明けましておめでとうございます。
posted at 2019.01.01
2019年の初日の出を見てきました。
昇っていく太陽の力強さに肚の底からわきあがってくるものを感じました。
2019年がいい年になるように、考えながら、まっすぐに歩いていきたいです。
posted at 2019.01.01
2019年の初日の出を見てきました。
昇っていく太陽の力強さに肚の底からわきあがってくるものを感じました。
2019年がいい年になるように、考えながら、まっすぐに歩いていきたいです。
posted at 2018.11.04
NHKのラジオで、作家宮本輝が紹介していた言葉。自分が若いころ、30代のころ、年上の人から聞いた言葉だとか。「50歳以上の人間の情熱しか信じない」と。ぼくも50を過ぎ、あと少しすると60の大台が近いのですが、若いころの情熱は身体からあふれ出てくるエネルギーに助けられながら、自然に出てくるもののようなところがありますが、身体が弱ってきたときにもなお持ち続けることができる情熱は本物なのかなと思いました。
今年もあとわずかになりました。2019年になにをやるのか、まだまだ気持ちを強く持っていきたいです。
posted at 2018.09.06
ロンドンの知人から、「Jebiの被害は大丈夫か?」とメールが来たので、「Jebiってなんのこと?」と思ったら、数日前、関西に大被害をもたらした台風21号のことだった。Jebiっていうのは誰がつけたニックネーム?今年はいったいどうなっているんだろう。水難だけではすまないで、また大地震が北海道を襲うし。2011年以来、この国は自然災害に取りつかれているような気がしてしょうがない。(データに基づいた印象ではないのだけど)
→BBCニュース
posted at 2018.03.05
「冬が来たなら春はそう遠くないよ」というけど、ようやく春を感じることができる陽気になってきた。今年の冬は早くから寒さが厳しくって、いつもよりも長い冬だったように思う。全国的にそんな感じを持った人が多いようで、昨年12月に札幌で知人と食事をしたとき、「今年は普段よりも一か月ほど早く寒さがやってきたように思う」と彼が言っていたことを覚えているし、先月高知に帰省した時には、おばが同じようなことを言っていた。
ようやく春は確かにやってくるよということを予感させてくれるような気温になったことを心からウェルカム。
posted at 2018.01.04
新しい年になりました。
元旦は見晴らしのいいところに登って初日の出を拝みました。
「陽はまた昇る」といいますが、確かに太陽は力強く登っていくものだなあと思いました。昨年末から作家・山崎豊子さんの作品に熱中しています。「不毛地帯」に続いて、「沈まぬ太陽」を読んでいます。「不毛地帯」同様、文庫本で全5巻の長さですが、とても読みやすく、エンターテイメント性も高い小説なので、愉しみながら読むことができます。
「沈まぬ太陽」もいいのですが、個人も会社も、もっといえば国だって「浮き沈み」はあるもので、大切なことは一度沈んだとしても、そのまま沈没してしまわないことではないかと思います。そういう意味では、「陽はまた昇る」というタイトルの方が好き。
日が昇り始める前から外の景色は暗闇からかなり明るくなっています。東の山際にちょこっと頭を出してきた太陽は力強く昇り、全身を見せてくれます。その間、ほんの数分でした。
クルマで例えると、しっかりしたトルクを持ち、急な坂道を着実に登っていくような力強さを感じさせてくれました。
2018年もきっと色々なことがあると思います。これまでだってそうだったように。たとえ沈んだとしても再び登っていく強さは持っていたいなと思った初日の出でした。
posted at 2017.11.29
NHKラジオの番組で、末期のすい臓がんを宣告されている石先生(一橋大学名誉教授)がどのような姿勢と考えでがんに向かってきたのかをお話されていて、聴き入ってしまった。石先生は僕が一橋大学の学生だった頃(1980年代前半)から、経済学部の看板教授のお一人で、法学部だった僕は先生の授業を取る事はなかったけど、在学中にも、明るくてお元気なお声をお聞きした事はあった。
先生のお話で感心したことは三つ。79歳で末期がんを宣告されて、もちろん、ショックだったけども、もう現役に帰ることもなく、やるべき事はやりきったと思っていた。二つ目は、それまでに体を鍛えていたので体力の「貯金」があったことで、抗がん剤とどうにか付き合ってこられたこと。そして三つ目は、がんを宣告されても家に閉じこもっているのではなく、外に出て、体を動かし、人との付き合いも続けているということ。
長生きすることができたなら、多くの人は、がんになったり、認知症になったりするわけで、もし僕自身も幸運にこれからあと20年、30年と長く生きることができたとすると、きっとがんや認知症、もしかしたらその両方(!)になるかもしれないわけで、今からでも準備(特に体力的な「貯金」!)を行っていきたいし、やりたいこと、やるべきことは、全て行ったという「達成感」を得られるような生き方を目指していかないといけない。
さっき、 NHKラジオから流れてくる石先生の声は現役の頃のお声同様に、明るく弾んでいる声だった。石先生、頑張ってください。
posted at 2017.06.12
昨日、甲信越エリアから帰ってくる際に、関越自動車道の上り車線3カ所で追突事故があり、事故渋滞のため30分以上自宅到着が遅れたのではないかと思います。
3カ所は距離にして20キロか30キロの範囲内だったように思いますので、対応に当たった警察関係者、高速走路管理会社の皆さんは、処理に追われたことでしょう。
誰も好き好んで事故を起こそうなんて思っているわけではないのですが、高速道路での事故渋滞は非常に多くの人に迷惑をかけます。どこかに迂回するわけにもいかず、途中で一般道に降りてカーナビの言いなりになって左に行き、右に行っても、結局長時間になることが多いように思います。そんな時には、やっぱり高速でノロノロ動いていた方が早かったかも知れないなんて思ったりもします。
高速道路関係者にぜひ教えてもらいたいことがあります。
年間、事故渋滞のため、一体どれだけの時間が無駄になっているのか?一日の事故件数、それによって引き起こされる渋滞時間、その影響を受ける人間の数。一日一回の事故で30分のロスが発生して、それに千人の人が影響を受けたとすると、延べにして500時間のロスです。それを365日にすると18万2,500時間になります。それとも、一日の事故による渋滞は30分程度ではなく、もっと大きいのでしょうか?
自動車保険の会社はどんな人間が事故を起こしやすいのかという統計データを持っていると思います。
高速道路関係者には、ぜひ事故渋滞を減らすために、もっと色々なデータや情報をオープンしてもらいたいです。事故渋滞で発生する目に見えていない時間的ロスをぜひ減らす努力をしていただきたい。
posted at 2017.05.14
GW前半は四国に帰省。春になってお遍路さんたちの姿を目にすることが増えています。ただ黙々と道を歩き続けることは、いまのぼくには考えられませんが、いつか自分の足で四国を一周してみたいという気持ちになるかもしれません。88ヶ所を開いた空海ほど、四国に最大の貢献をした歴史的人物はいないのではないかと思います。
日本の政治で一気にメジャーの言葉になったのが、「忖度」(そんたく)だとしたら、トランプ大統領の登場でしばしば出てくるのは、Fakeという言葉かな。フェイスブックへの書き込み、メディアの報道で、fake、つまりうそ、偽り、ニセの話が堂々とまかり通るという話。
同じようにずっと気になっているfakeがあります。それはサプリメント。サプリの市場は何兆円とはいかないでしょうが、何千億円にはなっているのではないかと思います。
最近、気になってよく読んでいるブログに、ジャーナリスト・松浦晋也さんの「介護生活敗北記」というエッセイがあります。5月11日付けの「父の死で知った『代替療法』に意味なし」という文章もいい内容だと思いました。この中で、以下のような記述があります。
「薬効のない物質でも信じてしまえば効くというプラシーボ効果が存在するので、実際は効かなくても全然構わない。集まってきた患者はプラシーボ効果で勝手に「効いた」と思ってくれるので、放っておいても「医者でも直らなかった病気が治った」と宣伝してくれる。うまくすれば歌手や俳優、スポーツ選手などの有名人が引っかかって、広告塔として役に立ってくれる。効果的な集金マシンの完成だ。」
この「プラシーボ効果」ほど、無責任な話はないとずっと思っています。これを言い逃れにして、効きもししないことがわかっているサプリメントを売り続ける企業、それを何も規制しようとしない政府。それをFakeと言わずして何がFakeなのか?
松浦さんは科学技術分野を専門とするジャーナリストだけあって、ずっとお書きになられているお母様を見送るまでの介護体験の記述もFakeではなく、Realなものだという感想を持っています。
posted at 2017.04.03
4月が新年度の始まりという会社は多いことだろう。朝、体に馴染んでいないスーツ姿の若い人たちが街を歩いていた。
新入社員には力がある。本人たちが自覚していないだけで、周りの人間に目に見えない影響を与える。
先輩社員たちに自らが新人だった頃を思い起こさせる。それは往往にしてプラスの影響を与えてくれる力だ。
でもその力も、新人たちが職場に慣れ始めた頃には、すこしずつ弱まっていくかもしれない。中には最初から新人たちの力を感じない先輩社員もいるかもしれない。
うちの会社にも2名の新人が入って来た。彼らを迎えた我々はもっと頑張らなくちゃ。
posted at 2016.02.05
生まれてから死ぬまで、先生、同僚、知人・友人たち、あるいは両親から、何らかの評価を受けながら生きていくのが人間だとすると、その評価にはプラスの印となるものと、マイナスの印となるものがある。
うちの会社の事業である資格試験は、合格者に認定証という印を差し上げていて、履歴書にも合格の履歴を書く事ができる。それはプラスの印となる。
ただ、生きていく上では、マイナスの印を受けてしまう事もある。
先日、半日で終わる簡単な人間ドックを受けた際に、「医者というのは一定の異常値が見つかった時には、それに病名をつけるのが商売なので、あなたのこの数値は、◯◯症と言います。でもたいしたことではないので、気にしないで下さい」と、訳の分からないことを言われた。たいしたことないのだったら、病名をつけて呼ぶなよ、と言いたくなった。これなど、勝手にマイナスの印をつけられたようなもので、これほどいい加減でなかったとしても、世の中では、「あの人は、どこどこのエリアの出身だから」とか、「ちょっと変わった性癖がある」とか、マイナスの印(あるいはマイナスのニュアンスを持つ印)をつけたがる人も多い。
プラスでも、マイナスでもないはずの血液型、本来なら中性と言える属性なども多いのだけど、そういうものにさえ、プラスであったり、マイナスであったりの印を付けたがる人もいる。
少なくとも、プラスの印を発行していくことを生業としていることに感謝したい。特に、うちの会社で運営している資格は、一定期間頑張れば、きっと合格することができる、そんな資格がほとんどのはずだから。