希望

 サルトル最後のインタビュー記事は、「いま、希望とは」というタイトルだったと記憶しています。日本にはすべてのモノはあるけども、希望が足りないのかもしれません。
 
 この前、山形に行った時買った地元の山形新聞でも紹介されていた本
、「希望学1_希望を語る」(東大出版会)。地域再生のカギは「対話」という大見出しの書籍紹介記事でした。「希望とは、行動によって具体的な何かが実現するという強い願い」と、この本では定義されています。
 昨日、ある国会議員の方と、グループでお会いする機会がありました。政治、そして自分のやっている仕事には、常に希望を持ちたいと思っています。

『グローバル恐慌』(浜矩子著、岩波新書)

 金曜日、山形でも失業者が増えているという話をお聞きしました。日本中、特に地方において、多くの人が働きたいと思うような仕事が少なくなってきています。(ただし、贅沢を言わなければ、仕事がないわけではない、という声もよくお聞きします)日本にも、グローバル不況の波が押し寄せています。
 浜先生は新聞、雑誌等にもよく文章を書かれていますが、先日、NHKラジオで話をお聞きし、「ズバッ!」と物事の核心に迫っていこうとする話し方が気に入って、この本を読んでみました。文章もハキハキしていて、読みやすいです。
 副題は、「金融暴走時代の果てに」とあります。当初、モノについていたカネが、次第に一人歩きし、カネが独自の力学で動きはじめたこと、さらには、ヒトとさえも関係を絶つところまで来てしまったこと。ところがカネはモノの世界にも、ヒトの世界にも大きな影響を持ち続けていることを考えさせられます。
 ボクが金融の世界で働いていた1980年代後半から90年代半ばにおいても、カネの世界、特にアメリカのカネの世界の話はダイナミックで、ものすごい力を持っているものだなと感じていました。今振り返ってみると、あらためて感心します。(80年代の後半、ジャンクボンドのマーケットを作り上げたドレクセルバーナム証券のミルケンは、ある年に、600億円近くの年収があったように記憶しています。愕然とする金額です。)そのアメリカのカネの力が、経済のグローバル化にともなって、世界に広がっていったのが90年代半ば以降の10年間かと思っています。そのアメリカのカネの力を、後ろから支えてきたカネの大口の出所のひとつが日本で、アメリカの僕(しもべ)としての日本を思うと、これまた悲しくなってきます。
 現在の世界不況がどのような展開を示していくのか、凡人のボクには予想もつきませんが(浜先生はじめ、多くの賢い先生たちもご存じないようです)、このあたりで、一度カネの動きをスローダウンした方がいいんじゃないかと思います。政府の規制強化はあまり賛成しないのですが、ゴールドマンを始めとするウォールストリートの強者の議論を聞いていると、「いったいいくらカネをためればあんたたちは満足するのか?」と言いたくなります。10億も、あるいは100億もボーナスを取り、先々はメトロポリタン美術館やカーネギーホールに大口の寄付を行って偽善者、いや慈善活動家として偽りの名を残したいのか。
 うちの犬たちを始め、動物たちは「足ることを知る」ということを知っているようで、その点、人間よりか、犬たちの方が高等かなと思います。

『養老猛司の旅する脳』(小学館)

御存じ、養老先生のエッセイ集。JALの機内誌「SKYWARD」に連載されていたものを一冊に集めた本。JALに乗ったとき、いつも楽しみにしていたコーナー。最新の4月号からはこのコーナーがなくなってしまい、飛行機に乗る楽しみが、ちょっと減ります。

『生物と無生物の間』(福岡伸一著)

 本屋ではもう何度も目にしていて、でもなぜか手が伸びなかった本。ところが、先週土曜日の早朝のNHKラジオ(「土曜あさいちばん」内「著者に聞きたい本のツボ」6:15-6:24放送)で著者のインタビューを聞いて興味を持ち、早速買って読んでみました。
 生物は、物理、化学、さらには地学と並んで、ボクがまったくダメな科目(こうやってみると、理科系の科目はすべてダメだということになります)。この本を読んでいても、生物学の話よりもボクが興味を持つのは、発見や研究を巡る人間模様。特に、ロザリンド・フランクリンという、DNAの構造発見のきっかけとなるX線解析(と書いていても、このことが何をさすのか、よくわかっていませんが)の研究者の話には、哀れさを感じてしまいました。
 著者が研究者としてどれだけの実績をお持ちなのか、それはまったくわかりません。が、生物学のライターとしては、たいへん優れた方なのではないかと思いました。

『無趣味のすすめ』(村上龍著、幻冬舎刊)

 雑誌「ゲーテ」に連載されたエッセーに3つの文章を加え単行本にまとめたもの。3年前、「ゲーテ」の創刊号にでていた「無趣味のすすめ」についての、このブログで書いたコメントをご覧いただいた幻冬舎の編集部の方から献本いただきました。(だからと言って以下に書いたことに遠慮はありませんよ!)
 村上龍の小説はほとんど読んだことはありません。高校生の頃、「限りなく透明に近いブルー」を読んだことがあるくらい。それにテレビ番組「カンブリア宮殿」で見る村上龍は、ゲストにちょっと遠慮というか、こびるようなところがあって、村上龍らしくない気もします。でもこの『無趣味のすすめ』のようなエッセイでは、遠慮しない村上龍がいるので好きです。
 この単行本の中でも、好きな文章と言葉をいくつか見つけました。
「小規模で孤独な環境から出発し、多数派に加入する誘惑を断固として拒絶すること、それがヴェンチャーの原則である。」(→これはまさに、ボクらが発行した「Small Giant(スモールジャイアンツ)」そのもの!)
「恋人のときはお互いを見つめ、結婚後は共に未来を見つめる、という言葉がある。(中略)その言葉はビジネスパートナーについても当てはまる。」(→ビジネスパートナーとの関係は、ときには夫婦関係同様、だましだまされ?!)
「目標は、あったほうがいいという程度のものではなく、本当は水や空気と同じで、それがなければ生きていけない。目標を持っていなければ、人は具体的にどういった努力をすればいいのかわからない。」(→残念ながら、目標を持っていない人や会社は多い)
「情熱について語ることと、情熱という概念を自らの能力の一部とすることは、まったく違う。」(→情熱を口にする人は数多いても、情熱を持って生きている人は少ない)
「充実した仕事のためには心躍るオフの時間が必要だというのは、無能なビジネスマンをターゲットとして、コマーシャリズムが垂れ流し続ける嘘である。」これと同じようなものとして、「アイデアというものは常に直感的に浮かび上がる。しかし直感は、長い間集中して考え抜くこと、すなわち果てしない思考の延長線上でしか機能してくれない。」そして、これらの言葉は、この本の一番最初の文章であり、雑誌の創刊号にでていた「無趣味のすすめ」に還っていくのです。(「真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危険感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。」)

 でも、今回、この本の中で、ボクが一番納得している文章は以下のようなものです。
「そもそもたいての人は、挑戦する価値のある機会に遭遇できない。何に挑戦すればいいのかもわからない。挑戦する何かに出会うのも簡単ではない。(中略)出会うことに飢えていなければ、おそらくそれが運命の出会いだと気づかないまま、すれ違って終わってしまうだろう。」残念だけど、ほとんどの人間は、運命の出会いを生かすことができないまま、この世での生を終えてしまっているような気がして、こう書いている自分もその一人なのではないかと、心細くまた焦りを感じてくるのですが。
 村上龍は、「日本には何でもある、希望以外のすべてがある」という趣旨のことを言ったと記憶しています。その通りなのでしょうが、ボクは今の日本の悲劇は、豊かな社会ができあがり、日本人が飢えを、そして渇望することを忘れてしまったことなのだろうと思っています。
 幻冬舎編集部のIさん、ありがとうございました。
 

『日米同盟の正体_迷走する安全保障』(孫崎亨著)

 著者は1966年外務省入省、2002年防衛大学校教授に就任、そして今月退官予定。帯には「アメリカ一辺倒では国益を損なう大きな理由。インテリジェンスのプロだからこそ書けた日本の外交と安全保障の危機」とあります。著者はオバマ政権の外交も過去の政権から大きく変わることがないこと、アメリカの利害と日本の利害は必ずしも一致しないにも関わらず、日本はアメリカ一辺倒の罠に絡めとられていることを繰り返し説いています。
 北方領土に関する英米の「陰謀」(ロシアと日本の間に溝を作り、両国の間に問題を残しておこうという)、アメリカの本当の意図を理解することなくアメリカの外交政策に乗っかっていく日本、都合の悪い政治家を排除しようとする対日政策など、国際政治はボクらの理解を超えた深みがあるのかもしれません。
 大学でちょっとだけ国際関係論を勉強したボクには、おもしろい本でした。

仕事と恋愛の違い

 仕事でお付き合いがある方(アクセンチュア出身のキャリアコンサルタント)が、本を出されたということでお贈りくださいました。羽方さん、ありがとうございます。タイトルは、羽方康著『SEの転職力』(日本実業出版社刊)。

 この本の中でおもしろかったたとえ話がひとつ。恋愛の場合には、「この人と別れたいからあの人(新しい人)とつき合いたい」ということはない。ところが仕事の場合には、「この会社がいやになったから、新しい会社に入りたい(転職したい)」という人がわんさか。

 「あの会社に入りたいからこの会社を辞める」というのが自然なのであって、「この会社を辞めたいからあの会社に入りたい」というのは不自然だ、と。

 どちらにしろ、恋愛はなくても((カレ、カノジョがいない時期はあっても)生きていけるけど、仕事はないと生きていけないものだというのが、根本にある違い。

"Mojo" by Marshall Goldsmith

 アメリカン・ブック&シネマの最新刊『Small Giants』のキーワードのひとつは、Mojo。辞書などで調べると、magic とか、magical spiritというような意味になるかと思いますが、『Small Giants』で取り上げられている14の企業のハートの部分に存在する大切な価値観であり、存在意義を意味しています。
 
以前、ご紹介した世界的なexecutive coachのMarshall Goldsmithの近刊のタイトルが、"Mojo: How to Get It, How to Keep It and How to Get It Back When You've Lost It. "だということを知りました。発売は今年の8月を予定しているようですが、ちょっと読んでみたいなと思っています。

1万時間の努力

 『ティッピングポイント』で有名な作家Malcolm Gladwellは、著書「Outliers」の中で、分野はなんであれなにかに秀でる(outperform)ためには1万時間それに集中しないといけない、と書いてあるそうです(まだこの本を読んでいません)。Financial Times でよく読むコラム(Luke Johnsonというイギリスのベンチャーキャピタリスが担当)で見つけました。
 一日10時間として、1000日、3年ほどの努力です。これだけの努力である程度の成果が見えてくるのであれば、考えようによっては、ラッキーなのではないでしょうか?それであれば、人生、そんなに悪くないと思うのですが。

村上春樹のエルサレム文学賞受賞スピーチ

 黒犬お気に入りの作家(特にエッセイですが)のひとり村上春樹が、最近エルサレム文学賞を受賞した際に行ったスピーチ。 壁(村上春樹によると、人間が創りだしたシステム)にぶつけられ、無惨に壊れていく卵は、パレスチナ人だけでなくイスラエルの人たちも含んでいるのかもしれません。
 日本でも、官僚制度という壁で粉々にされている卵の中には、一部の役人たちも入るのかもしれないことを覚えておいてもいいのではないかと思います(霞ヶ関に自殺が多いことは十分報道されているのか?)。
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村上春樹スピーチ(Salon.comより)