2024年の始まり

一週間ほどのロンドン出張から帰国。4年ぶりのロンドン。この間ヨーロッパのほかの国に行ったわけではないから4年ぶりのヨーロッパでもある。
今年は健康に気を付けつつも、国内、海外をゆっくり歩いてみたい。2024年は昨年に続き学習、挑戦、希望の連鎖を広げていく年にしたい。連鎖の2年目。

返礼品のない「ふるさと納税」

ここ数年、高知県(生まれたところ)や愛媛県(育ったところ)の市町村に返礼品ありの「ふるさと納税」をしてきましたが、今回、立川市の以下のプロジェクトを対象にした返礼品のない「ふるさと納税」を行いました。

孤独・孤立から子どもを守りたい。家でも学校でもない第3の居場所を立川市につくる
https://www.furusato-tax.jp/gcf/2757

その年には見えない

先週64の誕生日を迎えた。
しばしばその年には見えない、若く見える、と言われるのだけどそれを満額で受け取ってしまうのは少々めでたすぎるだろうと思っている。
昨日はお世話になっている歯科医の先生(ちなみにぼくよりも年下)に、「54に見えるとは言えないけど64よりは若く見えますよ」というカーブボールのような表現を投げられた。64以下に見えるということはありがたく素直に受け入れるとしても、下の60を切るところかどうかが微妙なところなのだろうと思う。残念ながら60の大台を切るほどではないということだろう。

今週、長年の知り合いのアメリカ人と昼食をした。彼の年齢を聴くといつのまにか61になっていて少し驚いた。それまでずっと独身だったのだが友人から紹介された20歳年下の日本人女性と昨年結婚、最近、女の子の父親になったと聞いた。60で初婚、61で父親になるなんて、すごいなあと感心した。

年のことは悩んでもいかんともしがたいので、64=ムシと読んで、年齢のことは無視することにした。毎週の水泳、ジム通いをこまめに行い、睡眠時間を十分とることにのみ、気をつけ、あとは仕事をしっかりとやっていくこと。それだけに気を使い、年のことは「無視」する、いや忘れるようにしよう。

『訂正する力』(東浩紀著)

今週、日帰りで岡山に出張。行きかえりの新幹線、腰痛持ちにはあまりよろしくない往復7時間。窓側席でお隣の隣人が不機嫌になるのが気になり座ったまま。
ずっと読書とメールのチェックに集中。
往復の新幹線で読んだのが、東浩紀著の『訂正する力』。ひとは誤りをおかさずには生きてはいけないわkで、誤ったことを訂正しながら生きていくしかない。無誤謬である人生も、意思決定も、戦略の実行も、ありえないわけで、結果や現実を謙虚に正面から見、考え、小まめに訂正を加えていくことだと、あらためて思った。
東さんの著作物はおもしろい。

大阪・京都

北九州出張から帰って東京に一泊。
今度は大阪、京都(22日水曜日、23日祝日)。大阪では江崎グリコさんを訪問。記念館を江崎会長にご案内いただく。そのあとは勉強会のみなさんとフォーラムを行い、夕食会。夜は大阪に泊まらず京都に移動。けさは起きてから京都市内をホテルの自転車で回り、午後は博物館で東福寺展を観る。コロナ前にはなんどか訪れていた東福寺。図録も買ってあるので、じっくりとお寺の歴史を勉強しておこう。

北九州訪問

11月ももう後半戦。
昨日の午後福岡に飛び、夜は東京から地元の北九州に帰った長年の友人と食事をした。かれに案内してもらって、初めて牡蠣小屋なるところで「たらふく」焼いた牡蠣を食べた。福岡にはなんども行っているけど初めての体験。
けさは博多駅から新幹線に乗って小倉までいき、北九州市役所のデジタル推進室を訪問した。市役所のすぐ近くには、松本清張記念館がある。長い間訪問してみたいと思っていたところだったので、この機会をとらえて訪問。「清張の前には清張はなく、清張の後にも清張は現れないだろう」と思う。彼の代表的な作品のいくつかを読み、彼の作品を基に作られた映画も観ている。清張の仕事はすごい。
小倉城のまわりにはあまり趣味がいいとは思えない建物がお城を威圧するように建てられていて、せっかくのお城=観光資源が、ないがしろにされているように見えるのが残念に思えた。どうしてもっとお城周辺の景観を大切にしなかったのか?

10月末日

ついに10月も末日になってしまった。2023年も残り2か月。早い!早すぎる!
12月には64になる。年の割には若々しいと言われるけど、それをまともに信じるには年を取りすぎてしまった。

9月末で終わった朝ドラ「らんまん」は、主人公が高知県生まれということで見始めたのだけど、とてもいい番組だった。朝ドラに「ハマった」のは初めての体験。らんまんの流れに乗って、10月から始まった「ヴギウギ」も見ていて、この番組にもハマってしまっている。一つには、らんまんで設定していた録画がそのまま継続していたのも大きいと思う。マシンが習慣の継続に役立つ例かもしれない。

生活習慣はたいせつだ。

数日前、映画『グランツーリスモ』を観た。ゲームのチャンピョンがリアルの世界でのドライバーとなってル・マンに挑戦する物語。実話に基づいてるいるとか。友人が強く薦めるから観たのだけど、観てよかったと思った。友人に勧められなかったら絶対に観なかった映画。そもそも存在さえも知らなかった。

友人もたいせつだ。

これからはますます「時間との闘い」(という割には相変わらずつまらないことで時間を浪費している!)だから、いい番組、いい映画を厳選して観たい。この年になると残された時間は残された人生そのものだと感じる。

時間はシリアスにたいせつだ。

日本経済についての認識を決定的にあらためる。

9月29日の日経新聞夕刊の二つの記事を読んで、日本経済に関する認識を根本的に改めないといけない時期にあるのだと感じた。遅すぎるのだけど。

ひとつ目は一面中ほどにある「マイクロンに1920億円補助_経産省・広島で最先端半導体」という記事。かつて、通産省(現在の経産省)は、外資系企業の日本進出を防ぎながら、日本企業が先端分野に橋頭保を築き、世界にうって出るのをサポートするのが役割だったのではないか?それが日本の産業政策として、海外の研究者にも評価されていたのではなかったか?記事によると、経産省はすでにマイクロンの広島工場に最大およそ465億円の補助を決めていたが、さらに支援を手厚くするのだそうだ。さらに記事によると、「経産省は半導体関連んお投資の補助などに2年で2兆円の予算を用意する」とか。この2兆円のうち日本企業にいく税金はあるのだろうか?一体いつから日本政府はアメリカ企業のための産業政策を実施するようになったのだ。富士通やNECはどうなったのだ。

ふたつ目の記事はマーケット・投資ページにあるコラム「十字路」に、ニッセイアセットマネジメントの社長、大関洋さんが書かれていた「円安と闘わず活用する視点を」という記事。為替相場は1980年代以来の歴史的円安水準にあるが、この基調は長期化するだろうという見方。その理由として、まず産業に占めるデジタルの役割が大きくなり、この分野の収支で米国が日本を圧倒していること。次に、モノづくりの領域で安定して外貨を稼いでいる産業が自動車と一般機械だけになっていること。そしてこのような構造変化もあって、ドル高・円安の反転を望む米国関係者が見当たらないこと。

円安の時代は始まったばかりで、これから何年続くのか?これまでの日本経済に関する認識を根本的に変えないといけない。

「読むのが先か、聴くのが先か」

かつて角川映画が元気だったころ、「読むのが先か、観るのが先か」というようなCMコピーがあったように記憶しています。角川書店から出版される小説が映画化され、本と映画の両面でビジネスにしようとする、とてもおいしいやり方でした。

先日聴いた「ノルウェイの森」に次いで、同じ村上春樹の「職業としての小説家」を聴きました。「聴くのが先」!

村上春樹は自分自身を長編小説を「主戦場」とする小説家と言っていて、エッセイや短編小説は主戦場ではないという位置づけのようですから、ぼくはかれの忠実なファンではないように思いますが、村上春樹のエッセイはとても好きです。
かれの考え方や意見にはとても共感をもっています。本物の村上春樹はどのような人なのかわかりませんが、とても高い職業意識を持つ、職人のような方だという印象です。

この次のオーディオブックも、村上作品。こんどは小説に挑戦します。

村上春樹を「聴く」

久しぶりに、20年あるいは30年ぶりに「ノルウェーの森」に挑戦。ただし今回は本を前にして読むのではなく、オーディオブックで作品を聴きました。映画が出来上がったときも見た作品。その頃大好きだった菊池凛子が主演女優の一人だったから。
小説はできるだけオーディオブックで「聴く」ようにしたい。できるだけ目を酷使するのはやめたいから。スマホを使いすぎてお目目も疲れ気味。
いまは、村上春樹の「職業としての小説家」を聴いている。村上春樹の身心ともにストイックな考え方には共感するところが大だ。ただしぼくは彼ほどストイックな生き方、仕事の仕方はできていないのが課題だが。