「規制の虜」(黒川清著)

副題は「グループシンクが日本を滅ぼす」。グループシンクはgroup thinkのこと。
この本はどういう本かと簡潔に言うと、「日本を代表するエリートによる、既得権を守ることに四苦八苦するエリートへの批判と絶望の書」というところか。
著者は国会が作った福島原発の事故調査元委員長。その経験をもとに書かれた本。東大医学部卒、カリフォルニア州立大学医学部教授、東大医学部教授、日本学術会議会長、等々の経歴。

まっさきにこんな文章で始まるのだから絶望的になってくる。

「志が低く、責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。これが日本の中枢にいる『リーダーたち』だ。政治、行政、銀行、大企業、大学、どこにいる『リーダー』も同じである。日本人は全体としては優れているが、大局観をもって『身を賭しても』という真のリーダーがいない。国民にとって、なんと不幸なことか。福島第一原子力発電所事故から5年が過ぎた今、私は、改めてこの思いを強くしている。」

この本のなかにはふたりの例外的な日本人があげられている。朝河貫一、山川健次郎。彼らの残した業績はもっと広く紹介され勉強されるべきでは。特に隣国との関係が悪化し、過去と同じ蹉跌を歩もうとしているかに見えるいまの時代、1909年に出された朝河貫一の日本への警告(「日本の禍機」)はもっと読まれるべきでは。

日本のシステムが変わらない限り、これから本当に優秀な日本の若い人たちは東大なんかにはいかないのではないかと思う。あるいは日本の大学を卒業したとしても、活躍の場を日本以外に求めていくのではないだろうか。

問題はいまのシステムを変えるにはどうすればいいのかということになる。
そのためには、この本のなかで、何度も先生が使われている「独立した個人」が日本に増えていくことに尽きるように思う。group thinkではなく、independent think。

「日本海(その深層で起こっていること」(講談社ブルーバックス)

著者は長野の上田生まれらしいので、生まれは山国といっても間違いではないのに、専門は化学海洋学。
太平洋側で生まれ育ったぼくだから一層感じたのかもしれないけど、日本海の歴史(日本列島の誕生と同時進行であった日本海の成立)、日本の歴史、気候、文化への影響など、読んでいてとても関心を惹かれるテーマの連続。
富山県が作った『環日本海・東アジア諸国図(通称:「逆さ地図」)』 (B1判、1/450万)の紹介があって、さっそくこの地図を注文することにした。

日本人論というとすぐに農耕文化とか、百姓根性だとか、士農工商の話になって、ぼくはちょっとうんざりしている。なぜ、漁師は「士農工商」に含まれていないのか?明治以降、太平洋側の発展ばかりが話題になるけど、日本の歴史に「裏日本」が果たしたい役割を正当に評価しているのか?

日本海というテーマで読んでみたいなと思った本をアマゾンからリストアップしてみると、結構な数になった。例えば以下の通り:

1日本海繁盛記 (岩波新書)
2 日本海学の新世紀〈6〉海の力
3 日本海と北国文化 (海と列島文化)
4 古代の日本海文化―海人文化の伝統と交流 (中公新書)
5 海の史劇 (新潮文庫)
6住まいからみた人と神の生活 (シンポジウム・古代日本海域の謎)

日本海側の町といえば、今年は山形の酒田にも行ってみたいし、山口県の萩にも行ってみたい。体調が良くなってまたサイクリングできるようになったら、能登半島や佐渡島のセンチュリーライドにも参加してみたいものだ。

"Finish Big"

2016年1月も今日で終わり。今月は自社の新年会も含めて、2、3の集まりに参加。
録画していたBBCのお気に入り番組"HardTalk"で、ナイジェリア出身で英語で作品を発表している作家 Ben Okri を知った。
去年から週末は図書館によく通っているのだけど、今日、彼の本を図書館で借りる。"HardTalk"はもしかしてNHKの番組、「クローズアップ現代」のヒントにもなっているのではないかと勝手に想像。ただ、NHKと違って、"HardTalk"では、インタビュアーは政治家たちに厳しい質問をしても、クビになるようなことはなさそう。

イギリスでは評価が高い作家だけど、Ben Okriの本は日本では、2作品しか翻訳されていない。

今年はAmerican Book&Cinema で一冊本を出すことになっている。これまで2冊出したボー・バーリンガムによる"Finish Big"。今日の午後は翻訳の下読み。過去出版した同じ著者による「Small Giants」「経営の才覚」以上にいい本だと思う。今回も翻訳は上原裕美子さんにお願いしている。

この本のテーマは起業家にとって、「エグジット」(出口戦略)はどうあるべきかというもの。ボク個人にとってもとても大切なテーマだ。
日本語で「終わりよければすべてよし」というけども、まさにFinish Bigのテーマはこれ。

明日からは2月。今年1年をFinish Bigで終えるためにも、毎月毎月の時間を大切にしていきたい。

"Finish Big"
「Small Giants」
「経営の才覚」


追伸
ラジオでPatti Smith の"Because The Night"を久しぶりに聴く。YouTubeで見つけた10,000 Maniacsのカバーがいい。

今年読んだ最高の小説「コレクションズ」(ジョナサン・フランゼン著)

BBCのお気に入りインタビュー番組「HardTalk」にゲスト出演してくれたおかげで初めて知った著者、Jonathan Franzen。インタビューはそれほど面白いとは思わなかったのだけど、六本木の青山ブックセンターで目つけたことで買ってみたこの小説「コレクションズ」は今年読んだ小説、あるいはここ数年で読んだ小説の中で一番面白かった!

老いた母親は、認知症の夫との戦いの中、それぞれが問題を抱える、家から離れていった子供3人たちがクリスマスには帰ってきてくれることを期待している。ちょうどクリスマスを迎えたこの日に読み終えることができてよかった。

小説は文庫本で上下2冊で、それぞれが500ページ近くの長さの長編小説。
作者の人物描写、事物の描写は詳細にわたっていて、ストーリー展開もパワフル。現代のアメリカ家族の病理を描いたなんて評もあるけど、日本人のぼくが読んでも他人事とは思えないテーマだった。

ジョナサン・フランゼンが出たBBCの「ハードトーク」は録画していて、本を読み終える前だったけども、もう一度視てみて、最初の時よりもずっと著者の言葉に共感を持った。

今年彼の新しい作品(「Purity」)がでている。残念だけど、ぼくの英語力では到底彼の作品を読みこなすことはできないから(576ページの英語で書かれた小説なんて、読む気力もない!)、翻訳がでてくることを楽しみに待っていよう。
「コレクションズ」に継ぐ作品「フリーダム」を買ってあるから、新年の読書はこの本から始めようと思っている。

品川正治著「戦後歴程」(平和憲法を持つ国の経済人として)

著者は、2013年8月亡くなった経済人(1924年−2013年)。
日本を代表する損害保険会社の社長、会長として企業経営にあたり、同時に経済同友会の終身幹事として、財界においても活躍した方。
この本は、2013年、岩波の月刊誌「世界」に連載されていた。自伝とも言えるものだけど、残念ながら食道がんによる死去のため、絶筆となっている。
「戦後歴程」
この本の中には、以下のような文章が何度も繰り返される。

「岸内閣の安保改定を阻止することは、あれだけの大動員、民衆参加の闘争にもかかわらず、できなかった。この敗北がもたらした、対米従属から抜け出せないこの国の姿、日米安保から日米軍事同盟に深化していった歴史、全土の基地化、さらには沖縄の人たちをアメリカ軍の奴隷のような状態に置きつづけたこの国の非情を考える時、あの60年安保闘争での敗北の責任の重さを否定しえない」(68ページ)

「アメリカの意向を汲む、アメリカの指示に従う、アメリカには逆らえない、と、日常聞かされ、読まされて60年以上が経った。その言葉はいまも、沖縄の基地問題やオスプレイ配備の問題、さらには日中間の尖閣問題、日韓の竹島問題、さらには脱原発、TPPと、挙げればキリのないほど聞かされている。そのどれもが国民の生活、生命に関わる大問題であるにもかかわらず、政治家・官僚から返ってくる言葉は、『アメリカが承知するだろうか』『アメリカにはたてつけない』である。そのアメリカが金融資本の意のままになる国であるとすれば、日本国民はそんな説明を納得して聞き得るであろうか」(97ページ)

ボクも数年前から経済同友会に入れてもらって、時々夕食会や講演会などに参加させてもらっているけども、いまの経済同友会には、品川さんのような考えや価値観を持つ、あるい共感を覚える会員がどのくらいいるのだろうか?それとも、品川さんのことなど聞いたこともない人たちの方が多くなっているのだろうか?

いま、政治も経済も、あるいは官僚の世界も、恐ろしいほどアメリカへの傾斜をすすめ、バラスのとれた状況からはほど遠い状態になっている。それでもって本当にアメリカといい関係ができているかというと、そうとも言えないところが、日本の危ういところではないのか?

品川さんが、いまのようにお祭り騒ぎとなる前のダボス会議に10年以上にわたって参加されていたこと、シュミット元ドイツ首相とも個人的なおつきあいをお持ちになっていたことなど、視野の広さ、おつきあいの広さ、ご自身の戦争体験に基づいた歴史観など、とても参考になった。

自粛ばかりして権力に何も言えない状況のなかで、このような経済人がいたことは覚えておきたい。

「遺骨_戦没者三一〇万人の戦後史」(岩波新書)

若い自民党の代議士が、安保法案に反対する若い学生たちのグループについて、「戦争がいやだと言って反対するお前たちは自分勝手で無責任だ」という趣旨の発言をしたらしい。
企業広告を絞ることで報道機関を兵糧攻めにすべしとなんども繰り返し発言する自民党議員もいる。彼らは安倍総理の親衛隊?安倍総理から始まって、どうして国民の間で彼らの評価が急激に下がっているのだろうか。もちろん、彼らを根強く支持するグループもあるのだろうけど、ぼくが彼らの言っていることを今ひとつ信じられない理由はとても単純。「あの人たちは、決して国のために戦争に行く意志は持っていないだろうな。」と、思っているから。戦争になった時、議員の職を辞して、率先して国防にあたるような人なら別だけど、そうでない限り、勇ましいことを発言し、戦争に行きたくないと叫ぶ若者たちを「非国民」と決めつける議員たちは、決して、われわれ国民のリーダーだとは思えない。

今年は戦後70周年ということで、安倍総理も特別の談話を発表されるようだけど、われわれ国民も特別の国民談話を出した方がいいのじゃなかろうか?国民の2割か、3割かの支持で権力を握った政党にだけ、任せておくわけにはいかないだろうし。

今月は衛星放送の多くのチャンネルで、70周年特集の番組も多く、これまで作られた代表的な戦争映画も放送されるようなので、楽しみにしている。
書籍も、戦争を振り返るものがたくさんでているけど、表題にある「遺骨_戦没者三一〇万人の戦後」を読むと、国のために亡くなり、異国であるいは日本国内で骨となっていった人たちが、国からどのような扱いを受けてきたのかを知るに便利な本だ。

Amazon

勇ましいことを口にする政治家たちにはまずこのような本を読んでもらい、戦没者に対するこれまでの政府の対応を勉強してもらいたい。そして率先して自分が日本のために骨となる覚悟を持っていることを示してほしい。そしたら、あんたたちの言うことを信じる国民はもっと増えるだろうに。(戦争に行かないためにも、彼らは必死になって選挙に勝つことだけに集中するのだろうか?)

戦後の日本はアメリカの軍事力、核の傘の中で、とても幸福な時代を過ごすことができた。そんな時代が終わってしまったことは僕らも十分分かっていることで、防衛の気概を持つ必要があることだってわかっている。でも自分たちは安全地帯にいる政治家たちに言われて骨となることはいやなこった。(神様、仏様!)戦争を起こさないための知恵と勇気と行動力を与えたまえ。

アーシュラ・K・ル=グウィン著「ファンタジーと言葉」(岩波現代文庫)

普段あまりSFやファンタジー小説を読まないので、アーシュラ・K・ル=グウィンのことは全く知らなかった。彼女の代表作の「ゲド戦記」の題名くらいは知っていたけど、手に取ることもなかったし、彼女が作者であるということも知らなかった。
なぜ彼女の本を手に取ったかというと、購読しているアメリカのメルマガ(小説や哲学をおもに扱ったもの)で彼女のエッセイが紹介されていたから。このメルマガは、Brain Pickings という名前で、マリア・ポポヴァ(Maria Popova)という女性がひとりで運営しているのだけど、このサイト自体とても素晴らしい内容で、とても感心している。
「ファンタジーと言葉」は、アーシュラ・K・ル=グウィンのエッセイを集めたもので、小説、文学についてだけでなく、社会における偏見や男女の関わりについてなど、幅広いテーマで彼女の考え方を知ることができる。もしかしてこのエッセイはここ数年読んだ本の中でもとても大切だなと思った本のひとつかもしれない。それほどこの本に収められたすべてのエッセイがいいものだった。

この本の中で、「星の王子さま」が取り上げられている。特に、王子さまに向かってキツネが話した言葉が引用されていて、それを読んで決して他人事とは思えなかった。
「きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ」。これを読んだ時、人間はすべてのペットたちに持つ責任を決して忘れてはいけないということを強く言われたように思った。我が家のカイ(♀の甲斐犬、16歳)に対するボクの責任も含めて。

キツネはこんなことも言っている。「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」。
カイはありふれた甲斐犬の一頭に過ぎないのだろうけども、彼女と過ごしてきた時間がカイをボクにとっては特別な甲斐犬にしてくれている。

時間をかけないでは得られないものがある。「いますぐに」の時代、忙しすぎるボクらは、そんな大切なことも忘れてしまっているけども。

今週末、あらためて「星の王子さま」を読んでみたけども、今回ほど感動したこともなかったように思う。「星の王子さま」との新しい出会いを導いてくれただけでも、「ファンタジーと言葉」には感謝。(「星の王子さま」は、3つの異なる翻訳本を持っているほどなのに、いったい、これまでどんな読み方をしていたのだろう)

もうひとつこの著者との出会いに偶然とは言えないものを感じたのは、彼女の父親が文化人類学者で、アメリカ最後の野性インディアンとも言われたイシとの関わりを持ち、そのことがアーシュラ・K・ル=グウィンにも影響があったと思われること。イシはボクが大学生だったころからずっと気になっていた存在だったから。

彼女のエッセイは同じく岩波現代文庫からもう一冊出ているので、こちらも読んでみようと思っているし、彼女の代表作のひとつである「ゲド戦記」も読んでみるつもり。
もしかして一番好きな作家の一人になるかもしれない。それほど彼女の考えには共感するところが多かった。

鶴見俊輔を取り上げたNHKの番組、「絶望の裁判所」の著者への影響。

先日NHKのEテレであった番組「鶴見俊輔と思想の科学」。「知の巨人たち」のシリーズ2回目。数ヶ月前に、ブルーレイレコーダーを買ったこともあってテレビ番組を録画して見ることができるようになった。

鶴見俊輔は僕が一番読んできた日本の「哲学者」。哲学者と言っても、とても平易な日本語で文章を書いてくれるので、僕のような人間にもわかる。
NHKのこの番組はとてもよくできているので、見逃した方には、7月19日(土曜日)午前0時からある再放送をご覧いただきたい。番組に関するTwitter集は、以下のサイトで確認できます。(→番組ツイッター集

80歳を過ぎてなお、彼のように、シャープな話ができるようになっていたい。(もしそれまで生きていることができれば)

今日は「絶望の裁判所」(講談社現代新書)という、元エリート裁判官だった方の本を読んだ。反響をよんでいる本のようだけど、内容にはあまり驚かなかった。日本の裁判官と司法制度にはさまざまな問題があるということは感じていた。それでも面白いなと思ったのは、ご自身も狭い裁判官たちの世界の中で、精神的におかしくなり、そこから抜け出すことによって、日本の司法制度やそれを動かす司法官僚たちの異常さを冷めてみることができるようになったことを、率直にお書きになられているから。

この本の著者にも、鶴見俊輔が大きな影響を与えていることを知ったのが、この本の中で一番の驚きだった。以下、著者の言葉。

「当時の私が、自分を知りたい、自分の内面にさかのぼってみたいと考えて始めたのが、関根牧彦という筆名になるエッセイ、創作、評論等の執筆であった。執筆を始めた契機は、日本のプラグマティズムの代表的存在である鶴見俊輔氏に何通かの手紙を書き、大阪高裁勤務時代にお会いして、執筆を勧めていただいたことによる(後略)」

NHKの番組の中でも、映画評論家の佐藤忠男さんが、鶴見俊輔からもらった手紙がどれだけ励みになったかということを話されていた。鶴見が後輩たちの育成にも尽力されたことを裏付けるエピソードで、それを番組とは別に読んだ本でもそれを確認することができた。

今日はそういうことで鶴見俊輔で始まって、鶴見俊輔で終わった一日だった。

Wカップ期間中、「オシムが語る」を読む。

Wカップが始まってからテレビを見る時間が増えています。普段はほとんど見ないのに。
日本以外で応援しているのは、初出場のボスニア・ヘルツェゴビナ。今日のナイジェリア戦はボスニア・ヘルツェゴビナにとってはまったく不幸な試合でした。
オフサイドとして無効になったゴールは、ビデオ判定があったならば有効得点になっていただろうから。そうであったなら、ナイジェリアに1−0で勝って、ベスト16に進む可能性が残っていたかもしれない。でも結果は、0−1でナイジェリアに負けってしまった。

今回、ボスニア・ヘルツェゴビナが出場できた背景には、日本代表監督も務めたボスニア出身のオシムの尽力があったからだと言われています。旧ユーゴスラビアが分裂したあと、内戦の中でお互いに傷つけあい、殺しあった人たちの間にたち、どうにかこうにかサッカー協会をはじめとする関係各位の同意を取りつけここまで持ってくるには、さぞかし忍耐強い交渉などがあったのではないかと想像します。

オシムが日本に滞在していたころ、実はなんどか彼に会ったことがあります。一度は年末の天皇杯でだったように記憶しています。もう一度は町の中華料理店で。
そんなこともあり、また彼のアフォリズム溢れる発言に惹かれたこともあり、オシム関連の本は数冊読んでいます。

「オシムが語る」は、「オシムの言葉」に続く本ですが、オシムのサッカー観だけでなく、故郷への思い、戦争、「サッカーと資本主義」、ナショナリズムなど、幅広いテーマでのインタビュー集となっています。

いつか仕事に一区切りがつき、1年くらい旅行をするような時間ができたときに行ってみたいところの一つが旧ユーゴスラビアあたりです。(ずっと行ってみたいと思っているアフガニスタンには、もしかして、僕が生きている間には安心して旅行できるような平和は来ないのかもしれない)

日本の政治は、戦争ができるような方向に持っていこうと、前のめりになっています。アメリカからの強烈な圧力のせいか、またその圧力を利用してこれまでずっと狙っていた本格的な再軍備を目指しているのか。

Wカップは国家間の代理戦争だと例えられることがあります。サッカーで足の蹴り合いをしている程度ですむのなら、どんどん周辺諸国とも競い合ってほしいです。

25日の対コロンビア戦はきっと厳しい試合になるだろうと想像します。
前回の南アフリカ大会で、守りを中心としたチーム戦略でベスト16に残りましたが、それではつまらないということで、もっと攻撃的なサッカーを目指してきたのが、この4年間の日本代表だったと理解しています。しかし、コートジボワール、ギリシアとの試合を観ていると、日本のチームには攻撃的なサッカーは向いていないのではないかと思いました。そもそもそれだけの力はチームとしても、個々人の能力としても、ない。それならば、たとえエキサイティングではなかったとしても、自分たちの現実にあったチーム作りをすればいい。強いチーム相手に、おもしろい攻撃サッカーを展開できるような力はないのだから。

たとえつまらなくてもいいので、国際舞台の試合では日本代表には勝ってほしい。負けたあとにいつも聞かされる、「気持ちを切り替えて次の試合に臨みます」というフレーズはもう聞き飽きました。

いまの日本政治の権力者にも、Wカップでの日本代表チームの状況をよく見てもらいたい。権力者には、身の程をわきまえた国際政治、外交関係をお願いしたいです。逆立ちしても勝てない国を仮想敵国として挑発するような発言を繰り返すよりも、たとえエキサイティングではなかったとしても負けない試合(ということは、そもそも戦いに入らないということ!)を展開する方が、賢いのだから。

『原点は夢_わが発想のテクノロジー』(佐々木正著)

もとシャープ副社長。日本のITベンチャーの育成という意味で、最大の貢献者のひとりなのではないかと思います。
今年100歳になられる方。戦前1938年に京大を卒業されたあと、ドイツ留学をされ、戦後はアメリカで幅広い人脈とビジネス経験を広げていかれた、いま風に言うと、まさにグローバルな人材。こういうスケールの大きな方が、「サラリーマン経営者」にもいたのかと、感心しました。
この本は14年前の2000年に出版された著者80代半ばの頃の本ですが、いま読んでも非常に的確かつ建設的な分析と提案が含まれています。「出る杭は打たれる、出ない杭は腐る」という言葉を紹介されていますが、まさに出まくって、何度も打たれながらも結果で、まわりの批判するだけの連中をギャフンと言わせてきた方と拝見しました。
日本企業や日本社会の問題点に関する指摘には、まったく同感のご意見ばかり。著者のこれら指摘は、この本が出た頃以上に当てはまるところもあり、日本の問題の根深さをあらためて感じます。(硬直化した日本人、日本の制度!)

アマゾンで古書を買いましたが、このような本が絶版になっていることはとても残念だと思いました。