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新入社員の力

4月が新年度の始まりという会社は多いことだろう。朝、体に馴染んでいないスーツ姿の若い人たちが街を歩いていた。
新入社員には力がある。本人たちが自覚していないだけで、周りの人間に目に見えない影響を与える。
先輩社員たちに自らが新人だった頃を思い起こさせる。それは往往にしてプラスの影響を与えてくれる力だ。
でもその力も、新人たちが職場に慣れ始めた頃には、すこしずつ弱まっていくかもしれない。中には最初から新人たちの力を感じない先輩社員もいるかもしれない。

うちの会社にも2名の新人が入って来た。彼らを迎えた我々はもっと頑張らなくちゃ。

プラスの印とマイナスの印

生まれてから死ぬまで、先生、同僚、知人・友人たち、あるいは両親から、何らかの評価を受けながら生きていくのが人間だとすると、その評価にはプラスの印となるものと、マイナスの印となるものがある。

うちの会社の事業である資格試験は、合格者に認定証という印を差し上げていて、履歴書にも合格の履歴を書く事ができる。それはプラスの印となる。

ただ、生きていく上では、マイナスの印を受けてしまう事もある。

先日、半日で終わる簡単な人間ドックを受けた際に、「医者というのは一定の異常値が見つかった時には、それに病名をつけるのが商売なので、あなたのこの数値は、◯◯症と言います。でもたいしたことではないので、気にしないで下さい」と、訳の分からないことを言われた。たいしたことないのだったら、病名をつけて呼ぶなよ、と言いたくなった。これなど、勝手にマイナスの印をつけられたようなもので、これほどいい加減でなかったとしても、世の中では、「あの人は、どこどこのエリアの出身だから」とか、「ちょっと変わった性癖がある」とか、マイナスの印(あるいはマイナスのニュアンスを持つ印)をつけたがる人も多い。

プラスでも、マイナスでもないはずの血液型、本来なら中性と言える属性なども多いのだけど、そういうものにさえ、プラスであったり、マイナスであったりの印を付けたがる人もいる。

少なくとも、プラスの印を発行していくことを生業としていることに感謝したい。特に、うちの会社で運営している資格は、一定期間頑張れば、きっと合格することができる、そんな資格がほとんどのはずだから。

Don't Stop Believing.

Happy New Year!
今年は愉快に仕事をしていきますよ。
一年を通して聞き続けようと思っている歌はこれ。
https://youtu.be/VcjzHMhBtf0

ジャパンハートの吉岡医師とワタナベさん。

久しぶりに国内のベンチャーの集まりに参加しました。今週京都で行われているInfinity Venture Summitというベンチャー・カンファレンスに初めて顔を出してみました。
ビジネスの話はもちろん面白いのですが(ドローンの話には引き込まれました!)、一番感動したのは、ミャンマーやカンボジアで小児医療にあたってきたジャパンハートの吉岡医師のプレゼンテーションでした。(→ジャパンハート代表のメッセージ

これらの国々の貧しい人たちの多くは適切な医療サービスを受ける事ができず、毎年何千人という子供たちが命を失っているということでした。心臓病を持って生まれたり、小児がんにかかった幼児たちとその親たちには悲劇的な結末が待っていて、その結末をどうにか変えようと闘っている吉岡医師の姿には感動しました。
吉岡さんの行動力やリアリズムには感心しましたし、お話をお聴きしながら、近しいひとたちの死を通して(のみ)、ぼくたちは成長するということをあらためて感じました。
また、カンボジアの医療水準が低い理由として、ポルポト政権が多くの医師を虐殺したことにあることを知り、あらためてポルポトが行った史上稀に見る残虐な行為を思い出しました。
プログラムの最後のいくつかには参加せず、京都から少し早く帰京したのですが、帰宅後夕刊をみると、月間140時間もの残業を行った末に自殺した娘さんのご両親と当時の社長だったワタナベさんが和解に同意したという記事を読みました。
ミャンマーやカンボジアの親たちが、町から遠い、遠いところにある村々から、ときには半日あるいは一日もかけて、不治の病の子供を連れて吉岡医師のところに、まさに神にもすがる気持ちでやって来る。でも多くの場合、医師には子供たちを救ってあげる事ができない。そんな話を(子供たち、家族たちの写真を見せられながら)お聴きした日に、いわゆるブラック企業に圧し潰されて亡くなっていった娘を持つ日本の親御さんの話を読み、子の健康と成長を思う親の気持ちはどこの国でも同じという普遍的な「真理」を想いました。

ワタナベさんも、吉岡さんも「強い人」だと思います。
でもその強さは、まったく違う向きに発揮されているように見えます。一方は「自分の子供」である企業の発展のために(ご自身のブログで会社と自分の関係は親と子の関係のようなものだとされています)、もう一方は貧しい国の厳しい環境の中で生きざるをえない、「他人の子供」とその母親たちのために。
政治家の仕事はとても大切だと思いますが、ワタナベさんは権力や名誉とは離れたところでご自身の強さと能力を発揮されると、もっと立派なのになと思います。

心の習慣。

習慣にはふたつある。
ひとつは心の習慣。もうひとつは身体の習慣。心の習慣をソフトウェア、身体の習慣をハードウェアというふうに安直に分けてしまうと、つまるところソフトウェアである心の習慣が身体の習慣をコントロールしているのでしょう、と言うことができるのかな。

そんな屁理屈は横においても、「心の習慣」という言葉そのものになんとなく惹かれる。平常心、動じない心、素直な心、静かに物事を受け入れる心、必要以上にものごとを悪くとらえない心、他人と自分を比較しない心、一日一日を大切にしたいと思う心、すべての生きものをいとおしく思う心。

「習慣は第二の天性」。好ましい心の習慣を持ちたい。

「飛ぶのが怖い」?!

『飛ぶのが怖い』っていうのは、20代の頃の「愛読書」のひとつ、エリカ・ジョングのベストセラー本のタイトル。
今週はその「飛ぶのが怖い」っていう心配をかかえながら、昨年末以来のアメリカ訪問を無事終了。良かった!
毎年恒例になっているマイクロソフト本社内のラーニング部門の人たちとのミーティングを済ませてきました。
2月の腰痛悪化以来、まだまったくもって本調子ではなく、このままずっと腰や足のしびれや鈍痛がずっと続くのではないかとも心配しているのですが、どうにか無事にシアトルと東京の間の往復フライトをこなすことができました。
日本のエアラインでシアトルとの直行便があるのはANAなので、もちろん、ANAにしたんだけど、使用機種がB787なので、バッテリーの故障があるといやだなと思いつつ乗りましたが、特に問題もなく快適だったのも、ラッキー!
今年はこのアメリカ訪問でGWがつぶれたんだけど、とにかく問題なく日米間のフライトをこなせたのがうれしかった。
次回のアメリカ訪問は8月第一週に予定されているMOS/ACAの世界学生大会。その前にも一度行くことがあるかもしれないけど。
しかし、今回の腰痛は本当にしぶといというか、大変だわ。さすがに今回は自分の年を実感しています。
この一週間、毎朝の水泳からも離れていたので、明日の朝からは仕事前の30分の水泳を開始します。

チャリティ・ディナーで感じたこと。

先週土曜日、都内のとある場所であったある国際的な非営利団体のチャリティ・ディナーに行きました。主にアジアの発展途上国で、子供たちの教育支援を行っている団体です。この団体のことは新聞などで知っていましたが、初めて接する機会になり、いくつか感心したことがありました。
簡単に列挙しておきます。

1今回で東京における資金集めは3回目になるとか。前回は一日で1億8千万円集めたということにびっくり。
2参加者数は300から400名程度か?半数は東京で働く外国人。(外国人の方がチャリティには積極的な印象)
3企業から寄付してもらった商品(例:海外リゾートホテル宿泊)をオークションするのだが、実際の価値の10倍にあたるような値段で落札する人たちが多かった。
4この団体は日本では寄付金が所得税控除の対象になっていないので、日本人でオークションに参加する人は少なかったのでは?
5オークションの商品の数が多数あったこと、オークションをリードしたこの団体の創設者が、参加者にむかって挑発するくらいの勢いで迫り、粘り強く高い値段で落札してもらおうとしたこともあって、終了したのは夜の11時になろうとする時間だったこと。
6団体創設者のセールスマンシップが素晴らしかったこと。

一般論ですが、しっかり稼ぎ、気前よく使うことに関しては、どうも日本人よりも海外のエリートたち(特にアメリカン人?)の方が、積極的な印象です。
カネは天下の回りモノ。しっかり稼ぎ、世の中のために使っていくことが大切かと思います。

春を望む。

2月初旬から腰痛になりこの一ヶ月ほど、さんざんな毎日が続いています。先月は数日会社を休むはめになりましたし、今月は予定していた海外出張を二つ、キャンセルすることになりました。自分の中では、飛行機に乗ることがストレス解消にもなっているところもあるので、泣く泣くあきらめました。。
鍼灸に通い、整形外科でもらったクスリはきちんと呑み、できるだけ早く良くなる努力はしています。脊柱管狭窄症という病名を言われているのですが、なんど見てもこの漢字の組み合わせって、憎々しい漢字のオンパレードだな!

これまでも何度も腰痛になっているのですが、さすが50も半ばほどになってきたためか、これま以上に回復に時間がかかっているような気がします。こうやってだんだん体力も抵抗力も回復力も落ち、そしてすこしずつ最期に向かって人間は歩んでいくのか?

この腰痛になるまでは、冬が大好きと公言していましたが、天候も腰痛には関係しているせいで、今日のように春めいた一日だと、すこし良くなったような気がしてきます。早く暖かい春になってくれないものか。桜の季節になると、腰の調子もかなりよくなりそうだし、気持ち的にも軽くなるかな。

腰痛で呻いているこの間、漫画や絵本にちょっとこっています。先週実写の映画も始まった『銀の匙」は9巻まで読んで、残るは10巻と11巻。絵本は、知人から教えてもらった『あらしのよるに』。20年ほど前にでた絵本のようですが、最近初めて知りました。「あらしのよるに」の第一巻から、「まんげつのよるに」の第7巻まで、とても楽しみました。50も半ばになろうとするのに、メイとガブのおとぎ話に感動してしまった!この絵本、どの年齢の人たちが読んでいるのだろうか?絵本の体裁をとっているけども、かなり上の年齢の人が読んで心を動かされるストーリーになっているように思うんだけど。もしかして一番感動しているのは、純真さを失った自分自身を自覚している大人たちかな?!ガブのやさしさと孤独に耐える力を持ちたい。

誕生日は札幌です。

54歳の誕生日は札幌で、お取引先の皆さんとの夕食会。
これまでのご愛顧に感謝しています!

アリとキリギリスの寓話。

今日と明日は、黒犬たちとちょっと遅い夏休み。

夏の間、せっせと食べ物を蓄えていたアリと、音楽を楽しんでいたキリギリス。冬になって食べ物がなくなったキリギリスを、アリが、「君は夏の間遊びほうけてたじゃないか」とお説教する話。資源なき国に生まれた我々日本人は、死ぬまで、アリのように働かないといけないんだということを、小さい頃にしっかり植え付けられる。
僕もどちらかというとアリ派かもしれない。でも、キリギリスの生き方を全部否定しようなんて思わない。
だらだらと、働く振りをしているだけのアリは、多いように思う。日本では、特に、ホワイトカラーの生産性は非常に低い。今に始まったことではなく、長期にわたっていて、あまり改善されていないように思う。

日本の企業セクターには、バブル崩壊の処理も一段落し、無借金で、単に銀行預金になっているおカネがしこたま、溜まっている。個人セクターの金は、高齢化が進むにつれ、確実に減少しているのとは、対称的。無借金、銀行預金大好き、大きな事業リスクをとりたくないという大企業経営者が日本には多い。多すぎる。

以下の文章は、Financial Timesのコラムニスト、John Plender が、なんどもなんども繰り返し書いてきていること。(8月19日のFT別刷りの記事より)

Japan is a different kettle of fish. To escape from stagnation it needs to boost consumer incomes in an economy where business hogs
too great a share of income. Yet Prime Minister Abe's recipe for rejuvenating the economy exacerbates current imbalances. The big
devaluation of the yen will transfer income away from households into business profits. And Mr. Abe appears to be committed to
introducing a controversial consumption tax. This seems perverse when the obvious target for taxation is a corporate sector that
racks up excessive savings.

個人の所得をもっと増やせ、企業に溜まった金を放出させろ。円安は個人から企業セクターに利益を移転させるだけだ。消費税も個人所得にはマイナスだ。(この人は、日本企業は自社株買いや配当で、投資家に溜め込んだ利益を還元しろという意見)

「中庸」という言葉が好きな日本人(特に年配者)が多いはずなのに、中庸こそ、日本に足りないもののひとつのように思う。

誰か、アリとキリギリスの寓話を書き変えてもらえないだろうか?貧しい時代であればアリさんは立派な国民だろうけど、いまの時代、デリバティブだ、ソフトウェアだ、エンターテイメントだ、スポーツビジネスだ、なんていう時代なのに、百姓根性だけではやっていけない。アリさんはお情けでキリギリスに食べ物を分け与えるのではなく、長い労働のあと、心の潤いを求めて、キリギリスの奏でる音楽に対価を払うくらいのストーリーにしてほしい。

銀行預金の残高をながめながら、安心したり、喜んだりするだけの人生ではあまりにもつまらなすぎる。しっかり稼ぐ、しっかり楽しむ。
そのバランスだ。「よく学び、よく遊べ」って学生の後輩たちにいうだけでなく、自分は「よく稼ぎ、よく楽しむ」人生をめざしている。


どなたか、教えてください! (could anyone teach me about these circles?!)

ダラスからサンフランシスコへの飛行機の中から見えた風景。広大な農地から山、砂漠(のような土地)、雪をかぶった山、そして都市。アメリカは広大だわ!

写真の丸い池のようなもの。一体、これはなにか?道らしき直線は地面に引かれているのだけど、誰一人にとして、周辺数百キロ(あるいは数十キロ?)には住んでいないような位置。

could anyone teach me what these circles really are?! Took this photo on my flight from Dallas to SFO.  Maybe two hours away from Dallas.  In the middle of "nowhere", what are these circles for?

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「勲章なんて欲しがる気はない」

昨日(4月13日)の日経新聞夕刊に、「カリスマの晩節」という見出しで、稲盛和夫さん(京セラ創業者)のインタビュー記事が出ていた。

功なり、名を遂げた方の言葉がどれだけ本心からでているものか、わからないけども、以下のような言葉には共感を覚える。

「勲章をくれようという話はないし、もうらうための運動をする気もありません。仮にくれると言われても、いただく気はないですね。みな平等なはずなのに、勲章が差があるのはおかしい」

「私はほんまにどこにでもいる普通のオッチャンですよ。普通どころか、すこし落ちるくらいですね」

この勲章をもらう気がないというのには、感心した。大企業のトップたちの多くが、どれほど会社ぐるみで、勲章をもらうための運動をやってきたものか!

もう10年以上も前になるだろうか、ビジネススクールの集まりによく出ていた頃、稲盛さんがゲストスピーカーだった夕食会があって、お話をお聞きしたことがある。あの時は、仏様の話が中心だったように思う。

「60歳から80歳までは、来世に旅立つための準備期間」だとしたら、ボクもあと数年もすれば、その準備のための準備に取りかからないといけないじゃないか!

パーソナルな予感。

円安株高相場(安倍相場)の動きがすごい。この2ヶ月ほどの動きのスピードにはなかなかついていけない。ぼやぼや考えているうちにどんどんと進んでいく。先週末のFinancial Timesの記事でも、「10年以上、日本は株式投資の世界には関係ない存在だったけども、昨年末以降、無関係の存在ではなくなった。」とあった。僕は業界からは遠い存在なので詳細はわからないけど、「まったく見向きもしかなった海外投資家たちは、これからは日本株を無視できない」という声も聴くし、「アメリカ株は最高値に近い。いまなら日本株だ。」という意見も聞く。

高速などでクルマを走らせるときには、横や前を走るクルマに眼がいくのだけど、最近、マツダのCX-5をよく見かける。スカイアクティブとディーゼルの組み合わせで計画を上回る勢いで売れていると聞いている。そのマツダは、去年11月までは100円程度の株価だったのに、この2ヶ月ほどで280円を越えるレベルまで上がっている。今日、マツダは、「円安効果で通期営業利益予想を8割上方修正」と発表した。(→ロイター

円安株高相場が、いつまで続くのかわからないけども、マツダのようなケースを見ると、輸出企業は今年ある程度復活するかなという気もしてくる。企業業績がだんだん改善してくると、日本株の活況は本格的なものになってくるだろう。

アメリカが円安ドル高に関して、この3ヶ月ほど、まったく口を挟んでこないのは、安倍総理に対して「貸し作り」に励んでいると見える。いつ、どのように、その「貸しを返してくれ」と言ってくるのか、ちょっと恐ろしい気もする。

3年間の不毛の民主党政権があっけなく終わり、再び昔の名前ででていて、どれだけ中身が変わったのか、まだわからない自民党政権が復活した。

公私共々、ミクロ、マクロ共々、今年は大きな変化が起こる年になるような予感がする。唯一の心配は、日本の政治。

今年の終わり、どんな「パーソナルな気持ち」を書いているかな?

すっきりした頭で一年過ごしたいです。

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そう、こんな感じで!

(新年の浅間山)

ニホンカモシカのファンになってしまった。

今朝の東京新聞のコラム(「山楽のススメ」)に、ニホンカモシカの親子の別れの話がでていました。胸がいっぱいになるような話でした。

以下のリンクをたどってお読みください。

カモシカ親子真冬の別れ

カモシカは「シカ」とありますが、「シカ」ではなく、「ウシ」の仲間。僕は単純なので、このコラムを読んで、一気にカモシカのファンになりました。そしてこの記事で紹介されている青森の梵珠山(ぼんじゅさん)に行ってみたくなりました。

明日から10月、残り3ヶ月ですね。

明日から10月1日。2012年も残り3ヶ月となりましたね。7月末から忙しい日が続きましたが、来月は来月でビジネススクール卒業25周年のリユニオンに参加するために、5年ぶりにボストンに行きます。ビジネススクールに入学したときが25歳でしたので、卒業から25年というのは、入学したときまでの時間と同じということになります。時間が過ぎていくことを思うと、いろいろなことが頭に浮かんできます。

うちのカイさん(♀の甲斐犬13歳)も確実に歳を重ね、一年に何回かは動物病院でお世話になっています。

飼主の僕の方は、3月末から始めた減量が半年間で当初目標にしていた7キロ減を無事達成することができました。「たかがダイエット、されどダイエット」で、達成感は得ることができました。アドバイスをしてくれる(怠けていないか気に留めてくれるということでもあります)人たちの存在は大きいなと思いました。

年末までに、国内出張、海外出張がそれなりにあります。大好きな秋、冬なので、ちょっとは調子を上げて、ビジネスも頑張っていきたいです。

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週末、犬たちといっしょに山(長野の黒姫)に行きました。作家CWニコルさんが管理しているアファンの森ということろを見学してきました。いまでこそ財団法人として組織化されているようですが、当初はニコルさんと地元の猟師で林業にも詳しい方と、ほんの2、3人で始めた森林保護活動だとお聞きしています。ひとりで始めた活動がすこしずつ広がっていくのはすばらしいと思います。ビジネスもそうですが。

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アファンの森ではありませんが、違うところではこんな生き物にも会いました。僕はどちらかというと、こういうタイプかもしれません。なかなか俊敏に動き回ることができませんが、時間がかかっても、じっくりとゴールに向かって歩み続けたいです。

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夏の終わりに、過ぎ行く夏を惜しむ。

この会社の宣伝は好きで、目についたときにはいつもじっくり見るようにしています。出されている広報誌もとても素敵。この写真もとてもいいと思うのですが、商品(焼酎)のビンが真ん中あたりに置かれているのが、ボク的にはイマイチかも。iichikoというロゴの横あたりという可能性はなかったのかな?(写真を拡大して確認してみてください)

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今日から2月。

1月も終わってしまいました。先月は短期のアメリカ出張があり、そして先週27、28日には鹿児島、熊本のお取引先を訪問。写真は、iPhone で撮った桜島です。望遠レンズがあればもっと迫力ある写真がとれたのですが、ズームのデジカメを持っていくのを忘れていました。
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さらにひどいことに、リコーのデジカメで撮った写真を間違って消去してしまい、熊本で撮ったお取引先の写真をすべて失ってしまいました。とても残念です。

熊本には去年から何冊か著書を拝読している在野の歴史家(日本近現代史)、渡辺京二が住んでいます。熊本では移動の時間を利用して、渡辺さんの最新刊「未踏の野を過ぎて」を読了。

鹿児島、熊本は3年ぶりの訪問でしたが、またあまり間をあけずにお伺いしたいところです。

今年の冬も朝、皇居一周ウォーキングを続けています。この前、東京に雪が降ったときには、こんな雪だるまが千鳥ヶ淵公園にありました。(これもiPhoneで撮影)

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仕事も忙しいので(「貧乏暇なし」というやつです)、残念ながら、今シーズンはまだ「永遠のビギナー」のスキーにも行っていませんが、一度くらいは雪の中を這いずり回るスキーをやってみたいです。

今月も元気にやっていきましょう!

「アメリカにようこそ!」

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今月初め、アメリカに仕事で数日行きました。初日の夜から翌日お昼にかけて、10年以上おつきあいある方といっしょだったのですが、初めて会った彼のお孫さんから写真のようなプレゼントをもらいました。こんなプレゼントって、素敵だと思いませんか?!

明けましておめでとうございます。

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2012年が皆さんにとっていい年になりますように。
僕も、健康に気をつけながら、自助自立の精神を忘れず、社業に励んでいきたいです。(写真は、札幌・羊ヶ丘のクラーク博士銅像)

うれしくない誕生日

先日、52回目の誕生日を迎えました。友人、知人からお祝いの言葉やプレゼントをいただき、とても感謝しています。通常であれば、プレゼントを贈ったり、贈られたりすることで、とても幸せな気持ちになります。

実は、これまではずっと年を取ることも決して悪くないと思っていたのですが、今年の誕生日にはあまりうれしい気持ちになれませんでした。

今年起こった震災で2万人近い人たちがなくなり、自分が住んでいる町も被災地となったこと。自分自身は決して大きなけがをしたとか、生死に関わるようなことが身に降り掛かった訳ではないのですが、3月11日以降日本で起こっていることから来るさまざまな想いが、ずっと心の重りとなっているのかもしれません。

また、52ともなると、「中高年の危機」のまっただ中ということでもあるのかもしれません。両親や先生方を含む、過去お世話になった方がたも、確実に年老いていきます。自分が年を取ることは、その方たちの年齢も「押し上げている」ことに気づいた時、彼らだけでも時の流れからほっておいてもらえないだろうかと、ふと思ってしまいます。

今年は生き死にのことを考えさせられることが多くありました。そんなこともあって、今年の誕生日にはあまり晴れやかな気持ちになれなかったのかもしれません。

小林秀雄と落合博満

かつて、日本を代表する評論家だった小林秀雄がこんなことを言っている。

「実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。 (作家志願者への助言)


日本を代表する野球監督、落合博満が11月22日に行った退任会見でこんなことを言っている。

「普通のことをやらせることができるかどうか。継続してやろうと思ったら、基本に忠実に。だから、書く側も見る側もおもしろくない。こつこつが一番の近道だし、現実的。私の中で、らしい野球というのは普通のことを普通にできるかどうか。考えている次元が違う。当たり前のことを当たり前にやるのが、一番難しい」

落合と小林秀雄はまったく違う時代に、まったく異なる世界で仕事をしてきた人たちだけど、同じことを言っている。

スティーブ・ジョブス死去のニュースを聞いて。

仙台のお取引先を訪問した帰りの新幹線の中でジョブス死去のヘッドラインニュースを見ました。今、オフィスに帰って机の上で、ロイターのニュースを見ています。以下のスティーブ・ジョブスの言葉を、これからも、くり返し、読み返していきたいと思います。(スタンフォードで行ったStay hungryスピーチは、もう50歳を過ぎた人間には、あまりにもまぶしすぎます。)

「自分が近く死ぬだろうという意識が、人生における大きな選択を促す最も重要な要因となっている。外部のあらゆる見方、あらゆるプライド、あらゆる恐怖や困惑もしくは失敗など、ほとんどすべてのことが死の前では消え失せ、真に大切なものだけが残ることになる。やがて死ぬと考えることが、自分が何かを失うという考えにとらわれるのを避ける最善の方法だ。自分の心に従わない理由はない」。

クロイヌのイラストを無断で使ってほしくないな。

黒犬通信の黒犬ギャラリーにあるクロイヌのイラストは、村田さんというプロのイラストレーターに、我が家のカイをモデルに作っていただいたもので、オデッセイコミュニケーションズが買い上げた作品です。イラストをご覧いただけばすぐに気づいていただけると思いますが、murataさんのサイン入りです。

このクロイヌのイラストを、無断でツイッターとブログに使っている人がいることを知りました。ご本人には、間接的に連絡を取っていますが、無断でイラストを使用することは中止いただきたいです。またクロイヌのイラストは、黒犬通信とオデッセイコミュニケーションズのグッズでのみ使用しますので、どのような理由があろうと、使用を許可することはありません。

繰り返しますが、無断使用を中止いただくようにお願いします。

ノルウェー乱射事件で思い出すこと。

ブリスベーン国際空港のラウンジにいます。YPO国際フォーラムのためにブリスベーンで2泊しましたが、深夜便で帰国します。(シンガポールで乗り継ぎ)

ノルウェーであった乱射事件が、移民問題に発しているという報道を読んで、24年前、ビジネススクールを卒業した後のヨーロッパ旅行中、ノルウェー出身の同級生のご両親宅にお世話になった時のことを思い出しました。どうして移民の話しになったのか、前後の文脈はまったく記憶していませんが、同級生のお父さんが言ったことが記憶に残っています。
「大量の移民を受け入れることには反対です。ノルウェー社会の中で、彼らの多くが成功したとしたら、ノルウェーの人たちの嫉妬の対象となるから。反対に、彼らが社会にとけ込むことなく、経済的にも失敗したとしたら、彼らはノルウェー社会の中でお荷物になるから。移民たちが成功したとしても、失敗したとしても、社会に新しい問題を作ってしまいます。大量の移民を受け入れることには反対です」と。

誤解のないように書いておくと、同級生のお父さんは非常に穏健な、「真っ当な」、普通の方だと思いました。決して、人種差別主義などに与するような人ではないと。そのような方が、大量の移民を受け入れることには注意した方がいいという素朴なご意見をお持ちになっていたこと、そのご意見はすべての社会にある程度当てはまるご意見かもしれないこと。そう思ったからこそ、僕の記憶に残っているのかもしれません。

同級生のご両親がまだご健在だとしたら、今回の事件について、ご意見をお聞きしてみたいと思います。

「疾風に勁草を知る」

先日、社内で社員の人たちに紹介した言葉。

疾風は激しく吹く風のことで、勁草は強い草。出典は後漢書の王覇伝。
自分に従って来た者達が次第に離散していく状況に劉秀が慨嘆して述べた言葉。

過去2年間小社もスポンサーとして加わっていたアビスパ福岡は、開幕から勝ちがない状況。今夜の試合も、浦和に0−3で負けたとHPで知りました。

そんなアビスパの関係者の皆さん、選手の皆さんに、この言葉をお贈りしたい。「困難に遭ってはじめてその人間の本当の価値、本当の強さが分かる」という意味のこの言葉を。いや、アビスパの皆さんだけでなく、自分自身にも言い聞かせている言葉です。

レイソルも、今夜はホームで、ガンバに2−4で完敗だったようですから、レイソルの皆さんにも同じく、この言葉をお贈りしたいです。

そして最後に、われわれの国、日本にも、この言葉を。

もともとないカネを、必要もないモノに使う。

今日の朝日新聞朝刊、「神話の陰に_福島原発40年」の4回目を読んで、カネの誘惑にはそう簡単に勝てないのだなと思った。内容は、福島県双葉町が原発マネーのおかげでうるおい始め、いつしか「小さな町なら負担の重さにためらうような」投資を行い、「どんどん生活はよくなった」のだけど、「原発バブル」はいつまでも続くわけではなく、「いったんタガの緩んだ財政規律は戻らず」。ついには、第二の夕張になることを避けるために、再度「原発マネー」を引き出すために、原発増設要望決議を町議会は可決(91年)、というようなこれまでの歴史を紹介した記事。

この記事の中で、前福島県知事の佐藤さんは、原発マネーに依存し、原発の増設を繰り返す自治体を、「麻薬中毒者のようだ」とも言っている。

福島の原発の話ほど大きなことではなくても、それまで質素に暮らしていた農家が、公共事業のために田畑を売って入った現金を、パチンコやら飲み食いやらに使い果たし、借金そして家族崩壊なんて話は、全国至る所で聞く話だ。

朝日の記事を読みながら、この前Financial Timesで、We spend money we do not own on things we do not need. というような表現を読んだのを思い出した。

東京電力の肩を持つつもりはないし、今、他府県の避難所でたいへんな思いをしている原発地元の人たちをせめるようなことを言う意図ではまったくないけども、東電の地元対策を行ってきた担当者たちは、カネの力で変わっていく人たちを見てきたことだろうから、いまは口にしなくとも肚には言いたいことがあるのではないかと想像する。原発を誘致した市町村のひとたちも、当初は危険に敏感であっただろうに、カネがもたらしてくれる「豊かさ」に、その感覚もだんだんなくなり、いつの間にか、「依存症」になっていったのかもしれないなと想像する。

「カネと色」がすべてだとは決して思っていないし、それだけの人生ではないと思っているけども、われら凡夫の人生は「カネと色」が原因になった事件や事故が多いと思う。原発をめぐる人間模様にも、「カネと色」の話はたくさんありそうだし。

だから、自分が仕事をして稼いだカネならまだしも、もともとないカネを、特別必要もないモノに使うなんてことはやらないことだとあらためて思う。いつかきっと身を滅ぼすから。

動物としての能力と「想定外」

金曜日(5月6日)は休みをとったので、僕にとってのGWは明日で終わり。
昨日、長野県の安曇野に私用があって訪問(安曇野のことをもっと知りたいと思っている。できればここに長期滞在してみたい)。お会いした方と安曇族の話題になって、昔の人は現代人と違ってよく歩き回ったし、われわれからは想像もできないほどの体力があったという話になった。(安曇族は北九州から、いま、安曇野と言われているエリアに来て開拓した海人たち)安曇族は1000年、2000年というような過去の存在かもしれないけど、江戸時代の松尾芭蕉だって、ものすごい歩行力だった。

現代の秀才たちは、北九州から安曇野まで船と足で移動した人間たちが持っていた「動物としての能力」が、完全に退化してしまっている。それは、秀才たちだけでなく、すべての現代人なんだけど、秀才たちの場合には特にそれが問題になる。彼らは、霞ヶ関や東電のような巨大権力組織の上に立ち、われわれ庶民の生活を左右するような意思決定をする立場にあるから。

今回の東日本大震災のような自然相手の闘いの場合を見ればよくわかる。自然と闘っていくには、予定調和の世界でいくら優秀であろうと、まったく歯が立たないことを今回ほど示しているケースはない。(アメリカと対峙するにも、日本の学校でお勉強ができる程度では張り合っていけないけども)

小さい頃から温度調節された人工空間で、答えがあるお勉強を行ってどれだけ優秀であっても、自然相手には手も足も出なかった。想定外のことが続き、自分たちが作り出した原子力という手強い相手との闘いは、いつ、どのようにして終わるのか、その結末はまったく見えてこない。

僕の勝手な意見なんだけど、正解のない問題、先生のいない状況の中で、どうやってベストと思われる解を求めていくか。それには、動物的能力を持っていないといけないのではないかと、ずっと思っている。だからエリートの人たちには、ここちよい大手町や霞ヶ関の空間だけでなく、電気も水道も通っていないような空間、野生の空間で自分を鍛えてほしいと希望している。

動物としての能力は、体力的なことの他にも、暗闇の中や出会いがしらで危機を察知する力、想像力、現場感覚などいろいろとあるはずだ。それらと、学問的な能力というか知識というか、その両者を持たないと、これからのビジネスも政治もだめなんだろうと思う。(敗戦直後の人たちは、僕らよりも、ずっとそのような力を持っていたのではないか)

「想定していませんでした」という言葉を聞くたびに、人工空間で育った日本のエリートのひ弱さを感じる。あるいはひ弱さだけでなく、知的体力のなさから来る怠惰かもしれない。東京の平和で快適な空間から一歩もでないような人たちから、安心してくれと言われても、まったく信用も信頼もできない。

 原子力に関して言えれば、それなしで本当にやっていけるのか、懐疑的に思っている。少々危険であったとしても、快適な生活は捨てがたいという意見は、そう簡単にはなくならないのではないか(すべての電力消費には「三部の理」があるようだから、どれだけ人間を堕落させるだけのビジネスや商売であったとしても、電力消費の権利はあるのだろう)。だからこそ、原発推進派の政治家や財界人たちには、「想定外」なんて言っている暇があれば、福島の現場に飛んでいって動物的な現場感覚を磨いてほしい。利権を嗅ぎ付ける感覚を磨くのと同じくらいの熱意で、お願いしたい。

One month after the 3.11 disaster.

Yesterday marked one month after the 3.11 disaster. One thing for sure is that we cannot go back to "before 3.11". The power of natural forces are way beyond our imagination. It killed almost 30,000 people, most of who were living in the northern Japan. I wrote to my friend in the US to imagine 9.11 and the Three Miles Island disaster taking place simultaneously, but I have to admit there is a big difference between 3.11 and 9.11. In 3.11, there is no human enemy. We had only the earthquake and the tsunami. No humans to blame or flight back. In our history, we had many natural disasters and we learned to be worried about the nature and learned to be humble in front of its power.

We are having aftershocks every day. In Japanese, aftershocks and foreshocks happen to have the identical pronunciation, though we use different characters to mean "after" and "fore". I sincerely hope that what we are experiencing are the aftershocks of 3.11 earthquake, and not the foreshocks to something unknown to us.

被災地のジャズ喫茶

 普段はあまりテレビを見ないのに、震災が起こって以来、しばしばテレビを見るようになっています。大きな被害を受けた気仙沼で、長年ジャズ喫茶を開いてきた人が、テントの中に臨時のジャズ喫茶を開いたニュースを見ました。すごくいいニュースだなと思いました。先日、「気仙沼沖漂う屋根に犬 | 国内 | 特集 東日本大震災 | 」という話同様、いい話。

 この前、日経新聞の文化欄で、早稲田で建築を教えている石山修武先生が気仙沼のことを書かれていたけど、気仙沼への思いがいっぱい詰まったエッセイでした。いつになるのかわからないけども、すべてのことが一段落つき、気仙沼にも日常生活が帰ってきたときには、石山先生が作った気仙沼の美術館をみに、そしてテレビでみたジャズ喫茶店で音楽を聴きに、ぜひ気仙沼に行ってみたいです。
石山修武研究室HP

それほど早くは動けない。

 僕が住む町でも数日前まではガソリンスタンドの多くが休業状態だったのに、昨日は営業していた。それも制限販売ではなく、満タンもOKだった。ただし、なじみのスーパーに行くと、生鮮食料品の棚にはほとんどなにもなかった。上水道は復活したけども、下水道が復活していないため生鮮食料品の衛生管理ができない、よって販売は控える、ということだった。もしかしたら、それプラスで、東北エリアからの野菜が入っていないのかもしれない。
 
 今週、アメリカの投資情報紙「バロンズ」が日本株は買いだという記事を出した。それをまた日経新聞が安直に簡約して記事として出していた(バロンズの記事、中身は大した記事ではないのだけど)。先週、あれだけ狼狽売りがでた株式市場は、今週に入ってなんとなくあがっている。

 ものごとは、みんなが思いたいほど速いスピードで復旧に向かっているのだろうか。もうこれですべて、おわりなのだろうか?(毎日余震の連続だ)。

 東京に住む人たちはほとんど被害を受けていない(少々街が暗くなったって、いいじゃないか)。野球界のボスたちに至っては、2万人の人たちが犠牲になり、さらに東北エリアのいくつかの町は実質的に消滅したということさえ忘れようとしているのではないか(そうでなくて、どうしてあれだけ自分たちの利益のことだけを考えられるのだろうか)。

 僕が住む町はかなりの被害を受けているけども、それは首都圏では例外的なことかもしれない。昨日の夜は計画停電があり、さらに下水道の復旧にめどがつかないこともあって、川を越えた某所にある銭湯は、同じ町に住む人たち(お風呂難民)で商売繁盛だった(銭湯は大好きだよ!)。下水道の復旧のあと、液状化のため傷んでしまった道路や傾いてしまった家々、これらの修理には一体どれだけの時間とお金がかかるのだろうか。特に個人の家々。数年前、市庁舎建設の話があったけども、あれは中止にして良かった。

 ものごとは多くの人が期待するほど、あるいは忘れたいほど早いスピードでは動いていないし、動くべきでもないように思う。被害を受けた人間の生活はそう簡単には元通りにはならない。金融市場、あまり被害を受けていない都市部の人たちはそう期待したいだろうけども。2万人をこえる東北エリアの人たちが亡くなり、いくつかの町は津波ととも消えていったというのに、どうしてそんなことが起こらなかったかのように、3.11前と同様の経済活動を行えるというのか。福島の人たちのことを見ないふりして電力を使いっぱなしというわけにはもういかない。(予定通りイベントが行われるのなら、僕は来月福島の郡山で少人数の人たちにお話をさせてもらうことになっている)

 深く考えないで行動しても、同じ間違いのくり返し。飛ぶためには一度は屈まないと。だからこそ、「ゆっくり、いそげ」。また復旧、復興の努力をしている人たちを忘れないで、支援すること。(でもテレビは恐る恐る、以前のようなバカ番組をまた始めようとしている。)

 それにしても、第2次世界大戦の犠牲者数はすごかったと改めて思う。日本だけでも200万人を越える軍人が、100万人近い一般人が死んだ。祖父や祖母たちの世代の人たちは、戦後どんな思いで生きてきたのか。

「生活仕分け」のいい機会だと思っています。

 実は我が家があるエリアも東北や北関東の一部ほどではありませんが、「被災地」にはいっています。下水道ほか社会インフラが破壊されています。結果、この一週間、家では洗濯はもちろんのこと、シャワーやトイレも使うことはできませんし、暖房も使っていません。まあ、その程度の不便なので、被災地と言っても今のところはたいしたことはありません。ただ、これらが長引きそうなので、影響を受けるわれわれの気持ちは少し荒れていくのではないかとも危惧しています。

 コンビニやスーパーに行くと、買い占められてなくなったもの、棚がさびしい状態になったコーナーがあるかと思うと、まったく欠品になっていない「壁の花」の商品があって、誰からもお呼びのかからない商品たちがちょっとかわいそうでもあります。

 でも、それを見ると、いま本当に大切なものは何で、贅沢品や不要なものが何か、はっきりと現れているように思います。太りすぎの生活の中で、必要もないもの、さらに害があるものへの依存症があったとも言えますし。

 いまはこれまでのライフスタイルや消費パターン、モノとのつきあい方などを見直すとてもいいチャンスだと思っています。政府だけでなく、仕分けが必要なのは、僕らの生活から。「生活仕分け」のいいチャンス。

野球ファンには申し訳ありませんが、開幕戦には反対します。

 これだけの被害者を出し、まだ行方不明の方たちが大勢いて、首都圏では皆が節電に協力している中、「被害者を勇気づける」という自分勝手にも思えるスローガンのもと、多大な電力を使って開幕戦を押し切ってでもやろうとするプロ野球のオーナーたちの姿勢には反対します。

 昨日も書きましたが、Jリーグの決断にはエールを送ります。Jリーグの場合には、外人監督たちが放射線を浴びる怖れから日本を離れてしまい、試合ができないという現実的な状況があるからかもしれませんが、すくなくとも今月一杯はプロ野球も様子を見るべきだと思います。

 プロ野球のオーナーたち、理事たちは、石原都知事風に言うと、「我欲」にとらわれた集団に見えます。もしやるのなら、今月中行う試合からの収益をすべて寄付するくらいのこと、考えてもらえないでしょうか。

 また、これだけ節電を訴えている政府は、毎日、綱渡りを行っているのに、どうして中止協力のお願いを出せないのか。そうすれば、節電の訴えにもっと国民からの理解がえられるでしょう。

 もちろん、僕は経済統制とかには大反対です。でも、野球のように、目の前の生き死にには関係ないことが多大な電力消費を行うことが許されるのか?

 同じスポーツのように見えて、高校野球とプロ野球は違います。甲子園で東北の選手たちが出場し、懸命に野球をやることは、きっと地元の人たちにも「勇気と希望」を与えてくれるでしょう。それはプロ野球と違ってお金とは距離をおいた行為だから。でもプロ野球は興行の世界であり、お金と引き換えに見てもらうエンターテイメントです。性格に大きな違いがあります。

 選手会は、開幕戦実施に反対の声が強いと聞きます。オーナーや理事たちよりも、ずっと常識を持っているなと感心しました。

追記

多くの外資系企業や外国人たちが東京、日本から「脱出」しています。そんななか、東京は大丈夫だ、日本は元気にやっている、それをアピールするためにこそ野球だなんて発想が、どれだけ意味のないことなのか。正確な情報と、冷静な判断(結果、正しいかどうかは別)に基づいて意思決定したい。

夢や希望の前に、現実的な支援を。

 (これはあくまでも僕の考え。賛成してもらう必要はないよ。決して悪意で書いているのでないことは分かってほしいけど)

 通常業務、通常の経済活動を通して、復興に貢献するという考え方の人もいるのは知っている。でもちょっと違和感が残る。1万人をこえる同じ国に暮らしてきた「仲間」たちがなくなって、通常の経済活動というわけにはいかない。それに何10万人という人たちが避難していて、不便な生活をしている。

 Jリーグのとった判断(3月中のリーグ戦はすべてキャンセル)は素晴らしいと思う。それに対して、プロ野球の理事たちはまだ踏ん切りがつかないようで、駄目だなと思う。

 たかが野球(されど野球だけどね!)、1週間程度、開幕戦が遅れたって、生き死にには関係ないよ。野球ファンのひとたちには失礼かな。でも実は、今年初めて、僕も巨人戦のシーズンチケットを買っていて、ずっと楽しみにしていたんだけどね。野球が大好きな父親を東京ドームに招待しようと計画していたんだけど、我が家も「ピサの斜塔」になって、それどころではなくなっちゃった。

 1週間でも、なくなった人たちのこと、まだ災害で苦しんでいる人たちのために、喪に服することが必要だと思う。戦後、日本社会は死者をずっと軽んじてきた。1週間程度開幕戦を遅らせるということが実行できないのだろうか。失うものが大きい人たちは判断が遅くなるね。

 もし野球やるなら、その収益を全部、被害をこうむった人たちに寄付してもらえないだろうか?もしそうするというのなら、喜んで野球を見に行きたい。倍の料金を払ったっていい。(ただ、消費する電力、交通手段はどうなる?)

 被災にあった人たちに、野球で夢や希望を与えようなんて、うぬぼれないで欲しい。彼らが必要なのは、食糧、お金、住む家、薬、電力。いまは、夢や希望の前に、現実的なサポートが必要。

追記

プロ野球の理事の皆さん、映画「タワリングインフェルノ」を覚えていますか?福島原発という「インフェルノ」が見えないのでしょうか?

Thank you, friends, I am ok.

My friends, thank you for your heart warming emails. Specially my dear friends in New York.

Unfortunately, our disaster is not finished. We are still in the midst of it. We need to watch out, because no one can tell if there will be no additional earthquakes. Besides, we have a crisis with the nuclear power plants, which seem to be the top subject of interest from some governments in overseas.

Life in Japan is not the same any more. We are learning to adapt ourselves to a new reality.

Just like 9.11 changed the US, 3.11 is changing Japan.

東北エリアのみなさん、お元気でいてください。

 国内出張にでかけていたため、昨日帰宅しました。僕が住む町も地震の大きな影響を受け、町の各所が地盤沈下を起こしています。我が家も含めて、多くの家が「ピサの斜塔」になっています。水がでない、トイレが使えないと、日頃当然に思っていることが当然ではなくなり、あらためて日頃の生活のありがたみを感じています。

 それでも、東北エリアの方々のことを思うと、不平不満なんて言う気はまったく起こりません。ここ数年、初めて東北エリアを何度も訪問し、お取引先の皆さんとお会いする機会がありました。栃木県、茨城県は先月訪問したばかりですし、宮城、福島、岩手、青森、秋田にはお世話になっている方々も多くいらっしゃいます。彼らのことを思い、気持ちがいっぱいになります。もともと東北エリアは経済的に恵まれていなかったのに、こんなことになってしまって。でもなによりも生きていてほしいです。

 今日から仕事ですが、停電の影響で通勤そのものが簡単ではなくなると思いますし、当面、通常通りの仕事は難しいことと思います。でも負けないでいきましょう、皆さん。

日本語の看板がいたるところにあったら。

 昨日でお取引先とのミーティングも終わったので今日の飛行機で日本に帰る。羽田到着は木曜日の夜11時近くになる。翌日からは今回で三回目になるG1 Summit が山梨の小淵沢である。年に一回、いろいろな分野の方達にお会いできるのは楽しみ(でも、体にはしんどいスケジュール!)

 ところで日曜日の夕方、到着したばかりのサンフランシスコ市内の有名なショッピングセンターに入っているお店で、店頭に日本語のメッセージを大きく掲げているところがあった。それでこんなことを想像してしまった。もし、アメリカやヨーロッパの街角の至る所に、日本語が溢れていたら、僕らはどんな感覚を持つだろうか?って。どんな日本語のメッセージでもいい。たとえば、「絶対に諦めないぞ」とか「俺が一番!」とか、「君はサイコー!」なんて、メッセージが街頭の広告や、お店の中に溢れていたら。なんとなく、「ここの人たちって、もしかして、日本語がかっこいいって思ってくれているのかな?」とか、「僕らの文化のことを気に入ってくれているのかな?」って、思ってしまうんじゃないかな。

 この前、雑誌『日経ビジネス』で、ロンドンのアパレル会社だったけど、「ジャパン・クール」のファンのオーナーがスタートした日本語を使ったTシャツで成功している会社の紹介があった。一昨年の冬、ロンドンに行く機会があったけど、若者向けのファッションのお店が多いエリアで、日本のファッションを中心に売っているところをのぞくと、日本語が書かれたシャツやジャケットがたくさん置いてあったのを記憶している。なんとなくうれしくなったりするものだ。

 現実の世界は、アメリカやイギリスなどの英語を母国語とする連中にとって、世界は彼らの言葉で書かれたメッセージで溢れかえっている。彼らにとって、すくなくとも表面的な世界は、かなり好意的な態度を示してくれているはずだ。日本に来たアメリカ人なんて、平均的なルックスの連中が、「日本でモデルの仕事をやっている」なんて自慢げに言っていることがあるので、英語と外人に弱い国民性が情けなくなることがあるけど、世界の多くの場所は彼らにとってはかなり好意的な場所になっているのだ。すくなくとも9.11以前、あるいは欧米発の金融危機以前までの世界は、そうだったはずだ。

 社会言語学者の鈴木孝夫先生は、日本は日本語が国連の公用語のひとつとして採用されるべく運動をすべきだったという意見をよく書かれている(アラビア語は、石油危機をきっかけに国連の公用語になったのではなかったか?)日本の経済力がどんどん落ち込んでいく中、かつてのような勢いは日本にはなくなっているから、夢のような話しになってしまったけど、鈴木先生がおっしゃっていたことは今考えても本質的なポイントだったと思う。中国は孔子学院、ドイツはゲーテ・インスティテュートを世界に展開し、自国語の学習者を大切にしようとしている。彼らは僕らよりも文化戦略を持っている。

 なんでこんなことを書き始めたかというと、もし世界がもっと日本語で溢れていたとしたら、日本のビジネスはもっと世界に開かれたものになっていたのではないかと思うからだ。もっと世界に向けて日本発のビジネスが発展していたのではないか、と。言語の問題は大きい。ひとつの企業が社内の公用語を英語にするとかしないとかということが話題になる日本だけど、言葉の問題はものすごく大きい。OSとしての言語が世界を制覇し、その上で、アプリとしてのビジネスが大きくなっていく。すくなくとも英語に関してはそんな展開になってきた。この200年くらいは。

 19世紀、南アフリカでダイヤモンド王になったセシル・ローズは、英語を母国語として生まれた人間はそれだけで恵まれているのだというようなことを言ったと、FTで読んだことがある。(あとで確認すると、'To be born English is to win first prize in the lottery of life'。FTの記事は以下の通り→Why proper English rules OK

 これからの世界がどうなっていくのか?中国語が広がっていくのは確実だけど、英語支配はどうなっていくのだろうか?(「中国人として生まれることは、人生の宝くじの一等賞をもらったみたいなものだ」ってことになるのか?!)

一月は毎年早く「行ってしまう」。

 今日で一月もおわり。2011年最初の月。今月に入って皇居一周ウォーキングを始めた。ウォーキングでない日は水泳をするようにしている。1時間運動した日を白星、なにも運動をしなかった日を黒星とすると、今月は18勝13敗。まあまあの星勘定かな。朝7時半とかに皇居を一周する。北国と比べるとかなり過ごしやすい東京の冬でも、今月の朝7時とか7時半だと、1、2度の朝が多かった。でもすごく気持ちがいい。英語で凛とした冬の空気を、crispだという言い方をする(The winter air is crispy!)。ドーナッツにもcrispyというのがあったけど、あちらと違って冬の朝の空気には甘さはない。でも、体が温まってくると外の空気の冷たさが気持ちのよさに変わってくる。
 今年は一旦いろいろ中途半端になっていることを片付け、文字通り心身ともに身軽になって、仕事をきっちりとやっていきたい。自分の思い込みやこれまでの惰性や過去の継続のままでは、いい仕事はできないし、既存のビジネスだって伸びやしない。お金を払ってもらうことはそれほど簡単なことではないのだから。
 でも冬の朝のウォーキング同様、厳しい中で地道に歩き続けることで成果も出てくるはずだし、自分の中から生まれてくる喜びも格別のものになるはずだ。

 それにしても時間の経つのは早い。明日からは2月。この月も毎年「逃げる」ことで有名!

 ところでエジプトで起こっているようなことは、絶対に日本では起こらないと言えるだろうか?もし起こるとしたら、どのようなことがきっかけになるのだろうか。全国規模で大きなデモが起こったのは、70年安保の時が最後だろうか。もし起きるとすると、日本国債の大暴落とそれに伴う経済破綻がきっかけになるのではないかと想像している。肝心の経済が破綻し、生活が苦しくなった時に、これまでずっと大人しいわれわれ日本人がどのような行動にでるのか。日本経済が破綻するまではまだ5年から10年、モラトリアムがあるのかもしれないけど。(関東大震災みたいな天災が起こらないという想定のもと!)

Where do you go today?

 丸の内周辺を歩いているとそれほど目立つわけではないけど、ホームレスの人たちがいる。彼らもそれなりに「こぎれい」にしているので、一式の道具をどこかに置いて歩いていたりすると、結構街にとけ込んで見える。
 今月に入って、皇居一周のジョギングを始めた。その途中、竹橋や二重橋前の公園などでホームレスをよく見かける。二重橋前の公園には合計すると20名くらいのホームレスがいるのではないだろうか。朝8時くらいに公園横の歩道をジョギングしていると、芝の上で横になっている彼らの姿が目に入ってくる。北国ではないとはいえ、東京の冬だってホームレスには厳しいだろうと思う。
 
 朝7時ごろには、会社が入っているビルの地下トイレで彼らの姿をよく見かける。彼らはビルのトイレで用を足し、顔を洗い、体を拭いている。ビルの持ち主である三菱地所だってわかっているのだろうけど、寛大な対応をしている。僕らテナントとして入っている会社も、大きな問題だとしているところはきっとすくないだろう。そのくらいの寛容さは社会に必要だろうから。

 かつてマイクロソフトが企業広告に使っていたコピーが、Where do you go today? もう6、7年前のことだろうか。丸の内でホームレスを見かけると心の中で思う。Where do you go today? って。

Everyone needs to be in love.

 1月4日の朝日新聞朝刊にすごくいい話がでていた。ノンフィクション作家、小林照有幸さんの「どんな高齢者政策よりも『恋愛』」という話。

 簡単に紹介すると、恋は、恋する人間すべてに、生きる意欲と希望を与えてくれる。たとえ70歳、80歳になろうとも、恋愛は「若いころのように燃え上がるような」気持ちを与えてくれる。それどころか、高齢者の恋愛は、死を意識せざるを得ない分だけ若い人以上に、純粋で情熱的でありうる。
 どんな高齢者政策よりも、根源的な福祉策になる可能性を秘めているのが恋愛である。なぜなら、
1 究極の健康増進法である。(恋人ができると、例外なく元気になる)
2 生活の文化度が上がり、社会性が身につく。(おしゃれや身だしなみ。連絡のためにケータイやPCを使う人が増え、新しい機器を使いこなそうとする意欲も出てくる)
3 沈滞気味の日本経済にも活を入れる効果(交際を始めると、高齢者もお金を使うことが増える)

 そして最後にこんなコメントを残されている。「高齢者の恋愛の実態を知るにつれ、私は、老いることへの恐れがなくなった。寂しい灰色の世界、と思っていたみちには、最後の一歩まで希望の灯がともっている」と。

  一見、まったく違うように見えて、河合薫さんの以下の記事は、小林さんの話に共通するものをもった記事だ。
希望喪失の時代に必要なのは、「開国」よりも「開心」元年

 それは人生は独りで生きていくには寂しすぎるというシンプルな真理。

謹賀新年。

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2011年が皆さんにとっていい年になるように!
Happy New Year!

出張勝也
Katsuya Debari

みんな、しっかり休みをとって!

 先日、両親の顔を見るために高知に帰った。24時間も高知にはいられなかったけど。
僕は高知生まれだけど、愛媛育ちの人間で、高知弁はまったく話せない高知県と愛媛県の「ハーフ」(もちろん、うちの両親は高知県人だから、高知弁は話せる)。われわれが県外の人間たちだと思ったのか、タクシーの運ちゃんが、はりまや橋にはこんな冗談がありますと言って、教えてくれたこと。「はりまや橋とかけて、スパゲッティととく。」その心は?!「どこが始まりで終わりか、わからない」。高知に行った人は知っていると思うけど、はりまや橋ほど、イメージと現実のギャップがある観光名所はないんじゃないかなと思う。でも、それを確かめにぜひ高知に来てほしい。はりまや橋以外にもたくさん高知にはいいところがあるから。
 このごろの日本って、一年の始めと終わりがわからないようになっていない?お店も元旦から開いているようなところが多いし。でも、正月三ヶ日くらいきちんと休んだ方がいい。ゆっくり休んで体を休め、そして2011年になにを達成するのか、深く考えたい。はりまや橋だけでなく、始めと終わりがわからなくなっているような一年の過ごし方はよくないから。
(写真は龍馬関連の展覧会ポスター)

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柔らかい心。

 あることで、ボクよりもずっとお若い方からお礼のメールをいただいた。その方には、「あなたはまだ柔らかな心を残しているから、きっとこれからも成長するし、いい出会いもあると思いますよ」とお返事。
 自分の思い通りにならないことが重なって、心がかたくなになっていく人が多い中、柔らかい心や気持ちを保っている人はすばらしい。ボクもそんな人間になりたいと思う。

国内向けと国外向けの寄付金額比較

 先週金曜日の午前中、ちょっと用事があって四谷界隈を歩いていたら、近所の女子高校(四谷双葉)の学生たちが街頭にたって赤い羽根募金をしていました。赤い羽根をもらうのはご遠慮したけど、募金には協力。
 ずっと知りたいなと思っていることがあります。日本人は寄付をしないとしばしば批判されますが、それは本当なのか?たとえば国際比較において、平均所得を考慮した寄付金額の多寡でいってどうなのか?
 
 また、国内向けの寄付金額と、国外向けの寄付金額はどうなっているのか?というのは、僕はアマゾンでしばしば書籍を購入するのですが、寄付募集のパンフレットがはいっていることが多い。で、どのような団体かというと、「国境なき医師団」「ユニセフ」「フォスターピアレンツ」など、海外に本部を持つ団体の日本支部のパンフレットが多いのです。彼らの広告は新聞でもよく見ますし、マーケティングに非常に熱心だと思います。募金目標の一定割合を、マーケティング予算として最初から考えて使っているのだろうと思います。
 
それに対して、どうして日本の団体は積極的に募金活動をしないのか。赤い羽根以外に、ぱっと思いつく、活動がありますか?あとは、歳末助け合いくらいではないでしょうか。日本の団体は、募金に関するマーケティングと、調達したお金の使用使途に関する報告が弱いという印象を持っていますが、実際は、どうでしょうか。ドラッカーはNPO、NGOであっても、経営力が重要であることを強調していました。

 これだけ日本社会でも問題が多くなっていて、海外の貧しい人たちを助ける事も大切なのですが、国内の課題に取り組む団体の存在意義はこれからますます大きくなっていくと思います。

 間違っているかもしれませんが、日本人は寄付しないというわけではないと思うのです。というのは、戦後大きくなったいくつもの新興宗教団体が全国各地に建設してきた建物やそのために取得している土地を見るたびに、ものすごい金額のお金が支援者というか、信者から集められているとしか思えないからです。それは彼らの寄付金です。

 日本のNPOの弱いところをもう一つあげると、経営力だけでなく、もしかして普遍性をもったビジョンの面でも弱いのかもしれません。「国境なき医師団」や最近よく聞く「ヒューマンライツウォッチ」などの活動目標からは、人類そのものを対象にした、スケールの大きさを感じます。いや、日本のNPOだけなく、日本の宗教団体も含めてと言ってもいいのかもしれません。彼らが、自分たちの宗派の信者たち以外のひとたちに、どのような活動をやっているのか、聞いてみたいです。信者たちへのご利益を越えたところでの活動のことを。

 最初の疑問に返りますが、国内向けの寄付と国外向けの寄付の比較、どなたか調査されていたらぜひ読んでみたいです。

今年も最終コーナー。

 昨夜テレビでやっていたアイススケート(「ジャパンオープン」)。浅田真央さんのところだけちょっと見ました。アイススケートのシーズンが始まるということで、今年も終わりに近づきつつあることを改めて思います。浅田さんにとっては、さんざんなシーズンスタートだったみたいですが、シーズン今後の健闘を期待しています。
 今年の総括をするにはまだ少々早いのですが、先延ばしをし、直面しようとしなかったことからは逃れられないことをあらためて実感した一年でした。個人、仕事、国、いろいろなレベルでそのことを感じました。戦後日本はカネ儲けを最優先させ、国家としての哲学、戦略を捨て去っていたかに見えます。気分で動きやすい国が、哲学だの戦略だのと言い始めると、逆に危ないのかもしれませんが、個人においても、会社においても、あるいは国家においても、自分と自分が置かれた歴史的文脈に素直な気持ちで対面し、他者(他国)との関係性の中で、なにを目標、目的とし、生きていくのか。継続的な、沈思黙考の時間が必要だと思います。
 ところで、今朝の朝日新聞書評コーナーに、『「日米安保」とは何か』(藤原書店)という本の紹介がありました(評者は姜尚中)。「日米安保は、日本にとって戦後の『国体』にも等しい呪縛力をもち続けてきた」「安保によって日本は多くのものを得、そしてまた多くのものを失った」
 気になった本なので、早速アマゾンで注文。

党派を越えた経験と知恵を。

 今の民主党政権にとって、中国との外交問題は対応不可能領域にあるように見えます。これまでの自分たちの経験(日本国内での限られた権力闘争)の範囲を越えている。現在、政権の中心にある方々は、国内の「けんか」はできるのかもしれませんが、海外との「けんか」は経験不足のようです。「法の支配」が、かたちの上でも存在する国内であれば、「粛々と進めていきます」でいいのかもしれませんが、中国のような国にはまったく効果はないでしょう。
 自分の党内でさえも個人的な好き嫌いでまともに話ができないのだから、他の党との話はもっと難しいのかもしれませんが、こんなときこそ、党派を越えて、戦後の日本外交で仕事をし、知恵と経験を持った先輩政治家たちを集めて知恵を出してほしいです。
 これだけ中国に揺さぶりをかけられると、国内の政権基盤がしっかりしないと、肚が据わった政策は難しいなと思います。挙党一致どころか、挙国一致でないと、非常に厳しいかもしれない。この危機が、他人に頼ることを恥としなくなった日本に喝を入れることなることを期待したいです。

これから一気に秋に入っていく。

 民主党党首選挙の結果について、金融業界の友人から電話。「日本経済はこれからも低迷。じわじわと円高が進行、株はダメだ」というのが彼の意見。「他の国に移住しようかと考えちゃうよ!」とも。彼はアメリカ生まれの日本人で、英語にも問題はないから、シンガポールあたりに移っても不自由するすることはない。そんな選択肢があったとしたら、一体、どのくらいの日本人が「日本脱出」をはかるだろうか?

 小沢さんでも菅さんでも、このままで日本が良くなるという期待が持てないのがつらい。きっと多くの人がそう思っているのではないだろうか。
 
 仕事の方は、ここ数ヶ月、10数社のみなさんと進めて来ているコールセンターで働く人たち向けの資格試験の立ち上げが目の前に迫って来ている。年内、仕事になるのは残り3ヶ月ほど。今年も残りわずか。

  残暑は峠を越え、これから一気に秋に入っていく気配。
秋、冬、大好きな季節です。冬、震えながらコートを着て、犬たちと散歩に出かける、これまた楽しいのです。また一つ年を重ねることでさびしい気持ちにさせられるけど、これからの気候はウェルカム。

理解を超えた人たち。

 9月11日にコーランを燃やそうという連中がいるというニュースを読みましたが、この連中のようです。
Profile: Dove World Outreach Center(BBC Newsより)

 もともとアメリカにはファンダメンタリストと呼ばれる狂信的な自称キリスト教徒(という名の新興宗教だと思いますが)たちが多くいると聞きますが(僕は実際にそのような人たちと会ったことも、つき合ったこともないのですが)、この連中もその一つでしょうか。

 不況になると、このような連中が増えてくる。日本も例外ではないかもしれない。だれだれの陰謀で不況になった、世の中が悪くなったというようなことを言う輩が。

子離れ

 50も過ぎると両親への感謝の気持ちが強くなってきます。僕は一人っ子。なので、さぞかし大切に育てられたでしょうと、言われることが多かった。そう、きっと大切に育てられています。でも、両親に感謝していることは、16歳の時、AFS高校留学プログラムで一年間アメリカに行かせてくれたこと、そしてずっと僕を信じて好きにさせてくれたこと。「子離れ」を実行してくれたこと。
 このごろの親御さんって、もう大人の大学生とか、専門学校生の子どものことに顔を出しすぎない?会社の面接だの、入社式だのに同伴している親御さん、いつまで子どもを支配したいの?もっとお子さんを信じてあげて!失敗することだって、大切な経験だから。

Living simply will be a blessing.

A friend of mine from college and from HBS brought this article to my attention. I have always dreamed of simple living. I put experiences above materials. I have been lucky to have unforgettable experiences with my friends, been to so many places with the loved ones.
It is hard to forecast how the economy in the developed markets will be affected if the people change their life styles and value systems. But I think it is an experiment we should try. It has been too long of a period that people continued to buy things one after another. Why do we need to have a digital camera every two years? Let's think deeply why we need all of these things to become a happy person.

Consumers Find Ways to Spend Less and Find Happiness from NYT

ツイッターをやってみて子どもたちの気持ちがちょっと分かった、気分。

 今の子どもたちって、ちょっとかわいそうだなって、ツイッターをしばらく続けてみて思った。
単純なメールから始まってSNSにいたるまで、人に嫌われないように、敵をつくらないように、そんなことにものすごいエネルギーを使わないといけないんだから。小学生や中学生の段階から。
 小学生のころだったかな、学校ですごく嫌なことを記憶している。毎年だったか、2年に一度か忘れたし、小学校だったか、中学校だったかも覚えていないけど、「クラスの中であなたが友人だと思う人を記入して下さい」という、行動調査というか、人間関係調査というか、そんなアンケートに答えさせられた記憶がある。ある意味、これと同じことを、SNSやツイッターを通して、陰に陽に、子どもたちは経験しているのではないかな?
 昨日、母校の関係者の方がいらっしゃって、「大学での起業家育成教育はどうあるべきか?」なんて話題になったけど、日本みたいな集団の内向き圧力が強い社会で、人と違うことをやるのは結構しんどいんじゃないかなと思う。僕の場合は、もう名前から変わっていて、同一化しようにもしようがないくらいだった。名前って大切だと思う。だって、小学校に上がったときから、ずっと呼ばれるんだから。その名前が、学校にただ一人、さらには町にもうちの家だけなんだから、僕の場合は。他の人と同じでいたいと思っていても、もう出発点から違う存在なんだよね。
 「出張」って別に外国人の名前でもなく、うちの家系は海外から来たなんて話はないけど、珍名さんなのは確かで、かつてテレビ番組で珍名コーナーがあったとき、同じ名字の人が紹介されていたもん。
 で、ツイッターの話に返ると、もう50人以上フォローすることなんてできない。特にメディア関係のツイートをフォローしていると、数が多い。だから知り合いからのフォローとかに、義理を欠いたりすることも出てくる。こんなことを子どもの頃から気にしないといけないとしたら、今の子どもたちはちょっとかわいそうだなと思ってしまう。
 そんな集団の同一化圧力が強いところからは、なかなか起業家はでずらいかもしれない。どうだろうか?

なぜ人は山に登るのか。

先週上海で手にした7月29日のInternational Herald Tribune (The Global Edition of The New York Times) に、戦火のイメージしかない母国にエールを送るためにエベレストに挑戦しようとする、アフガニスタン出身の男の、ひとつの答えが紹介されていました。とても素敵な答えだと思ったので、メモしておきます。
"Mountaineering is the most primitive expression of liberty in the land that belongs to you."  登山は、自分に属する土地において表現しうる、最も原初的な自由の表現だから。そう、山に登る行為は、忍耐を知る人間が自由を求めて行う、崇高な意志表明の活動なのかもしれない。

記事はこちら→Afghan climber aims for Everest.

雑感

1政権交替後初めての死刑執行が行われ、弁護士資格をもつ法務大臣は、自ら執行の場に立ち会い、死刑執行に関する国民的議論の必要性を提起されています。前回の参議院選で落選されつつも法務大臣のポジションに継続してついていらっしゃる大臣ということで野党側が問題視していますが、このテーマについて議論を求められ、ご自身が執行の場に立ち会われたということは、非難されるべきことではなく、逆に真摯な姿勢のあらわれなのかもしれないと思いました。
2宮崎県の口蹄疫にかかったから殺されていって29万頭の牛たち。農林水産大臣は、その殺処分(なんて嫌な言葉!)の現場に立ち会ったのでしょうか。霞ヶ関の雲の上から、電話と書類でこの問題を「処理」していったのでしょうか。最後の最後まで大切にしていた種牛たちは、本当に殺されないといけなかったのでしょうか?海外では、口蹄疫にかかった牛たちは、必ずしも殺処分するのではない対処の仕方をとっているという話も聞きます。また日本の法律は何十年も前に作られ、その後の科学的調査でわかったことを取り入れていないという意見もあります。
3牛たちの気持ち、牛たちの飼い主たちの気持ち。彼らの気持ちは現場を知らない自分には理解できていないと認めます。でも、飼い主の方たち、特に最後の5頭の種牛のオーナーの方は、「悪法も法なり」と言って死んでいったギリシアの哲学者と同じような立場にあったのではないかと思えてなりません。

自分を知ることは時にはつらいけど、そこが出発点かな。

新聞の書籍広告を見ていたら、『一億総ガキ社会_「成熟拒否」という病』(光文社新書)という本の紹介文が以下のようにあった。
 「打たれ弱い、何でも人のせいにして責める、依存症。スゴイ自分という幻想をあきらめられないために起きる諸問題を分析。成熟とは何か、喪失とは何かを考える。」

 きっとどの会社にも、コミュニティにも、もしかして多くの家庭にも、この描写にあてはまるようなメンバーがいて、周りで苦労している人たちがいるのではないかと思う。

 ギリシアの哲学者がつぶやいたように、まず自分自身を知ることだと思う。残念ながら、一日や二日、座禅を組んでみても、一週間ほどの自己啓発セミナーに行ってみても、そう簡単には自分自身を知ることはできないけど。何年、下手すると何十年、日々の生活の中で自分を鍛えながら、すこしずつ自分が成長していることを感じながら、自分自身のことを知っていくのかなと思う。

 『一億総ガキ社会』の、アマゾンにある内容紹介にはいかのような文章がでていた。

精神科医である筆者が最近の臨床現場で感じている、3つの特徴的な傾向がある
1、ひきこもりの増加にみる打たれ弱さ、
2、何でも他人のせいにして切り抜けようとする他責的傾向、
3、覚醒剤や合成麻薬などにすがる依存症の増加......。
これらの根源に横たわるのは、実は同じ病理である。いずれも、「こうありたい」という自己愛的イメージと、現実の自分とのギャップが大きすぎ、ありのままの自分を受け入れられないのである。「自分は何でもできるんだ」という空虚な幼児的万能感をひきずったままの若者・大人の増加。その「成熟拒否」の背景には、親の側の過大な期待と、現在の幼・青年期には失敗や喪失体験が少なく、精神分析でいう「対象喪失」が機能しなくなっていることがある。本書では、臨床例・事件例をもとにこの問題を分析。喪失を受けとめ、地に足のついた真の再生を果たすための処方箋を示す。

 アメリカの親の多くが、子供たちにこんなことを言っているのを聞いたことがある。「この国は世界で最も偉大な国だ。この国では、お前は何でもできるし、何にでもなることができる」と。いつもこれを聞くたびに、「アメリカだなあ!」と、その楽観主義に感嘆するとともに、「挫折」という言葉が頭に浮かんでくる。
ただし、このアメリカの親が子供に伝える言葉は、この『一億総ガキ社会』のいう「自分は何でもできるんだ」とは、ちょっと違う。「努力すれば」という条件がつけられているような気がする。

 自分を主張する「ガキ」となった日本人一億は、「努力をすれば」という条件は受け入れているんだろうか。

 僕も、それなりに挫折というか、七転び八起きを経験しながらここまで来たので、「努力してもいつも希望通りになるとは限らない」ということも分かっているし、自分自身の弱さというか、情けなさというか、足りないところもたくさんあるのはわかっているつもりだ。自分を知ることは大切なんだけど、確かに、自分を知ることは時にはつらいこともある。

 でも、どうやって自分の人生に折り合いをつけていくのか、以前、村松増美先生からよくお聞きした言葉である、How to be a good loser となることを学んでいくのか。それが成熟していくことだし、自分をより深く知っていくことだと思う。
 そして、実はそこからまだまだ成長できるのが、可能性を持った人間なんじゃないかとも思っている。だから、決して、達観やあきらめの境地というつもりで言っている訳ではないからね。

日本でしか見られない風景

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 新幹線の車内の掃除が終わった方たちが、ホームで挨拶をされる風景を見るたびに、これは日本でしか見られない風景だなと、いつも思います。朝の通勤電車でお客を車内に無理におして、ドアがしまるようにする「プッシャー」は海外でもしばしば紹介されますが、この新幹線の清掃担当者たちこそ、日本の象徴の一つだと思います。
 新幹線が時刻通りに走り、これらの清掃担当の方たちが、限られた時間の中できちんと清掃を行って下さっている間は、まだ日本は大丈夫かなって思うことがあります。日本の勤勉さを測る、ボクなりのひとつの指標です。

今日から何を変えていきますか?

 日本・パラグアイ戦、ボクもPKの終わりまで見ました。90分ぷらす延長前後半30分で決められなかったことが残念です。前半はボールを支配されていて、選手の身体能力でもかなり相手が上かなという印象だったので、無得点に抑えたDFを讃えたいです。
 朝、いつもの通り5時すぎには起き、寝不足のままテレビをつけると、20代の若い人たちが、「勇気をもらった。最後まであきらめない姿勢がすばらしかった。」と言っていました。その気持ちをずっと持ちつづけてほしいと思います。
 テレビで涙をながしていた人たち、興奮気味に「感動した」と話していた人たち、彼らに聞いてみたいです。「今日から何を変えていきますか?」って。またケータイでゲームをやる毎日に帰っていきますか?
 すくなくともJリーグのファンがすこしでも増え、スタジアムに足を運ぶ人が増えることを心から希望しています。
 それから、いつもスポーツ選手たちばかりが「勇気をもらった」と言われるのは、ちょっとしゃくに障ります。僕たちビジネスマンだって、政治家だって、あるいは官僚たちだって、「勇気をもらった」って言ってもらえるように、ここぞという時には、かっこよく仕事をしていきたいと思います。

オチビサンの世界に遊びたい。

今週末はこの人とずっといっしょでした。
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世の中には変わった姿かたちの生き物がたくさんあるものだと感心します。

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木の緑が新鮮な、生き生きとした気持ちにしてくれます。

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なんとなく、オチビサンの世界に入っていきそうです。
オチビサン

書き換えるのは未来ではなく過去。

ツイッターのホームに、ワールドカップ期間中の広告として、Nikeが「未来を書き換えろ」っていうメッセージを出しています。でもこれは間違いだと思う。
未来はまだ書かれてなんていない。未来はこれから僕らが当事者のひとりとして参加しながら書かれていくもの。
書き換えるのは、過去の出来事が作り上げた「常識」、「潜在意識」、あるいは「偏見」。

板井麻衣子さん

 次号のオデッセイマガジン巻頭インタビューに、2010年ミスユニバースジャパン代表に選ばれた板井麻衣子さんにご登場いただきます。昨日、都内のスタジオで撮影を行い、インタビューも行いました。
 オデッセイマガジンに僕もでる巻頭インタビューを始めてから、5人目で初めての女性です。これまでは全部男性!(前回は貴乃花親方)。(よく新聞広告などでも、女子アナとわざと企業経営者のちょっとわざと臭い「対談」がでていますが、あんなのはあまりやりたくない!)
 板井さんをお願いしたのは、もちろん僕なのですが、それは彼女が地元大分県臼杵市の市役所職員を昨年末で辞めてミスユニバースに挑戦したという記事に興味を持ったから。
 僕は「変化率」というコンセプトがとても大切だと思っています。人生において(あるいはビジネスにおいて)、ものごとが大きく変化するタイミング、時期が必ずあります。その時に、その変化にどれだけついていけるのか、その変化に挑戦することができるのか、その変化をチャンスに変えることができるのか、それで勝負は決まると思います。もちろん、その変化をものにすることができるかどうかは、それまでの努力、変化に気づかせてくれる出会い、準備、努力の継続、そして「運」があります。
 板井さんにとって、2010年は最大に変化率の高い年になるはずです。実際、3月にミスユニバース日本代表に選ばれてから、彼女の人生は大きく変わってきたということでした。ちょっとした例をあげえると、これまで25年間よりも、今年一年できっと何倍もの写真を撮られることでしょう。そして信じられないほどの人が、彼女の存在を知ることになった。
 上智大学外国語学部でポルトガル語を勉強したことも、大分の歴史(キリシタン大名!)を意識していたからということでした。大分から世界に向けて、どのようなジャンプを彼女がすることができるのか、僕はとても楽しみにしています。
 ミスユニバース世界大会決勝は、8月23日、ラスベガスで行われるとお聞きしました。Good luck!

生活のリズム

 GWのような連休が続くとありがたいことと、困ったことがある。
 ありがたいことは普段なかなか行けないところ、たとえば先日行ったぐんま天文台みたいなところに行くことができること。たまった新聞や雑誌の記事を読んだりなんてこともある。今年のGW、新たに試しているのは、食事制限。ゆうべはもう午後5時くらいから部屋のベッドの上で本を読んだりしていて、夕食を完全に抜かして9時には床に入った。今夜もこのパターンでお茶以外は口にしないようにするつもり。今日はお昼をしっかり食べたので、夕食を抜くくらいのことをしないと摂取するカロリーをコントロールできない。
 困ることは普段の生活のリズムが崩れること。できるだけ起床時間は普段通りに5時には起きる。今日は会社にも出かけて行った。午前中は普段よりも2時間ほど遅いけど、水泳にも行った。この前から使っているハンドパドルを使って泳ぐと腕や肩を効率的に鍛えることができるのも気に入っている。すこしずつ泳ぐ距離を伸ばしていく。(休日だと時間をそれほど気にせずトライできるのもありがたい)。
 連休から普段の仕事生活に返っていくことほど苦痛なものはない(歯医者ほどではないが!)。だからできるだけ普段の生活リズムを崩さないようにする。

GW中、試験に挑戦している方々へ。

GW中にも働いている人たちが多数います。それから、平日ほどではありませんが、GW中にも小社で運営している資格試験をご受験になられている方々がいらっしゃいます。ぜひいい結果になりますように!
それからGW中、サポート業務に携わっている小社の社員の皆さんにも、THANK YOU!

On a nice spring Sunday morning.

 春になったというのに、ずっと寒い日が続いていると、決して冬(寒い日)が嫌いじゃない僕だって、体調がぱっとしなくなる。今日みたいな日が来ると春もいいよねって思えてくる。
我が家の二等の、いや訂正、二頭の黒犬たちは、フィラリアと狂犬病の注射をする必要があって、午前中はまずクウ太郎君を動物病院に。最初の写真は、車の中のクウ太郎。

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 病院の診察台にあがるとこんな顔。

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 待ち合いコーナーで知り合ったゴールデンレトリーバーの「梅吉」君。こんな顔をしているけども、「梅吉」君。

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 ところで、先週金曜日の夜、丸の内のレストランであった、さかはらさんの『サリンとおはぎ』の出版記念食事会。講談社の担当編集者やフジテレビの映画担当者なども参加していた食事会。そのときに、今朝の読売新聞の書評ページの「記者が選ぶ」というコーナーに、『サリンとおはぎ』が紹介されると聞いていたので、動物病院の帰りに家のそばのセブンイレブンにて新聞を購入。
 記者も書いているように、さかはらさんは「振幅の大きな人生」を送ってきたと思う。僕には耐えられないだろうな、とも。
 午後はカイさんが今度はフィラリアと狂犬病の注射、そしてクリーニングを取りにいかなくては。久しぶりにゆっくりした日曜日は、天気もよく、普段できない片付けものをして過ぎていきます。Thank you!

違和感を感じるとき

1980年代後半だったか、立花証券の創業者だったと記憶していますが、日本は少子化に入るので土地や家は安くなっていくというようなことをおっしゃっていたと記憶しています。20代から30代になろうとする、まだ経験の乏しかった僕は、頭では理解できても肚から信じることはできませんでしたが、その後の展開を見るとさすがだなと思います。
もう20年前から日本経済の根本的な転換は始まっていたにも関わらず、ほとんどの日本人はそれを直視しようとはせず、刹那の暮らしを守ることにしがみついてきました。
民主党の一部議員たち(デフレ脱却議員連盟)が、デフレ脱却には思い切った政策(財政、金融を問わず)が必要だというようなことを言っているようですが、ものすごく違和感を感じます。過去20年間使いはたしてきた政策を繰り返すことでは問題は解決しないことは明白で、根本的な変化についての考えを国民と共有し、もう麻薬的な政策、刹那的な政策では問題は解決し得ないことを正直に議論してもらいたいです。
アメリカ、イギリス、日本など多くの先進国の財政赤字が桁外れの規模になってきていて、国家が破産する危機は侮れないと思います。70年代から80年代にかけて、中南米、東ヨーロッパ、アフリカの国々のなかには、破産した国がありました。いま、BRICKsといわれてもてはやされているブラジルもそのひとつ。あのころ、世界経済の中枢にあった米、英、日といった国々が危機的な財政状況にたち、ブラジル、中国、インドなど、経済的にはどちらかと言うと周辺国的な存在だった国々が昇り調子にある。それだけでも世界経済の構造が抜本的に変化してしまったなと感じます。
日本だけが孤立して存在しているわけではないのに、国民の気持ちは見ざる、聞かざる状況で、政治家たちは本当のことを言わざるという状況になっていることに、ものすごい違和感を感じてしまいます。

リスクなくして活力なし。

 今日で41年にわたる会社勤めから「卒業」するHさんと昼食。ここ数年、お世話になっているお取引先の方です。
いろいろと話をしていて僕の表現に大いに反応してくれたのですが、その中のひとつがこの「リスク(不確実なこと)なくして活力なし。」

 今の世の中、安心、安全、安定と、ネコもしゃくしも確実なものを求めているように見えますが、その結果は意に反して、ますます不安、危険、そして不安定につながっていて、不確実性は高まるばかりのように思います。リスクなくして活力なし。リスクのないところには活力は必要なく、また生まれてもこない。

三寒四温。

 暖かくなったかと思うと、冬の天気に逆戻り。鹿児島だ、札幌だと移動していると、文字通り、春と冬を行ったり来たりすることになります。
 春先、気温の変動を「三寒四温」というのは、最近の日本での使い方のようで、もともと朝鮮半島や中国で使われるときには冬の天候の変化を表すために使われていたとか。
 気温の変化が激しいこと、移動、それと仕事上多くの方々とお会いしお話もしないといけないために、なかなか風邪が直らなかったり。こんなときはしっかり睡眠かな。
「三寒四温」

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歴史から学ぶー過ちを繰り返さないためには

 アメリカでは公開されているのに、ずっと日本側が知らぬ存ぜぬで通してきた非核三原則と沖縄返還に関する密約にいつての調査結果が今朝の新聞各紙にでていた。最初に思ったことは、「日本って、哀しい国だな」ということ。われわれ国民はいつまでたっても政府や政治家たちと、対等な立場で議論することができない(主権は誰にあるの?)、「知らしめず、寄らしめるべき」存在でしかないのかということがひとつ。役人や政治家たちの行動から、われわれ国民にオープンでないだけでなく、自分たちの意思決定のプロセスや論理を歴史の審判にゆだねる謙虚さと誠実さを持たず、歴史の暗闇の中でこそこそと行い、葬ろうとする姿勢であることが見えることがふたつ。(アメリカ政府が一定の時間を公文書を公開していくのに、日本政府は自分たちに都合の悪いことは消していく。)
 
もしかして、このような調査がおこなわれたことだけでも大きな進歩で、「革命的」なことなのかもしれないから、悲観しているばかりではなく、「未来志向」で考えないといけないのかもしれない。これも政権交代があったことでの日本の政治の進歩というこだろう。

 でも、今日読んだFinancial Times の記事を、密約に対する日本政府の態度と照らし合わせて考えたとき、なんとも言えない残念な気持ちになってしまった。John Kayのその記事は、Regrets? Everyone should have a few. (後悔?きっと誰もひとつやふたつはあるはず。)というタイトルで、後悔してもしつくせない過ちは誰にもあるはずだけど、それにどう向き合うかで、その人が成功するかどうかが決まるというものだった。それほど長い文章でもないから、英語の文章をぜひ読んでいただきたいけど、バフェットにしろ、ソロスにしろ、自分の過ちを認める度量とその過ちから学ぼうとする姿勢があったからこそ、ここまで成功したのではないかという話には、僕のように何度も失敗をしてきているような人間には、考えさせられるところが大いにあった。
 僕を筆頭に凡人は、何度も同じような間違いをしでかす。それどころか、失敗したのは、自分のせいではない、親の責任だ、先生の責任だ、上役の責任だ、あるいは時代の責任だ、日本の責任だなんていう人さえもいる。(そういうことを自分が言っているということに気づいていない人も多い)

 John Kay はニーチェのこんな言葉も紹介している。“ ‘I have done that,’ says my memory. ‘I cannot have done that,’ says my pride, and remains inexorable.” (私の記憶は、私がそれをやってしまったと言っている。私のプライドが、わたしがそんなことをやったはずがないとがんこに言い張る。)そしてJohn Kay はこう続けている。We do not acknowledge our mistakes because we have genuinely persuaded ourselves we did not make them. (われわれは自分たちの間違いを認識しないのだ、なぜなら、われわれは自分たちが間違いを起こさなかったと心から自分たちを説得してしまったから。)このニーチェの言葉は、どこかの国の役人たちのことではないかと思ってしまった。同時に、我々国民の多くも、「お上意識」がなかなか抜けず、国のことを盲目的に信じている人もいる。
 これまでどれだけ多くの過ちが僕ら国民の目から隠されてきたことか。その結果、日本はどれだけ多くの、生きた歴史の教材を捨ててきたことか。ハーバードビジネススクール風にいうと、どれだけ多くのケーススタディの材料を捨ててきたことか。

 John Kayの記事は以下のような一節で終わっている。
Throughout the credit crunch, mistakes were made, by bankers, politicians, regulators. But not by me. George Santayana, the Spanish philosopher, famously remarked that “when experience is not retained, infancy is perpetual. Those who cannot remember the past are condemned to repeat it.” If we learn no other lesson from the events of the past decade, we will be fated to learn that one.
 ざっと訳すと、『この金融危機を通して、多くの間違いが、銀行家、政治家、役人たちによっておかされた。(でも「僕は間違わなかったよ」)スペインの哲学者のジョージ・サンタヤナが言った有名な言葉に、「過去の経験を忘れずに持ち続けないと、幼児のように無知のままの状況がずっと続くことになる。過去を記憶することができない人間たちは、過去の過ちを繰り返すことになる」というものがある。もしわれわれが過去10年間の金融市場における出来事から学ばなければ、われわれは同じ間違いを繰り返すことになるだろう。』
 日本の学校の歴史教育から変えていってもらわないと、「知らしめず、寄らしめるべき」存在の国民が再生産されるだけで、そんな国民しかいない国では、同じ間違いを繰り返すしかないのかなと思う。そしてこの20年間、日本がまったく経済成長することなく、どんどんと地盤沈下していっていることこそ、その「間違いを繰り返している」ことのひとつの現れだと考えた方がいいのではないかと僕は思っている。間違いはいまも目の前で繰り返させれている、と。

Regrets? Everyone should have a few

聞き上手は幸せづくり上手

聞き上手は幸せづくり上手なんじゃないかなと思う。

ゆうべ(2010年2月23日)の日経夕刊一面、「拓くひと」というコーナーに「希望学」に取り組んでいる東大の玄田有史先生が紹介されていた。その記事の中でよかった話。調査対象の釜石の製鉄所の元従業員の息子が、「おやじが元気になった。東大(研究チーム)に来てもらってよかった。」それについで、記事の中で、人生について話を聞くことは語る人も幸せにする、とあった。

なぜ多くの人がブログを書くのか。人に自分のことを聞いてほしいから。自分を幸せにしてくれる、聞き上手の人を無意識のうちに探し求めているからかな。(かくいうクロイヌにもそんな気持ちがまったくないとはいえない。)

他の人の話をじっと聞いてあげるだけで、その人をちょっとでも、一時的にであったとしても、幸せにしてあげることができるとしたら、なんて素敵なことか。

冬のシアトル

 マイクロソフトオフィススペシャリスト(MOS)を実施、運営する主要市場の関係者が集まって、マイクロソフトの担当者とのミーティング。今日一日のために、日本、韓国、ブラジル、イタリア、アメリカなどの関係者が集まりました。
冬のシアトルはそれほど寒くはなく、コートなし、ジャケットにマフラーで十分。社員のOさんはダウンのコートを持ってきていましたが、まったく必要なし。そういえば、オリンピックが今週末から始まるバンクーバーって、ここからそれほど遠くないはず(僕もまだバンクーバーには行ったことがありません)。雪が足りないようですが、開催は大丈夫かな?
 シアトルと成田の間の直行便って、現在ではUAかノースウェストしかなくって、JALが直行便をとばしていたのは、一体、どのくらい前だったのか?明日はUAの直行便で帰ります。

霞が関のエリートだって感謝の言葉はうれしいはず。

昨今は、霞が関の役人と聞けば、叩く対象としてだけ存在するというような風潮があるけど、彼らだって人間だから、彼らの提案や政策でいいと思えるようなことがあれば、感謝というか、「いいぞ!」という声をもらうと、きっと嬉しいはず。それは政治家だって同じだろうけども。日経ビジネスオンラインのこんな記事を読みながら思います。

霞が関にはお礼の電話が滅多にないから嬉しい

2001本目のブログ「メモ」

この「メモ」で2001本目になります。黒犬通信をはじめて5年が過ぎました。正直言うと、ボケ防止程度のつもりで続けています。これからも細く長く続けていきます。友人、知人のかたたち、もう会えなくなったかつての知り合いたちへの「一方的な近況報告」としてすこしでも役立てばラッキーです。稀な話ですが、見知らぬ方たちにもなにか感じていただければ、それこそラッキーだと思っています。

貴乃花親方、おめでとう。

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初場所千秋楽後の貴乃花部屋パーティで、日本相撲協会理事選挙にむけての気持ちを読み上げる親方。閉鎖的な談合組織(とわれわれには見える)相撲の世界に、新しい息吹を!期待しています。

長谷川龍生「ちがう人間ですよ」

今日の日経朝刊一面下の「春秋」で紹介されていた詩人・長谷川龍生の「ちがう人間ですよ」という詩の始まりの一節がとてもいい。

「ぼくがあなたと 親しく話をしているとき

ぼく自身は あなた自身と 

まったくちがう人間ですよと

始めから終りまで

主張しているのです」

ストレッチを続けてみて思ったこと。

 半年以上にわたって、毎日5分、10分の細切れの時間をつかって、家やオフィスでストレッチを続けています。真向法の基本の、股関節を柔らかくするストレッチが中心です。子供の頃、うちの親が寝る前に、ふとんの上でやっていたことを思い出します。自分も、あの頃の親の年齢になったのかな?
 ストレッチをやって、普通に生活している中では使わない筋肉の使い方、関節のまわし方をしていかないと、からだが本来保っている力や柔らかさを維持できないということを実感しています。原始の人間は、一日に何万歩(一万歩ではない!)と歩き、しっかりした足、腰をしていたはずです。腰痛の人は少なかったのでは?僕らは、車や電車で移動し、便利さのおかげで、「必要」が減っています。たとえば、どこに行くにも自分の足で歩いていかないといけないという「必要」。
 必要とされないものは、どんどんと退化していき、さらには意識から消えていきます。なので、本来のあるべき姿を回復するためには、「必要を自分で作っていく」しかないです。ストレッチをすることも、「必要を自分で作っていく」ことのひとつ。
 それから、頭のストレッチも必要だよね。難しい本を読んだり、音読したり、詩を読んだり、または外国語を勉強したり。そんなことも普段の生活には必要ではないかもしれないけど、「頭のストレッチ」にはなるかな?

哀しきイノシシの母親

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 日帰りで金沢のお取引先訪問。今年最初の「新日本紀行」。羽田発7時20分の小松行き、そして20時15分発の小松→羽田行き。往復ともJALに乗りましたが、機内で流されていたNHKニュースではJALの再建問題がトップに。特に帰りの機内ではストップ安になったJAL株価のニュースが。クルーの人たちが心なしか、NHKニュースを意識的に無視しているようにも見えました。
 地元の「北國新聞」をコンビニで一部購入。一面には住宅地に現れ、あえなく殺されたイノシシの母親の記事。人間に危害を与える可能性があったとはいえ、なんとも言えないむごさと哀れさを感じました。イノシシ年生まれのクロイヌです。
下の写真の、子供と思われるイノシシには生き延びてほしいです。

 金沢の冬は曇空で、冷たい雨。明日は雪になるとか。地元の方たちのお話では、北陸3県の冬は雲がたれ込め、重い気持ちにさせる季節だそうです。太平洋側で生まれ育った僕には想像するしかないことです。

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大人虎変(たいじんはこへんす)

 我が家の甲斐犬たちのうち、カイ(♀)は黒虎毛で、クウ太郎君(正式名は大空号。これは僕がつけた名前ですが、甲斐犬愛護会にはこの名前で登録されています。)はほぼ黒毛。甲斐犬は日本オオカミに近いとも言われますが、甲斐犬たちの多くは黒虎毛で、一部が赤虎毛です。
 「虎変」は、虎の毛がきっぱり抜け替わるように、鮮やかに変化すること。「大人」は徳のある人ということだそうです。(それに反して、「小人革面」という、「面従腹背」と同様の、あるいは近い意味の言葉もあります。)「徳がある人間」というのは、漢文のテーマのひとつだと思いますが、一筋縄では理解できる言葉ではないです。
 どうすれば「大人」になることができるのか。もともと「大人」として生まれたわけではなく、自分の意志と努力で「大人」たろうとする人間は、どうすればいいのか。あえて厳しいこと、苦しいことを求めていき、それらを克服していくことで、「大人」にすこしずつ近づいていくことができるのか。またその過程において、「虎変」することを繰り返していくのか。
 「大人」であるから「虎変」することができるというだけでなく、「虎変」というあざやかな変化ではなかったとしても、たとえわずかであっても変化を繰り返していくことで、「大人」たる自分に近づいていくことができるのではないか。僕はこの言葉からそんなことを考えています。

来年は何度も坂本龍馬を目にするかな。

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ソフトバンク携帯のパンフレット。
龍馬伝が始まるとこれまで以上に坂本龍馬を目にするかな。

未来の人類が辿る道にならないように。

愛媛のとべ動物園のシロクマ、ピースが10歳になったというニュースを先日みたばかりなのに、ショッキングな写真をロイターのサイトで見ました。
北極圏のシロクマが食料不足のため、共食いが起こっているという話です。
ロイター

好況を知らない世代

うちに来ている某証券会社の若手営業マンと話していたら、「自分たちの世代はバブルどころか、景気がいいというのが、どんなものかもよくわからない」と言っていました。彼は28歳だったと思います。でも、こんなものかと思っているので、特に不幸だとも思わない、と。
戦争を経験した世代とそうでない世代の違い。バブルを経験した世代とそうでない世代。太平洋戦争は1941年から45年まで。バブルと通常呼ばれるのは、1985年(プラザ合意)から90年くらいまで。89年12月末には日経平均は3万8915円代。(現在は、9000円台。約四分の一!)実際、ある現象が起こっている期間は、5年前後とも言えるのですが、それが終わった後に続く影響はかなりの期間にわたります。まさに長いトンネル。
自分の身に起こったことを含めながら過去を振り返ってみると、85年のプラザ合意から始まった円高、アメリカからの内需拡大の要請に基づいた財政の大盤振る舞いが、ものすごい影響を日本に残しているなと感じます。竹下内閣のとき、ふるさと創成基金なんていって、すべての市町村に一億円配った時代があったなんて、「好況を知らない世代」には想像もつかないのでは?
バブルピークに達したのが、1989年、崩壊の過程が数年続き、この20年、日本はずっと低空飛行です。
1980年ごろからずっと内戦状態にあるアフガニスタンでは、平和をしらない世代が大半になっています。日本も、この経済状況があと10年も続くと、「好況を知らない世代」が大多数になるのかもしれません。
JALの企業年金の問題は、将来の日本の公的年金問題です。バブルを経験し、健康に気を使い、お金も使っている世代を、あまりいい思いをしていない「好況を知らない世代」が支えないといけないとしたら、勘弁してくれという話になります。若い人たちに投資しない社会が長続きするとは思えない。

人間安売りの時代

 コールセンターを持っていくのが、地方に仕事を作る常套手段のひとつになっています。コールセンターは、お客さんからの問い合わせやクレームを受けるインバウンドの電話と、営業、販売のためのアウトバウンドの電話に大まかに分けられます。この業界には90万人程度の人が働いていると聞いています。ひとつの立派な業界です。
このごろ、コールセンターに関わっている人たちと話をすることがあるのですが、たいへんな仕事だなという印象を持っています。
 第一に働いている人たちは、客からのクレームなどを真っ正面から受け止めないといけないので、精神的に非常にストレスがたまる仕事であるということ。
 その割には、あまり待遇がよくない。地方にコールセンターを持っていく最大の理由はコストが低いからです。時給700円、800円からスタートなんて話があると聞いています。
 さらに、コールセンター内におけるキャリアパスがはっきりしていない。一番下のランクからスタートして、その後、どのような仕事の展開があるのか明確でなく、一部、「使い捨て」が見られるとも聞きます。特に、販売、営業の電話をしていて、その成果に応じて成功報酬が払われるような仕組みになっている場合は、結果が出ない人に対してその傾向が強い、とか。
 コールセンターを活用する企業側はできるだけ安く「クレーム処理場」を運営しようとしています。その結果として、そこで働く人たちはかなり厳しい環境で働いているのではないかと想像します。
 日本経済がデフレから脱却できないでいるという記事がでています。(今朝の朝日新聞には、「デフレ3年ぶり認定_景気再び悪化懸念」の記事)デフレの定義は、記事によると、「すくなくとも2年、物価下落が続く状況」とあります。物の値段がさがることには文句がないのですが、その物を作っている人間の値段も下がっています。そういう意味では、まさに人間安売りの時代だと思えてしょうがないです。
 人間安売りの時代は、単純に低コストで働いてくれというだけではないです。少々いい加減な食べ物でも値段を安くして平気で食べさせるようになっています。(こんなことを書くボクも、コンビニのおにぎりとカップスープを、会社の机で食べて昼食とすることが多いのですが)食べるもの、見るもの聞くもの(端的に言うと「言葉」ですが)、それらが人間を作っているのに、手抜きしたもの、不純物を多量に含むもの、そんなものを体や心に入れているのに、消費する側は便利さを中心に追求していて、口にいれているもの、頭に入れているものをよく見ていないです。人間安売りの時代は、「不誠実」と「投げやり」の時代でもあるように見えます。
 安売りと便利さを徹底追及しているうちに、いつの間にか「人間」が消えていっているようにも思います。がんを直すことに熱中しているうちに患者が見えなくなった医者みたい。手段と目的がすり替わった時代。
 企業の多くが「人間尊重」、「個性尊重」を口にするけど、それらが現実の場でどのように発揮されているのか。
 ボクも小なりとはいえ、会社をやっている経営者の端くれとして、人ごとではない話です。

知人からの喪中はがき

知人から喪中はがきが届きました。今年5月、お母さんをなくされた知人からです。そのはがきの裏側には、20代後半と思われる女性と、まだ2歳か、3歳の男の子がいっしょに写った写真がありました。目元から、写真の男の子が今は50代半ばになっている知人であることがすぐにわかりました。この写真を撮ったのは、知人のお父さんでしょうか。とても幸せそうな写真でした。

こんな喪中のご案内をいただいたのは、初めてです。知人のお母さんに対する想いを感じました。

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 エアインディアの機内誌でチベットに近い北インド地方の記事がありました。厳しい自然の中、見渡す限り草一つ生えていないようなところでたくましく生きている動物たちの写真に目がいきました。大学時代大好きだったヘンリーミラーの「北回帰線」の中に、ヒマラヤの山頂に凛々しく立つ羊のイメージが描かれていたように記憶しています。それがとても印象に残っています。エアインディアの機内誌にも、岩肌に立つ青い羊(Blue Sheep)たちの写真がでていました。
 インドにまた行く機会があるのかどうか、わかりません。最後に完全に自分のための旅行に行ったのはいつだっかのか、よく覚えていないのですが、もしそのような機会があれば、今は、もっと日本国内を旅行したいと思っています。厳冬の道東(知床とか)や下北半島に行ってみたいです。

 ネットサーフィンしていると、ライカのデジタルで北部インドを撮った写真を公開しているブログを発見しました。空気の感じがいいです。
(→
Digital M: India Ladak-Tibet) 
 Leh (→
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「心底悔しい思い」

 今日の朝日新聞朝刊(スポーツ面)の囲み記事(「自由自在」)に、元マラソン選手でスポーツジャーナリストになった増田明美さんの言葉が紹介されていました。「人間というのは、心底悔しい思いをしないとわいてこないエネルギーというものがある。」また、増田さんが出会ったコーチの言葉、「人はとかく良い結果ばかりを追い求めるが、良い結果というのは、生きていて幸せだと感じる時に自然と生まれるものだ」。
 スポーツ選手の言葉にしばしば共感を感じ、インスピレーションや励みを受け取ることがあります。彼らにとって、肉体の限界は我々ビジネスマンにとってよりもずっと早く訪れます。非常に短い時間的制約、身体という壊れやすい資本。彼らは綱渡り状態の個人事業主だと思います。
 半端な絶望を持っている人間は多いけど、心底悔しい思いをプラスのエネルギーに変えていくことができる人間は少ない。
 今日はこれから名古屋に日帰り出張!

PTA

 最近名付けたのですが、ほどほどにしないといけないものの、頭文字を3つ集めて「PTA」(Pachinko、Tobacco、Alcohol)としました。昨日、いっしょにサイクリングしたKさんに言わせると、アルコールを加えると賛同者が減るだろうから、A=天下りとしたらいい、とか。
 弊社のように、喜んでいただく前に、お客様に少々苦労(=勉強)をしていただかないといけないビジネスとちがって、これらのビジネスというか商品は、その場ですぐにお客さんに「娯楽」や「息抜き」を与えているのかもしれません。でも、それらは必ず、時間やお金のロスとして跳ね返ってくるだけでなく、健康の面でもマイナスになることが多いように思います。3つのPTAの中で、ボクも、Aのアルコールとはお付き合いがありますが、それでもほどほどの淡いお付き合いかと思います(いっしょに飲む人からは強い方だと言われますが)。その他のPとTは、やったことはありますが、幸いなことに、学生時代、ほんのひとときのお付き合いで終わりました。会社では、PTAに気をつけろと、繰り返し言っています。
 カネと時間の自己管理をしっかりやること。ボク自身、まだまだマスターできていないですが。
 

オリンピックと同時にノーベル賞も狙え!

 広島の秋葉市長が長崎の田上市長に声をかけて、2020年のオリンピック共同開催に立候補しようという話がでてきました。おもしろいと思います。東京でやるよりも、ずっと意義があるでしょう。もしオリンピック委員会に、金儲けだけでなく、世界の平和の達成に本当に貢献する気があるのであれば、広島長崎共同開催案を真剣に考えてもらいたい。宿泊施設などの問題が言われていますが、きっと解決方法はあります。
 そしてオリンピックだけでなく、広島長崎の市長たちには、もうひとつ大きな目標を設定してもらいたいです。それはノーベル平和賞です。突飛な考えだと言われそうですが、唯一の核兵器使用国の大統領であるオバマにノーベル平和賞が贈られるならば、世界で唯一の被爆国である日本の、爆心地である広島と長崎の市長たちが中心となって、2020年をめざして、世界的な核廃絶運動を起こし、彼らにノーベル平和賞が与えられることがあってもいいのではないでしょうか?
 こうも言えると思うのです。これまで日本の活動は、残念ながら、国際的な広がりと強さを持っていないのではないか?どうやったら、グリーンピースや国境なき医師団や、あるいはアムネスティのような組織を、日本から作っていくことができるのか。
NPO、NGO分野においても、日本のソフトパワーをどうやって世界に広げていくのかという大きな課題があるのではないかと思います。
 明日、出張で長崎、佐世保をお伺いします。

追記 広島の秋葉市長は、AFSの先輩です。(→オデッセイIT奨学金

アフガニスタン_ずっと興味がある国

ずっと興味がある国、アフガニスタン。アフリカの国々でさえも平均寿命が50前後あるというのに、アフガニスタンの男子平均寿命は46、7歳だとか。。バーミヤンの仏像が破壊された後、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ 」(マフマルバフ著)を読んで感動しました。
ロイターの写真を見ていても、アフガニスタンに生を受け、この地で生きていくことはたいへんなことだと想像できます。
アフガンに生きる人々

今年の総決算

 12月に発行予定の次号「オデッセイマガジン」のテーマは、「今年の総決算」にしようというご提案をいただいています。えー、もう今年の総括なんてシーズン?!うちの会社も来年はどんなプロジェクトに取り組むべきか、と考えていますが。
 ボクは今年どころか、もっと大きく括った総決算をやらないといけないステージになっているんです!なんせ今年12月で50歳の大台ですから。40歳になるときには感じなかったプレッシャーを感じます。もう人生の8割が終わってしまったかな、なんて感じているくらいです。でも、ボクの生きている間にやることができる、やるべき仕事の8割はこれからの10年、あるいは20年の間に起こるかなと思っています。これまでは自分のために生きてきたけど、これからは周りの人たち、後輩たち、そしてまだ会ったこともない人たちのためにも働かないといけないのかなと感じています。

Thank God It Is Friday!

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ようやく金曜日の夜です。オリンピックの開催地がどこになるのか気になります。でも夜中まで起きていられるかな?
今週末こそ、レイソルJ1残留がかかったホーム試合(のひとつ)を見に行きたいです。(明日土曜日午後)
それ以外は、写真の犬たちと、本を読んでいます。
どっちにしろ、今週もお疲れさまでした、皆さん。

Life is to learn and love.

50も近くなると、マジなことも考えないと生きていけないのですが、「生きるってどんなこと?」って問いに対する答えの「ひとつ」は、「生きるって、学ぶことと愛すること」なんて、日本語で書くと、ちと気恥ずかしいんだけど、そんなことかなと思えてきます。どちらも十分じゃないけども。

今日9月9日は、倉木麻衣のアルバムが出る日だったと思うけど、クロイヌはアマゾンでビートルズのリミックス版を注文しています。ビートルズって、やっぱり特別!

贈る言葉

 民主党の方々にお贈りしたい言葉が二つ。
「得意冷然」、「君子の豹変」。(ばらまきの約束なんて早々に反古にして、時には非情な覚悟でやるべきことをやってほしいです。明治維新は非情な覚悟の賜物だと言えるでしょう。)
 自民党の方々にお贈りしたい言葉、「失意泰然」。失敗したとしてもやり直しはできるということを示してほしいです。

記録的な民主党勝利

 テレビの選挙報道をみていると、民主党が300議席を超える圧勝になるようです。自民党の「大物政治家」の先生たちが小選挙区では落選したりあるいはかなり苦戦していて、「失われた20年」のA級、B級戦犯に対する「公職追放」かと思えるほどです。
 いろいろな問題を解決するにはお金が必要ですが、いまの日本はじゃぶじゃぶの借金漬けになっていて、これからどうするのかと思います。民主党政権になって、ますます借金が増えるというようなことにだけは、なってほしくないと思っています。自民党政権下での古いしがらみに変わって、民主党政権下で新しいしがらみが生まれるというのであれば、日本沈没がますます進むことでしょうから。国民主導という聞こえのいい言葉が、ばらまき政治の別名となることのないように祈っています。
 振り返ってみると、小泉元総理は、自民党をぶちこわすとおっしゃっていました。今回の選挙で、まさに小泉さんの言葉が現実のものとなりましたね。

今夜もJALに乗る乗客の気持ち

 日本航空の「経営危機」をめぐって、国土交通省主導で有識者会議が開かれたとか(日経夕刊2009年8月20日)。メンバーは大学教授数名(そこには僕の母校の先生たちが3名も!)、弁護士、金融機関幹部、等々。

 「国際競争に勝つための視点が欠けている」。これはまさか銀行関係者からのコメントじゃないでしょうね?!日本の銀行で、国際競争に勝つための視点を持っているところがあるなんて聞いたこともありませんが。

 「企業年金やパイロットの高給など社会的関心が高い問題の検証が必要。」年金問題を解決するには、OBたちの同意が必要なのに、反対者が多いという記事を読んだことがあります。そしてOBたちの一部には、会社の批判をする連中もいる、とか。いい時代にJALでお世話になったのに、ね。

 パイロットに払う給料の多寡って、「社会的関心」で決めていいの?それって、「社会的嫉妬」とは違うでしょうね?

 日本航空の問題を外野から見ていると、まさに日本国全体の問題の縮図のよう。多すぎる船頭と評論家たち、企業年金の支払いにおいて自分たちの利害を優先するOBたち、政府の干渉と政府への依存の歴史、過去の栄光とプライド、なかなか落とせない待遇、ますます激化する国際競争。リーダーである社長にたいして、内部、外部から十分なサポートがあるのかな?こんなことって、日本航空だけの話ではなく、日本全体に言えるような気がする。

 JALで働く友人、知人を持つひとりの利用者として、現場の人たちには、一致団結して頑張ってほしいです。「去るも地獄、残るも地獄」なら、残って地獄から這い上がってきてほしい。できれば、これ以上官の助けなど借りなくて。でも、官の支配を強化するための布石がどんどん打たれているのでしょうか?逆風だと思うけど、現場の皆さんを応援したいです。

ドキッとする記事

先日紹介した三浦展さん(堤清二さんとの対談、8月1日の「黒犬通信」)のこんな記事にドキッとしてしまいました。
「なぜ下流おじさんほど、『デブ』になるのか」

経済的にかなり成功されている先輩経営者がおっしゃっていました。カネができると、好きなものを何でも食べられるようになる。だから、成人病になりやすい。カネができるといいことばかりではない。カネを使って、個人トレーナーをつけ、スリムな体型を維持する努力をしている、と。この先輩は自己管理がしっかりできていて、非常にスマートな体型ですし、また経営もしっかりされています。

「力」なくしては、愛する人を守れない。『村田良平回想録・下巻』

 同胞二人を救うために、北朝鮮に乗り込んでいったクリントン元大統領のニュースを聞いて、力なくしては、国際社会において自国の利益、自国民を守ることはできないことをあらためて痛感します。そして、先日、アメリカから帰る機内で読み終えた、『村田良平回想録』の下巻のことを思いました。副題は、「祖国の再生を次世代に託して」。上巻については、先日このブログでご紹介しました。
 村田さんは外務省の事務方のトップである事務次官、および駐米アメリカ大使を経験され、1994年外務省から退官された方です。この本では、ご自分のご意見を非常にはっきりと述べられていて、その一部は、「身内」であるはずの外務省の方たちからも、批判的に受け止められているのではないかと想像します。事実関係の認識、人物や歴史的出来事に対する評価においても、村田さんのご意見には賛成されないかたも多いのではないかと思いながら、下巻を読み終えました。
 ボク自身も、村田さんのご意見には、必ずしも100%、賛成というわけではありません。また、お使いになられている表現や言葉使いにも、お気持ちが上滑りしているところを感じます。が、以下のようなお考えには、これまでの自分自身の経験を振り返ってみても、基本的に同意します。(お使いになられている言葉には一部、賛成しかねるところもあります)
1 日本国民が独立心と自尊心を持つこと。それらを失うことは、奴隷根性である。
2 日本の憲法の平和主義は現実からの逃避である。
3 日本の国益とアメリカの国益が類似、あるいは同一である必然性は何らない。
4 日本がこれまで平和でありえたのは、憲法9条のおかげではなく、冷戦が朝鮮半島やベトナムに留まった幸運、アメリカの戦力の存在、日本が島国であり、日本の海上輸送のシーレーンがアメリカその他の国の力のおかげで、攻撃に会わなかったことによる。
5 戦後、アメリカ軍が日本に当然のことのように駐留し、日米政府も国民も、そのことに鈍感になってしまっていることは、異常である。
6 世界経済の大きい部分を支えている日本の技術能力を維持向上すること、日本が学問分野で高度の知的業績を誇りうる人材を輩出すること、道義に支配されている信頼できる社会であり続けること。
7 アメリカは、ロシア、中国とは別の意味で、日本とは著しく異なる社会を持ち、アメリカ人は、独得の価値観を信じていることを理解するべし。
8 中国、韓国がその歴史をどう書くかについて、我々は基本的に寛容であるべきであるが、先方にも同じ精神を求めるべきである。
9 厳密な証拠のある事実は歴史の一定部分である。残りは永久に完全に究明できず解釈にとどまる。
10 自国の歴史を学ばない民族は亡びるし、他国の歴史を学ばない民族は衰えてしまう。

 64年前の今日、広島に原爆が落とされました。核兵器に関する村田さんのご意見(「英国あるいはフランスと類似の、潜水艦による極めて限られた自前の核抑止力を保有するのが最も正しい途であり、アメリカの核の傘への信頼は、北朝鮮問題の処理によってすでに地に落ちている」)は、非常に議論を呼ぶものだと思いますが、「四国ほどの大きさしかないイスラエルが、NPTに加入せず、40年以上前からフランスの協力を得て核兵器国となっていて、かつ、アメリカの最重要な同盟国である。ものごとはまず既存の前提を一度ないこととして第一歩から考えてみることが肝心だ。」という考えには、賛成します。戦略を考えるにあたっては、タブーを作らず、あらゆるシナリオを考慮すべきだと思います。
 64年前に敗戦として終わった戦争を振り返ったとき、当時のエリートたちに対して残念に思うと同時に怒りさえも感じることは、なんと井の中の蛙であったことか、なんと国際社会、国際政治を分かっていなかったのかということです。あの頃と同じ間違いをおかさないために、とかく忘れがちな歴史を、ボクらレベルでももっと勉強すべしだと、信じています。

追記
村田さんは、駐米大使のあと例外的に駐独大使も勤めていらっしゃいます。(通常は駐米大使は「あがり」のボジション。)
回想録の中にも、ドイツに関しての記述が多いのですが、日本はドイツから学ぶことは非常に多いのではないかと思います。今日本ではやりの地方の自立、地方分権のテーマにおいて、あるいは敗戦国としての立ち振る舞い方に関しても、ドイツは日本よりもずっとバランスがとれていて、また着実に責任を果たしてきているように見えます。

ニューヨーク経由で帰国

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 トロントであったマイクロソフト世界学生大会からニューヨーク経由で帰国。久しぶりのニューヨークでしたが、24時間もいなかった(残念)。上の写真は、American Book & Cinema で昨年末発行した書籍Small Giantsでも紹介されているUnion Square Cafe。泊まったホテルから歩いて5分ほどのところにあります。今回は残念ながら外から拝見しただけ。
 下の写真は機内から見たアラスカのマッキンレー。植村直己さんのことを思いました。帰りの機内で、90年代前半に作られた宮崎駿さんの『紅の豚』を見ました。公開された時にも見たはずなのですが、ストーリーはほとんど覚えていませんでした。加藤登紀子さんの声と歌に惹かれました。『紅の豚』は、映画『カサブランカ』の影響を受けているのではないかと思ったのですが、ボクの思い過ごしでしょうか?(戦争、飛行機、中立国、青年期をいっしょにすごし、お互い愛しているのに行き違う男女、etc)

 成田に着くと、どんよりと湿った気配。本当に梅雨明けしているのかどうか?

パソコンスクールの苦労

昨日、日本を代表するネット企業のひとつである某社人事部の方に、われわれのお取引先のひとつであるパソコンスクールの方をご紹介。そのパソコンスクールでは、厚生労働省や県の行っている雇用訓練講座を実施していて、現在、身障者8名のITスキルを中心とした訓練を行っている、とか。
某社の方は、法律の要請に基づいて、一定数の身障者採用の義務があり、身障者の採用を検討中。両社のお話を耳にしたことで、昨日両社の方にお集りいただき、ご紹介ということになりました。
このごろ強く思うのですが、まだまだパソコンスクールって、社会的な認知度が低い。雇用訓練講座を実施し、講座の参加者たちの就職支援まで行っているということを、世の中の人たちは、ほとんど知らない。
さすが身障者の場合には、就職支援、あるいは斡旋の義務は課されていないようですが、健常者であっても、あまり就職しようという意欲がない参加者も中にはいて、そのような失業者を受け入れたスクールの人たちは、就職させるのに、本当に苦労しているようです。その就職支援、就職斡旋がたいへんだから、雇用訓練の講座を受託しないことにしたというパソコンスクールがあるくらい。
そんなこともパソコンスクールの関係者はやっているんだということを、業界外の人たちにも知ってもらえればうれしいなと思います。

阿部さんからお送りいただいた写真

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 毎年アフリカを訪問されている岩手の阿部さんから、お願いしていたサバンナのチーターの子供の写真が送られてきました。この子の表情からは、この子を待ち受けているであろう、自然の中での過酷な運命を予感しているのではないかと思えてきます。運命から逃げることなく、静かにそれを迎え入れようとする覚悟さえ、この子はすでに持っているのではないか?
 

カタカナ言葉はあまり使わない方がいいと思っています。

 週刊Spaの記事が、ヤフーで紹介されています。
「今使うとかなり痛い!」ビジネス・IT用語

 ボクも勢いでカタカナ言葉を使うことはしばしばですが、基本的にカタカナ言葉を必要以上に使うことには反対。よく日本語が論理的でないとか、厳密な思考には向いていない言語だという人がいますが、ボクはあまり学識もないので、それがあてはまっているのかどうかは分かりません。ただ、ボクら凡人の思考レベルにおいては、それなりに論理的な思考にも充分耐えうる言語だと思っています、日本語は。
 言葉の定義もしっかりできていないカタカナ言葉を使っていると、自分の言っていること、書いていることのなかに、ブラックホールを作っているようなものなので、論理的になりうるはずがないし、他との意思疎通を前提とするコミュニケーションが成立するはずがない。
 それから日本で見る英単単語のスペルに間違いが多いのも、かっこ悪い!うちの会社でも時々あるのですが、印刷したあとに、「あ、この単語のスペル、間違っている!」。最初から英語なんて、あまり使わないで、自分がよくわかっている言葉で書けばいいのに。

残酷な時代_190キロ体重の女性

 昨晩、ツールドフランスを見ようと思ってテレビをつけると、190キロからの減量に挑戦する女性が登場する番組があり、こちらも減量に挑戦中の身なのでちょっと目が止まってしまいました。
 この前読んだある本(「肥りゆく人類)には、肥満というのは今の社会が制度的に作りだしている病ではないかというような考えがありました。ギャンブル依存症にしても、タバコ依存症にしても、アルコール中毒症にしても、そして借金中毒症にしても、消費しろ、もっと買え、気持ちよくなるぞ、人生楽しく生きろと、われわれを洗脳し続けようとする企業の大声を、朝から晩まで聞かされる、そんな社会が制度的に作りだしたものだという考えです。
 イスラム圏の国々の様子をテレビで見たりすると、宗教の戒律が生活を縛っているように見え、ちょっと不自由な感じがしますが、われわれの生活も、家の中にいては、テレビやネットで消費への衝動を強烈に刺激され、一歩外に出ると交通広告や電飾看板などが目に入ってきて、ある意味、イスラム圏以上に強い「戒律」がこの社会にはあると思うことがあります。
 企業社会が押し進める消費生活の洗脳があまりに強すぎて、意志の弱い人間にとっては、とても残酷な時代になっているのでは?夕べ見た190キロの女性を、そんな社会の犠牲者のように見てしまいました。
 

アビスパ福岡のファンの皆様へのお礼+福岡での合格者紹介

ファンの皆様よりのご好意に対して、お礼申し上げます。小社の福岡エリアでの知名度をもっと上げ、われわれが行っている資格をより多くの方々にご利用いただくべく、頑張っていきます。ご支援のほどよろしくお願いします。

追記です。

オデッセイコミュニケーションズのHPで、福岡県大川市立大川小学校で情報教育を担当されている山口先生に合格体験をお話いただいています。こちらをご覧ください。→合格者の声

健康、そして家族

 今日は某所にお見舞いに。
海外の知人たちと話をしていても、人生で大切なものとして必ず上がってくるのは、まず健康、そして家族。仕事、お金、平和、正義、民主主義、神、そんなことも大切だけど、他のことを引き離してまず健康と家族(あるいは家族のような存在の人たち)。
 これまで一度も、入院しないといけないほど健康を害したことがないだけでも感謝。

 
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こんな車もかわいい。

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ブタをCIにしたサンドウィッチ屋さん。世界で一番有名なテーマパークには、ネズミをモチーフにしたバスが走っていて、あれを見るたびに一台欲しいなとよく思います。イノシシ年生まれにとってブタは小さいころからの友達。

サンドウィッチ屋さんのHP

幸せの閾値(いきち)

「閾値」、日頃聞き慣れない言葉ですが、以下のような意味です。

1 ある反応を起こさせる、最低の刺激量。2 生体の感覚に興奮を生じさせるために必要な刺激の最小値。  

弊社が提供していたラジオ番組、「ライブラリーby オデッセイ」でお世話になった小山薫堂さんが、今回の経済不況が、人が幸せと感じる閾値をさげてくれればいい、というような発言をされていることを聞きました。大賛成!  昨日のニューヨークで、4月の小売りが期待を下回ったということで、株が大幅に下げ、円高に傾いています。先日、アメリカで知り合いたちと話をしていても、生活を慎ましやかにしないといけないという人たちが多く、実体経済はまだまだ厳しいのではないかと思っています。ここ数ヶ月で、アメリカ株が3割以上上がっていることのほうがおかしいいのでは?(これからアメリカは巨額の財政赤字の問題が大きくクローズアップされてきます。日本も同様の問題を抱えていますが、ボクはアメリカの格付けがAAAからいつ落っこちるのかと、ちょっと期待しながら、興味津々で見ています) 最近はあまり聞かれなくなった「百年に一度の不況」という言葉。言葉の持っている力が一人歩きすることには注意をしないといけませんが、「百年に一度の不況」なんて大仰なことを言っていた割には、一年もたたないのに、あの言葉はどこに行ってしまったのか? どちらにしろ、今回の経済不況が、小山さんが言っているように、ボクらが幸せだと感じる閾値をさげてくれる結果になればいいなと思っています。松下幸之助ではありませんが、「好況よし、不況もまたよし」ということにするためにも。  

戦時下の動物園を思い出しました。

 ブロンクスの動物園が不況の影響を受けて、いくつかの動物たちが「リストラ」対象になっている話を読みました(ロイター記事)。戦時下の上野動物園でも動物たちに悲劇があったように記憶しています。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-37830120090502

「アビスパ」サポーターの皆さん、ご声援ありがとうございました。

 昨日のベルマーレ戦開始前に、ピッチ上から場内の皆様にご挨拶をさせていただきました。アビスパのサポーターの皆さんからは、小社へのご声援をたくさんいただき、感謝申し上げます。「デバリコール」もあったようですが、本人は「上がっていた」せいか、まったく気づきませんでした。5月は福岡にお伺いする時間がないかもしれませんが、6月はCross FMの取締役をやっている知人といっしょに試合を観戦するとともに、ラジオでも皆さんに自己紹介させていただく機会があるかもしれませんので、よろしくお願いします。
 福岡の熱いハートのサポーターの皆さんといっしょになって、選手たちを応援していきたいです。

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希望の反対にあるもの

 先日、「希望」のことについてちょっと書きました。(「希望とは、行動によって具体的な何かが実現するという強い願い」。)今の日本にはすべてのモノがあるけども、希望は少ないのではないか、とも書きました。希望と違って、今の日本に十二分にあるものは、皮肉や嫉妬かと思います。希望の反対と言えば、絶望というのが言葉の意味では正解なのかもしれませんが、今の日本にはその絶望さえもないように思います。あるのは、皮肉や嫉妬ばかり。希望もなく、深い絶望もない。そんなところからは、なにか素晴らしいものが生まれてくる予感があまりしません。
 マスコミが今の世の中の鏡であるとすれば、「他人の幸せを妬み、他人の不幸を喜ぶ」、「他人の不幸は蜜の味」という風潮が強まっているようにも見えます。テレビを見なくなった理由は、テレビがこの風潮の窓口になっているからかもしれないです。あまり関わりたくないです。
 結果が成功であろうと、失敗であろうと、どちらにしろ、This is my life. 他人に迷惑をかけない限り、とやかく言われる必要もないし、結果を受け止め、受け入れるのは自分自身。嫉妬や皮肉からは、誰にとっても、建設的なことはなにも生まれないでしょう。一人ひとりが、「希望」を持ちつづけることが大切なのではないか。
 ビリージョエルの歌に、Honestyというヒット曲がありました。今の日本のために、Hopeという歌を作ってくれないでしょうか。

ローソン午前7時

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 うちの会社が入っている新東京ビルの同じフロアーにあるローソン。ちょっとした食事コーナーがありますが、早朝、そこで勉強をしている会社員の人たちの姿をよく目にします。この前は、六法全書を開いている若い人を見かけました(司法試験の勉強でもしているのでしょうか?)。始業時間の1時間も2時間も前から、こつこつと自分に投資している若い人たちに声援を送ります。ボク自身は、会社勤めをしていた頃は、いつも遅刻ぎりぎりで会社に飛び込んでいた朝に弱い会社員だったです。

田中角栄の時代が懐かしい

 今朝は丸の内界隈でも新入社員を見かけました。スーツが体に馴染んでない感じが、新人らしい。彼らはまだ学生顔だけど、あと1、2年経つと、すこしは厳しい顔になっていくのかな。
 ところで「田中角栄語録」という古本をぱらぱらめくっていて、なんとなく、角栄の時代の日本が懐かしくなってきました。ボクが中学生の時、田中角栄の列島改造論や自伝が出たことを覚えています。一般大衆の家庭の一つであった我が家でも、田中角栄は、「今太閤」でした。最近新聞で見た、昭和を代表する日本人は誰かというアンケートでは、一位が昭和天皇、二位が田中角栄。天皇は別格として、一般人の中では田中角栄はダントツかな。
 最近、植物系の男が増えているみたいなことを聞きますが、そんな淡白な人間では政治は務まらないでしょう。逆に言うと、今の政治に夢やビジョンを感じないのは、淡白で苦労していない二世や三世のお坊ちゃんばかりになってしまったからか。脂ぎっていたけど、度胸とはったりがあって、行動力もあった田中角栄の時代が、なんとなく懐かし気がします。もう一度あの頃の活力を取り戻すことはできないのでしょうが、あの頃は、戦後日本の青春だったのかとも思えてきます。
 今日入社式を迎えた新人たちは、これからの10年、20年、そして30年をどのように過ごすのか。10年後のボクは60歳直前、20年後は70歳直前。30年後は、なんと80歳直前です。「ゲー!」って叫び出してしまいそうです。

 

もっと自信を

 今日はWBCで日本が韓国に勝って優勝したので、なんとなく元気が街に溢れています。丸の内、有楽町界隈でも、午後は街頭でテレビを見ている人たちがたくさん。
 日本って、もっと自信を持った方がいい。野球のことだけでなく、ボクらの国について。別に急に国粋主義者になったのではないけど、去年さまざまな地方を回ってあらためて思ったことは、日本の自然の多様性、美しさ(ただし、雄大さにはかける)、繊細さ。北海道から九州まで、日本って、観光立国に本気になれば、ものすごい可能性があるはずと、感じました。でも、それに気づいていないのは、ボクら自身だし、美しい自然をダメにしてきたのも、ボクらの都会への憧れであったり、つまらない娯楽施設やうるさいだけの街頭看板だったり。
 どんな国でありたいのか、どんな社会を作りたいのか。もっとボクらは自分の頭でしっかり考えつづけていくことだと思う。モノを作ってアメリカに買ってもらうことばかりやっていても、結局、「アッシー君」として使われ、「貢君」扱いされるだけ。ボクみたいなアメリカ大好きでも、アメリカ政府になんでも決められて、自主性のない日本が残念でしょうがない。
 日本人って、もっと力を発揮できるはず。もちろん、アメリカやEUとは違う力の発揮の仕方で。彼らには彼らの力の発揮の仕方があって、戦略も異なるはず。ボクらはボクらの力をもっと客観的に見てみると、きっと、新しい可能性が見えてくるはず。

不況の効用

 不況がいいとは思っていませんが、不況にも効用はあるかと思います。
無駄の見直し、不要なモノを買わないとか。でも一番の効用は、思考停止状況から一気にエンジンがかかって思考開始状況になることか。もちろん、さびついたり、バッテリーが上がってしまったエンジンでは手遅れですが。

 ハワイとかマニラもいいのですが、冬のない場所では長くは暮らせないです。冬、結構好きです。あまりの寒波は確かにこたえるのですが、冬も時にはいいし、必要。
 経済の冬(不況)は、仕事や生活を見直すいいチャンスだと思っています。

戦争よりかずっとまし

 ずっと晴れない気分にさせてくれる経済状況が続いています。きっとこの状況は今年一杯続くと考えておいた方がいいようにも思います。もしかして来年夏くらいまでこんな感じかも知れません。どのくらいこれが続くのか、FTなどを読んでいても誰も答えを持っていないように思います。Wall Street でも占いに頼る人が出ているという記事を読みました。
 ボクがこのごろよく思うのは、1920年代、30年代の世界不況のとき、時代の雰囲気、人々の生活はどうだったのかということ。そして、第2次大戦の間、負け戦を必死に闘っていたボクらの祖父母たちの世代はどんな気持ちで生きていたのかということ。あの頃は、いまほどマスコミが発達しておらず、ラジオや新聞でニュースを知るしかなかったのでしょうが、いまのように連日皮肉屋さんたちのコメントを聞かされていると、素直に希望を持つことさえも難しく感じられることがあります。だからかもしれませんが、ここ数年、ボクはあまりテレビを見なくなりました。
 どんなに経済の状況がひどくなっても、戦争になるよりかはましだと思っています。ずっとましだ、と。この混沌と混乱の解決策として、世界規模の戦争だけは起こしてほしくないです。それさえも避けることができなければ、人類には地球上でリーダーとして生きていく資格がないだけでなく、存在していく資格さえもないのかもしれません。
 ボク自身としては、こんな時代こそ、自分が今働いている現場で、知恵と勇気をしぼりだして問題解決にあたっていかなくてはと、思っています。そんな気持ちさえもなくなってしまったら、オ・ワ・リ。

体温と不況の話

 この前読んでいた本に、健康法のひとつとして体を温めることがあげられていました。その本によると、体温が一度下がると免疫力が30%下がるそうです。体温一度程度でもそれだけの影響があることに驚きました。

 話は飛んで経済のことなのですが、週末の銀座を歩いていて、本当に日本は「百年に一度の不況」なのかどうか、わかりませんでした。話題のH&Mをみて、そのあと、zara、ユニクロとのぞいてみました。普段、定点観測しているわけではないので、今日の銀座が普段からすると人通りが少ないのかどうか、モノが売れていないのかどうかよくわかりません。
もしかして、体温が1度下がると、免疫力が30%も低下するのと同様、現在の「不況」レベルは1度程度の低下の結果、30%ダウンなのかもしれません。ただ、これをもって「百年に一度の不況」というのでしょうか?少なくとも東京に関しては、まだまだ「百年に一度の不況」とは言えないのではないかと感じています。
 銀座と言えば、ブランド品ですが、シャネル始め、高級ブランド品の売上げは、「3割、4割ダウンは当たり前」となっていると聞きます。(黒犬はそんなブランド品にはもともと縁がないので、売れようと売れまいとどうでもいいのですが)
 百年に一度の不況は、こんなレベルではないと想像しています。これからさらに体温が2度、3度下がることだって、あるのではないかと危惧しています。言葉に酔っている暇があれば、ビジネスを伸ばすため、もっと知恵を出し、もっと体を動かすべきだと思っています。われわれはわたりのお役人さまたちと違いますから。

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不便さがあるからモノが生まれるのかもしれない

 いつか、「地方」でもっと時間を過ごしたいと思っています。東京にはなんでもあるようで、実は「本当のこと」や「本当のモノ」はすくないのではないかと、しばしば、強く感じます。なんというのか、東京では、いろいろなことがバーチャルに思えるのです。
 この前、日経新聞では、経済記事よりも文化やスポーツのページをよく読むと書いたのですが、1月14日の夕刊の文化欄に、愛媛の宇和島市在住の画家・大竹伸朗さんのインタビュー記事が出ていました。宇和島はボクが小中高までいた南予(愛媛県の南西部の呼び名)の町で、子供の頃、映画を見たり病院に通ったりするために、バスに1時間ほど乗ってこの町に行ったことをよく覚えています。
 日経の記事では、東京出身の大竹さんがどうして宇和島に移住したのか書かれていませんが、ボクの記憶が正しければ、大竹さんの奥さんが宇和島出身だったからだったはずです。このインタビューの中で、大竹さんの次のような言葉が印象的です。
 
「東京だと一日がすぐに過ぎる。夕日に浮かぶ東京タワーを眺めていれば時間がたつ。思い出は自動的に生まれる。」
「何もない場所で何もしないでいると、自分が消えてしまう。それを食い止めるために何かする。昨日はなかったものを自分で創るしかない。芸術家は理不尽な状況に身を置く方がいいこともある。」
 まあ、ボクは芸術家でもなんでもないのですが、東京はあまりにも娯楽が多すぎるかなと思っています。地方に行くと、なにもやることがなんくて、パチンコにのめり込んでいる人が多いようですが、地方のよさを一番大切にしていないのは地方の人のような気がして、それが残念です。ボク自身、地方から都会に憧れて出てきた人間の一人なので、どちらかがいいと、決めつけているわけではありませんが、東京の生活では大切なものが抜け落ちていることは強く実感しています。

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山形の黒犬友達

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 山形の柳沼さんから、ブルーノ君の写真が送られてきました。柳沼さん、ありがとうございます。

 ちょうど昨日山形県知事選があって、県の財政再建を進めてきた現職知事が落選しました。落選した現職知事は、自民党。当選した野党の新人候補は、財源のことはほどほどに、積極的なバラマキ政治をにおわせて選挙民の心をつかんだ、とか。

 この前ご紹介した木下さんもそうですが、破綻した自治体の首長が、財政再建のため公共事業費を削り、公務員のサラリーをカットしようとすると、みんな、大反対になります。確かに、今の生活を維持したい気持はわかりますし、自分たちは苦労したくないという気持ちもわかるのですが、結局、「みんなで浪費すれば、怖くない」という状況に日本がなってしまっています。

 素朴な日本犬たち同様、我が家も簡素な生活を心がけています。ボクがモットーとしているのは、simple living, high thinking. 借金しない、身の程の生活。金を使うよりも、知恵を使う!

就活、がんばれ!

 オデッセイコミュニケーションズでも会社説明会を行っています。今日は、福岡出張から帰えり、羽田からすぐに会社にでて、大学3年生の皆さんにお話をさせていただきました。ボク自身は、20数年前、大学4年生の時、まったくと言っていいほど就職活動をやらなかった人間です。そのころの学生としては、それだけでもユニークだったかもしれないです。

 不況のせいで、きっと多くの大学生が大きな不安を持っているのだろうと想像しています。でも、こんな厳しい時期だからこそ、頑張ってほしいです。実は「会社なんかに入らないで、自分で起業しろ!」っというのがボクの理想なのですが、大学から起業することはそう簡単なことではありません。そんな威勢のいいことばかり言ってはいられないでしょう。

 すでに会社説明会に15も20も参加している学生もいるようですが、いろいろな会社を訪問して、社会や企業のこと、大人たちの「ホンネ」をつかむ訓練をしてほしいです。

 ボクはうちの会社の説明会に来てくれる皆さんには、「ホンネ」でお話をするようにしています。(それが学生のみなさんたちに対する僕なりの敬意の表し方です。)たとえば、公務員志望の学生はうちの会社には合っていないと思っていますから、はっきりとそう申し上げています。

 どちらにしろ、学生の皆さん、Good luck!

オバマに期待する前に、まず自らの行動!

 今日は久しぶりにすごい方にお会いしました。西浦周一郎さん。「大正14年生まれ、慶大入学、陸軍予備士官学校、慶大卒後 昭和24年日本オーチス入社、昭和28年スタンフォード大留学、その後、ソニー入社、英国ソニー社長」などをお勤めになられ、主にアメリカを中心として40年間海外で活躍された方。
 この7、8年、お付き合いさせていただいている新将命さんの出版記念パーティでお会いしました。皆さんの前で簡単にご挨拶されたあと、数分だけ個別にお話させていただきましたが、80歳を越える年齢とは信じられない身の軽さ、しっかりしたお話。ビジネスの世界の侍に出会ったと思いました。
 で、昨日、今日と、会う人たちの多くは、オバマの話です。NHKラジオでもオバマ。でも、オバマもいいけど、われわれの身の回り、われわれの会社、そしてわれわれの国の話をしようよ!オバマから、アメリカから、確かにインスピレーションは与えてもらったとしても、ボクらのことを考えなくちゃ。アメリカの変化でなくって、日本の変化、ボクら自身の変化こそが、大切だもの。
 オバマ政権が日本にどのような姿勢で向かってくるのかなんてことばかり気にしていても、意味ないよ。オバマは自国民に対してさえ、「犠牲」だ、「奉仕」だ、と求めているのに、どうして日本のことを考えてくれるなんて、あまい期待をするのかな。日米関係は世界でもっとも大切な二国関係だなんて、日本側の幻想。
 西浦さんが強く言われていたのは、自分の国を自分たちで守る気力を持て、ってこと。そのあたりは、さすが陸軍予備士官学校ですが、でもその気概がなくって、どうしてこの不況だって乗り越えられるというのか。

奉仕を呼びかけることができる政治家

 オバマが日本時間の明日早朝、大統領に就任します。多くのアメリカ国民が彼に過大なほどの期待をしていることを知っています。また、世界各国でも、オバマに対する期待はものすごく高いと思います。
ラジオでニュースを聞いていると、オバマは彼のHPで、アメリカ国民に、それぞれのコミュニティに奉仕を行うことを求めているとありました。(→
この動画だと思います

 日本の総理がこんなことを言ったとしても、きっと、ほとんどの国民はしらけてしまうか、反発をするか、あるいはまったく理解できないふりをするか。アメリカは、「理念の共和国」(本間長世)で、常に自分たちの建国の理念を反芻している国だなと思います。例えて言えば、まだまだ創業時の記憶が新しく、創業者が健在な企業(アメリカ)と、創業からかなりの時間がたって、安定しているから入社したという社員ばかりの企業(日本)との違いかもしれません。もしかしたら、安定したから入社したというよりも、その会社にしか入れなかったという社員ばかりの会社かも。

 ボクの知人でも、伝統的な会社(と言えばよく聞こえますが、端的に言って、「古い会社」)の社内を活性化させることを仕事としている人がいます。日本は、そんなコンサルタントが必要な企業(国)なのかなと思ってしまいます。
 日本の歴史上、トップリーダーが国民に奉仕を呼びかけたケースとしては、敗戦につながった戦争の記憶があまりにも強すぎて、どうしても反発の方が強くなってしまうのかもしれません。
 村上龍でしたでしょうか、「日本にはすべてのモノがある。でも、希望だけがない。」と言ったとか。希望がない国だから、奉仕がないと言えるのかもしれないです。
オバマがこれから直面する4年間を考えると、アメリカの大統領とはなんとつらい仕事かと思います。きっと4年の間に、彼はボロボロになるのではないかと、ちょっと心配です。でも、日本と違って、彼には希望はあるような気がします。

道徳と経済

 「日経ビジネス」新年特大号で二宮尊徳が取り上げられています。その特集の中で、二宮尊徳が、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉を残していたと紹介されています。

 非営利法人、NPOやNGOと言われている組織には、「経済なき道徳は寝言である」という言葉を、目先のカネ儲けに走りがちな株式会社には、「道徳なき経済は犯罪である」という言葉を!

長部日出雄さんの『「定額給付金」辞退の弁』

 去年、日経新聞夕刊「あすへの話題」のコーナーに連載されていた、長部日出雄さんの文章をとても楽しみに読みました。11月12日(水曜日)の紙面に、『「定額給付金」辞退の弁』という文章を発表されていて、とてもいい文章だったので、大切に保存しています。
 長部さんは、マックスウェーバーに関して、何冊か本を出されていて、ウェーバーが資本主義発展の最終段階に登場する人物を「精神のない専門人、心情のない享楽人」であろうと予言したこと、経済の核心には「倫理的気風」がないといけないと考えていたことを、この連載で何度か強調されています。
 ご自身の2007年度の年収も発表された上で、「定額給付金」は固くご辞退すると書かれています。ご自分の価値観を大切にしたい、「精神のない専門人、心情のない享楽人」の仲間入りはしたくない、ということでした。
 なんでこのことを書いているかというと、今日の朝、オデッセイコミュニケーションズでもスポンサーになっているフジテレビの「新報道2001」を見ていたら、政治家の皆さんが、定額給付金を巡る議論をされているのですが、その議論は、結局「精神のない専門人、心情のない享楽人」たちの議論にすぎないなと思ったからです。
 バブルの時、全国の市町村に一億円を配って、好きに使ってくれという、あれは竹下登さんが総理だった時のように記憶しているのですが、日本にお金があまっていた20年ほど前、そんな「享楽人」的な政治が行われました。今からは、まったく信じられない話ですが。
 定額給付金について、ボク個人の態度ですが、まだ決めていないのですが、くれるというのなら、一旦いただこうかと思っています。でも、個人的には使わないつもりです。寄付しようと考えている先も、ひとつ、ふたつあります。ひとりあたり一万円前後と薄く広くばらまくよりも、失業者救済のために、重点的な使い方をしてもらいたいです。

ESTA

ESTA=Electronic System for Travel Authorization
今月12日から、アメリカに入国するために、事前の渡航認証が必要になります。今日、その手続きをしました。
もう数年前から、アメリカに入国することは、楽しい体験ではなくなっています。指紋チェック、瞳孔チェック、そしてなんのためにアメリカに来るのだと、あたかも犯罪者を扱うかのような質問姿勢。フレンドリーな態度は、すっかり失われています。ボクのようなアメリカのファンに対しても。
 アメリカの、楽観的な世界平和意識が崩れ去った9.11。世界が主権国家の集まりである限り、すべての国家が自分を守るために、ESTAのような手続きは当然のことなのでしょうか?
ESTAの手続きは、簡単でした。
https://esta.cbp.dhs.gov/

「自然の利子」と「自然の資本」

2008年も今日で最後。
今日はベッドでごろ寝読書の時間が長かったのですが、その中の一冊は、雑誌「新潮45」。この雑誌にでている養老孟司先生の話がおもしろかったです。内容はこれまでずっとおっしゃってきたことと変わりないのですが、「自然の利子」で生きていくことを学ぶべきで、今のように、「自然の資本」(特に石油)を食いつぶしていくようなライフスタイルはもうダメだというご意見が印象に残りました。
2009年は、今年から始めた「新日本紀行」を継続します。規模は違いますが、ボクにとっては、養老先生がしきりに言われている、都会人に必要な「参勤交代」でもあります。もっと地方を訪問していきますよ!来年は、自分自身を少しずつ変えていく年にしたいです。もっと少食に、もっと体を動かす、毎日笑う。そんな簡単なことの積み重ねが大切かなと思っています。今年一年、お会いした皆さん、お世話になった皆さんに感謝申し上げます。

30代から50代に任せてはどうですか?

 NHK日曜討論をラジオで聴いているとおもしろい発言が多かったので、テレビをつけて誰がでているのかチェックしてみたところ、出席者は30代から50代の人たちばかりでした。ボクが共感を持ったのは、NPOライフリンクの代表者(清水康之)、駒澤大学の若手経済学者(飯田泰之)、そして北海道大学の若手政策学者(中島岳志)。
 NHKも民放も、週末の討論番組には、60代から70代、時には80代とおぼしき政治家や評論家たちを出しますが、もっと若返りをはかってみてはどうでしょうか?田原総一郎さんはじめ、司会役も、招待されている政治家たちも70代とあっては、残念だけど、もう新しいものは出てこないよね。
 クリントンも、そしてオバマも、あるいはかつてのケネディにしても、アメリカの大統領は、就任時点では、40代、せいぜい50代前半
ということが決して珍しくありません。永田町では、50代、60代はまだ子供みたいに言う老人たちが跋扈していて、失礼な言い方になりますが、老害となっているのではないかと思います。
 今朝の番組を見ていて思ったのですが、30代から40代の出席者の発言内容は、普段テレビによく出ている60代や70代の政治家や評論家たちよりも、ずっと前向きで中身がありました。聴いていて、新鮮で、希望が持てました。ボクも49歳、まだぎりぎりで40代なのですが、ほとんどの人間が、いい仕事を行うのは、せいぜい50代までではないでしょうか?(例外はもちろん、あります)

 よく若い人たちに、もっと政治に関心を持てと言う「大人」たちがいます。でも、それはとても簡単なことだと思います。年寄りたちが、一線を退き、若手に機会を与えることです。テレビ局も、もっと若手を起用し、視聴者である若者たちとの年齢差を縮めていくことがまず必要なのでは?若手がでてくるのは、せいぜいふざけたバラエティ番組で、政治討論番組となると、60代、70代のひとたちばかりでは、あまりにもバランスがとれていません。
 「平成の維新」は、老人たちにはできっこないでしょう。いつの時代も、変革を起こしていくのは、失うものを持たない若者たちですから。老人たちが権力を手放さないままだと、日本は時間をかけて安楽死していくだろうと思います。
 確かに、現在、60代から上の方々には、元気な方々が多いです。でも、すこしずつ役割を変えていき、アドバイザーとして、若い世代をサポートしていく側にまわってはどうでしょうか? あるいはもうすこし若い世代との「ジョブシェアリング」を行っては?
 こんなことを言っているボクですので、残りあと10年が現役最後の10年だと思っています。気力、体力、精神力、そして経験から得た知恵の組み合わせがピークを迎える時期だろうと思うのです。

 60代を迎えるときには、若い人たちを応援する側にまわっていたいです。
 

田中千絵さんのブレイクを祝う!

以前も何度かご紹介しましたが、オデッセイで過去に2回作ったMOSのプロモーションビデオに主演いただいた田中千絵さん。今年、台湾で出演された映画でブレイクし、人気急上昇ということです。ヤフーのトップページのニュースでも紹介されています。心からお祝い申し上げます。→ヤフーニュース
弊社プロモーションビデオ

49歳の誕生日を迎えて

 12月11日は49歳の誕生日、大分市内でお取引先を訪問し、夜は湯布院で過ごしました。仕事でお世話になっている人たちといっしょで、お祝いの言葉をいただきました。その他、メールやカードをくださった皆さん、感謝申し上げます。
 いつの間にか、この年まで生きてきたという気がします。来年は、50歳です。あー、恐ろしい!でも、年を取ることもいいことがたくさんありますからね。
 今年は、人生の中で初めてと言っていいほど、日本国内を廻りました。訪問した町をあげていけば、旭川、帯広、札幌、弘前、八戸、盛岡、北上、仙台、秋田、新潟、富山、金沢、福井、宇都宮、小山、須坂、上田、高崎、名古屋、大阪、京都、奈良、高松、高知、福岡、八女、大分、熊本。そして来週、鹿児島に行きます。
 ほとんどの町は、3時間や4時間、せいぜい半日の滞在で、泊まった町は半分もなく、日帰りのお取引先訪問ばかりでしたが、それでも、ものすごく楽しい経験でした。これまでお世話になった方々を訪問し、その方達の職場を訪れました。初めてお会いした方たちとの出会いも、たくさん。
 見えたものは、日本国中で進んでいる共通化(あるいは「都市化」)と、その裏にかすかに隠れている、その土地の歴史と風土。「日本って、結構、多様性のある国じゃん!」、というのがボクの感想です。この多様性をもっと大切にしなくちゃ!JRの駅前は、ホテルチェーンやコンビニ、デパートや大手企業のでかい看板に占拠されたとしても、その土地の自然だけはたいせつに残しておいて欲しいなと、強く思いました。だって、駅前がどれだけ都市化していって、東京みたいになったとしても、土地のユニークさは、自然と歴史、そしてそこに生きる人たちにしかないのだから。
 企業なんて、いつかは消えてなくなるもの。ビルだって、いつかはとりこわされていくもの。東京と同じものを作ったって、所詮、まねでしかないけど、歴史と自然だけは、そこにしかないから。ボクも田舎出身だからわかりますが、田舎に住んでいると、東京と同じものが欲しくなります。でも、それだけでは、その土地は経済的にも、豊かにならないです。だって、都会の人間は、東京から逃れたい、都市から逃げ出したいんだから。その地にしかないもの、かつては、当たり前だったけど、東京には無くなったものに、金を払うんだから。(ボクが生まれた高知県南西部なんて、はっきり言って、地の果て。鉄道だってまともに通っていないような場所だったんだから。その結果、四万十川はきれいに残り、日本最後の清流なんてことになって、逆に観光資源になって、訪問してくれる人たちもいるわけだから)
 今年は、ボクにとっては、「なんとなく新発見!」、「新日本紀行」の一年でした。この経験を、次のビジネスにつなげていきたいです。ボクはビジネスは自分の世界を広げ、人と人をつなげてくれるものだと思っています。お会いした人たちにも、喜んでいただけるようなことを、考えていきたいです。
 来年も、いろいろな土地を訪れて、3時間、あるいは4時間程度かもしれないけど、お取引先巡りをやっていきますよ。
(写真は、マジックミラーに映る由布岳)

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プレミアム炊飯器

この前、新潟でいただいた新米を一口味わって以来、俄然と、お米への関心をもつようになりました。先週末、秋田から帰るときにも、空港で秋田の新米を買ってきました(下の写真)。で、今、年末までに狙っているのが、プレミアム炊飯器です。いくつかのサイトを読むと、なんとなく、SANYOの炊飯器がいいと出ています。「おどり炊き」というのが、SANYOのネーミングのようで、サイトをみていると、技術者の方たちの努力に泣けてきます(→こちらのサイト)。気に入ったのは、「おどり炊きムービー」(→こちらのサイトの左下に、バナーあり)。
日本人はやっぱりご飯!

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今日から12月。

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今日から12月ですが、皆さん、今年の総括はいかがですか?今年できたこと、できなかったことをゆっくり考えながら、来年の目標を具体的に作っていきたいと思っています。ボクは今年は北海道から九州まで、かなりの町を訪問しました。おかげさまで、ボクらのビジネスの現状、日本の東京と地方の格差の問題など、ミクロとマクロのことを、体感できた一年でした。来年も、「新日本紀行」と名付けているお取引先訪問は続けていきます。さまざまな方たちにお会いでき、本当に、ラッキーな一年でした。
 今夜は大学の大先輩方のある会合に出席させていただきました。皆さん、60代、70代の方々ですので、「君みたいに若い人は、ウンヌン、カンヌン」なんて話しかけられますが、ボクも今月11日で49歳になります。先週、新聞記事で、フランスの文化人類学者、
レヴィ・ストロースが100歳を迎え、お祝いに、サルコジが訪問したという話を読みました。レヴィ・ストロースのような長寿と明晰な頭脳でなくてもいいので、これからも健康で、できるだけ長く、しっかりと仕事をしていくことができれば、いいなと思います。

街は、もうクリスマス気分。

 最近はあまり見かけないのですが、数年前までは、うちの近所はクリスマスシーズンが近づくと、飾り付けをする家がかなりありました。電気代がかさむからでしょうか、このごろは、ポツッ、ポツッとしか、見られなくなりました。(うちの裏のおうちは、元気一杯の雪だるま君やバナーのデコレーションを飾っていて、楽しませてくれています)
 今日は、ちょっと休日の街に出たのですが、なんとなく、クリスマス、年末の雰囲気を感じました。今年もあと一ヶ月ばかり。いろいろなことがありましたが、四捨五入すると、ハッピーな2008年です。あと、ひと月、最後まできちんと仕事をしていきますよ。

2025年、世界4位の経済力?!

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 先日、産經新聞の一面コラムに、中国の改革派の論客の意見として、アメリカがさまざまな問題を抱えつつも、中国のように各地で暴動がおこっていないのは、直接民主主義がそれなりに成熟しているからではないか、リーダーの選出に参加しているから、自分たちも結果に責任を持ち、うまく行かない場合には、別のリーダーを選ぶという考えが定着しているのではないか、そのような意見が紹介されていました。この中国人は、まさかオバマが大統領になるとは思ってもいなかったと言っています。
 オバマはインターネットがなければ、絶対に当選していなかった、インターネットが生んだ最初の大統領だという意見が圧倒的です。実際、オバマは、The Office of President-Elect (「次期大統領のオフィス」とでも言うのでしょうか?)という名称のもと、
Change.gov というホームページを開いて、大統領として正式に就任した初日から、フルに活動できる準備を進めています。
 それに引き換え、ボクらの国の政治って、いったい、どうしてこんなにも軽いものになっているのか?実は、ちょっと、麻生さんに期待していたのですが、大はずれになりそうです(ボクはおめでたいので、だいたいの場合、プラスの評価からスタートするのです)。漢字が読めないのには、あきれてしまいました。漢字検定を受ける人が多いのも、国のリーダーからして、「未曾有」が読めないのだから、当然かなとも思います。
 以前、日本の証券各社は、強引な営業でお客に損をさせても、1、2年のうちに別の営業マンを同じ客に送りこみ、前任者とは違って今度こそはきちんとやります、なんて言いながらまた同じように客をカモにするということを行っていました(カモになる客も悪いのですが)。霞ヶ関に代表される官僚組織もまったく同じで、定期的に異動をさせていって、いったい、誰に責任があるのか、はっきりさせないようにしています(そういう意図でなかったとしても、結果、そうなっています)。社会保険庁の年金問題は、国家的な詐欺事件といえる規模のスキャンダルであるのに、誰も責任を取ろうとしません。厚生労働省の作ってきた損失なんて、先週駒沢大学や立正大学ででているような150億円なんて損失が、かわいくみえるような額です。たぶん、何兆円という税金が、無駄な投資事業で消えていったはずです。でも、厚生労働省で責任を取った人がいるなんて、聞いたことはありません。投資家としてアマチュアなのであれば、下手なことをやってほしくないです。
 政治と官僚、日本の政治をささえる二つの集団、個々人をみれば決して悪い人たちではなく、逆に優秀な人たちが集まっているはずなのですが、集団となった時、リーダーシップを発揮することもなく、誰も責任をとりません(政治家は選挙がありますので、まだいいのですが)。今の日本の仕組みそのものを変えていかない限り、この閉塞感から自由になることはないのでしょうか? 日本でもインターネットは、新しいリーダーを押し出す仕掛けとなるのでしょうか?
 昨日の読売新聞一面に、「2025年、世界は多極化し、日本は、アメリカ、中国、インドに次いで4位のGDP」になっているという、アメリカの国家情報会議のレポートが紹介されていました。ボクが驚いたのは、2025年、16年後の世界の予想で、まだ日本が4位に位置づけられているということです。アメリカの忠実なしもべ、そして不安に満ちた、「かよわい花」(と、言ったのは、カーター政権の
ブレジンスキー大統領補佐官だったと記憶しています)、日本への配慮でしょうか?
 2025年、ボクは65歳前後のバリバリのシニアになっているはずですが、日本がまだ「世界4位の経済大国」にあろうとなかろうと、自分なりにベストを尽くしていきたいです。

マーシャル・ゴールドスミスー世界でもっとも成功したコーチングのプロ

 今日いらっしゃったお客さんが、まわりの人たち(社員、スクールのお客さんなど)を、どうやって「動機付けるか」、それが難しい課題だとおっしゃっていました。飽食の時代、動機付けで悩んでいる人が、本当に多いなと思います。
 まだ目を通していなかった11月4日の日経新聞夕刊を読んでいたら、マーシャル・ゴールドスミス来日のインタビュー記事がでていました。本は読んだことがないのですが、名前くらいは知っています。インタビューでは、「私は仏教徒。もう十分稼いだので、これからは自分のメソッドが人の役に立つことが幸せ」と言っています。年齢は59歳のようです。グーグル社内で行った講演が、そのままYouTubeに出ています。アメリカのコーチらしく、とてもエネルギッシュです。「今、幸せを感じること。家族、友人を大切にすること。夢を大切にすること。」講演の最後に言うことは、とても「分かりきったこと」でもあるのですが、時々、思い出した方がいいことばかりです。ボクは社内用にですが、Be happy, Be lucky, And Make it simple. っていうカードを作っています。ボクは他の人たちにコーチングをしてあげることはできないと思っていますが、いつか、自分自身がもっと精神性の高い人間になりたいという気持ちは強く持っています。ちょっと気障ですが、いつかそのための旅にでたいとも。


YouTube: Leading@Google: Marshall Goldsmith

マーシャル・ゴールドスミスのHPは、こちら

どうしようもないほどの違いを感じる政治参加のレベル

 先月、米大統領選において、オバマ陣営が1億5千万ドル、日本円にして150億円以上を集めたという記事がありました。新しい寄付者が63万人(累計で310万人)、一人当たりの平均は、89ドル(1万円弱)だそうです。
Technology, Politics and Democracy@O'Reilly Radar
 丸の内インターネットラジオ「アイデア・エクスチェンジ」にでていただいた元佐賀市市長の木下さんから、政治活動に、1000円さえも寄付してくれるひとは、本当にまれだったとお聞きしたことがあります。政治家は儲かる話を持ってきてくれる人であって、支援する対象ではないということでしょうか。オバマが集めている金額を聞くと、ほとんどの日本の政治家たちは、うらやましく思っているでしょう。
 アメリカと日本の大きな違いとして、寄付行為に対する意識の違いが、よく言われます。税金控除のことが、日本で寄付が盛んでない理由としてしばしばあげられますが、ボクはそれは第一の理由ではないと思っています。それ以前に、自分たちが政治を作っていこう、あるいは自分の理想を掲げて、それに身銭を切って参加していこうとすることを、善しとする文化が、あまりにも脆弱なのではないかと思っています。同じく「アイデア・エクスチェンジ」にでていただいた、
「きぼうのいえ」の山本さんも、山谷のホスピスを維持していかれるのに、本当にご苦労されていると思います。
 アメリカ人たちの、政治に参加していこうとする意思の表明を見ると、はやり民主主義の国だなあ(問題が多いアメリカの民主主義かもしれまんせんが)と思います。

アメリカ大統領選挙雑感4

 マケイン、オバマ両候補による最終討論が終わりました。
リードしているオバマが「ぼろをだす」ことなく終わり、逆転を狙うマケインは、決定的な打撃を与えることができなかったという意見が多いように思います。異常な状況にある株式市場、不況への恐怖感が、オバマにとって、有利に働いているように見えます。アメリカ初の黒人大統領が誕生するのか?ヨーロッパや中近東諸国は、オバマを期待しているようですが、日本にとって、オバマはプラスなのかどうか?
 47歳のオバマには、若さだけでなく、粘り強さ、我慢強さを感じます。中国、日本などの「古い文化」のアジアの国では、一部に、非白人の政治家への偏見があるという意見があります。オバマがアメリカのリーダーとなった時、日本の政治家たちは、どのような反応を示し、どのように対応していくのか、それにも興味があります。

アメリカ大統領選雑感3

 ハワイに着いた金曜日夜、テレビでは、オバマとマケインの討論会が行われていました。翌日の新聞では、どちらの候補者が議論に勝ったのか、さまざまな記事がでていましたが、両候補者陣営が一致したのは、「負けたのはあちら側」ということだけだ、という記事が印象に残りました。
 ホノルルセンチュリーライドの翌日、ハワイ時間で月曜日の朝ですが、株の大暴落がありました。そのことは、今日、帰ってきた日本の新聞の夕刊の一面に大きく出ているのですが、ハワイで見ていた経済専門チャンネルでも、詳細に報道されていました。
 帰国前、電話で話した、ハワイのある弁護士(日系アメリカ人)は、ハワイ経済にも影響が出始めていて、例年、100億円ほどの経済効果があるホノルルマラソンの参加者が今年は減るのではないかと危惧する声が出始めている、ということでした。ホノルルセンチュリーライドも、昨年よりも参加者が減少したような印象を持ちました。
 アメリカでは確実に、実物経済にも大きな影響が出始めています。日本のバブル経済崩壊の後のような状況が、これからアメリで始まっていくことでしょう。だれが次の大統領になったとしても、たいへんなお荷物を背負うことになります。議会で金融法案が秘訣されましたが、8年間の共和党政権の失政として、マケイン側にとっては、不利な状況になってきているように思いました。史上初の黒人大統領誕生も、夢ではないかもしれません。
 それにしても、現ブッシュ大統領は、アメリカ史上でも、最悪の大統領の一人として、記憶されるのではないかと思います。

小泉さん引退のニュースに思う。

 政治家、公開企業、宗教団体の世襲には、基本的に反対です。世襲には、マイナスの面ばかりではなく、プラスの面もありますが、政治や、公開企業の場合には、親子関係以外の理由で、後継者が選ばれるべきだと信じています。なぜなら、「機会の平等」の大原則に反するから。「親の七光り」のリーダーばかりになった社会に、活力やバイタリティがなくなっていくのは、当然だと思います。(いまの日本社会?)
 昨晩、小泉さんの引退のニュースを聞き、そして、後継者として次男を指名していると知り、結局、小泉さんもこれまでの政治家と、根っこの部分では変わらないことを、改めて認識しました。
 ただし、政治家の場合は、選挙があります。選挙で二世や三世を選んできたのは、国民。大きな目で見たときには、世襲を許容している国民の責任なのかもしれません。

弘前駅前に、画一的なホテルは似合わない。

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ここ数ヶ月、ほぼ毎週のように、お取引先を訪ねて、いろいろな町を訪問しています。先日も、青森の弘前と八戸に行きました。新しい町を訪れると、だいたい、JRの駅前に立つことになるのですが、これまで訪れた、ほぼすべての町で目に入ったのが、東横インです。感心するくらい、このホテルは、駅前のいい場所に、それもかなり新しいホテルを建てています。

 この会社は、数年前、法律違反をやっていて、社長が「ごめんなさい」をしたことを記憶している人も多いと思います。
 このホテルにはまだ泊まったこともなく(一度泊まってみたいと思っています)、上手に全国展開をやっているなという印象を持っています。銀行との関係も、うまく維持されているのかもしれません。社長さんは、アイデアマンだという記憶もあります。
 ただ、東横インだけの責任ではないでしょうが、地方都市の駅前が、ほとんど「同じ顔」になっていることが、とても残念です。その町の歴史やユニークさが見えなくなり、あるいは壊されていき、東京の企業のお店が、駅前の目立つビルと、屋上の看板を占領しています。東横インだけではありません。多くの町で、イオンか、セブン&iホールディングが、これが見えないか!と、言わんばかりの大きさで、存在を誇示しています。秋田に来たのか、岩手に来たのか、はたまた富山に来たのか、どこに行っても、同じような看板に圧倒されることが多くなっています。
 ビジネス的に言うと、東横インはうまくやっているのだろうなと思います。ニーズもあるのでしょう。でも、弘前や金沢のような歴史的な町では、違う世界を求めて足を運ぶ旅行者の第一印象を決定づけるようなホットスポット(例えば、駅の周辺)には、コンクリートの固まりのようなビルは見たくないな。厚化粧というか、ワンパターンの化粧の町ばかりになっています。それも、本人の良さを殺していくような、見ていてちょっとハシタナイなというような化粧です。
 めずらしく、役人と意見が合っているのですが、日本の観光立国化には、大賛成です。ぜひ、新しい町に降りた旅行者が、はっとするような「町の顔」を見せてほしいです。東京の大企業の存在と、コンクリートの固まりのホテル群ばかりの駅前では、つまらなすぎますから。まず、その地の歴史を大切にしてほしいです。歴史のないところ、歴史を消していくのは、東京だけで十分です。
 弘前には2時間くらいしかいませんでしたが、この町は、津軽の中心で、多才な人物が生まれ育ったところです。寺山修司(かれの本を何冊か買ってしまいました)、a to z memorial dog の作者の奈良美智も、弘前の出身です。太宰治も、弘前のそばの町の出身でした。町の歴史を反映した町並みやお店を大切にしてほしいな。

アメリカ大統領選雑感2

 オバマが勝つことは、かなり難しくなったのではないかと、感じています。最大の「敗因」は、ヒラリー・クリントンを副大統領候補に指名しなかったことではないかと思います。もしオバマがヒラリーを副大統領候補に指名していたならば、どのような展開になっているでしょうか。それはオバマ陣営にとっては、感情的にできないことだったのでしょうか。また、船頭がふたりとなって、どちらがリーダーなのか、はっきりしないことになったでしょうか。
 それから、これは単なる僕のイメージですが、ヒラリーと、歌手のマドンナが重なることがあります。どちらも、自分のスタイルと主張を持った、強いアメリカ女性です。デビューした頃から、マドンナは大好きな歌手の一人です。
 先日書いた通り、個人的には、オバマが大統領になったアメリカを見てみたい気持ちです。

アメリカ大統領選挙雑感1

 アメリカの大統領選挙まであと50日くらいになっています。民主党、共和党の大統領候補者選びのプロセスが長かったこともあって、そう感じるのかもしれませんが、一旦、両党の候補者指名大会が終わると、本選挙まで、すぐだなという印象です。個人的には、オバマが大統領となることで、新しいアメリカを見てみたいという気持ちがあります。ヨーロッパでも、オバマは非常に人気があるようです。
 ただ、現状を見ていると、マケインに勢いがあるのかもしれません。副大統領候補のペイリンが、予想外のプラスになっているようですし、まだ、アメリカは黒人の大統領には心の準備ができていないのではないかという気がします。
あ、それから、ペイリンがかけているメガネは、日本人デザイナーによるもので、このメガネへの注文が殺到していると聞きました。

開高健が言ったこと、仲代達矢インタビュー

 今日の朝日新聞朝刊で紹介されていますが、作家・開高健が以下のようなことを書いています。「現代人は頭ばかりで生きることをしいられ、自分からもそれを選び、それだけに執して暮らしています。(中略) 部屋の中で寝てばかりいないで、立ちなさい。立つことです。部屋から出ることです。そして、何でもいい、手と足を使う仕事を見つけなさい。」(知的経験のすすめ)
 会社で仕事する多くの人には、このように言い換えてもいいかなと思います。「パソコンの前に座っているだけでなく、立ちなさい。パソコンから離れることです。一度、現場にでてみなさい。お客さんと面と向き合ってみることです。」キャノン電子の坂巻社長は、『椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる』という本を書かれました。(→
黒犬通信バックナンバー
 
 反対側のページにある『仕事力』というコーナーでは、俳優仲代達矢のインタビューの連載が出ています。「人間の野性と本能を描く」というタイトルの3回目。無名塾という名前に込めた気持ち(「マンネリになって壁にぶつかったときには、もう一度、無名になって修行に帰ってこい」)もすごい。このかたは、もう76歳になられていますが、とてもいい顔をされている。年をとれば取るほど、どのように生きてきたかが、そのまま顔にでていて、恐ろしく思います。→
仲代達矢インタビュー

マックのコーヒーまで、値上げ!

0164 毎朝、マックの100円コーヒーを飲むのが習慣になっています。今朝、カウンターで100円を出したところ、120円に値上げになっていることを知りました。この商品以外にも、食料品などの値上げラッシュですが、切りのいい100円から、120円へのアップのせいか、この値上げは、「ガーン!」という感じです。

追記 この前、大分に行ったときに、駅前のパルコに入っているスターバックスをのぞきました。お値段は東京と同じレベル。東京でもスタバはちょっと高いと思うのですが、大分でも同じ値段では(ビジネスが)厳しい印象を受けました。

夏の終わり

早朝、犬たちの散歩にでかけるため、玄関のドアを開けたときに感じる空気が、もうすっかり秋です。
近所の公園では、蝉たちが最後の力を振り絞って、鳴き、そして飛んでいます。もう今年の夏も終わりましたね。
この一週間ほど、興奮させてくれたオリンピックも、あと数日で終わり。

御巣鷹山は遠く

23年前の今日、大阪行きの日航機が御巣鷹山に墜落。

土砂崩れのため、当面、山頂まで歩くことはできないようです。今日は、遺族の方々のために、特別の登山道が用意されているとか。御巣鷹山に登ろうと知人と話をしていますが、年内に登ることができるかどうか。

木と水の大地

 「日いずる国」はきっと世界でもっともかっこいい名前のひとつです。それだけでも、日本はユニークな国だと思います。

 カリブの国ジャマイカは、先住民が「木と水の大地=Xamayca(ザマイカ)」と呼んだ島だということを、あるところで読みました。これも素敵な名前だなと思います。もともとそこに住んでいた人たちが付けた名前をそのまま使えばいいのに。

詩人の言葉

 2年前になくなられた茨木のり子さんの言葉。まだお会いしたことのない方のブログで発見。茨木さんの詩集では、「倚りかからず」は読んだことがありました。最後の「ばかものよ」が好き。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
*

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
*
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
*

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
*

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
*
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

世界経済はどうなるのか?

今週のニュースウィーク日本語版のタイトルは、『「大恐慌の足音」ー1930年代そっくりの連鎖破綻危機。世界経済は金融パニックを逃げられるか』。アメリカのサブプライム問題は、日本のバブル崩壊と同じ轍を進んでてきているという意見もかなり出てきています。→ロイター記事

ところで日本のマスコミ論調でよく読むのは、「アメリカの市場主義は崩壊したのに、どうして日本はそのアメリカの後をおって市場主義をとらないといけないのか」というような意見。でも、こんなたとえで、考えてみてはどうでしょうか?

 確かに運動のやり過ぎは健康によくないかもしれない。特に、運動というよりも、競技となってしまった場合。でも、日本の場合はと言えば、運動不足でメタボなのでは?つまり市場主義からはほど遠く、自由な資本主義経済とは言えないのが日本で、もっと資本主義の精神を勉強した方がいいように思うんだけど。比喩を使うことは時には議論をおおざっぱにしてしまうから気をつけないといけないけども、お上が重要なことを決める日本の社会主義的傾向は、アメリカの行き過ぎた市場主義同様、破綻してしまっているのに。とにかく「小さな政府」を目標に定める政治家の先生たちに頑張っていただきたい。そして我々ビジネスマンは、自立しながらしっかりビジネスをやっていき、安定した職場を作っていくこと。

 蛇足ですが、今夜は、今年オープンした赤坂Sacasにあるベルギービール屋さんで、社員の人たちといっぱいやったのですが、このお店もほぼ満員でした。日本経済の見通しは暗いと思っていますが、東京の一部のエリアはにぎやかです。写真は、このビル開発の目玉のひとつになっている(だろう)、映し出された絵が変化する階段。

Tbs1

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映画「狩人と犬、最後の旅」

 北アメリカ版のマタギの話。パソコンも、インターネットも登場しないのですが、そのかわり、落ちこぼれだの、格差だのという言葉も存在しない世界が描かれています。ここにあるのは、自然の中で全力で生きていこうとする人間と犬たちです。禅問答のような話になりますが、自然の中には、悲しさも、喜びもなくて、ただ自然の営みが淡々と進行していきます。人間が存在したとき、その人間だけが感じる、悲しみや苦しみが発生するのであって、自然は人間のささいな感情にはいっさい動揺することがありません。YouTubeにこの映画の感動的なシーン(湖をわたろうとした主人公の犬ぞりが、湖の氷の割れ目に落ちてしまうシーン)がアップされています。



YouTube: Le dernier Trappeur

YouTube: Le dernier Trappeur

 PCやケータイをすべてて放り投げて、白神山地あたりに、うちの黒犬たちと一ヶ月ほど行ってみたいというのが、最近の僕のちょっとした憧れです。それはちょっと今すぐにはできないことなので、世界の3大自転車レースのひとつ、先週終わった2008年ジロ・デ・イタリアの再放送を見始めました。イタリアの美しい自然の中を走っていく選手たちを見ているだけでも、ちょっとした解放感があります。

アオテンストア

冷静と情熱の間

 昨晩夕食をご一緒した人からお聞きした話です。ある防虫剤のメーカーでは、「虫供養」の日を設けているとか。そのメーカーの仕事は、人間にとって、「うざったい」存在である虫たちを駆除していくことで、それは殺生につながる。自分たちが食っていけるのは、虫たちのおかげで、その虫たちがいなくなったら、自分たちの仕事はなくなる。でも、自分たちは虫たちを殺生しながら、生きている存在。1年に一度、そんな自分たちの矛盾した存在を忘れないように、「虫供養」の日を設けている。そんな話でした。

 自分たちのやっていることを時には冷めた目で見ることができる人と仕事をするのが、好きです。決して自分を卑下するということではなく、自分のやっていることの限界を知っておくことは大切なことだと思います。(世界を変えるようなものを作りたいとか、人を感動させたいという情熱は、素晴らしいのですが、往々にして、自分の仕事の過大評価につながることも見受けられます。若いうちはそれくらいの野心がなくちゃ、ダメだとも言えますが。)

 任天堂の山内さんが時々言われるそうですが、任天堂のゲームなんてなくなっても、人は生きていけるのだから、分をわきまえないといけないというのは、ものすごく真っ当な感覚だと思います。今後、任天堂の商品やサービスが、われわれの生活のインフラになってきた場合は別として、いまのところであれば、任天堂がなくなっても、僕らは生きていけます。(でも、電力会社や石油会社、あるいは食品メーカーがなくなると、僕らは生きていくことができなくなるでしょう。)そんな任天堂の時価総額が、日本の株式市場で3位にあるということは、日本がまだまだ平和で安心していられる社会だということなのでしょう。

男は車好きが多い

 午後、青山ツインタワーにはいっている某社を訪問。今日はめずらしく10分前に現地についてしまったので、交差点を越えたところにあるホンダの本社ビルにあるショールームをのぞいてみました。ホンダのフィット(FIT)、今一番気になる車です。気になるというのは、運転しているとき、見かけた車をちらっと見てしまうということ。
 コンパクトで、シャープなスタイリングが気に入っています。もちろん、燃費のよさも。
 でも、今乗っている車も大切にしたいので、そう簡単に換えるわけにもいかず、ホンダのショールームでは、かわいいショールームの女性からカタログをいただき、写真のミニカーを買ってきました。2010年前後には、フィットにハイブリッド車が登場、さらにバブル期にホンダが出したスポーツカーNSXが、アキュラブランドのフラッグシップカーとして復活予定なんて記事(社長とのインタビュー)を先日読みました。ホンダに期待しています。
 しばしば車の話をするので、周りからはあきれられることもしばしばですが、男は車好きが多いものなのです。

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Fit

高知_「クジラとウマの国」

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日頃たいへんお世話になっているPCスクールの方が、インストラクター10名ほどを集めての「オフサイトミーティング」を高知で開くということで、今週末は、久しぶりに帰っていました。高知県生まれとはいえ、生まれたのは県の西部、さらに、東京に出てくるまで、長かったのは愛媛ということで、それほど高知市内に詳しくはありません。一年に一度ほどお伺いする秋田もそうですが、市内はなんとなく、寂れています。

高知の特徴。
1 地場の企業が少ない。タクシーの運ちゃんの話では、高知県人は飽きやすく、粘りがない。県外の企業にやられっぱなし。
2 ギャンブル好き。競馬、競輪、パチンコ。
3 至る所に、クジラとウマ(坂本龍馬のことです!)のイメージや漫画がある。

この1と2からすると、高知県人には資本主義の精神がほとんど育っていないということでしょうか? 三菱グループの創設者は、高知県人ですが!

うちの両親は僕よりもずっと高知県人としての意識は強いひとたちですが、いつも、「愛媛の方がずっとしっかりしている」というようなことをぼやいています。

いつまでも坂本龍馬にすがっていないで、新しい龍馬を育てなくっちゃ!もう一人、高知県生まれで、僕が好きなのは、ジョン万次郎。土佐清水にある彼の生家にも行ったことがありますからね。

最後に、写真の説明をしておきます。
左のクジラは市内にある駐輪禁止、真ん中のクジラは銀行のシャッター、右のクジラは飲み屋の看板。高知の有名な酒の一つは、酔鯨(すいげい)。僕が、高知は、「クジラとウマの国」というのは、こんな理由からです。

あ、それから、ホエールウォッチングができるのも高知のいいところです。
タクシーの運ちゃんの話では、観光客も減っているそうです。皆さん、ぜひ高知県に来てください。

インダストリアルデザインの勝利-MacBook Air

 数日前から、自宅ではMacBook Air をメインのPCとして使っています。20年ほど前のSE/30から始まって、何台目のMacになるのか、正確には覚えていませんが、10台目くらいにはなるかもしれません。そのスタイル、デザイン、スピード(802.11n規格の無線LAN=Air Mac Extreme ベースステーションを使っています)、かなり満足しています。

 アルミを使った強固な筐体、安定したキーボードタッチ(通常のMacBookと同じように安定したキーボードタッチ!)など、「みてくれ」だけでなく、実用性もしっかり兼ね備えています。

医療関係者だって「自分を休める時間」が必要だ

この前、久しぶりに風邪を引いたことを書きました。数年ぶりに風邪を引いたのですが、病気になることにもいいことがありました。たとえば、一日会社を休んで、寝たまま本をずっと読んでいたり・・・。

今日の朝日新聞朝刊「医療再生へ」という特集記事で、「疲れ果てる勤務医」の話が紹介されていて、先週お会いした方の話を思い出しました。あるクリニックの方ですが、「自分たちは病気になったときにも、簡単に休むこともできない」ということでした。その方は医者ではないのですが、クリニックで事務方の責任者として、一日、二日の休みさえもなかなか取れないとか。人の病気の面倒を見るのに、自分が病気になっていては、これぞ本末転倒ですが、そんな話が至る所にあるようです。

本末転倒といえば、こんな話をお聞きしました。ある患者がリハビリにクリニックに通っていて、台風の日にもその患者が来るということで、医者も事務方も、台風のさなかに出勤しないといけない。でも、そもそも、台風の日にも動き回れる患者のために、どうしてそこまで無理しないといけないのか疑問に思ってしまう、とか。

医者や病院に、医療サービスの提供以上のものを、際限なく求めるのは、あまりにも酷だと思います。

今日の朝日の記事では、「日勤→当直→日勤」と36時間連続勤務なんて、信じられない話が紹介されています。知り合いの方も、本当に休みが取れないと、ぼやいていました。

医療関係者にだって、休む時間は必要。以前、「学会参加のため、○○先生は、今週はお休み」なんて貼紙を読むと、「学会なんて本当なのかな?!」って思うこともありましたが、「休暇で休みます。」と素直に言うことを許してくれない社会では、方便を使うのも仕方ないかもしれません。

だらだら仕事をしない。過度のサービスを良しとしない(しばしば、日本はあまりにも過度のサービスを求めすぎると思います)。あまり他人に頼らないで、自分でできることは自分でする。休む時間は自分への投資でもある。そんな風に考えています。時に、本当に必要な無理をしないといけない時があります。普段は、緩急をつけた仕事の仕方をしていないと、時々の無理が絶対にできません。

そして、バランスが取れた仕事の仕方のためにも、PCやインターネットをもっと活用したいと思います。

社内で、「一週間休んで、合計10日間のヨーロッパ旅行に行きます」なんて話を聞くと、先週お会いした方が「なかなか休めないので、海外旅行といっても近場のアジアしか考えられない」とおっしゃっていたことが頭に浮かびます。その方も、近いうちに、10日間のヨーロッパ旅行ができないものでしょうか?

出発地点に帰ってみる

知り合いの方が教えてくれた言葉。

 「スタート地点が正しくて、初めて目指す場所に到着できる。スタート地点が違っていたら、そこからやり直さないといけない。」

どんな生き方をしたいのか、なにをやりたいのかをずっと考えていた大学生の頃のことをよく考えます。自分の出発点を時々確認することは、忙しい毎日の中で必要かつ大切な作業のように思います。

マザーテレサと「悟りに試験はない」の話

 木曜日、朝日新聞夕刊で読んだ『悟りに試験はない』のことを書きました。(「のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。」)

 昨晩、仕事から遅く帰ってきたら、以前書いた(→リンク)ことがある「きぼうのいえ後援会」から募金の案内が来ていました。(ここを始めた山本さんの本、『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました』には感動。)お手紙と一緒に、聖フランシスコと、マザー・テレサの言葉が印刷されていました。マザー・テレサの言葉は、有名なのかもしれませんが、以下のようなものです。

あなたの中の最善のものを

人は不合理 非論理 利己的です 気にすることなく 人を愛しなさい

あなたが善を行なうと 利己的な目的で それをしたと人は言うでしょう 気にすることなく 善を行ないなさい

目的を達しようとするとき じゃま立てする人に出会うでしょう 気にすることなく やり遂げなさい

善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう 気にすることなく なしつづけなさい 

あなたの正直さと誠実さが あなたを傷つけるでしょう 気にすることなく 正直で誠実でありつづけなさい

あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう 気にすることなく 作りつづけなさい

助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう 気にすることなく 助けつづけなさい

あなたの中の最善のものを 世に与えなさい けり返されるかもしれません でも気にすることなく 最善のものを与え続けなさい 

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

(引用終わり)

僕はマザー・テレサが、キリスト教のどの派に属していたのかさえもしらないほど無知なのですが、マザー・テレサと仏教の「悟り」のふたつの話は、「最後の試験」で歩み寄り、手を取り合っているように感じました。

「悟りに試験はない」

朝日新聞夕刊で連載されている、「日々是修行」(佐々木閑執筆。)が好きです。今晩のエッセイのタイトルは「悟りに試験はない」。資格試験のビジネスで食わせてもらっている僕には、とてもおもしろいお話でした。文章の趣旨は、以下のとおり。

 試験は「能力の到達レベルを判定するシステム」と見ると、たいへん親切な制度だ。なぜなら、自分では分からない、自分の能力程度を、まわりの専門家たちが判定してくれるからだ。それが励みになって上に昇っていける。しかし、上に上に向上していった先には、試験のない孤独な世界が待っている。どんな領域も、先端まで行くと、もはや評価してくれる人がいなくなるからだ。自分で判断するしかない。仏教の最終目標の「悟り」において、それがどういう境地で、どうなったら悟ったことになるのか、まわりに判定してくれる人はいない。人のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。(以上)

 上に上に行かなかったとしても、僕らは実は孤独の世界にいるのかもしれません。どちらにしろ、自分をしっかりと持ちたいと、ずっと思ってきました。

 

 

Work/Life Balance

 日本語でも、「ワークライフバランス」、あるいは「ライフワークバランス」という言葉が使われるようになってきました。ベンチャー企業のステージにおいては、「ワーク・ワーク・ワーク」であって、lifeつまりpersonal life を考える余裕なんてありませんが、そのステージを通り過ぎると、バランスを取っていくことが重要になってきます。日本全体でみても、日本が「ベンチャー企業」の段階からジャンプした高度成長期の「モーレツ」な働き方に返ることは、当面ありえないのではないかと思います。人間、ずっとハイパーな状態で働き続けることは、可能ではありません。以前一緒に仕事をしたことのあるイギリス人は、毎日3時間ほどの睡眠と片道1時間半ほどの自動車通勤をこなしていましたが、どうやって、そんなライフスタイルが維持できるのか、不思議です。

 うちの会社は女性社員が多いので、このWork/Life Balanceが特に大切になってきます。健康・仕事・家族、この3つのバランスを取っていくことが大切だと、ずっと思ってきましたが、特にこの頃、仕事と個人の生活のバランスをどうとっていけばいいのか、それをよく考えます。

 もちろん、その前提として、企業の競争力を維持すること、市場のニーズにこたえていくことという条件があります。これを無視することはできません。そのプレッシャーのもとで、どうやって最適のバランスを取っていくのか。企業のおかれた状況、一人ひとりの社員の年齢、家族構成、信条など、さまざまなことを考慮しないといけないかと思います。

 簡単な答えがあるわけではありませんが、継続することができるワークスタイル、効率的な仕事のすすめ方、パソコン・インターネットの役割。そんなことをこれからも考え、アイディアを実践していきたいと思います。

問題意識のない人には・・・

 昨日、社員のOさんと話をしていたら、「問題意識を持っていない人に、問題意識を持たせることは、難しいのではないかと思います。」とするどい発言。残念だけど、そのとおりかもしれません。問題意識を持つまで待つのか、持たせる工夫をするのか。鳴かない鳥への態度はここでもあてはまるのでしょう。

 また昨日は、お取引先の方が昼食時に、「変らないといけないと感じていても、人間、なかなか変れない。」 そう、きっと、ギリギリまで来ないと変ろうとしない人が多いからこそ、まっさきに自分を変えていく人に、先行者としての利益のチャンスが出てくるのだろうとも思います。

 (日本経済の行方に悲観的な日本人が多いにも関わらず、また変らないといけないと感じてはいるのに、なかなか変ることができません。海外の事情を知っている人ほど、「警鐘」を鳴らしながちですが、そのような人たちに対しては、ひどいときには「非国民」というような言葉、あるいはそれに類するような言葉が浴びせられることもあります)

 うちの会社も例外ではなく、変っていくことは決して容易ではありません。人間は、感情を持ち、その感情は当然のことながら、自分だけの感情であって、自分を守りたいという感情です。どうしても自分が見たいことを見、聞きたいことを聞く傾向があるのが、人間の感情かと思います。当然、僕もそのような感情を持っています。

 経営というのは、そんな感情を持った人間が、「理論と実践」、「理と情」、「数字と言葉」の間で、バランスを取りながら終わりのない努力を続けていくことでしょうか。そういう意味で、経営というのは、しんどいのですが、とてもおもしろいテーマだと思います。

おおぐしさんちの土佐文旦

Buntan 高知の両親から送られてきた高知県の文旦。

毎年、この季節の楽しみの一つ。この色、口に含んだときの、こりこりっとした食感。これがいい!

「捨てるコツ」(東京FMの番組"Tapestry"から)

通勤の車の中で、FMラジオを聴いていることが多いのですが、Tokyo FMのTapestry という番組で、「捨てるコツ」、「モノをためないコツ」を専門家の方が紹介していました。「コツ」なんていうと、ちょっと気軽な話のようですが、これが結構奥が深くて感心してしまいました。

 まず「モノをためないコツ」。バスルームやトイレタリー製品のストックを持たないようにすることが取り上げられていたのですが、「今使っている容器プラス一つくらいの予備でよしとすること。必要になれば、スーパーやコンビニから適時買ってくるようにし、お店を在庫置場のように考えておけばいい。」 これって、企業の在庫管理にも言えること。

 次に「洋服の捨て方」。いつか着るだろうと思ってなかなか捨てられない服。その「いつか」はいつなのか、はっきりさせること。「はっきりしないのであれば、捨ててもいいかもしれない。」 これはどんぴしゃり僕にも当てはまります。「いつか」に、明確な日付をつけない限り、「いつか」は永遠に来ないことが多いような気がします。いついつまでに、この服があう体形にならなければ、あきらめて捨ててしまう、ってしないといけないのかも。

 「コツ」というと、なんとなく取っ付きやすいけど、考えてみると、人生の大切なことに通じるものを感じながら、ラジオを聴いていました。

 それから、このTFMのTapestryの中には、「おはようエルモ」(毎週木曜日午前10時台にオンエア)というコーナーがあります。American Book & Cinemaの出版プロジェクト第一弾のMY LIFE AS RED FURRY MONSTER(邦題は、アイ・ラブ・エルモ!に決定)もこのコーナーで紹介していただけないかなと思っています。

学生たちへの大人の責任

多くの学生が勉強しないということをよく聞きます。今日のオデッセイユニバーシティでお会いしたある短期大学の先生もおっしゃっていました。ゆとり教育の産物なのだそうです。でも、もしそうだとしたら、ゆとり教育の世代に対して、大人たちは大きな責任を背負ってしまいました。

 先週土曜日あった日経ナビ「メガ・フォーラム」に来ている大学生たちを見ていて、この学生たちに、大人たちはどれだけ誠実に現実の企業社会の様子を伝えているのだろうかと僕は思いました。多くの学生たちが、せっかく就職した最初の会社を3年以内で退職するという話を聞きます。甘言で学生をとにかく入れようとする企業、あなたにふさわしい企業で働こうと言って転職をそそのかす人材紹介企業。大人たちは目先の自分の利益のために、学生たちを散々誘惑しているようにも見えます。

 今、就職市場は売り手が強いと言うことですが、いったん会社に入ると、いつまでもお客さん扱いはしてもらえません。多くの学生はアルバイトはしたことはあるかもしれませんが、アルバイト、あるいはインターンシップと、長期雇用が前提で就職して働くこととは、かなりの相違があります。でも、企業の大人たちは、学生たちに誠実に現実を伝えようとしているでしょうか?

 日本の学生たちほど、ある意味、恵まれている学生たちも世界中にいないのではないかと思います。それと同時に、その学生たちをダメにしているのは、大人の側なのかもしれないと感じることがしばしばあります。

植村直己とアンナ

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先月7日の産経新聞の記事で、植村直己冒険館というものが板橋区にあり、今月20日まで「北極圏1万2千キロの旅」という展示を行なっていることを知っていたので、今朝、初めて都営三田線の蓮根というところまで行って来ました。植村さんのことは、もちろん知っていましたが、あらためて感動しました。板橋区で15年ほど生活されていたことから、ここに展示館があり、板橋区が支援されているようです。

 この冒険館は決して豪華なものではないのですが、この建物の存在そのものがとても大切なものに思えました。それは植村さんの魂を伝えてくれるような気がしたからかもしれないです。

 植村さんがマッキンリーで行く英不明になられたのが1984年。もう20年以上も経ってしまっています。北極圏の旅でいっしょだったエスキモー犬の中で、最後まで一緒だったリーダー犬が、アンナという♀犬です(左写真の犬)。 資料からはわからなかったのですが、アンナはどうなったのでしょうか?日本につれて帰ることなく、アラスカの地に残されたのでしょうか?

 今回の展示のサブタイトルには、「植村直己-たったひとりで北極を半周」とあります。でも、アンナたちエスキモー犬がいてくれたじゃないですかと、犬たちのファンとしてはちょっと言いたくなりました。右の写真は建物の入口にある植村さんと犬ぞりをずっと引いてくれた犬たちの写真です。

初仕事

会社は明日から一部の社員が出社してきますが、僕の初仕事は今日。丸の内界隈も新年の挨拶にまわっている人たちが見られました。今年の抱負は・・・特に変ったことではありませんが、悔いのない一年にしたいです。そのためには、仕事にチカラを注ぎ、スポーツにも励み、仲間たち(我が家の甲斐犬たちも含めて!)との時間を大切にしたいです。 それから実際的なことでいえば、整理・整頓、こまめに掃除。単純なことだけど、回りに情報が溢れかえっているので、仕事でもパーソナルなことでも結構、この整理・整頓、こまめな掃除が大切なことをこの頃実感しています。

 株式市場初日の今日は株が大きく下げたので、朝日新聞などもあまり記事にできる話題がないのか、一面トップで東証の下げがニュースになっています。不動産も含めた金融市場は、今年どのような展開になるのか、不安定要素もたくさんありますが、ある意味、楽しみです。

 政治もビジネスも、自分の意思を明確にし、自分たちのビジョンを実現していくために全力を尽くすことがすべて。大きなことを言う気はありませんが、まず自分のこと、会社のことをしっかりと実行していく一年にしたいです。

A Happy New Year!

2008年が平和な一年でありますように!

高価な万年筆よりもペリカーノ・ジュニア

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一時期、高価な文房具に憧れた時期があったのですが、どうも安価で書きやすいものの方が黒犬には合っているようです。この頃毎日使っているのが、このペリカーノ・ジュニアという、子供向けにでているペリカンの万年筆です。伊東屋で1600円くらいで売っています。カウンターの上にそっけなく置かれて販売されていて、ショーケースの中にある1万円以上する万年筆たちと比べると、「継子扱い」されています。プレゼントでいただいたモンブランの高価な万年筆や自分で買ったちょっと値がはるイタリアのペンもあるのですが、正直言うと、値段は30分の1くらいのこのペリカーノ・ジュニアのほうが好き。

 商品機能は、低価格のものでも十分な時代になってしまったので、必ずしも高価な商品がいつも勝つとは限らないのではないかと思います。素材はプラスチックであっても、デザインや色がよく、日頃の使用には十分な機能を持つ商品であれば、黒犬は安い商品を選んでいます。

 ペリカーノ・ジュニアみたいな商品をプレゼントしても、喜んで使ってくれる人とは、きっと黒犬は長くお付き合いできそうな気がします。

追記

ペリカーノについてこんなHPを発見しました。こちらの方も満足されているようです。

お客様に、お取引先に、そして社員の人たちに。

今年も今週末で終わり。先日はオフィススペシャリストの受験者数が累計で200万人を突破したことをお知らせしましたが、これもひとえにお客様からの評価、お取引先の協力、そして社員の皆さんの努力が合わさった結果かと思います。今年一年も関係各位からのご指導、ご声援に感謝申し上げます。

 新年にお送りする年賀状ですが、自転車に乗る犬たちのイラストに、「仲間となら、完走できる」というコピーをつけました。160キロを自転車で走るホノルルセンチュリーライドに2年連続で参加して実感していることです。大会関係者、ボランティアで協力している地元ハワイの人たち、そしていっしょに走ってくれる4000人の名前も知らない「仲間たち」。その人たちがいてこそ、160キロを苦しいけど、楽しく走ることができます。僕らのビジネスも同じ。「仲間がいてくれるからこそ、1年間走ることができる」と思います。今年一年いっしょに走ってくれた皆さんに感謝しています。