『資本主義の次に来る世界』(ジェイソン・ヒッケル著)

原題はLESS IS MORE.
企業経営や企業の評価において、あるいは個人のキャリアにおいても「成長」は強く求められるものになっている。成長はMUSTであり、成長に異議を申し立てることは許されないような雰囲気さえある。
上場している会社の経営者は、株主たちからは常に成長を求められていて、ご苦労さまなことだと同情も申し上げる。
個人の転職を進める会社などは、成長できる職場、会社に転職すべきだ、この会社だとおあたは成長できる、なんてことも言ったりしている。

自分が年をとったからだろうか、あなたたちのいう「成長」なんて、しなくていいのじゃないの、と思うことがある。あなたたちのいう成長って、おカネをもっと稼ぐということ以外になにが含まれているのか?なんて皮肉を言いたくなることもある。

日本は人口減少が制約になって、これから経済は縮小していくだろうけど、それはそれでいいのではないかと思っている。これまでよりも少ない労働人口で、どうやって経済を維持していくのか。労働人口は減る(less)けども、創意や工夫はもっと生まれてくる(more)だろうし、これまでよりも高い賃金(more)を企業は払わないといけなくなるだろう。それは働く人たちにとってはいいことだと思う。

この本の中で著者はこんなことを訴えている。

「結局のところ、わたしたちが、「経済」と呼ぶものは、人間どうしの、そして他の生物界との、物質的な関係である。その関係をどのようなものにしたいか、と自問しなければならない。支配と搾取の関係にしたいだろうか、それとも、互恵と思いやりに満ちたものにしたいだろうか?」

政治家も、経営者も、われわれ庶民も、みんなこの問いを考えてみた方がいい。

シェアすることを学ぶ

朝ドラの「らんまん」を毎日楽しみに見ています。朝の放送を録画し夜見ていますが、けさは朝の放送を見ました。
万太郎は田辺教授から論文を書いていいという許可を受け、だれの助けもなくすべて自分の力で新種の植物を発見したと言わんかのように、自分だけの名前で論文を発表。でも、この新種の「発見」は田辺教授のサポートがあったからこそできたことだったのに。
せっかく田辺教授がこころを開き始めよう、人間としてのやさしさや寛大さに気づき始めていたのに、万太郎の「手柄の独り占め」行為が、田辺教授のこころをまた冷淡なものに押し返してしまった。
シェアすることは難しい。お金、名誉、功績、そして愛情。シェアすることを学ぶのは大人になることかな。

松山、出雲出張のこと。

なかなかブログを書く時間がとれていないなあと反省しています。インプットすることが多すぎて、アウトプットがまったく足りていない。
オーディオブック、読書、ツイッターなどで目に付いた情報のフォローなどを行っているだけで、時間が足りなくなっている。少々、情報ダイエットを始めないといけないと思っています。

今月に入って、大阪・京都、松山、そして出雲に出張(「しゅっちょう」であって、「でばり」じゃないよ!)
大阪・京都は6月28日から7月1日まで、松山は7月14日、15日、そして出雲は7月22日、23日。それぞれの場所で、再会や新しい出会いがあって、出かけて行ってよかったと思っています。松山はなんといっても小学校から高校まで愛媛県南宇和郡で育った僕にとって一番ちかい都市だったし、大学に通うようになってからも松山経由で南宇和に帰省することがしばしば。人生で一番お世話になった92才になられた先生を訪問することができたのはとてもよかったし、ビジネスでも、非常に大切な企業のお客様2社を訪問し、当社の資格をどのくらいの規模でお使いいただいているのか、お聴きすることができたのは幸運だった。

先週末の出雲出張もまたまたよかった。インストラクターの方々の勉強会にお呼びいただき、特別参加。昔々、出雲大社に行った記憶がありますが、あまりにも昔過ぎていつだったか記憶がないのですが、松江に地元の銀行に営業に行ったあとだったように思います。
各地でがんばっていらっしゃるITのインストラクターのみなさんの熱心なお話をお聴きすることができました。
出雲平野の風景がすてきでした。また空港に向かう前にお連れいただいたhttps://www.izumo-kankou.gr.jp/677がとてもきれいでした。日本海側の海もとても穏やかだったのが印象に残りました。

Dean Datar presentation

久しぶりにビジネススクールのイベントに参加。
もう卒業して35年たちましたからね。卒業後10年くらいまではハーバードビジネススクールのイベントにもこまめに参加していたように思いますが、最近はめっきりご無沙汰気味。
2021年にハーバードビジネススクールの11代目のDeanになったDatar氏を東京に迎えての夕食会。200名近い関係者の参加。
まえのDeanもインド系でしたが、今度のDeanもインド系。
マイクロソフト、VISA、Google、Adobe,みんなトップはインド系。インド人のみなさんのアメリカにおける大活躍には留まるところなしという勢い。恐ろしインド系!

株主総会の季節

定期株主総会の季節がもうすぐ来る。長年株式投資を行っているので、毎年数十社分の株主総会招集書なるものが送られてくる。
昨今各社とも社外取締役を入れないといけないということで必死になっている。さらに取締役には女性を入れないといけないという機関投資家、特に海外の機関投資家がいるため、各社女性の取締役を誕生させている。社内には候補になる女性幹部社員がいないのか、女性の取締役として社外から急いで集めてきましたという様子が見受けられる企業が多い。

送られてきている株主総会招集書を見ていたら、同じ人物が総合商社、エレクトロニクス、リース会社など4社の社外取締役を務めていた。その4社すべての株式を持っていた(株数は大したことはない)。いくら優秀であったとしても、同じ人物がこれだけの会社の取締役をきちんと務められるとは到底思えない。この女性取締役はほかの会社の取締役をするだけでなく、自分が創業した会社の社長も続けている。
これまで日本社会が女性たちを育ててこなかったことのしっぺ返しが来ている。一部の優秀な女性たちは、複数の会社からお声がかかり、数年たったらまた別の会社の役員になり、常に複数の会社の社外取締役を務めている。「おいしくて、やめられない!」だろうなと思う。

しかし、頼む方も、頼まれる方も、誠実さがない話だ。
本音でいうと、無理に女性社外取をつけたくないと思っている会社は多いはずだ。(本当に優秀な人であれば、男女問わずなってもらいたいと思う会社もあるだろう)受ける方だって、本当にちゃんとした仕事をやれると思っているのだろうか?「この程度でいい」という線を自分の中に引いていないだろうか。
女性の取締役を入れない会社には投資しないという海外の機関投資家に対して、「うちの会社の業績、株価、株主への利益還元にご不満なら投資なさらなければいい」というようの「暴論」を返すくらいの経営者はいないものだろうか。
本音の議論をもっと聞きたい。もっと強い会社を作っていくために。
女性だけでなく、男性であっても、社外取締役を務める会社の数を制限するようなルールは作れないものだろうか。お飾りであるにしては彼ら、彼女たちに支払われている報酬は高すぎるのではないか。

もちろん、優秀な女性が適正な評価を受け、適正な待遇を与えられるようになればいい。できるだけ早く。でも形式ばかり整えるのは情けない。いつもそうやって日本社会は見てくれだけを整えてきたから、内実が伴っていないことが多い。時間はかかっても着実に進めていくしかない。

「一身にして二生を経る」

福沢諭吉は「一身にして二生を経る」と文明論之概略の中で記している。明治維新の前後ではすべてが変わったということだろう。変化の度合いは明治維新ほどではないのは確かだけど、ぼくたちの世代だって、二つの生を生きているのではないかと、新聞記事を読んでいて思った。日本総研の寺島会長のインタビュー記事なんだけど、以下のような数字をあげていらっしゃる。

「日本GDPは94年に世界の18%。これが日本のピーク。この年、日本を除くアジアは中国、インド、東南アジアすべてを加えても5%」
「2000年、九州・沖縄サミットが開かれた年、日本のGDPはまだ世界の15%をキープ、日本を除くアジア全体は7%」
「2010年に日本のGDPは中国に抜かれる」
「2022年の日本のGDPは世界の4%、日本を除くアジア全体は25%」

一人当たりのGDPについても、22年には台湾、韓国はほぼ日本に追いついた。
この30年あまりでなんて転落なんだ!

日銀の金融緩和が続き、昨年は一ドルあたり円の価値は110円台前半から一気に150円まで達し、現在でも130円団の後半あたりをうろついている。

ぼくが初めてアメリカに行った1976年は円は200円台の半ばだった。
次にアメリカに行った1985年にはプラザ合意があって、ドルは一気に100円割れの時代に入った。

大学に入った1979年にはJapan As Number Oneという、いま考えると「御冗談でしょう」という本が出た。
金持ち国から貧乏国への転落がこれからの日本のただる道だなどと、考えたくもないが、その可能性は大いにある。

今年64歳になる自分は、たいそう恵まれた時代背景のもとに育ち、働いてきたものだと思う。右上がりの日本を経験し、個人的にも、いなかの両親が考えられないようなキャリアを送ることができたことを幸運だったと思っている。

しかし、これからの世界の中における日本を考えると、一ドル200円、さらには300円の時代という「悪夢」もあるかもしれないと思うことがある。もうそうなると海外旅行は夢の夢だ。弱い円の国・日本には海外から働きに来る人はなく、逆に日本の若者たちが中国やアメリカに出稼ぎに行くような時代が来るのだろう。

あと30年、40年と長生きすることができたなら(100歳前後まで生きるということ!)、「一身にして二生を経る」ことになるか?いや、もう第二の生は始まっていると考えておいた方がいいのかもしれない。

黒田日銀総裁の退任に思う

新聞の記事を読むと、「黒田節 最後まで」とある。
物価目標を達成できなかったことについては、「まったく失敗だとは思っておりません」。経済の成長率低迷については、「もっと下がるものが下がらなくて済んだ」と。(2023年4月8日の朝日新聞朝刊から)
この記事の中でも紹介されていることだが、2015年の講演で「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」とし、「大切なことは、前向きな姿勢と確信」だと答えたという。

それは空前の超金融緩和策だけのことではなかろうにいうことだ。日銀の担当外ではあろうけども、同じことを規制緩和や構造改革についても進めていくリーダーが欲しかったと思う。構造改革を行うことで既得権を失う人たちのことばかりを考え、新しく生まれてくるであろうビジネスのことを疑い、永遠に構造改革を行えない国になってしまっているではないか?失われた30年という言葉を口にするだけで、結局、安倍総理もやりやすいことしかできなかった。悪夢の民主党政治?!経済に関して言えば自民党政治もあまり変わりないよ。政治は苦しい人を救わないといけないけども、不当な既得権を持つ人たちにはもっと競争してもらう状況を作ってもらいたい。ゼロ金利の中、いつまでゾンビ企業を生きながらえさせるつもりなのか。

国民一人ひとりが国に頼るばかりでなく、気概を持って働くように、政治家には率先してロールモデルになってもらいたい。
政治家は自分たちに都合の悪いことはなにもやらない。国会議員なんて半分にした方がいいという声を僕の周りではしばしば聞く。そう思っている国民は多数のはずだ。
黒田さんが(超金融緩和策を)やらなかったらもっと悪くなっていたという趣旨のことを言ったと聞くと、宗教関係者が不幸が続く信者に「信心しているからこの程度で済んでいるんだよ」と話しているような感じさえしてくる。頭がいいだけでなくて口も達者な方だ。

これだけの借金と大量の株式ETFの購入。10年間やりたい放題やって一体だれが責任をとるのだろうか。

映画『ある男』

平野啓一郎原作の小説の映画化。いまちょうどオーディオブックでこの小説を聴いていてちょうど半分くらいのところ。日本アカデミー賞の主要部門を総なめしたことで「凱旋上映」の最中ということだったので(いつまで上映が続くのかわからないということもあり)この時点で映画を観ることにした。

安藤サクラの演技が良かった。力が入ってなくて、リアル感があった。主演の妻夫木聡の弁護士役はどうかな?(あんな美男子の弁護士は珍しいだろうな!)真木よう子、清野菜名がきれい!

平野作品を読むのは初めて。ミステリーあるストーリー展開でエンターテインメント性も高い。Twitterで政治的な発言が多い平野さん。死刑制度や在日へのヘイトスピーチなどにもしばしば言及されているように思うが、この小説の中でも現代日本社会の課題を取り上げている。
人は過去の桎梏から解放されて新しい人生を生きられるのか?家族とは?親子や夫婦のつながりは?
文庫本とオーディオブックの両方をそろえてこの小説にとりかかっている。原作の最後まで行くのも楽しみ。

映画『Winny』を見る

金曜日から始まった映画を観に行きました。かなりの客の入り。始まって3日目ということもあるのかもしれませんが、関心の高さを感じました。来週以降どうなるのか?
愛媛県の松山警察署であった裏金作りのための領収書偽造とWinnyの訴訟が結び付けられていたのですが、実際はどうだったのでしょうか。
KDDIがこの映画の製作に関係しているようですが、KDDIとして金子勇さんに深い思いがあるのか?
ひとりの天才プログラマーだけでは大きなビジネスや産業を興すことは不可能なので、しばしばこの映画の主人公に関して言われること(たとえば金子さんの逮捕が日本のソフトウェア産業を取り返しがつかないほどのダメージを与えた)はすこし誇張されているのではないかと思うのですが、どのように考えるべきなのか?

『林住期』(五木寛之著)

ある読書家のためのSNSで、「時々、誰かに知恵を授かりたないと思った時に思い出すのは五木寛之さんと美輪明宏さん」だと、書かれている人がいた。ぼくも美輪さんのお話が好きだ。NHKのEテレで、愛の相談室という名前の番組を持っていらっしゃる。番組一覧を見ていて気がつくと録画しておくことがある。
五木さんは高校生から大学生にかけてエッセイや『青春の門』を読んだ。あの頃が一番五木さんの本に関心を持っていた頃かと思う。
先日、NHK出版から出ている『健やかな体の作り方』という本を読んで、90歳になろうとする五木さんのセンスの良さにあらためて感心した。半世紀をこえる時間と時代の流れの中で、いまなお活躍される力(まさにresilience=レジリエンス)と時代を読むセンスの良さはすごい。
『林住期』は50から75歳までの人生の第三ステージを指すという。ぼくは20年ごとで自分の人生を考えていたから、60前後から最終ステージに入ったのかなと漠然と考えているけど、林住期ととらえる方がいいかな。
あと何年生きることができるのかわからないけど、この本の中にあるように、自分の人生で一番いいステージにできればいいなと思う。おカネのために働くことや人との比較のなかで一喜一憂したりすることなく、心の欲するところに自分のペースで歩いていきたい。日本や世界の行く末をぜひ見てみたいから100歳まででも生きられるとうれしい。でもそれは神のみぞしるだろうな。