「富士幻景」@IZU PHOTO MUSEUM

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静岡県にあるクレマチスの丘に2度ほど行きました。最初はグループで、二度目は一人で。グループでは十分見ることができなかったIZU PHOTO MUSEUM(クレマチスの丘にある複数の美術館の一つ)で開催されている「富士幻景」を見るために。
(→「富士幻景」

この展覧会の副題として「富士にみる日本人の肖像」とあるのですが、「富士にみる日本と外国の交差点」と言ってもいいような内容です。特に、ペリー来航以来の日米関係を振り返るいい機会になります。展覧会会場で一番最初に見ることができるのは、「ペリー提督日本来航期」の原本で、この革張りの本の表紙には、富士を背景に、相対する日本人とアメリカ人が描かれています。ペリーの時代から日本を象徴するもの、外国からのお客さんを迎える日本のシンボルは富士山だったようです。

特にショッキングだったのは、戦争末期、富士山を撮った米軍による写真。1944年以降、米軍が南洋の島々を奪還してから望むとおりに日本各地の爆撃を始めてからは、彼らは富士山を目指して日本に飛来、富士から分かれて日本各地に飛び、各都市に爆撃を行った後、再び富士に集まって南の基地に帰っていきます。1944年、45年頃、B29が富士周辺を悠々と飛んでいる写真が何枚も展示されています。また、戦時中、アメリカの雑誌に載った潜水艦の潜望鏡から取った富士山の写真なども紹介されています。

1936年に、台頭する日本軍を紹介するアメリカの雑誌記事も紹介されています。富士を背景に飛ぶ日本陸軍の戦闘機の写真を使った記事(見出しには、A Japanese Military plane over holy Fujiyama とあります)ですが、そのページには以下のようなコメントがありました。

The Japanese army has never fought a first-class opponent. Nevertheless it has long bullied Japanese Emperors and today runs the Japanese Government. (中略)The Army's equipment is in-adequate and mostly out-of-date. It has only about 1,300 planes, as against Soviet Russia's "mystery fleet" of 1,000 planes at Vladivostok. (1937年1月11日号「ライフ」誌) 

(日本の軍部は強敵と戦ったことはない。にもかかわらず、天皇を操り、日本政府を支配している。日本軍の武器は十分ではなく、時代遅れのものだ。ソ連はウラジオストックに1000機を配備しているか、日本は全体とし1300機程度の飛行機しかもっていない。)

日本軍が張り子の虎であることがあらわにされたノモンハン事件は1939年ですが、その数年前にはすでに、日本軍なんてたいしたことないとアメリカの雑誌に指摘されています。もうこの頃には日米間に将来戦争がありうることを想定した議論がなされていたことでしょう。

「富士幻景」で展示されている写真の中には、1945年9月2日の日本降伏文書調印前後に取られた米海軍の戦艦が富士山を背景に駿河湾を航行する写真や、降伏文書が調印されたミズーリ号の写真なども含まれています。数日前、沖縄の基地返還前後に交わされた日米間の密約の記事がでていました。それは米軍人が起こした犯罪はよっぽどひどいものでなければ、日本側は司法権を放棄するという内容のものでした。沖縄の問題を含む戦後日本のアメリカへの屈折した関係の出発点となっている9月2日の降伏文書調印こそ、戦後の日本の歴史のなかで忘れてはならない一日だと思うのですが、8月6日、8月9日、そして8月15日と比べるとあまり取り上げられることがないように思います。

雑誌の記事ではないですが、日露戦争を最後に、30年も40年もの強国と戦うこともなく、世界に通用するような力もなかったくせに時の権力者である軍人たちは国内ではさんざん威張り散らしたあげく、日本をぼろぼろにしてしまいました。軍人たちの台頭を許した政治家たちのいい加減さが酷かったからで、それは今の政治同様なのかもしれません。いまの日本で、1930年代の軍部にあたるような勢力がでてくるのでしょうか?これからも日本に対して、陰に陽に影響力を与え続けたいと希望するアメリカは?まあ、そんなことは暇つぶしに考えている程度ですからクロイヌの妄想みたいなものです。

IZU PHOTO MUSEUM の「富士幻景」はとてもいい企画だと思いました。11月頃、この展覧会の図録が出版されるようなので、とても楽しみにしています。