1945年のこの日、太平洋戦争が終わった日。15年戦争とも言われる負け戦。戦った人たちは決して愚かではなかったけど、戦いそのものは愚かな戦さだったと、今からみると、そう見えてしまう。どうしてあれだけの国力の差がある国々に立ち向かっていったのか、どのグループたちが開戦への道を突き進もうとしたのか、これからもずっと考えていかないといけないこと。
総計で310万人の日本人が命を落とし、アジアの国々でも多くの人たちが亡くなった。ぼくは宗教性のある靖国には行こうとは思っていないけども、戦争で亡くなった人たちへの気持ちは持っていると思っている。
8月6日の朝日新聞朝刊のインタビューに、千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長の津島雄二さん(元自民党代議士)が、宗教色なく、戦没者に限定せず、国のために尽くした記憶に残したい人を弔う場としの千鳥ヶ淵の将来像を描いていた。津島先生とはまったくひょんな事で、何度かお目にかかったことがあって、もうすぐ90歳になられようかというお年なのに、ぴんと背筋が伸びた姿勢で歩かれる様子を拝見して、それだけでも敬意を持ったのだけど、このインタビュー記事を読んでとてもバランスのとれた、また国際感覚あるご意見に共感した。(国際性というのは、先生が大蔵省に在籍していた頃のフランスでの勤務が大きく影響しているようだ)
津島先生のインタビュー記事の後は、翌日7日に、歴史学者の吉田裕先生(一橋大学名誉教授)が同じコーナーに登場されていた。吉田先生が書かれた『日本軍兵士』は昨年読んだ本の中でとても記憶に残っている本のひとつ。20万部売れたのはとても良かった。この本で知ったことの一つは日本兵士の多くが最後の1年の間に亡くなったこと、戦闘ではなく、栄養失調で亡くなった兵士が多いこと、日本政府は死亡の時期や原因などをきちんと公表していないこと。政府の隠蔽体質はまったく変わっていない。(日本のエリートたちは自らの失敗を指摘されることを恐る小心者たちが集まっているのか?)それとも調査能力も、調査しようという意志もないのか?
日本軍は「兵隊は世界一、将校は世界最低」(表現は違っていたかもしれませんが)というような言われ方をされていたと、どこかで読んだことがある。今の日本の組織にも言えることだろうか。
もうこの辺で止めよう。戦争のこと、今の日本社会があの戦争からどれだけのことを学んだのか、リーダー(エリート)たちはそう呼ばれるにふさわしい仕事を果たしているのか、リーダーは責任を取ってきたのか?まず自分のことをしっかりと振り返りたい。
最後に4年前のこの日、海外出張から帰ってきた翌日だった2015年のこの日、愛犬が月の世界に旅立っていった。二重の意味で8月15日は大切な日。