時代が変わる時

ドイツで徴兵制を復活させるという議論がでていると聞いた。ロシアのウクライナ進行が続く中、ヨーロッパのリーダーの一国であるドイツの人たちの考え方が変わってきているのだろうか。「平和ボケ」していると日本人自身が言っているわれわれの国で、徴兵制の議論が出てくる日が来るのだろうか。一部の政治家たちは、口にしなかったとしても徴兵制の復活を期待しているかもしれない。

三菱重工の株価がこの2年間で三倍くらいに跳ね上がっていって時価総額は12兆円に近づこうとしている。船で大損を出し、飛行機は飛ばず、原子力でも苦戦、いちじはもうダメになるかと思っていたけど、世界の情勢が大きく変わっていく中、「軍需産業の雄」としての三菱重工への期待が急速に高まってきた。(ぼくにとっては三菱重工は永遠に「ビーバーエアコン」なんだけどね)

トランプはイランのトップに関して、「今のところ、彼を殺害するつもりはない」とSNSに書いた。アメリカのCIAはこれまでも他国の政治に影響を与え(日本政治も含めて)、ときには暗殺行為やクーデターまで行ってきたということだから、アメリカの権力構造の中心にいる人たちの間では、気に入らない他国のリーダーを殺害するというような言葉も使われたことはあるのだろうけど、これほどあからさまに世界中に向かって殺害(Kill)というような言葉を口にするアメリカ大統領は初めてだろう。そんな人間をリーダーに選んでいるアメリカ人の「マッチョさ」についてはどう考えればいいのだろう。

先週、シリコンバレーから来た若手起業家たち数名のプレゼンテーションを聴く機会があった。その中の一人は、原子力発電分野でのスタートアップ企業の創業者だった。核エネルギーの事業化は日本ではなかなか前に進まない、進めないテーマだけど、AIやデータセンターをこれからどんどん作っていくには電力供給がカギになるので、アメリカでは原発の話が盛んになっている。

日本で徴兵制が議論される日、核兵器を持つべきだという議論が表立って始まる日。いまはそんな日がくるなんて想像もできないけども(想像もしたくないけども)、いつかそんな日がくるような気がする。歴史は繰り返す。人間はやっぱり同じ間違いをなんどもなんども繰り返すように思う。それが人間の歴史を振り返ったときに見えてくるパターン。

毎日過ごしずつ、クルマのなかで「旧約聖書」をオーディオブックで「聴読」している。2000年前のイスラエルの人たちのことを聴いていると、そのイメージがいまのイスラエルにだぶってしまう。いや、いまのイスラエルがガザで、イランで行っていることを見ていると、むかしの荒々しい行為に重なってしまう。むき出しになった、力と力がぶつかりあう世界。

「あなたならどうする?」

いしだあゆみが死んだ。一時結婚していたショーケンももうすでにいない。
自分の少年期、青年期にテレビでみていた歌手や俳優たちがどんどんいなくなっていく。自分自身の父母も亡くなり、こうやって人は死に慣れていくのだと思う。父母も、「順番だから」と口にしていた。彼らもそうやっていつかは自分たちの「順番」がくることを自分自身に納得させようとしていたのだろう。

いしだあゆみの歌に『あなたならどうする』という歌があって、恋人から捨てられた女が、「泣くの?歩くの?死んじゃうの?」と問いかける歌。彼女のもう一つの代表曲『ブルーライトヨコハマ』とならぶ代表曲が『あなたならどうする』。選択肢は歩きながら泣くことかな。

彼女がでたテレビドラマ、それほど見ているわけではないけど、NHKで作った『阿修羅の如く』がよかった。

いしだあゆみは、すてきな歌手で俳優だった。

日本製鉄のUSスティール買収案件について思う

日本製鉄のUSスティール買収案件。高額の買収案件になっているなと思ってきたが、アメリカ企業の買収につきもののプレミアムを払うのはしかたないかなとも考えていた。政治家たちや労働組合の反対があり、非常にきびしい状況になっている。
市場が縮小していく日本から、世界でいちばんの成長市場であり、ルールも比較的明確なアメリカに投資する、さらには進出すると考えるのは当然だ。
でも、日本はアメリカの同盟国なんだ、USスティールのためにもなる買収を、どうして反対するのだ、と感情的になるのは間違っている。日本製鉄のトップが、バイデンと呼ぶのはよろしくない。公式発言では、バイデン大統領と呼ぶべきだ。

来週一週間ほどイギリスに行くのだが、ETA(Electric Travel Authorization)というものが必要になったことを知り、昨晩急いでオンラインで申請した。自分のパスポート写真ページやパスポートのチップに含まれる情報をスマホのセンサーで探知し、当局側のサーバーにアップして申請を行う。
アメリカも同様のESTAが必要だけど、イギリスのETAはもっと情報を提供しないといけなかった。

国境はなくならない。主権国家のしくみも変わらない。グローバル化は進むけど、それに反する動きも当然の反作用として起こってくる。ヨーロッパ主要国の中でのいわゆる右翼的、国粋主義的動きも目立つ。

国を超えての買収は当然の権利だと考えるのは気をつけた方がいい。日本製鉄の買収はいい動きだと考えているけど、それは当然の権利だと日本製鉄のトップが考え、感情的な発言につながるのはとても危ないと思う。
日本はイスラエルではないのだから。イスラエルとアメリカの関係はわれわれにはとうてい想像でもなきないほどの人的、文化的にも深いつながりがある。日本はアメリカに歯向かい、徹底的に破壊され、そしていまだに軍事的には支配されている「占領地」のような地位にある。
気をつけないと、いつまた反日的なコトバがアメリカ国内で飛び交うような時代が来るのか、わかったものではない。謙虚さを忘れないことだ。

氷の雨

夕方から降り始めた今夜の雨のなんて冷たいことか!この雨の中、アンナの散歩に出かけていく気力はまったく湧いてこない。文字通り、氷のような雨だ。身体だけでなく心も冷えてしまいそうだ。

今日は今年最初の会社の全体集会の日だった。すでに先週末から何人かの社員は会社に出て仕事を始めていたけども、大半の社員は今日が2025年の初仕事の日だった。

Peaceful New Yearを望む

2025年が始まった。深い意味もなく友人や知人たちには、Happy New Year!とメッセージを送り合っているけど、世界の特定の国で起こっていることを(メディアで)見聞きしていると、気軽にHappy New Year!という気がしない。ウクライナで、パレスチナ(ガザ)で、スーダンで起こっていることを。ウクライナに派遣される北朝鮮の兵士たちは祖国にいる家族たちがひどい目にあうことを恐れて捕虜になることよりも自殺を選ぶというのは本当なのか?
Happy New Year!というよりも、すこしでも世界がPeaceful New Yearとなることを望む。

サンタバーバラ賛歌2

あっというまに8月最終日。今週も忙しかった!
今日は土曜日でゴミ出しした朝以外まったく家から出ないで除湿を効かせた部屋で本を読んだだけだった。たまにこんな日があるのは子どものころからのことだ。今日読んだ(読み終えた)『江戸漢詩の情景_風雅と日常』(揖斐高著)が面白かった。平易で読みやすい文章、適度に紹介される漢詩。著者の学識と文章力を感じさせてくれる本だった。著者が最近出された『頼山陽_詩魂と史眼』(同じく岩波新書)も買ってあるので、こちらも楽しみだ。

さて、サンタバーバラ賛歌だ。アメリカ旅行(前半は仕事、後半は休暇)から帰国して3週間あまり。日本は亜熱帯の国になってしまった。これだけ暑くて湿度があると、冷房なしには生きていけない。サンタバーバラの日差しは強く、数時間ホテルの自転車を借りて町の中を走ると、腕は火傷したような日焼けになったけども、湿度が低いから身体にはそれほどの負担ではなかった。心地よい暑さだった。ハワイを連想するような天気だった。

帰国後もたまにサンタバーバラの天気をチェックしている。いつかもう一度行きたい町になった。

春から初夏へ

4月14日。
あっという間に今月も半分が過ぎた。3月末で朝ドラ『ヴギウギ』が終わり、今月から新しく『虎と翼』が始まった。とても評判がいいと聞いている。女性初の弁護士の生涯を描くもので男女同権を進めていきたい日本社会には背中を押してくれるようなドラマだ。
日曜日夜の大河ドラマ『光る君へ』もみている。見始めた大河ドラマを継続してみているのは初めて。平安貴族の人間模様には古典文学を時々読んできたからずっと関心がある。

この週末はもう初夏のような気温だった。東京にでてきて45年。東京の夏は年を重ねるたびに耐えがたいものになってきている。年をとる自分の身体が弱っていくだけでなく、気象そのものがおかしくなってきていること、ますます進むビルの高層化、都市のコンクリートジャングル化が東京を温室に変えているのか?夏のあいだは札幌に移住したいものだ。

木次乳業の創業者

不在中の新聞(1月20日の朝日新聞夕刊)に、昨年秋に亡くなった木次乳業の創業者、佐藤忠吉さんを偲ぶ記事を読んで、初めてこれまでなんども飲んできた牛乳を作る会社のことを知った。8000冊の蔵書を残した創業者のことばは、平易だけども物事の本質を突くものだ。「よく噛むこと、人の悪口を言わぬこと」「下座して学べ」。
「忠吉語録」を読んでみたいと思う。

その年には見えない

先週64の誕生日を迎えた。
しばしばその年には見えない、若く見える、と言われるのだけどそれを満額で受け取ってしまうのは少々めでたすぎるだろうと思っている。
昨日はお世話になっている歯科医の先生(ちなみにぼくよりも年下)に、「54に見えるとは言えないけど64よりは若く見えますよ」というカーブボールのような表現を投げられた。64以下に見えるということはありがたく素直に受け入れるとしても、下の60を切るところかどうかが微妙なところなのだろうと思う。残念ながら60の大台を切るほどではないということだろう。

今週、長年の知り合いのアメリカ人と昼食をした。彼の年齢を聴くといつのまにか61になっていて少し驚いた。それまでずっと独身だったのだが友人から紹介された20歳年下の日本人女性と昨年結婚、最近、女の子の父親になったと聞いた。60で初婚、61で父親になるなんて、すごいなあと感心した。

年のことは悩んでもいかんともしがたいので、64=ムシと読んで、年齢のことは無視することにした。毎週の水泳、ジム通いをこまめに行い、睡眠時間を十分とることにのみ、気をつけ、あとは仕事をしっかりとやっていくこと。それだけに気を使い、年のことは「無視」する、いや忘れるようにしよう。

シェアすることを学ぶ

朝ドラの「らんまん」を毎日楽しみに見ています。朝の放送を録画し夜見ていますが、けさは朝の放送を見ました。
万太郎は田辺教授から論文を書いていいという許可を受け、だれの助けもなくすべて自分の力で新種の植物を発見したと言わんかのように、自分だけの名前で論文を発表。でも、この新種の「発見」は田辺教授のサポートがあったからこそできたことだったのに。
せっかく田辺教授がこころを開き始めよう、人間としてのやさしさや寛大さに気づき始めていたのに、万太郎の「手柄の独り占め」行為が、田辺教授のこころをまた冷淡なものに押し返してしまった。
シェアすることは難しい。お金、名誉、功績、そして愛情。シェアすることを学ぶのは大人になることかな。