「戦後思想を考える」(日高六郎著、岩波新書)

1980年前後に各所で発表された文章をまとめたもの。
今年6月に亡くなった日高六郎の本は、これで2冊目。前回は、6月に「戦争のなかで考えたこと」。

どの文章もとても読みやすく、著者がジャーナリスティックなセンスも持っていたことをあらためて認識しました。この本が出たころは、ぼくは大学在学中で、もしかして、この本の中にはいっている文章のひとつやふたつは、最初に発表された雑誌(たとえば朝日ジャーナル)にでた時に、読んでいたかもしれません。

なお、日高六郎については、大学1年の時の、ぼくら一橋大学P9のフランス語教師だった海老坂武先生が、東京新聞に追悼の文章を書いています。

戦争中の「滅私奉公」から、戦後「滅公奉私」の時代に代わり、その傾向はますます強くなるという観察は、30年以上たったいまに続く、著者の的確な予測であったと思います。

日高の本はもうあまり読まれていないのかもしれません。まとまった著作集のようなものは出ていないようですし、アカデミックな観点からの評価には複雑なものがあるように見えます(例:ウィキペディアで紹介されている、1958年に恩師の当時東大文学部社会学科教授尾高邦雄による、以下のような言葉。「…日高君は思いつきと構想力の天才である。それなのに、まだ自分の仕事らしい仕事を発表していない。(中略)思いつきのよさはとかくジャーナリズムから重宝がられる。それだけに、社会学プロパーからやや遠ざかつたところで仕事をしている彼に、わたくしはもう一度社会学に帰れ、と呼びかけたいのだ)

象牙の塔で生きていくには、彼は向いていなかったのかもしれませんが、視点の鋭さや文章のわかりやすさには、とても魅力のある方だと思います。

久しぶりの秋田訪問、秋田犬に愛をこめて!

全国の高等学校で情報教育を行っている先生方の集まり(全国大会)に参加するために秋田訪問。
この1、2年、秋田にはご無沙汰していますが、先輩の須賀さんが国際教養大学で客員教授を行っていた間は毎年12月に、須賀さんの授業に呼んでいただきました。今回で秋田訪問は10回くらいにはなるのでは?!
専門学校、秋田大学生協など、日ごろお世話になっている関係者を訪問。
写真は長年にわたって、試験会場としてたいへんお世話になっている、株式会社アイネックスの鎌田社長と。
(市内中心部にある、エリアなかいちの「秋田犬ステーション」前で。秋田犬は大人気!)

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秋田と言えば、秋田犬。
秋田犬と言えば、この本をぜひお読みください。
Dog Man
アメリカン・ブック&シネマ(ぼくが発行人です)で出した本で一番思い入れがある本です。

『現代アートとは何か』(小崎哲哉著)

『現代アートとは何か』(小崎哲哉著)より。

「総じて言えば、日本という国の現況が、そのまま日本のアートシーンの現況に重なって見える。いわゆる内向き志向が強く、海外に対する関心が薄い。相変わらず言語の壁が立ちはだかり、海外事情を正確に把握している者も少ない。事なかれ主義と「忖度」が蔓延し、状況を変革しようという気概を持つ者はなかなか現れない。ポピュリズムも横行し、本物志向は避けられ、軽いものばかりがもてはやされる。独創性は忌避され、何事も右へ倣えという風潮が支配的。経済格差が広がり、多くの者がその解消は不可能だと諦めている。女性の社会進出が叫ばれる一方、男性優位で男尊女卑の実態は変わらない。
日本のアートシーンにおける問題は、ほとんどが情報や知識の欠如に起因する。同時代的な情報や知識、歴史的な情報や知識の双方である。他国の状況を知らないから、自国の状況が当たり前だと信じ込んでしまう。歴史を知らないから、小さなミスや見逃しが将来に禍根を残すことに気づかない。日本は、このままでは世界のアートシーンから取り残される。日本という国が、同じ理由で世界から取り残されることもありうるのではないか。」(412-413ページ)

この本全体に言えることですが、気持ちいいほど、著者は考えをはっきりと書かれています。

『愛国心に気をつけろ!』『群れない 媚びない こうやって生きてきた』

『愛国心に気をつけろ!』は、岩波のブックレットシリーズから。このブックレットシリーズ大好き。なんと言っても読みやすく、手軽。でも一定のクオリティはちゃんとクリアしている。「右翼」鈴木邦男からの、押し付けの愛国心には気をつけろというアドバイス。愛国心もそうだけど、親を大切にしろとか、たくさん子供を産めとか、政治家に言われる筋合いはないからね。大雨で死者もでているというのに、ニヤニヤしながら酒を呑んでいる写真を平気でネットにあげる特権階級の政治家の先生たちからは特に、ね。

『群れない 媚びない こうやって生きてきた』は、同じ早稲田の教育学部で同級生だった下重暁子と黒田夏子という二人の作家の対談。下重さんが東京新聞に連載していた半生記の中で、この本の紹介があって読んでみた。結構おもしろかった。下重さんはずけずけとはっきりモノをいう方だし、黒田さんは75歳で芥川賞受賞という最年長記録保持者。黒田さんの作品論がとてもおもしろかったし、下重さんの初体験の話も。おふたりくらいの年齢の女性のお話は迫力がある。

冷房の効いた部屋で読書するに限る

先週は金曜日、土曜日、2年ぶりに熊本、鹿児島を訪問。試験会場になっていただいているお取引先の専門学校やPCスクール、新規でお取引いただきたいと希望している地元の地銀をお伺いしました。お時間いただいた熊本、鹿児島のみなさまに感謝です。

先週は機内、ホテルで、空いた時間を利用して、『ベラスケス_宮廷の中の革命者』(岩波新書)を読みました。20代後半、縁あってなんどかスペインに導かれ、プラド美術館にも行きました。今年は久しぶりにスペインに行ってみたいなとも思っています。
つぎには、手元にある神吉敬三先生の『巨匠たちのスペイン』から「ベラスケス_生涯と芸術」を読んでみよう。ちなみに、この本の終わりに付け加えられた「神吉先生を偲ぶ」は、岩波新書のベラスケスの著者である大高保二郎先生によるもの。
狂ったように暑い今年の夏は、冷房の効いた部屋で読書するに限ります。

『確率論と私』(伊藤清著)

日本が誇る数学者、伊藤清(1915-2008)のエッセイ集。先生の著作の中で、ぼくのような数学オンチが読める本はこの本一冊のみだと確信をもっていえます。お金に頓着せず、研究にすべての時間をささげた方の成果が、ご本人の意図しない形でウォールストリートのオプション理論に応用され、金もうけの武器として利用されたという皮肉。そのことをこのエッセイ集の中で、「喜びより、むしろ、大きな不安に捉えられた」と書かれています。
先生の理論をすこしでも理解できるようになりたいものです。

映画『クワイ河に虹をかけた男』と小説『奥のほそ道』

昨年でしょうか、日本映画専門チャンネルで録画したドキュメンタリー映画を今週末、ようやく観ました。
日本の戦争責任を認めることは愛国心に欠ける非国民だと考える人もいるのかもしれませんが、そういう人たちに、この映画の主人公のことを知ってもらいたいと思います。
戦争責任を認めることが非国民だとは思いませんし、愛国心に欠けるなんて、まったく思いません。過去の間違いがあったとしたら、それを認め、許しを請うことこそ、勇気ある態度であり、愛国心ある行為ではないのか。

この映画の主人公が戦時中、通訳者としてみた泰緬鉄道の工事現場で起こったさまざまな出来事を、われわれも少し知っておいたほうがいいように思います。

ちょうど、今年、「奥のほそ道」というオーストラリア作家の作品が翻訳出版されました。すでに買ってあり、夏休みには読もうと思っています。
数年前、イギリスのブッカー賞を受賞した作品で、翻訳が出るのを楽しみに待っていた作品です。この小説も、作者の父親が日本軍の捕虜として泰緬鉄道の建設に携わったことが基になっています。

映画の中で、捕虜だったイギリス人がこんなことを言います。「日本政府は、遺憾だ(regret)と言っても、申し訳なかった(sorry)ということは言わない。遺憾なのは、あんなひどい扱いを受けたわれわれ捕虜の方だ。」「これまで何人の日本人にも会ってきたけども、何も変わらなかった。この映画で何か変化が起こるのかね。」

そう言えば、エルトンジョンの歌に、Sorry Seems To Be The Hardest Word って歌がありましたね。

映画『クワイ河に虹をかけた男」公式HP
小説『奥のほそ道』

『美しい顔』(北条裕子著)

ひさしぶりに文芸誌なるものをマジで読みました。雑誌「群像」の6月号。新人賞をとった北条裕子の『美しい顔』。東京新聞の文芸コーナーでなんどが話題になっていた作品で、ぜひ読んでみたいと思っていました。期待以上。簡潔で力強いストーリーが良かった。東北の震災で母親を亡くした17歳の少女と7歳の弟の物語。作者は東京に住み、被災地には行ったことがないそうですが。単行本になったら、また読んでみたい小説。

『戦争のなかで考えたこと(ある家族の物語)』

先日101歳でお亡くなりになった日高六郎の著作の一つ。
中国の青島で生まれ、旧制高校から東京帝大を卒業する間、学校の休みには青島にある実家に帰省していたこと、日本の言語空間に制約されることなく、日本と中国の間を行き来しながら、保守的であるが中国人に親愛的な考えを持っていた父との会話から考えを深めていったことなど、作者の成長の過程において影響を与えたさまざま出来事について、たいへん興味深く読みました。

作者の本はほかにはあまり読んだ記憶がありませんし、この方に関して、さまざまな評価があるようですが、この本に関して言うと、たいへん読みやすく、また現在の日本の東アジアにおける困難な状況を歴史的なバックグラウンドから、的確に指摘されているように思います。たいへん共感を持ったとも言えます。この本の中で指摘されている日本敗戦の原因は、残念ながらいまも変わらず残っているどころか、だんだんと強くなっているように感じます。

この半自伝的な作品を読んでいて思ったのですが、この作品を基に映画を作ってみると面白い作品になるのではないかと思いました。

「日本軍兵士_アジア・太平洋戦争の現実」(吉田裕著)

昨年末に出版された本ですが、ベストセラーになっているようです。
特攻隊やインパール作戦の悲惨さはもちろんですが、前の戦争の日本軍兵士が経験した実態のひどさ、悲惨さは想像以上です。一例をあげます。戦争が終わった後にも悩まされたという水虫の話。泥沼のようなところを、軍靴を脱ぐこともできず、半年も1年も這いずり回っていた兵士の足がどんなにひどい水虫にかかっていたのか、想像しただけでも恐ろしくなってきます。
著者の吉田先生は、近現代政治史、軍事史の研究者。
著者は1944年から敗戦までを「絶望的抗戦期」と名付けています。この期間中に、兵士を含む日本人戦没者310万人の約9割がなくなっていると推定され、年次別の戦没者を公表しない政府を非難されています(アメリカは年次別どころか、月別の死亡者も発表)。そのようなデータを発表することに、何か不都合があるのでしょうか?「知らしめず」という日本の伝統か?