『勝負師と冒険家』(羽生善治、白石康次郎著)

 この前、あるところで海洋冒険家・白石康次郎さんの話をお聞きする機会があったことを書きました。この本を買ったのは、お話をお聞きする前だったと記憶しています。実は高校生の頃、ヨットで世界一周することにあこがれを持っていました。そんなこともあって白石さんに興味を持っていました。
 先日お聞きしたお話から、白石さんはとても情熱的な方だと思いましたし、お話は単にヨットのことだけでなく、彼の真摯な生き方についてでもありました。この本でも、友人である羽生善治を相手に、非常におもしろい話が展開します。もちろん、羽生さんの話も含蓄に富み、味わい深い内容です。
 白石さんの師匠の故多田雄幸さんは天才的なヨットマンだったそうですが、白石さんは論理的な勉強家だと思います。非常にバランスがとれた方だと思います。ヨットもご自身で作られるそうですが、自分でものを作っている人は現実、現場をしっかりと理解されているなと感心します。白石さんは単に情熱的なヨットマンであるだけでなく、現実主義者だと思います。
 また彼は視野が広いです。例えば、こんな発言から、彼が良い意味での国際主義者の側面も持っているなと想像します。
「スキーでもジャンプで日本人の成績がいいと、対戦国はルールをどんどん変えてくるでしょう。でも僕は、逆に健全だと思うこともある。日本人が憎いんじゃなくて、独走を許さないんだよ。強いのが出てきたら、またルールを変えるわけ。だけど、日本の場合はちょっと外国と違う。あまりルールを変えたかがらない。」
 彼のような人が、たとえば柔道の世界で上にいると面白いのではないかと思います。
 アマゾンの書評でも好意的なコメントがありますが、いい対談だと思いました。この前、お話をお聞きしたときの声の調子がよみがえってくる感じでした。 

『2020年_10年後の世界新秩序を予測する』(ロバート・シャピロ著)

第5章「ヨーロッパと日本はこのまま衰退するのか」ページ301から。

「ITから得られる利益は、企業や国がどれだけそこに資金を投入するかによって決まるのではなく、いかにITを活用するかにかかっているということだ。」

「さまざまな補助金や保護政策が市場からの圧力を鈍化させ、競争と変革を阻んでいる。これと対照的に、米国では、市場の圧力が企業にビジネス手法の革新を迫り、ITへの投資からも最大限の効果を引き出すよう迫っているのだ。」

「いかにITを活用するか」。この点で貢献していかないと、お取引いただいているIT教育、ITトレーニングで生業をたてている皆さん同様、われわれも存在することはできないと思っています。

また、高齢化、少子化が進み、変化への姿勢が守りばかりになり、また子どもたちに厳しさを教えることを避けていては、「課題先進国」日本の将来は赤信号かなとも思います。

『2012年、世界恐慌』(朝日新書)

 「百年に一度の不況」の結末を、まだわれわれは見ていないのではないかとずっと思っています。1989年をピークとする日本のバブル経済の崩壊は日本だけの問題でしたが、今回の先進国同時不況は相当重い状況なのではないかという印象がずっとあります。著者は、大学の先生とメガバンクの銀行員。かなり悲観的な内容になっていて、「われわれ庶民はどうすりゃいいの?!」となってしまいます。田舎に農地を買って(あるいは借りて)、自給自足ができるようにでもしましょうか?
 アメリカもヨーロッパも、そして日本も、すべて政府部門の赤字が第二次世界大戦中くらいの水準になってきているわけですが、民主主義の制度下において劇的に国民の生活水準を下げるようなことは、なかなか強制できるはずもありません。ギリシアはどうなるのでしょうか。脆弱な基盤の上に築かれてきたEUが今回の不況を克服することができるのか。カネの切れ目が縁の切れ目になるのか。またアメリカの資本主義、特に金融業界の制度が変わっていくのかどうかにも興味があります。
 この本にかえると、破綻した財政(=大量に発行された赤字国債)をチャラにするには、インフレしかないのではないかということになります。最悪1945年8月に帰っていくのかなと、ぼんやり思ったりしています。

『あなたの若さを殺す敵』(丸山健二著)

 以前ご紹介した『田舎暮らしに殺されない法』に次ぐ、朝日新聞出版からのエッセイ。丸山さんのような作家は、強烈なファンと、生理的に受け入れられないという人に大きく分かれるのではないかと思います。僕は強烈なファンではありませんが、群れたがる人間を軽蔑し、集団に埋没することを良しとしない姿勢をずっと貫いてきたことには敬意を表します。それは決して日本社会においては容易いことではないから。
 この本でも、著者は読者にも自己に厳しい生き方を要求しています。きっと反発を覚える方もいることと思います。でも、反発をするような読者は始めっから丸山さんの本なんて買わないのでしょうね。

サンフランシスコ映画祭、そして禅僧の話

アメリカで仏教がのびているという話をいろいろな方からお聞きしたことがあります。昨年、オデッセイマガジンにでていただくためにお会いした花園大学の佐々木先生もおっしゃっていました。San Francisco Zen Center のメルマガで、今開催されているサンフランシスコ映画祭で、いかのような映画が上映されていることを知りました。
THE PRACTICE OF THE WILD
詩人で禅の修行のため日本にも長く滞在していたGary Snyder を取り上げた映画。
ついでに、こんな映画も上映されているようです。
THE INVENTION OF DR. NAKAMATS
デンマーク人の監督のようですが、なんでまたドクター中松に関心を持ったのか、ちょっと観てみたい映画です。

で、「禅僧の話」です。この前一度ご紹介した河合隼雄先生の「ユング心理学と仏教」のなかにこんな話が紹介されています。

 二人の僧が旅に出て、川に行きあたります。その川は誰も歩いて渡るほかはありません。そこに美しい女性がきて、川の中にはいるのを嫌がっているように見えます。すぐさま、一人の僧は彼女を抱いてその川を渡りました。向こう岸で彼らは別れ、二人の僧は旅を続けました。しばらく黙って歩き続けましたが、一人の僧が口を開きました。「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ。」もう一人の僧は答えました。「確かに俺はおの女を抱いて川を渡った。しかし川を渡った後で、彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を抱いているのか」と。

 含みのある話でおもしろいなと思います。

『道は、ひらける』(石井米雄著)

 昨夜、『20歳のときに知っておきたかったこと』があまり面白くなかったと書きましたが、決して悪い本ではありません。ただ20歳のひとには、代わって薦めたいのが、この本。去年8月27日付けの日経新聞夕刊で拝見した記事がおもしろかったので、買ってみた本です。著者は、タイ研究の一人者で、経歴からするとすごいエリートのようですが(外務省→京大東南アジア研究所センター所長→上智大学アジア文化研究所所長などなど)、ご本を拝見すると決して近寄りがたい学者ではなく、大学(東京外大)中退、外務省もノンキャリアというかたで、ご自分の関心あることを、ゆっくりと根気づよく勉強されてきた方。1929年のお生まれなので、現在80歳か81歳でしょうか。
 日経新聞の記事で僕がいいなと思ったお話が法学の問題点のご指摘。「法学はある枠組みがあって、その中で論理的な整合性を考える。枠そのものについては疑いを持たない。外務省は東大法学部をはじめ法学を学んだ人がたくさんいますから、法学的思考にはいやと言うほど遭遇しました。」そして「学問は柔軟性や自由な発想が不可欠。予算や評価制度を含めてそれを縛りつけているのが今の日本です。大きな成果には大きなリスクが伴う。大きな判断をするには腹がすわっていないとだめです。日本全部が係長になってしまってはいけません」。また、記事の見出しとなっている、「定説はまち針、縛られるな」という言葉もいいなと思います。
 役所も含めてですが、このようなご経歴の方が存在しうる社会(それは懐が深い社会ということでしょう)であってほしい。カネを持っている人間がえらそうにしている社会はつまらない。

『20歳のときに知っておきたかったこと_スタンフォード大学集中講義』

もう僕が年を取りすぎたのか、それともこの本が楽観主義のアメリカのエリート大学に通っている、恵まれた学生たち相手の講義をもとに出来上がった本でなんとなく深みを感じられなかったからなのか、期待したほどこの本には引かれませんでした。自画自賛になるかもしれませんが、僕の最初の出版プロジェクトになった、『グラデュエーションデイ』の方が、ずっといい本だと思います。→『グラデュエーションデイ』
今振り返ってみても、20歳のときに知っておきたかったことは、その時点においても、かなりのことを「知っていた」ように思います。問題は、それらのことが肚に落ちていたのか、行動を起こしたのか?答えはノーということが多いかもしれません。裏を返すと、実のところは「知っていなかった」ということなのかもしれません。あるいは自分は十分勇気を持っていなかった、ということか。
もう20歳の頃のことなんて言っていられません。50歳にもなれば、人生の終わり方を考えて行かないといけない年齢ですから。

ある仏教説話_「エゴ」あるいは「われ」ということ

今読んでいる『ユング心理学と仏教』(心理療法コレクションV、河合隼雄著、岩波現代文庫)で、河合先生が紹介されている仏教説話。子供のときに読んで記憶に残っているお話だとか。

 ある旅人が一軒家で一夜を明かすことになりました。夜中に一匹の鬼が人間の死骸をかついで来ました。すぐ後にもう一匹の鬼が来て、その死骸は自分のものだと争いますが決着がつきません。そこで二匹の鬼は旅人に判断を仰ぎました。旅人が最初の鬼のものだと言うと、後から来た鬼は怒って旅人の手を体から引き抜きました。それを見た先の鬼は死骸の手を抜きとって代わりにつけてくれました。他の鬼はますます怒り、もう一方の腕を引き抜くと、また先に来た鬼が死骸のを取ってつけてくれる。こんなことをどんどんやっているうちに、旅人と死骸の体はすっかり入れ代わってしまいました。二匹の鬼はそうなると争うのをやめ、死骸を半分ずつ食べて行ってしまいました。驚いたのは旅人です。自分の体は鬼に食われてしまったのですから、今生きている自分が、いったいほんとうの自分かどうかわからなくて困ってしまいます。(中略)
 旅人は困って坊さんに相談しました。坊さんは「あなたの体がなくなったのは、何も今に始まったことではないのです。いったい、人間のこの「われ」というものは、いろいろの要素が集まって仮にこの世に出来上がっただけのもので、愚かな人達はその「われ」に捉えられいろいろ苦しみもしますが、一度この「われ」というものが、ほんとうはどういうものかということがわかって見れば、そういう苦しみは一度になくなってしまうのです。」

ゼロ年代の50冊

朝日新聞の読書コーナーで取り上げられていた「ゼロ年代の50冊」。この10年間で出版された本のうちから50冊を選んだもの。1位から10位までのなかで読んでみたいと思っている本は以下の通り。
1位 「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著)
4位 「磁力と重力の発見」(山本義隆著)→これはかってあるけどまだ読んでいない
5位 「遠い崖」(萩原延壽著)
7位 「木村蒹葭堂のサロン」(中村真一郎著)

『提督伊藤整一の生涯』(吉田満著)

 香港からの帰りの機内で読み終えた本。著者の吉田満さんは、『戦艦大和ノ最期』の著者。1923年生まれ、44年東京帝国大学法学部繰り上げ卒業、学徒出陣で海軍に入隊、45年4月副電測士として戦艦大和に乗り込み、沖縄特攻作戦に参加するも生還。戦後は日本銀行に入行、1979年日銀監事在職中に亡くなられたという方。
 主人公である伊藤整一は、日本海軍最後の艦隊出撃、沖縄特攻作戦の戦艦大和の司令長官。
 この本のあとがきで、著者は以下のように述べています。「われわれはあの戦争が自分にとって真実何であったかを問い直すべきであり、そのためには、戦争の実態と、戦争に命運を賭けなければならなかった人間の生涯とを、戦後の時代を見通した展望のもとで見直すことが、緊急の課題だと考えたからである。戦後の出発点にあたって、この課題を軽視し看過したことが、今日の混迷につながっているというのが、わたしの認識であった。」
 この言葉は昭和48年(1973年)から49年(1974年)にかけて発表された、戦艦大和とともに亡くなられたふたりの青年の短い評伝に関連して書かれたものですが、現在の日本においてもまったく同じ混迷は続き、もっと深刻になっていると言えます。
 その混迷は、もう一度、戦後の出発点に返ってみないかぎり、解決することはできないのではないかと思います。でも、戦後、安直に金儲けをすることをずっと追求してきた日本人には、原点に返りもう一度愚直に歴史の教訓を学び返してみるという仕事は、我慢できない作業なのではないかと思います。
 組織の長たる人間の責任の取り方、戦略的な意思決定のあり方(日本の組織においてそのような意思決定がなされてきたのかという反省!)に関する「歴史の教訓」だけでなく、武人の心のうちに秘められた柔らかな部分を教えてくれる本でした。
 ちなみに、この本の著者の吉田満さんの長男、吉田望さんには、「アイデアエクスチェンジ」に出演いただいてます。
アイデアエクスチェンジ「吉田望さん」