先週サンフランシスコで

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先週サンフランシスコで撮った写真。バス移動と自転車移動を組み合わせることができます。自転車が市民権を得ている証明。

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同じくサンフランシスコ。会議があったホテルのすぐそばで。ホームレスの人も、荷を軽くするために、スーパーのカートを利用。丸の内ではホームレスがキャリア付きのかばんで移動しているのをよく見ますが、スーパーのカートはまだ見たことはありません。

今朝の富士はきれいだった。

6時に家をでたので、会社には6時25分には到着。台風が首都圏の空の大掃除をしてくれたのか、すっきりときれいな空でした。首都高速から富士山がきれいに見えたのですが、雪をかぶってすでに真っ白になっていました。朝、富士がはっきりと見える冬の季節に入ろうとしています。

長崎での風景

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先日訪問した長崎。
長崎駅前の歩道橋上から撮った風景。平地の少ない長崎では小山の壁面さえも利用されています。それもお墓として。

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犠牲者を最小化し早急な戦争終結のために原爆投下は必要だったとする歴代のアメリカ政府の詭弁をあらため、広島、長崎の地で核兵器削減を宣言することこそ、ノーベル平和賞受賞者にはふさわしいことでは?

追記
明日土曜日の夜、フジテレビで始まる「ターミネーター」で、小社オデッセイコミュニケーションズのCMが流れます。

長崎と佐世保のお取引先訪問

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一泊で、長崎、佐世保のお取引先、その他企業を訪問。
写真は、お世話になっている
長崎純心大学の鈴木先生と吉原先生。恵みの丘の上にある素敵な学校でした。その他、長崎情報ビジネス専門学校、大栄コンピュータ学院などの皆さんにもご挨拶させていただきました。日頃のご愛顧、ありがとうございます。

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 平和公園。昼食ぬきでも絶対に来たかったところ。ここに来るのは、中学生の修学旅行以来。あの時から35、6年の時間が経っています。修学旅行らしき子供たちの集団をたくさん見かけました。
 午後、長崎からバスで佐世保に移動。1時間半以上も離れています。夕方にはこの地の某有名ショッピング会社に東京から転職したTさんを訪問し、会社内を案内していただきました。この会社とはいっしょに仕事ができればいいなと思っています。
夕食はTさんに地元の食材を使ったレストランにご案内いただきました。東京生まれ、東京育ち、大学、大学院以外は、ずっと東京のひとなのに、50歳を前にして、大きなキャリア上の決断をされたものだと感心。この地に腰を据えて仕事をするために、市内にマンションを買ったというのも立派な心がけだと思います。

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写真は、佐世保駅構内にある佐世保バーガー。正直言うとあまり食べたい気にならなかった。

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同じく佐世保駅構内にある「貧乏が猿(去る)」という石像。もちろん、頭をなでて、貧乏の神にはおとり引き頂くようにお願いしました。

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佐世保は軍港です。ここには造船会社もあります。アメリカ海軍の基地もあります。

嬬恋ー素敵なひびきの地名

 話題の八ツ場ダム工事現場を見学しました。犬ならぬ、やじ馬たちがたくさん来ていました(この黒犬のオーナーも、そのひとりです)。黒犬たちといっしょに行きましたが、彼らにはまったく興味ないダム工事です。
 橋の一部が別々に立っている状態をみていると、システィーナ修道院の天井画を思い出しました(指と指をあわせようとしている場面)。現代のミケランジェロたちの仕事は、政治とカネの話で、さんざんな目にあっていますが。
 ダムの必要性といかに優れたプロジェクトであるかを説明する「やんば館」にも立ち寄ったのですが、(推進していくための)一方的な情報を流しているという印象を持ちました。一例として、ダムにはだんだん土砂がたまっていくのに、八ツ場ダムの場合は、100年後にそのたまった土砂をすくいあげて掃除するなんてことをビデオで宣伝していました。林業に詳しい知人は、日本のダムは土砂がたまると、台風などで水かさが上がったとき、たまった土砂をこっそり下流に流しているようで、だから台風のときに、川が土砂で汚れるのだなどと言っています。100年後のことなんて、管轄の役所も政治家も、「あとは野となれ山となれ」でしょう。
 どちらにしろ、50年にわたって、なんと無駄なカネを使ってきたことか。治水と言いながら、土木建設業と電力業界のために、税金をふんだんに使ってきたダム工事の必要性をぜひゼロベースで検討していただきたいです。

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 今回、黒犬たちとのドライブで、嬬恋にも足をのばしました。日本一のキャベツの生産地です。ずっと行ってみたかったところのひとつです。「嬬恋」は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、弟橘姫(オトタチバナヒメ)の死を嘆いて、3回も、「妻恋し!」とこの地で叫んだということから来ているそうです。群馬県のこの辺り一帯にひろがる「吾妻」という地名も、日本武尊が「わが妻や」と言ったことから来ているということです。ダム工事を巡る談合のうわさやら、どろどろとした賛成反対運動とはちょっと合わないほどロマンチックな地名です。
 黒犬たちにとっては、棚田の風景や道路沿いの野菜直売のおじいさんとの会話が楽しかったかな?!

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WWOOF (ウーフ)

以前、NHKの海外放送で見たことがあるのですが、WWOOF (World Wide Opportunities on Organic Farms)に関する記事を先週19日(土)の産経新聞で見つけました。有機農場で(無料で)働く代わりに宿泊場所と食事を提供してもらう、イギリス発の仕組み。日本国内でも広がっている、とか。
WWOOF Japan

台風を気にしながら羽田・神戸往復

 大学の先生との昼食、そしてお取引先訪問のために神戸に日帰り出張。台風が日本に近づいているのが気がかりでしたが、フライトもそれほど揺れる事なく、無事に往復できました。これが明日であれば関西をもろに直撃のようですから、たいへんなことになっていたはず。
 神戸空港は初めて利用しました。確かに、神戸に行くには神戸空港は便利ですが、兵庫県には伊丹空港もあり、関西に、伊丹、神戸、そして関空と、3つも必要なのか、非常に疑問です。便利さはタダではなく、税金でまかなっていくのは難しくなっていくことが目に見えているはずなのに。すべての県が空港を欲しがるからと言って、それを許してきた国交省は航空行政に責任を取る気なんてまったくないのでしょう。
 訪問したお取引先のひとつでは、MOS Master のために、オリジナルでポスターを作ってくれていました。(写真)その他の試験会場の皆さんにも日頃からお世話になっています。心より感謝申し上げます。

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『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編)

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 お取引先の皆さんとの会合のために高松訪問。ご参加いただいた皆様、ありがとうございます。相変わらず日帰り、空港と市内の往復。もう少し時間があれば、四国村に行きたかったのですが、次の機会まで待ちます。
 写真は、高松駅前のビル29階のがら空きのレストランで撮った写真。窓の向こうは、瀬戸内海です。
 先日から読みはじめた『がんと闘った科学者の記録』を高松で読み終えました。昨年お亡くなりになられた日本を代表する物理学者のお一人がブログに書かれた文章を、生前からお付き合いがあった立花隆が編集した本。
 ご自身のガンの分析やニュートリノの研究のために20年も過ごされた奥飛騨の神岡鉱山周辺の植物の紹介、ご自宅の庭で育つ花々の写真の他、神の存在に関する思索(マザーテレサは、ミッションを始めた直後から死ぬまで、神は存在しないのではないかという懐疑の念を持ち続けていたのか?)、佐々木閑先生(先日紹介した『日々是修行』の著者)との交流、科学者という人種のこと、科学者の仕事についてなど、感動しながら読み終えました。
 ご自分が到達したいと努力している人生の終末として、正岡子規の言葉を紹介されています。「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」(『病牀六尺』)
 先週、『病牀六尺』を含む正岡子規の本(すべて岩波文庫)を三冊買ってあります。

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2週間休んで国内旅行(夢ですが)

 2週間くらい休んで国内旅行をしたいです。20代、30代は海外志向が強かったのですが、さんざん海外旅行をしたあと国内を見始めてから、「日本はサイコー!」とまでいかなかったとしても、「日本もいいぞ!」と思うようになりました。特に日本の自然。北海道は札幌以外はほとんど知らないので、道東とか、北の方に行ってみたいし、北東北(下北半島、白神山地、十和田湖など)、それから九州だと阿蘇のあたりとか。沖縄には一度も行ったことないし、台湾との国境に近い島々にも行ってみたいです。
 日本人のボクがこんなことを今更書くのはおかしな話だけど、日本の歴史はおもしろいし、食べ物もいい。日本の良さをもっと我々自身が知らないとね。
 日本と比較されることの多いドイツですが、あれだけ競争力ある企業やビジネスを持っていてなおかつ多くの人たちが2週間、3週間の夏休みをとったりしています。「シルバーウィーク」や「ゴールデンウィーク」もありがたいけど、高速道路は、「拘束道路」になってしまって、車のなかで何時間も過ごすのは勘弁して欲しいと思うと、どこにもいかないことになってしまいます。
 うちの会社も一週間の休みをとる人はいるけど、2週間となると、ちょっと。社員の多くが2週間休んでも、しっかり働いて、競争力があるという会社になりたいです

札幌、小樽訪問

昨日は午後から札幌でお取引先の皆さんとの会合。夕方は地元の方および新潟からわざわざ飛んできてくれた会場のご夫婦も加わって4名で夕食。O社長、I社長ご夫妻、ありがとうございました。

今日はお昼までアポがなかったので、午前の時間を使って小樽まで行ってきました。まっさきに小樽商科大学のキャンパス訪問。小樽商大の前進である小樽高等商業高校は、東京、神戸、山口、長崎についで明治44年に開校した第5番目の国立高等商業高校。「チャタレー夫人の恋人」の訳者でもある作家・伊藤整(小樽高等商業高校卒業後、東京商大中退)にちょっと憧れていたボクはずっとこの大学を見てみたいと思っていました。噂に聞いていた地獄坂を登ったところに伊藤整や小林多喜二たちがかつて学んだ学校がありました(校舎などはまったく新しいものですが)。

小樽は作家や芸術家たちを多数輩出している街。市立小樽文学館、市立小樽美術館では小樽で生まれ、あるいは育った作家、芸術家たちの資料や作品を駆け足で見ました。

それから小樽には伝説的なパン屋があります。忍路と書いて、「おしょろ」。かつて忍路村と呼ばれいまは小樽に加わった地域で、静かな海を目の前にして、その伝説的なパン屋はありました。ストイックな雰囲気の店員たちはとってつけたような商売顔をすることもなく、忙しそうに働いていて、ボクは用事を済ませるとそそくさと店を出て行きました。この場所に、全国のパン好きたちが憧れるパン焼きたちがいるなんて、いったい、だれが想像できるものか!

小樽からさらに脚を伸ばすと、積丹半島があります。次回小樽まで行く機会があるときには、積丹半島の最先端まで行ってみたいと思っています。

Img_0943_2市立小樽文学館のなかにあるカフェ

Img_0931忍路のパン屋の前の前に広がる風景。

Img_0929小樽商科大学

Img_0939伊藤整文学碑

Img_0930小樽商大の中で見かけたポスター。