『負けに不思議の負けなし』(野村克也著)

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 先日ご報告した通り、愛犬も飼い主も体調不良で、だるい週末を過ごしました。カイは夜になると昨年以来完全に占領したソファの上で、写真のような格好で休養をとっています。飼い主は貧乏性でじっとしていることができないのですが、我慢してベッドの上で本を読んでいます。

 応援しているJリーグのチームがさっぱり勝てません。レイソルもアビスパも、よくても引き分けで、負けが続いています。アビスパはユニフォームスポンサーとして応援させていただいておりますので、勝ってほしいです。
 この両チームだけではないのですが、Jリーグは歴史が浅いせいもあるのでしょうか、野球と比べると、指導者層での人材が乏しいのではないかと勝手に想像しています。Jリーグのチームの監督経験者がしばしばテレビの実況解説に出てきますが、その人たちの話を聞いていても、失礼ながら、この程度の精神論しか言わないようじゃ、たいしたことないなと、素人ながら思ってしまうことが多いのです。

 もしかして、きちんと技術的なこともお話されているのかもしれません。ただ全体から受けるお話の印象に深みがないのです。でも、そもそもテレビの解説なんていうものは、そういうものかもしれませんが。
 その点、野球は歴史が長いからか、論客が多いように思います。日経新聞にコラムを持っている元西鉄の豊田泰光さん、そしてこの『負けに不思議の負けなし』の野村克也さんなど、すごいベテランがいるなと感心します。お二人とも勉強家だし、人間観察がすごく、文章を読んでいて勉強になります。(知り合いの方からお聞きしたのですが、ザスパ草津の廣山選手のブログが面白いそうです。今度ゆっくり読んでみようと思っています)
 ボク自身は、もう野球には興味を失っていて、新聞のスポーツ欄でも野球記事にはまったく目がいっていません。もっぱらサッカー、サイクリング、そしてボクシングです。日本のサッカー界にも、野村克也のような指導者がでてきて、試合のレベルを上げてくれないものかと思います。ボクは何度かこのブログで書いたとおり、オシムの大ファンです。彼が日本を去ったことはとても残念に思っています。野村監督の「ぼやき」を聞いていると、オシムを思い出してしまいます。お二人とも苦労人なのが共通点でもあります。
 最後になりますが、この本のタイトルは、
「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」からとったものだそうです。スポーツだけでなく、ビジネスにも当てはまる箴言です。

『日清戦争_「国民」の誕生』(佐谷眞木人著)

 講談社現代新書なので、手軽に読めます。内容も、それほど重くありません。先週、海外の勉強会の連中に聞いてみても、100年ほど前、日本が中国、ロシアと戦争をして勝ったなんてことは、ほとんど知りませんでした。我々日本人でも、きちんと歴史教育を受けていない人が増えているようなので、日清戦争、日露戦争を知らないという人が、もしかしているのかもしれません。

 おもしろかったのは、日清戦争を経て、初めて「日本国民」の意識が広まったという指摘。また、当時、東京の銀座は、新聞街で、「大通りだけでも読売、新朝野、自由、東京日日、中央、毎日の諸新聞社がある。(中略)都と二六を除くの外は、あらゆる新聞社が銀座界隈に集まっていた」とか。また、作者によると、「日清戦争という強烈なコンテンツは読者を熱狂させ、新聞や雑誌によって世界を認識する習慣を社会に定着させた。こうして、メディアが社会の風潮を増幅し、人びとを単一の価値観に染め上げていく危険性をもつ、大衆社会が成立した」。CNNをはじめとする映像メディアが、湾岸戦争を世界にライブで中継し、お茶の間に戦争が入ってきたことを思い出します。

 今、崩壊過程にある新聞事業ですが、このころは、成長産業だったのかと思います。新聞に代わって、世界を認識する手段となり、人々を同じ価値観に染めていったのは、戦後はテレビでした。そしていまその役割は、インターネットが担いつつあるのでしょうか?

『Small Giants』が日経ビジネス5月18日号で紹介されました

 「日経ビジネス」最新号の書評コーナー(「仕事に生かすならこの一冊」)で、アメリカン・ブック&シネマの『Small Giants』が紹介されています。評者の岡部弘さま(デンソー相談役)、および日経ビジネスには、心より感謝申し上げます。

 金融界の強欲がひとつのきっかけとなったこの世界不況の中、評者の方が書かれているように、「企業は誰のためにあるのか」という問いから、もっと根源的な、「企業はそもそも何のためにあるのか」という問いに、議論は深まっていくべきなのかもしれません。

 マレーシアからの帰りの機内で、『代表的日本人』(内村鑑三著)を再度読んだのですが、二宮尊徳、中江藤樹、あるいは上杉鷹山といった先人たちの考えのなかに、僕らが求めている答えのヒントがあるのではないかと思います。

『運命の人1、2』(山崎豊子著)

 外務省機密漏洩事件を小説にした山崎豊子の最新作。沖縄返還をめぐって、今に至っても日本の外務省が否定し続け、アメリカ側では公的文書が公表され、その存在が広く知られている密約。それをスクープした毎日新聞の西山記者を巡るフィクション。政治家たちも含めて、登場人物たちの名前は変えられていますが、誰のことか簡単に分かります。
 日本政府はアメリカとの対等の関係を口にしますが、残念ながら、現在にいたるまでアメリカの僕(しもべ)としての関係はずっと続いています。戦後60年以上もたつというのに、実質的な
アメリカの日本占領政策はまだまだ続き、われわれ日本人も防衛をアメリカに任せきって金儲けに集中することで、自立した国家としてのとても大切なものを失ったままになっています。ボクら国民も、無意識のうちにアメリカの指示を求め、その枠内で行動することで安心してしまっています。
 この事件が起こった1972年前後、ボクは中学生だったように思いますが、この事件はその後の展開も含めて、ボクにはとても大きな戦後の出来事のひとつです。毎日新聞の西山記者は、社会的な地位も家族もすべて失い、福岡の実家にお帰りになったまま、ずっと自分の名誉回復のための裁判闘争を続けてきたようにお聞きしています。取材方法に問題があったとはいえ、彼が行った問題提起は、今も日本の存在のありかたへの問いかけをボクらに突きつけているのに、この事件を覚えている人、関心を持っている人は少なくなっているのではないかと思います。
 『運命の人』3、4巻目の発売を楽しみに待っています。
 →ウィキ
西山事件
 

新潮社からのプレゼント

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 さっき、サン・ジョルディの日のことを書いたのですが、ボクには、新潮社からこんな素敵なプレゼントがありました。Yonda Pandaのキャンペーンで、30冊の新潮文庫のシールを送るともらえる、Yonda Panda君。これ、大好きです。以前のキャンペーンパンダの人形もオフィスの部屋に飾ってあります。今日届いたのですが、そう言えば、サン・ジョルディの日である今日届くように、新潮社も準備していたのでしょうか?だとしたら、粋な計らいが素敵です。ますます新潮文庫のファンになってしまいます。

サン・ジョルディの日

 今日4月23日は、大切な人に本や花を贈る、スペイン・カタリューニャ地方の伝説に由来する日。日本でも広がってきたのかなと思っていたのですが、今日の新聞記事によると、スポンサーが撤退して、実行委員会が解散になったとか。バレンタインのチョコレートもいいけど、本のプレゼントは、それ以上に素敵だと思うのは、少数派かな?

希望

 サルトル最後のインタビュー記事は、「いま、希望とは」というタイトルだったと記憶しています。日本にはすべてのモノはあるけども、希望が足りないのかもしれません。
 
 この前、山形に行った時買った地元の山形新聞でも紹介されていた本
、「希望学1_希望を語る」(東大出版会)。地域再生のカギは「対話」という大見出しの書籍紹介記事でした。「希望とは、行動によって具体的な何かが実現するという強い願い」と、この本では定義されています。
 昨日、ある国会議員の方と、グループでお会いする機会がありました。政治、そして自分のやっている仕事には、常に希望を持ちたいと思っています。

『グローバル恐慌』(浜矩子著、岩波新書)

 金曜日、山形でも失業者が増えているという話をお聞きしました。日本中、特に地方において、多くの人が働きたいと思うような仕事が少なくなってきています。(ただし、贅沢を言わなければ、仕事がないわけではない、という声もよくお聞きします)日本にも、グローバル不況の波が押し寄せています。
 浜先生は新聞、雑誌等にもよく文章を書かれていますが、先日、NHKラジオで話をお聞きし、「ズバッ!」と物事の核心に迫っていこうとする話し方が気に入って、この本を読んでみました。文章もハキハキしていて、読みやすいです。
 副題は、「金融暴走時代の果てに」とあります。当初、モノについていたカネが、次第に一人歩きし、カネが独自の力学で動きはじめたこと、さらには、ヒトとさえも関係を絶つところまで来てしまったこと。ところがカネはモノの世界にも、ヒトの世界にも大きな影響を持ち続けていることを考えさせられます。
 ボクが金融の世界で働いていた1980年代後半から90年代半ばにおいても、カネの世界、特にアメリカのカネの世界の話はダイナミックで、ものすごい力を持っているものだなと感じていました。今振り返ってみると、あらためて感心します。(80年代の後半、ジャンクボンドのマーケットを作り上げたドレクセルバーナム証券のミルケンは、ある年に、600億円近くの年収があったように記憶しています。愕然とする金額です。)そのアメリカのカネの力が、経済のグローバル化にともなって、世界に広がっていったのが90年代半ば以降の10年間かと思っています。そのアメリカのカネの力を、後ろから支えてきたカネの大口の出所のひとつが日本で、アメリカの僕(しもべ)としての日本を思うと、これまた悲しくなってきます。
 現在の世界不況がどのような展開を示していくのか、凡人のボクには予想もつきませんが(浜先生はじめ、多くの賢い先生たちもご存じないようです)、このあたりで、一度カネの動きをスローダウンした方がいいんじゃないかと思います。政府の規制強化はあまり賛成しないのですが、ゴールドマンを始めとするウォールストリートの強者の議論を聞いていると、「いったいいくらカネをためればあんたたちは満足するのか?」と言いたくなります。10億も、あるいは100億もボーナスを取り、先々はメトロポリタン美術館やカーネギーホールに大口の寄付を行って偽善者、いや慈善活動家として偽りの名を残したいのか。
 うちの犬たちを始め、動物たちは「足ることを知る」ということを知っているようで、その点、人間よりか、犬たちの方が高等かなと思います。

『養老猛司の旅する脳』(小学館)

御存じ、養老先生のエッセイ集。JALの機内誌「SKYWARD」に連載されていたものを一冊に集めた本。JALに乗ったとき、いつも楽しみにしていたコーナー。最新の4月号からはこのコーナーがなくなってしまい、飛行機に乗る楽しみが、ちょっと減ります。

『生物と無生物の間』(福岡伸一著)

 本屋ではもう何度も目にしていて、でもなぜか手が伸びなかった本。ところが、先週土曜日の早朝のNHKラジオ(「土曜あさいちばん」内「著者に聞きたい本のツボ」6:15-6:24放送)で著者のインタビューを聞いて興味を持ち、早速買って読んでみました。
 生物は、物理、化学、さらには地学と並んで、ボクがまったくダメな科目(こうやってみると、理科系の科目はすべてダメだということになります)。この本を読んでいても、生物学の話よりもボクが興味を持つのは、発見や研究を巡る人間模様。特に、ロザリンド・フランクリンという、DNAの構造発見のきっかけとなるX線解析(と書いていても、このことが何をさすのか、よくわかっていませんが)の研究者の話には、哀れさを感じてしまいました。
 著者が研究者としてどれだけの実績をお持ちなのか、それはまったくわかりません。が、生物学のライターとしては、たいへん優れた方なのではないかと思いました。