をより深く吟味した上での「学歴」が問われるようになっています。 

 PCスクールから大学・大学院教育まで、「なにを、誰と机を並べて学んだのか」ということが、すべての学校で大切なことだと思います。

 どちらにしろ、格差の問題が深刻になるにつれ、これまで子どもには学歴しか残してあげられないと言っていた親御さんたちが、学歴さえも残してあげられないほど、余裕がなくなっているのかもしれません。これまで日本の教育を支えてきたのは、実は、教育熱心な親たちで、公的な教育支出ではなかった。その親たちに余裕がなくなっているのだとしたら、日本の未来にとって、たいへんなことが起こっていると思います。

 ゴヤの絵に、「我が子を食らうサトゥルヌス 」という作品があります。ゴヤ晩年の、「黒い絵」シリーズのひとつです。今の日本そのものだと思います。

 

本末転倒のお話し

 マイクロソフトオフィスの資格試験を始めた頃、営業先の専門学校などで、「今いる教員が、ワードを教えることができないので、当面、国内ワープロの検定試験をやらざるをえない」という声を聞いて、あきれたことがあります。先生がワードを勉強され、ワードの試験対策を教えられるようになればいい話しなのに、学校側が、担当教師にそれが言えない、強制できないということでした。同じようなレベルの話しを今週聞いて、残念に思っています。

「生徒が勉強しない、その結果、検定試験に受からない。だから、あまり勉強しなくても、受かる検定試験に替えることにする。」

 こんなバカな議論をやっていていいのでしょうか?!教育現場のレベルが低下しているとよく言われますが、学生に勉強させない学校、入学させ、授業料さえもらえば、あとはどうでもいい学校。ちょっと古い言い方になりますが、学生の本分は学業で、それをやらせるのが、教師であり、学校であります。もちろん、入学する学生の学力低下のため、先生方の負担が増えていることは理解しています。でも、このままでは、倒産する学校が増えてくるのは、ある意味、当然の結果かと思います。

独創的なアイディアを出すためには

夜は、北京五輪アジア地区最終予選「日本対サウジアラビア」戦を、社員のひとたちと観戦。何度もチャンスがありながら0-0のドローで、ストレスがたまる試合でした。体も冷え、サッカー観戦には寒い夜。

ところで、『自由に生きるとはどういうことかー戦後日本社会論』(ちくま新書)の中で、「独創的なアイディア」の作り方をめぐって、日米で対称的な反応が紹介されています。日本人の多く(58.2%)が、「一人のほうが独創的なアイディアを思いつきやすい」としているのに対して、アメリカ人の多くは、「集団のほうが独創的なアイディアを思いつきやすい」(48.6%)、「集団のみ」(33.6%)としていることです。(資料:川久保美智子) 意外でもありますが、日本人が、力を合わせながらシステマチックな仕事の進め方を行なうことを、小さい頃に学んでいないということを表しているのではないかと思います。こんなところにも、日本の受験中心の勉強の弊害がでていると僕は推察しています。

高校留学を認めない教師のエゴ

僕の人生で一番よかったことのひとつは、高校生の時に、アメリカに1年間行かせもらったことだと書いたことがあります。だから、こんな記事を読むと、怒りで一杯になります。

11月17日の産経新聞一面のシリーズ「やばいぞ日本」のなかで、四国のある名門進学校の教頭が、「うちでは留学を認めていない」と冷たく言い放った、とありました。その理由は、東大合格者を一人でも減らしたくないという学校側の都合のためだったとか。

あーあ、バカみたい!たかが大学に入るのが1年遅れたとしても、東大に入れなかったとしても、それがどうしたの?!

僕も個人的にお付き合いがあるAFS日本協会の大山事務局長がこの記事のなかで言われているけど、「東大を頂点とする日本の受験戦争」に問題があるとしたら、本当に情けない話し。

僕の同期でも優秀な人は日本に帰っても、浪人なんてすることなく東大に入っている人、結構いますよ。

学校の先生方には是非見聞を広めていただきたい。だって、有名大学でたって、生き生きと仕事のできていない方々、たくさんいますから。教員の視野の狭さでもって、子供の可能性を摘み取ってしまうようなことはして欲しくない。物事、すべてプラスとマイナスの面があるから、高校留学だって、決して、すべてプラスとは言いませんし、事故や事件だってあります。でも、それを言っていたら、なにも可能性は広がっていかないはず。すべてのことにはリスクがあるわけだから。

僕はAFSを応援しているので、こんな記事を読むととても残念です。

教育の目的

今年で6回目になるIT-EIを、丸ビルで開催。詳細は、IT-EIのHPに後日発表させていただきます。

ご講演いただいた皆さんのお話をお聞きしながら、(情報教育だけでなく)すべての教育の目的ってなんなのか、って考え込んでしまいました。ここで「教育の目的」なんて難しい話に、答えが出せるわけではないのですが、僕が考えるいくつかの目的。

1 個人が、精神的にも、物質的にも、豊かな人生を送ることができるための教育。

2 個人を「自由」にしていくれる教育。(英語でいうLiberal Arts=リベラル・アーツというのは、まさに個人を啓蒙し、偏見や囚われからの自由を目指したものだと思います) 

3 将来生きていく=仕事をしていく、そのための教育。

国の立場からすると、すぐに「責任を果たす国民」なんてことになるのでしょうが、国民のために国があるということを同様に強調して欲しい。国からそんなこと、聞いたことあります?!

文科省も含めたすべての学校関係者のコミュニティは、かなり閉ざされたものになっていて、ダイナミックに変化している世界、特に経済界のことを、どれだけ理解されているのか、とても不安になります。富を創造していくことが、国力の基本だと僕は強く信じています。新しい産業を産み出す力、そんな教育であってほしいです。

黒犬の世界には、大学入試はない!

昨日、異なる二人の方から、20年前の東大の入試問題に出ていたようなレベルの問題を、昨今の塾などでは、小学生や中学生に与えていると聞いて、本当に驚きました。有名中学、高校にいれるために、塾と一緒になって子供にそんな勉強を強いているのは、ある意味で、親の暴力なのではないかとさえ、感じました。そんなにしていい大学に入っても、4年間、反動でなにも勉強しないんだから、まったく意味ないじゃない?!大学に入ってしっかり勉強するためにも、高校までは大学入試の勉強以外に、もっとやることがあるはずなのに。1年間、アメリカに行くと入試によくないから、高校留学なんてダメだ、という教師も多いとか聞きます。僕はAFSで高校生の時、1年間、アメリカに行かせてもらえたことが、本当にいい経験になったと感謝しています。(それに日米どちらでも、塾や予備校とは縁遠い、田舎のできの悪い高校に通ったし)。

逆に、浪人してまで入りたい日本の学校なんて、東大も含めてですが、ひとつもありませんでした。(絶対に浪人だけはいやだった)

いろいろと都内の教育事情をお聞きしたのですが、日米の小学校レベルの教育方針や教育方法の比較がとてもおもしろかった。日本は、東大を頂点とした大学入試制度を維持していこうとする限り、世界の中での競争から、どんどん落ちていくのだろうと思います。別の友人は、息子さんを、「日本で行ける学校がないので、結局、イギリスの寄宿制の高校に入れたら、本当にのびのびと勉強している」とか。

黒犬の世界には、東大も、サピックスも、そしてハーバードもないから、清々します。

ジョージ・バーナード・ショーが言ったこと

The reasonable man adapts himself to the world, the unreasonable one persists in trying to adapt the world to himself.  Therefore all progress depends on the unreasonable man. 世界を変えていくのは、現状の不合理さを拒絶し続ける人。

「学ぶことの意味」

まだ読んでいなかった古い新聞記事(今年2月)に、「学ぶことの意味を問われて答えることのできる教師は本来いないはずだ。学び終えてはじめてその意味が理解できるのであり、そのことこそ学ぶことの動機づけになるものだから。」(哲学者・内田樹)という発言がありました。

同じ記事の中で、内田さんは、「80年代以降の子供たちが以前と違うのは、消費者として社会的経験をスタートさせたことだ。(中略)彼らは自分たちに理解できる解答以外は受け付けない。消費者マインドで世界に対するときの必然だ。」とも言っています。

義務教育の段階で、教育をサービス業と呼び、子供たちを「お客さん」扱いし始めたときから、多くの勘違いが始まってしまったような気がします。子供や父兄を「お客さん」とするのであれば、彼らは聞きたいことだけを聞くようになります。

もうひとつ、別の話になるのですが、すべての子供は、一度でもいいので、電気も水道もないようなところに投げ込んでみるのもひとつの方法ではないかと思います。生きていく力や意志がなえてしまっている子供が多いようですので。だって、自然の中では、人間はお客さん扱いをしてもらえませんから。不便さの中から、人間って、強くなったり、賢くなったりするように思います。僕は、バンカーズ・トラストで、30歳前後の時ですが、ニューヨーク郊外の、電気も、水道もない森の中で、会社の研修のひとつとして、数日間、グループで「サバイブ」するトレーニングに参加したことがあります。とてもいい体験だったと思っています。

追伸 以前、内田さんの『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)を読みました。