映画「狩人と犬、最後の旅」

 北アメリカ版のマタギの話。パソコンも、インターネットも登場しないのですが、そのかわり、落ちこぼれだの、格差だのという言葉も存在しない世界が描かれています。ここにあるのは、自然の中で全力で生きていこうとする人間と犬たちです。禅問答のような話になりますが、自然の中には、悲しさも、喜びもなくて、ただ自然の営みが淡々と進行していきます。人間が存在したとき、その人間だけが感じる、悲しみや苦しみが発生するのであって、自然は人間のささいな感情にはいっさい動揺することがありません。YouTubeにこの映画の感動的なシーン(湖をわたろうとした主人公の犬ぞりが、湖の氷の割れ目に落ちてしまうシーン)がアップされています。

 PCやケータイをすべてて放り投げて、白神山地あたりに、うちの黒犬たちと一ヶ月ほど行ってみたいというのが、最近の僕のちょっとした憧れです。それはちょっと今すぐにはできないことなので、世界の3大自転車レースのひとつ、先週終わった2008年ジロ・デ・イタリアの再放送を見始めました。イタリアの美しい自然の中を走っていく選手たちを見ているだけでも、ちょっとした解放感があります。

アオテンストア

冷静と情熱の間

 昨晩夕食をご一緒した人からお聞きした話です。ある防虫剤のメーカーでは、「虫供養」の日を設けているとか。そのメーカーの仕事は、人間にとって、「うざったい」存在である虫たちを駆除していくことで、それは殺生につながる。自分たちが食っていけるのは、虫たちのおかげで、その虫たちがいなくなったら、自分たちの仕事はなくなる。でも、自分たちは虫たちを殺生しながら、生きている存在。1年に一度、そんな自分たちの矛盾した存在を忘れないように、「虫供養」の日を設けている。そんな話でした。

 自分たちのやっていることを時には冷めた目で見ることができる人と仕事をするのが、好きです。決して自分を卑下するということではなく、自分のやっていることの限界を知っておくことは大切なことだと思います。(世界を変えるようなものを作りたいとか、人を感動させたいという情熱は、素晴らしいのですが、往々にして、自分の仕事の過大評価につながることも見受けられます。若いうちはそれくらいの野心がなくちゃ、ダメだとも言えますが。)

 任天堂の山内さんが時々言われるそうですが、任天堂のゲームなんてなくなっても、人は生きていけるのだから、分をわきまえないといけないというのは、ものすごく真っ当な感覚だと思います。今後、任天堂の商品やサービスが、われわれの生活のインフラになってきた場合は別として、いまのところであれば、任天堂がなくなっても、僕らは生きていけます。(でも、電力会社や石油会社、あるいは食品メーカーがなくなると、僕らは生きていくことができなくなるでしょう。)そんな任天堂の時価総額が、日本の株式市場で3位にあるということは、日本がまだまだ平和で安心していられる社会だということなのでしょう。

男は車好きが多い

 午後、青山ツインタワーにはいっている某社を訪問。今日はめずらしく10分前に現地についてしまったので、交差点を越えたところにあるホンダの本社ビルにあるショールームをのぞいてみました。ホンダのフィット(FIT)、今一番気になる車です。気になるというのは、運転しているとき、見かけた車をちらっと見てしまうということ。
 コンパクトで、シャープなスタイリングが気に入っています。もちろん、燃費のよさも。
 でも、今乗っている車も大切にしたいので、そう簡単に換えるわけにもいかず、ホンダのショールームでは、かわいいショールームの女性からカタログをいただき、写真のミニカーを買ってきました。2010年前後には、フィットにハイブリッド車が登場、さらにバブル期にホンダが出したスポーツカーNSXが、アキュラブランドのフラッグシップカーとして復活予定なんて記事(社長とのインタビュー)を先日読みました。ホンダに期待しています。
 しばしば車の話をするので、周りからはあきれられることもしばしばですが、男は車好きが多いものなのです。

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Fit

高知_「クジラとウマの国」

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日頃たいへんお世話になっているPCスクールの方が、インストラクター10名ほどを集めての「オフサイトミーティング」を高知で開くということで、今週末は、久しぶりに帰っていました。高知県生まれとはいえ、生まれたのは県の西部、さらに、東京に出てくるまで、長かったのは愛媛ということで、それほど高知市内に詳しくはありません。一年に一度ほどお伺いする秋田もそうですが、市内はなんとなく、寂れています。

高知の特徴。
1 地場の企業が少ない。タクシーの運ちゃんの話では、高知県人は飽きやすく、粘りがない。県外の企業にやられっぱなし。
2 ギャンブル好き。競馬、競輪、パチンコ。
3 至る所に、クジラとウマ(坂本龍馬のことです!)のイメージや漫画がある。

この1と2からすると、高知県人には資本主義の精神がほとんど育っていないということでしょうか? 三菱グループの創設者は、高知県人ですが!

うちの両親は僕よりもずっと高知県人としての意識は強いひとたちですが、いつも、「愛媛の方がずっとしっかりしている」というようなことをぼやいています。

いつまでも坂本龍馬にすがっていないで、新しい龍馬を育てなくっちゃ!もう一人、高知県生まれで、僕が好きなのは、ジョン万次郎。土佐清水にある彼の生家にも行ったことがありますからね。

最後に、写真の説明をしておきます。
左のクジラは市内にある駐輪禁止、真ん中のクジラは銀行のシャッター、右のクジラは飲み屋の看板。高知の有名な酒の一つは、酔鯨(すいげい)。僕が、高知は、「クジラとウマの国」というのは、こんな理由からです。

あ、それから、ホエールウォッチングができるのも高知のいいところです。
タクシーの運ちゃんの話では、観光客も減っているそうです。皆さん、ぜひ高知県に来てください。

インダストリアルデザインの勝利-MacBook Air

 数日前から、自宅ではMacBook Air をメインのPCとして使っています。20年ほど前のSE/30から始まって、何台目のMacになるのか、正確には覚えていませんが、10台目くらいにはなるかもしれません。そのスタイル、デザイン、スピード(802.11n規格の無線LAN=Air Mac Extreme ベースステーションを使っています)、かなり満足しています。

 アルミを使った強固な筐体、安定したキーボードタッチ(通常のMacBookと同じように安定したキーボードタッチ!)など、「みてくれ」だけでなく、実用性もしっかり兼ね備えています。

医療関係者だって「自分を休める時間」が必要だ

この前、久しぶりに風邪を引いたことを書きました。数年ぶりに風邪を引いたのですが、病気になることにもいいことがありました。たとえば、一日会社を休んで、寝たまま本をずっと読んでいたり・・・。

今日の朝日新聞朝刊「医療再生へ」という特集記事で、「疲れ果てる勤務医」の話が紹介されていて、先週お会いした方の話を思い出しました。あるクリニックの方ですが、「自分たちは病気になったときにも、簡単に休むこともできない」ということでした。その方は医者ではないのですが、クリニックで事務方の責任者として、一日、二日の休みさえもなかなか取れないとか。人の病気の面倒を見るのに、自分が病気になっていては、これぞ本末転倒ですが、そんな話が至る所にあるようです。

本末転倒といえば、こんな話をお聞きしました。ある患者がリハビリにクリニックに通っていて、台風の日にもその患者が来るということで、医者も事務方も、台風のさなかに出勤しないといけない。でも、そもそも、台風の日にも動き回れる患者のために、どうしてそこまで無理しないといけないのか疑問に思ってしまう、とか。

医者や病院に、医療サービスの提供以上のものを、際限なく求めるのは、あまりにも酷だと思います。

今日の朝日の記事では、「日勤→当直→日勤」と36時間連続勤務なんて、信じられない話が紹介されています。知り合いの方も、本当に休みが取れないと、ぼやいていました。

医療関係者にだって、休む時間は必要。以前、「学会参加のため、○○先生は、今週はお休み」なんて貼紙を読むと、「学会なんて本当なのかな?!」って思うこともありましたが、「休暇で休みます。」と素直に言うことを許してくれない社会では、方便を使うのも仕方ないかもしれません。

だらだら仕事をしない。過度のサービスを良しとしない(しばしば、日本はあまりにも過度のサービスを求めすぎると思います)。あまり他人に頼らないで、自分でできることは自分でする。休む時間は自分への投資でもある。そんな風に考えています。時に、本当に必要な無理をしないといけない時があります。普段は、緩急をつけた仕事の仕方をしていないと、時々の無理が絶対にできません。

そして、バランスが取れた仕事の仕方のためにも、PCやインターネットをもっと活用したいと思います。

社内で、「一週間休んで、合計10日間のヨーロッパ旅行に行きます」なんて話を聞くと、先週お会いした方が「なかなか休めないので、海外旅行といっても近場のアジアしか考えられない」とおっしゃっていたことが頭に浮かびます。その方も、近いうちに、10日間のヨーロッパ旅行ができないものでしょうか?

出発地点に帰ってみる

知り合いの方が教えてくれた言葉。

 「スタート地点が正しくて、初めて目指す場所に到着できる。スタート地点が違っていたら、そこからやり直さないといけない。」

どんな生き方をしたいのか、なにをやりたいのかをずっと考えていた大学生の頃のことをよく考えます。自分の出発点を時々確認することは、忙しい毎日の中で必要かつ大切な作業のように思います。

マザーテレサと「悟りに試験はない」の話

 木曜日、朝日新聞夕刊で読んだ『悟りに試験はない』のことを書きました。(「のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。」)

 昨晩、仕事から遅く帰ってきたら、以前書いた(→リンク)ことがある「きぼうのいえ後援会」から募金の案内が来ていました。(ここを始めた山本さんの本、『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました』には感動。)お手紙と一緒に、聖フランシスコと、マザー・テレサの言葉が印刷されていました。マザー・テレサの言葉は、有名なのかもしれませんが、以下のようなものです。

あなたの中の最善のものを

人は不合理 非論理 利己的です 気にすることなく 人を愛しなさい

あなたが善を行なうと 利己的な目的で それをしたと人は言うでしょう 気にすることなく 善を行ないなさい

目的を達しようとするとき じゃま立てする人に出会うでしょう 気にすることなく やり遂げなさい

善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう 気にすることなく なしつづけなさい 

あなたの正直さと誠実さが あなたを傷つけるでしょう 気にすることなく 正直で誠実でありつづけなさい

あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう 気にすることなく 作りつづけなさい

助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう 気にすることなく 助けつづけなさい

あなたの中の最善のものを 世に与えなさい けり返されるかもしれません でも気にすることなく 最善のものを与え続けなさい 

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

(引用終わり)

僕はマザー・テレサが、キリスト教のどの派に属していたのかさえもしらないほど無知なのですが、マザー・テレサと仏教の「悟り」のふたつの話は、「最後の試験」で歩み寄り、手を取り合っているように感じました。

「悟りに試験はない」

朝日新聞夕刊で連載されている、「日々是修行」(佐々木閑執筆。)が好きです。今晩のエッセイのタイトルは「悟りに試験はない」。資格試験のビジネスで食わせてもらっている僕には、とてもおもしろいお話でした。文章の趣旨は、以下のとおり。

 試験は「能力の到達レベルを判定するシステム」と見ると、たいへん親切な制度だ。なぜなら、自分では分からない、自分の能力程度を、まわりの専門家たちが判定してくれるからだ。それが励みになって上に昇っていける。しかし、上に上に向上していった先には、試験のない孤独な世界が待っている。どんな領域も、先端まで行くと、もはや評価してくれる人がいなくなるからだ。自分で判断するしかない。仏教の最終目標の「悟り」において、それがどういう境地で、どうなったら悟ったことになるのか、まわりに判定してくれる人はいない。人のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。(以上)

 上に上に行かなかったとしても、僕らは実は孤独の世界にいるのかもしれません。どちらにしろ、自分をしっかりと持ちたいと、ずっと思ってきました。

 

 

Work/Life Balance

 日本語でも、「ワークライフバランス」、あるいは「ライフワークバランス」という言葉が使われるようになってきました。ベンチャー企業のステージにおいては、「ワーク・ワーク・ワーク」であって、lifeつまりpersonal life を考える余裕なんてありませんが、そのステージを通り過ぎると、バランスを取っていくことが重要になってきます。日本全体でみても、日本が「ベンチャー企業」の段階からジャンプした高度成長期の「モーレツ」な働き方に返ることは、当面ありえないのではないかと思います。人間、ずっとハイパーな状態で働き続けることは、可能ではありません。以前一緒に仕事をしたことのあるイギリス人は、毎日3時間ほどの睡眠と片道1時間半ほどの自動車通勤をこなしていましたが、どうやって、そんなライフスタイルが維持できるのか、不思議です。

 うちの会社は女性社員が多いので、このWork/Life Balanceが特に大切になってきます。健康・仕事・家族、この3つのバランスを取っていくことが大切だと、ずっと思ってきましたが、特にこの頃、仕事と個人の生活のバランスをどうとっていけばいいのか、それをよく考えます。

 もちろん、その前提として、企業の競争力を維持すること、市場のニーズにこたえていくことという条件があります。これを無視することはできません。そのプレッシャーのもとで、どうやって最適のバランスを取っていくのか。企業のおかれた状況、一人ひとりの社員の年齢、家族構成、信条など、さまざまなことを考慮しないといけないかと思います。

 簡単な答えがあるわけではありませんが、継続することができるワークスタイル、効率的な仕事のすすめ方、パソコン・インターネットの役割。そんなことをこれからも考え、アイディアを実践していきたいと思います。