日本語の看板がいたるところにあったら。

 昨日でお取引先とのミーティングも終わったので今日の飛行機で日本に帰る。羽田到着は木曜日の夜11時近くになる。翌日からは今回で三回目になるG1 Summit が山梨の小淵沢である。年に一回、いろいろな分野の方達にお会いできるのは楽しみ(でも、体にはしんどいスケジュール!)

 ところで日曜日の夕方、到着したばかりのサンフランシスコ市内の有名なショッピングセンターに入っているお店で、店頭に日本語のメッセージを大きく掲げているところがあった。それでこんなことを想像してしまった。もし、アメリカやヨーロッパの街角の至る所に、日本語が溢れていたら、僕らはどんな感覚を持つだろうか?って。どんな日本語のメッセージでもいい。たとえば、「絶対に諦めないぞ」とか「俺が一番!」とか、「君はサイコー!」なんて、メッセージが街頭の広告や、お店の中に溢れていたら。なんとなく、「ここの人たちって、もしかして、日本語がかっこいいって思ってくれているのかな?」とか、「僕らの文化のことを気に入ってくれているのかな?」って、思ってしまうんじゃないかな。

 この前、雑誌『日経ビジネス』で、ロンドンのアパレル会社だったけど、「ジャパン・クール」のファンのオーナーがスタートした日本語を使ったTシャツで成功している会社の紹介があった。一昨年の冬、ロンドンに行く機会があったけど、若者向けのファッションのお店が多いエリアで、日本のファッションを中心に売っているところをのぞくと、日本語が書かれたシャツやジャケットがたくさん置いてあったのを記憶している。なんとなくうれしくなったりするものだ。

 現実の世界は、アメリカやイギリスなどの英語を母国語とする連中にとって、世界は彼らの言葉で書かれたメッセージで溢れかえっている。彼らにとって、すくなくとも表面的な世界は、かなり好意的な態度を示してくれているはずだ。日本に来たアメリカ人なんて、平均的なルックスの連中が、「日本でモデルの仕事をやっている」なんて自慢げに言っていることがあるので、英語と外人に弱い国民性が情けなくなることがあるけど、世界の多くの場所は彼らにとってはかなり好意的な場所になっているのだ。すくなくとも9.11以前、あるいは欧米発の金融危機以前までの世界は、そうだったはずだ。

 社会言語学者の鈴木孝夫先生は、日本は日本語が国連の公用語のひとつとして採用されるべく運動をすべきだったという意見をよく書かれている(アラビア語は、石油危機をきっかけに国連の公用語になったのではなかったか?)日本の経済力がどんどん落ち込んでいく中、かつてのような勢いは日本にはなくなっているから、夢のような話しになってしまったけど、鈴木先生がおっしゃっていたことは今考えても本質的なポイントだったと思う。中国は孔子学院、ドイツはゲーテ・インスティテュートを世界に展開し、自国語の学習者を大切にしようとしている。彼らは僕らよりも文化戦略を持っている。

 なんでこんなことを書き始めたかというと、もし世界がもっと日本語で溢れていたとしたら、日本のビジネスはもっと世界に開かれたものになっていたのではないかと思うからだ。もっと世界に向けて日本発のビジネスが発展していたのではないか、と。言語の問題は大きい。ひとつの企業が社内の公用語を英語にするとかしないとかということが話題になる日本だけど、言葉の問題はものすごく大きい。OSとしての言語が世界を制覇し、その上で、アプリとしてのビジネスが大きくなっていく。すくなくとも英語に関してはそんな展開になってきた。この200年くらいは。

 19世紀、南アフリカでダイヤモンド王になったセシル・ローズは、英語を母国語として生まれた人間はそれだけで恵まれているのだというようなことを言ったと、FTで読んだことがある。(あとで確認すると、'To be born English is to win first prize in the lottery of life'。FTの記事は以下の通り→Why proper English rules OK

 これからの世界がどうなっていくのか?中国語が広がっていくのは確実だけど、英語支配はどうなっていくのだろうか?(「中国人として生まれることは、人生の宝くじの一等賞をもらったみたいなものだ」ってことになるのか?!)

一月は毎年早く「行ってしまう」。

 今日で一月もおわり。2011年最初の月。今月に入って皇居一周ウォーキングを始めた。ウォーキングでない日は水泳をするようにしている。1時間運動した日を白星、なにも運動をしなかった日を黒星とすると、今月は18勝13敗。まあまあの星勘定かな。朝7時半とかに皇居を一周する。北国と比べるとかなり過ごしやすい東京の冬でも、今月の朝7時とか7時半だと、1、2度の朝が多かった。でもすごく気持ちがいい。英語で凛とした冬の空気を、crispだという言い方をする(The winter air is crispy!)。ドーナッツにもcrispyというのがあったけど、あちらと違って冬の朝の空気には甘さはない。でも、体が温まってくると外の空気の冷たさが気持ちのよさに変わってくる。
 今年は一旦いろいろ中途半端になっていることを片付け、文字通り心身ともに身軽になって、仕事をきっちりとやっていきたい。自分の思い込みやこれまでの惰性や過去の継続のままでは、いい仕事はできないし、既存のビジネスだって伸びやしない。お金を払ってもらうことはそれほど簡単なことではないのだから。
 でも冬の朝のウォーキング同様、厳しい中で地道に歩き続けることで成果も出てくるはずだし、自分の中から生まれてくる喜びも格別のものになるはずだ。

 それにしても時間の経つのは早い。明日からは2月。この月も毎年「逃げる」ことで有名!

 ところでエジプトで起こっているようなことは、絶対に日本では起こらないと言えるだろうか?もし起こるとしたら、どのようなことがきっかけになるのだろうか。全国規模で大きなデモが起こったのは、70年安保の時が最後だろうか。もし起きるとすると、日本国債の大暴落とそれに伴う経済破綻がきっかけになるのではないかと想像している。肝心の経済が破綻し、生活が苦しくなった時に、これまでずっと大人しいわれわれ日本人がどのような行動にでるのか。日本経済が破綻するまではまだ5年から10年、モラトリアムがあるのかもしれないけど。(関東大震災みたいな天災が起こらないという想定のもと!)

Where do you go today?

 丸の内周辺を歩いているとそれほど目立つわけではないけど、ホームレスの人たちがいる。彼らもそれなりに「こぎれい」にしているので、一式の道具をどこかに置いて歩いていたりすると、結構街にとけ込んで見える。
 今月に入って、皇居一周のジョギングを始めた。その途中、竹橋や二重橋前の公園などでホームレスをよく見かける。二重橋前の公園には合計すると20名くらいのホームレスがいるのではないだろうか。朝8時くらいに公園横の歩道をジョギングしていると、芝の上で横になっている彼らの姿が目に入ってくる。北国ではないとはいえ、東京の冬だってホームレスには厳しいだろうと思う。
 
 朝7時ごろには、会社が入っているビルの地下トイレで彼らの姿をよく見かける。彼らはビルのトイレで用を足し、顔を洗い、体を拭いている。ビルの持ち主である三菱地所だってわかっているのだろうけど、寛大な対応をしている。僕らテナントとして入っている会社も、大きな問題だとしているところはきっとすくないだろう。そのくらいの寛容さは社会に必要だろうから。

 かつてマイクロソフトが企業広告に使っていたコピーが、Where do you go today? もう6、7年前のことだろうか。丸の内でホームレスを見かけると心の中で思う。Where do you go today? って。

Everyone needs to be in love.

 1月4日の朝日新聞朝刊にすごくいい話がでていた。ノンフィクション作家、小林照有幸さんの「どんな高齢者政策よりも『恋愛』」という話。

 簡単に紹介すると、恋は、恋する人間すべてに、生きる意欲と希望を与えてくれる。たとえ70歳、80歳になろうとも、恋愛は「若いころのように燃え上がるような」気持ちを与えてくれる。それどころか、高齢者の恋愛は、死を意識せざるを得ない分だけ若い人以上に、純粋で情熱的でありうる。
 どんな高齢者政策よりも、根源的な福祉策になる可能性を秘めているのが恋愛である。なぜなら、
1 究極の健康増進法である。(恋人ができると、例外なく元気になる)
2 生活の文化度が上がり、社会性が身につく。(おしゃれや身だしなみ。連絡のためにケータイやPCを使う人が増え、新しい機器を使いこなそうとする意欲も出てくる)
3 沈滞気味の日本経済にも活を入れる効果(交際を始めると、高齢者もお金を使うことが増える)

 そして最後にこんなコメントを残されている。「高齢者の恋愛の実態を知るにつれ、私は、老いることへの恐れがなくなった。寂しい灰色の世界、と思っていたみちには、最後の一歩まで希望の灯がともっている」と。

  一見、まったく違うように見えて、河合薫さんの以下の記事は、小林さんの話に共通するものをもった記事だ。
希望喪失の時代に必要なのは、「開国」よりも「開心」元年

 それは人生は独りで生きていくには寂しすぎるというシンプルな真理。

謹賀新年。

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2011年が皆さんにとっていい年になるように!
Happy New Year!

出張勝也
Katsuya Debari

みんな、しっかり休みをとって!

 先日、両親の顔を見るために高知に帰った。24時間も高知にはいられなかったけど。
僕は高知生まれだけど、愛媛育ちの人間で、高知弁はまったく話せない高知県と愛媛県の「ハーフ」(もちろん、うちの両親は高知県人だから、高知弁は話せる)。われわれが県外の人間たちだと思ったのか、タクシーの運ちゃんが、はりまや橋にはこんな冗談がありますと言って、教えてくれたこと。「はりまや橋とかけて、スパゲッティととく。」その心は?!「どこが始まりで終わりか、わからない」。高知に行った人は知っていると思うけど、はりまや橋ほど、イメージと現実のギャップがある観光名所はないんじゃないかなと思う。でも、それを確かめにぜひ高知に来てほしい。はりまや橋以外にもたくさん高知にはいいところがあるから。
 このごろの日本って、一年の始めと終わりがわからないようになっていない?お店も元旦から開いているようなところが多いし。でも、正月三ヶ日くらいきちんと休んだ方がいい。ゆっくり休んで体を休め、そして2011年になにを達成するのか、深く考えたい。はりまや橋だけでなく、始めと終わりがわからなくなっているような一年の過ごし方はよくないから。
(写真は龍馬関連の展覧会ポスター)

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柔らかい心。

 あることで、ボクよりもずっとお若い方からお礼のメールをいただいた。その方には、「あなたはまだ柔らかな心を残しているから、きっとこれからも成長するし、いい出会いもあると思いますよ」とお返事。
 自分の思い通りにならないことが重なって、心がかたくなになっていく人が多い中、柔らかい心や気持ちを保っている人はすばらしい。ボクもそんな人間になりたいと思う。

国内向けと国外向けの寄付金額比較

 先週金曜日の午前中、ちょっと用事があって四谷界隈を歩いていたら、近所の女子高校(四谷双葉)の学生たちが街頭にたって赤い羽根募金をしていました。赤い羽根をもらうのはご遠慮したけど、募金には協力。
 ずっと知りたいなと思っていることがあります。日本人は寄付をしないとしばしば批判されますが、それは本当なのか?たとえば国際比較において、平均所得を考慮した寄付金額の多寡でいってどうなのか?
 
 また、国内向けの寄付金額と、国外向けの寄付金額はどうなっているのか?というのは、僕はアマゾンでしばしば書籍を購入するのですが、寄付募集のパンフレットがはいっていることが多い。で、どのような団体かというと、「国境なき医師団」「ユニセフ」「フォスターピアレンツ」など、海外に本部を持つ団体の日本支部のパンフレットが多いのです。彼らの広告は新聞でもよく見ますし、マーケティングに非常に熱心だと思います。募金目標の一定割合を、マーケティング予算として最初から考えて使っているのだろうと思います。
 
それに対して、どうして日本の団体は積極的に募金活動をしないのか。赤い羽根以外に、ぱっと思いつく、活動がありますか?あとは、歳末助け合いくらいではないでしょうか。日本の団体は、募金に関するマーケティングと、調達したお金の使用使途に関する報告が弱いという印象を持っていますが、実際は、どうでしょうか。ドラッカーはNPO、NGOであっても、経営力が重要であることを強調していました。

 これだけ日本社会でも問題が多くなっていて、海外の貧しい人たちを助ける事も大切なのですが、国内の課題に取り組む団体の存在意義はこれからますます大きくなっていくと思います。

 間違っているかもしれませんが、日本人は寄付しないというわけではないと思うのです。というのは、戦後大きくなったいくつもの新興宗教団体が全国各地に建設してきた建物やそのために取得している土地を見るたびに、ものすごい金額のお金が支援者というか、信者から集められているとしか思えないからです。それは彼らの寄付金です。

 日本のNPOの弱いところをもう一つあげると、経営力だけでなく、もしかして普遍性をもったビジョンの面でも弱いのかもしれません。「国境なき医師団」や最近よく聞く「ヒューマンライツウォッチ」などの活動目標からは、人類そのものを対象にした、スケールの大きさを感じます。いや、日本のNPOだけなく、日本の宗教団体も含めてと言ってもいいのかもしれません。彼らが、自分たちの宗派の信者たち以外のひとたちに、どのような活動をやっているのか、聞いてみたいです。信者たちへのご利益を越えたところでの活動のことを。

 最初の疑問に返りますが、国内向けの寄付と国外向けの寄付の比較、どなたか調査されていたらぜひ読んでみたいです。

今年も最終コーナー。

 昨夜テレビでやっていたアイススケート(「ジャパンオープン」)。浅田真央さんのところだけちょっと見ました。アイススケートのシーズンが始まるということで、今年も終わりに近づきつつあることを改めて思います。浅田さんにとっては、さんざんなシーズンスタートだったみたいですが、シーズン今後の健闘を期待しています。
 今年の総括をするにはまだ少々早いのですが、先延ばしをし、直面しようとしなかったことからは逃れられないことをあらためて実感した一年でした。個人、仕事、国、いろいろなレベルでそのことを感じました。戦後日本はカネ儲けを最優先させ、国家としての哲学、戦略を捨て去っていたかに見えます。気分で動きやすい国が、哲学だの戦略だのと言い始めると、逆に危ないのかもしれませんが、個人においても、会社においても、あるいは国家においても、自分と自分が置かれた歴史的文脈に素直な気持ちで対面し、他者(他国)との関係性の中で、なにを目標、目的とし、生きていくのか。継続的な、沈思黙考の時間が必要だと思います。
 ところで、今朝の朝日新聞書評コーナーに、『「日米安保」とは何か』(藤原書店)という本の紹介がありました(評者は姜尚中)。「日米安保は、日本にとって戦後の『国体』にも等しい呪縛力をもち続けてきた」「安保によって日本は多くのものを得、そしてまた多くのものを失った」
 気になった本なので、早速アマゾンで注文。

党派を越えた経験と知恵を。

 今の民主党政権にとって、中国との外交問題は対応不可能領域にあるように見えます。これまでの自分たちの経験(日本国内での限られた権力闘争)の範囲を越えている。現在、政権の中心にある方々は、国内の「けんか」はできるのかもしれませんが、海外との「けんか」は経験不足のようです。「法の支配」が、かたちの上でも存在する国内であれば、「粛々と進めていきます」でいいのかもしれませんが、中国のような国にはまったく効果はないでしょう。
 自分の党内でさえも個人的な好き嫌いでまともに話ができないのだから、他の党との話はもっと難しいのかもしれませんが、こんなときこそ、党派を越えて、戦後の日本外交で仕事をし、知恵と経験を持った先輩政治家たちを集めて知恵を出してほしいです。
 これだけ中国に揺さぶりをかけられると、国内の政権基盤がしっかりしないと、肚が据わった政策は難しいなと思います。挙党一致どころか、挙国一致でないと、非常に厳しいかもしれない。この危機が、他人に頼ることを恥としなくなった日本に喝を入れることなることを期待したいです。