ストレッチを続けてみて思ったこと。

 半年以上にわたって、毎日5分、10分の細切れの時間をつかって、家やオフィスでストレッチを続けています。真向法の基本の、股関節を柔らかくするストレッチが中心です。子供の頃、うちの親が寝る前に、ふとんの上でやっていたことを思い出します。自分も、あの頃の親の年齢になったのかな?
 ストレッチをやって、普通に生活している中では使わない筋肉の使い方、関節のまわし方をしていかないと、からだが本来保っている力や柔らかさを維持できないということを実感しています。原始の人間は、一日に何万歩(一万歩ではない!)と歩き、しっかりした足、腰をしていたはずです。腰痛の人は少なかったのでは?僕らは、車や電車で移動し、便利さのおかげで、「必要」が減っています。たとえば、どこに行くにも自分の足で歩いていかないといけないという「必要」。
 必要とされないものは、どんどんと退化していき、さらには意識から消えていきます。なので、本来のあるべき姿を回復するためには、「必要を自分で作っていく」しかないです。ストレッチをすることも、「必要を自分で作っていく」ことのひとつ。
 それから、頭のストレッチも必要だよね。難しい本を読んだり、音読したり、詩を読んだり、または外国語を勉強したり。そんなことも普段の生活には必要ではないかもしれないけど、「頭のストレッチ」にはなるかな?

哀しきイノシシの母親

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 日帰りで金沢のお取引先訪問。今年最初の「新日本紀行」。羽田発7時20分の小松行き、そして20時15分発の小松→羽田行き。往復ともJALに乗りましたが、機内で流されていたNHKニュースではJALの再建問題がトップに。特に帰りの機内ではストップ安になったJAL株価のニュースが。クルーの人たちが心なしか、NHKニュースを意識的に無視しているようにも見えました。
 地元の「北國新聞」をコンビニで一部購入。一面には住宅地に現れ、あえなく殺されたイノシシの母親の記事。人間に危害を与える可能性があったとはいえ、なんとも言えないむごさと哀れさを感じました。イノシシ年生まれのクロイヌです。
下の写真の、子供と思われるイノシシには生き延びてほしいです。

 金沢の冬は曇空で、冷たい雨。明日は雪になるとか。地元の方たちのお話では、北陸3県の冬は雲がたれ込め、重い気持ちにさせる季節だそうです。太平洋側で生まれ育った僕には想像するしかないことです。

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大人虎変(たいじんはこへんす)

 我が家の甲斐犬たちのうち、カイ(♀)は黒虎毛で、クウ太郎君(正式名は大空号。これは僕がつけた名前ですが、甲斐犬愛護会にはこの名前で登録されています。)はほぼ黒毛。甲斐犬は日本オオカミに近いとも言われますが、甲斐犬たちの多くは黒虎毛で、一部が赤虎毛です。
 「虎変」は、虎の毛がきっぱり抜け替わるように、鮮やかに変化すること。「大人」は徳のある人ということだそうです。(それに反して、「小人革面」という、「面従腹背」と同様の、あるいは近い意味の言葉もあります。)「徳がある人間」というのは、漢文のテーマのひとつだと思いますが、一筋縄では理解できる言葉ではないです。
 どうすれば「大人」になることができるのか。もともと「大人」として生まれたわけではなく、自分の意志と努力で「大人」たろうとする人間は、どうすればいいのか。あえて厳しいこと、苦しいことを求めていき、それらを克服していくことで、「大人」にすこしずつ近づいていくことができるのか。またその過程において、「虎変」することを繰り返していくのか。
 「大人」であるから「虎変」することができるというだけでなく、「虎変」というあざやかな変化ではなかったとしても、たとえわずかであっても変化を繰り返していくことで、「大人」たる自分に近づいていくことができるのではないか。僕はこの言葉からそんなことを考えています。

来年は何度も坂本龍馬を目にするかな。

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ソフトバンク携帯のパンフレット。
龍馬伝が始まるとこれまで以上に坂本龍馬を目にするかな。

未来の人類が辿る道にならないように。

愛媛のとべ動物園のシロクマ、ピースが10歳になったというニュースを先日みたばかりなのに、ショッキングな写真をロイターのサイトで見ました。
北極圏のシロクマが食料不足のため、共食いが起こっているという話です。
ロイター

好況を知らない世代

うちに来ている某証券会社の若手営業マンと話していたら、「自分たちの世代はバブルどころか、景気がいいというのが、どんなものかもよくわからない」と言っていました。彼は28歳だったと思います。でも、こんなものかと思っているので、特に不幸だとも思わない、と。
戦争を経験した世代とそうでない世代の違い。バブルを経験した世代とそうでない世代。太平洋戦争は1941年から45年まで。バブルと通常呼ばれるのは、1985年(プラザ合意)から90年くらいまで。89年12月末には日経平均は3万8915円代。(現在は、9000円台。約四分の一!)実際、ある現象が起こっている期間は、5年前後とも言えるのですが、それが終わった後に続く影響はかなりの期間にわたります。まさに長いトンネル。
自分の身に起こったことを含めながら過去を振り返ってみると、85年のプラザ合意から始まった円高、アメリカからの内需拡大の要請に基づいた財政の大盤振る舞いが、ものすごい影響を日本に残しているなと感じます。竹下内閣のとき、ふるさと創成基金なんていって、すべての市町村に一億円配った時代があったなんて、「好況を知らない世代」には想像もつかないのでは?
バブルピークに達したのが、1989年、崩壊の過程が数年続き、この20年、日本はずっと低空飛行です。
1980年ごろからずっと内戦状態にあるアフガニスタンでは、平和をしらない世代が大半になっています。日本も、この経済状況があと10年も続くと、「好況を知らない世代」が大多数になるのかもしれません。
JALの企業年金の問題は、将来の日本の公的年金問題です。バブルを経験し、健康に気を使い、お金も使っている世代を、あまりいい思いをしていない「好況を知らない世代」が支えないといけないとしたら、勘弁してくれという話になります。若い人たちに投資しない社会が長続きするとは思えない。

人間安売りの時代

 コールセンターを持っていくのが、地方に仕事を作る常套手段のひとつになっています。コールセンターは、お客さんからの問い合わせやクレームを受けるインバウンドの電話と、営業、販売のためのアウトバウンドの電話に大まかに分けられます。この業界には90万人程度の人が働いていると聞いています。ひとつの立派な業界です。
このごろ、コールセンターに関わっている人たちと話をすることがあるのですが、たいへんな仕事だなという印象を持っています。
 第一に働いている人たちは、客からのクレームなどを真っ正面から受け止めないといけないので、精神的に非常にストレスがたまる仕事であるということ。
 その割には、あまり待遇がよくない。地方にコールセンターを持っていく最大の理由はコストが低いからです。時給700円、800円からスタートなんて話があると聞いています。
 さらに、コールセンター内におけるキャリアパスがはっきりしていない。一番下のランクからスタートして、その後、どのような仕事の展開があるのか明確でなく、一部、「使い捨て」が見られるとも聞きます。特に、販売、営業の電話をしていて、その成果に応じて成功報酬が払われるような仕組みになっている場合は、結果が出ない人に対してその傾向が強い、とか。
 コールセンターを活用する企業側はできるだけ安く「クレーム処理場」を運営しようとしています。その結果として、そこで働く人たちはかなり厳しい環境で働いているのではないかと想像します。
 日本経済がデフレから脱却できないでいるという記事がでています。(今朝の朝日新聞には、「デフレ3年ぶり認定_景気再び悪化懸念」の記事)デフレの定義は、記事によると、「すくなくとも2年、物価下落が続く状況」とあります。物の値段がさがることには文句がないのですが、その物を作っている人間の値段も下がっています。そういう意味では、まさに人間安売りの時代だと思えてしょうがないです。
 人間安売りの時代は、単純に低コストで働いてくれというだけではないです。少々いい加減な食べ物でも値段を安くして平気で食べさせるようになっています。(こんなことを書くボクも、コンビニのおにぎりとカップスープを、会社の机で食べて昼食とすることが多いのですが)食べるもの、見るもの聞くもの(端的に言うと「言葉」ですが)、それらが人間を作っているのに、手抜きしたもの、不純物を多量に含むもの、そんなものを体や心に入れているのに、消費する側は便利さを中心に追求していて、口にいれているもの、頭に入れているものをよく見ていないです。人間安売りの時代は、「不誠実」と「投げやり」の時代でもあるように見えます。
 安売りと便利さを徹底追及しているうちに、いつの間にか「人間」が消えていっているようにも思います。がんを直すことに熱中しているうちに患者が見えなくなった医者みたい。手段と目的がすり替わった時代。
 企業の多くが「人間尊重」、「個性尊重」を口にするけど、それらが現実の場でどのように発揮されているのか。
 ボクも小なりとはいえ、会社をやっている経営者の端くれとして、人ごとではない話です。

知人からの喪中はがき

知人から喪中はがきが届きました。今年5月、お母さんをなくされた知人からです。そのはがきの裏側には、20代後半と思われる女性と、まだ2歳か、3歳の男の子がいっしょに写った写真がありました。目元から、写真の男の子が今は50代半ばになっている知人であることがすぐにわかりました。この写真を撮ったのは、知人のお父さんでしょうか。とても幸せそうな写真でした。

こんな喪中のご案内をいただいたのは、初めてです。知人のお母さんに対する想いを感じました。

Leh

 エアインディアの機内誌でチベットに近い北インド地方の記事がありました。厳しい自然の中、見渡す限り草一つ生えていないようなところでたくましく生きている動物たちの写真に目がいきました。大学時代大好きだったヘンリーミラーの「北回帰線」の中に、ヒマラヤの山頂に凛々しく立つ羊のイメージが描かれていたように記憶しています。それがとても印象に残っています。エアインディアの機内誌にも、岩肌に立つ青い羊(Blue Sheep)たちの写真がでていました。
 インドにまた行く機会があるのかどうか、わかりません。最後に完全に自分のための旅行に行ったのはいつだっかのか、よく覚えていないのですが、もしそのような機会があれば、今は、もっと日本国内を旅行したいと思っています。厳冬の道東(知床とか)や下北半島に行ってみたいです。

 ネットサーフィンしていると、ライカのデジタルで北部インドを撮った写真を公開しているブログを発見しました。空気の感じがいいです。
(→
Digital M: India Ladak-Tibet) 
 Leh (→
ウィキペディア

「心底悔しい思い」

 今日の朝日新聞朝刊(スポーツ面)の囲み記事(「自由自在」)に、元マラソン選手でスポーツジャーナリストになった増田明美さんの言葉が紹介されていました。「人間というのは、心底悔しい思いをしないとわいてこないエネルギーというものがある。」また、増田さんが出会ったコーチの言葉、「人はとかく良い結果ばかりを追い求めるが、良い結果というのは、生きていて幸せだと感じる時に自然と生まれるものだ」。
 スポーツ選手の言葉にしばしば共感を感じ、インスピレーションや励みを受け取ることがあります。彼らにとって、肉体の限界は我々ビジネスマンにとってよりもずっと早く訪れます。非常に短い時間的制約、身体という壊れやすい資本。彼らは綱渡り状態の個人事業主だと思います。
 半端な絶望を持っている人間は多いけど、心底悔しい思いをプラスのエネルギーに変えていくことができる人間は少ない。
 今日はこれから名古屋に日帰り出張!