dumbing down

あるIT系出版社の方とご面談。人そのものがメディアだというお考えには、大賛成。IT分野だけではありませんが、われわれはもっと本を読まないといけないということも同意見。アメリカも出版社のビジネスはきびしいようで、豊かな社会になり、自分を楽しませてくれるモノが増えると、人間は、「苦行」の読書からは離れていくものでしょうか?

昨日、久しぶりにお会いしたパルバースさんから教えていただいた英語表現で、dumbing down というものがあります。たとえば、今の日本のテレビがこのdumbing down の最たる例。The Japanese TV is dumbing down the audiences. (日本のテレビは、視聴者を馬鹿にしている。)その結果が日本人の「劣化」ということでしょうか?wiki にもこの言葉の解説がありますし、Dumbing Down of America というサイトがあって、自国の劣化を嘆いているのは、日本人だけじゃないなと思いました。このサイト、自国の大統領の写真も、dumbing down のサンプルとしてでています。

本を読んだからといって、必ずしも賢くなるとは思いませんが、テレビは日本人をdumbing down しています。今あるような民放であれば、無いほうがいいと思っているのは、僕だけではありません。ただし、多くの人にとって、読書は「苦行」のようで、「テレビを見るな、本を読め」というメッセージは、残念ながら、あまり人気がないことはよくわかっています。

Dalai Lama is no politician.

 3月22日付けのニューヨーク・タイムスに、パトリック・フレンチというイギリスの作家が書いた、チベット問題に関する記事があります。亡命後のダライラマと彼を支持する西側の人権活動家たちの活動が、意味ある展開につながっていないことを指摘しています。ガンジーが非暴力を訴えるだけでなく、「塩の行進」などを通して抵抗運動を進めたのに対して、ダライラマが亡命した段階で大勢が決まってしまったこと、中国政府は諸外国からの非難を聞くような耳を持っていないことなど、考えさせられる内容のエッセイです。中国とお付き合いしていくことのしんどさを考えさせられます。アメリカには「理想主義」がひとつの背骨としてありますが、中国にはそんなものはあるとは思えません。日本にとって、本当に手ごわい相手だと思います。

NY Times 記事

 最後に、僕はこのパトリック・フレンチという作家にも非常に関心を持ちました。まだ彼の作品は日本語訳がでていないようですが、アマゾンで彼の書いた本を2冊ほど注文しました。

Patrick French

韓国人ITコンサルタントとの夕食

 昨晩、韓国と日本でITコンサルティングを行なっている方と歓談。日本語もお上手。日本に暮らしながら、日本で仕事をしていて、先々は日本国籍も取ろうと考えているとか。日本への「愛情」をお持ちの方だとお見受けしました。

 この10年ほど、韓国で起こっているさまざまな変化のことをお聞きしました。何千億円も使いながらまったく実質的な前進が見られない日本政府の電子化(住基ネットなんて誰が使っているのか!)に対して、韓国はどんどん電子化が進んでいて、国民の便利さを優先して電子化をすすめているそうです。医療、教育、行政、金融のIT化が日本は遅れているというご意見でした。例えば、医療の分野では、韓国のソウル大学の病院はベッド数が1000以上あり、カルテの電子化も進んでいるそうですが、この病院を支えるIT投資は10億円以下なのに対して、東京にある某有名病院は250ほどのベッド数でIT投資費用が30億円ほどだということでした。この方のお話では、日本のITベンダーに力がないこと、クライアント側(病院)にITへの理解、ITの導入知識がなく、ベンダーの「おどし、すかし」にやられっぱなしだということでした。残念ですが、これは国と大手ITベンダーの間でも同じような関係がまだまだあるのではないかと思います。

 1962年生まれということでした(45歳)。 韓国では、どれだけ日本が素晴らしいかということを聞かされながら育ったこともあり、日本は憧れの国だったそうです。なので、1990年代半ば以降、必要とされる改革を進められない日本が残念でしょうがないということでした。

 

激動の2008年

サブプライムからスタートした金融システム、金融機関への信頼の崩壊、中国のチベット問題(かつて、モスクワオリンピックを西側諸国がボイコットしたようなことは起こらないでしょうが)、世界的な環境問題、資源の高騰、食料危機の予感。激動の2008年!

JAPAiN -英エコノミスト誌特集記事

昨日、3月12日の日経新聞で一面を使って英エコノミスト誌の日本特集記事の抄訳記事がでていました。日経新聞の記者が伝えたいことを、エコノミスト誌を代弁者にしたのでしょうか。

「なぜ日本は失敗を続けるのか」、「何も決められぬ政治家」、「やる気なくす官僚」、「有権者にも責任の一端」。見出しにでている言葉は、我々庶民の多くの気持も代弁してくれています。

ちなみに、エコノミスト誌の記事はこちらで読めます。→リンク

意味のない討論番組

 知り合いが何人かでていたこともあって、久しぶりにNHK「日本の、これから-大丈夫ですか?日本人の学力」を見ました。さまざまな視点を提供しようとしているのかもしれませんが、大騒ぎをするだけで、3時間もの長き番組の最後に、なにかが得られたという感じがまったくしませんでした。この番組だけではありませんが、多数の人間が参加するこの手のテレビ番組の作り方はずっと変っていないように思います。残念ながら、感情的なコメントを主張しあうだけになっています。

 ここ数年の変化と言えば、視聴者の声も同時中継的に反映させるために、電話、ファックス、あるいはメール(PC、ケータイ)で、投票させて、番組中に紹介するということだけのように思います。視聴者参加、民主的ですよ!というアピールでしょうか?

 昨晩の番組でも、参加者をもっと絞っていただき、政策決定に関係している方たちにもでていただきたい。また、あまり子どもたちの意見を聞いても意味はないのではないかとも思いました。(「なぜ勉強しないといけないのか、分からないのに、勉強できない」なんて発言で、大人たちがうろうろする必要はまったくない)3時間もあって、どうして議論が深まらないのか? 

 コメント内容と議論の仕方が傑出していたのは、杉並区和田中の藤原さん。実社会におけるビジネス経験、学校の実情もよくわかっていらっしゃるので、いたずらに理念的になることもなく、「べき論」と「現実」のバランスを考えていらっしゃるように思いました。

 この手の討論番組を、どのように行なっていけばいいのか。その方法論を研究されている方はいないでしょうか?テレビの力を考えると、せっかくの機会をもっと意味あるものにするためにも、研究成果を番組制作に生かしていただきたいと思います。

追伸: 同じNHKでも、教育テレビの「一期一会」の方が、30分で、ずっと中味のある討論番組になっています。

プリウスにのった「百姓」がナウくて、もてる日

 Financial TimesのGillian Tett(以前、この新聞の東京支局にいたジャーナリスト。「セイビング・ザ・サン-リップルウッドと新生銀行の誕生」の著者)のコラムをよく読みます。2月15日付けのFTで、"Forget credit and oil-the next crisis will be over food."という彼女の記事を読んで考えてしまいました。信用不安、石油危機どころか、食料危機が近づいているのではないかという話しです。(ウェブでも記事が読めます→FT

 この前、会社の女性社員に言われたことを思い出しました。今乗っている車の調子がちょっとおかしくなったのですが、そのとき、「プリウスに替えたらどうですか?これからはハイブリッドですよ!」。デート相手の車は、環境にやさしい車がいいそうです。

 で、近い将来、本当に食料危機が来たときには、食料を自給できる地方の農家で、プリウスに乗っているような男の株が一気に上がるのでしょうか?

日米の政治家比較

昨日、政治のことを論ずるような見識は持っていないと書いたばかりなのですが、選挙で勝った途端に、それまでの「持論は机上の空論でした」と宣言する知事って、一体、なんなのかと思ってしまいました。(→ヤフー・ニュース) まったく勉強も、準備もなく、言っていたことは単に無責任な発言だったと開き直っているのでしょうか?

 アメリカの大統領予備選挙の行方に関心があります。アメリカは黒人の大統領を受け入れる準備ができているのでしょうか?世界は初の黒人大統領を期待する人が多いのではないかと思うのですが、どうなのか?

 弁護士資格はもっていてもタレント業に忙しかった日本の知事。アメリカ史上初の黒人大統領を狙っているオバマは、ハーバードのロースクールを非常に優秀な成績で卒業した法律家。同じ法律家出身でも、日米で天と地ほどにレベルが違う政治家が、違う理由でマスコミをにぎわせていることが、少々、情けなくあります。

新大阪駅風景

Photo オデッセイユニバーシティのために大阪に日帰り出張。現場を担当されているPCスクールの関係者の方たちと直接にお話することが勉強になります。

 帰り、新大阪駅構内、午後7時くらいの風景です。普通の女の子たちふたりが、柱を背もたれにするような感じで地面に座っていました。以前、知り合いから、だらしがないのは躾けのなさだけでなく、筋力が衰えているからではないかという意見を聞いたことがあります。

 普通の女の子たちに見えました。日本ではこれが普通の風景になっているのかもしれません。これを普通のこととして見過ごしていく日本が、ちょっと恐ろしい気がしました。

「糞便を垂れる土偶」

「殿様やその一族は、百年の無為徒食ですっかり無力化し、国政は家老がにぎり、その家老一族も貴族化して家老の家老が実権をにぎり、それもまた、逸楽に馴れて、世のうさわではどの人物も、糞便を垂れる土偶同然になっている。」 (司馬遼太郎著『国盗り物語1』より)

 サブプライム問題へのアメリカ政府の対応が非常に早いことに感心する友人が多いです。それほど問題が深刻なのかもしれません。対岸の火事かと思いきや、日本の金融機関でも問題が噴出しつつあります。日本の政治・役人たちが内向きの議論ばかりしていることとの差が目立ちます。

 この国が、斎藤道三ならぬ、諸外国から見たとき、「糞便を垂れる土偶同然になっている」レベルまで落ちていないことを祈っています。企業も国家も、すべての組織は緊張をもって精進していかないと、いつ足をすくわれるものか。