石原慎太郎著『再生』

 昨日は我が家の愛犬・カイ(♀の甲斐犬)の12回目の誕生日だった。本当にこの日がカイの誕生日なのかどうか、それはわからない。1999年の4月、ある雑誌で見つけた山梨の売り主からカイをもらってきた。その売り主によると、カイを含めた4匹の犬たちは2月20日生まれだということだった。それが本当なのかどうか、確認することはできないのだけど。

 そのカイも一昨年の夏に右目を、その3ヶ月後には左目を緑内障で失明した。右目の光をなくしたとき、僕はその理不尽さに大人げない反応を動物病院で示して、獣医を困惑させてしまったのだけど。

 『再生』は、大学の同級生で、昨年末「アイデアエクスチェンジ」にでてくれた佐藤君が薦めてくれた石原慎太郎の短編小説。光だけでなく、音の世界からも隔絶されてしまった少年の再生の物語。この小説には実際のモデルがある。マスコミでなんども取り上げられたので有名になっているが、現在は東大の先生をされている。石原さんはどうしてこの小説を、この時点で書かれたのだろうか?

 目が見えないということがどれだけたいへんなことか。さらに耳も聞こえないとしたら?

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(昨日、カイの誕生日に。エリザベスカラーは頭や顔を守るため)

『ぼくが見てきた戦争と平和 』(長倉洋海著)

 先月10日の朝日新聞朝刊の写真特集記事で、フォトジャーナリストの長倉さんの作品を見てちょっとショックを受けた。それはアフガニスタンの英雄・マスードが、山の上で地面に横になりながらひとり静かに本を読んでいる写真だった。本を読んでいる青年がマスードだと知らなければ、ハイキングで山に来たひとりの青年が、美しい自然の中で読書に熱中しているだけの写真に見えるかもしれないけど、それが戦火のアフガニスタンの兵士のひとときだと知った時、その写真はまったく異なる意味合いを持ってくる。マスードと同年代の長倉さんはマスードに同行しながら、このアフガン兵士の英雄の日常生活をカメラに収めていた。その中の一枚の写真。
 時には睡眠2時間で朝から晩まで闘い、住民の苦情を聞き、兵士たちを鼓舞し、作戦を練り、そしてまた闘っていた男が、3000冊の本を持ち、限られた時間の中で本を読み、詩を詠んでいたという話に驚いた。夜は真っ暗な部屋の中、ろうそくの明かりを頼りに、マスードは本の世界に入っていった。だから平和な日本に住む僕らが、本を読む時間がないと言い訳しているなんて、ちゃんちゃらおかしいこと。
 『ほくが見てきた戦争と平和』は、長倉さんがカルチャーセンターで行った講演に写真を加えたもの。お話の内容もいいし、もちろん写真も素晴らしい。アフガニスタンだけでなく、コソボ、アマゾン、エル・サルバドルで撮った写真も紹介されているけど、アフガニスタンのマスードの写真が特にいい。
 山の上でひとり本を読むマスードの写真は本当にいい。この写真が含まれる写真集を入手したいと思っている。

サラ・パレツキーと福岡正信

 年末に読んだ本2冊。
『沈黙の時代に書くということ』(サラ・パレツキー著、原著は2007年)、『自然農法・わら一本の革命』(福岡正信著、1975年に出版されている)。
 ひとりはV.I.ウォーショースキーという女性探偵を主人公とするシリーズの著者。1947年アイオワ州に生まれ、カンザスで育ち、カンザス大学卒業後、シカゴ大学で政治学の博士号を取得後、以来シカゴ在住。
 もう一人は1913年愛媛県伊予市生まれ。1933年岐阜高農農学部(現在の岐阜大学応用生物科学部)卒後、税関植物検査課、農業試験場などの勤務を経て、1947年帰農。以来、自然農法一筋に生き、2008年逝去。
 まったく異なる二人なんだけど、現代社会で生きるということを真剣に考えつづけている(いた)人たちが書いた本。
 サラ・パレツキーの本を読むと、50年代のアメリカ中西部で問題意識の高い少女として育つことが決して楽なことではなかったと知ることができるし、アメリカが男女等しい権利を認めるまでかなりの時間がかかったことがわかる。保守的な宗教観を持ったひとたちは今でも決して男女の同権を根本的には認めていないようでもある。
 僕は彼女のV.I.シリーズをまだ読んだことはなかった。この本は、タイトルと帯にある彼女の素敵な笑顔に引かれて買ってみた。彼女は1960年代、まださまざまな差別があったとはいえ、その差別を解消していこうとして多くの人たちが闘った時代のアメリカ社会で10代、20代を送った人なので、商業化、保守化していくアメリカ社会に、心の底から怒りややるせなさを持っている人だ。たとえばこんな文章に彼女の人柄や現在の気持ちが表れている。
「V.I.に自惚れはない。世界を救おうとはしない。できないことがわかっているからだ。しかし、自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、”傷口に包帯を巻き、戦いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする”ことを心がけている。いまの時代、リンカーンのように偉大なヒーローが見つかるなら、わたしは多くをさしだすだろう。ワシントンへ行くたびに、リンカーン記念館に寄って氏の坐像を見あげ、悲しげで、聡明で、やさしそうな顔をみつめる。この世にもどってきてアメリカ合衆国を救ってほしいと祈る。歳月が流れるなかで、多くの人々が同じことをしているのを知った。」
 もう一人の福岡正信は、もしかして、日本国内よりも海外においての方が評価が高いのかもしれない。昨年、広島市長の秋葉さんが受賞したマグサイサイ賞(アジアのノーベル賞と言われている)の「市民による公共奉仕」部門賞を受賞されているそうだ。去年、フィナンシャルタイムスのコラムで、エコロジストとしての福岡さんを高く評価するエッセイを読んだこともある。
 『わら一本の革命』の中で、なんども科学を否定すると書かれているけども、実はしっかりとした実証実験に基づいて自然農法の議論を展開されている。「自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。」福岡さんの科学批判は、都合のいい前提条件、限定された条件のもとでのみ成立するような「科学的真理や理論」に向けられている。
 この本の中には驚くような話がいくつもでてくる。僕は以下のような話は本質をついた話だと思うし、本当に羨ましい考え方だとも思う。
 その1:「農林省の役人は、ただ一つのことを知る努力をすればいいと思うんです。それは、日本人は何を食べるべきかということです。この一つのことを、追究し、何を日本では作るかといことを決定すれば、それでほとんど事足りると、私は思うんです。(中略)農林省の役人なんかはですね、春でもくれば、すぐに野山になんかへ出かけて、春の七草、夏の七草、秋の七草みたいなものをつんで、それを食べてみる、というようなことから始めて、実際の人間の食物の原点は何であったのかということを、まず確認する必要がある。」
 その2:「村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつくっていて、それを奉納していた。多分、百年か二百年ぐらい前だと思うのですけど、それだけの余裕があったんです。そのころのことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。現在は、この村で一人だって、俳句なんかつくっている余裕はないわけです。(中略)いわゆる農業が、物質的には発達したように見えて、精神的には貧弱なものになってきている一例といえるわけです。」
 その3:「私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。(中略)一反で、家立てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。」
 福岡さんは老荘思想に大きな影響を受けている。多くの人は「老人の戯言」と片付けてしまうのかもしれないけど、僕の中では学生の頃からずっとあこがれている世界だ。
 こんな方が愛媛にいらっしゃった。愛媛の小中高に通ったのに、残念ながらその存在を習った記憶がない。学校なんかで教えてもらえないことの方がずっとおもしろいし、本質的なことなのかもしれない。

『永遠の〇(ゼロ)』(百田尚樹著、講談社文庫)

 先日、ビルの中にあるトイレですれ違った人がこの本を手にしているのを見ました。ちょうど僕も読んでいるところだったので一瞬声をかけたくなりました。文庫化されてベストセラーになっているのではないかと思います。数ヶ月前、新聞の書評コーナーで知って買っておいたのですが、週末にかけて読み終えました。うまいストーリー・テリングで、とても「酔わせてくれ」「泣かせてくれる」小説です。
 「エンターテイメント」としてすごくよく書かれた小説。「エンターテイメント」と言っても、物語の中身は特攻隊員として死んでいったシャープな頭脳と深い情を持った、最高に「クール」な男の話で、決して軽いテーマではありません。『永遠の〇』は、『虜人日記』(小松真一著)の著者が指摘した日本軍敗戦の理由を小説化したとも言えます。(→10月11日
 この小説の中で、著者は、日本軍のエリートたちの多くが、部下には死を命じながら自分は生き延びようとした卑怯な人間たちの集団だったとしています。それは今の日本社会でも、エリートと呼ばれる人間たちの多くがそうなのではないかと、著者はそのことをわれわれに考えさせよう、気づかせようともしています。自分たちの失敗は隠し、お互いかばい合う体質なんて、戦争のときと現在の政府、企業のありさまとほとんど変わっていないのでは?!
 この小説であげられていることで、現在につながる問題の一つをあげておきます。この本の中で、海軍のエリートたちが好機であるにも関わらず、リスクを冒して米軍を攻めて行こうとしなかった理由として、彼らの胆力のなさと同時に、勲章に目がくらんでいたのではないかという指摘があります。勲章の査定ポイントで最も大きいものは、海戦で敵の軍艦を沈めることだった反面、艦艇を失うことは大きなマイナスになったそうです。その結果、攻めないといけない時であるにも関わらず、攻めきらないことが幾度もあった。
 同じことが今も指摘されています。それは大企業の経営者たちが、勲章欲しさに、必要なことをやろうとしないという話です(日経新聞に出ていた、コーポレートガバナンスの専門家である若杉東大名誉教授のインタビュー記事)。大企業の経営者が勲章をもらうには、在任中、赤字を出さない、雇用を減らさないなどの暗黙の条件があるとか。その結果、やるべきリストラや(失敗したら困る)大胆なM&Aはやりたがらない老人経営者がいるというのです。
 日本の課題は根が深いなと思いながら、この物語を読みました。それはつまるところ、日本の教育の問題だからです。多様性を認めず、言われたことを忠実に行っていく人間を育てる、という目的の教育が行われ続ける限り、過去の失敗から学び、複数の視点から物事を客観的に見る訓練を受けた個人や組織が育ちにくい風土は、なかなか変わらないから。
 アメリカの教育、アメリカのやり方がすべて正しいとは決して思っていませんが、日本人ノーベル賞受賞者の多くが、アメリカで研究を続けた結果であることを、もうすこし謙虚に考えてみる必要はないでしょうか。

『ツール・ド・ランス』が二宮清純さんのご紹介で日経夕刊に!

 日経の「エンジョイ読書」という紙面(11面)、「目利きが選ぶ今週の3冊」というコーナーで、アメリカン・ブック&シネマ(当社の出版社)発行の『ツール・ド・ランス』が紹介されています。選んでくれたのは、スポーツ・ジャーナリストの二宮清純さん。二宮さん、ありがとうございます。(彼、愛媛県の出身だったはず)

『ツール・ド・ランス』

 あ、もうひとつ今日の日経夕刊で目に入ったのは、58億円含み損の記事。

 ついこの前、地方自治体でもデリバティブ取引で含み損を抱えているところがあるという記事が一面にでていた記憶。リーマンショック以降、学校法人の多くが同様の含み損を抱えているとさんざん報道されましたが、また今日の夕刊にも、名古屋の学校法人が58億円の含み損を抱えているようだと言う記事。

かつて金融分野で働いていたので言いますが、アマチュア(自治体や学校法人)が、ダウンサイド・リスク(意図せぬ方向に市場が動いたとき、被るリスク)が限定されていないような投資商品を買うなんて、ご法度の最たるもの。少々のえさ(普通よりも高めの金利)につられて、「ドルが90円切ることないですよね」「日経平均が9000円割ることなんて考えられないですよね」、だからこんなリスクとってみませんか?、なんて話に飛びつくなんて、金融機関にはめられていると同じ。

学校法人にはさまざまな税制上のメリットや生徒ひとりあたりの補助金などがあるはずなのに(つまり税金で支援を受けている!)、そんなところが「財テク」でちょっとでも多く金稼ごうという姿勢は疑問。

『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健著)

本の帯にはこう書かれています:「韓国にできて、なぜ日本はできないのか!?政界、官界、マスコミ。パチンコ問題に日本の病理がすべて集約されている」。アメリカの麻薬問題に匹敵するほどの社会問題であるにもかかわらず、政治家も、マスコミも見て見ぬ振りをしている日本の社会問題。
「(大麻が)依存症になるから危険だと司法当局は主張しているけど、ほとんどこじつけだね。そんなこと言ったらパチンコのほうがよほど危険だ」(村上春樹『IQ84』)この本の中で紹介されている、村上春樹の小説の一節。
地方に出張したとき、たまにホテルのテレビをつけてみます。地方の民放にどれだけパチンコのメーカーやホールのCMがでていることか!タバコのテレビCMがだめで、パチンコのCMはどうしてOKなのか?

『趙紫陽・極秘回想録』

 サンフランシスコであるWeb 2.0 Summit に来ていますが、それについてはまた別途書きます。今日、ホテルで読み終えたのが、天安門事件(1989年)でデモ学生たちへの対応が甘いとして失脚した、当時中国共産党総書記だった趙紫陽が、生前残していた回想録。共産党の指導者たちの間での権力闘争のすさまじさをかいま見ることができる本です。
 晩年の趙紫陽(2005年自宅監禁のまま北京で死去)は、西側民主主義政治制度を高く評価していたようです。(「二十世紀に、世界にさまざまな政治制度があったが、やはり西側の議会制民主主義に生命力があることが明らかに示された。この種の制度は、現在、実現しうる中では比較的いいものであり、民主を具現化し、現在の要求にかなった、成熟した制度ではないかと思う」)
 これからはアメリカだけでなく、中国のことももっと勉強しておかないといけないかと思っています。中国語(北京語)もすこしぐらいは理解できるようになりたいもの。

『大地の咆哮』(杉本信行著)

 副題は「元上海総領事が見た中国」。2006年末期肺がんにかかっていることが分かった著者が、遺書のつもりでお書きになられたであろう本。尖閣諸島問題についての言及も含み、中国の国内問題、日中関係、靖国問題、ODAの意義などを考えるに参考になりました。
 「咆哮」=猛獣などが、ほえたけることだそうですが、咆哮するのは中国の大地?

『梅棹忠夫語る』(聞き手・小山修三)日本経済新聞出版社

『知的生産の技術』(岩波新書)で広く知られる民族学・比較文明学の大家が、お弟子さんに語った生き様と哲学。ご本人は今年7月に逝去されています。
 
 目次をご紹介すると、きっと多くの人は読んでみたくなるはずです。そして読んでみると、閉塞感でいっぱいの我が国の霧をはらしてくれるような爽快感があります。

 第一章 「君、それ自分で確かめたか?」
 第二章 「文章は誰が読んでもわかるように書く」
 第三章 「メモ/スケッチと写真を使い分ける」
 第四章 「情報は分類せずに配列せよ」
 第五章 「空想こと学問の原点」 
 第六章 「学問とは最高の道楽である」
 第七章 「知識人のマナー」 
 第八章 「できない人間ほど権威をかざす」
 第九章 「生きることは挫折の連続である」
 エピローグ 「つねに未知なるものにあこがれてきた」
 
 ビジネスマンにも参考になるヒントや励ましがいっぱい。なによりもこういう生き方がありうること、それに勇気づけられる。

『貧困の僻地』(曽野綾子著)

 雑誌「新潮45」に連載されていたエッセイをまとめたもの。2006年12月から2008年8月まで連載されていた。曽野さんのエッセイは結構読んでいる。産經新聞に書かれている「透明な歳月の光」も毎回読んでいる。小説はそれほど読んでいるわけではないので、いい読者とは決して言えないと思うけど。

 曽野さんの行動で心から立派だなと常々思っていることがある。それは彼女が始められた海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS) が資金援助された現場を、ご自身の足で訪問されご自身の目で確認されていることだ。エッセイにでてくる援助の現場というのは、半端なところではない。アフリカの貧しい国、その国の首都からクルマで何十時間もかかるような、途中で事故にあったら生きて帰ることができるのかとヒヤヒヤするようなところ。そんなところに、日本人シスターたちが献身的に働いているということはもっとすごいことなんだけど、お金を出すだけでなく、実際の現場を見に行くという曽野さんの行動力にも同じように感心する。(援助の現場をよくご覧になられているからか、こんなことも書かれている。「私は最近、国連と名のつくところへの寄付は一切しないことにしている。使い道が正確にわからないのと、膨大な数の国連職員が、世界各地で特権階級の暮らしをしているのを見ているからだ。あれは世界的な失業救済事業ではあろう。」)

 曽野さんがなんども繰り返し書かれていることのひとつ。日本に住むわれわれの生活は、世界の貧しい国と比べると物質的、制度的には天国のような状態にあるのだけど、自己憐憫のかたまりになっている人が多いものだから、悪い結果はすべて他人や社会のせいにして自分の責任を受け入れようとしない人があまりにも多くなっている。それは一昨日お会いした服部文祥さんとの対談の中でも出た話だった。
 
 週末によく行く本屋には、曽野さんの『老いの才覚』という新書が、複数のコーナーに置かれていた。どれだけの読者がいるのかは知らないけども、老いることを受け入れていく覚悟のようなものを彼女の本から得ようとしている人たちがいるのかと思う。
 塩野七生さんもそうだけど、曽野さんもご自分の目で見たことを、ご自分の頭で考えられている。そしてご覧になられている世界の幅はかなり広く、深い。そこが二人に共通する魅力かなと思う。