北杜夫現代語訳「竹取物語」

21世紀版少年少女古典文学館シリーズの第二巻。少年少女とありますが、大人にとっても十分読み応えのある日本語です。
久しぶりに竹取物語を読みましたが、おもしろいお話であったことを再認識しました。地位や財力はあっても誠実さのない求婚者たち。

愛する人との別れの辛さがこの物語のテーマの一つでもあります。物語の中だけであっても愛する人との別れに心を揺さぶられました。

このシリーズ第二巻に収められたもう一つの物語は、俵万智現代語訳による「伊勢物語」。先日、俵万智の「恋する伊勢物語」(ちくま文庫)を読んだのがきっかけで、彼女の現代語訳による「伊勢物語」を読んでみたいと思ったのですが、北杜夫の「竹取物語」もとても良かったです。

「音楽入門」(伊福部 昭 著)

ゴジラ映画で使われた音楽で有名な音楽家。彼の「土着的」な音楽が好きで、2、3枚のCDを持っていますし、数年前NHKホールであったゴジラ音楽の演奏会にも行きました。
この前車の中で「はげ山の一夜」を聴いていて、伊福部昭を思い出したのですが、この本の中で著者はムソルグスキーに以下のような言葉で高い評価を与えています。

「ムソルグスキーは単にこのような民族的な思考を満足させたのみでなく、音楽に関する本質的な思考および技術を開拓し、ロマン主義の音楽を、近代音楽の方向に転換せしめたのです。すなわち、彼によってはじめて、私たちのいう音楽における近代意識といわれるものが生まれるのです」(112ページ)

まさに絶賛!ムソルグスキー・ファンのぼくにはうれしい評価。

「芸術が最後に万国的になるためには、最初地方的でなくてはならぬ」(ムーア)という趣旨のメッセージがこの本には何度かでてくるのですが、ロシア的作曲家といわれたムソルグスキー、北海道の土着性を体現したといわれた伊福部、その二人に当てはまる言葉かと思いました。

無責任体質はいまも変わらない。

久しぶりにテレビを見た。「戦慄のインパール」(NHK)。自信がないくせに威勢のいいことを言って兵隊たちを鼓舞し、彼らを死ぬことが確実な戦い方に追い込み、自分は生き抜いた将校たちの多いこと。特攻隊の前にもうすでに相手の戦車に爆弾を抱えて突っ込ませる作戦を実行していたのだから、兵隊の命をなんとも思わないのは日本軍の悪しき伝統か。
今日も靖国に行った政治家たちからは深い思想や理念、歴史観のようなものが伝わってこない。万が一、戦争が起こったとしても、戦いで死ぬのは自分たちの役割だとは到底考えることはないだろう。日本の権力者たち、あるいは権力機構に属する人間集団の無責任体質は今も変わっていないように思う。
指導する立場にあった人間たちの責任は、戦勝国よりもまず国内で責任を問われるべきだろうに。

「まだ東京で消耗しているの?」(イケダハヤト著)

高知に帰省している時に入った本屋で見つけた本。東京から高知に移住したブロガーの体験記。
プログへのアクセス数で収入を稼ぐというネットの時代だから可能になった生き方を実行しているアイデアマン。ネットでは批判者も多いようですが、この本の中であげているアイデアの一つ二つでも実行し成功することで、著者が「事業家」になっていくことができるのかどうかに興味があります。10年後の著者に期待しています。

ぼくの帰省先は高知県の西南部なので、著者が住む県北部とは環境はかなり違うかなと思いますが、高知県を盛り上げていく意欲に溢れる人が増えることはいいこと。
「環境を変えるだけで人生はうまくいく」という副題には無責任に賛成することはできないけど、環境を変えることが袋小路にはまってしまった時には一つの解決策になるかもしれないことには賛成。