山形のクロイヌと我が家のクロイヌ

山形の柳沼さんから柳沼家の「クロイヌ」2号の写真が送られてきました。
うちのクウ太郎君と比べ立派なクロイヌだなあ・・・

柳沼家のクロイヌ

夏になると我が家のクウ太郎君は、湿度と高温のため皮膚の状態が悪くなり、何度も足で体を掻くようになります。彼にとってはたいへんな季節が始まりました。

クウ太郎

奨学生の来社

オデッセイコミュニケーションズで行なっている社会貢献事業に、高校留学のAFSに出している「オデッセイIT奨学金」と、ぼくの出身大学である一橋大学生に出している「オデッセイコミュニケーションズ奨学金」があります。
先週は、一橋大学在学中に奨学金を提供した中瀬君が、そして今日は高校在学中にAFSでミネソタ州に1年間留学した時に「オデッセイIT奨学金」の第1期の奨学生だった池上君が来社して近況報告をしてくれました。この二人は、何年かに一度は近況を知らせてくれてぼくを喜ばせてくれる若者達です。中瀬君は大学卒業後1年ほどで転職してしまってちょっと心配していましたが、新しい職場に慣れ(1年経過)、頑張っているようなのでひとまず安心。池上君は防衛医科大学を晴れて卒業し、海上自衛隊の中で医師としての道を歩みはじめということで、これからの成長が楽しみです。

奨学金を出す会社側としては、こうやって時々顔を見せてくれる元奨学生の存在はとてもうれしいもの。実は、そんな学生は少数で、それはそれは寂しい話なのですが。

知り合いの方で、お父様が戦後日本を代表するSという会社を作った方がいます。お父様の代に財団を作り、大規模に奨学金を出していたようですが、奨学金を出しても感謝の気持ちを示してくれる人(家族)が少なく、もうやめようと思うというようなことをおっしゃっていたことを思い出します。

「認知症とともに生きる私」(「絶望」を「希望」に変えた20年)クリスティーン・ブライデン著

最近読んだ本で心の奥からなにかを感じた本。
超・長寿社会となり、100歳まで生きることがそれほど珍しいことではなくなってきている。長く生きていると、二人にひとりか、三人にひとりというくらいの割合で、認知症になったり、癌になったりする。その前段階で、糖尿病にかかる人はもっと多いのかもしれない。ぼくも、もしあと10年、20年、あるいは30年の時間生かされているとすると、認知症かガンか、あるいは他の病気になっているのかもしれない。その前に、腰痛で腰が曲がっているかも!そうならないために、せいぜい体を動かし、少しばかりの運動もしているつもりなんだけど、まだまだ足りていないかな。

高校生の時に使った英語の参考書の中に出ていた、「運動する時間を見つけなかったら、病院のベッドの上で過ごす時間を作らないといけなくなる」という文章は今もよく覚えている。

「認知症とともに生きる私」の著者は、4月末に京都であった認知症に関する国際会議でスピーカーとして来日していたようで、その前後に、新聞では認知症に関する記事が多く出ていた。著者は46歳の時に認知症になっていることを宣告され、それから20年間、新しいパートナーに支えられながら、認知症に関する理解を広め、認知症に苦しむ人たちを助けるための運動で先頭に立って国際的な活動を続けてきた。

パソコン、インターネット、銀行のキャッシュカードをはじめとして、個人IDとパスワードは、生活していくために、必ず覚えておく(どこかに記録しておく)必要がある。
数字やパスワードが覚えられなくなるどころか、自分の家がどこにあるのか、昨日何が起こったのか(約束したのか!)、明日のためにさっき何をしたのか。そんなことの多くが、自分の記憶の中に留まることなく、全て流れ去っていったとしたら、ぼくらは今の時代に生きていくことは不可能かもしれない。クルマが運転できなくなったら、それはそれはたいへんなことだ!

そんな不可能な状況に追い込まれた人たちが、今の社会には多数いることを覚えておきたい。


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Fake

GW前半は四国に帰省。春になってお遍路さんたちの姿を目にすることが増えています。ただ黙々と道を歩き続けることは、いまのぼくには考えられませんが、いつか自分の足で四国を一周してみたいという気持ちになるかもしれません。88ヶ所を開いた空海ほど、四国に最大の貢献をした歴史的人物はいないのではないかと思います。

日本の政治で一気にメジャーの言葉になったのが、「忖度」(そんたく)だとしたら、トランプ大統領の登場でしばしば出てくるのは、Fakeという言葉かな。フェイスブックへの書き込み、メディアの報道で、fake、つまりうそ、偽り、ニセの話が堂々とまかり通るという話。

同じようにずっと気になっているfakeがあります。それはサプリメント。サプリの市場は何兆円とはいかないでしょうが、何千億円にはなっているのではないかと思います。
最近、気になってよく読んでいるブログに、ジャーナリスト・松浦晋也さんの「介護生活敗北記」というエッセイがあります。5月11日付けの「父の死で知った『代替療法』に意味なし」という文章もいい内容だと思いました。この中で、以下のような記述があります。

「薬効のない物質でも信じてしまえば効くというプラシーボ効果が存在するので、実際は効かなくても全然構わない。集まってきた患者はプラシーボ効果で勝手に「効いた」と思ってくれるので、放っておいても「医者でも直らなかった病気が治った」と宣伝してくれる。うまくすれば歌手や俳優、スポーツ選手などの有名人が引っかかって、広告塔として役に立ってくれる。効果的な集金マシンの完成だ。」

この「プラシーボ効果」ほど、無責任な話はないとずっと思っています。これを言い逃れにして、効きもししないことがわかっているサプリメントを売り続ける企業、それを何も規制しようとしない政府。それをFakeと言わずして何がFakeなのか?

松浦さんは科学技術分野を専門とするジャーナリストだけあって、ずっとお書きになられているお母様を見送るまでの介護体験の記述もFakeではなく、Realなものだという感想を持っています。

「介護生活敗戦記」(日経ビジネスオンライン)