檮原訪問

母に会いに今年最後の高知帰省。宿毛からの帰り檮原町に一泊して昨晩高知から帰ってきましたが、人口3500人ほどのこの町にはなにか引き付けられるものがあります。ここは昨年7月に初めて訪れて以来、今回で2度目。高知県と愛媛県の県境にある町ですが、歴史、建築物(三嶋神社、隈研吾のいくつかの作品)、自然、あいさつのある地元の人たちなど、とても魅力的な場です。
「竜馬脱藩の道」をひとつの売りにしているのですが、歴史はこの町にとって単なる過去のできごとではなくて、現在、そして未来を切り開いていく精神的な足場になっているのではないかと想像します。隈研吾設計事務所によって昨年できあがった町の図書館で宮本常一の講演集を1時間ほど読んだのですが、とても楽しい時間でした。
一泊したあと(宿はこれまた隈研吾事務所による、「雲の上のホテル」アネックス。昨年は「雲の上のホテル」に泊まりましたが、ぼくはこのアネックスの方がこじんまりとしていて気に入りました)、四国カルストを見に天狗高原まで。「嵐が丘」のような風景のなかをすこし歩きました。昼すぎには飛行機の時間に間に合わせるために、クルマで2時間半ほどの高知空港に向かいましたが、ほんとうはあと1日か2日ほど、このあたりの自然の中をゆっくりと歩いたり、写真を撮ったりしかったです。

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三嶋神社で出会ったコーギー。リードなしでもちゃんと飼い主といっしょ。わが家のクウ太郎とは大違い。
そして四国カルスト。あるいは四国の「嵐が丘」?!

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『いにしえの恋歌』(著者:彭丹=ほうたん)

中国生まれ、日本在住の比較文学研究者による漢詩と和歌を題材にしたちょっとした比較文化論。
和歌は漢詩を土台にして生まれたもので、相通ずるものだ。だが、和歌と漢詩は異なる個性を持つ。恋歌が良い例だ。和歌はもっぱら恋を詠じ、視点は閨中の刹那にあり、優美なるもののあはれを志向するのに対して、漢詩は恋を詠うことにははばかりがあり、詩人の視点は広大な宇宙にあった。なぜ和歌と漢詩は異なる恋歌の世界を持つのか。
ひとつは詩歌の担い手の違い、詩人の視野の違い、国がおかれた状況の違い。
漢にあこがれながらも、漢を排除しようとする和。漢に対応しながらも、漢をどんどん取り入れる。和漢の峡間でもがいた日本人が見つけ出した方法は、和漢の境を紛らわせること。

10月に久しぶりに中国に行く機会があったが、あらためて中国の大きさ、人の多さを実感。「大陸的」という言葉を思い出す機会になった。それに対して、日本は繊細、優美、だけども箱庭的。

漢詩と和歌の違いは日中の違いに通じる。

『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタビュー』(河出書房新社)

マルセル・デュシャンに、かれに関する著作がある雑誌「ニューヨーカー」の記者だったカルヴィン・トムキンズがインタビューした記録。デュシャンのことはたいして知っているわけではなかったけど、ちょっと理解しがたい現代アーティスト(現代アートの父?)と思っていたので、このインタビューを読んでちょっと印象が変わった。
一時チェスに熱中していたこと、生活は簡素で、カネに縛られること、伝統に縛られることから自由であることを心掛けていたこと。「こうあるべきだ」ということからは自由であったこと(自由であろうとしていたこと)など、彼の作品を理解するしないの前に、ぼくにとって最適なマルセル・デュシャン入門の本となった。このあとも、デュシャンのことを調べてみようと思う。
この本は装丁もとてもセンスのいい仕上がりになっている。表紙のデュシャンの写真も素晴らしいと思う。