「日本軍兵士_アジア・太平洋戦争の現実」(吉田裕著)

昨年末に出版された本ですが、ベストセラーになっているようです。
特攻隊やインパール作戦の悲惨さはもちろんですが、前の戦争の日本軍兵士が経験した実態のひどさ、悲惨さは想像以上です。一例をあげます。戦争が終わった後にも悩まされたという水虫の話。泥沼のようなところを、軍靴を脱ぐこともできず、半年も1年も這いずり回っていた兵士の足がどんなにひどい水虫にかかっていたのか、想像しただけでも恐ろしくなってきます。
著者の吉田先生は、近現代政治史、軍事史の研究者。
著者は1944年から敗戦までを「絶望的抗戦期」と名付けています。この期間中に、兵士を含む日本人戦没者310万人の約9割がなくなっていると推定され、年次別の戦没者を公表しない政府を非難されています(アメリカは年次別どころか、月別の死亡者も発表)。そのようなデータを発表することに、何か不都合があるのでしょうか?「知らしめず」という日本の伝統か?

『「日本人」といううそ』(山岸俊男著)

『信頼の構造』で日経・経済図書文化賞をとった山岸先生が、一般読者むけに書かれた、「武士道精神は日本を復活させるか」という副題を持つ本。
図書館で借りてきた本ということもあって、流し読みをしていたら、途中でジェイン・ジェイコブスの話がでてきて、それからはマジで読みました。(先日のブログで紹介した、あの、ジェイン・ジェイコブスです)
ジェイン・ジェイコブスは人間には二種類のモラルがあって、ひとつは、市場のモラル、もうひとつは統治のモラルとしています。山岸先生は、ジェインのいう市場のモラルは、日本では「商人道」であり、統治のモラルは、「武士道」であると置き換えています。このふたつを混乱させることは最悪の結果をもたらすとしていて、まさにいまの日本の状況がそれではないかと、されています。
現政権は、意識的にでしょうか、それとも無意識なのでしょうか、このふたつの混乱を積極的に進めているように見えます。精神論ではなく、仕組みやルールで、「情けは人の為ならず」という社会を作っていくことが大切だというのが山岸先生のご意見。別の本(『きずなな思いやりが日本をダメにする』(長谷川眞理子、山岸俊男著)でも、政治家や役人たちが、精神論に偏っていて、サイエンスを理解していないので困るという趣旨のことを、お二人で強調。とくに長谷川先生は、政府の各種委員会に呼ばれることが多い方なので、実体験からのご発言)

以下、市場の倫理と、統治の倫理の概要。
市場の倫理:
暴力を閉め出せ
自発的に合意せよ
正直たれ
他人や外国人とも気やすく協力せよ
競争せよ
契約尊重
創意工夫の発揮
新奇・発明を取り入れよ
効率を高めよ
快適と便利さの向上
目的のために異説を唱えよ
生産的目的に投資せよ
勤勉なれ
節倹たれ
楽観せよ
統治の論理:
取引を避けよ
勇敢であれ
規律遵守
伝統堅持
位階尊重
忠実たれ
復讐せよ
目的のためには欺け
余暇を豊かに使え
見栄を張れ
気前よく施せ
排他的であれ
剛毅たれ
運命甘受
名誉を尊べ

詳細は、『市場の倫理 統治の倫理』(ジェイン・ジェイコブス著)を。

『こんなとき私はどうしてきたか』(中井久夫著)

医学書院からでている「シリーズ ケアをひらく」の一冊。医療関係者の本は読んでいてとても参考になるし、面白いものが多いです。著者は精神科医としてだけでなく、文筆家、詩集の翻訳者としても高名な方で、これまで何冊か作品を読んだことがあります。医者でありながら文芸家として素晴らしい仕事をされている方々がいます。その方々の才能と努力を尊敬します。ぼくのような凡の人間にはなかなか真似ができないです。
「改革時の病棟マネジメント」というお話では、「改革と治療成績は同期しない」「士気の再建にはベースキャンプまで戻る」「パーキンソンの法則」(希望者が多い場合には条件を一つ増やす。ゼロになったら一つ条件をゆるめる。そうするとかならず適当な人間が選ばれる条件の数になる)「無理やりにでも休ませる」など、会社経営にもとても参考になるお話だと思いました。
優秀な方のお話はどの分野の専門家であったとしても、普遍的な価値を持っているという、一例。

書籍「High Line」 と映画「ジェイン・ジェイコブス」

ぼくが発行人を務めているアメリカン・ブック&シネマで数年前発行した本で、「High Line」という作品があります。
チェルシーからウェスト・ヴィレッジにかけてHigh Line があるエリアは、マンハッタンでももっとも「ホット」なスポットになっています。この本を読んでニューヨークに行ってもらいたいなと思っています。
この本を出していたことで、昨年、映画「ジェイン・ジェイコブス」を日本で配給する会社の関係者とお会いする機会がありました。ジェイン・ジェイコブスはあまり日本では知られていないと思いますが(ぼくはよく知らなかったので、お会いした後に、彼女の本を1、2冊読みました)、ニューヨークの建築や都市計画について、積極的な市民運動を行った方です。
まだ映画を見に行っていないのですが、必ず見に行こうと思っています。
映画「ジェイン・ジェイコブス」

『創られた伝統』(エリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャー編)

5月6日の朝日新聞朝刊の「日曜日に想う」で、編集委員の大野博人さんが紹介していた本。
原題は、The Invention of Tradition。伝統とは、遠い昔から受け継がれたものと思いきや、実際はその多くがごく最近(といっても、昨日というわけではなく、10年、100年前に)、人工的に、それも隠された政治的意図をもって創り出されたものであることが多いと、しています。取り上げられている研究対象は、イギリスのことが多いです。(イギリスの先生方の本です)
80年代かな、世界的にはやったイギリスのバンド、ベイシティローラーズ。彼らはタータン文様のキルトをさかんに使っていたけど、このタータン文様も、スコットランド人が盛んに使い始めたのは、イングランドによる併合が成立したあと、ものによっては、さらにずっと後年のことで、それらはある意味、併合を阻止するための抵抗の象徴であったと、この本にはあります。(「伝統のねつ造ースコットランド高地の伝統」)。
ネットでちょっと検索してみると、日本の多くの「伝統」と言われるものも、明治政府がでっち上げた「伝統」ではないかという趣旨のことを書かれている方が多い。今年は明治が始まって150年。若いころは100年はものすごく長い時間だと思っていたけども、60年近く生きていると、結構短い時間の経過、ごく最近とまでは言わないけど、結構最近ではないかと思うようになってきました。
バブル崩壊後、失われた20年といわれ、中国の台頭によって、東アジアにおける力関係は大きく変化しています。また、朝鮮半島情勢も、どうなることやら。こんな中、どうしても心のよりどころを、「日本の伝統」に求めたくなるのもわかるのですが、そんな「日本の伝統」も、よく見てみると心もとないものだったりすることもあるので、あまり偏狭なナショナリズムには気をつけたほうがいいと思っています。
「創られた伝統」(紀伊國屋書店)

『不確かな医学』(TED Books)

10年前、あるいは20年前、先輩方が健康のお話をされていると、どうも話に関心を持てなかったのですが、大切な存在が命の終わりをむかえ、自分自身も身体のどこかが調子悪いことが続くようになり、医学や健康に関してとても関心を持つようになりました。
『不確かな医学』の著者は、インド人、シッダールタ・ムカジー。がんの研究者であり、2011年のピューリッツアー賞を受賞した『病の皇帝「がん」に挑む』の著者。
実はいまこの『病の皇帝』の上巻を読んでいるところですが、中休みを兼ねて、同じ著者の手軽な本を読みました。TEDのスピーチをもとにしてできた本かと思います。この本の中で、彼は医療現場の法則として以下の3つを挙げています。
1 鋭い直感は信頼性の低い検査にまさる
2 正常値からは規則がわかり、異常値からは法則がわかる
3 どんなに完全な医療検査にも人間のバイアスはついてまわる
これらは医療現場だけでなく、ビジネスにおいてもあてはまることではないかと思いながら読みました。
この本の中で、ベイズ(統計学の「ベイズの定理」のベイズ)の話もでてきます。宗教家でもあったベイズに関心を持ちました。
TEDトーク(英語)

光文社新書「美術の力」(宮下規久朗著)

副題に「表現の原点を辿る」とありますが、その原点とはこの本の中では主に宗教的なものを指しています。
この本で高島野十郎(1890-1975)という画家のことを初めて知りました。福岡県立美術館に彼の作品が多く展示されているようなので、いつか休みに、日帰りででも彼の作品を観に行きたいです。
また、長崎の殉教者たち(1597年豊臣秀吉の命で26名のキリスト教者たちが処刑された事件)を描いたフランスやイタリアの画家たちの作品がヨーロッパで作られたこと、アール・ブリュットに関する著者の考えなどもおもしろく読ませてもらいました。
ぼくのような素人にも美術に関して飽きずに読ませてくれることに感謝しています。

「近代日本150年」(山本義隆著、岩波新書)

最近読んだ本で一番面白かった明治維新以降の日本史の本。「科学技術総力戦体制の破綻」というのが副題。国家主導の科学技術振興政策を続け、戦争を行なっていない時でさえも、国民総動員的な体勢で富国強兵に努めてきた日本の科学技術体制の限界が、大東亜戦争での敗北、さらには福島原発の事故によって露わにされるプロセスをたどっている。

日本に関係ないところで、以下のような記述がとても面白かった。
「18世紀後半から19世紀初めにかけてのイギリス産業革命の過程で、蒸気機関の発展による動力革命と紡績産業の機械化が達成されるが、その過程にオクスフォードとケンブリッジは何の寄与もしていない。」(27ページ)
「彼ら(発明家たち)が発明に熱中したのは、学問的関心からではなく、基本的には職人気質とでも言うべき、物づくりにたいする本能的な熱意に突き動かされたものであり、そして同時に、すでにこの時代には発明の成功が富に結びつく可能性を特許制度が保証していたからに他ならない。そして競合するいくつもの新技術のうちでどれが優れているかは、市場によって判定された」(29ページ)
これを読んですぐに思い浮かんだのは、スティーブ・ジョブスであり、ジェームス・ダイソン。そしてなかなかうまく行かない政府の産業政策。

『消えたヤルタ密約緊急電』(岡部伸著)

この前から『不毛地帯』(山崎豊子著)を読みはじめています。新潮文庫で全5巻の長編ですが、著者の取材力と構想力、週刊誌に連載されていた読みやすさもあり、読み進めています。『不毛地帯』は、この物語のモデルになったと言われている瀬島龍三に関心があって読んでいるのですが、その瀬島が影の主人公の一人になっている話が産経新聞の記者である岡部さんが書かれたノンフィクションが『消えたヤルタ密約緊急電』。

副題(「情報士官・小野寺誠の孤独な戦い」)にあるように、情報士官だった小野寺信が掴んだヤルタ密約に関する情報を、時の権力の中枢にあった大本営参謀部本部作戦課(その中心人物が瀬島龍三)が握りつぶしたという話。希望的観測に基づいて自分に都合の悪い情報は聞かないで済まそうとするエリート達の多いことか。

また、著者の以下のような指摘は、現在には当てはまらないのだろうか?
「それにしても、強硬派の軍人を抑えて終戦を実現させた宰相として評価が高い鈴木首相だが、ソ連と指導者スターリンに対する甘い認識には驚愕するばかりだ。国家の指導者が、強国ソ連にすがって終戦の端緒をつかもうとして、「スターリンは西郷隆盛に似たところがあり、悪くはしないような感じがする」と見当違いの幻想を抱いていたとしたら、これほど悲しく滑稽感の漂う着想はないだろう。独ソ不可侵条約が締結され、「欧州情勢は複雑怪奇なり」と内閣総辞職した平沼騏一郎以来、日本の指導者の国際感覚の欠如は、目を覆うばかりである」(402ページ)
またこんな指摘もある。
「早くから戦後を見据えて領土拡張と共産主義のアジアへの浸透の戦略を立てていたソ連の強かさに比べ、客観情勢を無視してご都合主義で暴走した日本外交がいかに視野狭窄であったか」(426ページ) 恥も外聞も無いスタンスでトランプにのめり込む今の政権は視野狭窄になっていないのだろうか?

著者のあとがきによると、勤務先の産経新聞から出版しようと申し入れたのだけど、具体化せず、結局新潮選書として出すことになったとあります。著者は、不都合な事実は握りつぶした参謀本部の動きは、今の時代の原発村の権力者たちの行動にも見られるという指摘をしています。そんな指摘が権力者に近い産経新聞のトップの人たちには受け入れ難かったのだとすると、産経新聞も同じ穴のなんとかということになり、残念な話だと思いました。

北杜夫現代語訳「竹取物語」

21世紀版少年少女古典文学館シリーズの第二巻。少年少女とありますが、大人にとっても十分読み応えのある日本語です。
久しぶりに竹取物語を読みましたが、おもしろいお話であったことを再認識しました。地位や財力はあっても誠実さのない求婚者たち。

愛する人との別れの辛さがこの物語のテーマの一つでもあります。物語の中だけであっても愛する人との別れに心を揺さぶられました。

このシリーズ第二巻に収められたもう一つの物語は、俵万智現代語訳による「伊勢物語」。先日、俵万智の「恋する伊勢物語」(ちくま文庫)を読んだのがきっかけで、彼女の現代語訳による「伊勢物語」を読んでみたいと思ったのですが、北杜夫の「竹取物語」もとても良かったです。