カモシカ、懐古園

ニホンカモシカのファンです。インスタグラムでも各地のカモシカファンの写真を見ながらひとり悦に入っています。浅間山周辺にもカモシカが出没しているとのことで、この週末は思い立って浅間山荘(かつての事件とは関係なし)の登山口から登山道をすこしだけ歩いてみたのですが、そう簡単にカモシカに会えるわけではなく、上から降りてきたマジに登山をやっている人たちに尋ねてみました。3組の登山者に聞いてみたところ、一組からは見かけたという声がありましたが、残りの人たちもカモシカは見かけなかったということでした。あとで山荘の方から聴いたところでは、カモシカを見かけたという若者たちは獣医大学でカモシカの生態を研究している人たちで、カモシカがどのへんにいるのかもよくわかっている人たちだとか。
でも今年はあきらめずに浅間山周辺を歩いてみようと思います。腰痛はありますが、無理のない程度でハイキングをするのは精神衛生上もいいですし、下手な写真撮影も楽しみの一つです。
カモシカに会えなかったので、小諸市内まで下りて行って懐古園の中を初めて歩きました。もう閉園の時間が近く、島崎藤村が教えていた小諸義塾の記念館のみを見学。明治時代の向学心の塊のような学校で当時の小諸の人たちの熱い気持ちに感動しました。島崎藤村の「夜明け前」を読んだのはもう30年くらい前のような気がしますが、せっかく小諸に行ったからには「千曲川のスケッチ」くらいは読まなくちゃ。と思ってアマゾンをチェックすると、キンドル版が無料でダウンロードできました。
「千曲川のスケッチ」を読んでまたカモシカを探しに小諸に出かけたいと思います。
3月も今日で終わり、明日からは4月!

小諸義塾記念館
→小諸義塾

「映画女優若尾文子」(四方田犬彦・斎藤綾子編著)

もしかして10年以上前に買っておいたかもしれない本。発行は2003年になっている。
先週末、偶然衛星放送で視た『女は二度生まれる』(1961年、川島雄三監督)という映画の主演女優が若尾文子で、その映画が結構おもしろかった。「そういえば若尾文子についての本を買っていたな」と思い出して、本棚から取り出してここ数日熱心に読んだ本がこの「映画女優若尾文子」(みすず書房)。

ぼくの世代にとっては若尾文子はTVで見知っているだけで、映画はあまり見たことがなかった。彼女が大映の看板女優の一人として大活躍していたのは1950年代から60年代。この本のフィルモグラフィーによると、ぼくが生まれる前から彼女は活躍していた。(初めての映画は1952年の『死の街を逃れて』)。
この本で取り上げられている映画は、まったくと言っていいほど見ていないのだけど、若尾文子と彼女が大映時代に組んだ増村保造監督をめぐる女優論、監督論がとてもおもしろく、このふたりが作ったいくつかの映画をぜひ見てみたいと思った。(若尾文子がでていない増村保造監督の映画はひとつ観たことがある。『曾根崎心中』!)

表紙にでている若尾文子の写真が素敵だ。おいくつの頃の写真かわからないのだけど、とてもいい。なんども見ていて、ぼくの勝手な連想なんだけど内山理名を思ってしまった。内山理名の顔立ちは好きなタイプ。

『いにしえの恋歌』(著者:彭丹=ほうたん)

中国生まれ、日本在住の比較文学研究者による漢詩と和歌を題材にしたちょっとした比較文化論。
和歌は漢詩を土台にして生まれたもので、相通ずるものだ。だが、和歌と漢詩は異なる個性を持つ。恋歌が良い例だ。和歌はもっぱら恋を詠じ、視点は閨中の刹那にあり、優美なるもののあはれを志向するのに対して、漢詩は恋を詠うことにははばかりがあり、詩人の視点は広大な宇宙にあった。なぜ和歌と漢詩は異なる恋歌の世界を持つのか。
ひとつは詩歌の担い手の違い、詩人の視野の違い、国がおかれた状況の違い。
漢にあこがれながらも、漢を排除しようとする和。漢に対応しながらも、漢をどんどん取り入れる。和漢の峡間でもがいた日本人が見つけ出した方法は、和漢の境を紛らわせること。

10月に久しぶりに中国に行く機会があったが、あらためて中国の大きさ、人の多さを実感。「大陸的」という言葉を思い出す機会になった。それに対して、日本は繊細、優美、だけども箱庭的。

漢詩と和歌の違いは日中の違いに通じる。

『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタビュー』(河出書房新社)

マルセル・デュシャンに、かれに関する著作がある雑誌「ニューヨーカー」の記者だったカルヴィン・トムキンズがインタビューした記録。デュシャンのことはたいして知っているわけではなかったけど、ちょっと理解しがたい現代アーティスト(現代アートの父?)と思っていたので、このインタビューを読んでちょっと印象が変わった。
一時チェスに熱中していたこと、生活は簡素で、カネに縛られること、伝統に縛られることから自由であることを心掛けていたこと。「こうあるべきだ」ということからは自由であったこと(自由であろうとしていたこと)など、彼の作品を理解するしないの前に、ぼくにとって最適なマルセル・デュシャン入門の本となった。このあとも、デュシャンのことを調べてみようと思う。
この本は装丁もとてもセンスのいい仕上がりになっている。表紙のデュシャンの写真も素晴らしいと思う。

『田中角栄』(新川敏光著)

ミネルヴァ書房が出している「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊。
田中角栄の人気は最近また高まっているという意見もあるけど、どうなんだろうか?田中角栄を懐かしく思うのは60代よりも上の人たちが多いのでは?もうすぐ60に手が届くぼくもそのひとりかもしれないけど。
この本で印象に残った話は、2、3あるのだけど、田中失脚のきっかけになった文藝春秋の記事を書いた立花隆から、田中に好意的な意見が聞かれるようになったという話がひとつ。(年をとると、立花隆も丸くなったということか?)
小学校しかでていない田中のカネを受け取ったのは、彼を軽蔑していたであろうエリート連中で、一番彼をカネづるとして利用したのは、佐藤栄作(彼の派閥)だったのではないかという話。あとに続く、竹下登も、金丸信も、田中ほどのスケールと政策を作り出す力はなかったこと。(それを言えば、そのあとに続くほとんどの政治家たちがそうだろう)

あとがきに著者が書いている以下のような文章が一番印象に残った。
 
「田中角栄というと、私がすぐ思い出すのは、仕立てのいいスーツに身を包み、下駄履きで自宅の庭に佇む姿である。(中略)その写真は、後から考えると、戦後日本を象徴するものであった。戦後日本人は、和魂洋才どころか、和魂を捨ててがむしゃらに西欧的近代化のやり直しを図った。それが曲りなりにも成功し、日本は経済大国になった。仕立てのいいスーツを着るまでになったのである。しかしいかに西欧と肩を並べたと喜んでも、出自は隠せない。日本人とは何者なのか。足元を見るとわかる。下駄履きなのである。少年の私は、それを隠したかった。しかし角栄は、隠さなかった。だから私は、恥ずかしかった。そしてそのことに思い当たった時、恥ずかしいと思った自分が恥ずかしくなった。」

ぼくも著者と同じ恥ずかしさを共有する。日本のエリートといわれる人たちの多くも、実は下駄履きではないだろうか。

シッダールタ・ムカジー(チャーリー・ローズのインタビュー番組にて)

『病の皇帝』の著者が出演しているPBSのテレビ番組から。
2010年以降7回の出演。

https://charlierose.com/guests/4110

『病の皇帝「がん」に挑む 上巻』(シッダールタ・ムカジー著)

かなり前から読み始めていたのですが、途中でほかの本に気が移っていたりして、ようやく今週末に読み終えました。でもまだ上巻だけ。これから下巻にとりかかります。
昨年、父をがんで亡くしたこともあり、がん関連の本をよく読むようになりました。きっとぼくのなかでもすでにがん細胞(悪性新生物?それとも体内エイリアン?!)は分裂を始めているのでしょう。あと30年くらいはおとなしくしていてほしいです。

著者のムカジーは、コロンビアの医学部で研究、教鞭をとるガン研究者で、腫瘍内科医。この『病の皇帝』でピューリッツアー賞を受賞しています。いろいろな雑誌や新聞で彼のインタビュー記事がでていますが、最初に彼のことを知ったのは、以下のフィナンシャルタイムズの記事。
Gene genius Siddhartha Mukherjee on why "doctors shouln't be gods"
その後も、かれの記事はFTでもなんどか読んでいます。がんに関してだけなく、公共医療制度に関しても、非常にコミュニケーション力のある専門家として評価が高まっているように思います。
上巻ではがんとの闘いの歴史をたどっています。臨床実験、データの集積、データの客観的分析、治療と予防。下巻に進むのが楽しみ。

佐々木閑先生の最新のご著書『ネットカルマ』

 かつて、オデッセイコミュニケーションズで出していた「オデッセイマガジン」にご登場いただいた、花園大学の佐々木閑先生からご本が送られてきました。最新のご著書である『ネットカルマ』(角川新書)。先生とお会いしたのは一回だけですが、その後も何度かメールのやり取りをさせていただき、新しい本を出されるたびに、ご案内いただいています。

 今回の本は表面的に言うと、インターネットを利用するにあたってのモラルということになるのでしょうが、実はネット上であろうと、リアルの世界においてであろうと、ブッダが説いたことはぼくらが間違った方向に進んでいくことを防いでくれるし、心の平和につながっていくのだということを教えてくれる内容になっています。

 ネット上で匿名であるからなにをやってもいいと思っていても、いつかきっとばれますよ、という話には反論もあるかもしれませんが、そう思っておいたほうが身のためだろうし、ましてや、リアルの世界においては、各所に監視カメラが設置されていて、自分の行動は誰かに見られていると思っておいたほうがいい。

 ブッダが言ったことはある意味でシンプルなことなんだけど、それを自覚し、自分をコントロールしていくことは、とても難しい。(だって、われわれみんな、良くも悪くも、物欲、性欲、食欲、名誉欲、権力欲、その他さまざまな欲を持った存在だから)たとえば、ご本の中で紹介されているこんな言葉。

 自分を救えるのは自分自身である。
 他の誰が救ってくれようか。
 自分を正しく制御して初めて、
 人は得難い救済者を
 手に入れるのだ。

 あるいはこんな言葉。

 他者から言葉で非難されたなら、 
 十分に気をつけて、そのことを喜べ。
 同じ修行をしている仲間たちに対する
 鈍感さをなくせ、
 しゃべるときは、立派で場にかなった言葉を語れ。
 世間話に関わるようなことに
 心を向けてはならない。

  
 小中学生のスマホ依存症も顕著になってきている今、スマホを通じたネットとの付き合い方、距離の取り方は、とても大事なテーマになっています。でも、スマホ依存やネット依存(ポルノ、人の悪口、買い物依存などなど)に溺れないようにしないといけないのは、子供だけじゃないからね。われわれ大人も、まったく同じ危険にさらされているわけで。

広中平祐著『学問の発見』(講談社ブルーバックス)

父の一周忌の法要のため、高知に帰省していました。昨年夏、地上でなにが起こっているのかまったく関知していないお天道様はまっさおな夏の空を用意していましたが、今週は台風と晴れたり曇ったり、時には雨という天気を用意していました。でも、無事宿毛と東京の往復ができたことに感謝です。

羽田空港の書店で買った新書の一冊です。講談社のブルーバックスの最新刊でしょうか。でも中身は1980年代前半に、広中博士がフィールド賞を受賞したあと、もっとも先生が乗りに乗っていたころのエッセイ。

いかに広中先生が努力の人であったのか、京大からハーバードに留学されていた10年ほどの間に、金字塔となる研究をされたのか、そのことに大いに感心したのですが、ぼくがそれ以上に感心したのは、この時点でバブル崩壊後の日本企業や社会の停滞とアメリカ企業の復活を予言する指摘があったことです。あまりにも正確な予言と警告であったことに驚きました。

簡単にまとめると、以下のような警告です。

1 日本はアメリカに学ぶことはないという見方に自分は反対である。あと20年足らずで迎える21世紀という超国際化の時代を考えた時、いまここで日本は米国に学んでおかなければ、とんでもない危機に立たされるのではないか、と私は思う(注意:1980年代前半に書かれた文章です!)

2 米国は優秀な人材が工業よりもサービス業に行くため、工業が弱点となっているかもしれないが、現在取り組んでいる「再工業化」が進み工業力が高まると、有能な人材をサービス産業部門に多く抱えていることが、国際関係の上で俄然米国の強みになる。

3 米国は人種問題、女性雇用問題に取り組み、それで苦労しているかもしれないが、人材発掘、効果的な人材活用に成功すれば、21世紀に入った頃には日本は大いに考え直さなければならなくなる。

4 米国企業は長期性がないといわれるが、米国政府は、長期的な、国際的な戦略を立てている。それに対抗するものが日本にあるかというと、私にはそう思えない。

5 このように考えてみると、日本はうかうかとしてはいられないはずだ。戦後30数年経って、日本経済は「米国に追いついた。今からは追い抜く時代で、米国に学ぶものは何もない」などとはいっていられないはずだ。

あまりにも広中先生の警告が的の中心を射た指摘であったのかに驚くばかりです。

そして、このような提案もされていて、これまた現在においても有効な提案となっています。

1 よくいわれることだが、米国は研究人材を輸入する国であるのに対して、日本は研究成果を輸入する国である。

2 人材輸入主義が常識の米国に、日本人は出て行って、米国社会の中で切磋琢磨しながら生活し、日本のいい点を教え、逆に米国の長所を身につけて帰ってくるべきだ。そういう互いに貢献し合う時代が、日本のこれからに訪れるべきだと思う。

3 米国と日本はチーム作りの方法が異なる。米国は、外からいろいろな人材を引っぱってくる上に、それらの人たちは優秀であり、個性が強いから、非常に扱いにくい。そういう人たちを集めてチームをつくると、実際問題として(日本のチームが求めるような)シンクロナイズさせることは不可能だ。

4 人材の能力を生かすためには、シンクロナイズさせるかわりに、ケミカライズ(chemicalize)させることが目標となる。これは異質なものが、お互いに個性をぶつけあうことによって、「化学反応」を起こさせようという考えだ。

5 化学反応の成果を期したチームづくりは、意外なものを真剣につくらねばならないという時期にさしかかっている今日、日本人が米国という国で体験を通して学びとってくるべきことの一つだと考える。

30数年前に指摘されていることが、まったく色あせることなく、いまの日本にもあてはまること、別の言い方をすれば、30数年前から本質的な進歩を日本は遂げていないのではないかということに、愕然とします。

『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著)

脳科学者の著者が脳卒中を経験し、回復の過程で得た洞察を記した本。脳の役割を左脳と右脳と大きくわけ、「いま、ここ」にあることの喜びを感じる右脳と、論理的で(あるいは理屈っぽくって)、あるいはちょっと攻撃的で、過去・現在・未来を把握したがる左脳をどうバランスさせていくのか。
英語の本のタイトルは、とてもいい。My Stroke of Insight. 脳卒中と衝撃、一撃というニュアンスの言葉(stroke)のひっかけ。脳卒中から回復する過程で得た洞察。翻訳者もいろいろと考えてみて、結局、「奇跡の脳」となったのでしょうが、「悟り」とか、「洞察」という言葉をもっと前面に出さなかったのはどうしてでしょうか。
ぼくは左利きで、通説的には、左利きは右脳を刺激するというようなことが言われますが、どうなんでしょうか?

この本を読んでいて思ったこと。AIには右脳、左脳って、あるのでしょうか?AIは所詮左脳しか持ちえないのでしょうか?