Living simply will be a blessing.

A friend of mine from college and from HBS brought this article to my attention. I have always dreamed of simple living. I put experiences above materials. I have been lucky to have unforgettable experiences with my friends, been to so many places with the loved ones.
It is hard to forecast how the economy in the developed markets will be affected if the people change their life styles and value systems. But I think it is an experiment we should try. It has been too long of a period that people continued to buy things one after another. Why do we need to have a digital camera every two years? Let's think deeply why we need all of these things to become a happy person.

Consumers Find Ways to Spend Less and Find Happiness from NYT

ツイッターをやってみて子どもたちの気持ちがちょっと分かった、気分。

 今の子どもたちって、ちょっとかわいそうだなって、ツイッターをしばらく続けてみて思った。
単純なメールから始まってSNSにいたるまで、人に嫌われないように、敵をつくらないように、そんなことにものすごいエネルギーを使わないといけないんだから。小学生や中学生の段階から。
 小学生のころだったかな、学校ですごく嫌なことを記憶している。毎年だったか、2年に一度か忘れたし、小学校だったか、中学校だったかも覚えていないけど、「クラスの中であなたが友人だと思う人を記入して下さい」という、行動調査というか、人間関係調査というか、そんなアンケートに答えさせられた記憶がある。ある意味、これと同じことを、SNSやツイッターを通して、陰に陽に、子どもたちは経験しているのではないかな?
 昨日、母校の関係者の方がいらっしゃって、「大学での起業家育成教育はどうあるべきか?」なんて話題になったけど、日本みたいな集団の内向き圧力が強い社会で、人と違うことをやるのは結構しんどいんじゃないかなと思う。僕の場合は、もう名前から変わっていて、同一化しようにもしようがないくらいだった。名前って大切だと思う。だって、小学校に上がったときから、ずっと呼ばれるんだから。その名前が、学校にただ一人、さらには町にもうちの家だけなんだから、僕の場合は。他の人と同じでいたいと思っていても、もう出発点から違う存在なんだよね。
 「出張」って別に外国人の名前でもなく、うちの家系は海外から来たなんて話はないけど、珍名さんなのは確かで、かつてテレビ番組で珍名コーナーがあったとき、同じ名字の人が紹介されていたもん。
 で、ツイッターの話に返ると、もう50人以上フォローすることなんてできない。特にメディア関係のツイートをフォローしていると、数が多い。だから知り合いからのフォローとかに、義理を欠いたりすることも出てくる。こんなことを子どもの頃から気にしないといけないとしたら、今の子どもたちはちょっとかわいそうだなと思ってしまう。
 そんな集団の同一化圧力が強いところからは、なかなか起業家はでずらいかもしれない。どうだろうか?

なぜ人は山に登るのか。

先週上海で手にした7月29日のInternational Herald Tribune (The Global Edition of The New York Times) に、戦火のイメージしかない母国にエールを送るためにエベレストに挑戦しようとする、アフガニスタン出身の男の、ひとつの答えが紹介されていました。とても素敵な答えだと思ったので、メモしておきます。
"Mountaineering is the most primitive expression of liberty in the land that belongs to you."  登山は、自分に属する土地において表現しうる、最も原初的な自由の表現だから。そう、山に登る行為は、忍耐を知る人間が自由を求めて行う、崇高な意志表明の活動なのかもしれない。

記事はこちら→Afghan climber aims for Everest.

雑感

1政権交替後初めての死刑執行が行われ、弁護士資格をもつ法務大臣は、自ら執行の場に立ち会い、死刑執行に関する国民的議論の必要性を提起されています。前回の参議院選で落選されつつも法務大臣のポジションに継続してついていらっしゃる大臣ということで野党側が問題視していますが、このテーマについて議論を求められ、ご自身が執行の場に立ち会われたということは、非難されるべきことではなく、逆に真摯な姿勢のあらわれなのかもしれないと思いました。
2宮崎県の口蹄疫にかかったから殺されていって29万頭の牛たち。農林水産大臣は、その殺処分(なんて嫌な言葉!)の現場に立ち会ったのでしょうか。霞ヶ関の雲の上から、電話と書類でこの問題を「処理」していったのでしょうか。最後の最後まで大切にしていた種牛たちは、本当に殺されないといけなかったのでしょうか?海外では、口蹄疫にかかった牛たちは、必ずしも殺処分するのではない対処の仕方をとっているという話も聞きます。また日本の法律は何十年も前に作られ、その後の科学的調査でわかったことを取り入れていないという意見もあります。
3牛たちの気持ち、牛たちの飼い主たちの気持ち。彼らの気持ちは現場を知らない自分には理解できていないと認めます。でも、飼い主の方たち、特に最後の5頭の種牛のオーナーの方は、「悪法も法なり」と言って死んでいったギリシアの哲学者と同じような立場にあったのではないかと思えてなりません。

自分を知ることは時にはつらいけど、そこが出発点かな。

新聞の書籍広告を見ていたら、『一億総ガキ社会_「成熟拒否」という病』(光文社新書)という本の紹介文が以下のようにあった。
 「打たれ弱い、何でも人のせいにして責める、依存症。スゴイ自分という幻想をあきらめられないために起きる諸問題を分析。成熟とは何か、喪失とは何かを考える。」

 きっとどの会社にも、コミュニティにも、もしかして多くの家庭にも、この描写にあてはまるようなメンバーがいて、周りで苦労している人たちがいるのではないかと思う。

 ギリシアの哲学者がつぶやいたように、まず自分自身を知ることだと思う。残念ながら、一日や二日、座禅を組んでみても、一週間ほどの自己啓発セミナーに行ってみても、そう簡単には自分自身を知ることはできないけど。何年、下手すると何十年、日々の生活の中で自分を鍛えながら、すこしずつ自分が成長していることを感じながら、自分自身のことを知っていくのかなと思う。

 『一億総ガキ社会』の、アマゾンにある内容紹介にはいかのような文章がでていた。

精神科医である筆者が最近の臨床現場で感じている、3つの特徴的な傾向がある
1、ひきこもりの増加にみる打たれ弱さ、
2、何でも他人のせいにして切り抜けようとする他責的傾向、
3、覚醒剤や合成麻薬などにすがる依存症の増加......。
これらの根源に横たわるのは、実は同じ病理である。いずれも、「こうありたい」という自己愛的イメージと、現実の自分とのギャップが大きすぎ、ありのままの自分を受け入れられないのである。「自分は何でもできるんだ」という空虚な幼児的万能感をひきずったままの若者・大人の増加。その「成熟拒否」の背景には、親の側の過大な期待と、現在の幼・青年期には失敗や喪失体験が少なく、精神分析でいう「対象喪失」が機能しなくなっていることがある。本書では、臨床例・事件例をもとにこの問題を分析。喪失を受けとめ、地に足のついた真の再生を果たすための処方箋を示す。

 アメリカの親の多くが、子供たちにこんなことを言っているのを聞いたことがある。「この国は世界で最も偉大な国だ。この国では、お前は何でもできるし、何にでもなることができる」と。いつもこれを聞くたびに、「アメリカだなあ!」と、その楽観主義に感嘆するとともに、「挫折」という言葉が頭に浮かんでくる。
ただし、このアメリカの親が子供に伝える言葉は、この『一億総ガキ社会』のいう「自分は何でもできるんだ」とは、ちょっと違う。「努力すれば」という条件がつけられているような気がする。

 自分を主張する「ガキ」となった日本人一億は、「努力をすれば」という条件は受け入れているんだろうか。

 僕も、それなりに挫折というか、七転び八起きを経験しながらここまで来たので、「努力してもいつも希望通りになるとは限らない」ということも分かっているし、自分自身の弱さというか、情けなさというか、足りないところもたくさんあるのはわかっているつもりだ。自分を知ることは大切なんだけど、確かに、自分を知ることは時にはつらいこともある。

 でも、どうやって自分の人生に折り合いをつけていくのか、以前、村松増美先生からよくお聞きした言葉である、How to be a good loser となることを学んでいくのか。それが成熟していくことだし、自分をより深く知っていくことだと思う。
 そして、実はそこからまだまだ成長できるのが、可能性を持った人間なんじゃないかとも思っている。だから、決して、達観やあきらめの境地というつもりで言っている訳ではないからね。

日本でしか見られない風景

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 新幹線の車内の掃除が終わった方たちが、ホームで挨拶をされる風景を見るたびに、これは日本でしか見られない風景だなと、いつも思います。朝の通勤電車でお客を車内に無理におして、ドアがしまるようにする「プッシャー」は海外でもしばしば紹介されますが、この新幹線の清掃担当者たちこそ、日本の象徴の一つだと思います。
 新幹線が時刻通りに走り、これらの清掃担当の方たちが、限られた時間の中できちんと清掃を行って下さっている間は、まだ日本は大丈夫かなって思うことがあります。日本の勤勉さを測る、ボクなりのひとつの指標です。

今日から何を変えていきますか?

 日本・パラグアイ戦、ボクもPKの終わりまで見ました。90分ぷらす延長前後半30分で決められなかったことが残念です。前半はボールを支配されていて、選手の身体能力でもかなり相手が上かなという印象だったので、無得点に抑えたDFを讃えたいです。
 朝、いつもの通り5時すぎには起き、寝不足のままテレビをつけると、20代の若い人たちが、「勇気をもらった。最後まであきらめない姿勢がすばらしかった。」と言っていました。その気持ちをずっと持ちつづけてほしいと思います。
 テレビで涙をながしていた人たち、興奮気味に「感動した」と話していた人たち、彼らに聞いてみたいです。「今日から何を変えていきますか?」って。またケータイでゲームをやる毎日に帰っていきますか?
 すくなくともJリーグのファンがすこしでも増え、スタジアムに足を運ぶ人が増えることを心から希望しています。
 それから、いつもスポーツ選手たちばかりが「勇気をもらった」と言われるのは、ちょっとしゃくに障ります。僕たちビジネスマンだって、政治家だって、あるいは官僚たちだって、「勇気をもらった」って言ってもらえるように、ここぞという時には、かっこよく仕事をしていきたいと思います。

オチビサンの世界に遊びたい。

今週末はこの人とずっといっしょでした。
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世の中には変わった姿かたちの生き物がたくさんあるものだと感心します。

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木の緑が新鮮な、生き生きとした気持ちにしてくれます。

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なんとなく、オチビサンの世界に入っていきそうです。
オチビサン

書き換えるのは未来ではなく過去。

ツイッターのホームに、ワールドカップ期間中の広告として、Nikeが「未来を書き換えろ」っていうメッセージを出しています。でもこれは間違いだと思う。
未来はまだ書かれてなんていない。未来はこれから僕らが当事者のひとりとして参加しながら書かれていくもの。
書き換えるのは、過去の出来事が作り上げた「常識」、「潜在意識」、あるいは「偏見」。

板井麻衣子さん

 次号のオデッセイマガジン巻頭インタビューに、2010年ミスユニバースジャパン代表に選ばれた板井麻衣子さんにご登場いただきます。昨日、都内のスタジオで撮影を行い、インタビューも行いました。
 オデッセイマガジンに僕もでる巻頭インタビューを始めてから、5人目で初めての女性です。これまでは全部男性!(前回は貴乃花親方)。(よく新聞広告などでも、女子アナとわざと企業経営者のちょっとわざと臭い「対談」がでていますが、あんなのはあまりやりたくない!)
 板井さんをお願いしたのは、もちろん僕なのですが、それは彼女が地元大分県臼杵市の市役所職員を昨年末で辞めてミスユニバースに挑戦したという記事に興味を持ったから。
 僕は「変化率」というコンセプトがとても大切だと思っています。人生において(あるいはビジネスにおいて)、ものごとが大きく変化するタイミング、時期が必ずあります。その時に、その変化にどれだけついていけるのか、その変化に挑戦することができるのか、その変化をチャンスに変えることができるのか、それで勝負は決まると思います。もちろん、その変化をものにすることができるかどうかは、それまでの努力、変化に気づかせてくれる出会い、準備、努力の継続、そして「運」があります。
 板井さんにとって、2010年は最大に変化率の高い年になるはずです。実際、3月にミスユニバース日本代表に選ばれてから、彼女の人生は大きく変わってきたということでした。ちょっとした例をあげえると、これまで25年間よりも、今年一年できっと何倍もの写真を撮られることでしょう。そして信じられないほどの人が、彼女の存在を知ることになった。
 上智大学外国語学部でポルトガル語を勉強したことも、大分の歴史(キリシタン大名!)を意識していたからということでした。大分から世界に向けて、どのようなジャンプを彼女がすることができるのか、僕はとても楽しみにしています。
 ミスユニバース世界大会決勝は、8月23日、ラスベガスで行われるとお聞きしました。Good luck!