『無趣味のすすめ』(村上龍著、幻冬舎刊)

 雑誌「ゲーテ」に連載されたエッセーに3つの文章を加え単行本にまとめたもの。3年前、「ゲーテ」の創刊号にでていた「無趣味のすすめ」についての、このブログで書いたコメントをご覧いただいた幻冬舎の編集部の方から献本いただきました。(だからと言って以下に書いたことに遠慮はありませんよ!)
 村上龍の小説はほとんど読んだことはありません。高校生の頃、「限りなく透明に近いブルー」を読んだことがあるくらい。それにテレビ番組「カンブリア宮殿」で見る村上龍は、ゲストにちょっと遠慮というか、こびるようなところがあって、村上龍らしくない気もします。でもこの『無趣味のすすめ』のようなエッセイでは、遠慮しない村上龍がいるので好きです。
 この単行本の中でも、好きな文章と言葉をいくつか見つけました。
「小規模で孤独な環境から出発し、多数派に加入する誘惑を断固として拒絶すること、それがヴェンチャーの原則である。」(→これはまさに、ボクらが発行した「Small Giant(スモールジャイアンツ)」そのもの!)
「恋人のときはお互いを見つめ、結婚後は共に未来を見つめる、という言葉がある。(中略)その言葉はビジネスパートナーについても当てはまる。」(→ビジネスパートナーとの関係は、ときには夫婦関係同様、だましだまされ?!)
「目標は、あったほうがいいという程度のものではなく、本当は水や空気と同じで、それがなければ生きていけない。目標を持っていなければ、人は具体的にどういった努力をすればいいのかわからない。」(→残念ながら、目標を持っていない人や会社は多い)
「情熱について語ることと、情熱という概念を自らの能力の一部とすることは、まったく違う。」(→情熱を口にする人は数多いても、情熱を持って生きている人は少ない)
「充実した仕事のためには心躍るオフの時間が必要だというのは、無能なビジネスマンをターゲットとして、コマーシャリズムが垂れ流し続ける嘘である。」これと同じようなものとして、「アイデアというものは常に直感的に浮かび上がる。しかし直感は、長い間集中して考え抜くこと、すなわち果てしない思考の延長線上でしか機能してくれない。」そして、これらの言葉は、この本の一番最初の文章であり、雑誌の創刊号にでていた「無趣味のすすめ」に還っていくのです。(「真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危険感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。」)

 でも、今回、この本の中で、ボクが一番納得している文章は以下のようなものです。
「そもそもたいての人は、挑戦する価値のある機会に遭遇できない。何に挑戦すればいいのかもわからない。挑戦する何かに出会うのも簡単ではない。(中略)出会うことに飢えていなければ、おそらくそれが運命の出会いだと気づかないまま、すれ違って終わってしまうだろう。」残念だけど、ほとんどの人間は、運命の出会いを生かすことができないまま、この世での生を終えてしまっているような気がして、こう書いている自分もその一人なのではないかと、心細くまた焦りを感じてくるのですが。
 村上龍は、「日本には何でもある、希望以外のすべてがある」という趣旨のことを言ったと記憶しています。その通りなのでしょうが、ボクは今の日本の悲劇は、豊かな社会ができあがり、日本人が飢えを、そして渇望することを忘れてしまったことなのだろうと思っています。
 幻冬舎編集部のIさん、ありがとうございました。