マザーテレサと「悟りに試験はない」の話

 木曜日、朝日新聞夕刊で読んだ『悟りに試験はない』のことを書きました。(「のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。」)

 昨晩、仕事から遅く帰ってきたら、以前書いた(→リンク)ことがある「きぼうのいえ後援会」から募金の案内が来ていました。(ここを始めた山本さんの本、『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました』には感動。)お手紙と一緒に、聖フランシスコと、マザー・テレサの言葉が印刷されていました。マザー・テレサの言葉は、有名なのかもしれませんが、以下のようなものです。

あなたの中の最善のものを

人は不合理 非論理 利己的です 気にすることなく 人を愛しなさい

あなたが善を行なうと 利己的な目的で それをしたと人は言うでしょう 気にすることなく 善を行ないなさい

目的を達しようとするとき じゃま立てする人に出会うでしょう 気にすることなく やり遂げなさい

善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう 気にすることなく なしつづけなさい 

あなたの正直さと誠実さが あなたを傷つけるでしょう 気にすることなく 正直で誠実でありつづけなさい

あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう 気にすることなく 作りつづけなさい

助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう 気にすることなく 助けつづけなさい

あなたの中の最善のものを 世に与えなさい けり返されるかもしれません でも気にすることなく 最善のものを与え続けなさい 

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

(引用終わり)

僕はマザー・テレサが、キリスト教のどの派に属していたのかさえもしらないほど無知なのですが、マザー・テレサと仏教の「悟り」のふたつの話は、「最後の試験」で歩み寄り、手を取り合っているように感じました。

「悟りに試験はない」

朝日新聞夕刊で連載されている、「日々是修行」(佐々木閑執筆。)が好きです。今晩のエッセイのタイトルは「悟りに試験はない」。資格試験のビジネスで食わせてもらっている僕には、とてもおもしろいお話でした。文章の趣旨は、以下のとおり。

 試験は「能力の到達レベルを判定するシステム」と見ると、たいへん親切な制度だ。なぜなら、自分では分からない、自分の能力程度を、まわりの専門家たちが判定してくれるからだ。それが励みになって上に昇っていける。しかし、上に上に向上していった先には、試験のない孤独な世界が待っている。どんな領域も、先端まで行くと、もはや評価してくれる人がいなくなるからだ。自分で判断するしかない。仏教の最終目標の「悟り」において、それがどういう境地で、どうなったら悟ったことになるのか、まわりに判定してくれる人はいない。人のためではない、自分のために歩んできた道の、最後の仕上げに他人の試験を受けても意味はない。最後の試験官は自分自身に決まっている。(以上)

 上に上に行かなかったとしても、僕らは実は孤独の世界にいるのかもしれません。どちらにしろ、自分をしっかりと持ちたいと、ずっと思ってきました。

 

 

Work/Life Balance

 日本語でも、「ワークライフバランス」、あるいは「ライフワークバランス」という言葉が使われるようになってきました。ベンチャー企業のステージにおいては、「ワーク・ワーク・ワーク」であって、lifeつまりpersonal life を考える余裕なんてありませんが、そのステージを通り過ぎると、バランスを取っていくことが重要になってきます。日本全体でみても、日本が「ベンチャー企業」の段階からジャンプした高度成長期の「モーレツ」な働き方に返ることは、当面ありえないのではないかと思います。人間、ずっとハイパーな状態で働き続けることは、可能ではありません。以前一緒に仕事をしたことのあるイギリス人は、毎日3時間ほどの睡眠と片道1時間半ほどの自動車通勤をこなしていましたが、どうやって、そんなライフスタイルが維持できるのか、不思議です。

 うちの会社は女性社員が多いので、このWork/Life Balanceが特に大切になってきます。健康・仕事・家族、この3つのバランスを取っていくことが大切だと、ずっと思ってきましたが、特にこの頃、仕事と個人の生活のバランスをどうとっていけばいいのか、それをよく考えます。

 もちろん、その前提として、企業の競争力を維持すること、市場のニーズにこたえていくことという条件があります。これを無視することはできません。そのプレッシャーのもとで、どうやって最適のバランスを取っていくのか。企業のおかれた状況、一人ひとりの社員の年齢、家族構成、信条など、さまざまなことを考慮しないといけないかと思います。

 簡単な答えがあるわけではありませんが、継続することができるワークスタイル、効率的な仕事のすすめ方、パソコン・インターネットの役割。そんなことをこれからも考え、アイディアを実践していきたいと思います。

問題意識のない人には・・・

 昨日、社員のOさんと話をしていたら、「問題意識を持っていない人に、問題意識を持たせることは、難しいのではないかと思います。」とするどい発言。残念だけど、そのとおりかもしれません。問題意識を持つまで待つのか、持たせる工夫をするのか。鳴かない鳥への態度はここでもあてはまるのでしょう。

 また昨日は、お取引先の方が昼食時に、「変らないといけないと感じていても、人間、なかなか変れない。」 そう、きっと、ギリギリまで来ないと変ろうとしない人が多いからこそ、まっさきに自分を変えていく人に、先行者としての利益のチャンスが出てくるのだろうとも思います。

 (日本経済の行方に悲観的な日本人が多いにも関わらず、また変らないといけないと感じてはいるのに、なかなか変ることができません。海外の事情を知っている人ほど、「警鐘」を鳴らしながちですが、そのような人たちに対しては、ひどいときには「非国民」というような言葉、あるいはそれに類するような言葉が浴びせられることもあります)

 うちの会社も例外ではなく、変っていくことは決して容易ではありません。人間は、感情を持ち、その感情は当然のことながら、自分だけの感情であって、自分を守りたいという感情です。どうしても自分が見たいことを見、聞きたいことを聞く傾向があるのが、人間の感情かと思います。当然、僕もそのような感情を持っています。

 経営というのは、そんな感情を持った人間が、「理論と実践」、「理と情」、「数字と言葉」の間で、バランスを取りながら終わりのない努力を続けていくことでしょうか。そういう意味で、経営というのは、しんどいのですが、とてもおもしろいテーマだと思います。

おおぐしさんちの土佐文旦

Buntan 高知の両親から送られてきた高知県の文旦。

毎年、この季節の楽しみの一つ。この色、口に含んだときの、こりこりっとした食感。これがいい!

「捨てるコツ」(東京FMの番組"Tapestry"から)

通勤の車の中で、FMラジオを聴いていることが多いのですが、Tokyo FMのTapestry という番組で、「捨てるコツ」、「モノをためないコツ」を専門家の方が紹介していました。「コツ」なんていうと、ちょっと気軽な話のようですが、これが結構奥が深くて感心してしまいました。

 まず「モノをためないコツ」。バスルームやトイレタリー製品のストックを持たないようにすることが取り上げられていたのですが、「今使っている容器プラス一つくらいの予備でよしとすること。必要になれば、スーパーやコンビニから適時買ってくるようにし、お店を在庫置場のように考えておけばいい。」 これって、企業の在庫管理にも言えること。

 次に「洋服の捨て方」。いつか着るだろうと思ってなかなか捨てられない服。その「いつか」はいつなのか、はっきりさせること。「はっきりしないのであれば、捨ててもいいかもしれない。」 これはどんぴしゃり僕にも当てはまります。「いつか」に、明確な日付をつけない限り、「いつか」は永遠に来ないことが多いような気がします。いついつまでに、この服があう体形にならなければ、あきらめて捨ててしまう、ってしないといけないのかも。

 「コツ」というと、なんとなく取っ付きやすいけど、考えてみると、人生の大切なことに通じるものを感じながら、ラジオを聴いていました。

 それから、このTFMのTapestryの中には、「おはようエルモ」(毎週木曜日午前10時台にオンエア)というコーナーがあります。American Book & Cinemaの出版プロジェクト第一弾のMY LIFE AS RED FURRY MONSTER(邦題は、アイ・ラブ・エルモ!に決定)もこのコーナーで紹介していただけないかなと思っています。

学生たちへの大人の責任

多くの学生が勉強しないということをよく聞きます。今日のオデッセイユニバーシティでお会いしたある短期大学の先生もおっしゃっていました。ゆとり教育の産物なのだそうです。でも、もしそうだとしたら、ゆとり教育の世代に対して、大人たちは大きな責任を背負ってしまいました。

 先週土曜日あった日経ナビ「メガ・フォーラム」に来ている大学生たちを見ていて、この学生たちに、大人たちはどれだけ誠実に現実の企業社会の様子を伝えているのだろうかと僕は思いました。多くの学生たちが、せっかく就職した最初の会社を3年以内で退職するという話を聞きます。甘言で学生をとにかく入れようとする企業、あなたにふさわしい企業で働こうと言って転職をそそのかす人材紹介企業。大人たちは目先の自分の利益のために、学生たちを散々誘惑しているようにも見えます。

 今、就職市場は売り手が強いと言うことですが、いったん会社に入ると、いつまでもお客さん扱いはしてもらえません。多くの学生はアルバイトはしたことはあるかもしれませんが、アルバイト、あるいはインターンシップと、長期雇用が前提で就職して働くこととは、かなりの相違があります。でも、企業の大人たちは、学生たちに誠実に現実を伝えようとしているでしょうか?

 日本の学生たちほど、ある意味、恵まれている学生たちも世界中にいないのではないかと思います。それと同時に、その学生たちをダメにしているのは、大人の側なのかもしれないと感じることがしばしばあります。

植村直己とアンナ

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先月7日の産経新聞の記事で、植村直己冒険館というものが板橋区にあり、今月20日まで「北極圏1万2千キロの旅」という展示を行なっていることを知っていたので、今朝、初めて都営三田線の蓮根というところまで行って来ました。植村さんのことは、もちろん知っていましたが、あらためて感動しました。板橋区で15年ほど生活されていたことから、ここに展示館があり、板橋区が支援されているようです。

 この冒険館は決して豪華なものではないのですが、この建物の存在そのものがとても大切なものに思えました。それは植村さんの魂を伝えてくれるような気がしたからかもしれないです。

 植村さんがマッキンリーで行く英不明になられたのが1984年。もう20年以上も経ってしまっています。北極圏の旅でいっしょだったエスキモー犬の中で、最後まで一緒だったリーダー犬が、アンナという♀犬です(左写真の犬)。 資料からはわからなかったのですが、アンナはどうなったのでしょうか?日本につれて帰ることなく、アラスカの地に残されたのでしょうか?

 今回の展示のサブタイトルには、「植村直己-たったひとりで北極を半周」とあります。でも、アンナたちエスキモー犬がいてくれたじゃないですかと、犬たちのファンとしてはちょっと言いたくなりました。右の写真は建物の入口にある植村さんと犬ぞりをずっと引いてくれた犬たちの写真です。

初仕事

会社は明日から一部の社員が出社してきますが、僕の初仕事は今日。丸の内界隈も新年の挨拶にまわっている人たちが見られました。今年の抱負は・・・特に変ったことではありませんが、悔いのない一年にしたいです。そのためには、仕事にチカラを注ぎ、スポーツにも励み、仲間たち(我が家の甲斐犬たちも含めて!)との時間を大切にしたいです。 それから実際的なことでいえば、整理・整頓、こまめに掃除。単純なことだけど、回りに情報が溢れかえっているので、仕事でもパーソナルなことでも結構、この整理・整頓、こまめな掃除が大切なことをこの頃実感しています。

 株式市場初日の今日は株が大きく下げたので、朝日新聞などもあまり記事にできる話題がないのか、一面トップで東証の下げがニュースになっています。不動産も含めた金融市場は、今年どのような展開になるのか、不安定要素もたくさんありますが、ある意味、楽しみです。

 政治もビジネスも、自分の意思を明確にし、自分たちのビジョンを実現していくために全力を尽くすことがすべて。大きなことを言う気はありませんが、まず自分のこと、会社のことをしっかりと実行していく一年にしたいです。

A Happy New Year!

2008年が平和な一年でありますように!