メガバンク合併を巡る当事者の裏話。

1月16日朝刊の朝日新聞「再編を生き抜く」というシリーズで、住友信託銀行前会長の高橋さんが興味深い「証言」をしている。日本の銀行界に関するおもしろい記事はすくないけど、これは珍しく興味深い記事だと思った。

どういう内容かというと、2004年のUFJ(旧三和銀行)の三菱東京による吸収合併に関して、その前からUFJ側は、「三菱は相手としてありえない。やるなら関西同士で、住友だ」と言っていたのに、どうして三菱といっしょになったのか、その疑問が最近出版された三井住友フィナンシャルグループの西川社長(2004年当時)の回顧録「ザ・バンカー」で解けた、というもの。

はしょって結論だけ書くと、UFJからアプローチを受けた西川さんが、部下の幹部行員たちの意見を聞いて、UFJとの話を進めなかったということが、その本の中に書かれているらしい。西川さんは、「正直に申せば、大魚を逸した」と総括されているとのことで、高橋さんは、三井住友フィナンシャルグループは大局観を欠いていたことが今もって悔やまれるとまで記事の中で発言されている。

日本は、アメリカやヨーロッパと比べると、首相を始めとする政策決定者の回顧録でまともな内容のものが少ないようにいつも思っている。歴史を大切にし、過去のケースをしっかり勉強してそれらから学んでいくためにも、当事者には詳細な回顧録を残してもらいたいと思う。ビジネス書も同様で、「私の履歴書」程度のものしかない。西川さんの本も読もうとは思っていなかったのだけど、昨日の朝日新聞の記事を読んで、ちょっと興味を持った。

ところで、UFJと三菱東京の合併に関して、いつも思うことがある。それは、うちの会社が入っているビルには、旧三菱銀行のATMがあるのだけど、隣のビルにある旧UFJのATMと比べると、スピードが遅い。それもかなり遅いように思う。いまでは同じ、三菱東京UFJという看板を掲げていても、旧銀行のシステムが別々に動いているのか(詳細はまったく知らないので勝手な想像)、旧UFJのATMの方に好感をずっと持っている。ところが、吸収合併された側の悲哀で、システム全体をUFJ側にそろえることなく、バラバラのままになっているのだろうか。日本のメガバンク同士の合併で本当に理にかなった意思決定とその後の統合作業が行われたケース(たとえ合併される側であろうと、優れたシステムや人材をそろえていたとすると、それらの資源が十二分に活用されることを含め)があるのか、疑問だ。

ビジネス関連の書籍(回顧録)というと、「私の履歴書」程度しか思いつかないというのもちょっとさびしい話で、内容を伴った回顧録を、渦中の当事者がしっかり残してくれるようになるといいのにと思う。それがハーバードビジネススクール風に言うと、ケーススタディのための好材料になるわけだから。

追記
本当に蛇足ですが、新潮新書ででている某元総理の回顧録を読むと、よくもまあ、こんな軽い人が一時期とは言え、日本の総理大臣を務めていたものだと思ったことがあります。戦後の政治家で、まともな回顧録を残した人って、だれでしょうか?(吉田茂?)