「夜の時間」の復活

松岡正剛さんが中心になって行なっている連塾。この数年、毎回通っているのですが、この前、赤坂の草月ホールでありました。東大名誉教授の清水博先生のお話がおもしろく、早速、中公新書からでている2冊、『生命を捉えなおす-生きている状態とは何か』と、『生命知としての場の論理-柳生新陰流に見る共創の理』を読み始めています。

 当日(22日)の先生のお話しで印象に残ったのは対して、「昼の時間」というのが、対立したり競い合ったりするような時間なのに対して、「夜の時間」はお互いを包み込むような、お互いを認め合うような、そんな時間なのではないか。家で家族とゆっくりと過ごす「夜の時間」をもっと大切にしたほうがいいのではないかということ。 

 現実の世の社会は、「夜の時間」を短くしようという方向にずっと動いてきました。いつも動き回っている「昼の時間」で24時間を覆い尽くそうというように。ファーストフードの店も(マクドナルド24時間営業の店を始めようとしています)、コンビにも、都会の店は24時間営業に突き進んでいます。でも、そのひずみは、人のこころの問題として表れてきています。

 社会がそうであったとしても、個人としては、「夜の時間」の復活を望んでいますし、「夜の時間」を大切にしていきたいです。

最高のぼけ防止策

曽野綾子さんの『平和とは非凡な幸運』(講談社)というエッセイ集を読んでいたら、ぼけ防止に最高のこととして、「いわゆる掃除、炊事、洗濯などの家事」を上げられています。「なぜかというと、それらの仕事にはすべて『段取り』が必要とされているから。」

 この前、都内のある美術館のベテラン学芸員のお話をお聞きしていたら、そのかたも掃除・洗濯、片付けが大好きだそうで、一日の中の楽しみになっているとか。ちょっとこのおふたりを見習わないといけないと思っています。

 曽野さんのご本は、産経新聞などに連載されたエッセイをまとめたものです。今年亡くなられた作詞家・阿久悠さんと、曽野さんのエッセイは、産経新聞で僕が好きなコーナーでした。曽野さんの活動でひとつ感心していることは、海外邦人宣教者活動援助後援会というNGO活動を30年以上にわたって実行されていることです。アフリカなどのかなり危険な場所も含めて、ご自身で訪問され、実際に寄付金が生かされているかどうかを確認されるそうです。小説家としての曽野さんの作品はあまり読んでいませんが、曽野さんのエッセイは大人の日本人、常識ある日本人のご意見として、同感、同意することが多いものです。

「2015年の日本」(野村総合研究所・著)

近未来の日本へのガイドと、予想される困難にどう対処していくべきか、野村総研が基本的な考え方を提示した本。知り合いが著者の一人に含まれていることもあって、購入。

 大学の同級生で、在米の海部さんの言葉「パラダイス鎖国」がこの本の中でも紹介されています。そのほか、黒犬通信でも12月15日に取り上げた「ガラパゴス化現象」。記憶に残ったのは、70年代には意味を持っていた1億人という日本の国内市場の大きさが、21世紀においてはたいした規模ではないという事実。つまり日本国内だけではわれわれ生きていけないよって、話し。

 僕らを取り巻く環境の変化に関して、「グローバルスタンダードは気にくわない」という前に、その変化が必然的に起こっているものなのかどうかを理解する必要があると思うのです。日本国内における議論と日本国外で起こっていることの「格差」があるのかどうか、それにまず気づくことが出発点のように思います。ネットの使い方、お金の使い方、ケータイ電話の使い方、教育の内容(大学入試を中心とした日本の教育)、いろいろな面で、世界との「格差」があることにまず気づくことが出発点なのでは?その上で、「日本も悪くないじゃない!」という点に気づくこともあるだろうし、「やっぱり日本って、おかしいよね!」ということもあるのではないかと思います。

 この本の中で取り上げられていること(「ガラパゴス化現象」の諸事例、グローバル化先進企業のケーススタディ、イギリスの改革の例など)は、日本の経済や政治を考えていく上で参考になりました。明治維新、敗戦に次ぐ、第三の開国が避けられないものであるなら、自らのイニシアティブでそのプロセスを進めていったほうが、市場から加えられる「断罪」を待つよりも、苦痛の度合いは緩和されるのではないかというのが、僕の考えです。

祝・最相葉月さん大佛次郎賞受賞

Library by Odysseyでお世話になったノンフィクション作家、最相葉月さんが『星新一・1001話をつくった人』で今年の大佛次郎賞を受賞されました。昨日、お祝いのメールをお送りしたのですが、すぐにお返事をいただきました。ありがとうございます。

 今朝の朝日新聞の読書欄に、大佛次郎の以下のような言葉が紹介されています。

 「本を読むということは、その本を書いたひとを自分の友人とすることだ。同じ時代に生きていても離れていて顔も知れない著者を自分の友人として親しむことも出来れば千年二千年前に死んでしまっている著者も、本さえ手もとにあれば同じように自分の友人の輪の中に加えられる。これが大きなことなのだ」。

 一番安上がりで、一番楽しいのが読書だと思います。

 

 

「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」(祥伝社)

 2005年に発売された本。買ったまま、ずっと床の上に置いたままだったのですが、新聞で文庫本になったことを知り、ようやく読みました。すぐに読めますが、中身は実体験に基づいたもので、参考になるところが多い本です。著者は、本日現在もキャノン電子の社長さん。内容には少々荒っぽさがありますが、お忙しい実務家の方だと思いますので、それは仕方のないこと。メッセージは、日本電産の永守会長に通ずるものです。おふたりとも、たいへん優れたメーカーの経営者。

 キャノン時代に、ネクストコンピューターを立ち上げたスティーブ・ジョブスと仕事をされたようですが、ジョブスのことをもうすこし書いていただければおもしろかったのにと、個人的には思いました。

 傑作なのは、アマゾンのレビューアーたちによる書評。心配しなくても、このレビューアーさんたちが、酒巻社長の下で働くことはないでしょうし、酒巻社長もこの方たちを採用したいとは思わないことでしょう。

「会社は頭から腐る」(冨山和彦著)

グロービスのカンファランスでお話をお聞きする機会があり、その後立ち話をしたこともあり、せっかくなので、著書を拝読。今年読んだビジネス書の中で一番歯ごたえもあり、また著者の熱意も感じた本でした。僕は、会社の存在意義を問い続けることは、自分の生きる理由を問い続けることと同じだと思っています。それ以外にも、冨山さんと考えをともにする点が多かったので、僕はとても共感を持って読み終えました。

『会社の品格』(小笹芳央著)

人材コンサルティングで成功している会社社長の本。「品格」という言葉は、流行り言葉になっていますが、本当に品格を重んじるのであれば、この言葉を軽々しく使っていいのだろうかと思います。が、近々、IPOを控えている会社としては、この本の出版もひとつのIR活動でしょうか?

内容にも、本のタイトルに沿わない箇所があります。たとえば、「今のような変化のスピードの激しい時代にふさわしいのは、『変革』『創造』『一攫千金』といったキーワードです」(135ページ)。一攫千金と品格。ちょっと相並ぶのは、難しい気がします。

と、同時に、いくつも著者に同意する点がありました。仕事に使命感を持たせること、どの会社でも通用する普遍的なスキルを身につけるべきであること、辞めにくい会社から辞めやすい会社に変るべきこと(年功序列や退職金などの制度で、社員を長く引き止めるような仕組みをやめる)、正解があった社会から正解を創り出す社会に変らないといけないこと、など。

また、同じ売上げや利益を、100人で出している会社と1000人で出している会社を比較したとき、株式市場では当然のことながら、前者をより高く評価するわけですが、多くの雇用を生み出しているという意味で後者ももっと評価していいのではないかという意見にも共感する点があります。著者の会社がIPOしたあと、株式市場が同じような目で著者の会社を見てくれるのかどうか、それにも関心があります。

「辞める選択もあったけど、結局(この会社に)30年いた」というのが理想だと、著者は何度か繰り返しています。男女関係と同じようなものでしょうか?「山あり、谷ありだったけど、ずっと一緒だったね!」という感じで。

冬のサイクリング

朝8時から荒川沿いの土手で、お取引先のKさん、オデッセイ社員のHさんのふたりと、2時間ほどのサイクリング。風がどれだけサイクリングを左右するのか感じる一日でした。川を上っていくときは風のせいでまったくスピードがでないのですが、下りはスムーズでまた風が吹いていることさえも感じないほど。

午後は、秋葉原であった毎日パソコン入力コンテストの表彰式に参加。オデッセイでも入力コンテストの優秀者、優秀校に、商品をご提供しています。

行き返りの電車で雑誌「Voice」(PHP発刊)を読む。鶴見俊輔が、50年前、上坂冬子に言った言葉が、「自分の思想に忠実に生きなさい」。テレビや雑誌で見る上坂さんの発言には、あまり感心しないのですが、1959年に「思想の科学」新人賞を受賞した「職場の群像」は読んでみたいと思いました。鶴見さんが発掘した上坂さんは、鶴見さんとは思想的にはまったく対立する立場にありますが、おふたりの会話はおもしろく読めました。これと、一橋大学の伊丹先生のエッセイ(「哲学なき経営者の危機」)もうなずきながら読みました。哲学もなく、挫折することもない無難な経営者(それは企業だけでなく、国家の経営者である総理大臣も含めてかもしれません)を選択し続けた結果、「目に見えるような挫折は起きないかもしれないが、その背後でより大きなものが隠微に失われている危険がかなりある」、「時には目に見える挫折が起きかねない挑戦をしないことの貧しさを、われわれは憂えるべきではないのか。」

100 Great Businesses And The Minds Behind Them

邦訳タイトルは、「100 Inc.」。オーストラリアのジャーナリスト、エミリー・ロスとアンガス・ホランドによる「世界の100の偉大な企業とそれを作った企業家」を紹介してくれる本。日本企業、あるいは日本人による会社で取り上げられているのは、ソニー、ノブ(料理)、任天堂、ユニクロ、ヤクルトの5社。僕が愛用している商品を作っている会社としては、ダイソン、ケロッグ、ポスト・イット、ケイト・スペード、コカ・コーラ、ギャップ、サムソン、アディダス、スターバックス、アマゾン、マイクロソフ、マクドナルド、デル、ナイキ、リーバイス、アップル、グーグル、アレッシィなどが含まれています。

著者たちの前書きの終わりには、「現代の億万長者の多くが、生まれついてのリーダーだったわけでもなければ、成績抜群のセールスパーソンだったわけでもない。むしろ彼らの真骨頂は、リスクに立ち向かい、片腕になってくれる優秀な人物を的確に雇い入れ、成功するために身に着けなければならない能力をよく見きわめていたことにある。チャンスが訪れるその足音を聞き分けるのだ。」「偉大な企業の数だけ、ビジネスで成功をおさめる道筋もまた存在する」とあります。僕らの時代の「偉大な企業」を知るには、手っ取り早い1冊。

「理系思考」(元村有希子著)

本の帯の、「エース記者がおくる人気の新聞コラム」に引かれて買ったら、読んだことがある『理系白書』の著者であることが判明。

この本の中に、経営にも大いに関連するおもしろい話がありました。「ある金融機関でバブル期に入社した社員の『その後』を追跡したら、全体の一割ほどしかいない理系出身者が、人事考課で上位に集中していた」とか。科学を勉強した経験は、ビジネスにもいきるということか。