先月は封切り日に映画館で「日本のいちばん長い日」を観た。戦争を始めることもたいへんだけども、それを終わらせることはもっとたいへんだったのだろうと想像する。
たとえどれほど思案したとしても、たとえ自己防衛であったとしても、強国に対して無鉄砲な戦争をしかけていくことは、やはり愚かだったというべきではないか?悲壮な決断だからといって正当化できるわけではないし、国際関係では愚直であることは決して褒められたことではない。まっすぐな精神論をどれだけ叫んでみたところで、大国との関係には通用しない。
今日は、先月テレビで録画していたイタリア映画「特別の一日」を観た。こちらも同じく戦争映画なんだけど、戦闘シーンなんかはでてこない。ヒットラーのイタリア訪問を祝って盛大に祝賀会が行われる日、ひとりアパートに残った専業主婦(ソフィア・ローレン!)が、偶然に知り合った同じアパートに住むゲイの男(マルチェロ・マストロヤンニ!)と交わす心と体のふれあいを描いた映画。
「いちばん長い日」で主に描かれているのは敗戦をどのように受け入れていくかをめぐる権力者たちの衝突なのに対して、「特別の一日」の主要なテーマは個人を巡るものばかりだ。同じ戦争をテーマとしても、まったく違う位置から、まったく違う人間たちを主人公としている。
「特別の一日」は根本的なところで強い反戦映画になっている。マルチェロ・マストロヤンニ演ずるラジオ局のアナウンサーは、ゲイであることで仕事を失い、最後には権力の手先と思われる男たちにアパートからどこかに連れて行かれる。映画の中で、ソフィア・ローレン演ずる、貧しい専業主婦に、こんなことをつぶやく。
「男は夫であれ、父であれ、そして兵士であれと、ムッソリーニは言う。でも僕は、夫でもなく、父でもなく、兵士でもない」。
ソフィア・ローレンはどんな役を演じてもすばらしい。マルチェロ・マストロヤンニもそう。
昨日は植木等が主人公の「本日ただいま誕生」も観た。これも衛星放送の日本映画チャンネルで録画したもの。
植木等って、無責任男シリーズでは、スマートで、女にもてて、ビジネスも上手な役を演じていて、とてもカッコいいんだけど、この映画では日中戦争で両足を失い、戦後、這いつくばって生きる男を演じている。この映画も強烈な反戦映画だ。
ネットのニュースを見ると、植木が希望して作った映画だそうだ。彼は僕が好きな日本の俳優のひとり。