コロナの時代の「新しい稼ぎ方」が必要。

うちの会社もテレワークにはいって2か月近くになろうとしています。当社のビジネスはITなどのスキルを対象としているものですが、基本的な性格は一言でいうとサービス業。接客は伴わないけども、試験会場で受験者をお迎えして試験を受けていただくということを仕事とするサービス業なのです。
すべての社員が在宅で仕事ができるわけではなく、どうしても一部の社員は会社に出てくる必要がある(ハンコをおすためではないですよ、念のために)のです。ぼく自身は自動車通勤をしているので、毎日会社にはでています。

政府や経済団体などは、コロナの緊急事態宣言が解消されたとしても、「新しい生活の仕方」を始めましょうと喧伝しています。われわれに対する提案であり、お願いということでしょうか。
ここ数年「働き方改革」という言葉が世の中に舞っていました。コロナが加わったことで、ハンコをやめようとか、テレワークをしようとか、いろいろなことが言われています。コロナが後押しする「働き方改革」の第二弾が始まったとような印象です。
でもどうも違和感を感じています。働き方や仕事の仕方は、政府に言われて変えようなんて気にはなりません。(へそ曲がり!)
自分たちでその必要性を感じて、それが肚落ちして変えることはあり。いや常に環境の変化にさきさき対応しながら変えていくのは当然。
テレワークは結構なのですが、いま日本で必要なのは、「新しい働き方」ではなく、コロナ時代に対応した「新しい稼ぎ方」のはず。「新しい働き方」がハンコをなくそうとか、5割くらいはテレワークしようとか、そういうような例で始まって終わるんだとしたら、相変わらず「掛け声とやってるふりの、タマシイなき日本だね」という気がするのです。
もちろん、社員が満員電車でコロナに感染する危険性を減らすために、テレワークと時差出勤の組み合わせはある程度必要かと考えています。
でも、稼いでなんぼ。売上を心配しなくていい公務員の方たちとは、われわれは違う立場にあります。
テレワークの目の前の目的は感染リスクを減らすことでしょうが、それだけで終わってしまっては、ますます日本は稼げない企業であふれかえることでしょう。
「新しい稼ぎ方」につながらないテレワークは長く続かないように思います。

ノーベル賞受賞者の言葉から。

昨日ノーベル医学生理学賞の受賞が発表になった本庶先生の発言には、われわれビジネスマンにも参考になる言葉がありました。

「生命科学はどういうデザインになっているかを、まだ私たちは十分理解していない。AIやロケットはデザインがあり、目標に向かってプロジェクトが組めるが、生命科学はデザインを組むこと自体が難しい。応用だけをやると大きな問題が生じると思う」
「あまり応用ではなく、なるべくたくさんばらまくべきだ。1億円を1人でなく、せめて10人くらいにやって可能性を追求した方が、ライフサイエンスは期待をもてる。多くの人にチャンスを与えるべきだ。特に若い人に」
「国内の製薬企業数が多すぎる。国内に良いシーズ(種)があるのに海外にお金を出していて見る目がない」

特に、最後の企業数が多いこと、いいシーズを見る目がないということ。製薬業界だけではないように思います。

2度目のロンドンBett

大雪になった先週月曜日(1月22日)夜、羽田からドバイ経由でロンドンに飛びました。ドバイ経由でというのは、ちょっと理由があってエミレーツで飛ぶことにしたから。初めてのエミレーツ、初めてのドバイ。ただ、羽田からの離陸が雪のため1時間ほど遅れたので、ドバイでのトランジットは大急ぎ!羽田・ヒースローの直行便と比べると6時間以上は時間がかかったのではないかと思います。
昨年に次いで2度目のBett(教育市場をターゲットにしたICT分野の欧州でも有数の展示会)を見るためのロンドン訪問でした。
昨年、Micro:BitのことはこのBettで知りましたが、今年も彼らは出展していて、大勢の立ち寄りが見られました。
IMG_0042.JPG
ロンドンでの宿泊は3泊の滞在なので、あまり余裕がなかったのが残念。
でも、こいつ(↓)がいる間は海外出張もできるだけ短くするつもり。

fullsizeoutput_275.jpeg

市内では見かけませんでしたが、ヒースロー空港内では、この人にも会いました。
IMG_0044.JPG

第二弾の映画はまだ観ていませんがきっと観に行きます。

久しぶりのシアトル、マイクロソフト訪問

R0000387.JPG

今月10日のことですが、久しぶりにシアトル、そしてマイクロソフトの「キャンパス」(彼らが本社を呼ぶ名称)を訪問してきました。ここを初めて訪問してから20年になろうとしています。この20年で目立って増えたのは、マイクロソフトのキャンパス内のビルの数とボクの白髪かな?!

海外通販で靴を買う

先月、「ロンドンでデザイン、ポルトガルで製造」を売りにしているスリッパを買いました。偶然ネット広告で見つけたブランドで、北欧風のリラックスした雰囲気。海外の初めて目にするブランドで買い物をするのに少々躊躇しましたが、それほど大きな金額でもないので、試しに買い物をしてみました。スリッパといっても、靴底にプラスチックのソールをくっつけることで、外履きの靴にもなります。

この会社、海外の顧客にも送料は無料となっています。その分、少々値段は高くなっているのかもしれません。

送られてくるまで2週間ほどかかったでしょうか。大丈夫かなとちょっと気になっていたのですが、郵便物としてきちんと届きました。

アマゾンを除くと国内通販でさせもそれほど利用しているわけではなく、ましてや海外から取り寄せるなんてことは、これまでeBayでアメリカからモハメド・アリの試合のポスター数点を購入したことがあるだけ。今回、初めてヨーロッパの会社から靴を買いましたが、きちんと届き、当然といえば当然ですが感心しました。

この会社の広告が、雑誌The New Yorkerのウェブサイトで見つけたことも、試してみようと思った理由のひとつかもしれません。

日本もクールジャパンだと騒いでいますが、英語でサイトを作り海外顧客までターゲットにしている会社はどのくらいあるのでしょうか?

夏の朝に想う。

若い頃は夏が一番好きな季節だったのに、年をとるに連れて東京の夏の暑さに耐えられなくなって、冬が一番好きな季節になった。とは言っても、夏の朝は気持ちがいい。犬たちにせかされるように5時前には起きて外に出てみると、とても爽やかな朝だった。ただ6時を過ぎるとだんだん暑くなってくる。暑苦しいというほど気温はまだ高くないけど、6時半から始まるラジオ体操をやっていると、第一だけでも汗がじわっと出て来る。

新聞を読むと、東芝の歴代3社長が辞任することになったという記事が一面に出ている。利益至上主義が今回の会計操作につながっているという記事が目立つ。
ルール違反というか、反則はよくないのは当然なんだけど、利益への強い志向は企業であるかぎり当然だとも思うし、より高いレベルへの「チャレンジ」も必要だ。
東芝ほどの規模と歴史の会社の経営者は大変だろうなと想像する。バブル崩壊後、経営環境はまったく変わってしまったのに、「人を大切にする」ことを求められることで事業のドラスティックな変化はそう簡単ではない。製造業のイノベーションは、金融やサービス業の「イノベーション」と比べると、地道なR&Dが必要だろうし、長い時間もかかることだろう。社員の人たちは年功序列と終身雇用を前提として考える人たちが多いだろうから、社内から変えていくことはものすごい時間がかかるような気がする。
結果、大きな事業変革にはM&Aということになるんだけど、ほかの会社、特に欧米の会社を買ってうまく経営していくことは決して簡単じゃない。

利益を至上とすることは別にしても、利益を強く求めていくこと(もちろん反則なしでなんだけど)は、決して間違っていない。アメリカはもちろん、ヨーロッパの会社と比べても、日本企業の利益率はまだまだ低いんだから。問題は、利益率の高い事業をどうやって作っていき、使命が終わった(と思われる)事業をどうやって終了していくのか。どちらも根本には人の問題(課題)があって、新しい考えの人たちが登場し、変化していくことができない人たちは舞台から退場し、同じ社名、ブランドであったとしても、中身はすごく変わったよね、という会社であることは、とても難しい。

ニュースを聞いていると、東芝は社外取締役の数を増やすみたいだけど、事業内容をよく理解していない社外取締役をいくら増やしたって中身は変わっていかない。会社が根っこから変わっていくことは本当に難しいし、それをやり遂げることができる経営者は大したものだと思う。ぼくも会社をやっていてその難しさをとても感じている。

夏の朝、日の出前後はとてもすごしやすいけど、すぐに厳しい暑さがやってくる。ほんのひと時の心地よさを楽しんだら、忍耐の一日が始まるね。

予定通りに行かないのが人生ゲームでしょう?!2月に行けなかった金沢へ。

ベンチャー企業への投資機会があったとして、「優秀な経営陣たちと平凡なビジネスプラン」の組み合わせと、「平凡な経営陣と優れたビジネスプラン」の組み合わせの、どちらに投資すべきか?という定番のような質問があります。「正解」は、たとえ平凡なビジネスプランであっても、優秀な経営陣たちに懸けるべし、ということになっています。それは、たとえ優れたビジネスプランであっても、プラン通りに行くことなんてほとんどない。現実がプランとは違って展開していくとき、優秀な経営陣であれば、それなりに対応していくことができるだろうけど、平凡な経営陣では、想定していない状況にうまく対応していけないだろうから、ということらしいです。

いいことも、起こってほしくないことも、考えていた以上にゆれてしまうことがあるのが、人生かと思います。
なので、サッカーニッポン代表メンバーたちが、「自分たちのサッカーができなかった」という言葉をはいているのを聞くと、「そんなこと当然じゃない?!」といまさらながらあきれてしまいます。

サッカーの試合も、プラン通りにいくはずがない。だって、相手があるんだもの!ビジネスだって、相手(マクロの経済状況、競争相手、お客さん、取引先などなど)がある話で、自分たちが思い描いたとおりになんて、なることの方が珍しい。特に始めた当初は。

2月はじめに脊柱管狭窄症から来る腰痛で動けなくなり、2月中に予定していた金沢訪問はキャンセルすることになりました。明日、その金沢に行くことになっています。お会いすることになっていたお取引先の方々にお会いします。今年前半の腰痛(いまもそれは続いているのですが、少なくとも日常生活は大丈夫)も、まったく予定外。

ところで、最初にご紹介した投資に関する組み合わせですが、この設定は現実とはちょっと違っているかなという気がします。
「優秀な経営陣と優秀なビジネスプラン」の組み合わせはあっても、「平凡な経営陣と優秀なビジネスプラン」の組み合わせは、例外ではないかな?平凡な経営陣が、優秀な経営陣たちが作った優秀なビジネスプランを、失敬してきたのでない限りは。

砂漠の中の農地「サークル」

先日このブログで、砂漠らしき場所にある「サークル」について、どなたかご存知の方、お教えくださいと書きました。

ダラスからサンフランシスコまでの機内から見た風景なのですが、お二人から、これらの「サークル」が、ネバダの砂漠に作られつつある「農地」であることをお教えいただきました。東十条の王子さま、スタンフォードでお会いした伊藤さま、ご教示いただき、ありがとうございました。

American Crop Circles, Nevada

Wiki

ASTD初参加。

以前から一度行ってみたいと思っていた、ASTD(American Society for Training & Development) の全国大会に初めて参加。(会場ダラスコンベンションセンター、2013年5月20、21、22日)

オデッセイコミュニケーションズが昨年出資したアレン・インターアクションズもブースを出展。

ASTDは世界でも有数の人材育成に携わる職業人たちの集まりで、アメリカだけでなく、アジア(韓国、台湾、中国、日本など)、ヨーロッパ、ラテンアメリカからも参加者がありました。毎朝8時から講演があり、おもしろい会社や個人の方とお会いすることができました。

アレンは創業者のマイケル・アレンが主要講演者のひとりで、彼の講演には多数の人が集まり、ぎりぎりに行った僕は、一回目の講演には入場制限にひっかかり、翌日あった同じ内容の講演を聴くことになりました。

マイケルは一昨年のASTDの大会でこれまでの功績に対して表彰もされています(以下、記事へのリンク)

ASTD Presents Michael Allen with its Distinguished Contribution to Workplace Learning and Performance Award

Img_1292

内からの「グローバル化」を怖れる必要はない。

うちの会社も時々新聞広告を出すので、新聞社の広告局のひとたちと、すこしばかりはおつきあいがあります。今日も、某全国紙の方がお見えになりましたが、「グローバル化の必要性を言っているうちの会社も、経営陣はまったく国際化する気なんて、ないんです」という話を聞かされました。

「どうしてないんですか?」というボクの質問に、「外の人に内情をみられると、恥ずかしいので、できないのです」というお答え。

それに対して、「大丈夫、絶対にお宅の新聞社にも、自分たちが気づいていない、素晴らしいところがあるはずだ。ひとつだけでなく、きっといくつもいいところがあるはずだ。それを自分たちがわかっていないのではないか?怖れることはない、優秀な外部の人間にも、すこしずつ見せていけばいい」と、ボクの意見を言わせてもらいました。

江戸時代の終わり、欧米諸国の力を見せられたとき、われわれの先輩たちは、必死に追いつく努力をしました。

でも、彼らは大きな間違いも犯しました。それは自分たちのいいところ、素晴らしいところを、捨てようとしたり、過小評価したこと。素晴らしい芸術作品が、二束三文の値段で海外に売られていったことは、その一例です。自分たちの歴史や文化作品の、「普遍的価値」をよくわかっていなかった。それら作品の価値を認め、評価したのは、欧米の審美家たちだった。

また、太平洋戦争では、正反対に、自分たちの立場を、相対的に観ようとせず、独りよがりになってしまったのではないか?欧米の植民地主義にたいする大義名分がなかったわけではないけども、普遍的な魅力を持つ議論に発展させ、さらにそれを自らが実践しようとしなかったことに、大きな失敗の原因があるのではないか?

うちの会社のレベルでも、海外のお取り引き先から、非常に高く評価されていることが、いくつもあります。彼らに、まねることの出来ないことが、いくつもあります。

独りよがりの自信やうぬぼれではなく、まず自分自身を知ること、自分自身を大切にすること(甘やかすことではありません)。誰にも、どの企業にも、必ずいいところはある。ましてや何十年も存在してきた企業には、絶対に素晴らしいところがあるはず。

もっと自信をもって、内側に、自分たちとは異なる人材も入れてみること。きっとそこから、本当の意味でのグローバル化が始まると思う。