新聞の書籍広告を見ていたら、『一億総ガキ社会_「成熟拒否」という病』(光文社新書)という本の紹介文が以下のようにあった。
「打たれ弱い、何でも人のせいにして責める、依存症。スゴイ自分という幻想をあきらめられないために起きる諸問題を分析。成熟とは何か、喪失とは何かを考える。」
きっとどの会社にも、コミュニティにも、もしかして多くの家庭にも、この描写にあてはまるようなメンバーがいて、周りで苦労している人たちがいるのではないかと思う。
ギリシアの哲学者がつぶやいたように、まず自分自身を知ることだと思う。残念ながら、一日や二日、座禅を組んでみても、一週間ほどの自己啓発セミナーに行ってみても、そう簡単には自分自身を知ることはできないけど。何年、下手すると何十年、日々の生活の中で自分を鍛えながら、すこしずつ自分が成長していることを感じながら、自分自身のことを知っていくのかなと思う。
『一億総ガキ社会』の、アマゾンにある内容紹介にはいかのような文章がでていた。
精神科医である筆者が最近の臨床現場で感じている、3つの特徴的な傾向がある
1、ひきこもりの増加にみる打たれ弱さ、
2、何でも他人のせいにして切り抜けようとする他責的傾向、
3、覚醒剤や合成麻薬などにすがる依存症の増加......。
これらの根源に横たわるのは、実は同じ病理である。いずれも、「こうありたい」という自己愛的イメージと、現実の自分とのギャップが大きすぎ、ありのままの自分を受け入れられないのである。「自分は何でもできるんだ」という空虚な幼児的万能感をひきずったままの若者・大人の増加。その「成熟拒否」の背景には、親の側の過大な期待と、現在の幼・青年期には失敗や喪失体験が少なく、精神分析でいう「対象喪失」が機能しなくなっていることがある。本書では、臨床例・事件例をもとにこの問題を分析。喪失を受けとめ、地に足のついた真の再生を果たすための処方箋を示す。
アメリカの親の多くが、子供たちにこんなことを言っているのを聞いたことがある。「この国は世界で最も偉大な国だ。この国では、お前は何でもできるし、何にでもなることができる」と。いつもこれを聞くたびに、「アメリカだなあ!」と、その楽観主義に感嘆するとともに、「挫折」という言葉が頭に浮かんでくる。
ただし、このアメリカの親が子供に伝える言葉は、この『一億総ガキ社会』のいう「自分は何でもできるんだ」とは、ちょっと違う。「努力すれば」という条件がつけられているような気がする。
自分を主張する「ガキ」となった日本人一億は、「努力をすれば」という条件は受け入れているんだろうか。
僕も、それなりに挫折というか、七転び八起きを経験しながらここまで来たので、「努力してもいつも希望通りになるとは限らない」ということも分かっているし、自分自身の弱さというか、情けなさというか、足りないところもたくさんあるのはわかっているつもりだ。自分を知ることは大切なんだけど、確かに、自分を知ることは時にはつらいこともある。
でも、どうやって自分の人生に折り合いをつけていくのか、以前、村松増美先生からよくお聞きした言葉である、How to be a good loser となることを学んでいくのか。それが成熟していくことだし、自分をより深く知っていくことだと思う。
そして、実はそこからまだまだ成長できるのが、可能性を持った人間なんじゃないかとも思っている。だから、決して、達観やあきらめの境地というつもりで言っている訳ではないからね。