「実体を変えない仕事は意味がない」

 タイトルの言葉は、今日の日経新聞「インタビュー_領空侵犯」にでてた三菱ケミカルホールディングス社長・小林善光さんの言葉。「マネーの世界にはスイッチ一つで、もうかった、もうからないというビジネスがある。楽ですよ。私は自然科学で育った人間ですから、実体を変えない仕事は意味がないと思います。仮想的なものは体質的にウソっぽく見えてしまうんです」
 そのほか、メモした言葉。
「経営に二面性はやむを得ない。高い理想を掲げながら、現実の問題に対処しているわけです」
「今の経営学は企業のやっていることを、後から整理するだけでしょう。何が面白いのですか」
「後講釈の経営学は要りません。(中略)いまだに欧米の学説を翻訳しているような学者が多いのではないですか」
「MOS(=Master of Sustainability、時間軸、永続性を考えた経営)の理念に基づく日本発の経営学をぜひ発信してもらいたい」
 理学博士でもある経営者の発想はおもしろい!

モノの消費時代からの卒業。

 アメリカ滞在中、ホテルのテレビでCNNの株式情報をみていたら、コメンテーターが「アメリカは消費経済。皆さんが消費しないと経済は良くなりません!」と叫んでいた。確かに、日本企業もアメリカの皆さんにモノを買ってもらって助かっているのはわかっているけど、「アリとキリギリス」の話に例えて言うと、キリギリスの役を続け過ぎではないかと思う。またわれわれ(日本、ドイツ、中国など、過剰貯蓄、過剰生産の国々)も、過度なほどにアリであり続けることを良しとしてきた面もあるかもしれないし、アメリカの消費市場に頼りすぎたし、アメリカの消費社会を「容認」し過ぎてきたと思う。アメリカと日独はどちらもバランスがとれていない。
 アメリカで買って来た本の一冊は、"TINY Houses" (RIZZOLI 発行)という本なんだけど、この本は世界中の「小さな家」(100平方メートル以下の家で、7平米の家なんてのも含まれている)を紹介した写真集で、この本の前書きに著者がこんなことを書いていた。
 "It seems that given an economy that runs on consumption, even the consumption of green products, there is a general feeling that it is miserly and judgmental, somehow against the American Dream, to reduce how much we take in and how much space we take up. According to the National Association of Home Builders, the average home size in the United States was 2,330 square feet in 2004, up from 1,400 square fee in 1970."
 「消費社会のアメリカで、モノや空間を節約しよう、もったいないなんて言葉は、アメリカン・ドリームに反するって言われるかもしれない。アメリカの家の平均的な広さは1970年には130平方メートルだったのに、2004年には216.5平方メートルになっている。」
 日本の平均的な家の広さは、100平方メートルにも達していないのではないか?
 多くのアメリカ人にいくら説教しても消費社会からは抜け出せないだろうなと思う。アル中、麻薬中毒にかかっているようなものだから。(日本のパチンコ中毒やギャンブル中毒、ケータイ中毒みたいなもの?!)特に、一部の裕福な連中の消費行動にはあきれる。だからアメリカ人お得意の言い方をすれば、市場が強制しない限り、アメリカの消費社会は変わらないのだろうと思う。
 もうすでに「消費から投資」の時代をさけんでいるアメリカの金融関係者はいるので、すこしずつ変わっていくことを期待しているけど、アメリカも日本同様、「ポピュリズム政治」(投票権者に厳しいことは言わず、聞きたいことだけを約束する政治、別名、増税なしのばらまき政治)だから、2012年の大統領選挙に向けて、どのような展開になるのか。
 国や他の人たちのことはいいとしても、すくなくとも我が家というか、クロイヌたちと僕はモノの消費時代から卒業しつつある。「モノよりもサービス、モノよりも経験、思い出」!
"TINY Houses"

企業価値向上の長い道

 日経新聞夕刊に連載されている「人間発見」、今週はフィデリティ・ジャパンの蔵元康雄さんのインタビュー記事が続いているが、おもしろい。ご紹介されている企業、たとえば京セラ、丸井、ニトリ、キーエンス、イトーヨーカ堂、しまむら、コメリなどがまだ地方の知る人ぞ知る優良企業として、全国的に名を知られるまえからアナリストとして訪問され、各社の経営者とのお付き合いの中から気付かれたことを、インタビュー記事の中でお話になられている。

 各社とも、真の企業価値向上のために、地道な努力を継続された結果が、現在見る姿につながっているかと思います。参考にさせていただきたいです。

iPad on Business 出版記念パーティ

知人の大木さんが今月末、iPad on Business という本を出版します。もちろん僕はアマゾンで予約をいれていますよ。長くソフトバンクに勤務された経験を持つ、ITと人材育成の専門家の方です。8月4日小社の会議室で、出版記念セミナーを開催します。
詳細は大木さんのブログをご覧ください。
「走れ!プロジェクトマネージャー!」

大木さんのお話、僕は楽しみにしています。

台湾うなぎの広告

台湾のうなぎのほとんどは日本向けに養殖されているとか。地下鉄車内で見かけた台湾うなぎの広告です。メッセージがいいです。(「日本で育てられたうなぎもいいけど、日本のために育てられたうなぎも、いいかもなあ。」)
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「理論的な洞察力」

今朝の日経新聞のコラム「大機小機」にいい言葉が紹介されていた。1976年2月特別号の文藝春秋からだが、下村治の以下のような言葉だ。

「転換期を説明するには過去のデータに基づくモデルではだめで、転換期をつかむことができるのは理論的な洞察力だ。」

これは起業あるいはビジネス一般にもあてはまる。起業やマーケットを作っていくには、過去のデータを参考にしつつも、「理論的な洞察力」、あるいは「動物的な知的感覚」が必要だ。

ATMの発明家、84歳で死亡。


YouTube: In Memoriam May 23, 2010

先週末のFinancial Timesを読んでいたら、世界中で使われている銀行のATMの発明家が、5月15日、84歳でなくなったという記事。1965年、お風呂に入っていた時に思い浮かんだそうです。バークレー銀行が最初に取り組んでくれたそうですが、アメリカに売りにいったら、誰も相手にしてくれなかった、そして日本に持っていったら、「アイデアありがとう。ロイヤルティを払うから、自分たちで開発したい」と言われたとか。(なんとなく日本の会社がいいそうなこと) →NewsScotsma.com記事

パーキングエリアはビジネスチャンスが多いかも。

 カイ(♀甲斐犬)とドライブに行ったのですが、帰り高速のパーキングエリアで富士重工がレガシーの新シリーズのプロモーションをやっていました。僕が好きな女優の一人、石田ゆり子を使ったCMが目を引くのですが、追突をさける自動ブレーキングシステム、Eye Sight を売りにしている新シリーズです。
 高速道路のパーキングエリアで自動車のセールスプロモーション(SP)をやるのは非常にいいアイデアだと思いました。特に自動車関連。これからもパーキングエリアではいろいろなSP活動を見かけることになるような気がします。

 それから今日の富士重工のSPに関しては、ちょっとしたアンケートに答えると、レガシーのミニカーをもらえるのもうれしい話でした。

パソコン操作は情報リテラシーではない。

 僕らの会社はパソコンの資格試験を生業として、社会の中で、ほんの少しかも知れませんが本業を通して社会貢献させてもらっていると思っています。MOS試験だけでいうと過去10年間で250万人の方に受験いただきました。多くの方にとって、就職、転職などの人生での転機、あるいは日頃のパソコン仕事において、小社で行っている資格がお役にたっていると信じています。
 僕らのやっていることは、あくまでもパソコンソフトの使い方、パソコン・リテラシーの向上に貢献することが中心で、決して情報リテラシーというわけではありません。そのあたりのことを、日経BPの記者の方が日経ビジネスオンラインに書かれていて、良い記事だったと思うので、社員のひとたちやうちの試験会場になっていただている全国のパソコンスクールの方たちにもお読みいただければいいなと思っています。
 パソコンリテラシーを身につけること、それをお手伝いすること、それは情報リテラシーを身につけることとは違ったレベルで、大切なことだと思っています。
 ドラッカーは、仕事をする上でパソコンを使わず、道具はファックス、電話、そしてタイプライターだけだったそうです。でも、それはドラッカーがパソコンが存在しなかった時代に育った世代だったからです。いま彼が20代、30代、あるいは40代くらいまでであれば、好奇心の固まりのドラッカーは、パソコン、デジカメ、ケータイなどの仕組み、使い方、将来性をとことん考え、使いこなしていたのではないかと想像します。経営に関する彼の仕事の中身は変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。どちらにしろ彼が考えたことは人間の本質に関わることだったと思います。
 情報リテラシーというのは、そう簡単に教えられるものではなく、そう簡単に測れるものではないと思います。情報リテラシーというのは、その人の生き方、好奇心、周り(他人)に対する配慮、心配り、感度の良さなど、生まれてから経験したことの蓄積の上に出来上がった、人物そのもののようにも思います。情報リテラシーと書くと、正直言って、すごく薄っぺらいものに聞こえます。
 カタカナ言葉(たとえば「リテラシー」!)は便利ですが、軽いなあと思います。もうすこしカタカナ言葉を減らして、ふわふわとした頭の中をもっと地に足の着いた議論をしたいです。

日経ビジネスオンライン記事「パソコン操作は情報リテラシーではない。」

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4月14日のFT記事で読んだスペインのネット企業。

山で生活し続けたいという希望を持った起業家が起こした山岳用品販売の会社。お金よりも自分のライフスタイルを作っていきたいという希望が原動力。好感を持った。

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