ひさしぶりのコンサート

今日の午後、住んでいる街にあるコンサートホールであったピアノのリサイタルに行ってきました。本当にひさしぶりのライブの演奏。大好きなムソルグスキーの「展覧会の絵」をある有名な日本人ピアニストが弾いてくれました。
もう半年以上もコンサートに行っていなかったと思います。ピアニストもコロナ禍が始まって演奏の機会がなく、ずっと自宅で練習に励んでいたというような話をしていました。
小ホールで席もほぼ満席、ステージ上のピアニスト以外はすべての人がマスク着用というありさま。両隣に人が座り、ずっと身体を動かさず、固まったような状況で音楽を聴いていました。
ピアニストもなんとなく固い感じ。演奏を再開して今日が2回目だということでした。まだ調子が上がっていないのかなとも思いましたが、「展覧会の絵」のピアノ・ソロはいつ聴いても感動します。

「現成受用」

今朝5時からEテレで再放送されていた「こころの時代選」。岐阜の美濃加茂市にある正眼寺の山川老師のお話で出てきた言葉、「現成受用」。現実を観察、受けとめ、与えられた現実の中でベストを尽くす。岩石の隙間に運ばれ落ちたであろう松の種子が育ったことを例にこの言葉を解説いただいた。山川老師は埼玉大学だったと思いますが物理を勉強されていて、お話が理路整然とされているところが素晴らしい。今年初め、コロナの前ですが、世田谷にある臨済宗のお寺でご講話をお聞きしました。年内に一度岐阜の美濃加茂にある正眼寺にお伺いしてみたいです。

日経新聞・経済教室に法政大学大学院教授の豊田裕貴先生

オデッセイコミュニケーションズで出版している『Excelで学ぶ実践ビジネスデータ分析』をご執筆いただいている豊田裕貴先生が、10月2日付の日経新聞・経済教室に、今日本で言われている効率を上げることのみを念頭においたDXへの懸念をあげられ、価値創造のためのDXを提唱されています。
日経新聞の豊田先生の記事
豊田先生のご著書

『野生のうたが聞こえる』(アルド・レオポルド著)

久しぶりにいい本に巡り合ったなと感じています。本の裏表紙にある紹介文から一部を紹介すると、こんな本です。

「あるがままの自然への慈愛と共感、失われゆく野生への哀惜の情をみずみずしい感性でつづり、自然が自然のままで存在しつづける権利や、人間と生態系との調和を訴える先駆的思想を説く。(中略)ソローの著作とならび称される一方で、自然との共生の思想により環境保全運動を支える役割をになってきた」。

わが国の環境大臣がこの本を「セクシー」と思うかどうかはわかりません。彼が勉強家なのか、読書家なのかも存じ上げません。
ただ、環境大臣には、こういう本もぜひ読んでいただきたいと思いました。
特に、この本の一番最後に置かれた「土地倫理」という文庫本で36ページほどの論文。倫理は個人、人同士の間を越えて、土地(環境)にまで及ぶべきであるという思想。

著者は1887年に米アイオワ州生まれ(ぼくが16から17歳までの1年間生活した土地!)、森林官からキャリアを始め、最終的にはウィスコンシン大学の教員。
動物たちの挿絵もはいっているとても素敵な講談社学術文庫の一冊です。

近況報告(セルフィー)

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札幌のSおばさんから最近ブログのアップデートがないが「大丈夫なのか?」というお声があったとお聞きしたので、近況画像をアップしました。
札幌にも行きたいな。コロナのせいで飛行機には乗らなくなり、ときどき高知に帰省するときに乗るだけ。このまま海外にも飛ばないまま2020年が終わるとするとすこし淋しい。

コロナ対応が本格的になり半年

9月に入り一週間。まだまだ蒸し暑い日が続きますが、確実に季節は移りつつあります。毎朝4時台に起きますが、日の出の時刻は後に後にと下がっていきます。そして起きた時の暗さは重くなっています。
コロナのせいでビジネスが大きな影響を受け始めて半年ほどになります。国内出張、海外出張、ともに中止やキャンセルが続き、行動範囲はいっきに狭まっていきました。
3月以降、飛行機に乗ったのは高知に帰省した2回だけではないかと思います。もちろんパスポートを利用する機会は一度もありません。(パスポート、どこに行った?!)
このままだと一度もアメリカにいくことなく終わりそうです。
ある経営者仲間は、アメリカの大学に通っているお子さんに会いに行って帰国した後、軽井沢にある別荘で2週間の隔離生活を送っているということでした。
ぼくはそこまでしてアメリカに行く理由もないので、30数年ぶりになるのでしょうか、一度もアメリカに行くことなく2020年が終わりそうな予感です。

来年もこんな調子になるのか?

「私たちが、地球に住めなくなる前に」(マーティン・リース著)

原題のタイトルは、On the Future.
著者はイギリスの著名な学者で、邦訳の副題には、「宇宙物理学者から見た人類の未来」というコピーが付けられています。
われわれ人類の課題がきれいにまとめられています。この本の中であまりの正確な「予言」に驚いた箇所があります。それは以下の通り:

 もし現在パンデミックが起これば、社会に降りかかる悪影響はとてもかつての比ではないだろう。14世紀半ばのヨーロッパの村落は、黒死病が一帯の人口をほぼ半分にまで減らしても、なお機能を失わずに存続できていた。生き残った人々は甚大な死者数を宿命として受け入れていたからだ。対照的に、今日の比較的裕福な国では各人の権利意識が強すぎて、病院が患者を受け入れきれなくなったり、主要労働者が自宅から出られなくなったり、保健事業が大打撃を受けたりすれば、たちまち社会秩序が崩壊に向かうだろう。こうした事態は、まだ感染者がたった1パーセントの時点から起こりうる。発展途上世界のメガシティでは、おそらく最高の死亡率が記録されるだろう。

この本が出たのは2018年、翻訳が出たのは2019年12月です。2020年3月以降、日本でそして世界各国で起こっていることを完璧なまでに予測していることに驚きました。
図書館で借りて目を通したのですが、もう一度熟読するために購入しました。

『瞬間を永遠とするこころざし』(岡井隆著)

先日亡くなった歌人・岡井隆が、日経新聞の「私の履歴書」に連載していたものがベースになった書籍。
歌人は医者でもあったことを初めて知りました。(彼が新聞に連載していた時には目を通していたはずなのに、記憶に全くないということはどうしたことだろう)

最後のページには以下のような記載があります。
「若いころから目標にして来た森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎という三人の大先達(中略)、もとよりこの三人には遠く及ばないにせよ、まだ勝負はきまっていない。わたしには余力があり余生がある限りそう考えるべきだろう。」
また「もの暗い世の中だからといって、もの暗い歌ばかり書く必要はないだろう。」

そして最後に以下のような歌で締めくくっています。
「瞬間を永遠とするこころざし無月の夜も月明かき夜も。生きているこの瞬間を永遠のものに定着する志は、失いたくないと思って今日もまたペンを握っているのである。」

森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎、3人とも医者だったところに、内科医でもあった岡井さんらしさの一つが出ているなと思いました。

「オーラル・ヒストリー」をめぐる攻防_御厨先生に噛み付いた輿那嶺先生

今朝の朝日新聞の文化・文芸ページで、オーラル・ヒストリー(引退後の政治家や官僚からの聞き取りをもとに現代史を叙述する方法論)をめぐっての対立があった。本人たちがそれをどれだけ自覚していたのかはわからないけど、きっと異議というか、その方法論の問題点を指摘した側は意識して異議を唱えたに違いないと思うし、新聞社側もわかった上でこの異議を掲載したに違いない。
「語る_人生の贈りもの」というちょっとした「私の履歴書」的なコーナーがあって、そこに政治学者の御厨貴先生が今日でシリーズ15回目になる話を掲載されていた。今日は、平成天皇の生前退位をめぐる天皇と政治家(官邸)の対立の話だったのだけど、御厨先生こと、このオーラル・ヒストリーという手法の「大家」。
これに「異議」を唱えるというか、問題点を指摘したのが、輿那嶺潤という「若手」(になるのかな?)政治学者。かれは毎週木曜日に「歴史なき時代」という題でエッセイを書いている。今日はオーラル・ヒストリーという手法が、政権を批判する学者に、権力者が引退後聞き書きの機会を与えるはずがなく、権力者が現役の間は(たとえ適切であろうと)厳しい論評を控えることになってしまうだろう(その結果、今若い政治学者に元気がないという状況が発生している)、またオーラル・ヒストリーの手法は国内政治には可能であったとしても国際政治には無理だろう、なぜなら中国や北朝鮮の権力者たちが聞き書きの機会を与えてくれるはずもなく、結局日本側の交渉当事者の一方的な話しか聞き取ることはできないだろうから、というものだ。
この二つともオーラル・ヒストリーという手法の限界を適切に示しているように思うのだけど、当の御厨先生はどのような反応を示されるのだろうか?それとも若手学者の戯言として無視するだけなのか。
それにしても御厨先生が語る自身の「オーラル・ヒストリー」と同じページに、その方法論の課題を(わかった上で)示している輿那嶺先生の心意気はよしとして良いのではないかと思うし、できれば御厨先生からの反論もお聞きしてみたいものだ。

『後藤田正晴_語り遺したいこと』(岩波ブックレット)

2005年9月に亡くなった政治家、後藤田正晴が加藤周一、国武武重(朝日新聞)を相手に行った対談。15年前の発言ですが、現在においてもなお的確であり、かつ有効な日本政治に関する批判となっている。
そのことはある意味では日本政治の進歩のなさを意味していて、たいへん残念な話でもある。

共感する後藤田正晴のメッセージ:
1 いま日本政府がやっておることは憲法の尊厳性、あるいは信頼性を失わせてしまうものではないかと思うんです。
2 (戦前と戦後の連続性が強いことに関して)要するに、日本の場合には、指導者が結果責任をとっていないということですよ。責任が明確でない。
3 本当に国の将来、未来を切り開こうと考えるのなら歴史に正対をしていくくらいの覚悟がなくて、どうなりますか。
4 本来の政治主導というのは、内閣主導であるということです。(中略)総理大臣は、外に向かっては内閣を代表するけども、閣議の中においては一国務大臣でしかない。総理が中心の内閣主導ということが「政治主導」の正しい意味だと思います。
5 もう少し自主自立のものの考え方でアジアに目を向けないと、アメリカ一辺倒ではこの国は危なくなるよ。

自公政権について、「公明党・創価学会のほうが、外へはもう絶対に出ないという姿勢でしょう」という国正の指摘に対して、「あれがまた不思議でね」という受けもいい。自民党といっしょになると(権力に近くなると)、みんな消えていく(自分らしさをなくしていく)という話はいまも変わらないことだと、おもしろく読んだ。