柔らかい心。
posted at 2010.10.12
あることで、ボクよりもずっとお若い方からお礼のメールをいただいた。その方には、「あなたはまだ柔らかな心を残しているから、きっとこれからも成長するし、いい出会いもあると思いますよ」とお返事。
自分の思い通りにならないことが重なって、心がかたくなになっていく人が多い中、柔らかい心や気持ちを保っている人はすばらしい。ボクもそんな人間になりたいと思う。
posted at 2010.10.12
あることで、ボクよりもずっとお若い方からお礼のメールをいただいた。その方には、「あなたはまだ柔らかな心を残しているから、きっとこれからも成長するし、いい出会いもあると思いますよ」とお返事。
自分の思い通りにならないことが重なって、心がかたくなになっていく人が多い中、柔らかい心や気持ちを保っている人はすばらしい。ボクもそんな人間になりたいと思う。
posted at 2010.10.04
先週金曜日の午前中、ちょっと用事があって四谷界隈を歩いていたら、近所の女子高校(四谷双葉)の学生たちが街頭にたって赤い羽根募金をしていました。赤い羽根をもらうのはご遠慮したけど、募金には協力。
ずっと知りたいなと思っていることがあります。日本人は寄付をしないとしばしば批判されますが、それは本当なのか?たとえば国際比較において、平均所得を考慮した寄付金額の多寡でいってどうなのか?
また、国内向けの寄付金額と、国外向けの寄付金額はどうなっているのか?というのは、僕はアマゾンでしばしば書籍を購入するのですが、寄付募集のパンフレットがはいっていることが多い。で、どのような団体かというと、「国境なき医師団」「ユニセフ」「フォスターピアレンツ」など、海外に本部を持つ団体の日本支部のパンフレットが多いのです。彼らの広告は新聞でもよく見ますし、マーケティングに非常に熱心だと思います。募金目標の一定割合を、マーケティング予算として最初から考えて使っているのだろうと思います。
それに対して、どうして日本の団体は積極的に募金活動をしないのか。赤い羽根以外に、ぱっと思いつく、活動がありますか?あとは、歳末助け合いくらいではないでしょうか。日本の団体は、募金に関するマーケティングと、調達したお金の使用使途に関する報告が弱いという印象を持っていますが、実際は、どうでしょうか。ドラッカーはNPO、NGOであっても、経営力が重要であることを強調していました。
これだけ日本社会でも問題が多くなっていて、海外の貧しい人たちを助ける事も大切なのですが、国内の課題に取り組む団体の存在意義はこれからますます大きくなっていくと思います。
間違っているかもしれませんが、日本人は寄付しないというわけではないと思うのです。というのは、戦後大きくなったいくつもの新興宗教団体が全国各地に建設してきた建物やそのために取得している土地を見るたびに、ものすごい金額のお金が支援者というか、信者から集められているとしか思えないからです。それは彼らの寄付金です。
日本のNPOの弱いところをもう一つあげると、経営力だけでなく、もしかして普遍性をもったビジョンの面でも弱いのかもしれません。「国境なき医師団」や最近よく聞く「ヒューマンライツウォッチ」などの活動目標からは、人類そのものを対象にした、スケールの大きさを感じます。いや、日本のNPOだけなく、日本の宗教団体も含めてと言ってもいいのかもしれません。彼らが、自分たちの宗派の信者たち以外のひとたちに、どのような活動をやっているのか、聞いてみたいです。信者たちへのご利益を越えたところでの活動のことを。
最初の疑問に返りますが、国内向けの寄付と国外向けの寄付の比較、どなたか調査されていたらぜひ読んでみたいです。
posted at 2010.10.03
昨夜テレビでやっていたアイススケート(「ジャパンオープン」)。浅田真央さんのところだけちょっと見ました。アイススケートのシーズンが始まるということで、今年も終わりに近づきつつあることを改めて思います。浅田さんにとっては、さんざんなシーズンスタートだったみたいですが、シーズン今後の健闘を期待しています。
今年の総括をするにはまだ少々早いのですが、先延ばしをし、直面しようとしなかったことからは逃れられないことをあらためて実感した一年でした。個人、仕事、国、いろいろなレベルでそのことを感じました。戦後日本はカネ儲けを最優先させ、国家としての哲学、戦略を捨て去っていたかに見えます。気分で動きやすい国が、哲学だの戦略だのと言い始めると、逆に危ないのかもしれませんが、個人においても、会社においても、あるいは国家においても、自分と自分が置かれた歴史的文脈に素直な気持ちで対面し、他者(他国)との関係性の中で、なにを目標、目的とし、生きていくのか。継続的な、沈思黙考の時間が必要だと思います。
ところで、今朝の朝日新聞書評コーナーに、『「日米安保」とは何か』(藤原書店)という本の紹介がありました(評者は姜尚中)。「日米安保は、日本にとって戦後の『国体』にも等しい呪縛力をもち続けてきた」「安保によって日本は多くのものを得、そしてまた多くのものを失った」
気になった本なので、早速アマゾンで注文。
posted at 2010.09.26
今の民主党政権にとって、中国との外交問題は対応不可能領域にあるように見えます。これまでの自分たちの経験(日本国内での限られた権力闘争)の範囲を越えている。現在、政権の中心にある方々は、国内の「けんか」はできるのかもしれませんが、海外との「けんか」は経験不足のようです。「法の支配」が、かたちの上でも存在する国内であれば、「粛々と進めていきます」でいいのかもしれませんが、中国のような国にはまったく効果はないでしょう。
自分の党内でさえも個人的な好き嫌いでまともに話ができないのだから、他の党との話はもっと難しいのかもしれませんが、こんなときこそ、党派を越えて、戦後の日本外交で仕事をし、知恵と経験を持った先輩政治家たちを集めて知恵を出してほしいです。
これだけ中国に揺さぶりをかけられると、国内の政権基盤がしっかりしないと、肚が据わった政策は難しいなと思います。挙党一致どころか、挙国一致でないと、非常に厳しいかもしれない。この危機が、他人に頼ることを恥としなくなった日本に喝を入れることなることを期待したいです。
posted at 2010.09.14
民主党党首選挙の結果について、金融業界の友人から電話。「日本経済はこれからも低迷。じわじわと円高が進行、株はダメだ」というのが彼の意見。「他の国に移住しようかと考えちゃうよ!」とも。彼はアメリカ生まれの日本人で、英語にも問題はないから、シンガポールあたりに移っても不自由するすることはない。そんな選択肢があったとしたら、一体、どのくらいの日本人が「日本脱出」をはかるだろうか?
小沢さんでも菅さんでも、このままで日本が良くなるという期待が持てないのがつらい。きっと多くの人がそう思っているのではないだろうか。
仕事の方は、ここ数ヶ月、10数社のみなさんと進めて来ているコールセンターで働く人たち向けの資格試験の立ち上げが目の前に迫って来ている。年内、仕事になるのは残り3ヶ月ほど。今年も残りわずか。
残暑は峠を越え、これから一気に秋に入っていく気配。
秋、冬、大好きな季節です。冬、震えながらコートを着て、犬たちと散歩に出かける、これまた楽しいのです。また一つ年を重ねることでさびしい気持ちにさせられるけど、これからの気候はウェルカム。
posted at 2010.09.09
9月11日にコーランを燃やそうという連中がいるというニュースを読みましたが、この連中のようです。
→Profile: Dove World Outreach Center(BBC Newsより)
もともとアメリカにはファンダメンタリストと呼ばれる狂信的な自称キリスト教徒(という名の新興宗教だと思いますが)たちが多くいると聞きますが(僕は実際にそのような人たちと会ったことも、つき合ったこともないのですが)、この連中もその一つでしょうか。
不況になると、このような連中が増えてくる。日本も例外ではないかもしれない。だれだれの陰謀で不況になった、世の中が悪くなったというようなことを言う輩が。
posted at 2010.09.07
50も過ぎると両親への感謝の気持ちが強くなってきます。僕は一人っ子。なので、さぞかし大切に育てられたでしょうと、言われることが多かった。そう、きっと大切に育てられています。でも、両親に感謝していることは、16歳の時、AFS高校留学プログラムで一年間アメリカに行かせてくれたこと、そしてずっと僕を信じて好きにさせてくれたこと。「子離れ」を実行してくれたこと。
このごろの親御さんって、もう大人の大学生とか、専門学校生の子どものことに顔を出しすぎない?会社の面接だの、入社式だのに同伴している親御さん、いつまで子どもを支配したいの?もっとお子さんを信じてあげて!失敗することだって、大切な経験だから。
posted at 2010.08.10
A friend of mine from college and from HBS brought this article to my attention. I have always dreamed of simple living. I put experiences above materials. I have been lucky to have unforgettable experiences with my friends, been to so many places with the loved ones.
It is hard to forecast how the economy in the developed markets will be affected if the people change their life styles and value systems. But I think it is an experiment we should try. It has been too long of a period that people continued to buy things one after another. Why do we need to have a digital camera every two years? Let's think deeply why we need all of these things to become a happy person.
→Consumers Find Ways to Spend Less and Find Happiness from NYT
posted at 2010.08.05
今の子どもたちって、ちょっとかわいそうだなって、ツイッターをしばらく続けてみて思った。
単純なメールから始まってSNSにいたるまで、人に嫌われないように、敵をつくらないように、そんなことにものすごいエネルギーを使わないといけないんだから。小学生や中学生の段階から。
小学生のころだったかな、学校ですごく嫌なことを記憶している。毎年だったか、2年に一度か忘れたし、小学校だったか、中学校だったかも覚えていないけど、「クラスの中であなたが友人だと思う人を記入して下さい」という、行動調査というか、人間関係調査というか、そんなアンケートに答えさせられた記憶がある。ある意味、これと同じことを、SNSやツイッターを通して、陰に陽に、子どもたちは経験しているのではないかな?
昨日、母校の関係者の方がいらっしゃって、「大学での起業家育成教育はどうあるべきか?」なんて話題になったけど、日本みたいな集団の内向き圧力が強い社会で、人と違うことをやるのは結構しんどいんじゃないかなと思う。僕の場合は、もう名前から変わっていて、同一化しようにもしようがないくらいだった。名前って大切だと思う。だって、小学校に上がったときから、ずっと呼ばれるんだから。その名前が、学校にただ一人、さらには町にもうちの家だけなんだから、僕の場合は。他の人と同じでいたいと思っていても、もう出発点から違う存在なんだよね。
「出張」って別に外国人の名前でもなく、うちの家系は海外から来たなんて話はないけど、珍名さんなのは確かで、かつてテレビ番組で珍名コーナーがあったとき、同じ名字の人が紹介されていたもん。
で、ツイッターの話に返ると、もう50人以上フォローすることなんてできない。特にメディア関係のツイートをフォローしていると、数が多い。だから知り合いからのフォローとかに、義理を欠いたりすることも出てくる。こんなことを子どもの頃から気にしないといけないとしたら、今の子どもたちはちょっとかわいそうだなと思ってしまう。
そんな集団の同一化圧力が強いところからは、なかなか起業家はでずらいかもしれない。どうだろうか?
posted at 2010.08.02
先週上海で手にした7月29日のInternational Herald Tribune (The Global Edition of The New York Times) に、戦火のイメージしかない母国にエールを送るためにエベレストに挑戦しようとする、アフガニスタン出身の男の、ひとつの答えが紹介されていました。とても素敵な答えだと思ったので、メモしておきます。
"Mountaineering is the most primitive expression of liberty in the land that belongs to you." 登山は、自分に属する土地において表現しうる、最も原初的な自由の表現だから。そう、山に登る行為は、忍耐を知る人間が自由を求めて行う、崇高な意志表明の活動なのかもしれない。