10月末日

ついに10月も末日になってしまった。2023年も残り2か月。早い!早すぎる!
12月には64になる。年の割には若々しいと言われるけど、それをまともに信じるには年を取りすぎてしまった。

9月末で終わった朝ドラ「らんまん」は、主人公が高知県生まれということで見始めたのだけど、とてもいい番組だった。朝ドラに「ハマった」のは初めての体験。らんまんの流れに乗って、10月から始まった「ヴギウギ」も見ていて、この番組にもハマってしまっている。一つには、らんまんで設定していた録画がそのまま継続していたのも大きいと思う。マシンが習慣の継続に役立つ例かもしれない。

生活習慣はたいせつだ。

数日前、映画『グランツーリスモ』を観た。ゲームのチャンピョンがリアルの世界でのドライバーとなってル・マンに挑戦する物語。実話に基づいてるいるとか。友人が強く薦めるから観たのだけど、観てよかったと思った。友人に勧められなかったら絶対に観なかった映画。そもそも存在さえも知らなかった。

友人もたいせつだ。

これからはますます「時間との闘い」(という割には相変わらずつまらないことで時間を浪費している!)だから、いい番組、いい映画を厳選して観たい。この年になると残された時間は残された人生そのものだと感じる。

時間はシリアスにたいせつだ。

日本経済についての認識を決定的にあらためる。

9月29日の日経新聞夕刊の二つの記事を読んで、日本経済に関する認識を根本的に改めないといけない時期にあるのだと感じた。遅すぎるのだけど。

ひとつ目は一面中ほどにある「マイクロンに1920億円補助_経産省・広島で最先端半導体」という記事。かつて、通産省(現在の経産省)は、外資系企業の日本進出を防ぎながら、日本企業が先端分野に橋頭保を築き、世界にうって出るのをサポートするのが役割だったのではないか?それが日本の産業政策として、海外の研究者にも評価されていたのではなかったか?記事によると、経産省はすでにマイクロンの広島工場に最大およそ465億円の補助を決めていたが、さらに支援を手厚くするのだそうだ。さらに記事によると、「経産省は半導体関連んお投資の補助などに2年で2兆円の予算を用意する」とか。この2兆円のうち日本企業にいく税金はあるのだろうか?一体いつから日本政府はアメリカ企業のための産業政策を実施するようになったのだ。富士通やNECはどうなったのだ。

ふたつ目の記事はマーケット・投資ページにあるコラム「十字路」に、ニッセイアセットマネジメントの社長、大関洋さんが書かれていた「円安と闘わず活用する視点を」という記事。為替相場は1980年代以来の歴史的円安水準にあるが、この基調は長期化するだろうという見方。その理由として、まず産業に占めるデジタルの役割が大きくなり、この分野の収支で米国が日本を圧倒していること。次に、モノづくりの領域で安定して外貨を稼いでいる産業が自動車と一般機械だけになっていること。そしてこのような構造変化もあって、ドル高・円安の反転を望む米国関係者が見当たらないこと。

円安の時代は始まったばかりで、これから何年続くのか?これまでの日本経済に関する認識を根本的に変えないといけない。

「読むのが先か、聴くのが先か」

かつて角川映画が元気だったころ、「読むのが先か、観るのが先か」というようなCMコピーがあったように記憶しています。角川書店から出版される小説が映画化され、本と映画の両面でビジネスにしようとする、とてもおいしいやり方でした。

先日聴いた「ノルウェイの森」に次いで、同じ村上春樹の「職業としての小説家」を聴きました。「聴くのが先」!

村上春樹は自分自身を長編小説を「主戦場」とする小説家と言っていて、エッセイや短編小説は主戦場ではないという位置づけのようですから、ぼくはかれの忠実なファンではないように思いますが、村上春樹のエッセイはとても好きです。
かれの考え方や意見にはとても共感をもっています。本物の村上春樹はどのような人なのかわかりませんが、とても高い職業意識を持つ、職人のような方だという印象です。

この次のオーディオブックも、村上作品。こんどは小説に挑戦します。

村上春樹を「聴く」

久しぶりに、20年あるいは30年ぶりに「ノルウェーの森」に挑戦。ただし今回は本を前にして読むのではなく、オーディオブックで作品を聴きました。映画が出来上がったときも見た作品。その頃大好きだった菊池凛子が主演女優の一人だったから。
小説はできるだけオーディオブックで「聴く」ようにしたい。できるだけ目を酷使するのはやめたいから。スマホを使いすぎてお目目も疲れ気味。
いまは、村上春樹の「職業としての小説家」を聴いている。村上春樹の身心ともにストイックな考え方には共感するところが大だ。ただしぼくは彼ほどストイックな生き方、仕事の仕方はできていないのが課題だが。

『資本主義の次に来る世界』(ジェイソン・ヒッケル著)

原題はLESS IS MORE.
企業経営や企業の評価において、あるいは個人のキャリアにおいても「成長」は強く求められるものになっている。成長はMUSTであり、成長に異議を申し立てることは許されないような雰囲気さえある。
上場している会社の経営者は、株主たちからは常に成長を求められていて、ご苦労さまなことだと同情も申し上げる。
個人の転職を進める会社などは、成長できる職場、会社に転職すべきだ、この会社だとおあたは成長できる、なんてことも言ったりしている。

自分が年をとったからだろうか、あなたたちのいう「成長」なんて、しなくていいのじゃないの、と思うことがある。あなたたちのいう成長って、おカネをもっと稼ぐということ以外になにが含まれているのか?なんて皮肉を言いたくなることもある。

日本は人口減少が制約になって、これから経済は縮小していくだろうけど、それはそれでいいのではないかと思っている。これまでよりも少ない労働人口で、どうやって経済を維持していくのか。労働人口は減る(less)けども、創意や工夫はもっと生まれてくる(more)だろうし、これまでよりも高い賃金(more)を企業は払わないといけなくなるだろう。それは働く人たちにとってはいいことだと思う。

この本の中で著者はこんなことを訴えている。

「結局のところ、わたしたちが、「経済」と呼ぶものは、人間どうしの、そして他の生物界との、物質的な関係である。その関係をどのようなものにしたいか、と自問しなければならない。支配と搾取の関係にしたいだろうか、それとも、互恵と思いやりに満ちたものにしたいだろうか?」

政治家も、経営者も、われわれ庶民も、みんなこの問いを考えてみた方がいい。

シェアすることを学ぶ

朝ドラの「らんまん」を毎日楽しみに見ています。朝の放送を録画し夜見ていますが、けさは朝の放送を見ました。
万太郎は田辺教授から論文を書いていいという許可を受け、だれの助けもなくすべて自分の力で新種の植物を発見したと言わんかのように、自分だけの名前で論文を発表。でも、この新種の「発見」は田辺教授のサポートがあったからこそできたことだったのに。
せっかく田辺教授がこころを開き始めよう、人間としてのやさしさや寛大さに気づき始めていたのに、万太郎の「手柄の独り占め」行為が、田辺教授のこころをまた冷淡なものに押し返してしまった。
シェアすることは難しい。お金、名誉、功績、そして愛情。シェアすることを学ぶのは大人になることかな。

松山、出雲出張のこと。

なかなかブログを書く時間がとれていないなあと反省しています。インプットすることが多すぎて、アウトプットがまったく足りていない。
オーディオブック、読書、ツイッターなどで目に付いた情報のフォローなどを行っているだけで、時間が足りなくなっている。少々、情報ダイエットを始めないといけないと思っています。

今月に入って、大阪・京都、松山、そして出雲に出張(「しゅっちょう」であって、「でばり」じゃないよ!)
大阪・京都は6月28日から7月1日まで、松山は7月14日、15日、そして出雲は7月22日、23日。それぞれの場所で、再会や新しい出会いがあって、出かけて行ってよかったと思っています。松山はなんといっても小学校から高校まで愛媛県南宇和郡で育った僕にとって一番ちかい都市だったし、大学に通うようになってからも松山経由で南宇和に帰省することがしばしば。人生で一番お世話になった92才になられた先生を訪問することができたのはとてもよかったし、ビジネスでも、非常に大切な企業のお客様2社を訪問し、当社の資格をどのくらいの規模でお使いいただいているのか、お聴きすることができたのは幸運だった。

先週末の出雲出張もまたまたよかった。インストラクターの方々の勉強会にお呼びいただき、特別参加。昔々、出雲大社に行った記憶がありますが、あまりにも昔過ぎていつだったか記憶がないのですが、松江に地元の銀行に営業に行ったあとだったように思います。
各地でがんばっていらっしゃるITのインストラクターのみなさんの熱心なお話をお聴きすることができました。
出雲平野の風景がすてきでした。また空港に向かう前にお連れいただいたhttps://www.izumo-kankou.gr.jp/677がとてもきれいでした。日本海側の海もとても穏やかだったのが印象に残りました。

Dean Datar presentation

久しぶりにビジネススクールのイベントに参加。
もう卒業して35年たちましたからね。卒業後10年くらいまではハーバードビジネススクールのイベントにもこまめに参加していたように思いますが、最近はめっきりご無沙汰気味。
2021年にハーバードビジネススクールの11代目のDeanになったDatar氏を東京に迎えての夕食会。200名近い関係者の参加。
まえのDeanもインド系でしたが、今度のDeanもインド系。
マイクロソフト、VISA、Google、Adobe,みんなトップはインド系。インド人のみなさんのアメリカにおける大活躍には留まるところなしという勢い。恐ろしインド系!

株主総会の季節

定期株主総会の季節がもうすぐ来る。長年株式投資を行っているので、毎年数十社分の株主総会招集書なるものが送られてくる。
昨今各社とも社外取締役を入れないといけないということで必死になっている。さらに取締役には女性を入れないといけないという機関投資家、特に海外の機関投資家がいるため、各社女性の取締役を誕生させている。社内には候補になる女性幹部社員がいないのか、女性の取締役として社外から急いで集めてきましたという様子が見受けられる企業が多い。

送られてきている株主総会招集書を見ていたら、同じ人物が総合商社、エレクトロニクス、リース会社など4社の社外取締役を務めていた。その4社すべての株式を持っていた(株数は大したことはない)。いくら優秀であったとしても、同じ人物がこれだけの会社の取締役をきちんと務められるとは到底思えない。この女性取締役はほかの会社の取締役をするだけでなく、自分が創業した会社の社長も続けている。
これまで日本社会が女性たちを育ててこなかったことのしっぺ返しが来ている。一部の優秀な女性たちは、複数の会社からお声がかかり、数年たったらまた別の会社の役員になり、常に複数の会社の社外取締役を務めている。「おいしくて、やめられない!」だろうなと思う。

しかし、頼む方も、頼まれる方も、誠実さがない話だ。
本音でいうと、無理に女性社外取をつけたくないと思っている会社は多いはずだ。(本当に優秀な人であれば、男女問わずなってもらいたいと思う会社もあるだろう)受ける方だって、本当にちゃんとした仕事をやれると思っているのだろうか?「この程度でいい」という線を自分の中に引いていないだろうか。
女性の取締役を入れない会社には投資しないという海外の機関投資家に対して、「うちの会社の業績、株価、株主への利益還元にご不満なら投資なさらなければいい」というようの「暴論」を返すくらいの経営者はいないものだろうか。
本音の議論をもっと聞きたい。もっと強い会社を作っていくために。
女性だけでなく、男性であっても、社外取締役を務める会社の数を制限するようなルールは作れないものだろうか。お飾りであるにしては彼ら、彼女たちに支払われている報酬は高すぎるのではないか。

もちろん、優秀な女性が適正な評価を受け、適正な待遇を与えられるようになればいい。できるだけ早く。でも形式ばかり整えるのは情けない。いつもそうやって日本社会は見てくれだけを整えてきたから、内実が伴っていないことが多い。時間はかかっても着実に進めていくしかない。

「一身にして二生を経る」

福沢諭吉は「一身にして二生を経る」と文明論之概略の中で記している。明治維新の前後ではすべてが変わったということだろう。変化の度合いは明治維新ほどではないのは確かだけど、ぼくたちの世代だって、二つの生を生きているのではないかと、新聞記事を読んでいて思った。日本総研の寺島会長のインタビュー記事なんだけど、以下のような数字をあげていらっしゃる。

「日本GDPは94年に世界の18%。これが日本のピーク。この年、日本を除くアジアは中国、インド、東南アジアすべてを加えても5%」
「2000年、九州・沖縄サミットが開かれた年、日本のGDPはまだ世界の15%をキープ、日本を除くアジア全体は7%」
「2010年に日本のGDPは中国に抜かれる」
「2022年の日本のGDPは世界の4%、日本を除くアジア全体は25%」

一人当たりのGDPについても、22年には台湾、韓国はほぼ日本に追いついた。
この30年あまりでなんて転落なんだ!

日銀の金融緩和が続き、昨年は一ドルあたり円の価値は110円台前半から一気に150円まで達し、現在でも130円団の後半あたりをうろついている。

ぼくが初めてアメリカに行った1976年は円は200円台の半ばだった。
次にアメリカに行った1985年にはプラザ合意があって、ドルは一気に100円割れの時代に入った。

大学に入った1979年にはJapan As Number Oneという、いま考えると「御冗談でしょう」という本が出た。
金持ち国から貧乏国への転落がこれからの日本のただる道だなどと、考えたくもないが、その可能性は大いにある。

今年64歳になる自分は、たいそう恵まれた時代背景のもとに育ち、働いてきたものだと思う。右上がりの日本を経験し、個人的にも、いなかの両親が考えられないようなキャリアを送ることができたことを幸運だったと思っている。

しかし、これからの世界の中における日本を考えると、一ドル200円、さらには300円の時代という「悪夢」もあるかもしれないと思うことがある。もうそうなると海外旅行は夢の夢だ。弱い円の国・日本には海外から働きに来る人はなく、逆に日本の若者たちが中国やアメリカに出稼ぎに行くような時代が来るのだろう。

あと30年、40年と長生きすることができたなら(100歳前後まで生きるということ!)、「一身にして二生を経る」ことになるか?いや、もう第二の生は始まっていると考えておいた方がいいのかもしれない。