集団による匿名の独裁。

2年前、八ツ場ダム現場を、我が家のクロイヌたちといっしょに見に行ったことがあります。このダムの建設が進むのかどうか、関心を持って見ています。民主党には、せめて八ツ場ダムに関する公約くらい守ってもらわないと、一体、なんのための政権交代だったのかと思っています。

先日の東京新聞に、八ツ場ダムの建設の是非について国土交通省関東地方整備局が住民から公募したパブリックコメントで、寄せられた意見の96%にあたる5739件が、「全く同じ文言で、同じ体裁の賛成意見だった」という記事がでています。記事は、ダム建設事業に参画したい埼玉県の意向が見え隠れするとしています。実際には、利根川水系の水は余っていて、これからの人口減を考えると、水需要は減少するだろうと予測されているのに。

もともと八ツ場ダムを作る話が何十年も前にでてきたときには、正当な考えから始まったプロジェクトかもしれませんが、今となっては、本当に必要なのかどうか、まったくわかりません。政治家も役人も、税金を使うことに関してまったく責任を取る気はないようで、自分たちのメンツと目先の票のことを最優先させているように見えます。もちろん、ダム建設がもたらすメリットは決してゼロではないでしょう(建設業者だって仕事は必要だ)。でもそれらメリットだけでなく、費用や自然に与える影響を考慮しているのか。そして出ていくおカネが自分たちのものであれば同じ「投資」の意思決定をするのか。彼らがそんなことを、「真剣に」考えているのかどうか、非常に疑問です。

ウォールストリートでよく使われる言葉。Other People's Money (OPM)。「他人のカネ」。「損をだすときは、OPMを使うべし」。税金というのは、政治家や役人にとってはまさにOPM。

すべて、将来世代が負担すればいいということ。

この前にあった大阪市長選挙で当選した橋下亨の政治手法に関して、「独裁者」の危険性を感じるという声があります。選挙結果を受け、「大阪市役所の職員たちは、選挙で示された民意を尊重すること。それが嫌なら、去って欲しい」という趣旨の発言などが、「独裁的」だということらしいですが、そのような趣旨のことは、企業やスポーツチームなど、成功している多くの組織のトップは、日頃、口にしていないでしょうか?文字通り去れというのでは決してなく、いろいろと議論を尽くしたあとには、トップの意思決定に従うことという意味で。

ボク自身は、橋下氏に関しては、今のところ好意的に見ています。「いいひとで、やさしいけども、なにもできない、やらない」という人たちが組織の上に多すぎる今の日本の閉そく感を破っていくには、ある程度の剛腕も時には必要になるだろうから。また、彼個人が表で目立ちますが、彼にはかなりのブレーンがいるのではないかと想像します。そのブレーンたちをうまく活用できているのではないか?

ボクには役所や電力会社のものごとの進め方も「独裁」に見えます。顔が見えるひとりの人間の「独裁」か、集団による匿名の「独裁」かの違いはありますが。