『日本中枢の崩壊』(古賀茂明著)

経済産業省在籍のエリート官僚による、どんづまり日本への問題提起、警告、そして励まし。おすすめの一冊です。

ただし、元「エリート官僚」と言った方が正確かもしれない。というのは、「改革派官僚」の著者はここ数年霞ヶ関村で完全に村八分状況ということですから。あとがきによると、数年前に大腸がんの手術を受け、リンパに移転があるがんだったと告白されています。移転の可能性があるということなので、これからもご無事でいらっしゃることを心よりお祈りしています。

この本で初めて知ったということはそれほど多くないのですが、かなりのページにポストイットを貼りました。
その中から、心から同意、共感を覚えたご意見をご紹介します。

1「福島原発の事故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。いや、無能にさえ見えた。専門性のない官僚が、もっとも専門性を要求される分野で規制を実施している恐ろしさ」(37ページ)
2「手がかりがほとんどない状態で新しいものを創造するというのは役人がもっとも苦手とするところだ」(63ページ)
3「消費税増税だけでは財政再建はできないが、日本国民は悲しいまでに真面目だ。消費税増税はもはややむを得ないものと思い始めている」(86ページ)
4「ここで強調しておきたいのは、こんな細かな細工をほどこして国民の目を欺くことは、官僚にしかできない、ということだ」(102ページ)
5「私を霞ヶ関の『アルカイーダ』と呼んで悪評を立てようとする幹部もいると聞く」(108ページ)
6「日本の中小企業政策は、『中小企業を永遠に中小企業のままに生きながらえさせるだけの政策』になってしまっている可能性が高い。しかも、それによって強くて伸びる企業の足を引っ張っている、ということさえ懸念されるのである」(118ページ)
7「霞ヶ関の官僚の多くは、目は曇り、耳は遠くなっている。聞こえてくるのは、政府に頼って生きながらえようとするダメ企業が集まった団体の長老幹部の声や、政治家の後援者の歪んだ要請ばかりだ。政府に頼らず本当に自分の力でやっていこうとしている企業は経産省などにはやってこない」(132ページ)
8「一部に退職金を2回取るのが問題だという話もあるが、それは本質的な問題ではなくて、重要なのは、無駄な予算が山のようにできあがる、あるいは癒着がどんどんできる。これが問題だ」(138ページ)
9「結局、民主党には政治主導を行う実力がなかったということだろう。(中略)国民に幻想を振りまいた『政治主導』は最初からどこにもなかったのだ」(166ページ)
10「最大の問題は民主党が何をやりたいのか、それがはっきりと見えてこない点である。マニフェストを熟読しても、民主党が目指している国家像が伝わってこない」(177ページ)
11「連結決算は読み解くのが難解で、大蔵省にはそれがわかる人間が3人しかおらず、人材育成もたいへんだし、税の徴収も面倒になるという理由が一つ。世界中で普及していた制度なのに、なんとお粗末な話だろうか。官僚は優秀でもなんでもないことを示す典型だ」(234ページ)
12「私は、このときの橋本大臣こそ、政治主導の見本だと思っている。政策に関する緻密な検討は役人が担当する。その結果を、最終的に閣僚がリスクを取って政治判断する。その際、絶対に信頼できるスタッフを持っている。これが政治主導である」(245ページ)
13「この独禁法改正が、いまのところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である」(251ページ)
14「電力会社の社長が経団連や他の経済団体の会長に推されることが多いのはなぜか。電力会社は日本最大の調達企業だからだ。電力会社は、鉄をはじめ、ありとあらゆるものをそこらじゅうから大量に買う」(259ページ)
15「法務省のキャリア組には、自分たちの天下り先を増やそうなどというよこしまな考えはない。法務省で刑法の改正などを担当するのは、司法試験に合格した検事が中心で、法務省を退官しても弁護士になる道があるので、天下り先を作る必要などないからだ」(270ページ)
16「役人の政策が浅はかになるのは、利益の誘導もさることながら、現場をほとんど知らないからだ」(295ページ)
17「真実は、『なんとか成長しないと破綻への道から抜け出せない』というところにある」(302ページ)
18「過去、各国が不況から抜け出すために打ったマクロの経済政策や、危機に陥って財政再建した歴史の教訓を見ると、増税中心で成功している国はほとんどない。政府の収入があればあるほど支出が緩くなってしまうからだ」(304ページ)
19「いまだに財務省の天下り先確保のために、JTの株を持っている」(305ページ)
20「いまほど霞ヶ関を超える目を持って、全体を動かすことのできる政治家の能力が問われているときはない」(308ページ)
21「私が考えているのは、まず、『平成の身分制度』の廃止である。いまの日本には、努力なくして手に入れた地位や身分がいっぱいある」(331ページ)
22「これまで私が挙げた政策を政府にやってもらおうと思ったら、国民のみなさんも日本人特有の金持ちを妬む気持ちを捨てなければならない」(352ページ)
23「民主党にはその場その場でもっともらしい話をする人はたくさんいた。特に弁護士出身の人たちに多い。しかし、よく聞いていると、その場しのぎの理屈が多かった。理屈が得意なだけではだめだ」(354ページ)
24「国を引っ張る政治家がまず、正直に現状を国民に訴えることが大事だ。(中略)姑息な手段を使わず、総理が堂々と、いまの財政はこれほどひどい状況になっていると、国民に真正面から訴えてほしかった。そして国民に選択肢を示し、自らの決断を問う」(357ページ)
25「東日本大震災の後、もう一つ悪いパターンが見えてきた。震災対応を理由とした大連立構想だ。連立にあたっては具体的政策の議論をまずしなければならないのに、菅総理は政局を優先し、中身のない連立を打診した。自民党も公共事業の配分に関与しようと、守旧派の長老たちが前のめりになった」(358ページ)

『地震の日本史』(寒川旭著)

縄文時代から現代まで、地震で綴る日本の歴史。この本を読んでいると、よくもこれだけ地震がおこることよと思う。地震を中心に日本史を見ていくと、教科書でとりあげられるような出来事は、頻繁に日本列島を襲う地震の間、間に行われる日本人の政治的、経済的、文化的活動ということになる。

2007年に初版が出て、東日本大震災後の4月、増補して新たに出版された本。

著者が言う通り、「地震がなければ、日本という島々が存在しないこともまた事実」であり、「活断層が起伏に富んだ美しい地形を造り、地盤運動で沈降し続ける広い空間に砂や粘土が堆積して東京、大阪、名古屋などの大都会が発達した」のであれば、日本という国そのものが地震の産物であるとも言える。地震とは日本の誕生の秘密そのものであり、これからも頻繁に起こりうるものだということだとすれば、国の政治でも、個人の生き方でも、地震を大前提として考えていかざるを得ない。すくなくとも今回の東日本大震災で、10年以上住んでいる町が被災地となった僕には、切実なテーマになっている。

首都圏機能の分散化や原発の議論において、これまで反対運動側の意見はずっと軽視され続けてきたけども、今後起こるであろうあらゆる地震被害を想定しないことは無責任だ。日本の歴史は地震の歴史だし、揺れない場所(これまで揺れていない場所)は、ないのだから。

各紙でご紹介いただき、本当にありがとうございます。

秋田魁新報、河北新報の書評コーナーで、アメリカン・ブック&シネマの新刊『ドッグマン』が紹介されたことをご報告したばかりですが、この2紙以外の多数の新聞でもご紹介いただいたことがわかったので、あらためてご報告いたします。以下の地元有力紙でこれまでご紹介いただいています。各紙のご担当者には心より感謝申し上げます。

岩手日報 5月15日、下野新聞 5月15日、山梨日日新聞 5月15日、新潟日報 5月22日、北日本新聞5月15日、北國新聞5月15日
神戸新聞 5月22日、山陰中央新報 5月22日、徳島新聞 5月15日、大分合同新聞 5月22日、熊本日日新聞 5月22日
宮崎日日新聞 5月22日

アメリカン・ブック&シネマ

『ドッグマン』、河北新報でも取り上げられました。

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アメリカン・ブック&シネマの新刊『ドッグマン』。先日ご報告した秋田魁新報に続いて、宮城県エリアの主要紙、河北新報(2011年5月16日付け)の書評コーナーでも取り上げていただきました。ありがとうございます。

『ドッグマン』が秋田魁新報で紹介されました。

秋田県を代表する新聞・秋田魁新報で、アメリカン・ブック&シネマの新刊『ドッグマン』が紹介されました。5月15日(日曜日)付けの書評欄(8ページ)にでています。ご紹介ありがとうございました。

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「ドッグマン」@アマゾン

アメリカン・ブック&シネマ

『ネットで生保を売ろう!』(岩瀬大輔著)

今日はネットライフの岩瀬さんを訪問。今年の夏か秋に、アメリカン・ブック&シネマから翻訳出版予定の"MBA Oath"の監訳をお願いした。(快諾いただき、ありがとうございました。岩瀬さんには、以前、小社のリレーエッセイにもご登場いただいたことがあります。→小社HP

『ネットで生保を売ろう!』は、副題に「’76生まれ、ライフネット生命を立ち上げる」とあるように、1976年生まれの岩瀬さんと、元・日本生命のエリート社員だった出口さんが、インターネットで生命保険を販売するベンチャーを立ち上げる物語で、起業を目指している人たちにはきっと参考になる本だと思う。このふたりを結びつけたあすかアセットの谷家さんは僕もちょっとおつきあいがある。30代の岩瀬さんと、50代の出口さんを結びつけたのが、ベンチャー投資やヘッジファンドを経営している40代の谷家さんというわけで、優秀な人たちが、世代を超えて結びつくというすごくおもしろい話。

起業と言えば、来週から丸の内起業塾がスタートする。塾長の須賀さんが頑張っているので、副塾長の僕も微力ながらサポートしないといけない。(→丸の内起業塾HP

「秋田犬保存会」会報

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アメリカン・ブック&シネマの新刊「ドッグマン」の広告を、社団法人秋田犬保存会の会報(平成23年3・4月号)に出稿したこともあり、会報誌を一部いただきました。ありがとうございます。

我が家の犬たちが甲斐犬ということで、我が家は甲斐犬愛護会の会員ですが、甲斐犬愛護会の会報よりも、秋田犬保存会の会報はサイズが一回り大きく、カラー写真がたくさん使われていて、ちょっと立派です。

ちなみに我が家の長男・クウ太郎君は、甲斐犬愛護会の展覧会に参加したこともありますよ(幼犬の部で入賞!)。

あ、先日、NHK「小さな旅」で、秋田犬のふるさと、大館市が紹介されていました。秋田犬といっしょに過ごす方たちが紹介されていました。とてもいい番組でした。

秋田犬保存会
アメリカン・ブック&シネマ

『変容』(伊藤整著、岩波文庫)

いま、伊藤整 (1905-1969) の作品を読む人がどれだけ残っているのか知らない。昔々読んだ、『若い詩人の肖像』からずっと気になっている作家。小樽出身、一橋大学を中退されたということも気に留まっている理由のひとつ。商売人(ビジネスマン?)を作る学校からはそれほど多くの文学者は出ていないけど、案外、文学好きは多いのではないかと思う。(僕もその末席にいる一人かもしれない)

『変容』、今回初めて、じっくり味わいながら読んだ。やはりまとまった時間がないと、いい小説は読めない。GWは本を読むためにある?

60になろうとする画家と彼を巡る同年代の男女たちの話し。今風に言うと「シニア」。この作品が発表された1968年には、シニアなんて言葉は使われていなかっただろうけど、今の「シニア」たちのために書かれた小説かと思いながら読み進んだ。この小説に書かれた世界や時間は、今年52歳になろうとする僕にとっては近未来でもある人生におけるひとつのステージ。

渡辺淳一の小説は、伊藤整のこの小説に源流があると言ったら、言い過ぎだろうか。手を替え品を替えながら『変容』のテーマに向き合い、そしてもっとエロチックな要素で読者を楽しませてくれるのが渡辺淳一かと思う。

戦後東京の交通機関が発達していく様子や新しいビルが建っていく様子も書かれていて、都市空間の小説としても読んでしまった。

久しぶりに読んだ小説らしい小説。また繰り返し読みたいと思う。

『平成幸福論ノート』(田中理恵子著)

 著者には、小社から出していた『オデッセイマガジン』の取材の際、昨年、お会いさせていただきました。1970年神奈川生まれの詩人・社会学者。以前、このグログでもご紹介した『黒山もこもこ、抜けたら荒野』(光文社新書)では、水無田気流という筆名で出版されていましたが、今回同じく光文社新書で出されたこの本では、田中理恵子という筆名(ご本名?)を使われています。どのような理由があるのか、お聞きしてみたいです。

 著者によると、『黒山もこもと、抜けたら荒野』と本書は、「昭和の鎮魂」を裏テーマとするということです。なぜ「昭和の鎮魂」が必要なのか?それは、現在の「内向き」「懐古趣味」「過度の安定志向」「保守化」という現象は、昭和が怨念化し、人々や組織にとりついているからで、その結果、幸福は遠ざけられているから。(第5章「昭和の鎮魂」から「つながりの再編」へ)

 昭和の時代、それは日本にとって歴史的にあまりにも幸運な時代環境を提供してくれた時代で、その時代環境は一変してしまった(日本をリードしてきたアメリカの凋落、右あがりの経済とピラミッド型の人口構成を前提とした年金や健康保険制度の崩壊、グローバル化の変化に取り残された日本の雇用制度などなど)にも関わらず、あるいはそうだからこそ、ますます、日本人は昭和の時代の夢から覚めようとしない。

 「昭和の鎮魂」という言葉が適当なのかどうか?1959年、昭和34年生まれの僕は、まさに昭和の時代の人間だなと、この本であらためて認識した次第ですが、僕たちから上の世代は、まだまだ昭和の時代を生きているのかもしれません。昭和の時代に区切りを付け、新しい現実の中で、新しい目標を見つけ、平成の時代にあった幸福論を作っていくことを、「昭和の鎮魂」というのであれば、まさに「昭和の鎮魂」は必要とされている作業でしょう。

 このような大きなテーマを新書で論ずるということで、浅くなりがちというところはありますが、著者のセンスやスピード感ある言葉の使い方、断定の仕方が好きです。もし機会があれば、僕のやっているポッドキャスティング「アイデアエクスチェンジ」に出ていただきたいくらいです。

『若き芸術家たちへ』(佐藤忠良、安野光雅著)

 3月30日、98歳でなくなった彫刻家・佐藤忠良と、画家・安野光雅の対談集。今月初め、中公文庫の一冊として出版された。もともと、『ねがいは「普通」」というタイトルで2002年に出版されたものを、文庫化するにあたって改題したもの。
奇をてらわず、ゆっくりと時間をかけながら、本質を極める仕事を求めつづけた「職人」の言葉。ストイックさに敬服する。

 ちなみにシベリアに3年間抑留された佐藤忠良は、その経験のことを、「彫刻家になる苦労を思えば、あんなことはなんでもないですよ」と言ったそうだ。

佐藤忠良館(佐川美術館)
佐藤忠良記念こどもアトリエ@札幌芸術の森