現政権に同意する(数少ない)政策のひとつ

ぼくはそもそもそれほど政治的意識の高い人間でもなく、だれが政権を握っていてもケチをつけるばかりの人間で、現政権の仕事の進め方や目指す方向にはあまり感心しないことが多いのですが、首都圏にこれ以上大学生を呼び込むことを制限しようとする政策には賛成です。東京は4年間の大学生活を送るにはあまりにも刺激が多すぎるように思いますし、生活費等も高すぎるのではないかと思っています。
自分自身がいまもう一度大学生をやることができれば、東京の学校にはいかないです。仕事で全国各地を訪問する機会に恵まれましたが、京都、金沢、仙台、札幌、長野あたりがいいなと思っています。大都市圏だったら、名古屋かな。身近に豊かな自然が多いことは絶対条件の一つ。
東京に出てきたのは、大学進学が理由で、こちらでの生活は40年ほどになろうとしています。確かに仕事をやっていくには東京はある意味最高の場所です(日本国内で)。

こんなことを急に書いているのは、日経新聞のコラム「春秋」に、走り出したら止まらないのが日本の政治と役所の問題だという例として、東京一極集中に歯止めをかけようとして、23区内の大学の定員増を抑えようとする政策があげられていました。この政策は、「乱暴な施策」で、「都市部の大学をいじめる」もので、その結果、「みんな横並びになりかねない」というのです。
ちょっと感情的になっていませんか?と言いたくなったのですが、どうして23区内の定員増を抑えようとすることが、横並びになるのか?それに横並びになる「みんな」って、誰のこと?

この筆者がこのコラムで書かれているように、「官による統制」にはぼくも大反対なのです。
でも、日本の東京一極集中、東大を頂点とする大学のヒエラルキーに対する信仰は、相当な荒治療をしないと変わらないのではないでしょうか。そのくらいこのふたつは、明治以来日本人を洗脳していきましたから。
自分のライフスタイルに「逆参勤交代」を取り入れたいと思っていますので、できれば一年のうち半分くらいは東京以外で時間を過ごしたいです(まだなかなかできそうもありませんが)。毛沢東が行って大混乱を起こした「文化大革命」。こんなことを書くとなにバカ言ってるのと非難されそうですが、「文化小革命」くらいやらないと、地方創生はなかなか進まないように思います。

「近代日本150年」(山本義隆著、岩波新書)

最近読んだ本で一番面白かった明治維新以降の日本史の本。「科学技術総力戦体制の破綻」というのが副題。国家主導の科学技術振興政策を続け、戦争を行なっていない時でさえも、国民総動員的な体勢で富国強兵に努めてきた日本の科学技術体制の限界が、大東亜戦争での敗北、さらには福島原発の事故によって露わにされるプロセスをたどっている。

日本に関係ないところで、以下のような記述がとても面白かった。
「18世紀後半から19世紀初めにかけてのイギリス産業革命の過程で、蒸気機関の発展による動力革命と紡績産業の機械化が達成されるが、その過程にオクスフォードとケンブリッジは何の寄与もしていない。」(27ページ)
「彼ら(発明家たち)が発明に熱中したのは、学問的関心からではなく、基本的には職人気質とでも言うべき、物づくりにたいする本能的な熱意に突き動かされたものであり、そして同時に、すでにこの時代には発明の成功が富に結びつく可能性を特許制度が保証していたからに他ならない。そして競合するいくつもの新技術のうちでどれが優れているかは、市場によって判定された」(29ページ)
これを読んですぐに思い浮かんだのは、スティーブ・ジョブスであり、ジェームス・ダイソン。そしてなかなかうまく行かない政府の産業政策。

宿毛湾

湾先週末、母に会いに高知に帰省。泊まった宿の部屋からはこんな景色が見られます。三陸地方や伊勢志摩と同じように湾はリアス式。沖合には、沖ノ島という離島があります。まだ一度も行ったことがありませんので、春になれば行ってみようと思います。日本の地方はどこもきれい。地方の自然は変わることなく季節を繰り返していくけど、人の世界は老いていくばかり。今日はオフィスに高知放送の東京支社の人たちが新年の挨拶に来てくれました。この一年で高知との関わりが急激に増えました。

『消えたヤルタ密約緊急電』(岡部伸著)

この前から『不毛地帯』(山崎豊子著)を読みはじめています。新潮文庫で全5巻の長編ですが、著者の取材力と構想力、週刊誌に連載されていた読みやすさもあり、読み進めています。『不毛地帯』は、この物語のモデルになったと言われている瀬島龍三に関心があって読んでいるのですが、その瀬島が影の主人公の一人になっている話が産経新聞の記者である岡部さんが書かれたノンフィクションが『消えたヤルタ密約緊急電』。

副題(「情報士官・小野寺誠の孤独な戦い」)にあるように、情報士官だった小野寺信が掴んだヤルタ密約に関する情報を、時の権力の中枢にあった大本営参謀部本部作戦課(その中心人物が瀬島龍三)が握りつぶしたという話。希望的観測に基づいて自分に都合の悪い情報は聞かないで済まそうとするエリート達の多いことか。

また、著者の以下のような指摘は、現在には当てはまらないのだろうか?
「それにしても、強硬派の軍人を抑えて終戦を実現させた宰相として評価が高い鈴木首相だが、ソ連と指導者スターリンに対する甘い認識には驚愕するばかりだ。国家の指導者が、強国ソ連にすがって終戦の端緒をつかもうとして、「スターリンは西郷隆盛に似たところがあり、悪くはしないような感じがする」と見当違いの幻想を抱いていたとしたら、これほど悲しく滑稽感の漂う着想はないだろう。独ソ不可侵条約が締結され、「欧州情勢は複雑怪奇なり」と内閣総辞職した平沼騏一郎以来、日本の指導者の国際感覚の欠如は、目を覆うばかりである」(402ページ)
またこんな指摘もある。
「早くから戦後を見据えて領土拡張と共産主義のアジアへの浸透の戦略を立てていたソ連の強かさに比べ、客観情勢を無視してご都合主義で暴走した日本外交がいかに視野狭窄であったか」(426ページ) 恥も外聞も無いスタンスでトランプにのめり込む今の政権は視野狭窄になっていないのだろうか?

著者のあとがきによると、勤務先の産経新聞から出版しようと申し入れたのだけど、具体化せず、結局新潮選書として出すことになったとあります。著者は、不都合な事実は握りつぶした参謀本部の動きは、今の時代の原発村の権力者たちの行動にも見られるという指摘をしています。そんな指摘が権力者に近い産経新聞のトップの人たちには受け入れ難かったのだとすると、産経新聞も同じ穴のなんとかということになり、残念な話だと思いました。

無責任体質はいまも変わらない。

久しぶりにテレビを見た。「戦慄のインパール」(NHK)。自信がないくせに威勢のいいことを言って兵隊たちを鼓舞し、彼らを死ぬことが確実な戦い方に追い込み、自分は生き抜いた将校たちの多いこと。特攻隊の前にもうすでに相手の戦車に爆弾を抱えて突っ込ませる作戦を実行していたのだから、兵隊の命をなんとも思わないのは日本軍の悪しき伝統か。
今日も靖国に行った政治家たちからは深い思想や理念、歴史観のようなものが伝わってこない。万が一、戦争が起こったとしても、戦いで死ぬのは自分たちの役割だとは到底考えることはないだろう。日本の権力者たち、あるいは権力機構に属する人間集団の無責任体質は今も変わっていないように思う。
指導する立場にあった人間たちの責任は、戦勝国よりもまず国内で責任を問われるべきだろうに。

科学的根拠をもとにした漁獲

今日の朝日新聞朝刊に、このままだと日本では魚が獲れなくなるというインタビュー記事が出ていた。水産会社の社員で輸入を担当してきた方と、近畿大学で水産業の研究をしている先生の話が紹介されていた。
二人とも同じような内容の話で、魚が獲れなくなってきていることについて大きな見解の違いはないように思う。
この「オピニオン&フォーラム」のページをまとめるとこんな話になる。
1 世界中で魚の消費量が増えている。日本は「買い負け」するようになり、求めるようには魚が輸入できなくなっている。
2 日本で魚の水揚げが減っているのは、科学的根拠を基に漁獲高を管理するルールが機能していないから。漁業者はできるだけとりまくる。獲りすぎに気づいていても成魚になる前の小さい魚まで獲ってしまう。
3 他国では漁獲枠を定める調整が機能しているケースがあるが、日本では行政の調整機能が働いていない。科学者、政治家が科学的根拠を基に制度を作ったノルウェーの例がある。
4 本来豊かなはずの日本の海で、この先も獲り続けられる持続的なレベルに戻す取り組みを進めないと、魚は確実に不足する。

この前、医療関係者と話していたら、医療の分野では「エビデンス(証拠)に基づいた議論」というのは20年くらい前から話題になっているという話を聞いて驚いた。エビデンスという言葉が一般化したのはこの数年のことのように思うから。

至る所で課題が噴出し、ちゃんとした解決策を見つけていくためにまず事実関係をきちんと把握、理解しましょうということで、「エビデンス」という言葉が頻繁に使われるようになったという印象。難しいのは、それぞれの立場があるため、自分に都合のいい「エビデンス」を求め、主張する傾向があること。次には、「エビデンス」の理解では合意ができたとしても、「これでは食っていけない。俺の生活をどうしてくれる」となって、開き直りの議論を展開するグループが出てくること。なかなか難しい。

道元禅師の言葉

東京に初の女性都知事が誕生。談合と口利きのにおいがプンプンする自民党都議連の方たちは憤懣やるかたないという表情のようですが、女性都知事さんには期待したいです。そもそも日本は女性の政治家が少なすぎる。地方議会、国会ともに、もっともっと(半分まで)女性議員、女性首長が誕生すべきだと思います。

6月25日の東京新聞の「生きる」というページに、曹洞宗尼僧の石川和幸という方が、道元の言葉を「正法眼蔵」から紹介されていました。

「年上だから、実務が長いからというだけで本質を把握していない男に何の必要があろうか。得法(ものごとのあり方の本質を把握する)の女を登用しなさい」

「得法の女を訪ねて行って学ぼうとするのは、優れた男だからするのです」

「女は性欲の対象だとみるのなら、男は男色の対象となる。ならば女も男もすべてを排除しなければならない。人を性の対象とみるのは愚の極みです」

「女というだけで非難される。何の欠点があるというのか。男というだけで、何の徳があるというのか」

「すぐれた結果をもたらすはたらきや能力を、性別とは関係なく登用しなさい」

「日本国にひとつの笑いごとあり。結界と称して女をいれないことだ。結界は心が造っている」

「善の行いの極位は差別をしかいこと」

道元のなんとフェミニストなこと!

この方は永平寺で戒律を授かったとされています。
道元の言葉はそのまま現代日本でも通用しますね。

期待する人が多いけど。

期待する人が多い。政府や日銀やあるいは他人に。期待通りでなかったらすぐ不満顔になる。
今日も日銀が発表した金融緩和策が期待以下だったとして円高が進んだ。
いったい、なんど緩和策を繰り出せばいいというのだろう。
そもそも政府に成長戦略なんて出すことができるのだろうか。

かつて一億総中流と言われた日本で、自分は中流だと感じている人は三人に一人となっている。
わずかばかりの貯金をして(だってさきの不安があるんだから)、ちょっとばかりの贅沢をすると(USJやディズニーランドに行くこと?)、たいしてカネが残らないという状況がいたるところにある。
所得の再配分に関しては期待したい。それは政府にしかできないことだから。
でもそれ以外の多くのことは、たとえば成長戦略なんてものは、政府にはできっこない。もう一体何年この言葉を口にしてきたというのか。
そんな戦略は自分たちが考えていくしかないじゃないか。

同じことを繰り返しそのたびに一時しのぎで効果は消えていく。なにか根本的におかしい。
目先の取り繕いはもういいのに。

経済人と民主主義

元大手商社の副社長をやっていた人間が、時の政権の権力者のひとりの推薦で国営放送の経営トップになり、「政府が左というのに、右ということはできない」と、大本営発表をよしとする考えを示し、言論の自由、報道の自由よりも政府の友だちであることを優先させようとしています。
先日も、九州で発生した地震の被害に関連して、鹿児島の川内原発に関して国民の不安を駆り立てないために、NHKは政府の公式発表にそって報道するようにと、社内で指示していると報道されました。

日本は西側先進国のメンバーとして、民主主義、自由、人権尊重といった価値観を共有していると、政治家たちも経済団体の人たちも口にするのだけど、報道の自由、言論の自由に関しては、本音ではあまり大切だとは思っていない印象。

BBCの番組で、イギリスのEU脱退を支持する経済人をインタビューする番組を見ていて、そのビジネスマンが「民主主義は経済的繁栄の前提条件だ。北朝鮮よりも南朝鮮、東ドイツよりも西ドイツ、南米よりも北米が繁栄したのは民主主義の有無の結果だ」と、議論としては一部荒っぽいことを言っていたのですが、「きれいごと」だとしても、そのことを自論の根拠として強く信じているように見えました。
欧米、特にアメリカ、イギリスの経済人たちは、ホンネでは面倒だなと思っているのかもしれませんが、民主主義が経済的な繁栄、イノベーションなどの必須条件であることをしばしば口にします。

どうしてリーダー的立場にある日本の経済人たちは、民主主義、報道の自由、言論の自由が、経済的な繁栄のために重要な要素であると主張しないのか?

絶対貧困と相対貧困

午前中偶然なんだけど、移動中のクルマのなかで、ほんの数分だけ、国会中継(参議院予算委員会)を見る機会があった。 前川 清成(民主)という議員が日本の貧困状況に関して質問し、総理大臣あるいは厚生労働大臣が回答するのだけど、総理または厚生労働大臣が、相対貧困の定義あるいはその求め方について、はっきりとは理解していないことが伺えた。厚労大臣は日銀出身でお勉強ができる方だと思っていたけど、その方が役人にサポートしてもらいながらも、正面から質問に回答できない様を見るのは、ちょっと残念だった。

相対貧困の話は統計の知識が問われる話でもあって、あらためて統計の知識の大切さを実感した。(だから「ビジネス統計スペシャリスト」を受けましょう、という宣伝ではないけどね)

僕自身、相対貧困のもとめ方は知らなかったので、以下のような情報をみて、にわか勉強をしています。

貧困率よくある質問(厚労省HP)

相対的貧困率等に関する調査分析結果について (内閣府、総務省、厚労省)

相対的貧困率とはなにか(雑誌「ビッグイシュー」HP)

国会中継なんて好んで見ることはないけども、大切な情報源なのは確か。
このようなサイト(→国会TV)には頑張ってもらいたい。