『変容』(伊藤整著、岩波文庫)

いま、伊藤整 (1905-1969) の作品を読む人がどれだけ残っているのか知らない。昔々読んだ、『若い詩人の肖像』からずっと気になっている作家。小樽出身、一橋大学を中退されたということも気に留まっている理由のひとつ。商売人(ビジネスマン?)を作る学校からはそれほど多くの文学者は出ていないけど、案外、文学好きは多いのではないかと思う。(僕もその末席にいる一人かもしれない)

『変容』、今回初めて、じっくり味わいながら読んだ。やはりまとまった時間がないと、いい小説は読めない。GWは本を読むためにある?

60になろうとする画家と彼を巡る同年代の男女たちの話し。今風に言うと「シニア」。この作品が発表された1968年には、シニアなんて言葉は使われていなかっただろうけど、今の「シニア」たちのために書かれた小説かと思いながら読み進んだ。この小説に書かれた世界や時間は、今年52歳になろうとする僕にとっては近未来でもある人生におけるひとつのステージ。

渡辺淳一の小説は、伊藤整のこの小説に源流があると言ったら、言い過ぎだろうか。手を替え品を替えながら『変容』のテーマに向き合い、そしてもっとエロチックな要素で読者を楽しませてくれるのが渡辺淳一かと思う。

戦後東京の交通機関が発達していく様子や新しいビルが建っていく様子も書かれていて、都市空間の小説としても読んでしまった。

久しぶりに読んだ小説らしい小説。また繰り返し読みたいと思う。

『平成幸福論ノート』(田中理恵子著)

 著者には、小社から出していた『オデッセイマガジン』の取材の際、昨年、お会いさせていただきました。1970年神奈川生まれの詩人・社会学者。以前、このグログでもご紹介した『黒山もこもこ、抜けたら荒野』(光文社新書)では、水無田気流という筆名で出版されていましたが、今回同じく光文社新書で出されたこの本では、田中理恵子という筆名(ご本名?)を使われています。どのような理由があるのか、お聞きしてみたいです。

 著者によると、『黒山もこもと、抜けたら荒野』と本書は、「昭和の鎮魂」を裏テーマとするということです。なぜ「昭和の鎮魂」が必要なのか?それは、現在の「内向き」「懐古趣味」「過度の安定志向」「保守化」という現象は、昭和が怨念化し、人々や組織にとりついているからで、その結果、幸福は遠ざけられているから。(第5章「昭和の鎮魂」から「つながりの再編」へ)

 昭和の時代、それは日本にとって歴史的にあまりにも幸運な時代環境を提供してくれた時代で、その時代環境は一変してしまった(日本をリードしてきたアメリカの凋落、右あがりの経済とピラミッド型の人口構成を前提とした年金や健康保険制度の崩壊、グローバル化の変化に取り残された日本の雇用制度などなど)にも関わらず、あるいはそうだからこそ、ますます、日本人は昭和の時代の夢から覚めようとしない。

 「昭和の鎮魂」という言葉が適当なのかどうか?1959年、昭和34年生まれの僕は、まさに昭和の時代の人間だなと、この本であらためて認識した次第ですが、僕たちから上の世代は、まだまだ昭和の時代を生きているのかもしれません。昭和の時代に区切りを付け、新しい現実の中で、新しい目標を見つけ、平成の時代にあった幸福論を作っていくことを、「昭和の鎮魂」というのであれば、まさに「昭和の鎮魂」は必要とされている作業でしょう。

 このような大きなテーマを新書で論ずるということで、浅くなりがちというところはありますが、著者のセンスやスピード感ある言葉の使い方、断定の仕方が好きです。もし機会があれば、僕のやっているポッドキャスティング「アイデアエクスチェンジ」に出ていただきたいくらいです。

『若き芸術家たちへ』(佐藤忠良、安野光雅著)

 3月30日、98歳でなくなった彫刻家・佐藤忠良と、画家・安野光雅の対談集。今月初め、中公文庫の一冊として出版された。もともと、『ねがいは「普通」」というタイトルで2002年に出版されたものを、文庫化するにあたって改題したもの。
奇をてらわず、ゆっくりと時間をかけながら、本質を極める仕事を求めつづけた「職人」の言葉。ストイックさに敬服する。

 ちなみにシベリアに3年間抑留された佐藤忠良は、その経験のことを、「彫刻家になる苦労を思えば、あんなことはなんでもないですよ」と言ったそうだ。

佐藤忠良館(佐川美術館)
佐藤忠良記念こどもアトリエ@札幌芸術の森

『グローバルキャリア_ユニークな自分の見つけ方』(石倉洋子著)

 一橋大学の大学院(国際企業戦略研究科)でずっと教えていらっしゃった石倉先生からお贈りいただいたご本。今年の4月から一橋を退職され、慶応の大学院(メディアデザイン研究科)に移られたということがお手紙に書かれてありました。

 「グローバルなキャリア」も、「ユニークな自分」も、言葉ではなんとなくわかったような感じがするけど、多くの人にとっては実感が持てないことなのかもしれない。でも、この二つとも、今に始まったことではなく、何十年も前から、日本国内にとどまらず世界に飛び出した人たちは大勢いたし、ユニークな自分を作っていくという強い意欲を持っていた人たちもいた。今だって、きっとたくさんいる(そんな若い人たちが何人かこの本の中に紹介されている)。僕だってその一人だとちょっとは自負している。だからあまり難しく考える必要なんてない。

 この本の中で石倉先生が書かれているように、最初から完璧を求めすぎないことだと思う。この本で良かったのは、石倉先生ご自身の経歴を振り返っていらっしゃる箇所。1985年、先生はハーバードビジネススクールのDBA(博士課程)を卒業し、マッキンゼーに入社されたはずだけど、その時、写真週刊誌(今はなきフォーカス?)に出ていた記事を思い出します。女性で初めてハーバードビジネススクールのドクターコースを卒業した才媛がマッキンゼーに入社、なんて記事だったような記憶。同じ年、ハーバードビジネススクールに入学する前拝見したはずです。

 この本の前には、石倉先生と黒川清さんとの共著で『世界級キャリアのつくり方』という本もあります。新著ともども、大学生、20代前半で、まだ会社人間になりきっていない若い人、海外志向の方がたに、おススメ。

『転職のバイブル2012年版』(佐藤文男著)

 著者は大学の同級生です。さらには著者である佐藤君がわざわざ僕のオフィスまで来てプレゼントしてくれた本です。なので「中立」的なご紹介ではありませんが、この本は転職だけでなく、これからのキャリアを考えているすべての社会人に参考になる情報と考え方が書かれていると、心から思いました。

 この『転職のバイブル』は2006年、2008年、2010年、そしてこの2012年版とでています。これだけよく続けて出すなと感心しています。(「継続は力なり!」)

 全体を通して、著者は率直です。

 「転職あるべき論」には以下の5つがあげられています。

1今の会社で仕事がうまくいない人は、転職先でもうまくいかない

2転職は、年齢よりも実力

3年収が高い仕事はそれだけ高い成果を求められる

4人間関係がうまくいかないから転職するという人は、転職先でもうまくいかない

5仕事に対するプロフェッショナリズムが必須。

 また、「チャンスを活かす転職成功26の鉄則」(第5章)というのがあって、このなかには、「会社に退職の意志を伝えたら、決して撤回しない」(鉄則12)とか、「引き継ぎができないなら辞めてはいけない」(鉄則13)なんていうのがあって、これらは入社前編。入社後編としては、「一事が万事!初日が肝心」(鉄則16)、「フラッシュバック症候群に負けない心」(鉄則19)、「ホームランはいらない。着実なヒットを狙え」(鉄則22)などなど、これらの鉄則も非常に参考になります。

 しばらくお休みしていますが、昨年末に行ったポッドキャスティング「アイデアエクスチェンジ」にもでてもらっています。こちらもぜひお聞きいただければ幸いです。

 著者と僕のベクトルは、在学中から続く時間軸のなかで、何年かごとに交わってきました。これからもお互い、健康で、しっかりと働き続けることができればいいなと心から思っています。

アイデアエクスチェンジ

 

 

「はやぶさ」式思考法(川口淳一郎著)

 久しぶりに心の底から共感し、同感し、また称賛する本に出会った。副題には「日本を復活させる24の提言」とあるけども、日本の復活の前に、まず個人の力の復活が必要で、ここにある24の提言はまず我々個々人の復活のために重要な提言だと思いながら読んだ。

 僕自身、日本の学校教育の産物の一人だと自覚している。その結果として、減点法の思考の罠に陥りがちだし、教科書に書かれた過去のことを学ぶことを良しとしてきたのかもしれない。そんな風に自分自身のことをずっと感じ、自分自身の「バカの壁」はそんなところにあるとも思ってきた人間なので、この本を読みながら著者の提言には心から同感もし、著者の提言をどう自分の日々の仕事の中、生き方の中に生かしていくべきかを考え続けていきたいと思っている。

 はやぶさプロジェクトのことなど、昨年新聞等で騒がれるまで一切知らなかった。最近、著者である川口さんが新聞に書かれたエッセイやコメントを読んで非常におもしろい方だなと思い、この本を読んでみたが、期待以上の内容の本だった。社内でも非常におススメの本として紹介している。

 今朝、同じ著者による別の本(『はやぶさ、そうまでして君は』)という本を買った。この本の副題は、「生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」とある。この本もすごく楽しみ。

『シンプルに生きる』(ドミニック・ローホー著)

 シンプルに生きるというのは、ずっと憧れていることのひとつだけど、なかなか実行できてこなかった。つまるところ、単なる憧れ程度にしか思っていなかったから、実行してこなかったのかと反省してる。でも、51歳にもなり自分の人生の時間がもう永遠ではないことも実感するようになると、そういつまでも引き延ばしていくことはできなくなってきている。
 そもそもシンプルに生きるということが具体的にどういうことか、それを考えることが大切。そんなこともあって、いま話題になっているフランス人女性による本を読んでみた。

 アマゾンとかのコメントをチェックしてみると、この本に対して否定的なコメントが多い。でも、僕はこの本に書かれていることにはすごく共感を持つし、本当に大切なことは実行してみることだと思う。「ものを過剰に所有することをやめると、ものに対して使っていた時間が減り、自分自身にかける時間が増やせる」こと。「シンプルにすることは、暮らし全体の風通しを良くすること。ものを減らすことからはじめて、時間の使い方やひとづきあい、自分との向き合い方までシンプルにすると、心が豊かになる」こと。
 ファッションや美容のことにも具体的に触れていて、これらの章は女性を対象に書かれているのかもしれないけど、われわれ男にとっても参考になる考え方だと思った。

 各文章の最後に、先人たちの言葉、小説からの引用などがあるのだけど、クンデラの小説からは以下のような引用がある。「私は質素を私の存在の統一原則とした。必要不可欠な基本的なもののみを取っておくことに徹した。この禁欲的かつスパルタ的な方法にはどこか天の恵みが秘められていて、私はこの恵みが自分のものとなるようにこれについて瞑想した。」残念ながら、まだ僕にはこの天の恵みの後ろ姿さえも見えていない。

 この本の中にはすごく目新しいことが書かれているわけではないけども、何度も繰り返し読んでみる価値があることが書かれている。何度も読み返し、すこしずつ実行していくこと。それが一番大切。実行してみないとわからない。

石原慎太郎著『再生』

 昨日は我が家の愛犬・カイ(♀の甲斐犬)の12回目の誕生日だった。本当にこの日がカイの誕生日なのかどうか、それはわからない。1999年の4月、ある雑誌で見つけた山梨の売り主からカイをもらってきた。その売り主によると、カイを含めた4匹の犬たちは2月20日生まれだということだった。それが本当なのかどうか、確認することはできないのだけど。

 そのカイも一昨年の夏に右目を、その3ヶ月後には左目を緑内障で失明した。右目の光をなくしたとき、僕はその理不尽さに大人げない反応を動物病院で示して、獣医を困惑させてしまったのだけど。

 『再生』は、大学の同級生で、昨年末「アイデアエクスチェンジ」にでてくれた佐藤君が薦めてくれた石原慎太郎の短編小説。光だけでなく、音の世界からも隔絶されてしまった少年の再生の物語。この小説には実際のモデルがある。マスコミでなんども取り上げられたので有名になっているが、現在は東大の先生をされている。石原さんはどうしてこの小説を、この時点で書かれたのだろうか?

 目が見えないということがどれだけたいへんなことか。さらに耳も聞こえないとしたら?

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(昨日、カイの誕生日に。エリザベスカラーは頭や顔を守るため)

『ぼくが見てきた戦争と平和 』(長倉洋海著)

 先月10日の朝日新聞朝刊の写真特集記事で、フォトジャーナリストの長倉さんの作品を見てちょっとショックを受けた。それはアフガニスタンの英雄・マスードが、山の上で地面に横になりながらひとり静かに本を読んでいる写真だった。本を読んでいる青年がマスードだと知らなければ、ハイキングで山に来たひとりの青年が、美しい自然の中で読書に熱中しているだけの写真に見えるかもしれないけど、それが戦火のアフガニスタンの兵士のひとときだと知った時、その写真はまったく異なる意味合いを持ってくる。マスードと同年代の長倉さんはマスードに同行しながら、このアフガン兵士の英雄の日常生活をカメラに収めていた。その中の一枚の写真。
 時には睡眠2時間で朝から晩まで闘い、住民の苦情を聞き、兵士たちを鼓舞し、作戦を練り、そしてまた闘っていた男が、3000冊の本を持ち、限られた時間の中で本を読み、詩を詠んでいたという話に驚いた。夜は真っ暗な部屋の中、ろうそくの明かりを頼りに、マスードは本の世界に入っていった。だから平和な日本に住む僕らが、本を読む時間がないと言い訳しているなんて、ちゃんちゃらおかしいこと。
 『ほくが見てきた戦争と平和』は、長倉さんがカルチャーセンターで行った講演に写真を加えたもの。お話の内容もいいし、もちろん写真も素晴らしい。アフガニスタンだけでなく、コソボ、アマゾン、エル・サルバドルで撮った写真も紹介されているけど、アフガニスタンのマスードの写真が特にいい。
 山の上でひとり本を読むマスードの写真は本当にいい。この写真が含まれる写真集を入手したいと思っている。

サラ・パレツキーと福岡正信

 年末に読んだ本2冊。
『沈黙の時代に書くということ』(サラ・パレツキー著、原著は2007年)、『自然農法・わら一本の革命』(福岡正信著、1975年に出版されている)。
 ひとりはV.I.ウォーショースキーという女性探偵を主人公とするシリーズの著者。1947年アイオワ州に生まれ、カンザスで育ち、カンザス大学卒業後、シカゴ大学で政治学の博士号を取得後、以来シカゴ在住。
 もう一人は1913年愛媛県伊予市生まれ。1933年岐阜高農農学部(現在の岐阜大学応用生物科学部)卒後、税関植物検査課、農業試験場などの勤務を経て、1947年帰農。以来、自然農法一筋に生き、2008年逝去。
 まったく異なる二人なんだけど、現代社会で生きるということを真剣に考えつづけている(いた)人たちが書いた本。
 サラ・パレツキーの本を読むと、50年代のアメリカ中西部で問題意識の高い少女として育つことが決して楽なことではなかったと知ることができるし、アメリカが男女等しい権利を認めるまでかなりの時間がかかったことがわかる。保守的な宗教観を持ったひとたちは今でも決して男女の同権を根本的には認めていないようでもある。
 僕は彼女のV.I.シリーズをまだ読んだことはなかった。この本は、タイトルと帯にある彼女の素敵な笑顔に引かれて買ってみた。彼女は1960年代、まださまざまな差別があったとはいえ、その差別を解消していこうとして多くの人たちが闘った時代のアメリカ社会で10代、20代を送った人なので、商業化、保守化していくアメリカ社会に、心の底から怒りややるせなさを持っている人だ。たとえばこんな文章に彼女の人柄や現在の気持ちが表れている。
「V.I.に自惚れはない。世界を救おうとはしない。できないことがわかっているからだ。しかし、自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、”傷口に包帯を巻き、戦いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする”ことを心がけている。いまの時代、リンカーンのように偉大なヒーローが見つかるなら、わたしは多くをさしだすだろう。ワシントンへ行くたびに、リンカーン記念館に寄って氏の坐像を見あげ、悲しげで、聡明で、やさしそうな顔をみつめる。この世にもどってきてアメリカ合衆国を救ってほしいと祈る。歳月が流れるなかで、多くの人々が同じことをしているのを知った。」
 もう一人の福岡正信は、もしかして、日本国内よりも海外においての方が評価が高いのかもしれない。昨年、広島市長の秋葉さんが受賞したマグサイサイ賞(アジアのノーベル賞と言われている)の「市民による公共奉仕」部門賞を受賞されているそうだ。去年、フィナンシャルタイムスのコラムで、エコロジストとしての福岡さんを高く評価するエッセイを読んだこともある。
 『わら一本の革命』の中で、なんども科学を否定すると書かれているけども、実はしっかりとした実証実験に基づいて自然農法の議論を展開されている。「自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。」福岡さんの科学批判は、都合のいい前提条件、限定された条件のもとでのみ成立するような「科学的真理や理論」に向けられている。
 この本の中には驚くような話がいくつもでてくる。僕は以下のような話は本質をついた話だと思うし、本当に羨ましい考え方だとも思う。
 その1:「農林省の役人は、ただ一つのことを知る努力をすればいいと思うんです。それは、日本人は何を食べるべきかということです。この一つのことを、追究し、何を日本では作るかといことを決定すれば、それでほとんど事足りると、私は思うんです。(中略)農林省の役人なんかはですね、春でもくれば、すぐに野山になんかへ出かけて、春の七草、夏の七草、秋の七草みたいなものをつんで、それを食べてみる、というようなことから始めて、実際の人間の食物の原点は何であったのかということを、まず確認する必要がある。」
 その2:「村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつくっていて、それを奉納していた。多分、百年か二百年ぐらい前だと思うのですけど、それだけの余裕があったんです。そのころのことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。現在は、この村で一人だって、俳句なんかつくっている余裕はないわけです。(中略)いわゆる農業が、物質的には発達したように見えて、精神的には貧弱なものになってきている一例といえるわけです。」
 その3:「私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。(中略)一反で、家立てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。」
 福岡さんは老荘思想に大きな影響を受けている。多くの人は「老人の戯言」と片付けてしまうのかもしれないけど、僕の中では学生の頃からずっとあこがれている世界だ。
 こんな方が愛媛にいらっしゃった。愛媛の小中高に通ったのに、残念ながらその存在を習った記憶がない。学校なんかで教えてもらえないことの方がずっとおもしろいし、本質的なことなのかもしれない。