吉良俊彦著『1日2400時間発想法』(プレジデント社)

 「アイデアエクスチェンジ」にご登場いただいたこともある、元電通社員でメディアコンサルタント、大学教授の著者の最新著作。僕は吉良さんのお書きになられた『ターゲットメディア主義_雑誌礼賛』のファンです。この本を読んだあと、ぜひ吉良さんにお会いしてみたいと思い、共通の知人経由でお願いして「アイデアエクスチェンジ」にご出演いただきました。(吉良さんとの「アイデアエクスチェンジ」

 最新のご本の副題は、「他人の時間を盗めばアイデアは生まれる!」と軽いノリなのですが、中身はいたってマジな本です。ただし、読みやすさは抜群です。僕自身、共感することがたくさんありました。また、吉良さんが提案されている「1日を2400時間にする13箇条」の一番にあげられている「画一的な生活からの脱却」は、ここ数年僕も意識して心がけていることです。たとえば、自分で勝手に「新日本紀行」と銘打っている全国各地のお取引先訪問。3年ほど前から、各地でお世話になっている学校、企業の方々を訪問していますが、自分の脳の中を活性化するのに役立っていると、自分では感じています(大した脳ではないので、効用は限られているかもしれませんが)。13箇条には以下のようなことが続きます。

2 自分の常識が人の常識ではない。

3 学ぶことの蓄積がないとアイデアは生まれない。

4 同一視点発想からチャンネル変換型発想へ。

5 5W1Hで考えよう。5W1Hは万国共通の状況設定語。

6 自己評価をするな。他人からの評価を素直に受け止める。

7 「難しい言葉」は自尊心の表れ。だから「簡単な言葉」で話す。

8 ポジティブシンキング。

9 自分自身は何割バッター?(目標達成率の認識)。

10働かなければ失敗しない。

11自分の会社、学校、家族の悪口を言うな。それは自分に対しての悪口。

12上流に戻れ。

13仕事や学業のレベルは必ず上がっていく。だから難しいことにチャレンジ。

このなかのいくつかは読めばわかりますが、他のものは本を読んでいただかないとわからないでしょう。だからぜひお読みいただきたい。

 各章にはさまざまな本や人物の発言からの引用があります。僕の心にずっと残っているのは、清原和博の2000本安打達成を祝す、イチローの以下のような言葉。

「2000本という表に出ている結果よりも、4000とか5000とか、数字は分からないですけど、多くの失敗を繰り返してきたと思います。その数だけ悔しさがあったと思いますし、それに対して共感します。」

 努力した者だけ、チャレンジした者だけが、同じように努力し、チャレンジした人間のことを理解しうるのではないかと思います。

『考えよ!_なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』(イビチャ・オシム著)

 ワールドカップ開催中の今こそ、読んで損はない本。日本の試合を楽しむためにも。それに各紙が競ってオシムのコメントを掲載していることもあるので、オシムが日本代表に関してどのように考えて来たのかを背景として知っておくこともプラス。
 副題にもなっている「なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」という問いに対して、オシムはこのような答えを自答しています。
「かつて東洋の小国だった日本は、太平洋戦争においてハワイを先制攻撃するというリスクを負った。そして何者でもなかった者が、何かになりたいことを望む経験をした。だが、その太平洋戦争において日本は敗戦を味わう。おそらく想像するに、そこが歴史的に日本人のメンタリティの転換期になっているのだろう。リスクを負うということが、日本人にとっては深層的なトラウマになっているのではないか。」これはボクが日本の歴史に関して、特に太平洋戦争に負けたことに関心を持っているからもあってここに引用します。
 他にも、この本の中で、赤線を引いた文章や言葉はたくさん。オシムがなぜ日本人(ボクも含めた)に人気があるかというと、彼の言葉選び、表現方法が僕らが求めているもの、受け入れやすいものだからか。それとボクは、オシムがカネの魔力を自覚している、大金が人間(もちろん、サッカー選手を含む)を簡単にダメにしてしまいがちだということをわかっていることも、オシムのファンである理由のひとつかな。
 「おわりに」にオシムがこんなことを言っています。
「人生で起こりうることすべてがサッカーに集約されていて、サッカーで起こりうるすべてのことが私の人生にも起こってきた。」僕ら日本人の人生においては、まだサッカーはそれだけの位置を占めていないかな

岡山訪問、それから塩野七生著『日本人へ_リーダー編』

 今日は岡山に日帰り出張。午後お取り引き先の方々との会合のため。高松や鳥取からもお越しいただいた皆さん、ありがとうございました。率直なご意見等、感謝いたします。羽田から飛行機に乗り岡山空港を初めて利用しました。山の上を切り開いて作ったようなところで、広島空港を思い出しました。広島空港よりか市内に近いでしょうか。
 行き帰りの飛行機で、塩野七生さんがずっと雑誌「文藝春秋」に連載されているエッセイをまとめた本を読みました。このごろはもう文藝春秋の読者ではなくなっているので、40のエッセイのうち読んだことがあるのはほんの2、3でした。
 この中で、僕がとても感心したのは、「拝啓 小泉純一郎様」という一文。この中で、塩野さんは、郵政選挙で大勝した小泉さんにこんなことを書かれているのです。
 「しかし、盛者は必衰であり、諸行は無常です。今回の大勝が、政治家としてのあなたの「終わりの始まり」にならないとは、誰一人断言できないでしょう。」さらに、「私があなたに求めることはただ一つ、刀折れ矢尽き、満身創痍になるまで責務を果たしつづけ、その後で初めて、今はまだ若僧でしかない次の次の世代にバトンタッチして、政治家としての命を終えて下さることなのです。」
 なんてすごい予言なんだ!と思ってしまいました。まさにこの通りに小泉政治は終わり、郵政改革は中途半端なまま、いままた過去の状況に引き返されようとしているかに見えます。
 塩野さんのエッセイは読んでいておもしろいです。どうしてこのくらいの、まっとうなことを考え、そして正々堂々とお書きになられる評論家やエッセイスト、文筆家が多くいないのか。
 もうひとつこの本の中でうれしかったことがあります。それは最近僕もその存在を知り、半自伝も読ませていただいた、石井米雄先生のことが紹介されていたから。(→
「道は、ひらける」石井米雄著)塩野さんの石井先生評がまたいい。
 「この人のインタビューを読んで感心した。まず、ユーモアがある。ユーモアのセンスは臨機応変のセンスとイコールな関係にあるから、政党や省庁の抵抗をかわしながら目標に到達せざるをえない組織の長としては最適な資質である。」
 「第二に、歴史という怪物を、この方はよく後存知。」そして石井先生がインタビューの中で言われた以下のような発言に特に注目されています。「最近、歴史認識という言葉が跋扈していますが、これは要注意です。たとえば、韓国人と日本人が同じ歴史認識を共有できるわけがありません。しかし、歴史事実は共有できる。アーカイブの意味と価値は、まさにそこにあるのです。」
 引用していると、止めどがなくなるのであとひとつでやめておきます。「自己反省は、絶対に一人で成さねばならない。決断を下すのも孤独だが、反省もまた孤独な行為なのである。」これはリーダーの条件としてあげられているのですが、組織のリーダーでなかったとしても、一人ひとりがこのような孤独な作業を重ねていかないといけないのではないかと思います。
 

「ドル終焉」(浜矩子著)

浜先生、最近よくマスコミに登場されます。朝のNHKラジオ等でもしばしばお声を拝聴。

この本の帯には、「二番底どころの話ではない。暴走と転落を繰り返す恐ろしい世界へ!」なんて、それこそ映画エクソシストか、ヘルハウスかというようなコピーがあります。内容は、かいつまんで戦後の国際金融のたどった道を案内してくれています。

「グローバル恐慌は、ドルの最後の舞台となる!」と本の表紙にあります。浜先生はドル弱気派なのかもしれません。確かにアメリカ経済もめちゃくちゃかもしれませんが、贅肉と成人病、生活習慣病の経済運営は、ヨーロッパも日本もかなりのものなので、これから一体全体、どうなっていくのか、誰にも予想がつかないのではないかと思います。中国を筆頭とする新興国経済はどのくらい強いものなのか。中国の不動産マーケットのバブルはどうなるのか?

それから、ヘッジファンドが悪者だという誤解をしている人が多いというご指摘は正しいと思います。

僕はそう簡単にはアメリカ帝国、「IT+金融帝国」は崩壊しないのではないかと思っています。アメリカの金融ビジネスの規模は大幅に縮小するかもしれません。でも、ドル終焉と言っても、ドルに代わってリーダーシップをとる通貨、そして国家経済はどこなのか?実はアメリカに人口が流入し、国内でも人口が増え続ける限り、アメリカはある意味、「永遠の新興国」なのではないかと思います。

最後に、「ザ・シティ 金融大冒険物語」よりかは、こちらのご著書の方がいいかなと思いました。

『勝負師と冒険家』(羽生善治、白石康次郎著)

 この前、あるところで海洋冒険家・白石康次郎さんの話をお聞きする機会があったことを書きました。この本を買ったのは、お話をお聞きする前だったと記憶しています。実は高校生の頃、ヨットで世界一周することにあこがれを持っていました。そんなこともあって白石さんに興味を持っていました。
 先日お聞きしたお話から、白石さんはとても情熱的な方だと思いましたし、お話は単にヨットのことだけでなく、彼の真摯な生き方についてでもありました。この本でも、友人である羽生善治を相手に、非常におもしろい話が展開します。もちろん、羽生さんの話も含蓄に富み、味わい深い内容です。
 白石さんの師匠の故多田雄幸さんは天才的なヨットマンだったそうですが、白石さんは論理的な勉強家だと思います。非常にバランスがとれた方だと思います。ヨットもご自身で作られるそうですが、自分でものを作っている人は現実、現場をしっかりと理解されているなと感心します。白石さんは単に情熱的なヨットマンであるだけでなく、現実主義者だと思います。
 また彼は視野が広いです。例えば、こんな発言から、彼が良い意味での国際主義者の側面も持っているなと想像します。
「スキーでもジャンプで日本人の成績がいいと、対戦国はルールをどんどん変えてくるでしょう。でも僕は、逆に健全だと思うこともある。日本人が憎いんじゃなくて、独走を許さないんだよ。強いのが出てきたら、またルールを変えるわけ。だけど、日本の場合はちょっと外国と違う。あまりルールを変えたかがらない。」
 彼のような人が、たとえば柔道の世界で上にいると面白いのではないかと思います。
 アマゾンの書評でも好意的なコメントがありますが、いい対談だと思いました。この前、お話をお聞きしたときの声の調子がよみがえってくる感じでした。 

『2020年_10年後の世界新秩序を予測する』(ロバート・シャピロ著)

第5章「ヨーロッパと日本はこのまま衰退するのか」ページ301から。

「ITから得られる利益は、企業や国がどれだけそこに資金を投入するかによって決まるのではなく、いかにITを活用するかにかかっているということだ。」

「さまざまな補助金や保護政策が市場からの圧力を鈍化させ、競争と変革を阻んでいる。これと対照的に、米国では、市場の圧力が企業にビジネス手法の革新を迫り、ITへの投資からも最大限の効果を引き出すよう迫っているのだ。」

「いかにITを活用するか」。この点で貢献していかないと、お取引いただいているIT教育、ITトレーニングで生業をたてている皆さん同様、われわれも存在することはできないと思っています。

また、高齢化、少子化が進み、変化への姿勢が守りばかりになり、また子どもたちに厳しさを教えることを避けていては、「課題先進国」日本の将来は赤信号かなとも思います。

『2012年、世界恐慌』(朝日新書)

 「百年に一度の不況」の結末を、まだわれわれは見ていないのではないかとずっと思っています。1989年をピークとする日本のバブル経済の崩壊は日本だけの問題でしたが、今回の先進国同時不況は相当重い状況なのではないかという印象がずっとあります。著者は、大学の先生とメガバンクの銀行員。かなり悲観的な内容になっていて、「われわれ庶民はどうすりゃいいの?!」となってしまいます。田舎に農地を買って(あるいは借りて)、自給自足ができるようにでもしましょうか?
 アメリカもヨーロッパも、そして日本も、すべて政府部門の赤字が第二次世界大戦中くらいの水準になってきているわけですが、民主主義の制度下において劇的に国民の生活水準を下げるようなことは、なかなか強制できるはずもありません。ギリシアはどうなるのでしょうか。脆弱な基盤の上に築かれてきたEUが今回の不況を克服することができるのか。カネの切れ目が縁の切れ目になるのか。またアメリカの資本主義、特に金融業界の制度が変わっていくのかどうかにも興味があります。
 この本にかえると、破綻した財政(=大量に発行された赤字国債)をチャラにするには、インフレしかないのではないかということになります。最悪1945年8月に帰っていくのかなと、ぼんやり思ったりしています。

『あなたの若さを殺す敵』(丸山健二著)

 以前ご紹介した『田舎暮らしに殺されない法』に次ぐ、朝日新聞出版からのエッセイ。丸山さんのような作家は、強烈なファンと、生理的に受け入れられないという人に大きく分かれるのではないかと思います。僕は強烈なファンではありませんが、群れたがる人間を軽蔑し、集団に埋没することを良しとしない姿勢をずっと貫いてきたことには敬意を表します。それは決して日本社会においては容易いことではないから。
 この本でも、著者は読者にも自己に厳しい生き方を要求しています。きっと反発を覚える方もいることと思います。でも、反発をするような読者は始めっから丸山さんの本なんて買わないのでしょうね。

サンフランシスコ映画祭、そして禅僧の話

アメリカで仏教がのびているという話をいろいろな方からお聞きしたことがあります。昨年、オデッセイマガジンにでていただくためにお会いした花園大学の佐々木先生もおっしゃっていました。San Francisco Zen Center のメルマガで、今開催されているサンフランシスコ映画祭で、いかのような映画が上映されていることを知りました。
THE PRACTICE OF THE WILD
詩人で禅の修行のため日本にも長く滞在していたGary Snyder を取り上げた映画。
ついでに、こんな映画も上映されているようです。
THE INVENTION OF DR. NAKAMATS
デンマーク人の監督のようですが、なんでまたドクター中松に関心を持ったのか、ちょっと観てみたい映画です。

で、「禅僧の話」です。この前一度ご紹介した河合隼雄先生の「ユング心理学と仏教」のなかにこんな話が紹介されています。

 二人の僧が旅に出て、川に行きあたります。その川は誰も歩いて渡るほかはありません。そこに美しい女性がきて、川の中にはいるのを嫌がっているように見えます。すぐさま、一人の僧は彼女を抱いてその川を渡りました。向こう岸で彼らは別れ、二人の僧は旅を続けました。しばらく黙って歩き続けましたが、一人の僧が口を開きました。「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ。」もう一人の僧は答えました。「確かに俺はおの女を抱いて川を渡った。しかし川を渡った後で、彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を抱いているのか」と。

 含みのある話でおもしろいなと思います。

『道は、ひらける』(石井米雄著)

 昨夜、『20歳のときに知っておきたかったこと』があまり面白くなかったと書きましたが、決して悪い本ではありません。ただ20歳のひとには、代わって薦めたいのが、この本。去年8月27日付けの日経新聞夕刊で拝見した記事がおもしろかったので、買ってみた本です。著者は、タイ研究の一人者で、経歴からするとすごいエリートのようですが(外務省→京大東南アジア研究所センター所長→上智大学アジア文化研究所所長などなど)、ご本を拝見すると決して近寄りがたい学者ではなく、大学(東京外大)中退、外務省もノンキャリアというかたで、ご自分の関心あることを、ゆっくりと根気づよく勉強されてきた方。1929年のお生まれなので、現在80歳か81歳でしょうか。
 日経新聞の記事で僕がいいなと思ったお話が法学の問題点のご指摘。「法学はある枠組みがあって、その中で論理的な整合性を考える。枠そのものについては疑いを持たない。外務省は東大法学部をはじめ法学を学んだ人がたくさんいますから、法学的思考にはいやと言うほど遭遇しました。」そして「学問は柔軟性や自由な発想が不可欠。予算や評価制度を含めてそれを縛りつけているのが今の日本です。大きな成果には大きなリスクが伴う。大きな判断をするには腹がすわっていないとだめです。日本全部が係長になってしまってはいけません」。また、記事の見出しとなっている、「定説はまち針、縛られるな」という言葉もいいなと思います。
 役所も含めてですが、このようなご経歴の方が存在しうる社会(それは懐が深い社会ということでしょう)であってほしい。カネを持っている人間がえらそうにしている社会はつまらない。