木次乳業の創業者

不在中の新聞(1月20日の朝日新聞夕刊)に、昨年秋に亡くなった木次乳業の創業者、佐藤忠吉さんを偲ぶ記事を読んで、初めてこれまでなんども飲んできた牛乳を作る会社のことを知った。8000冊の蔵書を残した創業者のことばは、平易だけども物事の本質を突くものだ。「よく噛むこと、人の悪口を言わぬこと」「下座して学べ」。
「忠吉語録」を読んでみたいと思う。

その年には見えない

先週64の誕生日を迎えた。
しばしばその年には見えない、若く見える、と言われるのだけどそれを満額で受け取ってしまうのは少々めでたすぎるだろうと思っている。
昨日はお世話になっている歯科医の先生(ちなみにぼくよりも年下)に、「54に見えるとは言えないけど64よりは若く見えますよ」というカーブボールのような表現を投げられた。64以下に見えるということはありがたく素直に受け入れるとしても、下の60を切るところかどうかが微妙なところなのだろうと思う。残念ながら60の大台を切るほどではないということだろう。

今週、長年の知り合いのアメリカ人と昼食をした。彼の年齢を聴くといつのまにか61になっていて少し驚いた。それまでずっと独身だったのだが友人から紹介された20歳年下の日本人女性と昨年結婚、最近、女の子の父親になったと聞いた。60で初婚、61で父親になるなんて、すごいなあと感心した。

年のことは悩んでもいかんともしがたいので、64=ムシと読んで、年齢のことは無視することにした。毎週の水泳、ジム通いをこまめに行い、睡眠時間を十分とることにのみ、気をつけ、あとは仕事をしっかりとやっていくこと。それだけに気を使い、年のことは「無視」する、いや忘れるようにしよう。

シェアすることを学ぶ

朝ドラの「らんまん」を毎日楽しみに見ています。朝の放送を録画し夜見ていますが、けさは朝の放送を見ました。
万太郎は田辺教授から論文を書いていいという許可を受け、だれの助けもなくすべて自分の力で新種の植物を発見したと言わんかのように、自分だけの名前で論文を発表。でも、この新種の「発見」は田辺教授のサポートがあったからこそできたことだったのに。
せっかく田辺教授がこころを開き始めよう、人間としてのやさしさや寛大さに気づき始めていたのに、万太郎の「手柄の独り占め」行為が、田辺教授のこころをまた冷淡なものに押し返してしまった。
シェアすることは難しい。お金、名誉、功績、そして愛情。シェアすることを学ぶのは大人になることかな。

株主総会の季節

定期株主総会の季節がもうすぐ来る。長年株式投資を行っているので、毎年数十社分の株主総会招集書なるものが送られてくる。
昨今各社とも社外取締役を入れないといけないということで必死になっている。さらに取締役には女性を入れないといけないという機関投資家、特に海外の機関投資家がいるため、各社女性の取締役を誕生させている。社内には候補になる女性幹部社員がいないのか、女性の取締役として社外から急いで集めてきましたという様子が見受けられる企業が多い。

送られてきている株主総会招集書を見ていたら、同じ人物が総合商社、エレクトロニクス、リース会社など4社の社外取締役を務めていた。その4社すべての株式を持っていた(株数は大したことはない)。いくら優秀であったとしても、同じ人物がこれだけの会社の取締役をきちんと務められるとは到底思えない。この女性取締役はほかの会社の取締役をするだけでなく、自分が創業した会社の社長も続けている。
これまで日本社会が女性たちを育ててこなかったことのしっぺ返しが来ている。一部の優秀な女性たちは、複数の会社からお声がかかり、数年たったらまた別の会社の役員になり、常に複数の会社の社外取締役を務めている。「おいしくて、やめられない!」だろうなと思う。

しかし、頼む方も、頼まれる方も、誠実さがない話だ。
本音でいうと、無理に女性社外取をつけたくないと思っている会社は多いはずだ。(本当に優秀な人であれば、男女問わずなってもらいたいと思う会社もあるだろう)受ける方だって、本当にちゃんとした仕事をやれると思っているのだろうか?「この程度でいい」という線を自分の中に引いていないだろうか。
女性の取締役を入れない会社には投資しないという海外の機関投資家に対して、「うちの会社の業績、株価、株主への利益還元にご不満なら投資なさらなければいい」というようの「暴論」を返すくらいの経営者はいないものだろうか。
本音の議論をもっと聞きたい。もっと強い会社を作っていくために。
女性だけでなく、男性であっても、社外取締役を務める会社の数を制限するようなルールは作れないものだろうか。お飾りであるにしては彼ら、彼女たちに支払われている報酬は高すぎるのではないか。

もちろん、優秀な女性が適正な評価を受け、適正な待遇を与えられるようになればいい。できるだけ早く。でも形式ばかり整えるのは情けない。いつもそうやって日本社会は見てくれだけを整えてきたから、内実が伴っていないことが多い。時間はかかっても着実に進めていくしかない。

「一身にして二生を経る」

福沢諭吉は「一身にして二生を経る」と文明論之概略の中で記している。明治維新の前後ではすべてが変わったということだろう。変化の度合いは明治維新ほどではないのは確かだけど、ぼくたちの世代だって、二つの生を生きているのではないかと、新聞記事を読んでいて思った。日本総研の寺島会長のインタビュー記事なんだけど、以下のような数字をあげていらっしゃる。

「日本GDPは94年に世界の18%。これが日本のピーク。この年、日本を除くアジアは中国、インド、東南アジアすべてを加えても5%」
「2000年、九州・沖縄サミットが開かれた年、日本のGDPはまだ世界の15%をキープ、日本を除くアジア全体は7%」
「2010年に日本のGDPは中国に抜かれる」
「2022年の日本のGDPは世界の4%、日本を除くアジア全体は25%」

一人当たりのGDPについても、22年には台湾、韓国はほぼ日本に追いついた。
この30年あまりでなんて転落なんだ!

日銀の金融緩和が続き、昨年は一ドルあたり円の価値は110円台前半から一気に150円まで達し、現在でも130円団の後半あたりをうろついている。

ぼくが初めてアメリカに行った1976年は円は200円台の半ばだった。
次にアメリカに行った1985年にはプラザ合意があって、ドルは一気に100円割れの時代に入った。

大学に入った1979年にはJapan As Number Oneという、いま考えると「御冗談でしょう」という本が出た。
金持ち国から貧乏国への転落がこれからの日本のただる道だなどと、考えたくもないが、その可能性は大いにある。

今年64歳になる自分は、たいそう恵まれた時代背景のもとに育ち、働いてきたものだと思う。右上がりの日本を経験し、個人的にも、いなかの両親が考えられないようなキャリアを送ることができたことを幸運だったと思っている。

しかし、これからの世界の中における日本を考えると、一ドル200円、さらには300円の時代という「悪夢」もあるかもしれないと思うことがある。もうそうなると海外旅行は夢の夢だ。弱い円の国・日本には海外から働きに来る人はなく、逆に日本の若者たちが中国やアメリカに出稼ぎに行くような時代が来るのだろう。

あと30年、40年と長生きすることができたなら(100歳前後まで生きるということ!)、「一身にして二生を経る」ことになるか?いや、もう第二の生は始まっていると考えておいた方がいいのかもしれない。

『林住期』(五木寛之著)

ある読書家のためのSNSで、「時々、誰かに知恵を授かりたないと思った時に思い出すのは五木寛之さんと美輪明宏さん」だと、書かれている人がいた。ぼくも美輪さんのお話が好きだ。NHKのEテレで、愛の相談室という名前の番組を持っていらっしゃる。番組一覧を見ていて気がつくと録画しておくことがある。
五木さんは高校生から大学生にかけてエッセイや『青春の門』を読んだ。あの頃が一番五木さんの本に関心を持っていた頃かと思う。
先日、NHK出版から出ている『健やかな体の作り方』という本を読んで、90歳になろうとする五木さんのセンスの良さにあらためて感心した。半世紀をこえる時間と時代の流れの中で、いまなお活躍される力(まさにresilience=レジリエンス)と時代を読むセンスの良さはすごい。
『林住期』は50から75歳までの人生の第三ステージを指すという。ぼくは20年ごとで自分の人生を考えていたから、60前後から最終ステージに入ったのかなと漠然と考えているけど、林住期ととらえる方がいいかな。
あと何年生きることができるのかわからないけど、この本の中にあるように、自分の人生で一番いいステージにできればいいなと思う。おカネのために働くことや人との比較のなかで一喜一憂したりすることなく、心の欲するところに自分のペースで歩いていきたい。日本や世界の行く末をぜひ見てみたいから100歳まででも生きられるとうれしい。でもそれは神のみぞしるだろうな。

今日の日経新聞がおもしろかった。

今日から3月。2023年も六分の一を消化してしまいました。

今日の日経新聞はおもしろかった。
その1。先月は作曲家の村井邦彦さんが「私の履歴書」をお書きになっていた。30数年前になると思いますが、外資系金融で働いていた頃一度お昼をご一緒したことがあり、たいへん懐かしく「私の履歴書」を拝読。今日から始まったJR九州の唐池恒二さんの「私の履歴書」もおもしろくなりそう。
その2。経済ページの「大機小機」は黒田日銀総裁の「罪」を上げていた。市場や国民を見ないで安倍元総理を見て政策を決めていたことが失敗の原因だというご指摘。「失敗」とあるけけど、ぼくは「罪」と言った方が正しいのではないかと思う。
その3。FTからの翻訳記事が良かった。先日治療をもう行わないと発表したカーター元アメリカ大統領に関して、これまで正当な歴史的評価がなされていないという記事。執筆者は、FTの記者Edward Luce。2月23日のFTにでていた記事ということで、そちらの記事も読んでみた。このような記事の日本語訳を掲載できるだけでも日経新聞はFTを買収して良かったのではないかと思う。
その4。今日から始まった連載小説は陸奥宗光の青春を描いたものになるという。いま日本外交に陸奥宗光のような人物がいないことが残念だ。どのような展開になるのかとても楽しみ。新聞の連載小説などこの10数年読んだ記憶がないけど、久しぶりに読んでみようと思う。

財界ってなに?

昔々、「僕って何?」という小説があった。僕が大学に入った1979年頃に三田誠広さんが出した作品。芥川賞を受賞したのではなかったかな?
今日の朝日新聞夕刊に、経済部のベテラン記者という方が、Another Noteというコーナーに、「舞い込んだ不穏な内部情報_同友会トップ人事の内幕」という記事を書かれていた。おどろおどろしい見出し。春に同友会の次期代表幹事になる新浪さんの選出に関する裏話ということになっている。
実は僕も同友会の幹事会という集まりに参加させてもらっている。とは言っても、末席もいいところで同友会の中の裏話にはあまり関心も持っていない。新浪さんは同じビジネススクールの卒業生だし、彼が三菱商事にいたころはビジネススクールの集まりでたまにご一緒することがあったがこの10年くらいはお会いしたこともない。同友会というビジネスマンの集団のリーダーとして頑張っていただきたいと希望している。

今月の日経の「私の履歴書」は、野村證券のトップを務められた古賀さんがお書きになっている。この中で経団連のことをお書きになっていて、特にお亡くなりになられた中西元会長のことを書かれていた。ぼくの会社は経団連にも入れてもらったのだが、実は中西さんが会長となられたことで経団連に関心を持ち、入れていただきたいと思ったことが大きい。

経団連、同友会は、日本商工会議所と合わせて財界三団体と呼ばれている。そこで「財界って何?」という疑問。経済界で力を持つ企業の経営者たちの「雲」のような集まりか?

林業のこと

東京都議会議員を務めている知人の都政報告会(オンラインで実施)を聞く機会がありました。東京都の行おうとしている少子化対策、温暖化対策などについての案内が中心。いずれも今日明日どうやって食っていくかということではないのだが、20年後、30年の東京のことを考えると今取り掛からないといけない課題だから関心を持ってほしいという話でした。
まったくもってもっとものことで、票になりそうな予算のバラマキに取り組む政治家がほとんどだから結構なことだと思っています。ぜひしっかりした少子化対策を行った方がいい。

それで思ったのは、林業のこと。林業は百年単位で取り組む必要がある仕事。山を守っていく人たちは超長期のことを考えて仕事をしている。自分が取り組んだ仕事の成果は、場合によっては自分が生きている間には見ることができないかもしれない。それでもやっていかないといけない仕事。

オデッセイコミュニケーションズは上場企業ではないから、短期の売り上げや利益のこと「しか」考えているわけではありません。もちろん一年ごとの売り上げや利益には注力をするけども、それだけではない。いま直ぐに売り上げや利益につながらなかったとしても5年後、10年後に成果がでる「かも」しれないことにも取り組みたい。もちろん会社の体力の範囲内で。

海外からのお客さんと話をしていて、彼の会社ではやはり短期のプレッシャーが強いんだなという印象だった。アメリカの会社は短期のことしか言わないという人がいるけどもそんな会社だけではないと思うし、短期のことと長期のことをバランスとって考えている上場企業、経営者も多数いるはず。

経営者は二つのメガネ、あるいは二つの帽子を持たないといけないのだろうなと思います。結局短期の売り上げや利益のことしか口にしないビジネスマンは夢やビジョンがないのだろうな。そういう会社は働く場所としては魅力を感じないなあ。

2023年の「抱負」

昨年は11月末に人生はじめての入院、手術があり、たいへんな一年でした。12月には63歳の誕生日を迎え、「れっきとしたシニア」ともいえる年齢ですから、これから毎年身体のどこかに問題がでてきてもおかしくはないと思っています。だからこそ、健康にはこれまで以上に気を付けていきたいと思いますし、適度な運動を毎日行っていきたいです。
2023年の始まりにあたっての「抱負」ですが、「連鎖」の年にしたいです。「学習の連鎖」、「挑戦の連鎖」、そして「希望の連鎖」。連鎖の始まりを身の回りからスタートさせ、会社の内外に、さらには社会に拡げていきたい。容易くはないこと、一年でできることは限られていることは承知のこと。焦らず、地道に、粘り強く取り組んでいきます。