残酷な時代_190キロ体重の女性

 昨晩、ツールドフランスを見ようと思ってテレビをつけると、190キロからの減量に挑戦する女性が登場する番組があり、こちらも減量に挑戦中の身なのでちょっと目が止まってしまいました。
 この前読んだある本(「肥りゆく人類)には、肥満というのは今の社会が制度的に作りだしている病ではないかというような考えがありました。ギャンブル依存症にしても、タバコ依存症にしても、アルコール中毒症にしても、そして借金中毒症にしても、消費しろ、もっと買え、気持ちよくなるぞ、人生楽しく生きろと、われわれを洗脳し続けようとする企業の大声を、朝から晩まで聞かされる、そんな社会が制度的に作りだしたものだという考えです。
 イスラム圏の国々の様子をテレビで見たりすると、宗教の戒律が生活を縛っているように見え、ちょっと不自由な感じがしますが、われわれの生活も、家の中にいては、テレビやネットで消費への衝動を強烈に刺激され、一歩外に出ると交通広告や電飾看板などが目に入ってきて、ある意味、イスラム圏以上に強い「戒律」がこの社会にはあると思うことがあります。
 企業社会が押し進める消費生活の洗脳があまりに強すぎて、意志の弱い人間にとっては、とても残酷な時代になっているのでは?夕べ見た190キロの女性を、そんな社会の犠牲者のように見てしまいました。
 

アビスパ福岡のファンの皆様へのお礼+福岡での合格者紹介

ファンの皆様よりのご好意に対して、お礼申し上げます。小社の福岡エリアでの知名度をもっと上げ、われわれが行っている資格をより多くの方々にご利用いただくべく、頑張っていきます。ご支援のほどよろしくお願いします。

追記です。

オデッセイコミュニケーションズのHPで、福岡県大川市立大川小学校で情報教育を担当されている山口先生に合格体験をお話いただいています。こちらをご覧ください。→合格者の声

健康、そして家族

 今日は某所にお見舞いに。
海外の知人たちと話をしていても、人生で大切なものとして必ず上がってくるのは、まず健康、そして家族。仕事、お金、平和、正義、民主主義、神、そんなことも大切だけど、他のことを引き離してまず健康と家族(あるいは家族のような存在の人たち)。
 これまで一度も、入院しないといけないほど健康を害したことがないだけでも感謝。

 
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こんな車もかわいい。

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ブタをCIにしたサンドウィッチ屋さん。世界で一番有名なテーマパークには、ネズミをモチーフにしたバスが走っていて、あれを見るたびに一台欲しいなとよく思います。イノシシ年生まれにとってブタは小さいころからの友達。

サンドウィッチ屋さんのHP

幸せの閾値(いきち)

「閾値」、日頃聞き慣れない言葉ですが、以下のような意味です。

1 ある反応を起こさせる、最低の刺激量。2 生体の感覚に興奮を生じさせるために必要な刺激の最小値。  

弊社が提供していたラジオ番組、「ライブラリーby オデッセイ」でお世話になった小山薫堂さんが、今回の経済不況が、人が幸せと感じる閾値をさげてくれればいい、というような発言をされていることを聞きました。大賛成!  昨日のニューヨークで、4月の小売りが期待を下回ったということで、株が大幅に下げ、円高に傾いています。先日、アメリカで知り合いたちと話をしていても、生活を慎ましやかにしないといけないという人たちが多く、実体経済はまだまだ厳しいのではないかと思っています。ここ数ヶ月で、アメリカ株が3割以上上がっていることのほうがおかしいいのでは?(これからアメリカは巨額の財政赤字の問題が大きくクローズアップされてきます。日本も同様の問題を抱えていますが、ボクはアメリカの格付けがAAAからいつ落っこちるのかと、ちょっと期待しながら、興味津々で見ています) 最近はあまり聞かれなくなった「百年に一度の不況」という言葉。言葉の持っている力が一人歩きすることには注意をしないといけませんが、「百年に一度の不況」なんて大仰なことを言っていた割には、一年もたたないのに、あの言葉はどこに行ってしまったのか? どちらにしろ、今回の経済不況が、小山さんが言っているように、ボクらが幸せだと感じる閾値をさげてくれる結果になればいいなと思っています。松下幸之助ではありませんが、「好況よし、不況もまたよし」ということにするためにも。  

戦時下の動物園を思い出しました。

 ブロンクスの動物園が不況の影響を受けて、いくつかの動物たちが「リストラ」対象になっている話を読みました(ロイター記事)。戦時下の上野動物園でも動物たちに悲劇があったように記憶しています。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-37830120090502

「アビスパ」サポーターの皆さん、ご声援ありがとうございました。

 昨日のベルマーレ戦開始前に、ピッチ上から場内の皆様にご挨拶をさせていただきました。アビスパのサポーターの皆さんからは、小社へのご声援をたくさんいただき、感謝申し上げます。「デバリコール」もあったようですが、本人は「上がっていた」せいか、まったく気づきませんでした。5月は福岡にお伺いする時間がないかもしれませんが、6月はCross FMの取締役をやっている知人といっしょに試合を観戦するとともに、ラジオでも皆さんに自己紹介させていただく機会があるかもしれませんので、よろしくお願いします。
 福岡の熱いハートのサポーターの皆さんといっしょになって、選手たちを応援していきたいです。

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希望の反対にあるもの

 先日、「希望」のことについてちょっと書きました。(「希望とは、行動によって具体的な何かが実現するという強い願い」。)今の日本にはすべてのモノがあるけども、希望は少ないのではないか、とも書きました。希望と違って、今の日本に十二分にあるものは、皮肉や嫉妬かと思います。希望の反対と言えば、絶望というのが言葉の意味では正解なのかもしれませんが、今の日本にはその絶望さえもないように思います。あるのは、皮肉や嫉妬ばかり。希望もなく、深い絶望もない。そんなところからは、なにか素晴らしいものが生まれてくる予感があまりしません。
 マスコミが今の世の中の鏡であるとすれば、「他人の幸せを妬み、他人の不幸を喜ぶ」、「他人の不幸は蜜の味」という風潮が強まっているようにも見えます。テレビを見なくなった理由は、テレビがこの風潮の窓口になっているからかもしれないです。あまり関わりたくないです。
 結果が成功であろうと、失敗であろうと、どちらにしろ、This is my life. 他人に迷惑をかけない限り、とやかく言われる必要もないし、結果を受け止め、受け入れるのは自分自身。嫉妬や皮肉からは、誰にとっても、建設的なことはなにも生まれないでしょう。一人ひとりが、「希望」を持ちつづけることが大切なのではないか。
 ビリージョエルの歌に、Honestyというヒット曲がありました。今の日本のために、Hopeという歌を作ってくれないでしょうか。

ローソン午前7時

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 うちの会社が入っている新東京ビルの同じフロアーにあるローソン。ちょっとした食事コーナーがありますが、早朝、そこで勉強をしている会社員の人たちの姿をよく目にします。この前は、六法全書を開いている若い人を見かけました(司法試験の勉強でもしているのでしょうか?)。始業時間の1時間も2時間も前から、こつこつと自分に投資している若い人たちに声援を送ります。ボク自身は、会社勤めをしていた頃は、いつも遅刻ぎりぎりで会社に飛び込んでいた朝に弱い会社員だったです。

田中角栄の時代が懐かしい

 今朝は丸の内界隈でも新入社員を見かけました。スーツが体に馴染んでない感じが、新人らしい。彼らはまだ学生顔だけど、あと1、2年経つと、すこしは厳しい顔になっていくのかな。
 ところで「田中角栄語録」という古本をぱらぱらめくっていて、なんとなく、角栄の時代の日本が懐かしくなってきました。ボクが中学生の時、田中角栄の列島改造論や自伝が出たことを覚えています。一般大衆の家庭の一つであった我が家でも、田中角栄は、「今太閤」でした。最近新聞で見た、昭和を代表する日本人は誰かというアンケートでは、一位が昭和天皇、二位が田中角栄。天皇は別格として、一般人の中では田中角栄はダントツかな。
 最近、植物系の男が増えているみたいなことを聞きますが、そんな淡白な人間では政治は務まらないでしょう。逆に言うと、今の政治に夢やビジョンを感じないのは、淡白で苦労していない二世や三世のお坊ちゃんばかりになってしまったからか。脂ぎっていたけど、度胸とはったりがあって、行動力もあった田中角栄の時代が、なんとなく懐かし気がします。もう一度あの頃の活力を取り戻すことはできないのでしょうが、あの頃は、戦後日本の青春だったのかとも思えてきます。
 今日入社式を迎えた新人たちは、これからの10年、20年、そして30年をどのように過ごすのか。10年後のボクは60歳直前、20年後は70歳直前。30年後は、なんと80歳直前です。「ゲー!」って叫び出してしまいそうです。