「がんとどう向き合うか」(岩波新書)「いのち織りなす家族」(岩波書店)

どちらの書籍も、医師であった額田勲さんによる書籍。
2007年に出た「がんとどう向き合うか」ではご自身も前立腺癌にかかっていることを表明されていて、ネットで調べると2012年にお亡くなりになられている。この本を読んで著者の謙虚さや患者に対する想いの深さに感動したので読んでみたのが、「いのち織りなす家族」。この本は2002年に出された本で、この本においても著者の真摯な姿勢を確認することができた。
寿命ということ、医療の限界、どのような死を迎えるべきかなど、とても重要なテーマについて自分の考えを深めていくためのヒントを提供してくれる。
先日お亡くなりになられた日野原先生も過度の延命処置は拒絶されたと聞く。与えられた時間で何をなすのか、何を目指すのか、それなくして単に生きながらえることそのものを目標とはしたくない。

エリザベス・ストラウトを読む。

アメリカの女性作家、エリザベス・ストラウトの2作品を読む。『私の名前はルーシー・バートン』と『オリーヴ・キタリッジの生活』。大きな物語はなく、小さな物語が淡々と語られていく。どちらの本も素敵な装丁だ。

岩波新書「四国遍路」(辰濃和男著)

今年に入って四国に毎月帰省しています。最寄りの空港からレンタカーして実家に帰りますが、その道中、国道を歩くお遍路さんたちを見かけます。特に、GW中には数多くのお遍路さんたちを見かけました。一人で歩く人もいれば、二人で歩く人たちもいます。国道にはトラックなども多数走っているので、ところによっては危なっかしいのではないかと思います。事故に遭うことなく志を遂げることを祈るばかりです。

「四国遍路」は朝日新聞の天声人語を書いていた名ジャーナリストが、1999年70歳を目前にしながら、何度かに分けて88カ所を歩いた体験を記したもの。ご本人にとって四半世紀ぶり、2度目となる88カ所めぐりだったそうです。「文章の書き方」(同じく岩波新書のロングセラー)の著者だけあって、とても読みやすい文章です。いつかこのような文が書けるようになりたいと思います。

空海が始めた四国という場を舞台にした小宇宙の物語。これまで数知れない名もなき人たちがその物語を一歩一歩辿りながら、新しい自分を見つけ、人の情けにふれ、自然の偉大さを発見する旅としてきたのではないかと思います。

いつかぼく自身、お遍路さんの旅に出ることもあるかもしれません。四国88カ所とは限らないかもしれませんが。

「認知症とともに生きる私」(「絶望」を「希望」に変えた20年)クリスティーン・ブライデン著

最近読んだ本で心の奥からなにかを感じた本。
超・長寿社会となり、100歳まで生きることがそれほど珍しいことではなくなってきている。長く生きていると、二人にひとりか、三人にひとりというくらいの割合で、認知症になったり、癌になったりする。その前段階で、糖尿病にかかる人はもっと多いのかもしれない。ぼくも、もしあと10年、20年、あるいは30年の時間生かされているとすると、認知症かガンか、あるいは他の病気になっているのかもしれない。その前に、腰痛で腰が曲がっているかも!そうならないために、せいぜい体を動かし、少しばかりの運動もしているつもりなんだけど、まだまだ足りていないかな。

高校生の時に使った英語の参考書の中に出ていた、「運動する時間を見つけなかったら、病院のベッドの上で過ごす時間を作らないといけなくなる」という文章は今もよく覚えている。

「認知症とともに生きる私」の著者は、4月末に京都であった認知症に関する国際会議でスピーカーとして来日していたようで、その前後に、新聞では認知症に関する記事が多く出ていた。著者は46歳の時に認知症になっていることを宣告され、それから20年間、新しいパートナーに支えられながら、認知症に関する理解を広め、認知症に苦しむ人たちを助けるための運動で先頭に立って国際的な活動を続けてきた。

パソコン、インターネット、銀行のキャッシュカードをはじめとして、個人IDとパスワードは、生活していくために、必ず覚えておく(どこかに記録しておく)必要がある。
数字やパスワードが覚えられなくなるどころか、自分の家がどこにあるのか、昨日何が起こったのか(約束したのか!)、明日のためにさっき何をしたのか。そんなことの多くが、自分の記憶の中に留まることなく、全て流れ去っていったとしたら、ぼくらは今の時代に生きていくことは不可能かもしれない。クルマが運転できなくなったら、それはそれはたいへんなことだ!

そんな不可能な状況に追い込まれた人たちが、今の社会には多数いることを覚えておきたい。


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「海岸線の歴史」(松本健一著)、「日本社会と天皇制」(網野善彦著)

日本はずっと単一民族で百姓の国だったと信じ切っている人たちもいるのかもしれませんが、ぼくはあまりそれを信じていません。
確かにアメリカやヨーロッパの一部の国のように多数の移民が国民の何割かを占めたり、さまざまな肌の色の人が歩き回っているようなところではありませんが、2000年、あるいは3000年の日本の歴史は決して日本列島の中だけで完結してきたのではなく、朝鮮半島や大陸との東アジアの国際関係は時代による程度の差はあれ、つねにダイナミックな動きをしてきたと思っています。百姓は100の姓を持つ人たちで、いろいろな手仕事や家仕事をやってきたし、日本人=農耕民族というイメージはぼくのなかでは決してすべてではない。

最近読んだ本で面白かったのがこの2冊。網野先生の本はこれまでも何冊か読んでいますが、この本は岩波ブックレットのシリーズの一冊で、講演を本にしたものでもあって、ちょっと物足りないのですが、面白い内容です。

松本先生の本は、海岸線から日本の歴史をとらえた本。ユニークな視点。「日本の海岸線をぜんぶ合わせると、アメリカの海岸線よりも長く、1.5倍、中国の海岸線よりもはるかに長く、2倍に達するのである」ところが、「現在では、日本ぜんたいの8割くらいの海岸線には防波堤が造られている印象である。(中略)コンクリートの防波堤は、津波や高波などから船や陸上の家や田畑を守るために必要なものとして造られたのではあるが、これによって海辺に住み、労働し、遊び、祈る、ということが、日本人の暮らしから遠くなって久しい」

松本先生のこの本が出たのは、2009年。3.11の2年前です。

「日本インターネット書紀」(鈴木幸一著)

一年の最後に読み終えた本。
IIJ創業者の情熱いっぱいの起業の記録。インターネットに対する熱い想いに感心しました。
著者にはお会いしたことはありません。カネもうけではもっとスマートに成功した起業家は多々いるかもしれませんが、粘り強く、信念をもってビジネスを行ってきた姿勢には心を動かすものがあります。
起業家としてぼくももっと頑張らないといけないと、発破をかけられた思いです。

2017年はこれまで以上にいい年になるようにベストを尽くします。

1941年、そして2017年。

先日、「1941 決意なき決戦 (現代日本の起源)」という本を読みました。著者は堀田江理という東京生まれでプリンストン、オックスフォードで教育を受けた方です。まず英語で書かれたこの本は、次に著者自身によって日本語訳されています。ホノルルのバーンズ&ノーブルでもこの本がありましたが、今の僕には英語で読む時間も気力もないです。

1941年、日本の指導部が開戦への意思決定を行うプロセスをたどった仕事です。300万人の日本人が亡くなる結果となるアメリカを始めとする連合国軍との戦いを決めた日本のリーダーたちが、なんと近視眼的で、感情的で、長期的プランもない、「ギャンブラー」たちであったのかを確認することができます。読者体験は決して軽いものではないです。

副題に「現代日本の起源」とあるように、著者の視野はフクシマで再度我々の目前に示された日本のエリートたちの無責任さにまでつながっています。1941年から現在まで、この国の本質的な課題は変わっていないということを改めて実感します。

実は先週二日ほど休みを取って真珠湾を見学に行きました。この本を読み始めたことが動機の一つにあります。アリゾナメモリアルが1941年の開戦の象徴だとすると、すぐそばに停泊している戦艦ミズーリ号は1945年9月2日の日本降伏を現在に伝えています。時の重光外相がサインした降伏文書は調印式が行われたデッキで展示されていました。歴史の教科書で見たあの写真の場所です。1945年9月2日、ミズーリ号は東京湾に停泊していましたが、「引退」した今は、真珠湾で静かに余生を送っていました。

数日間で往復したのでしんどかった旅行ですが、これまでのハワイ体験とはちがった意味ある旅行でした。

あと数日で2017年。来年は、会社の事業の柱となっているオフィスの資格試験をはじめて20年、ビジネススクールを卒業して30年になります。2017年はあらたな気持ちを持って迎えたいと思っています。

「ピアニストは語る」(ヴァレリー・アファナシエフ著)

現代ピアニストの一人。ロシア出身で亡命したベルギー在住。ぼくはこの人の音楽を聴いたことはなかったけど、書評を読んでおもしろそうだったので買ってみた。一気に読んだけどもとてもいい本だった。
この本を読んで、彼の演奏も聴いてみることにしたし、彼の先生でもあったエミール・ギレリスの演奏も。
リヒテル、グールド、ミケランジェリ、ラフマニノフ、マルゲリッチなどに関する彼の意見はとてもおもしろかった。特にぼくが好きなリヒテルについて。

アファナシエフは文筆業も行っているそうで、彼の言葉や人生哲学もおもしろかった。例えば、以下のような話。

「プラトンの『メノン』などの対話編によれば、知識とは想起、すなわち自分がすでに自らの裡に持っているものを想い起こすことだということです。あなたの心は、すでにすべてを持っている。(中略)ほんとうの知識は、外から来るのではないのです。これがとても重要です。なぜならそれは、すべてはすでに自分の裡にあるということなのですから。あなたが外に出て行くのは、ふたたび自分に帰るため、自分自身からスタートし、正反対のものまで行き、しかる後に再び自分自身へと還ってくる。それが創造という行為なのです。正反対に行くことによっていったん自分を否定して、しかる後にその、自分とは正反対のものまでをも自らの一部となした上で、再び自分へと還っていく。この往還の行為こそが、ヘーゲルが口を酸っぱくして言っていた弁証法なのです。」

書籍「見て見ぬふりをする社会」(マーガレット・ヘファーナン著)

非常にいい内容の本です。2011年に日本でも翻訳出版されています。日本語版の刊行にあわせて「はじめに」が加えられていて、そのなかで福島原発に関連して東京電力経営陣に関する言及があります。ただ、この本を読んでいると、「見て見ぬふりをする」のは、日本人だけではありませんが。

著者に関心をもったのは、彼女がTEDで行ったスピーチを偶然みてからです。スピーチのなかで紹介されたアリス・スチュアート医師は、この本の中でも登場します。

この本の中で印象に残った文章を、以下、紹介します。

私は厳しいことで悪名高い教授、マイケル・タナーの許でヘーゲルを学んだ。教授は革のジャケットとレコードのコレクションで、研究室の床が覆われていることで有名だった。レコードの大半はワーグナーだった。教授にヘーゲルの「歴史哲学」に関する私の分析を朗読したあと、私はこんなにも難解で曖昧なテクストを読みこなしたことをほめてもらえるのを期待して彼を見た。それはありえなかった。「いいだろう」教授は特に感心した様子もなくいった。「それで、ヘーゲルの誤っている点は?」これが私にとっての教育のはじまりだった。

「規制の虜」(黒川清著)

副題は「グループシンクが日本を滅ぼす」。グループシンクはgroup thinkのこと。
この本はどういう本かと簡潔に言うと、「日本を代表するエリートによる、既得権を守ることに四苦八苦するエリートへの批判と絶望の書」というところか。
著者は国会が作った福島原発の事故調査元委員長。その経験をもとに書かれた本。東大医学部卒、カリフォルニア州立大学医学部教授、東大医学部教授、日本学術会議会長、等々の経歴。

まっさきにこんな文章で始まるのだから絶望的になってくる。

「志が低く、責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。これが日本の中枢にいる『リーダーたち』だ。政治、行政、銀行、大企業、大学、どこにいる『リーダー』も同じである。日本人は全体としては優れているが、大局観をもって『身を賭しても』という真のリーダーがいない。国民にとって、なんと不幸なことか。福島第一原子力発電所事故から5年が過ぎた今、私は、改めてこの思いを強くしている。」

この本のなかにはふたりの例外的な日本人があげられている。朝河貫一、山川健次郎。彼らの残した業績はもっと広く紹介され勉強されるべきでは。特に隣国との関係が悪化し、過去と同じ蹉跌を歩もうとしているかに見えるいまの時代、1909年に出された朝河貫一の日本への警告(「日本の禍機」)はもっと読まれるべきでは。

日本のシステムが変わらない限り、これから本当に優秀な日本の若い人たちは東大なんかにはいかないのではないかと思う。あるいは日本の大学を卒業したとしても、活躍の場を日本以外に求めていくのではないだろうか。

問題はいまのシステムを変えるにはどうすればいいのかということになる。
そのためには、この本のなかで、何度も先生が使われている「独立した個人」が日本に増えていくことに尽きるように思う。group thinkではなく、independent think。