AIが見つけた三苫

元旦の朝日新聞第4部に、英プレミアリーグのブライトンがAIを利用した選手発掘をおこなっているという記事があり、おもしろかった。ブライトンのオーナーであるトニー・ブルームは、マンチェスター大学で数学を学び、会計事務所で勤務する傍ら、プロのポーカープレーヤーとして活躍。賭博会社経営などで資産を作り2009年に生まれ故郷のクラブであるブライトンのオーナーとなったとか。「数学とアルゴリズムを適用し、選手の可能性を評価する」ということだ。
映画「マネーボール」のサッカー版とも言えるか。

クリント・イーストウッド作品を観る

これまでかなりのクリントイーストウッド作品を観てきたが、昨日に続いて今日も録画していた彼主演の映画を観た。昨日は「目撃」(1997年作品)、そして今日は「シークレット・サービス」(1993年作品)。昨日の作品にはジーン・ハックマンが(トランプみたいに)女好きでまわりが面倒見切れない大統領として登場していたのもおもしろかった。「目撃」はクリント・イーストウッドがプロデューサーと監督を兼ねていて、俳優としてだけでなく、製作者としての彼の力も発揮されていた。
90歳を超えてもなお映画製作の意欲を持ち続けるクリント・イーストウッドはすごいと思っている。

Peaceful New Yearを望む

2025年が始まった。深い意味もなく友人や知人たちには、Happy New Year!とメッセージを送り合っているけど、世界の特定の国で起こっていることを(メディアで)見聞きしていると、気軽にHappy New Year!という気がしない。ウクライナで、パレスチナ(ガザ)で、スーダンで起こっていることを。ウクライナに派遣される北朝鮮の兵士たちは祖国にいる家族たちがひどい目にあうことを恐れて捕虜になることよりも自殺を選ぶというのは本当なのか?
Happy New Year!というよりも、すこしでも世界がPeaceful New Yearとなることを望む。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」

昨晩、久しぶりにミュージカルを観た。それも会社から徒歩数分の距離にある帝国劇場で。帝劇が入っている国際ビルが建て壊されることになっているので最初で最後の帝劇体験になるかも。
「レ・ミゼラブル」は原作も映画も好きな作品。岩波文庫で読んだけど、新潮文庫からでている新訳も買ってはある(まだ積読のみ)。
「夢やぶれて」他、いい曲が多いし、原作も含めて「レ・ミゼラブル」のすべてがすばらしい人間賛歌になっていて、作品の形態を問わず好きだ。
昨晩ジャンバルジャン役を演じた吉原光夫、スケールの大きな演技(身体も大きい!)でとても良かった。

2025年のクリスマス

今年のクリスマス、特に変わったことはない。夕方まで仕事をし、夕食を家で食べる。数日前にデパ地下で買ったサラダとタパスの残り物。この季節になるとパネトーネが楽しみ。毎日少しずつコーヒーといっしょに食べる。
今年のクリスマスは3年ぶりに飼い始めた甲斐犬がいっしょだということが大きな変化。今月で生後10カ月になる女の子。今年の後半は彼女中心の毎日になっている。彼女のおかげで朝、夜の散歩が習慣になった。毎日2回の散歩で40分くらいは家の近所を歩くようになった。特に朝は犬を連れた近所の人たちとあいさつを交わすようになり、久しぶりにご近所とのつながりを感じる機会になっている。
今住むエリアに引っ越ししてきた30年近くまえは、この住宅地の多くの家が家の外をクリスマスの飾りづけをすることで有名で、それを観にくるクルマが結構来ていたのだけど、いつの間にかそんな飾りつけをする家が少なくなった。いったい、いつごろからクリスマスの飾り付けが下火になったのか?
この住宅地に住む住人の高齢化が進むにつれ、家の売買も頻繁に起こっているように見える。
アンナ(愛犬)と散歩をすることで新しく建てられた家に気づくことが増えた。新築の家は元あった家よりも大きく、またクルマは外車であることが多い。この住宅地に住み始めて30年近くの間にさまざまな変化が起こってきた。

エリザベス・カラーをしたアンナ

愛犬との生活が始まったことが今年の大きな変化の一つだ。3代目になる甲斐犬との生活。初代カイ(♀)、二代目のクウ太郎(♂)、そして3代目になるアンナ(♀)。今年の2月生まれのアンナは今月で10か月になる。
さきざきのことを考えて、信頼する獣医師と相談して早めに避妊手術を受けさせることにした。昨日の午後手術、一泊の入院後今日夕方アンナを迎えに行った。家に帰りたくてかえりたくてしょうがなかったアンナ。おかえりなさい!
病院から渡されたアンナはエリザベス・カラーをしていた。カラーをしたまま、クルマに積んだケージに入るか心配したが、少々窮屈だったと思うけどどうにか入ってくれた。カラーはおなかの手術痕を舐めないようにするためだけど、はやりとても気になるようで無理に舐めようとする。
カイも何度か手術することがあったので、エリザベス・カラーをしたことがあるけど、長年とっておいたプラスチック製のカラーは経年劣化で割れてしまい捨ててしまった。
一週間後には動物病院にいって手術の傷あとをチェックしてもらうことになっている。それまではエリザベス・カラーをつけたまま。
これから先、なんどもエリザベス・カラーをする必要が起きないことを祈る。

良品計画の株主総会、清水和音のピアノコンサート

今日はとてもいい休日だった。

今回が初めてになるが、Mujiブランドを展開する株式会社良品計画の株主総会にオンラインで参加した。ここ数年オンラインでも株主総会を公開する会社が増えとても傾向だと思う。オンラインだと質問することはできないけども、それでも十分参加する意義がある。
Twitterでも書いたのだけど、今日の株主総会には非常に満足した。株主総会の意義は、株主が普段会うこともできない会社の経営陣に直接質問することができること。にもかかわらず、株主からの質問に正面から答えようとしない経営者のいかに多いことか!
議長の堂前さんの対応がいい。経営者として自信があるから堂々とした対応ができるのだ。とてもいい印象を持った。この会社の株式は買い増ししてもいいなと思ったくらいだ。

午後からはサントリーホールであった清水和音さんのピアノリサイタルに。
お気に入りの「展覧会の絵」を聴きたくてチケットを買ったのだけど、前半に演奏されたレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」よりと、ベートーベンの「ピアノソナタ第32番ハ短調」がものすごく良くて、とてもいいコンサートだった。
今回試しに2階の後方の席を買って聴いてみたのだけど、非常に満足した。後方席、それも2階の後方席で聴いていると、暗くなったホールが宇宙空間のように思え、ピアノから流れてくる音楽は宇宙から届く音の流れのようにも思えた。
実は先週もサントリーホールでウィーンフィルの演奏を聴いたのだけど、これは一階席の中ほどの「いい席」で聴くことができた。機会を見つけて2階席の後方で交響曲の演奏を聴いてみたい。

愛犬との生活

わが家では三代目になる甲斐犬との生活が始まって5カ月。ただ夏の間に二カ月半ほどドッグスクールに入っていたので、まだ三カ月ほど。2015年に亡くなった初代のカイ(♀)、2021年に亡くなった二代目のクウ太郎(♂)、そして三代目になるのがアンナ(♀)。3年ぶりのワンコとの生活ははやり楽しい。今年の2月に生まれたアンナ。身体はもう大人のカラダに近くなっているけども、こころはまだまだ子犬。警戒心が強く出てきていて、きっといい番犬にもなってくれるだろう。
来年2月の誕生日を迎え一歳になるまではできるだけいっしょに時間を過ごしてあげようと思う。ただ、海外出張中には、長期間ドッグスクールに「再入学」して、わが家で甘やかされているので忘れかけている「しつけ」を思い出してもらおう。

硬直的体質と勇気なきリーダー

昨日(2024年9月11日)の朝日新聞朝刊の辺野古基地に関する記事(「未完」の辺野古の4回目)に目が留まった。このシリーズの記事は最初から読んでいたわけではないのだけど、この記事はどうしたわけか目に留まった。
記事の趣旨は以下の通り。
1 米海兵隊太平洋基地政務外交部次長を務めたロバート・エルドリッジ氏によると、辺野古移転を評価する海兵隊員はいない
2 代替案として海兵隊で注目されていた代替案(沖縄本島中部の勝連半島沖に人工島を作り基地機能を集める)を、エルドリッジ氏の恩師でもある五百旗頭真・元防衛大学校長が当時の小泉首相に持ち込んだ。
3 2週間後くらいに、「いまさら現行案を白紙に戻すことはできない」という返事があった。
4 日本政府は一度決めたことを変えたがらず、硬直的な体質がある(五百旗頭氏)。
5 重要なときには、日本の首相は米国に正面から要求する勇気を持たなければならない(同氏)

この硬直的な体質は日本人の欠点の一つだな。政治だけでなく、社会の各所でこの硬直的体質が窮屈さの原因になっている。

愛南町外泊

TBSのドラマ『笑うマトリョーシカ』で主人公が育った場所として愛媛県愛南町の外泊が選ばれていた。原作者は神奈川県生まれ。どうして愛媛県愛南町(ここはぼくが小学校から高校までの時間を過ごした場所)に設定したのか?作家は松山で生活したことがあるとも聞いている。松山滞在中に、外泊の石垣の集落を訪れることがあったのだろうか。

愛南町に住む同級生にテレビドラマのことでLineのやりとりをしたら、実際に撮影が行われたそうで、同級生の知り合いが食事を撮影クルーに届けたとか。高岡早紀さんと水川あさみさんが愛南町に来てくれたなんて、うれしくなるね。

テレビで久しぶりに見た外泊の海と山は美しかった。30数年前、東京で生まれ育った友人家族といっしょに東京からフェリーに乗って四国に着き、それぞれのクルマでいっしょに高知と愛媛をめぐったことがあった。その時外泊の民宿に一泊したのだけど、地元の友人の情報では外泊の民宿の数も減っているそうだ。結局、きれいなところでも空港からの距離があるものだから(高知あるいは松山の空港からクルマを飛ばしたとしても3時間以上ゆうにかかる)、都会から来る人は少ないのだ。

愛南町の友人からのメールには、地元の人たちは外泊の海と山の美しさに気づいていないということだった。それはそうだろうな。「美人も三日で慣れる(飽きるだったかな?!)」というたとえに倣って言うと、美しい景色にも慣れてしまう。ぼくもそんな外泊の人たち(愛南町の人たち)の一人だった。コロナ前、東京に出てきている高校の同級生たちと会ったとき、「われわれが育ったところは美しかったんだね」という話になった。失ったわけではないけども、愛南町を離れて長くなってからようやく気づいたこと。それはわれわれだけでなく、地方出身者の多くに起こっていることだと思う。