日本製鉄のUSスティール買収案件について思う

日本製鉄のUSスティール買収案件。高額の買収案件になっているなと思ってきたが、アメリカ企業の買収につきもののプレミアムを払うのはしかたないかなとも考えていた。政治家たちや労働組合の反対があり、非常にきびしい状況になっている。
市場が縮小していく日本から、世界でいちばんの成長市場であり、ルールも比較的明確なアメリカに投資する、さらには進出すると考えるのは当然だ。
でも、日本はアメリカの同盟国なんだ、USスティールのためにもなる買収を、どうして反対するのだ、と感情的になるのは間違っている。日本製鉄のトップが、バイデンと呼ぶのはよろしくない。公式発言では、バイデン大統領と呼ぶべきだ。

来週一週間ほどイギリスに行くのだが、ETA(Electric Travel Authorization)というものが必要になったことを知り、昨晩急いでオンラインで申請した。自分のパスポート写真ページやパスポートのチップに含まれる情報をスマホのセンサーで探知し、当局側のサーバーにアップして申請を行う。
アメリカも同様のESTAが必要だけど、イギリスのETAはもっと情報を提供しないといけなかった。

国境はなくならない。主権国家のしくみも変わらない。グローバル化は進むけど、それに反する動きも当然の反作用として起こってくる。ヨーロッパ主要国の中でのいわゆる右翼的、国粋主義的動きも目立つ。

国を超えての買収は当然の権利だと考えるのは気をつけた方がいい。日本製鉄の買収はいい動きだと考えているけど、それは当然の権利だと日本製鉄のトップが考え、感情的な発言につながるのはとても危ないと思う。
日本はイスラエルではないのだから。イスラエルとアメリカの関係はわれわれにはとうてい想像でもなきないほどの人的、文化的にも深いつながりがある。日本はアメリカに歯向かい、徹底的に破壊され、そしていまだに軍事的には支配されている「占領地」のような地位にある。
気をつけないと、いつまた反日的なコトバがアメリカ国内で飛び交うような時代が来るのか、わかったものではない。謙虚さを忘れないことだ。

氷の雨

夕方から降り始めた今夜の雨のなんて冷たいことか!この雨の中、アンナの散歩に出かけていく気力はまったく湧いてこない。文字通り、氷のような雨だ。身体だけでなく心も冷えてしまいそうだ。

今日は今年最初の会社の全体集会の日だった。すでに先週末から何人かの社員は会社に出て仕事を始めていたけども、大半の社員は今日が2025年の初仕事の日だった。

Peaceful New Yearを望む

2025年が始まった。深い意味もなく友人や知人たちには、Happy New Year!とメッセージを送り合っているけど、世界の特定の国で起こっていることを(メディアで)見聞きしていると、気軽にHappy New Year!という気がしない。ウクライナで、パレスチナ(ガザ)で、スーダンで起こっていることを。ウクライナに派遣される北朝鮮の兵士たちは祖国にいる家族たちがひどい目にあうことを恐れて捕虜になることよりも自殺を選ぶというのは本当なのか?
Happy New Year!というよりも、すこしでも世界がPeaceful New Yearとなることを望む。

サンタバーバラ賛歌2

あっというまに8月最終日。今週も忙しかった!
今日は土曜日でゴミ出しした朝以外まったく家から出ないで除湿を効かせた部屋で本を読んだだけだった。たまにこんな日があるのは子どものころからのことだ。今日読んだ(読み終えた)『江戸漢詩の情景_風雅と日常』(揖斐高著)が面白かった。平易で読みやすい文章、適度に紹介される漢詩。著者の学識と文章力を感じさせてくれる本だった。著者が最近出された『頼山陽_詩魂と史眼』(同じく岩波新書)も買ってあるので、こちらも楽しみだ。

さて、サンタバーバラ賛歌だ。アメリカ旅行(前半は仕事、後半は休暇)から帰国して3週間あまり。日本は亜熱帯の国になってしまった。これだけ暑くて湿度があると、冷房なしには生きていけない。サンタバーバラの日差しは強く、数時間ホテルの自転車を借りて町の中を走ると、腕は火傷したような日焼けになったけども、湿度が低いから身体にはそれほどの負担ではなかった。心地よい暑さだった。ハワイを連想するような天気だった。

帰国後もたまにサンタバーバラの天気をチェックしている。いつかもう一度行きたい町になった。

春から初夏へ

4月14日。
あっという間に今月も半分が過ぎた。3月末で朝ドラ『ヴギウギ』が終わり、今月から新しく『虎と翼』が始まった。とても評判がいいと聞いている。女性初の弁護士の生涯を描くもので男女同権を進めていきたい日本社会には背中を押してくれるようなドラマだ。
日曜日夜の大河ドラマ『光る君へ』もみている。見始めた大河ドラマを継続してみているのは初めて。平安貴族の人間模様には古典文学を時々読んできたからずっと関心がある。

この週末はもう初夏のような気温だった。東京にでてきて45年。東京の夏は年を重ねるたびに耐えがたいものになってきている。年をとる自分の身体が弱っていくだけでなく、気象そのものがおかしくなってきていること、ますます進むビルの高層化、都市のコンクリートジャングル化が東京を温室に変えているのか?夏のあいだは札幌に移住したいものだ。

木次乳業の創業者

不在中の新聞(1月20日の朝日新聞夕刊)に、昨年秋に亡くなった木次乳業の創業者、佐藤忠吉さんを偲ぶ記事を読んで、初めてこれまでなんども飲んできた牛乳を作る会社のことを知った。8000冊の蔵書を残した創業者のことばは、平易だけども物事の本質を突くものだ。「よく噛むこと、人の悪口を言わぬこと」「下座して学べ」。
「忠吉語録」を読んでみたいと思う。

その年には見えない

先週64の誕生日を迎えた。
しばしばその年には見えない、若く見える、と言われるのだけどそれを満額で受け取ってしまうのは少々めでたすぎるだろうと思っている。
昨日はお世話になっている歯科医の先生(ちなみにぼくよりも年下)に、「54に見えるとは言えないけど64よりは若く見えますよ」というカーブボールのような表現を投げられた。64以下に見えるということはありがたく素直に受け入れるとしても、下の60を切るところかどうかが微妙なところなのだろうと思う。残念ながら60の大台を切るほどではないということだろう。

今週、長年の知り合いのアメリカ人と昼食をした。彼の年齢を聴くといつのまにか61になっていて少し驚いた。それまでずっと独身だったのだが友人から紹介された20歳年下の日本人女性と昨年結婚、最近、女の子の父親になったと聞いた。60で初婚、61で父親になるなんて、すごいなあと感心した。

年のことは悩んでもいかんともしがたいので、64=ムシと読んで、年齢のことは無視することにした。毎週の水泳、ジム通いをこまめに行い、睡眠時間を十分とることにのみ、気をつけ、あとは仕事をしっかりとやっていくこと。それだけに気を使い、年のことは「無視」する、いや忘れるようにしよう。

シェアすることを学ぶ

朝ドラの「らんまん」を毎日楽しみに見ています。朝の放送を録画し夜見ていますが、けさは朝の放送を見ました。
万太郎は田辺教授から論文を書いていいという許可を受け、だれの助けもなくすべて自分の力で新種の植物を発見したと言わんかのように、自分だけの名前で論文を発表。でも、この新種の「発見」は田辺教授のサポートがあったからこそできたことだったのに。
せっかく田辺教授がこころを開き始めよう、人間としてのやさしさや寛大さに気づき始めていたのに、万太郎の「手柄の独り占め」行為が、田辺教授のこころをまた冷淡なものに押し返してしまった。
シェアすることは難しい。お金、名誉、功績、そして愛情。シェアすることを学ぶのは大人になることかな。

株主総会の季節

定期株主総会の季節がもうすぐ来る。長年株式投資を行っているので、毎年数十社分の株主総会招集書なるものが送られてくる。
昨今各社とも社外取締役を入れないといけないということで必死になっている。さらに取締役には女性を入れないといけないという機関投資家、特に海外の機関投資家がいるため、各社女性の取締役を誕生させている。社内には候補になる女性幹部社員がいないのか、女性の取締役として社外から急いで集めてきましたという様子が見受けられる企業が多い。

送られてきている株主総会招集書を見ていたら、同じ人物が総合商社、エレクトロニクス、リース会社など4社の社外取締役を務めていた。その4社すべての株式を持っていた(株数は大したことはない)。いくら優秀であったとしても、同じ人物がこれだけの会社の取締役をきちんと務められるとは到底思えない。この女性取締役はほかの会社の取締役をするだけでなく、自分が創業した会社の社長も続けている。
これまで日本社会が女性たちを育ててこなかったことのしっぺ返しが来ている。一部の優秀な女性たちは、複数の会社からお声がかかり、数年たったらまた別の会社の役員になり、常に複数の会社の社外取締役を務めている。「おいしくて、やめられない!」だろうなと思う。

しかし、頼む方も、頼まれる方も、誠実さがない話だ。
本音でいうと、無理に女性社外取をつけたくないと思っている会社は多いはずだ。(本当に優秀な人であれば、男女問わずなってもらいたいと思う会社もあるだろう)受ける方だって、本当にちゃんとした仕事をやれると思っているのだろうか?「この程度でいい」という線を自分の中に引いていないだろうか。
女性の取締役を入れない会社には投資しないという海外の機関投資家に対して、「うちの会社の業績、株価、株主への利益還元にご不満なら投資なさらなければいい」というようの「暴論」を返すくらいの経営者はいないものだろうか。
本音の議論をもっと聞きたい。もっと強い会社を作っていくために。
女性だけでなく、男性であっても、社外取締役を務める会社の数を制限するようなルールは作れないものだろうか。お飾りであるにしては彼ら、彼女たちに支払われている報酬は高すぎるのではないか。

もちろん、優秀な女性が適正な評価を受け、適正な待遇を与えられるようになればいい。できるだけ早く。でも形式ばかり整えるのは情けない。いつもそうやって日本社会は見てくれだけを整えてきたから、内実が伴っていないことが多い。時間はかかっても着実に進めていくしかない。

「一身にして二生を経る」

福沢諭吉は「一身にして二生を経る」と文明論之概略の中で記している。明治維新の前後ではすべてが変わったということだろう。変化の度合いは明治維新ほどではないのは確かだけど、ぼくたちの世代だって、二つの生を生きているのではないかと、新聞記事を読んでいて思った。日本総研の寺島会長のインタビュー記事なんだけど、以下のような数字をあげていらっしゃる。

「日本GDPは94年に世界の18%。これが日本のピーク。この年、日本を除くアジアは中国、インド、東南アジアすべてを加えても5%」
「2000年、九州・沖縄サミットが開かれた年、日本のGDPはまだ世界の15%をキープ、日本を除くアジア全体は7%」
「2010年に日本のGDPは中国に抜かれる」
「2022年の日本のGDPは世界の4%、日本を除くアジア全体は25%」

一人当たりのGDPについても、22年には台湾、韓国はほぼ日本に追いついた。
この30年あまりでなんて転落なんだ!

日銀の金融緩和が続き、昨年は一ドルあたり円の価値は110円台前半から一気に150円まで達し、現在でも130円団の後半あたりをうろついている。

ぼくが初めてアメリカに行った1976年は円は200円台の半ばだった。
次にアメリカに行った1985年にはプラザ合意があって、ドルは一気に100円割れの時代に入った。

大学に入った1979年にはJapan As Number Oneという、いま考えると「御冗談でしょう」という本が出た。
金持ち国から貧乏国への転落がこれからの日本のただる道だなどと、考えたくもないが、その可能性は大いにある。

今年64歳になる自分は、たいそう恵まれた時代背景のもとに育ち、働いてきたものだと思う。右上がりの日本を経験し、個人的にも、いなかの両親が考えられないようなキャリアを送ることができたことを幸運だったと思っている。

しかし、これからの世界の中における日本を考えると、一ドル200円、さらには300円の時代という「悪夢」もあるかもしれないと思うことがある。もうそうなると海外旅行は夢の夢だ。弱い円の国・日本には海外から働きに来る人はなく、逆に日本の若者たちが中国やアメリカに出稼ぎに行くような時代が来るのだろう。

あと30年、40年と長生きすることができたなら(100歳前後まで生きるということ!)、「一身にして二生を経る」ことになるか?いや、もう第二の生は始まっていると考えておいた方がいいのかもしれない。