『反転授業』講演会

昨日、オデッセイコミュニケーションズから今月発売開始した書籍『反転授業』の共著者のひとりである、Aaron Samsによる講演とワークショップがありました。講演、ワークショップとも、多数の方に参加いただき、共催者としてはとてもうれしい結果でした。
東大の山内先生および関係者の皆さんにはたいへんお世話になりました。感謝申し上げます。

講演会のあとには、写真にあるように、Aaron Sams さん(左から3人目)、山内先生(右から2人目)たちと、赤門からすぐのところにある料理屋で、夕食で打ち上げ会。今回、山内先生たちには、監訳とともに、反転授業に関する案内の文章もお願いしました。
反転授業打ち上げ会。

書籍『反転授業』

蛇足ですが、奇遇にも、山内先生とは出身地が同じ(正確に言うと、僕が小中高を過ごした愛媛県南宇和郡で、山内先生は郡内の隣町の出身)!

『累犯障害者』(山本譲司著、新潮文庫)

アマゾンでも圧倒的に高い評価をしている読者が多いようですが、とても中身のある本でした。
著者は国会議員時、秘書給与の流用事件受けた実刑判決に潔く服し、433日にわたる獄中での体験を『獄窓記』に表します。この本は2008年2月に読みました(→2008年2月3日)。
そのあと『続・獄窓記』、さらに『累犯障害者』とつづきます。

何億円も借りていたことが表に出たあとでも、しらばっくれている新党党首がいるかと思えば、著者のように(多くの国会議員が大なり小なりやっているであろう)議員秘書給与を流用したという「犯罪」を潔く認め、長く刑務所内で命の洗濯をおこない、出所後は素晴らしい仕事を続けている方がいることに、いろいろな「先生」がいるものだなと思います。著者の逮捕および実刑判決にはちょっと理不尽さも感じるのですが、その理不尽さにも潔く服し、また理不尽さに負ける事なく、ご自分がライフワークとされていた福祉の仕事に、国会議員在職中以上に全身全霊を傾けている姿に感動さえ覚えます。

東京・山谷で「ホスピス」をやっている山本さん(別の山本さん!)という方がいます。ポッドキャスティング(「アイデアエクスチェンジ」)にもでてもらったことがあります。ボクは毎年1、2回、山谷の山本さんの「きぼうのいえ」を訪問して、いろいろな話を聞いて帰ります。山谷というのはうちの会社のオフィスがある丸の内からクルマで20、30分程度の距離にあるところですが、かつて日雇い人夫の町として有名だったところで、ぶらぶら歩く年配の男性を通りで見かける事が多く、山本さんのホスピスにも、身よりもなく、病気がちな年配男性が暮らしています。
元国会議員だった山本さんの『累犯障害者』を読むと、刑務所の中でも高齢化はどんどん進んでいることがよくわかりますし、刑務所が日本の福祉政策の足りないところを一部補っている実態もわかってきます。山谷の山本さんと、『累犯障害者』の山本さんの距離は近いのです。

セカンドチャンスをもらってもう一度権力の座に返り咲き、独りよがりの政策をごり押ししようとする権力者がいるかと思えば、著者のように、謙虚さをわすれることなく、暗闇の中に生きる人たちへの支援に費やす人がいるということで、いろいろな「先生」がいるものだと思います。

国会議員という華々しい地位から、刑務所入り。刑務所の中では年配の障害者などの「しもの世話」を行い、出所後はライフワークである福祉の活動を地道におこなっていく。ボクにはそんな勇気も粘り強さもないのではないかと思います。逆境が著者を逞しく成長させたというなのかもしれませんが、あえて逆境を求めていく勇気も気力もいまは持ち合わせていないです。

「人生は自ら創る」(安岡正篤著、PHP文庫)

安岡正篤(やすおかまさひろ)の読者はいまどれほどいるのか?昭和58年(1983年)の死から30年です。

東洋学の泰斗として、昭和の政界、財界で陰に陽に影響力を持ったとされる安岡正篤ですが、僕は彼の本は何冊かしか読んだことはなく、それほど影響を受けた著者ではありませんが、先週、出張先の札幌駅構内の本屋で偶然見つけたこの本の帯にあった以下のようなコピーが、最近考えていることとまったく同じだったこともあってすぐに買い求めました。

「本当に知るとは、創造すること」

古代ギリシアに、「汝自身を知れ」という格言があります。大学生の頃から考えてきた言葉の一つです。
いまでは、「自分を知るということは、自分自身を創造していくことである」と、僕は解釈しています。すでに出来上がった自分があって、固定的な自分というものを「知る」のではなく、いまこの一瞬も変化しつつある自分自身を、自らの意志で作っていくことが知るということではないか、と気づくまでとても時間がかかりました。これから先、「自分自身を知る」という言葉に違った解釈を加えていくかもしれませんが、「いま、ここでとる一瞬一瞬の選択を通して、自らを創っていくこと」が、自分自身を知るということにつながることだと考えています。
同じことは、会社についても言えます。

自社のことを知るとは、創造することであると思っています。なにを、どう創造するのか、それは簡単な問いではないのですが。

『がんと死の練習帳』(中川恵一著)

今年12月の誕生日で54歳になります。先日は、大学卒業30周年記念の集まりの知らせもありました。すこしずつですが、自分に残された時間があとどれくらいなのか、そんなことも考えるようにしています。健康を維持しながら(病院のお世話になることもなく)、毎日規則正しい仕事時間を持ちながら、時には夜遊びにも出かけられるような、「気力、体力、知力」を、どのくらい維持できるのか。

僕がいつも立派だなと思っているニューヨークにいるアメリカ人弁護士は、80なん歳になろうとしていますが、ガンも克服し、自宅をオフィスにしながらまだ仕事をしていますし、週一回のテニスも秋から復活させると聞いています。
彼に初めて会って(1996年か97年のはず)食事をする際に、彼がレストランのウェーターに、「こちらのオレンジジュースは、絞り立てか?」と確認したうえで、「オレンジジュースには氷をいれないでくれ」と注文していたことを覚えています。その後、何回と彼とは食事をしてきましたが、相変わらず、「オレンジジュースには氷をいれない」というルールを守っています。体の内蔵を冷やすことはしないということです。

『がんと死の練習帳』の著者は、東大病院の先生で、1960年生まれということなので、僕とほぼ同い年です。もともとこの本は、2010年5月、『死を忘れた日本人 どこに「死の支え」を求めるのか』というタイトルで出されたものを、今回、文庫本で出すにあたって改題、修正したもの。あとがきは、東日本大震災を経験した日本人へのメッセージにもなっています。

死を考えることは、まさに人生と人間存在の本質を考えることだと思います。
できるだけ、本質的なことを考えていく「練習」を継続していきたいです。

『「世界で戦える人材」の条件』(渥美育子著)

日経ビジネス(2013年8月12・19日号)の書籍紹介のページで知った本。グローバル人材に関する議論にはウンザリしていることもあって、はじめはこの書籍紹介のページもはしょって読んだのだけど、著者の以下のような発言を読んで、強く関心を持った。

「(日本の)経営者が人材育成にあまり興味がないことが気がかりです。人事部門に任せきり。人事も自分の任期中には変化を起こしたくない人が多い。海外赴任前に少しグローバル人材教育をするだけでお茶を濁しているように思います。」

すぐに同じビルにあるクロイヌ御用達の本屋でこの本を買ってみた。PHPビジネス新書。岩波新書じゃないよ、PHPビジネス新書。

期待以上の本だった。学者の本ではないので(岩波じゃないよ!)、文章や論理には荒さはあるかもしれないけども、グローバル化が進行する現在の世界のルールも、なにをすべきかということも、ほとんどの日本人はわかっていない、という彼女の言っていることには同意する。

この本の中で、僕の中で強く残ったいくつかの言葉ある。
そのひとつは、「大きな器」と「日本サイズの心」。

「私たちは、日本で生まれ、育ち、教育を受け、仕事に就くことで、自覚症状がないままに日本の現実を受け止めるのにちょうどよいサイズの心、日本サイズの心を育ててしまっている。」(103ページ)

以前、シリコンバレーで長く働いていたある知人(日本人!)がこんなことを言っていた。「金魚鉢のなかにいる限りは、金魚にしかなれない。」 確かに美しい金魚もいいだろうけども、僕は「大きな器」を持ちたいとずっと希望してきたように思う。問題はもっと強くそう願い、その実現のために、もっと行動していくこと。

この「大きな器」ということばは、以下のようなメッセージでも使われていて、それは日本の大学教育にもヒントになるようなメッセージだ。

『大事なのは、「大きな器」をもつことなのだ。一番大きな器をまず獲得し、そのあと徐々に知識や知恵の詰まった引き出しをたくさん作っていく。日本の大学では、こうしたリベラルアーツをほとん学ばない。体系的に学ばないために単なる知識として終わっている」(154ページ)

著者は人材育成に関するコンサルティング業を、アメリカで長年にわたっておこなってきたという実績がある。世界中の人たちといっしょに仕事をしてきたようだから、単にアメリカではこうですよ、って話ではない。

若い頃、アイオワ州立大学のクリエイティブライティングのコースに参加したことがあると本の中で紹介されている。もともとは、文学を目指していたのだろうか?アマゾンでチェックすると、同じ著者名で、『シルヴィア・プラスの世界』なんてタイトルがあるけど、同じ著者なのだろうか?

グローバル化というような話の中で、以下のような表現がとても新鮮に思えた。

「グローバリゼーションが持つパワーは、内から拡張していく力、つまり自国から外に出ていき他の国と関わりを持つ拡大する力expansion と、宇宙から見た地球という微細な存在の認識、つまり考えられないほど広大な宇宙の中に無数に存在する天球の一つが地球であるという理解が同時存在するところにあると、私は個人的に捉えている。」(72ページ)

僕は政府や企業が先導しようとする「グローバリゼーション」は信じていない。グローバリゼーションは、一人ひとりのこころや姿勢からスタートするものだと思っている。それが個人主義ということでもあるだろうし。

あまり期待していなかったからということもあるけど、この一冊の本をさかなに、日本のグローバル化についてさまざまな議論ができる、いい意味で、controversialな本。多くの人に読まれることを期待。

宇野千代と瀬戸内寂聴。

世界学生大会もあって、一週間ほどアメリカに行きましたが、行く前から調子が悪かった耳鼻が、いっそう悪くなり、ひどい風邪のまま帰国。
ここ数年、冬の間に必ず一度はお世話になっている丸の内の某耳鼻咽喉科で薬をもらってきた。
ここの耳鼻咽喉科の女医さん、歳のほどは70半ばとお見受けしますが、現役で働いていらっしゃいます。あまり愛想がよくないのがたまに傷ですが、まだまだお元気に働いていることは素晴らしい。

ずっと公私のおつきあいがあるニューヨークのアメリカ人弁護士は80歳を過ぎた今も、現役で働いている。数年前、がんの手術もしたけども、まだテニスをやっている。さすがだと思う。

今週末、宇野千代の『行動することが生きることである』というエッセイを読了。すごい日本女性!若い頃の写真をネットで拝見すると、とても魅力的。「人生は死ぬまで現役である。老後の存在する隙はない」なんてことを口にしても、実態が伴っているから説得力がある。
この本で印象に残ったことは、宇野千代がドストエフスキー全集を自分の気力の源としていたということ。
「東京と那須と岩国とに、私は三軒の家を持っている。どの家にも、同じくらいの大きさの本棚をおいて、その中に豪華本のドストエフスキー全集だけを列べている。」「机の前に坐るたびに、その全集を見上げ、『あるな』と思う。その全集を観ただけで、私は勇気を感じる。」

もう一人、すごい日本女性といつも感心しているのは、こちらはまだ「現役」でご活躍中の、瀬戸内寂聴。去年だったかな、東京国際ブックフェアの基調講演でお話をお聞きして、とても感動した。
昨晩、久しぶりにテレビをつけてみたら、NHK教育テレビで、瀬戸内さんと、ExileのAtsushiの二人が対談をしていた。眠くなったので、途中で寝てしまったけど、おもしろかったのは、瀬戸内さんが、Atsushiの質問に答えて、「読んでいて面白いのは外国の翻訳小説。新しい動きに遅れないためにも、もっと読みたい」という趣旨の回答をしていたこと。この辺、宇野千代のドストエフスキーに通じるものがある。

そういえば、瀬戸内寂聴は、1996年6月に亡くなった宇野千代と親交があったようで、『わたしの宇野千代』という本まで出している。この本は、宇野さんが亡くなったあとの1996年9月にでている。弔辞も含まれているということだけど、古本を買って読んでみようかな。

宇野千代も、瀬戸内寂聴も、若い頃は男たちとの恋愛に生き、そばにいるとこちらが火傷してしまいそうな存在だったのかもしれないけど、「生涯現役」を貫く気力、体力はすばらしい。「青春とは心の持ちようだ」なんていいながら、ひたすら地位を維持しようとしている権力亡者の政治家たち、サラリーマン重役たちとは、まったく違う。

彼女たちは組織人ではない。一人で、自分の力で生きてきた、職人たちだ。
生きている限り、本当の意味で、現役で居続けたい。異性を思う気持ち、おカネを稼いでいくという意欲。
最後のページで、宇野千代がこんなことを言っている。
「私たち人間が、その生活している間に儲けた金、というのは、銀行預金の利子や、人に貸した金の利子であってはならない。必ず、自分の体力または能力を駆使して、昨日まではなかった金を、新しく儲けた場合でなくてはならない。」「これが私の、金というものに対する持論なのであった。これが私の、金というものに対する健康な解釈なのであった。」
会社や国に、老後のめんどうをみてもらうことが難しくなった今の日本で、厳しくもあるけども、文字通り「生涯現役」を貫くための覚悟がここにはあると思う。

(写真は動物病院で爪切りをしてもらっているカイ。彼女は宇野千代や瀬戸内寂聴とは違って、♂犬と関係することなく歳をとってきた、14歳のおばあちゃん犬。緑内障で視力を失ったカイですが、甲斐犬の世界の宇野千代になってもっと生きてほしい。)
カイの爪切り

モーガンライブラリーで。

18日お昼の飛行機で成田からニューヨークへ。到着してホテルでシャワーを浴びて、今年、アメリカン・ブック&シネマで発行することになっている「ハイライン(High Line)」を訪問したあと、モーガンライブラリー訪問。写真は今日の午後、同行してくれたジョン・オダネルさん(ソニーアメリカで最初のアメリカ人正社員、現在は会社経営)が撮影。

明日は今回の出張の目的であるASTD(American Society for Training & Development)のカンファランス参加のため、ダラスに移動予定。

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『四千万歩の男・忠敬の生き方』(井上ひさし著)

今日からアメリカに来ています。機内で読み終えた本です。

「忠敬」というのは、伊能忠敬のこと。井上ひさしは、『四千万歩の男』という歴史小説で伊能忠敬のことを取り上げています。小説は講談社文庫で全5巻もあり、ちょっとしんどそうなので、買うかどうか決めかねています。代わりに、井上ひさしがこの小説と伊能忠敬について書いたり、話したことを集めたこの本で済ませようかと思っています(作者と出版社には申し訳ないのですが!)

伊能忠敬は50歳で隠居するまで、下総の名家(そこに婿養子で入った)の旦那として、たんまり金を稼ぎ、また篤志家として、地元に貢献もしたようですが、隠居した後は、星学暦学の勉強をはじめ、56歳から72歳までの17年間で3万5千キロを歩いて日本地図を完成させています。

平均寿命が伸び、セカンドライフでの生き甲斐を見つけないといけない現代人に、ひとつのロールモデルとして、伊能忠敬の存在を、小説を通して教えてくれています。

ボク自身53歳になり、伊能忠敬の人生から学ぶことは多いと思っています。

この本の中に含まれる、「素晴らしきかな伊能忠敬的セカンドライフ」(井上ひさしが、1991年11月、佐原の『伊能忠敬シンポジウム』で行った基調講演)を読むだけでも価値がありました。

伊能忠敬のモットーは、「目の前のことに集中せよ」ということだったそうです。彼が若いころからモットーにしていたことは、まず目の前のことを処理しろということ。井上は以下のように続けています。

「これは実務家の心得かもしれませんが、それが一歩一歩進んでいくときに役に立った。目の前の問題を本当にきちっとその日その日にやっていって、しかも遠くからも大きくとらえる目をもって、小さなことを十数年間も積み重ねていくとあんなすごいことができてしまう。これは時代ということを除いてもやっぱりわれわれ五十歳を過ぎた人間にとってたいへんな勇気を与えてくれることです。」

伊能忠敬記念館に行ってみようと思います。(→伊能忠敬記念館HP

『挫けない力』(石田淳、白戸太朗著)

アイデアエクスチェンジにも出ていただいたことがある、トライアスロンで有名な白戸太朗さんの新著をいただきました。副題には、「逆境に負けないセルフマネジメント術」とあります。本の帯には、「不況時代を生き抜く、30代、40代のビジネスパーソンへ。走れば心身が強くなり、ストレス低減!」と。

僕はもう40代でもありませんが、昨年半年間のダイエット経験も振り返りながら、共感をもって読み終えました。

この本の中には、強く同意する、いくつかのご意見や提案があります。

1野生の感覚を取り戻すことの必要さ

2夜型の体から朝型の体にすること

3食事、運動、睡眠のバランスをとること

4(ランニングの場合)距離ではなく、時間で日々の運動量を管理すること

5いいサポーターを付ける(見付ける)

6運動(ランニング)の成果の「見える化」は、「累積方式」のグラフにする(これは特にいい提案!達成感が得られやすい。)

7ほんの少しずつ、日々自分を更新し続けようとする意思と行動が、ビジネスや人生全体の質を高めていく。

昨年半年で6、7キロ減量できたのですが、11月以降、「停滞曲線」になっています。

白戸さんのアドバイスに沿って、これから次の6、7キロ減量を目指します。

白戸さんに感謝!

『「慰安婦」問題とは何だったのか』(大沼保昭著)

先週後半に風邪を引いてしまい、この3連休はほぼ家で自制状況。スキーに行く元気全くなし!

本書は、何年か前に買って、「積ん読」状況になっていた本。仕事でも韓国や台湾の人たちとの付き合いがあります。彼らとは歴史的な出来事について、大っぴらに議論したことはありませんが、「この人は、われわれ日本人に対する警戒心を持っているのだろうな」と感じた人も中にはいます。僕の知り合いの人たちは、多くが日本に来たことがあり、日本のこういうところが好きだと言い、なかには「尖閣諸島は日本に分があるよ」という中華系の友人もいます。そして、「日本には行ったことがない。日本にはいくつもりもない」という知り合いもいるのです。

大沼先生は、アジア女性基金の呼びかけ人のお一人で、このアジア女性基金について、この本を通して、あらためて理解を深めることができました。この基金の呼びかけ人の中には、個人的に存じ上げていた方もいますし、その著書をかなり読んでいるという方もいます。「左から右」まで、かなりの幅の方々が呼びかけ人に含まれています。

このアジア女性基金は2007年3月末にその活動を終了し、その年の6月に、大久保先生はこの本をだされています。かなり急いで書かれたのかなと思われるところもあり、この本に対する感想は多々あるかもしれませんが、この本が取り上げているアジア女性基金は、もっと「正当な評価」を受けていいのではないかと思いますし、関係者の努力には敬意を払いたいです。

慰安婦への補償を巡って各国のNGOの対応に大きな差があったこと(ナショナリズムに結びつけて日本側の気持ちを最後まで受け入れようとしなかった国もあれば、年老い、経済的にも恵まれていない個々人の要望を優先させた国もあった)、法的責任と道義的責任を巡る議論、先入観と自分のイデオロギーにとらわれてしまっているメディアやNGOの話など、勉強になりました。そして、正義観ほど取り扱いが難しいものはないと、あらためて感じました。

戦争に関わる「償い」には一気の解決策などないでしょう。だから、さまざまな意見や理想を持つ人たちがいて、大きな制約があるところで、all or nothingの議論になってしまうことなく、少しでも前進していくが大切なのでは?

英語ももちろん大切なのだけど、それと同時に、おつき合いしようとする国々との歴史をしっかりと認識しておくことは非常に大切だと思います。「グルーバル化の前に必読の100選」なんて名前で、読んでおかないといけない歴史本のリストを、どなたか作っていただけないものでしょうか?その中の一冊として、大沼先生の本は含まれていて、いいのではないかと思いました。