「力」なくしては、愛する人を守れない。『村田良平回想録・下巻』

 同胞二人を救うために、北朝鮮に乗り込んでいったクリントン元大統領のニュースを聞いて、力なくしては、国際社会において自国の利益、自国民を守ることはできないことをあらためて痛感します。そして、先日、アメリカから帰る機内で読み終えた、『村田良平回想録』の下巻のことを思いました。副題は、「祖国の再生を次世代に託して」。上巻については、先日このブログでご紹介しました。
 村田さんは外務省の事務方のトップである事務次官、および駐米アメリカ大使を経験され、1994年外務省から退官された方です。この本では、ご自分のご意見を非常にはっきりと述べられていて、その一部は、「身内」であるはずの外務省の方たちからも、批判的に受け止められているのではないかと想像します。事実関係の認識、人物や歴史的出来事に対する評価においても、村田さんのご意見には賛成されないかたも多いのではないかと思いながら、下巻を読み終えました。
 ボク自身も、村田さんのご意見には、必ずしも100%、賛成というわけではありません。また、お使いになられている表現や言葉使いにも、お気持ちが上滑りしているところを感じます。が、以下のようなお考えには、これまでの自分自身の経験を振り返ってみても、基本的に同意します。(お使いになられている言葉には一部、賛成しかねるところもあります)
1 日本国民が独立心と自尊心を持つこと。それらを失うことは、奴隷根性である。
2 日本の憲法の平和主義は現実からの逃避である。
3 日本の国益とアメリカの国益が類似、あるいは同一である必然性は何らない。
4 日本がこれまで平和でありえたのは、憲法9条のおかげではなく、冷戦が朝鮮半島やベトナムに留まった幸運、アメリカの戦力の存在、日本が島国であり、日本の海上輸送のシーレーンがアメリカその他の国の力のおかげで、攻撃に会わなかったことによる。
5 戦後、アメリカ軍が日本に当然のことのように駐留し、日米政府も国民も、そのことに鈍感になってしまっていることは、異常である。
6 世界経済の大きい部分を支えている日本の技術能力を維持向上すること、日本が学問分野で高度の知的業績を誇りうる人材を輩出すること、道義に支配されている信頼できる社会であり続けること。
7 アメリカは、ロシア、中国とは別の意味で、日本とは著しく異なる社会を持ち、アメリカ人は、独得の価値観を信じていることを理解するべし。
8 中国、韓国がその歴史をどう書くかについて、我々は基本的に寛容であるべきであるが、先方にも同じ精神を求めるべきである。
9 厳密な証拠のある事実は歴史の一定部分である。残りは永久に完全に究明できず解釈にとどまる。
10 自国の歴史を学ばない民族は亡びるし、他国の歴史を学ばない民族は衰えてしまう。

 64年前の今日、広島に原爆が落とされました。核兵器に関する村田さんのご意見(「英国あるいはフランスと類似の、潜水艦による極めて限られた自前の核抑止力を保有するのが最も正しい途であり、アメリカの核の傘への信頼は、北朝鮮問題の処理によってすでに地に落ちている」)は、非常に議論を呼ぶものだと思いますが、「四国ほどの大きさしかないイスラエルが、NPTに加入せず、40年以上前からフランスの協力を得て核兵器国となっていて、かつ、アメリカの最重要な同盟国である。ものごとはまず既存の前提を一度ないこととして第一歩から考えてみることが肝心だ。」という考えには、賛成します。戦略を考えるにあたっては、タブーを作らず、あらゆるシナリオを考慮すべきだと思います。
 64年前に敗戦として終わった戦争を振り返ったとき、当時のエリートたちに対して残念に思うと同時に怒りさえも感じることは、なんと井の中の蛙であったことか、なんと国際社会、国際政治を分かっていなかったのかということです。あの頃と同じ間違いをおかさないために、とかく忘れがちな歴史を、ボクらレベルでももっと勉強すべしだと、信じています。

追記
村田さんは、駐米大使のあと例外的に駐独大使も勤めていらっしゃいます。(通常は駐米大使は「あがり」のボジション。)
回想録の中にも、ドイツに関しての記述が多いのですが、日本はドイツから学ぶことは非常に多いのではないかと思います。今日本ではやりの地方の自立、地方分権のテーマにおいて、あるいは敗戦国としての立ち振る舞い方に関しても、ドイツは日本よりもずっとバランスがとれていて、また着実に責任を果たしてきているように見えます。

ニューヨーク経由で帰国

Img_0809

Img_0823

 トロントであったマイクロソフト世界学生大会からニューヨーク経由で帰国。久しぶりのニューヨークでしたが、24時間もいなかった(残念)。上の写真は、American Book & Cinema で昨年末発行した書籍Small Giantsでも紹介されているUnion Square Cafe。泊まったホテルから歩いて5分ほどのところにあります。今回は残念ながら外から拝見しただけ。
 下の写真は機内から見たアラスカのマッキンレー。植村直己さんのことを思いました。帰りの機内で、90年代前半に作られた宮崎駿さんの『紅の豚』を見ました。公開された時にも見たはずなのですが、ストーリーはほとんど覚えていませんでした。加藤登紀子さんの声と歌に惹かれました。『紅の豚』は、映画『カサブランカ』の影響を受けているのではないかと思ったのですが、ボクの思い過ごしでしょうか?(戦争、飛行機、中立国、青年期をいっしょにすごし、お互い愛しているのに行き違う男女、etc)

 成田に着くと、どんよりと湿った気配。本当に梅雨明けしているのかどうか?

パソコンスクールの苦労

昨日、日本を代表するネット企業のひとつである某社人事部の方に、われわれのお取引先のひとつであるパソコンスクールの方をご紹介。そのパソコンスクールでは、厚生労働省や県の行っている雇用訓練講座を実施していて、現在、身障者8名のITスキルを中心とした訓練を行っている、とか。
某社の方は、法律の要請に基づいて、一定数の身障者採用の義務があり、身障者の採用を検討中。両社のお話を耳にしたことで、昨日両社の方にお集りいただき、ご紹介ということになりました。
このごろ強く思うのですが、まだまだパソコンスクールって、社会的な認知度が低い。雇用訓練講座を実施し、講座の参加者たちの就職支援まで行っているということを、世の中の人たちは、ほとんど知らない。
さすが身障者の場合には、就職支援、あるいは斡旋の義務は課されていないようですが、健常者であっても、あまり就職しようという意欲がない参加者も中にはいて、そのような失業者を受け入れたスクールの人たちは、就職させるのに、本当に苦労しているようです。その就職支援、就職斡旋がたいへんだから、雇用訓練の講座を受託しないことにしたというパソコンスクールがあるくらい。
そんなこともパソコンスクールの関係者はやっているんだということを、業界外の人たちにも知ってもらえればうれしいなと思います。

阿部さんからお送りいただいた写真

Img_0718

 毎年アフリカを訪問されている岩手の阿部さんから、お願いしていたサバンナのチーターの子供の写真が送られてきました。この子の表情からは、この子を待ち受けているであろう、自然の中での過酷な運命を予感しているのではないかと思えてきます。運命から逃げることなく、静かにそれを迎え入れようとする覚悟さえ、この子はすでに持っているのではないか?
 

カタカナ言葉はあまり使わない方がいいと思っています。

 週刊Spaの記事が、ヤフーで紹介されています。
「今使うとかなり痛い!」ビジネス・IT用語

 ボクも勢いでカタカナ言葉を使うことはしばしばですが、基本的にカタカナ言葉を必要以上に使うことには反対。よく日本語が論理的でないとか、厳密な思考には向いていない言語だという人がいますが、ボクはあまり学識もないので、それがあてはまっているのかどうかは分かりません。ただ、ボクら凡人の思考レベルにおいては、それなりに論理的な思考にも充分耐えうる言語だと思っています、日本語は。
 言葉の定義もしっかりできていないカタカナ言葉を使っていると、自分の言っていること、書いていることのなかに、ブラックホールを作っているようなものなので、論理的になりうるはずがないし、他との意思疎通を前提とするコミュニケーションが成立するはずがない。
 それから日本で見る英単単語のスペルに間違いが多いのも、かっこ悪い!うちの会社でも時々あるのですが、印刷したあとに、「あ、この単語のスペル、間違っている!」。最初から英語なんて、あまり使わないで、自分がよくわかっている言葉で書けばいいのに。

残酷な時代_190キロ体重の女性

 昨晩、ツールドフランスを見ようと思ってテレビをつけると、190キロからの減量に挑戦する女性が登場する番組があり、こちらも減量に挑戦中の身なのでちょっと目が止まってしまいました。
 この前読んだある本(「肥りゆく人類)には、肥満というのは今の社会が制度的に作りだしている病ではないかというような考えがありました。ギャンブル依存症にしても、タバコ依存症にしても、アルコール中毒症にしても、そして借金中毒症にしても、消費しろ、もっと買え、気持ちよくなるぞ、人生楽しく生きろと、われわれを洗脳し続けようとする企業の大声を、朝から晩まで聞かされる、そんな社会が制度的に作りだしたものだという考えです。
 イスラム圏の国々の様子をテレビで見たりすると、宗教の戒律が生活を縛っているように見え、ちょっと不自由な感じがしますが、われわれの生活も、家の中にいては、テレビやネットで消費への衝動を強烈に刺激され、一歩外に出ると交通広告や電飾看板などが目に入ってきて、ある意味、イスラム圏以上に強い「戒律」がこの社会にはあると思うことがあります。
 企業社会が押し進める消費生活の洗脳があまりに強すぎて、意志の弱い人間にとっては、とても残酷な時代になっているのでは?夕べ見た190キロの女性を、そんな社会の犠牲者のように見てしまいました。
 

アビスパ福岡のファンの皆様へのお礼+福岡での合格者紹介

ファンの皆様よりのご好意に対して、お礼申し上げます。小社の福岡エリアでの知名度をもっと上げ、われわれが行っている資格をより多くの方々にご利用いただくべく、頑張っていきます。ご支援のほどよろしくお願いします。

追記です。

オデッセイコミュニケーションズのHPで、福岡県大川市立大川小学校で情報教育を担当されている山口先生に合格体験をお話いただいています。こちらをご覧ください。→合格者の声

健康、そして家族

 今日は某所にお見舞いに。
海外の知人たちと話をしていても、人生で大切なものとして必ず上がってくるのは、まず健康、そして家族。仕事、お金、平和、正義、民主主義、神、そんなことも大切だけど、他のことを引き離してまず健康と家族(あるいは家族のような存在の人たち)。
 これまで一度も、入院しないといけないほど健康を害したことがないだけでも感謝。

 
 Img_0562

こんな車もかわいい。

Pig6

ブタをCIにしたサンドウィッチ屋さん。世界で一番有名なテーマパークには、ネズミをモチーフにしたバスが走っていて、あれを見るたびに一台欲しいなとよく思います。イノシシ年生まれにとってブタは小さいころからの友達。

サンドウィッチ屋さんのHP

幸せの閾値(いきち)

「閾値」、日頃聞き慣れない言葉ですが、以下のような意味です。

1 ある反応を起こさせる、最低の刺激量。2 生体の感覚に興奮を生じさせるために必要な刺激の最小値。  

弊社が提供していたラジオ番組、「ライブラリーby オデッセイ」でお世話になった小山薫堂さんが、今回の経済不況が、人が幸せと感じる閾値をさげてくれればいい、というような発言をされていることを聞きました。大賛成!  昨日のニューヨークで、4月の小売りが期待を下回ったということで、株が大幅に下げ、円高に傾いています。先日、アメリカで知り合いたちと話をしていても、生活を慎ましやかにしないといけないという人たちが多く、実体経済はまだまだ厳しいのではないかと思っています。ここ数ヶ月で、アメリカ株が3割以上上がっていることのほうがおかしいいのでは?(これからアメリカは巨額の財政赤字の問題が大きくクローズアップされてきます。日本も同様の問題を抱えていますが、ボクはアメリカの格付けがAAAからいつ落っこちるのかと、ちょっと期待しながら、興味津々で見ています) 最近はあまり聞かれなくなった「百年に一度の不況」という言葉。言葉の持っている力が一人歩きすることには注意をしないといけませんが、「百年に一度の不況」なんて大仰なことを言っていた割には、一年もたたないのに、あの言葉はどこに行ってしまったのか? どちらにしろ、今回の経済不況が、小山さんが言っているように、ボクらが幸せだと感じる閾値をさげてくれる結果になればいいなと思っています。松下幸之助ではありませんが、「好況よし、不況もまたよし」ということにするためにも。