『サバイバル登山家』(服部文祥著)

 今日は日帰りで大阪。東大阪にある近畿大学を訪問。近畿大学の関係者の方々には日頃からご愛顧いただき、たいへん感謝申し上げます。
 帰りの新幹線で読み終えたのが、『サバイバル登山家』。
 こんな文章に共感を覚えながら読み進めました。
 『「野生生物のようにひっそり生まれて、ひっそり死んでいく。死んだことすら誰にも確認されない」それは僕が山登りで究極に求めているものの一つだった』
 あとがきで、登山のこんな役割について言及されています。
 『登山はまだ大きな役割をもっている。地球のサイクルから離れた現代文明人に、もう一度、身体感覚をとり戻させ、地球規模の視点を与える役割である。人が自分を地球の小さな生命体として意識したとき、社会を見る目が変わってくる。その視点こそ、バランスを失ったこの文明社会を元に戻す力になると僕は考えている。人間の地球に対するかかわりが問われるいまの時代、登山で体験できる自然感や、登山そのものがもつ環境に対して人を謙虚にさせる効果は、今後ますます重要になるのではないだろうか』
 明日、オデッセイマガジンの巻頭インタビューのために著者の服部さんに初めてお会いさせていただくことになっています。楽しみにしています。

『なぜ、あの人だけが採用されるのか?』(佐藤文男著)

 大学の同級生、佐藤人材・サーチ株式会社社長の佐藤文男さんの本。副題には「失業しても、すぐ仕事に就ける法」とあります。「出口のないトンネルはない。あなたに合う仕事は必ず見つかると信じて前進し続けましょう」という著者からのメッセージも。

 自分を客観的に見つめてみること、自分のプライドや意地を横において素直な気持ちで現状を分析すること。まずそこからスタートしないと前には進めないのではないかと思います。自分の姿を鏡に映して視ることは、言うほど簡単ではないのですが。

 現役のヘッドハンターからの有益なメッセージやヒントで一杯の本です。

『国家の命運』(薮中三十二著)

 著者は今年外務省事務次官を退任された方。本のタイトルは大仰ですが、なかみは非常に読みやすい、手軽な本です。たくさんアンダーラインは引いたのですが、その中から一部紹介すると、

1 「マスコミはアメリカの御用聞きかマッチポンプ、日本へ向けて懸命に火種を吹き起こしているようなものだった」(マスコミについて)
2 「日米交渉を思い出しても、日本側の出席者からは、何度となく「ご理解いただきたい」(please understand) というフレーズが聞かれたものだった。日本の事情は特殊なのだと相手にくどくど説明し、結びにこのフレーズが口を突いて出るのだ。」(日米交渉について)
3 「国内に政府を批判するマスコミがあるわけでもなく、野党もなく、国民の生活状況もおかまいなし、こういう国が相手の交渉はほんとうにやりづらい」(北朝鮮に関して)
4 「交渉妥結は国内でも好感をもって迎えられた。一呼吸おく、という昔からの知恵が日本では大事なのだな、とあらためて感じたものだった」(日韓漁業協定)
5 「日本ぐらい、きちんと約束を守ってくれる国はない。技術移転や投資など、これからも日本には大いに期待している」(タンザニアのキクウェテ大統領)

 そして、ボクが一番共感したのは、この点。
6 「当然ながら、言語とともに、話の中身が大事である。文化や習慣、育ちも思考形態も違う相手と話す場合、ロジックがないと話がかみ合わない。ロジック、というのは、私なりの理解でいえば、『世界共通用語』ということになる。(中略)国際社会での交渉ごとは、世界共通用語としてのロジックを用いた説明と主張が決定的に重要になる」

 ロジックは、日本国内での共通用語でもあると思う。「不言実行」「腹芸」なんていうことは、いまの日本にはもう当てはまらないのではないか。

『ケースで学ぶ実践起業塾』(日本経済新聞出版社刊)

 友人というか先輩の須賀さんが共著者のお一人として参加されている本。帯には「身の丈にあった事業の興し方を伝授!」なんてありますが、中身はかなりハイレベルの本です。この手の本は、実は一度起業したあとに読んでみると、中身がよくわかります。経験前と経験後(進行中も含む)とでは、理解度は天と地くらいの差があります。
 それでも、スタートする前に、このような本を読んでおくべき。
須賀さんは第5章を担当していますが、第1章、第6章を担当している瀧本さんにもなんどかお会いしたことがあります。おふたりとも経験豊富な起業家向けアドバイザーです。
 ちなみに、アメリカン・ブック&シネマから出している『経営の才覚 ― 創業期に必ず直面する試練と解決』。アイティメディアを創業された藤村さんには、「会社を始める前にこんな本を読んでおきたかった」と言ってもらいました。

経営の才覚
アメリカン・ブック&シネマ

『中堅・新興&地方大学から内定を勝ち取る方法』(高田茂著)

 小社の試験会場にもなっていただいている敬愛大学キャリアセンター長の方が書かれた就活を控えた学生へのアドバイス。副題には「ブランド大学と同じ就活では勝てない!」。中堅、新興、地方大学、そして女子大をまとめて、「発展途上大学」と呼ばれています。

 なかのアドバイスは、かなり具体的で、「発展途上大学」の学生以外も覚えておいた方がいいと思います。

 54あるアドバイスから記憶に残ったのは以下のようなもの。

29 何も知らずに毛嫌いするな。営業ほど楽しい仕事はない。

32 産業界には、知られざる優良業界・業種がたくさんある。

33 必ず発見がある。業種の「川上」から「川下」までをたどれ。

48 不快感さえ与えなければ、細かいマナーはどうでもいい。

53 語るべきはバイト経験ではなく、稼いだお金で何をしたかだ。

「社長の器が企業成長を決める。発言を徹底調査せよ。」(37)というアドバイスには、身を引き締められる思いをしながら読みました。

歴史を学ぶ、歴史から学ぶ。

 昨日は動物病院に行く以外、どこにもいかず家で本を読んだり、映画を見たり。映画は、ブルーレイで黒澤の「影武者」を観た。
 この前も書いたけど、仲代達矢は好きな俳優のひとりだ。「影武者」は黒澤の絵コンテそのもので、美術・装飾がすばらしい。
本はなんさつか並行して読むのが常で、今朝読み終えたのが、『昭和・戦争・失敗の本質』(半藤一利)。半藤さんの本は読み物として気軽に読めるので忙しい身にはありがたい。
 いつも太平洋戦争前後のことを読むと、当時のリーダーやエリートたちはどうしてこんなにアホで世界のことを知らなかったのかと、哀しくなってくるけども、決して上の連中だけでなく、国民レベルでも勇ましい、感情的なことを言っていたのは確かだろう。
 尖閣列島を巡る中国政府とのやりとりをみていると、日本の対外交渉の基礎知識と方法論の欠如は太平洋戦争のころだけでなく、現在にも続いていることかもしれない。

 太平洋戦争で米軍の捕虜になった人が書いた本でおもしろい本がある。『虜人日記』という本で、小松真一さんという方が著者。1911年東京日本橋生まれ、32年東京農業大学卒。科学者として台湾でブタノール工場創設、1944年にフィリッピンに軍属としてブタノール生産のため派遣され、敗戦とともに46年まで捕虜生活。戦後は会社経営。1973年逝去。死後筑摩書房から出版された本書『虜人日記』によって毎日出版文化賞。

 この方は、ご本の中で「なぜ日本が負けたのか」ということを以下のように書かれている。

1 精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えられずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
2 物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった。
3 日本の不合理性、米国の合理性。
4 将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)。
5 精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)。
6 日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する。
7 基礎科学の研究をしなかった事。
8 電波兵器の劣悪(物理学貧弱)。
9 克己心の欠如。
10 反省力なき事。
11 個人としての修養をしていない事。
12 陸海軍の不協力。
13 一人よがりで同情心が無い事。
14 兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事。
15 パアーシー海峡の損害と、戦意喪失。
16 思想的に徹底したものがなかった事。
17 国民が戦いに厭きていた。
18 日本文化の確立なき為。
19 日本は人命を祖末にし、米国は大切にした。
20 日本文化に普遍性なき為。
21 指導者に生物学的常識がなかった事。
順不同で重複している点もあるが、日本人には大東亜を治める力も文化もなかった事に結論する。

 以上、恐ろしいのは、小松さんがあげている21の敗因は、われわれのなかに、ほとんど変わらず見られるということだ。バブル崩壊後のわれわれを見ればいい。政治も、ビジネスも同じ。

外交専門誌『外交』

知人が教えてくれた外務省発行の専門誌です。
アマゾンでも購入できますし、時事通信社出版局でも発売しています。
時事通信社出版局で、創刊号から6号まで注文しました。

外務省

関西日帰り訪問と行き帰りの新幹線での読書。

 試験を採用いただいている京都、大阪の大学、短大、それからお世話になっているお取引先訪問。日頃のご愛顧に心より感謝申し上げます。京都では夕食をお取引先の社長とごいっしょし、東京駅に夜11時前着の新幹線で帰ってきました。自分自身に「お疲れさま」。
 
 行き帰りの新幹線の中で読んだのが、『日本人のための戦略的思考入門_日米同盟を超えて』。著者は『日米同盟の正体』を書かれた元外務省高官の孫崎享氏。驚いたのは、戦略的思考を学ぶために、マイケル・ポーターなどの経営理論も勉強した方がいいと、外交、防衛の専門家が書かれていること。その理由のひとつは、この本の中でも紹介されている、ベトナム戦争の責任者のひとりでもあったロバート・マクナマラ(『ベスト&ブライテスト』の主人公!)が、国防省に移る前、ハーバードビジネススクール卒業生で、フォードの社長として活躍したということもあるかな。
 
 「日米同盟」とは、「従属関係における虚構の同盟」がその本質であるとされていて、これまで、日本がノー天気に戦略もなく金儲けに集中する事ができたのは歴史的な幸運にすぎないこと、中国が台頭し、アメリカにとってのアジアの最重要パートナーが中国にとって代わっていくなか、日本は「誰が」「なぜ、いかなる方法で日本を脅かすのか」「どう対処するのか」を考えつづける必要があるとされています。
 
 本書の中で紹介されていることで驚いたのは、1960年代、外務省の主流派と思われるような方々の間で、対米従属路線を良しとしない考えの方たちがまだ健在だったこと。もうそのような考え方をする人は、外務省にはいなくなっていて、対米従属を続けていくことしか考えていないのではないかと、少々悲観的なコメントも。

 孫崎さんは最近ネットメディアでの発言回数を増やしているようで、この前は、Uストリームで1時間ほどのインタビューを拝見しました。尖閣諸島問題でもツイッターでかなり発言されています。

 京都でお取引先の社長さんからは、大学関係者も現状認識があまい方が多く、これから倒産する大学がでてくるのではないかという話がありました。さらには、日本全体がゆでカエル状況にあって、目にはっきりとは見えなくても、すこしずつ落ちている、その様子は5年、10年単位で見た時によりはっきりとしてくる。一気に落っこちるのであれば、人は対応するけども、そうでないとただ現状の中で漫然と時間を使っていく。日本の将来に非常に不安を持つ、さらには「孫の世代はだいじょうぶだろうか?」とさえおっしゃっていました。
 孫崎さんの本の中で繰り返し出てくる、日本人は長期的戦略思考をいっさいしてこなかったという話に通じるものを感じます。日本全体で、戦略もふくめた経営力がますます必須になっています。

海老坂武の「私の収穫」(朝日新聞夕刊)

 朝日新聞夕刊文化ページの「私の収穫」というコラムに、大学1年生のときのフランス語の先生だった海老坂先生の連載が始まった。(海老坂先生に関しては、なんどかこのブログで書いた)
 
 一回目の今日は、ピカソが晩年を過ごした南仏のシャトー訪問時に感じた事を書かれている。このシャトーは、セザンヌがなんども描いたサント・ヴィクトワール山の真ん前に位置し、テラスからはその山と対峙することができるそうだ。「そうか、生活のあらゆる虚飾を捨ててこうやってセザンヌと向かい合っていたのか…ピカソの精神の姿勢に触れる思いがした。どうやって裸になるか。捨てられるか。裸になったとてピカソに近づけるわけではないのだが。」
 去年、今年と、海老坂ゼミだった同級生と会い、食事をすることができたのはうれしかった(その一人は、卒業以来の出会い)。
 
 今週は、新訳がでたサルトルの「嘔吐」(人文書院)を注文した。海老坂先生はサルトルの研究者の一人で、「自由への道」の新訳を岩波文庫で出されたけど、この「嘔吐」は鈴木道彦先生の訳。鈴木先生も僕が大学在学中にはフランス語の授業を担当されていたお一人。

華人のことわざと『孤独のチカラ』(斎藤孝著)

 この前上海を訪問した際に朝食をご一緒したコンサルタントの方が、「日台合併の真価」というニュースレターを書かれていました。その中で紹介されていた華人のことわざが、「寒さが骨身にしみる時期を経ずに、梅の花がどうして濃厚な香りを発するというのか」。味わいのある、いい言葉だと思いました。何度も読み返してみたいことわざです。(ちなみに、このニュースレターの中では、中国市場で一番成功しているかに見える台湾企業たちも、骨身にしみる失敗を乗り越えて来たところが多いという話が紹介されています。)
 言葉と言えば、「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんの『孤独のチカラ』という本が、新潮文庫の最新刊としてでています。この本は、若い人たちにおススメしたいです。生きていく過程では、必ず一度や二度は孤独の時期があります。そんな時期を持ったことがないなんて人は、よっぽどオメデタイ、薄っぺらな人です。また事をなすには、ただ一人で、水底に向かって深く、深く沈んでいき、そしてもう一度、水上に跳ね上がっていくようなプロセスを、どうしても経ないといけないのではないかとも思います。その孤独と恐怖を克服していくことが、必要になってきます。
 「和して同ぜず」という言葉も好きです。表面だけでも同じことを言っていないと仲間はずれにされるような社会からは、飛び抜けて優れた人材は育ってこないです。これからの世界で、日本がこれまで同様に豊かで平和な国であるためには、もっともっと優秀な人材が必要になるはずです。たとえ「同ぜず」とも、きっと友人は見つかると思います。その友人がたった一人であったとしても、それだけでもきっと生きていく勇気になるような気がします。
 最初の華人の言葉に返りますが、「寒さが骨身にしみる時期を経ずに、梅の花がどうして濃厚な香りを発するというのか」。とてもいい言葉です。