ASTD初参加。

以前から一度行ってみたいと思っていた、ASTD(American Society for Training & Development) の全国大会に初めて参加。(会場ダラスコンベンションセンター、2013年5月20、21、22日)

オデッセイコミュニケーションズが昨年出資したアレン・インターアクションズもブースを出展。

ASTDは世界でも有数の人材育成に携わる職業人たちの集まりで、アメリカだけでなく、アジア(韓国、台湾、中国、日本など)、ヨーロッパ、ラテンアメリカからも参加者がありました。毎朝8時から講演があり、おもしろい会社や個人の方とお会いすることができました。

アレンは創業者のマイケル・アレンが主要講演者のひとりで、彼の講演には多数の人が集まり、ぎりぎりに行った僕は、一回目の講演には入場制限にひっかかり、翌日あった同じ内容の講演を聴くことになりました。

マイケルは一昨年のASTDの大会でこれまでの功績に対して表彰もされています(以下、記事へのリンク)

ASTD Presents Michael Allen with its Distinguished Contribution to Workplace Learning and Performance Award

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内からの「グローバル化」を怖れる必要はない。

うちの会社も時々新聞広告を出すので、新聞社の広告局のひとたちと、すこしばかりはおつきあいがあります。今日も、某全国紙の方がお見えになりましたが、「グローバル化の必要性を言っているうちの会社も、経営陣はまったく国際化する気なんて、ないんです」という話を聞かされました。

「どうしてないんですか?」というボクの質問に、「外の人に内情をみられると、恥ずかしいので、できないのです」というお答え。

それに対して、「大丈夫、絶対にお宅の新聞社にも、自分たちが気づいていない、素晴らしいところがあるはずだ。ひとつだけでなく、きっといくつもいいところがあるはずだ。それを自分たちがわかっていないのではないか?怖れることはない、優秀な外部の人間にも、すこしずつ見せていけばいい」と、ボクの意見を言わせてもらいました。

江戸時代の終わり、欧米諸国の力を見せられたとき、われわれの先輩たちは、必死に追いつく努力をしました。

でも、彼らは大きな間違いも犯しました。それは自分たちのいいところ、素晴らしいところを、捨てようとしたり、過小評価したこと。素晴らしい芸術作品が、二束三文の値段で海外に売られていったことは、その一例です。自分たちの歴史や文化作品の、「普遍的価値」をよくわかっていなかった。それら作品の価値を認め、評価したのは、欧米の審美家たちだった。

また、太平洋戦争では、正反対に、自分たちの立場を、相対的に観ようとせず、独りよがりになってしまったのではないか?欧米の植民地主義にたいする大義名分がなかったわけではないけども、普遍的な魅力を持つ議論に発展させ、さらにそれを自らが実践しようとしなかったことに、大きな失敗の原因があるのではないか?

うちの会社のレベルでも、海外のお取り引き先から、非常に高く評価されていることが、いくつもあります。彼らに、まねることの出来ないことが、いくつもあります。

独りよがりの自信やうぬぼれではなく、まず自分自身を知ること、自分自身を大切にすること(甘やかすことではありません)。誰にも、どの企業にも、必ずいいところはある。ましてや何十年も存在してきた企業には、絶対に素晴らしいところがあるはず。

もっと自信をもって、内側に、自分たちとは異なる人材も入れてみること。きっとそこから、本当の意味でのグローバル化が始まると思う。

これぞ「商売の心構え」!

「資本主義の精神とはなにか?」なんて大きく構えることは、ボクみたいなクロイヌには似合わないと思っているので、「商売の心構え、とは」ということで書きますが、この「謙虚、誠実、勤勉」という言葉は、ほぼ毎週末買い物に行くスーパーマーケット「OK」にある看板で、まさに「商売の心構え」そのものではないかと、いつも思っています。

それも単に「謙虚、誠実、勤勉」であれ、というのではありません。

「極めて謙虚、極めて誠実、極めて勤勉であれ」と、これ以上ないほどに、強烈なメッセージなのです。

この会社の社長は飯田勧さんと言って、ボクはお会いしたことはありませんが、新聞の広告でお顔を拝見したことがあります。飯田さんのご兄弟は、日本でも有数の起業家たちの集まりで、長兄・博さんは「岡永」会長兼「日本名門酒会」最高顧問、次兄・保さんは居酒屋チェーン「天狗」のテンアライドの最高顧問。末弟の飯田亮さんはセコムの創業者で現在最高顧問となられていますが、実際はいまなおセコムの最高実力者です。ちょっと自慢させてもらうと、数年前、ボクはこの飯田亮さんには一度だけお目にかかったことがあり、1時間ほどマンツーマンでお話させていただきました。クロイヌは飯田兄弟のファンです。


毎週末、オーケーに翌週の「ご飯」を仕入れにいくのが、クロイヌの楽しみの一つ。写真は今朝撮りました。(写真をクリックしていただくと、メッセージがよく読めます)


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Img_1179クウ太郎、今朝、動物病院で。

エチオピアから来た靴-SoleRebels

先日、BBC World Newsチャンネルの"Ideas Exchange"という番組で、30代のエチオピア女性起業家が始めたオーガニックな靴の会社のことを初めて知りました。(見た番組は、こちら→BBC News)まだ年商は決して大きくないようですが、関心を持ったのでネットで調べてみると日本でもこの会社の靴が販売されているので注文してみました。先ほど届いたのですぐに試してみましたが、柔らかく、裸足で履くのが気持ちいい靴で、とても気に入りました。

テレビで観た創業者の女性も魅力的でした。これからの展開が楽しみにな、アフリカのemerging company!

SoleRebels Japan

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空港も変わっていく予感。

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この前羽田で国内便に乗ったとき、ターミナルに伊勢丹が入っていて驚きました。セレクトショップ風の品揃えで、「ゲーテ」や「レオン」で紹介されているような「男の小物」もあり、財布を引き締めながらさっさと店内を見て歩きました。

ここ数年、鉄道や地下鉄の駅構内がどんどんシッピングエリア化しています。デパートもうかうかしていられない状況です。

国際線のターミナル内には、免税店があって、空いた時間にウィンドーショッピングを楽しんでいましたが、これからは空港内で買い物をすることがますます増えるような気がします。買い物をゆっくり楽しむというような時間的余裕がなくなっていて、移動中の「すき間時間」を利用してでも買い物をしようという消費者のニーズを、企業側が掘り起こしているということでしょうか。

海外の空港内にはミニ美術館が入っていたりします。ヒースローのターミナルにはハロッズが入っていたりもします。先日の新聞によると、羽田空港で移動中の著名人に講演をおこなってもらおうという考えもあるようです。買い物はもちろんのこと、空港内における「婚活」、「コンサート」、「講演・講義」、「写真展」などなど、いろいろなイベントがでてくるかもしれません。これまで顧客を安全に、気持ちよく移動させることが主たる役目だった航空会社や空港管理会社の提供する価値が、すこしずつ変わっていくような気がします。

サイズのインフレ

先日、雑誌「エコノミスト」を読んでいたら、過去何十年かの間で、表示されている服のサイズが大きく変わってきているという記事がありました。("Size inflation": Why a size 10 is really a size 14)サイズ10と表示してあっても、かつてのサイズ14と同じ大きさからもしれないから、自分はかつてと同じスタイルを維持できているなんて、幻想を持たないことだという趣旨の記事でした。

リンクを貼った記事にあるグラフを見てもらいたいのですが、イギリスにおいて、1975年、女性服のサイズ10はウェストが24インチだったのが、2010年には28インチちかくにまでなっています。

女性服だけでなく、男性服にも言えることらしいのです。サイズがどんどん大きくなっていくと、購買意欲に悪影響があるので、小さめのサイズ表示でお客さんをいい気持ちにしようとする風潮が続いているということです。

減量に成功する(→スタイルが改善する)と、新しいファッションに挑戦したくなるのが人間の心理かと思います。

僕の場合は、まだそれほど減量に成功していないし、たとえ減量できたとしてもいまのスタイルが改善するかどうか、怪しいもの。最近はカジュアルな服で会社に行くことが多いので、かつてほど、スーツを買ったりすることはなくなりました。でも、たまに買うときには、ひとつでも小さめのサイズの服が入ると、うれしくなったりするので、「サイズのインフレ」(あるいは「まやかしのサイズ表示」と言った方が正確かな?)の心理的効果は確かにあるなと思います。

いわゆる「大手」とか「名門」とか、なのぼのものなの?

生まれてからずっとこの方、いわゆる「大手」とか、「名門」と呼ばれる会社や組織と、あまり縁がありません。卒業した大学、ビジネススクールは、いちおう「有名」どころに入るのかもしれませんが。

ずっと感じていることですが、日本で言うところの「大手企業」とか「名門企業」って、なんぼのものなのでしょうか?
案外せこい商売やっていたりするし、なりふり構わずというような行動をとることもあるし。あるいは意思決定者の腰が座っていなかったり、信じられないほど穴があいていたりすることもあります。

「最低限、法律に反していなけりゃいいでしょう」なんて、「名門企業」「大手企業」に言われると、「でも、法律以上のことをやるから『名門企業』って言われるのでは?」なんて思ったりもします。

でもほとんどの人は「大手企業」や「名門企業」と言われるところに対して、かなりの安心感や信頼感を持っていたりします。あそこの商品だから、まあ問題はないだろう。なにか問題があったとしてもちゃんと対応してくれるだろう、って。

問題が起こったとき、実態が見えてくることがあり、また懐の深さがわかったりします。平時、特別大きな問題が起こらず、大きな変化が発生しない限り、「大手企業」や「名門企業」の「なんとなくクリスタル」なブランドはそれなりに輝いているのですが、ちょっと問題が起こると案外もろいものだな、平気で裏切るんだな、まったくプライドなんてないんだな、というようなことが。

昨年の東日本大震災は、「大手企業」「名門企業」と言われてきたところで、どこがホンモノで、どこがニセモノかの、ひとつのリトマス試験紙だったように思います。

国内経済が右下がりになり、個々の企業でも余裕が無くなってくると、ホンモノとニセモノがこれまで以上に見えてくるだろうと想像します。うちの会社は吹けば飛んで行くような零細企業ですが、やっぱりニセモノだった、と言われたくないので、やせ我慢してでもホンモノをめざします。

メガバンク合併を巡る当事者の裏話。

1月16日朝刊の朝日新聞「再編を生き抜く」というシリーズで、住友信託銀行前会長の高橋さんが興味深い「証言」をしている。日本の銀行界に関するおもしろい記事はすくないけど、これは珍しく興味深い記事だと思った。

どういう内容かというと、2004年のUFJ(旧三和銀行)の三菱東京による吸収合併に関して、その前からUFJ側は、「三菱は相手としてありえない。やるなら関西同士で、住友だ」と言っていたのに、どうして三菱といっしょになったのか、その疑問が最近出版された三井住友フィナンシャルグループの西川社長(2004年当時)の回顧録「ザ・バンカー」で解けた、というもの。

はしょって結論だけ書くと、UFJからアプローチを受けた西川さんが、部下の幹部行員たちの意見を聞いて、UFJとの話を進めなかったということが、その本の中に書かれているらしい。西川さんは、「正直に申せば、大魚を逸した」と総括されているとのことで、高橋さんは、三井住友フィナンシャルグループは大局観を欠いていたことが今もって悔やまれるとまで記事の中で発言されている。

日本は、アメリカやヨーロッパと比べると、首相を始めとする政策決定者の回顧録でまともな内容のものが少ないようにいつも思っている。歴史を大切にし、過去のケースをしっかり勉強してそれらから学んでいくためにも、当事者には詳細な回顧録を残してもらいたいと思う。ビジネス書も同様で、「私の履歴書」程度のものしかない。西川さんの本も読もうとは思っていなかったのだけど、昨日の朝日新聞の記事を読んで、ちょっと興味を持った。

ところで、UFJと三菱東京の合併に関して、いつも思うことがある。それは、うちの会社が入っているビルには、旧三菱銀行のATMがあるのだけど、隣のビルにある旧UFJのATMと比べると、スピードが遅い。それもかなり遅いように思う。いまでは同じ、三菱東京UFJという看板を掲げていても、旧銀行のシステムが別々に動いているのか(詳細はまったく知らないので勝手な想像)、旧UFJのATMの方に好感をずっと持っている。ところが、吸収合併された側の悲哀で、システム全体をUFJ側にそろえることなく、バラバラのままになっているのだろうか。日本のメガバンク同士の合併で本当に理にかなった意思決定とその後の統合作業が行われたケース(たとえ合併される側であろうと、優れたシステムや人材をそろえていたとすると、それらの資源が十二分に活用されることを含め)があるのか、疑問だ。

ビジネス関連の書籍(回顧録)というと、「私の履歴書」程度しか思いつかないというのもちょっとさびしい話で、内容を伴った回顧録を、渦中の当事者がしっかり残してくれるようになるといいのにと思う。それがハーバードビジネススクール風に言うと、ケーススタディのための好材料になるわけだから。

追記
本当に蛇足ですが、新潮新書ででている某元総理の回顧録を読むと、よくもまあ、こんな軽い人が一時期とは言え、日本の総理大臣を務めていたものだと思ったことがあります。戦後の政治家で、まともな回顧録を残した人って、だれでしょうか?(吉田茂?)

格付け会社「ヴィジオ」

今朝の朝日新聞(オピニオンページ)の「ザ・コラム」というコーナーで、大野編集委員が、ヴィジオというフランスの格付け会社を紹介している。90年代半ばまで10年間金融業界で働いたボクも初めて聞いた社名。

この会社は、SRI(社会的責任投資)に参考となる格付けを提供している会社だという。採点には、財務データよりも、コーポレートガバナンスや環境、雇用への取り組みを評価基準としている。この会社の格付けで、東京電力は2年も前からかなり低い評価を受けていて、とりわけ評価が低かったのが企業統治部門。100点満点中、たったの2点だったという。3.11以降の東電を見ると、この格付け機関の「宣託」のあまりにも正確な「先見性」に驚く。環境部門も悪く、07年の柏崎原発の放射能漏れ事故後の情報公開があまりされていない、自然エネルギーへの熱意がないということで、7点しか与えられていないとか。

記事によると、ヴィジオから情報を買っているのは100機関、欧州勢が大半で、日本からは2社のみ。

今年改めて思ったことだけど、日本はまだまだ「発展途上国」モデルから卒業できていないのかもしれない。多くの企業は、目先の利益、利害を優先し、個人や家族、コミュニティの利益に配慮することが不十分に思う。理念も持たず、ただ大きなものに流されていくだけ。理念では食えないと思っている人が多いけど、理念がないから付和雷同になり、利益率も低い企業活動しかできず、ある程度の豊かさを達成しているのに幸福度が低い社会になっていると言えるのではないだろうか。

もしドラッカーが日本赤十字の社長だったら。

 ドラッカーはマネジメント(経営)は、企業だけでなく、非営利事業団においても重要だと言っていた。いや、非営利団体においてこそ、マネジメントは大切だとまで言っていたような記憶がある。

 今回の東日本大震災にあたって、多額の義援金が国内、国外から集まっていると聞いている。うちの会社も、社員の提案で、「あなたのがんばり、被災地へ届け」というキャンペーンを行っている。(→キャンペーンHP)

 でも「いいこと」を実行することは、実はものすごく難しい。英語でもこんな言葉がある。Good will does not always lead to good results. (善意は必ずしも、いい結果につながっているわけではない。)善意を、いい結果につなげるには、マネジメント力が必要だ。この部分を僕らは忘れがちだし、見落としがちだ。気持ちだけでは、いい結果にはつながらない。知恵、そして人間の本性というか、人間の性(さが)を見通す力が必要になってくる。いつまでも援助モードでいるのではなく、適当なところで『自立支援モード」に移っていかないと、人はいつの間にか「依存モード」から抜け出せなくなってしまう。気仙沼の魚市場の再開を漁業組合の人たちが話し合っている風景をテレビで見たけど、海の男たちの心意気を感じて、僕は「勇気をもらった」。

 うちの会社でも、ふたつの奨学金制度をやっている。ひとつは「オデッセイIT奨学金」、もうひとつは「オデッセイコミュニケーションズ奨学金」。前者は、AFS高校留学の支援、後者は一橋大学の学生への奨学金。当然、善意でスタートしているのだけど、こちらが意図するような人に、有効にお金を使ってもらうような結果につなげていくのは、簡単なことではない。チャリティやボランティアというのは、「マネジメント力」が必要なのだ。(でも、それをしっかりと認識している人は、本当に少ない)

 僕のビジネススクールのクラスメイトで、アメリカの赤十字に勤務している人がいた。2007年にボストンであった卒業20周年パーティで会ったとき、「民間セクターで働いた後、公的な事業に貢献したくて、いまは赤十字にいる」と言っていた。彼はまだアメリカの赤十字にいるのだろうか。

 いま、日本赤十字をはじめとする各種団体には、多額の義援金が集まっていると聞く。彼らにマネジメント力があることを心から願っている。