diversity (ダイバーシティ)、本気?!

東京都議会で、ゲスとしかいいようのない女性蔑視のヤジを飛ばした自民議員(複数?)にみるように、日本での男女の平等の実現は、はるか彼方にあるように思う。男女の同権をホンネでは望んでいない男たちがまだまだこの国の支配層には多いように見える。

「ダイバーシティ」(人材の多様性)のことを口にする企業人、政治家、役人が増えているけども、本気でやる気があるのだろうか?
先日、朝日新聞で、日本IBMはアメリカ本社にならって、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランヴェスタイト)が差別を受けることがないように、人事部に担当者をおいているというインタビュー記事を読んだ。日本IBMに勤めている友人の話でも、本気になって取り組んでいるということで、さすがだなと感心した。
ダイバーシティと口にするのは簡単なんだけど、本気でやるガッツを持っている日本企業、日本の経営者なんて、非常に少ないという気がする。

今日、BBCのHard Talkというトーク番組で、著名な経済史の教授がでていた。「彼女」の名前を聞いたのも初めてだった。その方が学者として以外にも、53歳で男性から女性への性転換を行った人だということで話題になった人だということを、番組の終わり頃に番組の司会の話で知って、びっくりした。シカゴ大学、エラスムス大学(オランダ)などで教えていた人で、論文や著作品もたくさんある。そのうちのいくつかは日本語にも訳されている。学者としても非常に評価の高い方のようだ。

日本で、たとえば東大の先生が、性転換を行ったあとにも、教授として教え続けることができるのか?NHKがその教授が性転換をしたあとにも、看板番組の一つに出演してもらって、その方の専門分野でのご意見を拝聴する度量があるのか?(視聴者や保守系政治家たちからのクレームにも毅然とした態度で接することができるのか)

口先で人材のダイバーシティを言うのは容易いのだけど、本気にやろうと思うと、ものすごくエネルギーを使いそうだ。

Deirdre McCloskey ホームページ
Deirdre McCloskey(Wikipedia)

『原点は夢_わが発想のテクノロジー』(佐々木正著)

もとシャープ副社長。日本のITベンチャーの育成という意味で、最大の貢献者のひとりなのではないかと思います。
今年100歳になられる方。戦前1938年に京大を卒業されたあと、ドイツ留学をされ、戦後はアメリカで幅広い人脈とビジネス経験を広げていかれた、いま風に言うと、まさにグローバルな人材。こういうスケールの大きな方が、「サラリーマン経営者」にもいたのかと、感心しました。
この本は14年前の2000年に出版された著者80代半ばの頃の本ですが、いま読んでも非常に的確かつ建設的な分析と提案が含まれています。「出る杭は打たれる、出ない杭は腐る」という言葉を紹介されていますが、まさに出まくって、何度も打たれながらも結果で、まわりの批判するだけの連中をギャフンと言わせてきた方と拝見しました。
日本企業や日本社会の問題点に関する指摘には、まったく同感のご意見ばかり。著者のこれら指摘は、この本が出た頃以上に当てはまるところもあり、日本の問題の根深さをあらためて感じます。(硬直化した日本人、日本の制度!)

アマゾンで古書を買いましたが、このような本が絶版になっていることはとても残念だと思いました。

かぜで大病院に行く人、成分を確認せずに薬をのむ人。

昨日、医療情報サービス分野のベンチャーを立ち上げている知人が、数年ぶりに近況報告に来てくれた。
ご本人も医学部をでた医者で、ここ数年は会社を経営している。最初に立ちあげた会社を売却し、新たに立ち上げた会社でやろうとしていることを聞かせてくれたのだけど、世間話程度に、日本の患者の「民度」に関する話をいくつか聞かされた。

1風邪を引いたからといって、大学病院に行くような人がいるのは日本くらい。大病院ではそのような患者は歓迎しない。個人経営の病院は風邪程度の患者が経営を支えていて、ある意味、そのような患者の奪い合いがある。
2先進国の多くでは風邪であれば市販薬を飲み、しっかり休む(寝る)ことが治療方法だとされている。
3市販薬の成分をちゃんと確認する患者があまりにも少なすぎる。自分が飲んでいる薬の成分を説明できない人が圧倒的。風邪薬であれば、数種類の成分の組み合わせにしか過ぎない。
4成分の組み合わせによっては、「劇薬」にもなりうるので注意が必要。
5サプリメントにいたっては、もう滅茶苦茶な話が多すぎる。

そういうことを「民度」というのではないかと思うのだけど、すべてを国や会社任せにしないで、「自分のことは自分でやる」という教育を小さい頃からちゃんとやらないものだから、結果、勉強(仕事)だけやっていれば、その他のこと(家事から始まって政治等々まで)は考えない、考えなくてもいい、さらには考えない方が身のためだというくらいの人が多くなっているのかな。

税金にしても、会社が国に代わって給料から徴収し、個人に代わって納税するものだから、給与所得者の多くは給料の明細表に書かれた数字を目で見るだけで、実際の税金の「重さ」を感じている人は非常に少ない。自分の給料からどれだけ税金払っていてそれらがどのように使われている(浪費されている)のかを知ることも、自分の体の中に入れる薬の成分を確認することも、同じように大切だと思う。

自由のないところに継続的な経済的発展はないだろう。

与党が秘密保護法案を無理に通過させようとしています。
ノンポリのクロイヌですが、この法案には絶対反対。
言論の自由、報道の自由、思想・信条の自由。それらは人権を担保する条件で、自由闊達な社会の前提条件。
長期的にみたとき、人権が尊重されず、自由のないところに継続的な経済発展はないだろうと思う。

『「世界で戦える人材」の条件』(渥美育子著)

日経ビジネス(2013年8月12・19日号)の書籍紹介のページで知った本。グローバル人材に関する議論にはウンザリしていることもあって、はじめはこの書籍紹介のページもはしょって読んだのだけど、著者の以下のような発言を読んで、強く関心を持った。

「(日本の)経営者が人材育成にあまり興味がないことが気がかりです。人事部門に任せきり。人事も自分の任期中には変化を起こしたくない人が多い。海外赴任前に少しグローバル人材教育をするだけでお茶を濁しているように思います。」

すぐに同じビルにあるクロイヌ御用達の本屋でこの本を買ってみた。PHPビジネス新書。岩波新書じゃないよ、PHPビジネス新書。

期待以上の本だった。学者の本ではないので(岩波じゃないよ!)、文章や論理には荒さはあるかもしれないけども、グローバル化が進行する現在の世界のルールも、なにをすべきかということも、ほとんどの日本人はわかっていない、という彼女の言っていることには同意する。

この本の中で、僕の中で強く残ったいくつかの言葉ある。
そのひとつは、「大きな器」と「日本サイズの心」。

「私たちは、日本で生まれ、育ち、教育を受け、仕事に就くことで、自覚症状がないままに日本の現実を受け止めるのにちょうどよいサイズの心、日本サイズの心を育ててしまっている。」(103ページ)

以前、シリコンバレーで長く働いていたある知人(日本人!)がこんなことを言っていた。「金魚鉢のなかにいる限りは、金魚にしかなれない。」 確かに美しい金魚もいいだろうけども、僕は「大きな器」を持ちたいとずっと希望してきたように思う。問題はもっと強くそう願い、その実現のために、もっと行動していくこと。

この「大きな器」ということばは、以下のようなメッセージでも使われていて、それは日本の大学教育にもヒントになるようなメッセージだ。

『大事なのは、「大きな器」をもつことなのだ。一番大きな器をまず獲得し、そのあと徐々に知識や知恵の詰まった引き出しをたくさん作っていく。日本の大学では、こうしたリベラルアーツをほとん学ばない。体系的に学ばないために単なる知識として終わっている」(154ページ)

著者は人材育成に関するコンサルティング業を、アメリカで長年にわたっておこなってきたという実績がある。世界中の人たちといっしょに仕事をしてきたようだから、単にアメリカではこうですよ、って話ではない。

若い頃、アイオワ州立大学のクリエイティブライティングのコースに参加したことがあると本の中で紹介されている。もともとは、文学を目指していたのだろうか?アマゾンでチェックすると、同じ著者名で、『シルヴィア・プラスの世界』なんてタイトルがあるけど、同じ著者なのだろうか?

グローバル化というような話の中で、以下のような表現がとても新鮮に思えた。

「グローバリゼーションが持つパワーは、内から拡張していく力、つまり自国から外に出ていき他の国と関わりを持つ拡大する力expansion と、宇宙から見た地球という微細な存在の認識、つまり考えられないほど広大な宇宙の中に無数に存在する天球の一つが地球であるという理解が同時存在するところにあると、私は個人的に捉えている。」(72ページ)

僕は政府や企業が先導しようとする「グローバリゼーション」は信じていない。グローバリゼーションは、一人ひとりのこころや姿勢からスタートするものだと思っている。それが個人主義ということでもあるだろうし。

あまり期待していなかったからということもあるけど、この一冊の本をさかなに、日本のグローバル化についてさまざまな議論ができる、いい意味で、controversialな本。多くの人に読まれることを期待。

ふたつの「出入り禁止」

先週ネットで読んだニュースで、いやだなと腹の底から思ったニュースが、ふたつあった。別々の話なのだけど、そのふたつはまったく同じテーマであって、僕ら日本人が一番関心を持たないといけないことだと、僕は思っている。

ひとつは時の最高権力者が所属する政党が、ある報道機関が公平性を欠く報道をしているとして、出入り禁止を言い渡したこと。それに対して、その報道機関は、「指摘を受けたことを重く受け止める。今後一層公平、公正に報道していく」という詫び状を出すことで、「お許し」を得たこと。

もうひとつは、ある経営者が、自社の株価に関連して、消極的なレポートを書いたアナリストに対して、きちんとした分析に基づいたレポートではないとして、「出入り禁止」を一方的に公言したこと。その会社は自社の情報公開に関して、積極的かつ公正に行ってきたのか、その点に疑問を持つアナリストたちもいるというのに。

このふたつのケース、どちらもいま最も乗りに乗っていて、「我が世の春」を謳歌していると見られる権力者たちが、自分たちが気に入らない情報を流す報道機関あるいは証券アナリストを押さえつけようとする行動とも見える。

報道機関も、証券アナリストも、彼らの役割はまったく同じだ。権力者(経営者)と選挙民(投資家)の間にたって、情報公開や情報分析に役立つ存在であることを使命としている。彼らの仕事が雑であったり、公平性を欠くのであれば、われわれ選挙民(投資家)が判断して、彼らのサービス(提供される情報)を買わない、あるいは見なければいいだけだ。権力者たちに判断してもらう必要はない。「権力は腐敗する」という歴史の法則のもと、権力者たちのチェックをおこなうべきジャーナリストやアナリストという人たちの存在は、しっかりと守られないといけないし、彼らはきちんとした情報分析を通して、われわれ選挙民(投資家)の支持を得る努力を継続してもらいたい。

ふたつの「出入り禁止」は、別の意味でも結びついている。経営者は、時の権力者に近づくことで自社の利益を最大化しようとする。
先週読んだふたつの「出入り禁止」の記事が、これからの日本を暗示するものではないことを、祈る。

社会インフラも老齢化。

日本の老齢化は人口だけでなくって、道路や橋などの社会インフラもだということを、いろいろな人たちから聞いています。先日八ツ場ダム反対ということを再度書きましたが、決してすべての公共事業に反対しているわけではなく、必要な公共事業と不要な公共事業、費用と効果が見合った公共事業とまったく見合っていない公共事業を区分けし(仕分けし)ていく必要があると思っています。

首都圏を中心とする社会インフラ、たとえば橋、トンネル、高速道路などは東京オリンピックを控えた1950年代後半から1960年代前半に作られたものが多くあって、それらは出来上がってからすでに40年から50年の時間が立っています。コンクリートの強度など、もうそろそろ危ない時期に入りつつあるということを聞いています。

ちょうど今日、中央道の笹子トンネル内で、「コンクリート製の天井板が110メートルにわたり崩落し、少なくとも車3台が巻き込まれた」という記事を読んで、まさにこれから多発する可能性がある社会インフラの老齢化現象の一例かと思ってしまいました。これからは新規の公共事業よりも既存の社会インフラの維持管理だけで、ますます多額の予算が必要になるはずです。

ポラリスプロジェクト日本代表の話を聴く。

昨晩のことですが、ポラリスプロジェクト・ジャパン代表の藤原さんをはじめとする関係者によるプレゼンテーションをお聞きし、世界の人身売買の実態を伝える30分程度のドキュメンタリー映画を見たあと、1時間ほど議論する集まりに参加しました。

日本は人身売買に関する議論が低調な国のようで、先進国の中で、人身売買を禁止する法律がないという意味で、非常に「遅れた」国だと聞きました。

藤原さんは日経ビジネス・オンラインアエラなどで紹介されたようですが、この組織が掲げるミッションと比べ、日本社会、あるいは政府からの支援は、あまりにも小さすぎるような印象を持ちました。

ポラリスプロジェクト・ジャパンのHP

先生たちだってミスをおかすことはあるから。

海外の取引先の人で、マレーシアから短期的(一年間)にアメリカの本社に勤務している人と話をしていて、「一般的にアジアの教育はどうして教師から生徒への一方的な講義に終始しがちなのだろうか?」という話題になりました。彼の10歳になる娘は、アメリカの学校に転校になった当初は、積極的に自分の意見を表明することを期待されることに戸惑っていたけれども、現在ではそのやり方にかなり慣れ、授業の中で、自分の意見や希望を積極的に話すようになったということでした。

大学に入ってもそうですが、日本の学校教育のやり方は、先生が一方的に話し、生徒はひたすら板書をとり、記憶するという方式が主流でした。現在はどうなっているのでしょうか?

このやり方の弊害はあまりにも大きすぎます。素直で権威に弱い、正解がある世界でのみ安心しがちな人間を作ってきたのではないか?

日本の学校教育の弊害として、間違いをおかすことを非常に恐れる学生を作り続けているということが言われます。
いわく、間違いをおかすことを恐れる、突飛も無いことを考えようとしない、正解ばかりを求め、冒険をしようとしない、と。

それと同時に、先生たちも、生徒たち同様、間違いを恐れ、安全に自分たちの「権威」を守ることができる範囲でのみ、教員としての職務を遂行しようとしているのではないか?という気がするのですが、いかがでしょう。

同じマニュアル、同じ指導要領で、文科省の言う通りにやっている限りは、モンスターピアレンツから指弾を受けるような危ない橋を渡ることはないでしょう。特に「いい大学」に入るための受験勉強を指導している限りは、親からも歓迎され、大きな間違いを犯す危険もありません。受験指導に熱心な先生は大いに父兄から歓迎されるのではないでしょか。

でも世の中が必要とする人材も変わり、日本の有名大学を出たからといって、必ず活躍できる、いい思いをするとは限らない時代になりました。

問題は複雑になり、必ずしも正解があることばかりではなくなっています。それどころか、正解が見えない、正解があるのかどうかさえもわからない時代になっています。

のびのびとした、個性豊かで、自分の意見をしっかり持った生徒をもっと作りたいのであれば、実は先生たちから始めないといけないのではないか?と思っています。少々の間違いに萎縮するのではなく、間違いから学び、前例のない新しいことにも挑戦するように。すべての問題への正解を知っている訳でもないのだし、知らないことはたくさんあるはず。でもそんなことは認められない立場にあると、自分の間違いや弱さを隠すようになります。(原子力村の住人たち、霞ヶ関の住人たちにも、同じようなことが言えるかもしれない)

最近の学生は内向きで海外にも出たがらない、リスクをとりたがらないという話をよく聞くのですが、そんな学生たちは、彼らの周りの大人たち(両親や教師たち)の鏡なのではないかと思います。親や教師たちが冒険をしないのに、どうして子供たちが冒険するのか?

そんな意見を持っているので、実は文科省のあるプロジェクトの「応援メッセージ」として、「親や国を捨てろ」という、ちょっと過激な意見を書きました。
GiFT応援メッセージ

自由闊達な日本にならないものか。生徒たちだけでなく、先生や両親、会社員、霞ヶ関の官僚たち、そして政治家たちも、もっとのびのびと仕事ができないものか。多くの日本人が汲々として、クレームを受けないように、クビにならないように、ひたすら正解がわかっている守備範囲でのみ、仕事を無難にこなそうとしているように見えてしょうがないです。

去年のことを覚えている?

一年前の今日は、群馬県のお取引先を訪問するために、クルマで県内を回っていました。地震が起こった時刻は群馬県藤岡市のお取引先を訪問していました。


ボクが住む首都圏の町は液状化で四分の三が破壊されました。


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この交番は、地盤沈下のため大きく沈んだ上に傾き、しばらくたってから壊され、跡地はそのままになっています。

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町の中のスーパーは震災後の数日間は写真のような状況が見られました。

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うちの会社が入っているビルのローソンも、商品の供給が途絶え、しばらくはこんな状況でした。


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我が家は一ヶ月ほど、トイレ、水、ガスが使えず、近くの公園に設置された仮設トイレにお世話になりました。


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皮肉なことに、震災発生の週に発売された、2011年3月14日号の「日経ビジネス」には、原発の広告がたくさんでていました。

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(東京電力のプルサーマル広告)

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(東芝)

昨年は、石巻に一度、福島に2度伺いしました。石巻の日和山から見た風景です。


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今年も東北の知り合いの方たちを訪問したいと思っています。

この一年間のことを、今日くらいはゆっくりと振り返りたいです。